滅葬のブラッドアームズ

雅彩ラヰカ

第1話

「滅葬のブラッドアームズ」

     


0‐0

 ――怪物と戦う者は、自らが怪物とならぬよう心せねばならない。

 何故なら、

 お前が深淵を見つめる時、深淵もまたお前を見つめ返すのだから――

     ◆

 西暦二〇二六年、ヨーロッパ地方にそいつらは現れた。

 人畜に吸血行為を行い、干からびたミイラのように変じさせるその習性からいつしか『ヴァンパイア』の名で呼ばれるようになった彼の怪物たち。

 やつらはたった二十六年の間に世界中を蹂躙し人類が築き上げた文明を破壊し、食物連鎖の頂点を人間から簒奪した。

 人類はこの脅威に立ち向かうため――日本の関東某県に本拠を置く製薬会社『姫宮堂』が秘密裏に生み出した人間兵器『ダンピール』の存在を容認。

 姫宮堂は生き残りのネットワークを手繰り寄せ新たに新世界統制機関『血盟騎士団けつめいきしだん』を結成し、名実ともに新世界の主として君臨した。

 ヴァンパイアの血を希釈し、調整したそれを投与した人間はダンピールと呼ばれる新人類となるだけではなく、各々の魂の根幹に根差した武器と異能を手に入れた。

血武装ブラッドアームズ』だ。

 ダンピールたちはそれぞれに目覚めた血の力・ブラッドアームズを手に、今日も仲間と共に荒廃した世界を駆け巡る。

 それが彼らに課せられた役目であり、任務であり、全てだからだ。

滅葬めっそう』せよ。

 脅威を、怪物を、ヴァンパイアを、人類の敵を滅葬せよ。

 血に刻まれた使命――滅葬を果たせ。

 これは血の物語。

 血の轍を辿る、ダンピールたちの物語だ。

1‐1

 西暦二〇五二年、春。

 狂い咲く桜に彩られた街は、しかしぞっとするほど人気が失せていた。無理もない。破壊され、蹂躙され、半壊もしくは傾いだビルに住まう者などいるわけがない。

 まっとうな神経を持つ人間なら、真っ先に逃げ出すだろう。ここには、怪物がいる。

 滅葬せよ。

 それが、己に与えられた至上命令だ。

 今から二十六年前に突如として現れた敵性生命体ヴァンパイアは、最初は軍隊でも対処することができていた。

 しかし次から次へと現れるヴァンパイアはいつの間にか再生能力を獲得していき、通常兵器では倒れることのない存在と化した。

 国々が滅び、国連が崩壊し、世界は破滅の危機に瀕している。

 赤茶けた鉄骨剥き出しの、建設途中と思われるビルの先端に立つ黒い喪服のようなドレスを纏った白髪の少女がいる。

 神代瑠奈かみしろるなは、リボルバー式の白いショットガンを手に眼下を睨む。金色の刺繍のような紋様が走るショットガンには銃剣が取り付けられていた。

 それが中天に差し掛かった太陽の光を受けてぎらりと輝く。

 纏ったケープの背中には金具で十字架をあしらったマークが煌めいた。四つの頂点に三角形状に三つの穴が開き、中央に一つの穴。計十三個の穴が開いている。

 どういう意図でこんなデザインにしたのかは知らないが、ありがたい十字架に穴をあけるなど、少し罪深くはないかと思わないでもない。

 目つきは鋭く、大人びていたが顔はまだ童顔で、幼い。実際彼女はまだ十五歳で、今年の誕生日でようやく十六歳になる少女なのだ。正確には、昨日十六歳になった。

 鋭い黄金色の目で、ショットガン……否、『血装けっそう白夜びゃくや』の可変倍率スコープを覗き込む。

 夜間モードだった暗視装置を切り、通常モードに変更する。倍率を変えて、敵を睨む。血装は魂の発現であり、それ故に通常の物理学から外れた挙動を可能にする。スコープの操作を切り替えることなど、造作もない。

 いるのは五体の人間形態の小型ヴァンパイア、グールだ。

 犬か狼か狐かはわからないが、とにかくイヌ科の獣の頭を持った人型のヴァンパイア。鋭い牙と爪を持ち、その一撃は人間の肉など容易く斬り裂いてしまう。

「目標を確認」

 右耳に取り付けた紡錘形の通信機に告げ、

「滅葬開始」

 飛び降りる。高さは優に四十メートルを超えている。普通の人間なら即死は免れない。人間は十五メートルの高さから落ちただけで確実に死ぬのだから。

 漆黒のケープと背中まで伸びた白い髪がはためく。

 しかし瑠奈は、その高さをものともしない。

 空中で白夜のスコープを覗き込み、一体を狙撃で撃ち抜く。

 ヘッドショット。落下中にできる芸当ではない。

 着地と同時に全身を凄まじい衝撃が駆け抜けるが、痛みに歯を食いしばり肉薄するグールの下顎に銃剣を突き刺した。

 筋肉と骨を貫き、脳天まで突き抜ける。黒い血が溢れた。ヴァンパイアに共通する赤い目が輝きを失う。

 引き抜くと即座に白夜を構え直し、撃つ。今度は狙撃ではなくこの銃の本領、散弾を放つ。

 白い輝きに満ちたシリンダーを撃鉄が叩くと、本物の銃と遜色ない銃声を響かせて光の銃弾を放った。実弾ではない。

 胴体を食い破られたグールが黒い血を跳び散らしながら吹き飛び、しかしその吹き飛んだグールの背後から二体が飛び掛かってくる。

 一体の爪を白夜で受け止め、いなすと同時に前転。先ほどまでいた場所を、もう一体のグールの爪が掠めていった。あの場にいたら斬り裂かれていた。

 瑠奈は起き上がりと同時にターンし、撃つ。ショットガンが光の散弾を撒き散らし、一体を屍に変えた。残るは一体。

 金属を軋ませるような声音が上がるが、瑠奈は無視。慈悲など必要ない。撃つ。

 最期の銃声が廃墟に響き渡り、戦闘の終わりを告げた。

「滅葬終了」

 白夜を胸に押し付けると、ずるり、と肉体の中に吸い込まれて消えた。

「こちら神代瑠奈。当該地域の安全は確保。補給部隊を動かしても問題ないわ」

「了解です、瑠奈さん。帰投してください」

「了解」

 砕けたアスファルトを踏みしめ、五メートルほどの高台に一つ跳躍しただけで軽々登り、安全圏で退避していた兵員輸送用の装甲車に乗り込む。

 狭苦しい兵員区画の椅子に座ると、装甲車が動き出した。

 今時は軍用車も電気式で、エンジンの音はほとんどしない。これは、地上の支配権を奪われ石油の発掘が出来なくなったから電気式が普及したというのもある。

 加えて音を立てずに隠密行動をするためであるとも言われている。各部パーツも隠密用に調整され、タイヤの走行音が僅かに響く程度だ。とはいえ各部のパーツが立てる軋みやなんかはどうしようもない。だが余程勘のいいヴァンパイアでなければそうそう接近を悟られない。

 十八年前、世界はヴァンパイアの脅威を前に撤退を選んだ。

 世界中が都市単位で防衛拠点を築き、壁と超強化特殊透明装甲でドーム状に街を覆い、自立防御の構えを取った。

 幸い、その頃には核融合式発電が可能となり、膨大な電力を自力で確保することができていたため、エネルギーに問題はなかった。

 不要物を転換し、必要な物資に変換する施設も出来上がり、都市はどうにか生活を維持できている。所謂、『完全環境都市アーコロジー』というやつだ。

 それでもまだ食べ物は配給制だし、食料状態がいいとは到底言えない。自分はこうして戦場に立つ存在だから優遇されているが、そうでない一般人は過酷な生活を強いられる。

 大昔の武士と貴族ではないが、戦う侍には相応の見返りがある、ということだ。それを特権階級のように妬む者がいるのもまた事実なのだが。

1‐2

 ここから血盟騎士団東海支部までは三十分もない。さほど退屈を覚えるわけではないが、それでもじっとしているのはつまらない。

 瑠奈はタブレット式の携帯端末を取り出し、動画サイトを開いた。旧時代の動画が大量にストックしてあるサイトで、ときどきこうして暇つぶしに見ることがある。

「猫……」

 子猫が人間とじゃれる動画を見て、瑠奈は緊張していた気分が和らぐのを感じた。

 猫は好きだ。愛嬌があって可愛らしく、もふもふしていて手触りがよさそう。

 しかし、もう猫は絶滅した、と言われている。都市内の外部居住区でもほとんど見ることはない。

 必要とされる動物は牛や豚、鶏で、食料生産のためジオフロントで育てられているがそのほとんどは嗜好品であり、一般には出回らない。

 そのとき、携帯が震えた。通信機ではなくこちらにかけてくるということは、作戦には関係のない内容なのだろう。

 同僚からのつまらない電話なら無視するところだが、携帯のディスプレイに『博士』と表示されているのを見て、出ることにした。

「もしもし。神代」

「ああ、瑠奈か。よかったよ、通じて」

 博士――リリア・アーチボルトは、血盟騎士団医務室室長であり、瑠奈の担当医でもある。

「用件は」

「君にいいニュースがある。……いや、去年ことを思えば悪いニュースかも知れんが……」

「どのみち拒否権はないんでしょう。早く言って」

 しばらく沈黙があったが、リリアは話し始めた。

「第七位始祖、『紫電のハンク』の適合者が生まれた。君に続く『パンドラ計画』の被験体だよ。記念すべき三人目だ」

「それで?」

「彼の教育係を頼みたいな、と思ってね」

「彼?」

「ああ、そう。男の子だ」

 別に男嫌いというわけではない。女にも男にも平等に興味がない。

獅童奏真しどうそうまという子で、今年で十七歳になるということだから、君の一つ上だね」

「面倒。ほかのベテランに頼めばいいでしょう」

 吐き捨てると、リリアは唸った。

「それなんだがねえ、支部長がパンドラ計画の被験体のみで最強の特務分遣隊とくむぶんけんたい吸血鬼狩人ヘルシング』を発足するつもりらしくてね」

「ヘルシング?」

「まあ一人は本部直轄だからこっちに来そうはないんだが、どのみち君と組むことになるんだったら、連携を取るためにも早い段階から君と組ませた方がいいんじゃないかと」

 瑠奈は見られているわけでもないのに、無意識でため息をついた。

「そういう面倒事は押し付けないで下さいとあらかじめ言っておいたはずなんだけど」

「連れないこと言うなよ、君。君たちは二人一組ツーマンセルが基本だろう? 一人で活動する君は異例なんだよ」

「それは……」

「だろ? これまで見逃してきてくれた分のツケを払うべきなんじゃないのかな?」

「少し小突かれた程度で死ぬような仲間なんて、いない方がまし」

「そうならないために君が育てるんだよ、彼をね」

「……新人教育なんてガラじゃないわ」

 包み隠さず本心を言った。自分に教え導く立場というものが務まるとは到底思えない。

「けど四年のキャリアを持っていて、おまけに彼と同じ『始祖』の力を継ぐ君だ。教えてあげられることは多いと思うが」

「わかったわ。やればいいんでしょう、やれば。けど手間賃は取らせてもらうわ。ロハじゃ割に合わないもの」

「支部長に掛け合ってみるよ」

 電話が切れた。

 瑠奈はまたため息をついた。

 厄介な仕事を任されたものだ。どうしたものか。新人の教育などしたことない。

 しかし、始祖か。

 ヴァンパイアの中でも異質な存在である始祖は、全部で十三体いるとされる。彼らはヴァンパイアでありながら目は赤くなく、蒼いという特徴を持つらしい。

 実際に見たことは一度もないので伝聞でしか知らないが、噂によればそういうことらしい。

 瑠奈もその始祖のブラッドアームズを引き継ぐ存在だ。

 けれど、まだ自分は始祖の力を発現したことは一度もない。

 始祖のブラッドアームズを受け継ぐ存在には、特別な力があると考えられている。

 ほかのブラッドアームズ適合者――ダンピールにはない力があると。

 装甲車が停車した。恐らく、防壁の前に到着したのだろう。

 しばらくしてまた走り出し、血盟騎士団支部に到着すると再び停まる。

 瑠奈は開いた後部ハッチから降りると、支部内に向かって歩き出した。

 任務のせいで昼食を摂り逃した。腹が減っている。早くなにかを食べたい。

 掃き清められた真っ白な廊下を歩いていると、目の前から資料に目を落とす少年が現れた。

 そして、どん、と肩がぶつかる。

「あ、ごめん」

 少年は素直にそう謝った。黒い直毛の髪をミディアムに伸ばし、後ろ髪を三つ編みに結っている。顔立ちは少女と言っても通りそうなほどであり、衣服がパンツタイプのスーツでなければ瑠奈も判断に困ったかもしれない。

 その瞳は紫をしている。日本人にはありえない目の色だが、瑠奈も他人のことは言えない。

 彼女も頭髪は白く、目は金色という日本人らしからぬ外見をしている。

「これさ、読めって言われたから……」

「よそ見してるからそうなるのよ。部屋に戻ってから目を通しなさい」

「いや、それがさ、この後すぐに任務に出るっていうから……」

「……以後、気をつけなさい」

 少年を視界から外し、瑠奈は颯爽と食堂に向かって歩き出した。

 ちらりと見たとき、背中に銀色の金具で十字架をあしらったマークがあったので、もしかしたら件の新人ダンピールなのかもしれないと思ったが、まあどうでもいい。

 道中、冷ややかな目線が飛んでくるが、無視した。自分が周りからどう思われているかくらい知っている。

 けれどそれについていちいち言及する気はない。自分をそう見たいなら、そう見ればいい。

 どうにでも、好きにしてもらって構わない。

「緊急連絡、緊急連絡。神代瑠奈隊員は速やかに第二駐車場に集合せよ。繰り返す――」

 昼食もまともにとれないのか、と瑠奈はうんざりした。

 だが、上からの命令は絶対だ。逆らえばどんな懲罰を課せられるかわかったものではない。

「まったく……」

 苛立ちを隠そうともせず、瑠奈は踵を返して来た道を戻った。

 新人教育なんて受けるんじゃなかった。

1‐3

 東海支部東区普通科高校二年B組出席番号十二番。

 身長百七十二センチ、体重六十三キロ。十六歳。今年の八月二十七日で十七歳になる。

 獅童奏真は、そんなごく平凡で、なんの変哲もないどこにでもいる普通の高校生だった。

 十数年前、四歳のときに両親を失い孤児院に引き取られたというデリケートな過去を持つがそれを除けばそこらの人間となんら遜色のない普通の人だった。

 だから新学期を迎えた身体測定にも、ごく普通に参加した。

 学校や企業で毎年行われる一連の身体測定にはダンピールへの適性を見極めるという側面もあり、生徒たちは意気揚々と血液検査に挑んでいた。

 まあ、わからないでもない。

 ダンピールになれば、生活は激変する。

 配給制で貰えるクソ不味い食事から解放され任務に成功すれば多額の報奨金が支払われる。

 それで家族を良い生活に導くことも不可能ではない。

 奏真は特に、そんな野心もなく血液検査に挑んだ。血を採取される針の痛みに耐え、そうして全ての検査を終えた。

 昼休みになり、奏真は友人たちと席を合わせ、昼食を食べていた。といっても、ロクなものではない。パサパサぼそぼそしたクッキーとパンの間のような食感で、味らしい味もない。

 一応一日に必要な栄養素を含んでいるとのことだが、こんな味気のないものなど毎日毎日食べたくない。栄養が偏っていようが、ハンバーガーとか、ああいうものが食べたい。

「おい、なんだあいつら」

 級友の一人が教室に入ってきた男たちを指さす。奏真もつられてそちらに目を向ける。

 黒服を着た男たちだ。背中には銀色の金具で十字架をあしらったマークを背負っている。

 なんだろうか。

 男たちは奏真の前に現れて、名刺を差し出した。

「君が獅童奏真くんだね? 我々は血盟騎士団の者だ」

 名刺にはただ一言、飾り気もない文体で血盟騎士団とだけ書かれている。

「あの……」

「喜びたまえ、君はダンピールになれる」

 教室にざわめきが生まれた。

「え……」

「来たまえ。これから、血盟騎士団支部に向かう」

「これから? 学校は……」

「先生方には既に許可を頂いている。心配はいらない。さあ」

 有無を言わせぬ気迫があった。

 奏真にも、血盟騎士団についてある程度の知識は持っている。

 ダンピールになった者は、強制的に血盟騎士団の管轄下になる、ということ。そしてダンピールの適性が見つかった場合、そこに拒否権など存在しないということ。

 都市で安全に暮らしている一般人は意識が薄いが、一歩壁の外に出たらそこに広がるのは荒廃した大地と、そこに闊歩する怪物の巣窟だ。か弱い人間が出ようものなら一日と持たない。

 学校から出ると、陽光が照りつけた。しかし、空をじかに見ることはできない。

 超強化特殊透明装甲とかいう、ガラスだかアクリルだかポリカーボネートだかよくわからない素材で作られたドームが都市を覆っているからだ。

 ヴァンパイアの中には空を飛ぶ個体もいるため、壁だけ作って終わり、では都市を守り切ることはできない。

「さ、こっちだ」

 校門の前に停まる黒いセダンの後部座席に入れられる。車はゆっくりと発車した。

「あの……これからなにをするんですか?」

「施設でブラッドアームズの移植を行う。適合試験だな。だが君の場合、少し違う」

「それってどういう……」

「君は始祖、という存在を知っているかね」

「いえ」

 奏真は特にSNSやインターネットに興味を持たない。そもそも携帯端末など高く、火の車で操業している孤児院ではそんなもの用意することもできない。

 孤児院には全員で使い回す共用のオンボロパソコンが何台かあるだけだ。

 それにしたって奏真が見るのは主に小説投稿サイトや旧時代の動画をストックしてあるサイトばかりで、そもそも自分がダンピールになる可能性など考えたこともなかった。

 だから歴史の授業で習う程度の一般的な知識しか頭に入っていない。

「始祖とは、今から十三年前に初めて討伐された特殊なヴァンパイアのことだ」

「特殊……」

「そう、特殊。ほかのヴァンパイアが雑魚に思えるほど強く、討伐は極めて困難だ。ダンピールは基本的にツーマンセルで動くが、始祖討伐の際には八人で挑んだ」

「四倍の数で挑んだんですか?」

「そうだ。最初の始祖は二〇三九年、アメリカで討伐された第六位始祖『輝石のガース』。その来年、今から十二年前にフランスで第四位始祖『炎刃のフーラ』」

 そんなことになっていたとは、これっぽっちも知らなかった。奏真は話に耳を傾け、これから行うであろうその特殊ななにかに備える。

「そしてその二年後、今から十年前に中国で討伐されたのが第七位始祖『紫電のハンク』だ」

「第六位に、第四位、第七位……複数体いるんですか?」

「ああ、全部で十三体いる、とされているな。彼らは通常赤い目を持つはずのヴァンパイアでありながら、蒼い目を持つという」

 蒼い目。

(あいつが……)

「どうかしたかね」

 気づくと、自分は両拳を固く握っていた。震えていて、白く変色している。相当力んでいるらしいというのは、自分でも驚くほど間を置いてから気づいた。

「あ、いえ……ダンピールになるんだな、って思ったら緊張して……」

「そうか。だがさっきも言ったが、君がなるのはただのダンピールではないんだ」

「……まさか、始祖のブラッドアームズを?」

「勘が良いな。その通りだ」

 車が停車した。降りるように促されたので外に出る。そこは白くて巨大な高層ビルだった。

 選ばれた貢献者のみが暮らせる血盟騎士団の城。

 内部に入ると、エレベーターで地下――ジオフロントに通された。ここは血盟騎士団の高位職員とダンピールのみが生活を行う空間だと、黒服に教えられた。

 いくつか辻を曲がり「この先は一人で」と言われて、黒服は去った。目の前の重い鉄門扉が自動的に開く。上部には、訓練室、というプレート。

「入りたまえ」

 そこは天井が高く、床も壁も特殊な合金で出来ているのか頑丈そうな作りだった。所々傷が入っていたり、へこんだりしている。

 研究室から見下ろせる作りになっているのか、天井付近には透明の装甲に覆われた見学室が確認できた。

 そこにマイクを持つ男と、付き添うように白衣を着た何人かの研究員を確認できる。

「はじめまして、獅童奏真くん。私は権蔵寺隆一ごんぞうじりゅういち。この支部を預かる最高責任者だ。さて、」

 部屋の中央には解剖台、と言われた方がしっくりくるようなベッドが置いてあった。

「君には今、選択肢がある。話に聞いていたとは思うが、君はこれから始祖のブラッドアームズを受け入れることになる。だがこの適合試験は非常に合格率の低い危険な賭けでもある」

 ベッドの隣には機械のアームがあって、その先端には注射器が固定されている。アンプルの中はどす黒い液体で満たされていた。あれが始祖の血だろうか。

 ブラッドアームズは、ヴァンパイアの血を希釈し、人体への投与用に調整したものが用いられる。希釈してもなおこれほど黒いとは、少し驚きだった。

「始祖適合者には特別に拒否権がある」

 驚きに、喉が凍り付いて言葉に詰まった。

「そ、それって……じゃあ、普通の生活に戻れる……?」

「そうだ。だが君がこの試験を受けるというなら、結果の可否に問わず孤児院への多額の資金援助を約束しよう」

「……!」

 孤児院のみんなの顔が浮かぶ。幼い子、歳の近い子、自立していった卒業生――先生。

 自分が一歩前に出れば、全員が助かるというのか。

 逆らい難い申し出だった。

「拒否するというのなら、早々に去るといい。受けるというのなら、そこのベッドで横になるんだ」

 誘惑はあった。死ぬかもしれない試験に挑むより、普通の生活を送る方がいい。仮に試験に成功しても、その後待っているのは危険な任務だ。

 けれど、自分が戦う選択肢を取れば、孤児院だけでなく多くの命を救える。自分のように両親を失って寂しい思いをする者も減るだろう。

 自分は、どうすべきか。

 十秒、三十秒、一分、五分と悩んで。

「やります」

 奏真は決意した。

 必ずしも善意からではない。少なからぬ私怨もあった。

「よろしい。ではベッドに。ああ、靴は履いたままでかまわない。制服を脱いで、右腕を出しなさい」

 言われた通り上着を脱ぎ、ワイシャツの袖をめくる。ベッドで横になると、機械のアームが右腕に注射器を突き刺した。

 ちくっとした痛みと同時に、ピストンが押され、始祖の血が体内に入り込む。

「ぐっ……ぁああああああああああっ!」

 凄まじい熱が脳天からつま先までを駆け抜けた。続いて血が滲むように冷気が染みわたっていき、あまりの激痛に奏真はベッドから飛び起きた。

「ぁぁぁぁああああああっ!」

 床に転がり、何度も何度も拳を打ち下ろす。それだけで冗談のように合金製の床がへこんでいき、しかし奏真の拳には痣一つできない。

 血が暴れている。

 自分の血と、始祖の血が争っている。

「ぅぅぅぅぅぅうううっ……」

 蹲り、髪を掻き毟る。

「失敗か……?」

 切ることも忘れたのか、マイクは起動しているようで、スピーカーから声が聞こえた。

 失敗。

(俺、死ぬのか?)

「いえ、支部長。彼の目を」

 カメラのようなものでもあるのか、女の声がそんなことを言う。

「紫に変じている……赤くない。適合したようだな」

 支部長のそんな言葉を最後に、奏真の意識はぷっつりと途切れた。

1‐4

「逃げて、奏真!」

「父さんと母さんはいい! 早く逃げなさい!」

 怒鳴りつける両親と、己の手を引く近所の大人。

「嫌だ! 嫌だぁああああっ!」

 家に押し潰された父と母が、“蒼い目”をした怪物に吸血されるのを、自分はただ泣きながら見ていた。

 葬式で送られてきた両親の死骸はミイラのように干からびていて、生命の尊厳を踏みにじられているような、そんな気さえさせられた。

 もしかしたら、結局のところ自分がダンピールになることを志願したのは、あいつを殺すためなのかもしれない。

「……っ!」

 目が覚めた。

「やあ。おはよう。何度かバイタルが危険域に入ったりしてたから、もう目が覚めないかと」

 女に顔を覗き込まれている。くせ毛の長い茶髪をした女で、緑色の目が好奇心旺盛に輝いている。まるで奏真のことを珍しいおもちゃかなにかのように思っているようだ。

「あれから一日、君は眠りっぱなしだったな。十二時二十七分……お腹は?」

 解剖台のようなベッドの上でゆっくり起き上がる。部屋は、あの訓練室のような場所ではない。研究室のような空間だ。しかし生活臭もする。

 自分の体を検めると、ワイシャツではなく、いつの間にか喪服のような、ブラックスーツに着替えさせられていた。

 白いワイシャツはパリッとしていてしわひとつなく、黒いネクタイはしっかりと巻いてあった。グレーのベストと黒いジャケットもズボンも、やはりそれらしいしわは見当たらない。

 新品のようだ。背中に少し違和感があったのでジャケットを脱いでみると、背中にあの、銀の金具で十字架をあしらったマーク――血盟騎士団のシンボルマークが縫い付けられていた。

 ジャケットを着直し、奏真は質問に答える。

「……別に」

「具合は?」

「少し、頭痛が……」

「だろうね。始祖の血だ。なんの変調も来さない方が異常だろうさ。安心したまえ、そんなものはすぐによくなる」

「はあ……」

 女はコーヒーカップではなく、実験かなにかに使うようなビーカーに注いだ湯気を立てるブラックコーヒーを嚥下した。

 そうして小さな冷蔵庫を開け、そこからコーラの瓶を取り出すと奏真に放った。

 飲め、ということか。

 奏真は指の力だけで蓋を開けると、一口、炭酸の刺激がするそれを飲んだ。コーラなんて何年ぶりに飲むだろうか。

 こんな嗜好品、一般にはほとんど出回らない。何年か前誕生日会で振る舞われたきりだ。

「美味い……」

「よかった、味覚に異常はないみたいだな。ときどきヴァンパイアの血に当てられて味覚が変わって生肉じゃなきゃ受け付けない体になる者とかもいるものでね」

「それは……災難だな」

「その点君は安心だ。目の色が変わったくらいで、特におかしな変異は見当たらない」

「目の色が変わった?」

「ほら」

 手鏡を投げ渡され、覗き込む。

「紫だ……」

 両目が、茶色かったはずの両目が紫色に変わっている。

「なにが起きたんだ?」

「ブラッドアームズ――ヴァンパイアの血は、人体に投与されるとその人間の魂の根幹にある力に左右され、様々な効果をもたらす」

「例えば、どんな?」

「身体能力の増大、治癒力の強化、血装の発現、ソウルアーツの目覚め……大抵、髪の色や目の色が、そうした要素に左右されたものに変わる」

「…………」

 聞き慣れない単語がぞろぞろと出て来たが、今は訊く場面ではないと思い、質問したい気持ちをぐっと飲みこんで堪える。

「時折いる意思や自我の強い子はなんの変化も起きないが、それは稀なケースだな」

「俺の目が紫に変わったのは、俺の魂がそうさせたから?」

「いや、君の場合は第七位始祖『紫電のハンク』の特徴が反映されたと見るべきだろう。詳しくは現地で瑠奈が――君の教育係が教えてくれる」

「……ていうかさ、普通に会話してるけど、あんた誰?」

「ああ、自己紹介がまだだったか。私はリリア・アーチボルト。この血盟騎士団医務室室長をさせてもらっているよ。これからは君の担当医も兼任することになる」

 歳は、二十代後半くらいに見えるが、実際はどうなのだろう。訊いてはみたいところだが女性にその手の話題を振るのは失礼だということくらい奏真にもわかる。

「ははぁ、その顔は私の歳を気にしてるな?」

「あ……いや」

「私はこう見えても四十一。今年、四十二になる」

「え……てっきり、二十代後半くらいかと……」

「君、お世辞がうまいね。将来出世するよ」

 お世辞のつもりではなかったのだが。

「さて、君にはやることが山済みだ。基礎座学に基礎体力強化訓練、部屋も案内しないといけないし、ここの施設も案内せにゃならん。だがなによりも大事なのは、一時間後の初陣だ」

「初陣!?」

「なにを驚く。君はもう一般人じゃない。ダンピールなんだ。ああ、ダンピールってのはブラッドアームズに適合した新人類を指す言葉で、ヴァンパイアと戦う戦士のことだ」

「それは知ってる! けどいきなり実戦って……普通、訓練とか……」

「そうだね、基本はまず訓練室で血装の発現と命名を行い、ホログラム訓練で戦闘経験を重ねて、実験用ヴァンパイアを討伐するというのが普通なのだが……」

 リリアはしかし、と指を立て、

「君は始祖の血を引いたダンピールだからな。支部長の意向で、特別なカリキュラムが組まれている」

「そんな……実戦なんて。俺、ヴァンパイアってアニメの中でしか知らないんだぞ?」

「ああ、民意高揚のためにやってるアニメだな? ならいい。あれに出てくるヴァンパイアや戦闘は実際の戦闘データに基づいて構成されている。ためになるだろう」

「たかがアニメが!?」

「おい、そんなこと言うな。この国は昔、君が言うその『たかがアニメ』で世界的な人気を誇ったんだぞ。私もアニメは大好きなんだ。まあ、ともかくこれ」

 リリアから紙を手渡される。画像付きの紙だ。画像はイヌ科の頭をした人型の、いわゆる雑魚と称されるヴァンパイア、グールだった。

 だが今の自分には恐ろしい怪物であることに違いはない。

「これ……?」

「君が一時間後に戦うヴァンパイアだ。それほど手ごわい相手じゃないし、仮に君が倒せなくても同行者がどうにかしてくれるだろう」

 なら、そう難しく考える必要はないか、と奏真は自分を納得させることにした。もしこれで一人で戦えと言われたなら断固拒否しただろう。

 いくら雑魚といわれようと、戦ったこともない相手とやり合って上手くいく保証などどこにもない。

「さ、第二駐車場に向かえ。ここから出て、大きな廊下を歩いていればエレベーターに出るからな。一階を押すんだ。そうすれば来たときと同じだ」

「え、ちょっと……」

「歩きながら資料に目を通すといい。ほら、もう行け」

 追い出されるように部屋を押し出され、奏真は「どうとでもなれ」と呟いて、歩き出した。

 もうなにもかも、血盟騎士団が悪いのだ。

1‐5

「ええと……」

 外に出たはいいが、どの車に乗ればいいのかわからず、奏真は困り果てた。

「あっ、君は……」

 助け舟というべきか、さっきぶつかってしまった少女が出てきた。

 先ほどは施設内に向かって歩いていたが、あの緊急放送で神代瑠奈という人物が呼ばれていたので、このタイミングで出てくるということは彼女が神代瑠奈で間違いないのだろう。

 身長は奏真より頭一つは小さいが、纏う気配は剣呑で少し近寄りがたい。しかし顔は童顔で幼く、目つきは鋭かったが奏真よりも一つか二つ年下だろう、と思えた。

 リリアが教育係は瑠奈、と言っていたから、彼女が瑠奈であれば、ついていけばいい。

「あなたは……さっきの」

「さっきはごめん。ほんと、歩きながらよそ見なんてするもんじゃないよな。俺、獅童奏真っていうんだけど、君は?」

「……獅童奏真。そう、あなたが第七位始祖の適合者ね。こっち」

 瑠奈は奏真と目を合わせようともせず、緩やかな、けれど素早い歩みで装甲車の後部ハッチから内部に乗り込んだ。奏真も後に続く。

 対面に座り――さすがにいきなり隣に座る勇気はなかった――、改めて少女を見る。

 白い髪は背中を覆うように垂れており、前髪は目を覆わない程度に切られている。サイドは内巻きになっていて、少女の小顔を助長していた。

 眉もまつげも――動画でしか見たことはないが――雪のように白く、瞳が黄金のような色をしているのが印象的だった。

 彼女もまた奏真と同じく、喪服のような恰好をしている。黒いドレスにフリルのついたスカート、漆黒のケープ。

 スカートから覗く足には肌に吸着する黒っぽいマットな艶のボディスーツに包んでいて、それはつま先から首筋までを覆っていて素肌は顔以外に出ていない。

 瑠奈は携帯端末を取り出すと、そちらに目を落とし、奏真には一瞥もくれない。

「……なあ、君って、神代瑠奈でいいんだよな?」

「ええ」

 冷たい響きだった。他人が心に入ってくることを拒むような声音。

 奏真は、そんな声を知っている。孤児院に来たばかりの子供――特に家族や友だちを失ったばかりの子供の声にそっくりだからだ。

 そういう子とは、できるだけ時間をかけてゆっくり付き合っていくのが良いことを経験則で知っている奏真は、瑠奈を刺激しないように言葉を選ぶ。

「俺さ、さっき目が覚めたばっかで……その、けっそう? とかソウルアーツ? っていうのもわからないんだ。教えてくれるといいんだけど、リリアって人が君が教えてくれるって」

「血装っていうのは、武器のこと。ブラッドアームズの血の具現。もっともダンピール自体が血の具現だから、ダンピールでさえあればグール程度の雑魚、殴るだけで殺すこともできる」

「へ、へぇ。けどさ、ヴァンパイアって通常兵器が効かないんだろ? なんでダンピールになるとダメージが通るんだ?」

「いろんな人は血の力だ、と言ってるけど、詳しいことは私も知らない。博士に至っては魂の結晶だから、魂が変質しているヴァンパイアにも通じるのだと言ってる」

「知らないって……」

「けど、それがなんだっていうの? あなたは自分を構成する六十兆の細胞の全てを把握していて、全身の内臓の位置を把握してどれがどんな風に働いているかを知っているとでも?」

「それは……」

「ならいいじゃない。私たちはヴァンパイアを殺すだけ。滅葬さえできればいい」

「めっそう?」

「滅ぼして葬ること。ヴァンパイア殺しの意味よ」

 冷たいが、訊いたことには答えてくれる。

「俺さ、昨日学校で急に呼び出されてダンピールになって……知らないことだらけでさ。君に教えてほしいことがいっぱいあるんだけど……」

「無駄話は嫌い。けど、必要なことなら教えてあげる。その分の給料ももらってるし。で、まずはなにから聞きたいの?」

 いざそう言われると、わからないことだらけで、どれから訊けばいいのかさえわからなくなる。少しずつ考え、まずは興味の赴くままに訊いてみた。

「外の世界って、やっぱり危険なのか?」

「そんなこと、学校で習うでしょう」

「いや、そうだけど……実際に目で見るのと話しで聞くのとじゃ全然違うだろ?」

「あと十分もしないうちにあなたは外を見ることになるわ」

「事前に知っておきたいんだ」

 瑠奈は端末をスカートに巻き付けたポーチの一つにしまい、

「外は危険だらけよ。いつどこでどんな建物が崩落するかわからないし、どこでヴァンパイアと出くわすかわからない」

「それは……確かに危ないな」

 我ながら間の抜けた感想だと思う。そんな言葉しか出てこない自分に呆れる。

「それどころか盗賊まがいの人間と遭遇することもある。そうね、知っておいて損はないから教えてあげるけど、人間は殺しちゃ駄目」

「流石に人殺しをする勇気はないけど……」

「そう……。たとえ武装していて、敵意をむき出しにしていたとしても、駄目」

「じゃあ、襲われたときはどうするんだ?」

「殺さないように加減して倒すしかない。その盗賊が、もしかしたら始祖への適合を持っている可能性もあるんだから」

「始祖への適合……始祖って、そんな大切なのか?」

「とても大切よ。始祖の力は並みのヴァンパイアを遥かに凌ぐ。始祖の血に適合した私たちも同様。一人で何十人分、下手をしたら何百人分ものダンピールを凌ぐ力になる」

「そんなにか?」

「あなた、『パンドラ計画』は知ってる?」

「いや……」

「パンドラ計画は、始祖に適合する第三世代ダンピールを創りだす計画。いつ始まったかは知らないけど、少なくとも四年前にはスタートしてた」

「どうしてわかる?」

「最初の適合者……つまり私が四年前に適合したから」

 なるほどな、と奏真は思った。

 彼女自身が、パンドラ計画の始まりであったわけだ。

1‐6

「……始祖のダンピールって、その、第三世代? って何人いるんだ? 討伐された始祖が三体ってのは聞いたけど」

「三人よ。私と、あなたと、もう一人は関東本部直轄。ロシアで始祖適合の素質がある子がいるって話だけど」

 瑠奈は一呼吸置いてから、

「まだ始祖が三体しか倒されてない今、その子はもうしばらく我慢してもらわなきゃいけないわね」

 素朴な疑問が生まれ、訊く。

「同じ始祖の血を使っちゃ駄目なのか?」

「普通のダンピールならそれでもいい。けど、始祖の場合、適合者が一人いるとほかの適合者に同じ血を受容させることはできないの」

「どうして?」

「わからないわ。けど実験で、何人かの始祖適合者が私の元となった『輝石のガース』の血を移植されたけど、どれも失敗に終わった」

 それはつまり、死んだ、ということだろうか。怖くて言葉にならない。

「複雑なんだな……」

「そう難しく考えることはないわ。私たちには特別な力がある。それは確か。けどすることは単純……」

「滅葬するだけ」

「そうよ」

「けど……俺、できるかな」

 不安がそのまま形に出てしまった。なんの飾り気もない不安を同い年くらいの少女に吐露したことに恥ずかしさを感じた。

 だが彼女の言葉に嘘がなければ、瑠奈は四年のキャリアを持つ自分の先輩だ。恥ずかしがる必要はない。

「なんのために私がいると思ってるの?」

「いや……そうだけどさ。俺、本物のヴァンパイアなんて見たことないから」

「無茶をさせている、とは思うわ。けど必要なことなの。シミュレーターでどれだけ優秀な成績を出せても、初陣では大抵醜態をさらす。初めての戦いで必要なのは、生き残ること」

「生き残る……」

「そうよ。生きてさえいれば、またやり直すことができる」

 そう言った瑠奈の顔はしかし、過去に囚われている者の顔色をしていた。やり直すという前向きな言葉は、奏真にではなくむしろ自分に向けられているようだった。

 孤児院にいる子供たちがよく見せる顔だ。親や兄弟を思うとき、彼らは逃れられない過去を思い、それを表情に薄く出すことがある。瑠奈も、そんな顔をした。

 話題を変えよう。

「なあ、ダンピールって何人くらいで戦うんだ?」

「基本はツーマンセル。任務によってはフォーマンセル。始祖討伐戦では今の私たちじゃ手も足も出ない超腕利きのダンピールが八人で戦ったっていうけど、大抵はツーマンセルだわ」

「てことは、君も?」

 話題を変えたつもりが、とんだ地雷を踏んだと気付いたのはそのときだった。

 瑠奈の目の色が変わった。物理的にではない。感情的にだ。なんの感情も見せなかった金の瞳が、はっきりと殺意とわかるような色を浮かべた。

 けれどそれも一瞬で、瑠奈はまばたきを一つすると、相変わらずなにを考えているのかわからない無感情な目に戻った。

「……私はソロよ」

「そうなんだ……」

 納得する以外に道はなかった。深く詮索してはいけない。多分これは、彼女にとって触れられたくない部分の話なのだろう。

「今度は一つ、私から訊いていいかしら」

「なんでも」

「あなたはどうして始祖の適合試験を受けたの?」

 始祖の適合試験には拒否権も設けられている。受けることに強制力はない。ダンピールになるか否かは、個人の自由に委ねられているのだ。

「俺さ、孤児院育ちで……その孤児院てのがえらい貧乏でさ。俺が試験を受ければ、たとえ失敗しても資金援助をしてくれるっていうから」

「優しいのね」

「…………そうでもないよ」

「……?」

「君は? 君はどうして、」

 瑠奈はなんでもないように、残酷な一言を吐き出した。

「私は両親に売られたの。拒否権はなかった。両親が勝手に決めて、私を血盟騎士団に売り渡した。今頃両親は関東本部で悠々自適な暮らしをしてるわ」

「え……あ、ごめん……」

「気にしてないからいい。それに、少し感謝もしてるわ。ダンピールになれたおかげで、いい暮らしができるから」

 この話題もまずい。奏真はそう判断し、

「な、なぁ、パンドラ計画って要するに『最強のダンピールを創りだす』計画なんだろ?」

「まあ、大体はそうね」

「ならなんで本部でやらないんだ? どうして東海支部なんて場所で……」

 瑠奈は複雑な表情を一瞬浮かべ、けれどすぐに能面のような顔つきに戻し、

「ダンピールはときにヴァンパイア化する危険を孕む。始祖のダンピールも変わりないわ。もし本部で、一斉に複数体の始祖のダンピールがヴァンパイア化することになれば……」

 瑠奈の言葉の続きを、奏真は察した。

「本部は壊滅の危機に瀕することになる……?」

「ええ。だからギリギリ目が届くけど、いざというときは対岸の火事で済むような場所でこの計画を行っているのよ」

「なるほど……」

「あとは、この東海支部が『姫宮堂ひめみやどう』の支社を前身にしているから信頼もある、というところかしら」

「姫宮堂?」

「知らない? まあいいわ。基礎座学で習うでしょうから」

「そう、それだ。基礎座学とかってなにするんだ?」

「血盟騎士団の成り立ちと、ヴァンパイアについて、ダンピールのこと。その辺の基礎的なことを学ぶのよ」

「ダンピールになっても勉強か……」

「筆記試験とかはないけど、ダンピールには必要な知識だから真面目に受けなさい」

「わかった」

 装甲車が停車した。

「着いたわね」

 どくん、と心臓が飛び跳ねた。これから実戦だ、という思いが湧いて出てきて、全身が緊張するのを感じる。

 後部ハッチがゆっくり開いて、寂しい乾燥した空気が車内を吹き抜ける。

「行くわよ」

1‐7

 旧時代のゲームプレイ動画で見たことがあるが、滅んだあとの世界とはこんな感じではないか、と思わせる光景が目の前に広がっていた。

 奏真たちは戦場に降り立つと、すぐに半壊したビルの半ばまで上がり、安全を確保した。

 ここから見える崩れた高架道路に、虎のような怪物が転がっていて、そいつの血肉を三体のグールが貪っている。

「あの虎……?」

「ベルタイグね。よかったわ、生きてなくて。初陣であんなのと出くわしたら、例え始祖のダンピールだとしてもお陀仏よ。さて、」

 瑠奈が胸元に手を当て、「『血装:白夜』」と唱える。するとなんの奇術か、彼女の胸から黄金の紋様が走った白いショットガンと思しき銃が現れた。

 リボルバー式で撃鉄があり、上部レールには無骨なスコープ。銃身下部には銃剣が取り付けられている。

「なんだ今の……」

「これが血装。ブラッドアームズの神髄。あなたもできるのよ」

「俺も?」

「大切なのは、魂で思い描くこと。始祖である以上ソウルアーツの属性は固定だけれど、武器はそうじゃない。本人が思うままのものが出てくる。どんなものを出したいか、思い描いて」

「どうやって?」

「念じればいい。目を閉じてゆっくり呼吸して、己が持つべき武器はなんなのか。想像し、創造する」

 言われた通り、奏真は目を閉ざして念じた。

「あなたの思う武器を」

 武器。

 孤児院にいた頃よく読んでいたファンタジー小説を思い浮かべる。西洋が舞台でも、東洋が舞台でも武器といえば剣だった。

 ロングソード、シャムシール、日本刀……。

 そのとき、胸の辺りが熱を帯びた。あまりの熱さに集中が乱れ、目を開けてしまう。

「できたわね」

 失敗したかと思ったが、瑠奈の声音は純粋な賛辞を帯びていた。

「どういうことだ?」

「胸を見てみなさい」

 言われて、自分の胸に目を落とすと、みぞおちから剣の柄が生えていた。三十センチほどの両手でも片手でも握れる長さのそれを右手で掴む。

 思い切って引き抜いてみる。

「それがあなたの血装ね」

 刃渡り七十センチ弱ほどか。片刃の直刀で、色は黒い。しかし刃が紫を帯びていて、刀身にも血管のように紫の脈が張り巡らされている。

 ぐっと握った瞬間、紫紺の雷撃がばちりと爆ぜた。

「これが俺の血装……?」

「名前を付けて」

「は?」

「名前を付けるのよ。普通は博士か支部長が命名するんだけど、この場にあの二人はいないからあなたが自分でつけるの」

「どうつければいいんだ?」

「外見の色や能力から漢字二文字で付けるのがこの国のやり方ね」

「じゃあ、そうだな……」

 己の刀剣を見る。黒い刃鉄はがねにまとわりつく、雷撃の残滓。刃を彩る紫。

紫雷しらいだ。こいつは、『血装:紫雷』だ」

「良い名前ね」

 皮肉でも賛辞でもない、ぽっと生まれた言葉を口にしただけのような口調で瑠奈が言う。

「で、こんなところまで上ってきてなにをする気なんだ?」

 地上までざっと三十メートルはある。降りるのが大変ではないか、と奏真は思うのだが。

「簡単よ。口で説明するより、実際にやった方が早いわね」

 瑠奈がショットガンの銃床で、奏真の側頭部をぶん殴った。視界がちかちかし、よろけた所に蹴りが飛んできて、わけもわからず外に放り出される。

「はっ、あっ、ぁぁああああ!?」

 目の前に割れたアスファルトの地面が迫る。どうすることもできない。

(マジかよ!)

 そのときの音をどう形容すればいいのか、奏真にはわからなかった。ただ気が付くと、体を動かすことが出来て、ゆっくりと空を見上げることができた。

「どう?」

 いつの間にか隣に立っていた瑠奈が見下ろしていた。

「お前っ! なんのつもりだ!」

「実践してあげただけよ。ご感想は?」

「だからなんの――」

「ビルから落ちて、どうなったか。客観的事実を述べてみなさい」

「……死んでない」

「そう。そして、今もなおその死が逆再生されている」

 言われて、気付く。地面にぶちまけられた血が霧になって奏真の頭に吸い込まれ、額を流れる血が頭を上って傷口に入っていく。

 割れた頭蓋が再生する感触は筆舌に尽くしがたく、傷が癒着する際の皮膚の動きには生理的な嫌悪を拭えなかった。

「博士に聞かなかった? ダンピールは治癒力が増す、と」

「確かにそんなようなことを言ってた。けど、いきなり落とすってのは……」

「説明しても理解できる新人はいない。実際に経験させるのが手っ取り早い」

「……治癒は、時間がかかるのか? お前がビルから降りてくる間、俺は……」

「度合いにもよるけど、そうはかからない。あと、私は階段を使って丁寧に降りてきたわけじゃないわ。あそこから飛び降りてきたの」

「飛び降りた?」

「身体能力の強化ね。でなければ、あなたより小柄で軽い私が、あなたを蹴飛ばせるわけないでしょう」

「……確かに」

 実際の体重は知らないが、背丈から察するに彼女の体重は四十キロ行くか行かないかくらいだろう。

 そもそも自分と同格の体つきであっても、少女の膂力で男一人を蹴り飛ばすなどそうそう出来ることではない。

「けど、痛かったぞ」

「そうね。治癒力はあっても痛覚が消えるわけじゃないわ」

「どうして?」

「痛覚は必要よ。戦っている最中に痛みを感じないんじゃ、どんな傷を負ったかわからないでしょう」

 確かにそうかもしれないが……。

「その傷が生死を左右することだってある。まあ、興奮状態にある戦闘中はそうそう痛みなんて感じないものだけど……」

「待ってくれ、死ぬって言ったのか? 俺たちは不死身じゃ……」

 そう、そうなのかもしれないが、不死身であるならそんな必要はない。けれど瑠奈はそんな奏真の期待を裏切り、

「治癒力があるってだけで、不死身ではないのよ。私たちの攻撃がヴァンパイアを傷つけられるように、ヴァンパイアの攻撃もまた私たちを傷つける」

「そうなのか? いや、でも……そうか、普通に考えればそうだよな」

「治癒力の限度を超えたダメージを負えば死ぬわよ。格下のグールが相手でも決して油断しないことね」

「あ、ああ……」

 そうだ、これから戦うのだ。

 戦う、ということの現実味が一気に帯びてきて、奏真は思わずごくりと生唾を飲んだ。

「そういえば……お前……」

「あのね、お前とか君とか言わないでくれる? 私には名前がある」

「お前こそ俺をあなた呼ばわりするだろ」

「……なら、奏真。私のことはこれから名前で呼びなさい」

「わかったよ、瑠奈」

 歩いて、崩れた高架道路まで歩いていく。潰れて錆びた車や路面電車が寂しげに風に吹かれている。

 けれど必ずしも滅びの体現だけがそこにあるのではなく、割れたアスファルトからはしぶとく雑草が生え、十字路なんかは草原のような有様になっている。

 手入れをされなくなった街路樹は雄々しく葉を伸ばしていた。

 人がいなくても生きていける生命はあるのだ。

 奏真はそのしぶとさ、強い生きるという意思に、どこか畏怖を感じた。

1‐8

「でさ、瑠奈」

「なに?」

「お前の腰に色々ぶら下げてるけど、それ、なんだ?」

 彼女のスカートにはベルトが交差されており、そこにはポーチや円筒形の手榴弾のようなものがぶら下がっていたりする。

「爆弾なんてヴァンパイアに効くのか? 戦車砲だって通じない相手だぞ?」

「これは閃光音響手榴弾……フラッシュバンよ。大きな音と光で敵を一時的に混乱させる」

 そのほかに吊るしてるのは、と奏真が訊くと、彼女は答える。

「ほかは回復剤や治療道具、水筒や携帯食料よ。あなたはいきなりだったから、通信機やCLDすらもらえなかったのね」

 そう言って、瑠奈は右耳にはめた紡錘形の機械をこつこつ叩いた。あれが通信機か。ところでCLDとはなんなのか。

「回復剤……治癒力があるのに?」

「はぁ……なにを聞いていたの? ヴァンパイアの攻撃は私たちにも傷を与える。治癒力が追いつかないこともあるってことよ。それを補助するのが回復剤」

「あ、そっか……ごめん」

「まあ、グール相手なら必要のないものね」

 その回復剤とやらを瑠奈は見せてくれた。針のない圧力式の注射器だった。青い液体が入っていて、これ一本で十回は使えると言った。

 しかし同時に制限もあって、二十四時間以内に十回以上の接種は血の暴走にも繋がりかねないから、十一回目はどんな場合においても禁止されているとのことだった。

 それでも一人につき二つずつ支給されるのは、いざというとき仲間に使うためだという。

「さ、実戦よ」

 瑠奈が足下に転がる石ころを拾い上げ、それをグールの一体に投げ飛ばした。距離は軽く六十メートルはあったと思うが、石は銃弾のように真っ直ぐ飛び、グールの後頭部に当たった。

 一体が石の飛んできた方向に歩き出す。ほかの二体は食事に夢中で気づく様子はない。

 グールが奏真と瑠奈に気付いた。軋んだ声を上げ、腰を落として血まみれの口を開ける。死臭が鼻を衝いた。

「戦ってみなさい。――滅葬開始」

「どうやって!?」

「武器を振るえばいいのよ」

(マジで言ってんのか? ――クソ、こうなりゃやるしかない!)

 学校の体育でやった剣道を思い出し、紫雷を正眼に構える。グールが鋭い爪を突き出してくるのを横に跳んで躱し、地面を蹴って踏み込む。

 剣技など知らぬ身でなお放てるのは真正面からの脳天唐竹割。

 真正面から振り下ろされた一刀は、グールの右腕を肩から斬り落とした。

(よし!)

 黒い血が迸り、グールがたたらを踏む。これが格好の隙だと思った奏真は一気に勝負をつけるべく駆け、

「――ッ!」

 回転すると同時に振るわれたグールの鞭のようにしなる左腕を腹に受け、地面と水平に飛んだ。背後のバスに背を叩きつけ、暴れる肺が空気を求めて、思わず咳き込む。

「いって……」

 見ると、ジャケットとその下のベストとワイシャツが裂け、血が滲んでいる。しかし切り傷はその沁み込んだ血を吸い込み再生していた。が、剣がない。どこかに落とした。

 金切り声のような咆哮が耳朶を叩き、奏真ははっとした。

 腹を見ている場合ではない。奏真はすぐにバスから離れ、グールの追撃を躱した。

 そうしてグールの伸びきった左腕を掴み、今度は柔道の授業を思い出して背負い投げを決める。放り投げられたグールはバスの窓ガラスをぶち抜いて車内に突っ込んだ。

「紫雷……!」

 三メートルもないところに落ちていた。すぐに拾うと、バスからグールが飛び出す。右腕の肩の断面から黒い血を迸らせながら、グールは左の突きを繰り出す。

(それはもう見切った!)

 紫雷の腹でそれをいなし、懐に入ると胴を斬りつけた。刃渡り七十センチの刀身はグールの腹を見事に両断し、上半身と下半身を分割した。

 大量の血を失ったグールは残った左手でアスファルトを掻き毟り、赤い目で奏真を恨めしそうに睨んだきり、動かなくなった。

「やった……」

「及第点ね。一撃貰ったけど、まあ、初陣なんだしそんなものでしょう」

「まだ二体いる」

「あれのこと?」

 瑠奈が指をさす方に目を向けると、そこには脳天を撃ち抜かれて昏倒するグールが二体横たわっていた。

「……ショットガンでよく狙撃なんてできるな」

「私の白夜は、私のソウルアーツの光を弾丸に変える。光を収斂すれば狙撃弾として――」

 死臭。

 奏真は半ば勘で、瑠奈を押し倒した。

 さっきまでいた場所を、どこかに潜んでいたグールが襲い掛かったのだ。

 いや、あれはグールなのだろうか。

 先ほどまでのグールは、精々奏真と変わらない上背だったが、今現れたグールは奏真よりもはるかに大きく、筋骨隆々で二メートルは確実に超す巨体を誇っていた。

 今までのグールを犬とするなら、そいつは明らかに狼ともいうべき存在だ。

「グールロード……」

 立ち上がった瑠奈が呟く。

「なんだって?」

「グールロードよ。グールを支配するボス個体。斥候の目を逃れたみたいね……。こちらヘルシング。少々厄介な相手に出くわしたわ」

 瑠奈が通信を開始する。グールロードはこちらに振り向くと、ヴァンパイアに共通する赤い目で睨み、一気に突っ込んできた。

 奏真と瑠奈は左右に散って躱す。

 グールロードは迷いもなく奏真の方を狙った。

 先の戦いで、奏真の方が狙いやすいと踏んだのだろう。悔しいが、その考えは正しい。

 掬い上げるような鋭い爪が奏真の右足を斬り飛ばした。

 追撃の爪をどうにか剣で受け止めたが、衝撃で吹き飛ばされ朽ち果てたコンビニに突っ込んだ。棚を四枚巻き込んでようやく止まる。

 遠く離れた足が赤い霧になって、するりと奏真の斬られた足に吸い込まれると、徐々に再生が始まる。

 が、目の前にもうグールロードがいた。

 殺される。――殺されるのか。

「うわぁあああああああっ!」

 ほぼ本能で、でたらめに剣を振り回した。

 しかし、直後不思議なことが起きた。

 剣の斬撃をなぞるように、三日月形の紫の刃が発生し、それが雷鳴音を纏いながらグールロードに殺到していく。

 紫の刃――雷はグールロードに命中すると、表皮を傷つけ後退させていく。その間に、足は完全に治った。しかし切り飛ばされたズボンと遠く離れた靴はない。

 よくわからないが、必死になる――集中していると、雷が放てるということがわかった。

 グールロードは煩わしそうに腕を交差させ、奏真に近づく――が、

「こっちよ」

 背後から瑠奈の白夜に撃たれた。散弾は全てグールロードの背に命中し、皮膚を爆散させるが、しかし貫通はしなかった。

 悲鳴を上げたグールロードは怒りか驚きか、奏真を無視して振り返る。

 その態度が、何故か恐ろしいほど癪に障った。

 かつての蒼目がそうしたように。

 両親を殺したあいつは、自分に目もくれなかった。

(俺は、そんなにちっぽけかよ)

 怒りが吹き上がった。

 紫雷が「ばちっ」と爆ぜ、紫の紋様が奏真の鼓動に合わせ脈打ち始める。

「こっちを見やがれ! 化け物!」

 グールロードが振り向くと同時に、飛び膝蹴りを下顎に打ち込んだ。がくん、と頭が裏返って路上に吹き飛ぶ。

 コンビニの床を踏み砕いて肉薄。立ち上がったグールロードの腹に紫雷を突き立て、

まわれ!」

 心臓を強く脈打たせた。

 直後、黒い剣が紫に発光し、雷鳴を轟かせた。果たしてそれは異能による雷の発現だっただろうか。

 グールロードに突き立った紫雷は、まるでチェーンソーのように姿を変えていた。刀身片刃と切っ先がエッジで、峰上部が排気筒。峰下部に機関部、という具合だ。

 爆発めいた音がしてグールロードの全身に雷撃が迸り、内側から全てを焼き尽くされる。

 ギャリリリ、と回転音がして肉が斬り抉られる。

 黒く焦げた煙を口から吐き出し、グールロードの体は剣を引き抜くと同時にくずおれた。

「ソウルアーツまで目覚めさせるなんてね。おまけに『血装解放ブラッドバースト』まで使えるなんて……初陣にしては充分。満点だわ」

「そう、か……」

 直刀に戻った血装がずるりと掌から体内に吸い込まれる。ふらつく奏真はどうにか瑠奈の元まで歩いていき、告げた。

「滅葬、終了……」

「ええ……あ、ちょっと」

 戦いが終わった、と思った瞬間全身から力が抜け、奏真は意識をなくした。

1‐9

「あの子は使えそうかな?」

 支部長の権蔵寺隆一は、今年で五十七となる老人でありながら、なお覇気を漂わせる好々爺としつつもどこか爪牙を隠した獅子を思わせる人物だった。

 そんな彼の傍らには、隆一を獅子とするならそれはまるで虎のような佇まいの、妙齢の女性が付き添っている。

 彼と相対するとき、瑠奈は自然と背筋が伸びるのを感じた。

「初陣で物怖じせず――まあ、初めは怖いとかなんとか言ってましたが、問題なくグールを討伐」

「ほう……初陣でヴァンパイアを倒すとは」

「のみならず、グールロードに対してソウルアーツを発動し、ブラッドバーストと思しき行為を行いました」

「ふむ、戦闘のスキルは高いようだな。まあ、それも当然か。彼の父はあの獅童奏一郎しどうそういちろう。その息子だからな」

「支部長」

「おっと……」

 控えていた女性が囁くと、隆一は失言をしたという顔になって口を噤んだ。

 彼の父は、ダンピールだったのだろうか、と瑠奈は考える。ダンピールの血を引く者はほかの人間よりも遥かに高いブラッドアームズ適性を持つ。

 所謂、『ダンピールチルドレン』というやつだ。

 瑠奈は純粋な人間から生まれたが、奏真がもしダンピールチルドレンであるというのなら初陣で見せた高い戦闘スキルにも納得がいく。

 けれど彼は、両親がダンピールであるとは言わなかった。もっとも孤児院育ちだったというし、知らぬ間に両親が死んでしまったということもあり得る。

 この話題については知りたい気もするが、彼の心を尊重するなら黙っておくべきだ。

 ほんの少しの精神的な揺らぎが、戦場で生死を左右するということは、往々にして起こる。

 だが、どうしても気になるので、瑠奈はこの場だけで、と考えてから訊いた。

「彼はダンピールチルドレンなのですか?」

「いや、違う。彼の父が少し特殊でな。ダンピールではないのだが……ともかく、奏真くんは第三世代……始祖のダンピールというだけでない意味でも特殊だ。目を光らせておいてくれ」

「……了解」

 なにやら彼には理由がある。それだけはわかった。

     ◆

 父と母は死んだ。十三年前、蒼目の化け物に襲われて。今ならそいつが始祖だということがわかる。セダンの中で聞いた話が本当なら、そいつは始祖で間違いない。

 そして始祖は恐ろしく強い、とも聞かされていた。

 自分では到底追いつかない実力を持った腕利きが八人がかりで挑んでようやく倒したような化け物だ。

 けれど、自分はいつかあいつを滅葬する。両親を殺したあいつを――

「やあ、おはよう」

「……リリア、さん」

「できれば博士、と呼んでくれないかな」

 奏真は寝かされていたということに遅まきながら気づき、起き上がった。布団をどかすといつの間に直されたのか、傷一つないブラックスーツを着こんでいた。

 窓から外を見てみるが、ジオフロントは煌々と輝き、昼なんだか夜なんだかわからない。ここには昼夜がない。

 視線を巡らせていると部屋の時計を見つけることが出来て、今が午後の十時半だということがわかった。

 病室のようだ。リリアの研究室ではない。

(さっきの戦いは、夢?)

「瑠奈から聞いたよ。初陣、なかなか良かったそうじゃないか」

「え?」

「ん……記憶喪失にでもなったかな。君は今から九時間ほど前に初陣を経験したんだよ。グール三体と、グールロード一体」

「あ、ああ。けど俺がグールを倒してる間に瑠奈が残りを倒して……えっと、確か」

「君が残るグールロードを倒したんだ。ソウルアーツとブラッドバーストを使ったそうだね」

「……?」

「覚えてないかな? 瑠奈の報告じゃ雷属性を早速使ったとあるが」

「あ、ああ。剣から出たんだ。紫色の雷が」

「それがソウルアーツだ。いや、しかし素晴らしい。初陣でいきなりソウルアーツを使えるダンピールは結構少ない」

「そうなのか?」

「瑠奈も初陣では異能を使えなかった。銃弾も既存の火薬式のものを使っていてね、囮をしていた。ソウルアーツに目覚めたのは四度目の任務のときだったかな」

「へぇ……」

「実に素晴らしい。大抵、初陣ではヴァンパイアに慣れることくらいしかできない。シミュレーターで高い成績を出したものでさえ、実験用の本物を見ると腰を抜かす」

 そんなようなことを言われた記憶がある。

「実際の戦場に立たせればロクに戦えない。ブラッドバーストまで使えるとは、さすが始祖というべきかな」

「俺、見てるだけで怖かった」

「けど君はグールどころかグールロードまで倒してしまった。素晴らしいよ。支部長も喜んでいた。これで君は正式に特務分遣隊ヘルシングの一員だ」

「特務分遣隊? ヘルシング? そういや瑠奈もそんなことを……」

「特務分遣隊ヘルシングとは、パンドラ計画の被験体でのみ構成されたチームのことだ。ゆくゆくはそれ以外も取り入れるつもりらしいけどね」

 今のところは試験運用段階のチーム、ということだろうか。

「パンドラ計画のことは瑠奈が話したと言っていたが」

「ああ、始祖のダンピールを創る計画だと」

「そうだね。まあ、第三世代ダンピールを創造する計画。もっとも、それが計画の全てではないんだが……まあ詳しくはじきにわかるだろう」

「どういうことだよ。気になるな」

「私も全てを知っているわけじゃないんだ。計画には秘匿事項も多い」

「……?」

「血盟騎士団も一枚岩じゃないんだ。いろんな思想を持った役人がああだこうだと議論を交わし、勢力争いをしている。パンドラ計画はそんな中で打ち立てられた」

「俺たちは政治の道具じゃない」

「けど、君たちを利用しようという者は少なからぬ割合でいるだろう。でもまあ安心したまえよ、ここ東海支部は保守的な考えを持った権蔵寺支部長が安定して運営している」

「だといいんだけどな……」

「心配するな。政争なんて対岸の火事さ」

「それならいいんだけどな……で、これなんだ?」

 左腕に刺さる二本のチューブを目に、リリアに問う。

「ああ、それは透析だよ」

「透析? 俺、別に糖尿病じゃないんだけど」

「ああいや、違うよ。腎臓透析じゃない。『血装透析』というんだ。ブラッドアームズに適合したダンピールは六十日に一度、これを受ける」

「どうして?」

「血中の……まあ、要するに毒素を取り除くんだよ。私は魂と繋がる血を清潔にし、魂の汚染を防いでいると考えているがね」

「魂の汚染……」

 もしかして、その魂が汚染された存在がヴァンパイアなのではなかろうか――一瞬そう思えたが、奏真は口をつぐんだ。

1‐10

「まあ、どんな受け取り方でもいい。とにかく最低でも六十日に一度、規則上四十日に一度は三時間の透析を行うということだけ覚えておいてくれ」

「最大で六十日まで大丈夫だけど、余裕を持って四十日に一度、か。けど俺、まだダンピールになってそんな時間経ってないけど」

 リリアはスツールに座り直し、膝を組み替える。タイトスカートから覗くむちっとした健康的な太腿に目が行き、慌てて目を逸らした。

「ダンピールは基本的にツーマンセル。二人一組だ」

「それは知ってる」

「片方が透析をしている最中にもう片方が別のことをしている、じゃ、いざというとき任務の際に透析があってチームが組めないなんてことになるだろう?」

「あ、そうか……」

「だから、チームは二人一緒の日に透析を行うんだ」

「へえ」

「四十日に一度、各チームが透析を受ける。十日目、二十日目、三十日目、四十日目と受けるチームを決定し、透析中も任務を問題なくこなせるように運営している」

「じゃあ、瑠奈も?」

「ああ。帰ってきて透析を受けた。しかし、糖尿病患者の透析と比べれば随分いいぞ。腎臓透析は週に二、三回、四時間以上を拘束される。それを思えば四十日に三時間なんて天国だろ」

「俺は寝てたから退屈しなかっただけだ……実際三時間もなにもするな、なんて状態になったらなぁ」

「携帯でサイトを漁っていれば案外あっという間だぞ」

「その携帯が俺にはないんだ」

「安心しろ、もう部屋に用意してある。明日の朝、着替えるとき瑠奈に色々訊くといい。彼女は少し、事務的で冷たく、近寄りがたいかもしれないが……ああ見えて仲間思いだ」

「……ちょっと、スパルタだったけどな」

「はは……まあ、悪く見ないでやってほしい」

「ん、ああ。別にそんなこと思ってないし、実際質問にはいろいろ応えてくれるし……」

「……あの子については、今後色々知ることになるだろうが。あんまり軽蔑してやるな。できれば、友だちになってあげてほしい」

「……? あいつ、なにかあったのか?」

 間が生まれた。耳に痛いほどの沈黙が降りる。

「その内話すよ」

 リリアはそう言って、席を立った。機械が電子音を鳴らす。

「ちょうど終わったな」

 慣れた手つきでチューブの針を外し、小さな絆創膏を貼り付ける。治癒力があるのだからいらないと思ったが、黙っておいた。

「具合は?」

「悪くない。けど、少し腹が減った」

「残念だな、食堂はもう閉まってる。明日の朝を楽しみにしていたまえ」

「そうするよ」

「じゃあ、立てるかな。部屋を案内する」

 ずっと寝ていたから足元がふらついたが、体に痛みはないし、嫌な頭痛もしない。強いて言うなら腹が減っていて、胃がしくしく痛む程度だ。

 ここが何階なのか全くわからなかったが、途中のプレートを見ると地下五階だということがわかった。シャワールームや食堂など、各私室がある居住区画は地下二、三階らしい。

 エレベーターで地下二階へ上がり、リリアについていく。

「基本、私室はない。同性で四人で共用する。けど君は瑠奈と二人部屋だ」

「は? 瑠奈って女だよな」

「うん。間違ってもおかしなことはしないように。まあ年頃だし、わからんでもないが、君たちは大切な始祖――第三世代だ」

 リリアは目を細め、

「これから色々仕事をしてもらおうってのに、妊娠されて産休を取られたら困る」

「そんなことしないって!」

「まあそうだろうね。瑠奈も恋愛には興味のない子だし、君が欲望に耐えられず狼にならなければいいだけだ。そんなに溜まるんなら、私が相手になってもいい」

「冗談でもやめろよ……俺、そういう経験ないし、よくわからないから……」

「はは、悪かったよ。けどまあ、ダンピール内での恋愛が禁止されてるわけじゃないんだ」

「どうして?」

「むしろダンピールの子供は潜在的にブラッドアームズへの適合性を持つから、ダンピールの結婚自体は奨励されてる」

 そういえば、と奏真は思い、

「学校でも、キスとかしてるやつがいても先生が怒らなかったな。風紀を乱してるって怒る真面目ちゃんがよくいたけど……」

「外部居住区でも恋愛や結婚は奨励されている。かつて八十億いた人口は今や約八千万人。百分の一だ。ヴァンパイアを殲滅できても、人類がいなくなったんじゃ意味がない。それに、」

「それに、子供が増えればそれだけダンピールになれる人員も増える?」

「そうだね。この東海支部には二百四十六人のダンピールがいるが、戦死者も出るし新しい子が入って来るから人数は安定しない。大体二百四十、という認識でいいだろう」

「この街の人口が、確か……」

「三十二万人だね」

「千三百人くらいに一人がダンピール?」

「まあ、単純に計算するとそうなるかな。プレッシャーを与えるのは良くないんだが……君たちは一人で千人以上の命を背負ってる。その意味をしっかり考えるのも、君たちの仕事だ」

「うん……」

 部屋に着くと、リリアがほら、と言って奏真を前に出した。

「どうするんだ? 俺、鍵とかないけど」

「この施設は最新のバイオメトリクスを導入している。指紋、掌紋、顔紋、網膜、それらが鍵の役割を果たす。これ」

 リリアが指差したのは、扉の隣にあるインターホンのような機械だった。

「ここに指を押し当てると指紋を認証して、扉を開く仕組みになってる。君の生体情報は既に登録済みだ。……じゃあ私はまだ研究があるから戻るよ。おやすみ」

「あ、ああ。おやすみ」

 指紋リーダーに人差し指を押し当てると、扉のロックが解除され、僅かに内側に開いた。

 部屋に入ると、シトラス系の芳香剤の香りに出迎えられた。瑠奈の趣味だろうか。部屋は暗く、光はない。

 もうこんな時間だし、寝ているかもしれない。そう思って奏真は足音を消してこっそり部屋に入る。

 抜き足、差し足……、

「なにやってるの」

「うわっ」

 闇の中から白い亡霊が立ち上る。

 ように見えたが、それは白いキャミソール姿の瑠奈だった。

 肌の色といい髪の色といい、幽霊に見えた。

「寝てるかな、って思ってさ……起こしちゃ悪いし」

「別に、寝てはないから。電気、つける?」

「いや、いいよ。俺すぐ寝るつもりだし」

「その恰好で?」

「着替え、全部孤児院だし……」

「……こっち」

 部屋に入ってすぐ、左右に部屋がある。左はトイレで、右は着替え室だった。クローゼットが二つあり、一つには『神代瑠奈』というプレートが。

 そしてもう一つには『獅童奏真』というプレートが打ちつけられている。

「必要な着替え……部屋着や携帯なんかはそのクローゼットに入ってる。それじゃあ、おやすみ。私は寝るから」

「あ、ああ。ありがとう」

 奏真は着替え室から出ていく瑠奈を見送ってから、まずジャケットを脱いだ。このスーツは不思議と寒くも暑くもない。そういう生地で出来ているのだろう。

 グレーのベストを脱いでクローゼットを開ける。

 すると中にはブラックスーツの備えが三着と、よくわからないカーボンラバーぽい素材の黒いボディスーツの上下がが三枚。

 それから黒地に紫のラインが走ったジャージの上下が三着ある。

 空いたハンガーにベストとジャケット、ズボンを引っ掻け、ネクタイを取ってワイシャツを脱ぐ。脱いだ衣類はどうすればいいのかと思っていると、洗濯籠があった。

 しかしそこにはすでに先客がいて、瑠奈のものと思われる下着が入れられていた。

 ここに、自分の汚れものを入れていいのだろうか。

(どうすればいいんだ?)

「奏真」

 部屋の外から声を変えられて、奏真はびっくりして息を飲んだ。

「な、なんだ?」

「汚れものは一緒に入れていいわよ。洗濯は私が洗濯室でやるから」

「手間だろ?」

「一人二人増えてもなんでもない。その代わり、仕事の方では期待してるから」

「え?」

「あなたには恐らく、先天的に授かった戦いの天賦がある」

「そうかな……わかんないけど」

「羨ましいことにね。いきなりというわけじゃないけど、これからの仕事であなたには壁役や囮役もこなしてもらうことになると思うから、日常生活の面倒は私が引き受けるわ」

「……ありがとう」

「礼はいらない。ギブアンドテイクってだけ。じゃあ、私は本当に寝るから」

「うん」

 トランクスを脱いで、新しいものに穿き替え、薄い白いTシャツの上からジャージを着る。

 部屋に戻ると、左右にシングルベッドが一つずつ置いてあった。左側を瑠奈が使っていて寝息を立てている。

 よく見ると中央には液晶テレビがあり、その下に小型の冷凍・冷蔵庫が置いてある。

 奏真は空いているベッドで横になり、シトラスの香りを嗅ぎながら目を閉ざした。

 すぐに夢を見た。

 夢の中で、父は奏真に謝っていた。

「ごめんな、ごめんな。けどお前じゃなければならないんだ。『■■■■』になって、この世界を――」

2‐1

 ピピッ、ピピッ、ピピッという電子音で目が覚めた。

 テレビの脇に置かれた時計は朝七時と表示されていた。

「起きた?」

 白いキャミソールに白いスカートという出で立ちの瑠奈に見下ろされ、奏真は寝ぼけ眼を擦った。彼女は手に洗面用具を詰めた洗面器と着替えの黒いドレス類を持っている。

「ああ、おはよう」

「おはよう。まずは洗面とシャワー。あなた、ひげ剃るの? 伸ばすの?」

「は?」

「無精ひげ、生えてるわよ」

 顎と口を撫でると、ちくちくした。確かに生えている。ここ最近色々あって剃る暇がなかったから、生えてきてしまったのだろう。

「剃るよ」

「ジェルはシャワールームにあるから、ひげ剃りとその他洗面道具を持ってきて」

「どこにあるんだ?」

「クローゼットの奥の方に入ってると思うわ。あと、着替えもね。今日から通信機とスマートスーツとCLDも装着してもらうわよ」

「着替え……通信機はわかるけど、スマートスーツにCLDってなんだ?」

「スマートスーツはあの、黒っぽい艶のあるボディスーツのこと。内側にペーパーコンピューターとホログラフィックメモリが搭載されていて、あなたのバイタルを逐次記録している」

「監視されるのか……」

「些細なデータが戦場での生存率を上げることもある。次に、CLDだけど、これは『コンタクトレンズディスプレイ』という意味」

「コンタクトレンズ……ディスプレイ?」

「カメラのような役割を持っていてあなたの視覚情報を常にモニタリングしている。セットの接着薬という目薬をしてからつけてね」

「どうして?」

「暴れてる最中にCLDが外れることがあるから、接着薬でCLDを眼球にくっつけるの。外すときは専用の脱薬という目薬を使えば、接着薬が外れるわ」

「へえ……けど、コンタクトレンズなんかに情報を記録する機能なんてあるのか?」

「そこで出てくるのがペーパーコンピューターよ。人体の塩分を伝導し、CLDからの視覚情報を常に演算、ホログラフィックメモリに記録する」

「なんか、SF小説の世界だ」

「スマートスーツはナノマシンが充填されているから、破損しても自己修復するわ。多少乱暴に扱っても大丈夫。さ、着替えを持って」

「わかった」

 着替え室に入り、言われた通りクローゼットの奥から洗面用具と着替え一式を持ってくる。

「ついてきて」

 瑠奈に続いて部屋を出ると、シャワールームに向かった。男、女と別れて暖簾がかけられていて、微かにお湯と、石鹸の匂いがする。

「じゃあ、シャワーを浴びてきて。あんまりのんびりしてるとご飯を食べる時間が無くなるから注意してね」

「ああ」

 暖簾をくぐって脱衣所に入る。ジャージと下着を脱ぎ、体を擦るためのボディタオルを手にシャワールームに足を入れた。

 一人一つずつに区切られたシャワールームの一つに陣取り、蛇口を捻る。最初は冷たかったがすぐに熱い湯が出て来る。

 孤児院のシャワーとは比べ物にならないしっかりした水圧のシャワーは痛いくらいで、熱いお湯が全身を駆け巡っていくのは心地が良かった。

 姿見に映る自分がリラックスした顔になっているのを見て、苦笑した。命を懸ける仕事をしているというのに、シャワー程度で満足するとはいかに安上がりな人間か。

 もっとも、仕事なんてまだ一回、初陣を終えただけだが。

 甘い香りがするシャンプーで頭を洗い、石鹸で泡立てたボディタオルで全身を擦る。柔らかめの生地なので強く擦っても痛くない。ありがたいことだった。

 シャワーから上がり、脱衣所で着替える。

 スマートスーツは、ペーパーコンピューターを兼ねているとのことだったが、確かによく内側を見てみると電子基板のような模様が走っていて、所々電極のようなものもある。

 なるほど確かにコンピューターといえなくもなかった。

 肌にぴったり張り付く生地で、電極のようなものが吸着する感触は気持ち悪いが、慣れるしかない。

 上下をスマートスーツで包むと、下着はいらなかった。その上からズボンを穿き、ベルトを締めてワイシャツを着る。ボタンを絞めて裾をズボンに入れ、ネクタイを締める。

 グレーのベストとジャケットに袖を通した。

 しかし、どうしてこんな喪服のようなものを着るのだろうか。

 周りで着替えている者も燕尾服や三つ揃えだったりと種類は違うがいずれも黒く、葬式に赴くような恰好だった。

 まあいいや、それも瑠奈が教えてくれる――と思い、ひげを剃る。ジェルを塗って五枚刃のひげ剃りを肌に滑らせる。

 水でジェルを洗い落とし、指で顎と上唇を撫でる。ちくりとした感触はない。

 続いて接着薬という目薬を眼球に垂らし、一見普通のハードコンタクトレンズにしか見えないCLDを嵌める。

 慣れず、目に違和感があったが、我慢した。耐えられないというほどではない。

 続いて、紡錘形の通信機を右耳に装着した。

 それほど大きなものではない。邪魔にもならない。スピーカー、マイクを兼ね備えているが充分小型だ。

 おまけにはめていても外部からの音はしっかり聞こえる。聴覚を補助する機能もあるのかもしれない。

 多少頭を振ったり跳んだりしてみたが、無線機がずれたりするということはなかった。

 道具を片づけて、汚れ物も持って外に出た。

「七時半……余裕はまだあるわね」

 携帯で時間を見ていた瑠奈はそういうと、自室に向かって歩き出した。いつものドレス姿だった。

 多分、荷物を置きに行くのだろう。

 奏真と瑠奈は自室で洗面用具をしまい、汚れ物を籠に入れると再び部屋から出た。

「次は食堂」

 事務的に告げて、歩き出す瑠奈に、奏真はさっきの疑問をぶつけてみた。

「なあ、俺たちってなんでみんな黒い服を着てるんだ? 葬式みたいだ」

「実際毎日葬式をしているようなものじゃない」

「滅葬のことか?」

「そうよ。ヴァンパイアは敵性生命体……とはいえ、それは人類にとって都合が悪いから人類がそう決めつけているだけなの」

「確かに……そうだな」

 少しその言葉に違和感を感じたが、頷いた。

「彼らもれっきとした生き物で、命を持ってる。もしかしたら次世代の地球の支配者なのかもしれない」

「………………」

 人間中心に考えるなら、ヴァンパイアは『悪』だろう。けれど大局的に、客観的に見るならヴァンパイアは間違った存在ではないのかもしれない。

 かつては恐竜と呼ばれる存在が地球を支配していたように、違う種が支配者として台頭してきたと考えるのもわかる気がする。

 もっともそれは、すぐにかき消えてしまう。奏真には、大局的に考えたところで許せないことが一つ、どうしてもあるのだ。

2‐2

「私たちは人類を守る戦士であると同時に、命を刈り取る死神でもあるの。だからみんな、喪服のような黒い服を着るようになって、いつしかそれが『ルール』となった」

「俺たちの方が、地球にとっては害悪なのかな」

「わからないわ。そんなこと。けどたとえ創造主とやらが『お前らの時代は終わった』と言ってきても、私は武器を下ろさないわ」

「どうして?」

「これまで、この星では多くの命が消費されてきた。戦争や事故、天災なんかで。そしてヴァンパイアの手によって、多くの一般人や戦友が死んだ」

「………………」

 瑠奈の口から出た戦友、という言葉にどこか引っ掛かりを覚える。だがそれを言語化するのが難しく、奏真は口を開かなかった。

「沢山の人がそうした命の上に成り立っている。そうした有象無象の『意思』を、私は無駄にしたくない。だから、最後の最後まで抗う」

 瑠奈は真面目に、そう言った。

「無駄と言われようが、馬鹿だと言われようが、私は退かない。この腕がどれだけ血に汚れようとも、私は止まらない」

「俺はまだ、そこまで深く考えたことはない……ただ、なにかを失いたくないって気持ちはわかる」

「すぐに見つけろ、とは言わないわ。こういうことは、戦いや日常の中で学び取っていくことだから」

 言っているうちに、食堂についた。

 スライドドアを開くと、胃を刺激する香りが鼻に届いた。奏真は思わず腹がぎゅるぎゅる鳴りそうになるのを我慢した。

「あ、あれ……肉か!?」

「そうよ」

 カウンターに並べられた料理は、いずれも同じメニューだった。けれど、孤児院時代には食べられない豪勢なものが並んでいて、ご馳走にしか見えない。

 瑠奈はカウンターから皿を取って、脇の箱から小さな袋を抜いた。

「早く」

「あ、ああ」

 奏真も皿を取った。目玉焼きが二枚に、ぶ厚いベーコンのステーキ。焼き立てのトースト。

 脇には『お好みで』と書かれた箱があり、その中にはジャム類が入っていた。

 ブルーベリーにイチゴ、ピーナッツバターとあって、奏真はイチゴジャムを手に取った。

「凄いな……こんなご馳走……」

「そう? 普通だけど」

 対面に座った瑠奈はピーナッツバターをパンに塗り、早速一口、リスという動画で見た動物のように齧っていた。

 奏真もイチゴジャムを塗り、パンを頬張る。甘みと酸味、小麦の風味が口の中を駆け回る。

「美味い……」

 いつもは食べられる消しゴム、というようなロクでもない配給食だったので、胃がびっくりしている。

 ナイフとフォークを手に、ベーコンを切り分ける。脂がこぼれ、肉の甘い香りがふんわりと広がる。

 口に入れると、塩と胡椒が利いた弾力のある塊を楽しんだ。肉なんて、もしかしたら初めて食べたかもしれない。

 初めてじゃないにしろ、記憶にないくらい昔に食べたものだ。少なくともここ十年、肉なんて食べてない。

 ベーコンを平らげた瑠奈がナプキンで口を拭い、

「これからの予定だけど」

「ああ、うん」

「基礎座学と基礎体力強化訓練があるわ。八時半から九時半までが一限目、十分の休憩を挟んで九時四十分から十時四十分までが二限目」

 瑠奈は続ける。

「また十分挟んで十時五十分から十一時五十分までが三限目。その後、午後一時まで休憩。その後任務よ。これが私たちヘルシングの生活になるわね」

「午前中がお勉強、午後が仕事……ね」

「ええ。まあ場合によってはこれも変わってくることになるし、任務が優先順位第一位だから緊急で仕事が入ったりもするけど」

「何事も仕事第一なんだな」

「ええ、じゃなきゃダンピールになった意味がないでしょう?」

「確かに」

 会話が途切れ、互いに食事に戻る。

「やあ、ヘルシング」

 後ろから声をかけられたと思ったら、奏真の隣に三つ揃えのスーツを着た青髪の青年が座った。その対面、瑠奈の隣に緑色の髪をした女が腰を下ろす。

 二人とも食事は終えているようであり、食器は持ってない。

「なんの用、第十三分遣隊」

 硬く焼けた黄身を口に運びながら、瑠奈が問う。その口ぶりから、この二人のことを全く知らないという様子ではない。

「いや、期待の新人が入ったっていうから挨拶をしようと思ってね」

 青年は奏真に右手を差し出す。

「僕は芳崎秋良よしざきあきら。あっちは生嶋陽子いくしまようこ。よろしく」

「あ、ああ、よろしく」

 握手を交わすと、秋良は垂れ目がちの眠そうな顔に笑顔を浮かべた。

「これから基礎座学だね?」

「ああ、うん」

「難しく考えなくていいよ。義務教育は終わっているんだろう?」

 小学校中学校は出ているのか、ということだ。奏真は頷く。

「なら問題ない。ダンピールの座学は一年で終わる。けれどそれを毎年毎年繰り返すんだ。僕は十二歳のときに第二世代ダンピールのブラッドアームズに適合したんだけど……」

 眠いのか、秋良は垂れ目を擦りながら、

「それから授業の内容はあんまり変化がない。基礎基本を何度も繰り返す。だから授業中によそ事をしてても怒られることはないよ」

「割といい加減だな……」

「まあでも初めてだったり新しい情報があるときはしっかり聞いておくといいよ。細かい情報が戦場での命の有無を決めるからね」

「ま、それは飽くまでも座学での話だけどね」

 陽子が会話に入ってきた。

「どういうことだよ?」

「基礎体力強化訓練はつらいってことだよ、奏真」

「……? いや、ちょっと待て。俺、名乗ってないぞ。なんで知ってる」

「自覚ないの? あんたたち有名人よ。特に奏真、あんたはね」

「始祖だからか?」

「それもあるけど、初陣でいきなりソウルアーツを出したり、ブラッドバーストをしたり、有名になる条件は揃ってるじゃないか」

「そのブラッドバーストってなんだ?」

「授業でやるわよ。そう気にしなくてもいいわ」

 陽子はそう言って、席を立った。秋良もそれに続く。

「じゃ、またあとで会おうか」

 二人は颯爽とした足取りで食堂を出ていった。

「なんだったんだ、あいつら」

「第十三分遣隊。秋良は十九歳で七年、陽子は二十四歳で十年のキャリアを持つ。私よりも強いわ」

「第二世代、とか言ってたけど、あれは?」

「その内わかるわ」

「ふぅん」

 と、そこで一限目十分前を告げる予鈴が鳴った。

 奏真は急いで残りをかき込み、瑠奈に続いて訓練区画の地下四階へ向かった。

2‐3

「二〇二六年夏、ヨーロッパ地方に突如として正体不明の怪物が出現した。人畜に吸血行為を行うこの怪物は、軍隊の出動で一時的に鎮圧を図ることができた」

 松井由里子まついゆりこと名乗った初老の女教師が、電子ボードにレーザーポインターを当て説明をしていた。

 動画が流れており、自動小銃や戦車が火を噴き、ヴァンパイアと戦っている様子を見せている。

「しかし同年冬、再び怪物の襲撃が発生した。今度は規模も戦力も桁違いだった。ヨーロッパは瞬く間に蹂躙されてしまった」

 知っている内容だ。奏真はそれでも真面目に聞く。根が基本的にそういう生真面目なところがあるというのも少なからずある。

「僅かな生き残りがどうにか息づくだけの不毛な土地に変じてしまった。そしてこの頃、インターネット上で怪物をヴァンパイアと呼ぶようになり、その呼称が一般化した」

 この辺りの話は学校の歴史でも習うので、奏真も知っている。だがいつ知らない話題になるかわからないので、真面目に耳を傾ける。

「翌年春にはアジア、ロシア……海を渡ったヴァンパイアはそのままアメリカ大陸、オーストラリアを強襲した」

 ヴァンパイアの怒涛の快進撃だ。人類はなすすべなく負け続けた。

「通常兵器が全く効かないこの未曽有の怪物に、世界は混乱。同年夏には国連が崩壊してしまった。しかし」

 画面が切り替わる。ビルが映し出された。手前の看板には『姫宮堂』とある。

「関東に本拠を置く製薬会社姫宮堂が極秘裏にヴァンパイアの血を希釈し、人体に投与する技術を確立させた」

 ヴァンパイアの血のコントロール。血盟騎士団の前身となる組織の革新技術である。

「極秘裏に組織されたこの半ヴァンパイア部隊の活躍で、日本はヴァンパイアに対し比較的緩やかな戦況になったのだ」

「極秘裏?」

 奏真は思わず声を上げる。

「教室で話すときは挙手をしろ!」

 厳しい叱責が飛び、周りから失笑が漏れる。

「すみません。では」

 奏真が手を上げると、由里子は「獅童」、と一言言って、意見を許可した。

「なぜヴァンパイアに対抗できる組織を極秘裏に組織したんですか? もっと早くこの技術を開陳していれば、世界はもっと昔の平和な状態を保てたんじゃないですか?」

「もっともな質問だ。だがな、獅童。世界というものは複雑にできている。信じられないことかもしれないが……」

 由里子は一つ息をつく。奏真も続きを待ち、息を飲む。

「二〇二七年の段階では人体実験を行ったというだけで世界中から粛清を受けるような時代だったんだ。だから姫宮堂は半ヴァンパイア部隊の存在を隠した」

 今の時代、人体実験など珍しくもない。志願すれば大金が転がり込むため、仕事を持たない外部居住区の人間や、スラムの者はその話に飛びつく。

 ブラッドアームズ適合試験も一種の人体実験といえるだろう。

 だが、昔はそんなことがありえないといえるほど平和だった。

「二〇三四年、春。世界各地は迫るヴァンパイアに事実上敗北した。世界中の各地域が都市単位で物理的な防壁を築き、自立防御の構えを取ったのだ」

 人類の敗北。こんな事態、果たして誰が想像できただろうか。

「知っているだろう、ヴァンパイアは特定の高周波音を嫌う。だから防壁にも特殊な音響装置が埋め込まれているのだな」

 その音響装置のお陰で、人類はなんとか穴熊を決め込むことができているのだろうな、とも思う。それがなければ、今頃人類は滅んでいる。

 音響装置があってもなおときどきヴァンパイアによる襲撃が起こるのだから、それを考えればこれも完璧な対抗策とは言い難い。

「で、日本もその例にもれず、半ヴァンパイア部隊を運用しながら都市を閉鎖した」

 由里子が続ける。

「日本が世界に比べて、単一の国でありながら多くの都市を持つのは、ひとえに半ヴァンパイア部隊があったからだろうな」

 それだけダンピールという存在は大きいのだ。

「この東海支部にも姫宮堂の支社があり、半ヴァンパイア部隊を運用していた。だから広い範囲を都市として確立することができた。ここは昔、豊橋と呼ばれる都市だった」

 未知と既知が入り混じる歴史に、奏真は耳を傾け続けた。

「そして二〇三五年、文明社会が崩壊。姫宮堂は生き残りのネットワークを組織し直し血盟騎士団を発足」

 画面が切り替わる。あの穴の開いた十字架のマークが表示された。

「世界各地に支部を設置し、半ヴァンパイア部隊ダンピールの編成を開始したわけだな。ダンピールチルドレンの最高齢は十六歳といわれている」

 しかしそれも、例外があった。

「だが日本に限ってはそうではないことがこれでわかるな」

 二〇三五年といえば、奏真が生まれた年だ。自分が生まれた年にダンピールが、世間的に認知されるようになったわけだ。

 なんとなく不思議だなと思う。

 しかしその疑問はすぐに消えた。次から次へと授業が進んだからだ。

「ヴァンパイアは我々の土地を蹂躙し、物理的に環境を書き換えた」

 電子ボードの情報が変わる。

 雪が降る氷の海やマグマが流れる活火山、水浸しの地下都市、巨大化した緑に覆われた廃工場などが映し出される。

「東海地方に、こんな光景は元々なかった。火山なんてありえない。この辺りにそうした地脈があったかどうかは定かではないが……」

 あったのだろうか。地質学者でもない奏真にはこれっぽっちもわからない内容だ。

「ヴァンパイアが地殻を刺激し、活火山を形成したと考えるのが自然だ。氷海に関しては思いっきり謎だな。何故あそこだけが局地的な凍土と化したのか、まったくわかっていない」

 理由もわからない不可解な現象。これもまた、ヴァンパイアの仕業なのだという。

「廃工場に関しても謎だ。なぜここまで植物が巨大化するのか皆目見当がつかん。さて、」

 誰か、名も知らぬダンピールが挙手した。

「なんだ?」

「あ、いや、なんで地下都市を流したのかなって。……一見、綺麗ですし」

(綺麗……?)

 言われてみて、改めて地下都市を見る。綺麗かどうかはさておき、幻想的である、というのは少し思った。

 昔の理不尽系ダンジョン探索RPGのワンステージのような雰囲気がある。ヴァンパイアが掘ったのか、中には洞窟もあったりする。少年じみた冒険心が少し刺激される。

「綺麗、か。確かに、まったく汚いとは言えんだろうな。だがその美には、死の危険が纏わりついていることを忘れるな」

 そのダンピールが頷く。

「外に出られるのは諸君らの特権だが、風景に気を取られていて戦死していたのでは笑い話にもならんぞ」

 由里子はそのままきびきびと、終業の鐘が鳴るまで授業を続けた。

2‐4

 二限目が始まり、しばらくしてようやく本題に入った。新年度に新人が入るため、二限目の教師は彼らをリラックスさせたかったらしく、世間話に時間を割いた。

「ダンピールには三種類ある。第一世代、第二世代、第三世代。この違いを説明できる者」

 適合試験が行われた地下六階のあの訓練室で、奏真たちは実技を受けていた。

 教えているのは松島雄二まつしまゆうじという初老の男性である。

 挙手した者の中に、瑠奈がいた。雄二は彼女を指さし、「言ってみろ」と口にした。

「二〇三五年から二〇四〇年にかけて創られたダンピールが、所謂第一世代です。ヴァンパイアの血の希釈がそれほど薄くはなかったとされます」

 瑠奈は淀みなく続けた。

「ヴァンパイアにより近い肉体を手に入れられ、高い戦闘能力を持ちます。ですが適合率が高い者は稀で、暴走の危険を多く孕んでいた」

 そこに一瞬、沈痛な陰が彼女の顔をよぎったように見えた。

「作戦行動中行方不明になった者の大半は、ヴァンパイア化したと見られています」

「その通りだ。では、第二世代は?」

「二〇四〇年から現在に至るまで創られているダンピールが第二世代です。ヴァンパイアの血の希釈が充分に行われ、調整も行き届いているので適合者も多く適合率も安定しました」

「その通りだ。問題点は」

「戦闘能力が第一世代に劣ってしまうという弱点があります」

「正解だ。では、第三世代とは」

 四十名近いダンピールの目が、瑠奈と奏真を向いた。

 瑠奈は一つ呼吸を整えてから、

「私と獅童奏真、空閑朔夜くがさくやの、始祖のブラッドアームズに適合したダンピールです。始祖の力を持ち、特殊な能力を持つとされると」

「素晴らしい。神代の言う通りだ。だが全てのダンピールに共通するものがある。まあ色々と共通点はあるのだが……それがわかる者」

 奏真は手を上げた。

「では、獅童」

「確証があるわけじゃありませんが……ダンピールは、多分、みんな若いこと、が共通点なんだと思います」

「よくわかったな。その通りだ。ダンピール……ブラッドアームズに適合する者は、十代か二十代だ。三十四十で適合する者は、まず現れない」

 それがまた子供が望まれる、という都市の気風にも現れているのである。

「学校で身体検査をするだろう? あのとき血液検査をするのは、若い適合者を見つけ出すためだけにしていると言っても過言ではない」

 訓練室の中央に、あのベッドはもうない。しかし代わりに、黒い布が被せられた四角いなにかがある。時折聞こえてくる呻き声から、それがなんなのかはすぐに想像できた。

 雄二は「下がっていろ」と短く言うと、布を取り払った。 

 檻があった。中には、グールロードが一体入っている。

「ひっ」

 誰かが喉を引くつかせ、腰を抜かして転がった。多分まだ初陣も終えていない新人だろう。

「こっ、これと戦えなんて言うんですか!?」

 その転がった少年は雄二に向かって怒鳴る。

「いや、今日はブラッドバーストについて教授しようと思ってね。生嶋」

 緑の髪をした女――朝奏真たちに声をかけてきた陽子が一歩前に出る。

「ブラッドアームズを起動しろ」

「りょーかい――『血装:緑華ろっか』」

 陽子が胸から剣を抜く。それは彼女の身の丈ほどもある緑の両刃の大剣だった。

 雄二が下がると、陽子は緑華を振るい風の斬撃を飛ばした。ばきん、と音がして檻の鉄格子がバラバラに外れ、中からグールロードが這い出して来る。

 一度は倒したとはいえ、奏真は息を飲んで後ずさった。

「この程度の相手、ブラッドバーストなんて使うまでもないんだけど」

 何度も繰り出されるグールロードの爪の刺突をステップで紙一重で避けていくようこの動きを見て、奏真は思わず息を漏らした。

 あれは、ギリギリで回避が間に合っているから紙一重に見える、というものではない。最低限の無駄のない動きで、紙一重になるように躱しているのだ。

 戦いを見守るダンピールの中から声が上がる。

「そう言わず、さっさと見せてあげなよ」

 秋良だ。相変わらず眠そうな顔をしているが、声には張りがある。

「わかったよ。――っ!」

 片手でぶん、と緑華を薙ぐと、グールロードが飛び退いた。が、同時に剣が伸び、グールロードの腹を裂いた。

「伸びた!」

 ダンピールの誰かが叫んだ。

 奏真は今まで見てきたファンタジー小説や実況動画の記憶を手繰り寄せ、あの武器がなんなのかを同定する。

「蛇腹剣か……?」

 奏真の発言に、周りが静まった。代わりに雄二が口を開く。

「そうだ。生嶋のブラッドバーストは大剣を蛇腹状に変え、攻撃範囲を広げる効果を持つ」

 そういえば奏真の剣も、ブラッドバーストとやらをしたら紫色に発光し、チェーンソーに姿を変えた。

「ブラッドバーストは武器の形状を変える……?」

 奏真が雄二に問うと、彼は頷いた。

「そうだな。どんな形になるのかは個人によって変わる。刺激を受けたもの、トラウマ、感動したもの、些細なこと――なにがきっかけになるかはわからん」

「そうなんですか?」

「ああ。それに、武器の形状が変わらないケースもある」

 そういえば、奏真にもチェーンソーに関する記憶が一つある。

 あれは孤児院でのことだ。園長先生が邪魔な木を切り倒すとき、ぶおんぶおんと唸りを上げるチェーンソーを使っていた。

 ゲームプレイ動画でしか聞いたことのないような轟音に、派手に飛び散る木くず、獰猛に回転するチェーンソーの刃に魅せられ、興奮したのを覚えている。

 だがそんなこと、今の今まで忘れていた。

 そんな些細なことが、魂の結晶である武器を変えるというのか。

 だが、わからないでもないな、とも思う。

 人間は繊細な生き物だ。些細な出来事、何気ない小さな一言が人生を決定することもままある。

 そんなさり気ない出来事に左右されるというのだから、血装がその影響を受けるのは無理もないことなのかもしれない。

 陽子は危なげなくグールロードと渡り合っていた。鞭のようにしなる大剣を振るい、グールロードと中距離を維持して戦っている。

 だがそのとき、グールロードが怯えた目をしている新人を見、陽子から視線を外しそちらに飛び掛かった。

「避けろ!」

 雄二が叫ぶ。同時に奏真たちは海を割る波のように左右に跳んでグールロードの突撃を避けた。が、新人は腰を抜かしてしまって動けない。

 あのままでは当たる――誰もがそう思った。

2‐5

「させるか!」

 陽子は蛇腹剣状になった緑華をグールロードの足に巻き付かせ、引き寄せた。壁に叩きつけたところでブラッドバーストが解除されたのか、緑華が元に戻った。

 だが、それでもう充分だった。

「唸れ!」

 大剣を横薙ぎに振るうと、ごっ、と風が暴れた。グールロードを再び壁に打ち付け、その隙に肉薄。

 跳躍し、大上段に振りかぶった風の刃を纏う緑華を振り下ろし、陽子はグールロードを縦一文字に両断してのけた。

 風の斬撃の余波が、奏真のジャケットを棚引かせた。

「やれやれ、少しハプニングが起こったが、まあいいだろう。まとめに入ろう」

 雄二がパンパンと手を叩くと、汗一つかいていない陽子を含め、四十名近いダンピールが集まった。

 朝、昼、夜、夜その二と四つのチームに分かれて授業を行うため、この場に全員のダンピールがいるわけではない。

 八十名か四十名ずつに分かれ、部隊運営を行っているのだ。午前組、午後組、夜勤組その一と夜勤組その二。

 午前午後組が八十名ずつ、夜勤その一その二組が四十人ずつ。

 その八十名も一人の教師で監督するには難しいということで、四十名ずつに分かれて授業が組まれている。

 もっとも全員が授業を受けるわけではない。中には任務や遠征で、ここを離れている者もいる。

「ブラッドバーストは諸君らの血装や異能を強化する。どんな効果が出るかはわからない。発現する血装と同様、個人差があるからな」

 確かに血装一つをとっても人によってかなり差がある。

「だがブラッドバーストも切り札にはなるが、これはトランプでいう所のジョーカーだということを忘れないでもらいたい」

「どういうことですか?」

 別の誰かが訊く。

「誰か、わかる者……そうだな、芳崎」

「え、僕ですか? はぁ、まあいいですけど。えへん」

 咳払いをしてから、秋良は全員の前に立って説明した。

「ブラッドバーストは、永続的に使えるわけじゃないんだ。効果時間があって、それを超えるとブラッドバーストは強制的に解除される」

 無限には使えない、ということだ。

「次の発動までの間にはクールタイムがあって、効果時間共々それはダンピールによって異なる」

「その通りだ。今芳崎が言った通り、ブラッドバーストはずっと使えるわけじゃない」

 誰かがなるほど、と呟いた。まだなにも知らない様子から察するに新人だろう。

「そこに気を付けなければ、いざというときにブラッドバーストが解除され、危機に陥るということもある」

 訓練室の扉が開き、防護服を着た回収班と呼ばれる人たちが入ってきた。グールロードの死体を片づけるためだろう。

 素肌は一切晒さない。あそこまで完全防備をするのは、ヴァンパイアの血が人間にとって猛毒だからだ。どこかから血が入れば、たちまちヴァンパイアの仲間入りを果たすことになる。

 雄二は彼らに敬礼――右拳を左胸に当て、謝意を示した。ダンピールたちも雄二に続いて敬礼する。奏真も、もう自分は一般人ではないんだな、と思いながら敬礼した。

 雄二は腕時計を見て、「おっと、三分もないな」と呟き、

「最後に。ブラッドバーストは経験値を積めば効果時間が伸び、クールダウンに用いる時間も減る。実戦で腕を磨くように。では若干早いが、解散」

     ◆

 一周八百メートルの地下グラウンドを走らされ、奏真は十五周を超えたあたりから何周目か数えるのを辞めてしまった。

「はっ、はぁ、はっ……」

 体力が強化されているからといって、いきなりその恩恵を受けることはできないのだと奏真は自覚した。

 学生時代に比べれば体力もついたと思うのだが、ほかのダンピールに比べるとまだまだだ。

 瑠奈は自分よりもハイペースでグラウンドを走り、陽子はさらに、ほとんど全力疾走といっていい速さで走り回っている。

「苦労しているようだね」

 追いついてきた秋良が肩を叩いてきた。

「あんた、よく平然としてられるな……」

「慣れてるからね。これでも七年やってるから」

「十二歳の頃からこんなことを?」

「まあね。拒否権なんてないし……最初は嫌だったよ。けど自分が戦わなきゃ大切な人が死ぬって状況が僕を変えてくれた」

 疲労する奏真の走りに合わせながら、秋良は額に浮いた汗をハンカチで拭う。奏真はもう汗だくで、少しでも止めるため頭にタオルを巻いていた。

「立派なんだな、秋良」

「そうかな。少なからずこの生活を気に入っている、っていうのもあるし、必ずしも善意だけでやってるわけじゃないよ」

 瑠奈が脇を通り過ぎていった。それに続いて、もう何周遅れを取っているかわからない陽子が駆け抜けていく。

「陽子は? 組んでるんだろ?」

「ああ、うん。彼女とは七年の付き合いだよ。新人時代から僕のことを知ってる」

「あいつも瑠奈と同じ、ソロだったのか?」

「あー、いや。弟と組んでた。けどその弟が死んでしまってね。しばらくは一人だったんだ」

「あんたの?」

「いや、彼女自身の」

 陽子は肉親を失った、ということだ。その悲しみと絶望は痛いほどよくわかる。

「……強いんだな」

「物理的にも、精神的にもね。さっき緑華のブラッドバーストが解けたのは限界時間を迎えたからじゃないんだよ。彼女は多分、この支部でも五本の指に入る実力者だろうね」

「そこっ! なにを無駄話をしとるか!」

「おっと、鬼教官がお怒りだ」

 眠そうな目に笑みを浮かべ、秋良はペースを上げて走っていった。

 この基礎体力強化訓練を監督しているのは福塚之夫ふくつかゆきおという、御年七十六になる老教官だ。

 おおよそ七十半ばには見えない体格であり、噂によれば昔日本にあった自衛隊という集団に所属していたらしい。

 今ではその自衛隊は解体されている。当たり前だ。自衛隊に限らず、あらゆる軍隊が持つ兵器はヴァンパイアに通用しない。

 現代において銃を携帯するのは自衛・儀礼的な意味で所持する血盟騎士団の高位職員か、憲兵隊と呼ばれる外部居住区の治安維持を行う部隊だけだ。

 ちなみに高位職員は実弾銃を持つが、憲兵隊が持つのはテイザー銃かゴム弾を発射する低致死性の銃だ。

 罪を犯そうとも住民は貴重な財産であり、将来の戦力になるかもしれないその命を無為に奪うことは厳重に戒められている。

「はぁ、もう……持久走なんて、嫌いだ」

 足が重くて上がらない。けれど歩こうものなら怒号が飛ぶのを、別の新人が証明していた。

 しかしこれが終われば昼食が待っている。シャワーを浴び、悠々と食事を摂る。

 その後は任務が入るだろうが――、

「緊急連絡。緊急連絡。特務分遣隊ヘルシング及び第十三分遣隊、至急第三小ブリーフィングルームに集合せよ。繰り返す――」

「ふざけんなよ……」

 奏真は溢れる憤懣ふんまんを隠そうともせず、漏らした。

 頭に巻いていたタオルを毟り取り、乱暴に顔を拭う。外したネクタイをポケットから取り出して再び巻いた。

「聞いたな! 獅童奏真! 神代瑠奈! 芳崎秋良! 生嶋陽子! 速やかに第三小ブリーフィングルームへ向かえ!」

 奏真は苛立ちを隠そうともせず舌打ちし、訓練を切り上げた。

2‐6

 ブリーフィングルームを出ると、歩きながら、隣の瑠奈がフラッシュバンや回復剤などが詰まったポーチを取り付けたベルトを投げ渡してきた。

「それ、ちゃんとつけて」

 早足で歩きながら、奏真は言われた通りベルトをジャケットの上から巻いた。腰のあたりに巻き付けて固定する。

 第二駐車場に出て、後部ハッチを開いている装甲車に乗り込む。先に座っていた秋良の隣に奏真が、陽子の隣に瑠奈が座る。同時にハッチが閉じ、装甲車が加速した。

 防壁を抜け装甲車が外に出る。鉄格子をはめられた透明装甲の窓の向こうに荒れた大地が広がる。

 ダンピールの出撃方法は、三つ。一つは車。もっとも一般的で頻繁に行われる輸送手段である。

 もう一つはヘリ。物理的に車での移動に難がある場合この手段が取られる。超強化特殊透明装甲のドームを開き、空から現場に急行する。

 そして残る一つは徒歩。防壁周辺に大規模なヴァンパイアの出現が認められた場合、車では追いつけなかったりする上に小回りが利かず仲間同士で渋滞を作ってしまうこともある。

 避難する人間が邪魔で進めないこともあるので、だからこその徒歩だ。あるいは都市内にヴァンパイアの侵入を許せば、車よりも走った方が早いということもある。

 装甲車内で三十分。

 瑠奈は携帯の猫動画に視線を落とし、陽子は同じく携帯でゲームをし、秋良は哲学書らしきものを読んでいた。

 奏真はただ黙って、景色を見ていた。

 装甲車は派手に揺れる。当然だ。大地は割れ、好き放題雑草が生えている。戦いの余波かクレーターのように抉れた場所もあり、かと思えばしばらくの間揺れないこともある。

 人間の管理を外れた人工物は、あまりにも脆い。

 雨水が沁み込み、寒暖の差で膨張と収縮を繰り返して亀裂を生む。それらを放置しておけばやがてビルの倒壊を招く。

 そうして道が塞がれば、移動は空を頼りにするしかない。だから支部には兵員輸送用ヘリが多く配備されている。

 瑠奈に言わせれば、装甲車での移動の方が珍しいのだという。

 奏真の二度の実戦はいずれも装甲車だが、そう遠くないうちにヘリで移動することもあるだろう。

「退屈かい?」

「あ、いや……少し緊張してさ」

「まあ、まだ二度目だしね。今回確認されているヴァンパイアはグールが百体だ」

「うん……」

 血盟騎士団にはいくつか部署がある。

 研究部、医療部、回収部、ダンピールたちが所属するヴァンパイア狩りの花形・戦闘部、そして事前調査を行う偵察部。他にも様々な部署が存在する。

 今回の任務は、東海支部に移動中の避難民と遭遇してしまったグールたちの掃討。

 並のグールなら特務分遣隊ヘルシングも東海支部五指に入る第十三分遣隊も必要ないが、問題はその数だった。

 百体。

「俺、戦えるかな……」

「通常、グールがこんなに数を揃えることはないからね。初陣の後にこんな仕事をさせるなんて、支部長もなかなかスパルタだ」

「こんなに数を揃えることがない、っていうなら、なんで今回は百体もいるんだ」

 ゲームを切り上げた陽子が馴れ馴れしく瑠奈の肩に腕を回した。スーツ越しにもわかる豊満な乳房が瑠奈の肩に当たり、形を変えた。

「グールは多くても二十体のコミュニティを作るんだよね。けど、ときどきそうした群れを率いるグールロード同士が大喧嘩して、生き残った方にコミュニティが併合されることがある」

「じゃあ、今回も……」

 鬱陶しいと言いたげな動作で陽子の拘束を外した瑠奈が携帯をしまいつつ、

「多分、そうやって群れを大きくした集団でしょうね」

「ていうか、ヴァンパイアも群れで争ったりするんだな」

「おかしいことではないわ。ヴァンパイアというのはやつらの総称に過ぎない。例えば、動物だって生きものの総称でしょう? で、その動物内で弱肉強食の食物連鎖が成り立つ」

 確かに、瑠奈の言うとおりだ。彼女が続けるに曰く、

「ヴァンパイアも同じ。人類の敵性生命体とはいえ、弱肉強食の絶対的な掟があるの。だからヴァンパイアがヴァンパイアを捕食したり、同種族同士で縄張り争いをすることもある」

「なるほどな……けど、百体も。どう戦うんだ?」

 陽子は笑みを浮かべ、

「真正面からぶった斬ってくだけ」

「あんたみたいに戦い慣れてないんだぞ俺は。銃みたいに間合いのある武器でもないし」

 瑠奈が安心して、と前置きする。

「大切なのは、一対一で戦うこと。今のあなたじゃ多対一は不利。だから、一対一を何度も繰り返し、確実に数を減らすこと。私と秋良で援護するから安心して」

「そういや、秋良の血装ってなんなんだ?」

「僕の血装は狙撃銃かな? 大口径のライフルだよ。氷属性のね」

 どんなものなのだろう。気になる。

 ゲームプレイ動画を嗜む奏真にとって、武器は興味の対象である。剣であれ銃であれ、気になるものはたくさんある。

 専門的な知識はほとんどないが、一目見ればその武器がなんなのかを当てられる自信が多少はあった。

 もっとも、武器のカテゴリがわかるという程度で、細かい名前やなんかはよくわからない。

「僕はなんというか、最前線への斬りこみが得意じゃないから、奏真や陽子みたいに剣が使える人がいると助かるよ」

「あんたに足りないのは気概よ。いつも弱気でうじうじと……いざってなれば氷の剣でも作って斬りこめばいいでしょう?」

 陽子が語調に若干の怒気を含ませる。

「やめてよ。僕はそもそも争い事が嫌いなんだ。ヴァンパイアが相手でも、好きで殺そうだなんて思えないよ」

「あいつらに向ける慈悲なんていらないでしょう」

「支部長があと三年勤めたら教官職を認めてくれるっていうから戦ってるだけでさ……」

「ほんと、弱気。あんた粗チンでしょ」

「決めつけないでくれ」

「なら見せてみなさいよ」

「僕は紳士だ。君みたいに、下品なことを好きに行うような趣味は持ってない」

「同性愛を馬鹿にする気?」

「いいや、LGBTに関しては特に意見はない。ただ僕は、君を馬鹿にしてるんだ」

「いいわ、戦場でケリをつけましょう。撃破数が少ない方が報酬の半分を勝者に与える」

「いいよ。受けて立つ」

 意外と闘争心あるじゃないか、と思っているうちに、装甲車が停止した。後部ハッチが機械音を立てて開く。

 瑠奈が口を開いた。

「行くわよ」

2‐7

 瑠奈が一番手、次に奏真、陽子と秋良の順で飛び出す。

「『血装:雹牙ひょうが』」

 秋良が血装を出現させる。ずるり、と腕から現れたそれは、青い長大な狙撃銃――というより、

「対戦車ライフル!?」

「今時風に言うなら、対物アンチマテリアルライフルだね」

 五〇口径、十二・七ミリ弾を撃ち出す馬鹿げた威力を持つ狙撃銃。銃身下部には銃を安定させるバイポッドが折り畳まれており、上部レールにはスコープ。

 弾倉もあるが、恐らくあれは飾りだろう。銃系の血装は、ソウルアーツを弾丸とする。物理的な弾はソウルアーツを持たない段階でしか使わない。

 万が一ソウルアーツに目覚めなかった場合は、己の血を銃弾に塗布して対ヴァンパイア用の殺傷弾とするらしい。

 しかし車内での会話から、秋良は既にソウルアーツに目覚めていることがわかる。

「じゃあ僕は先に狙撃地点につくね」

 重そうな銃を肩に担ぎ、秋良は蛙のように飛び跳ね半壊したビルの屋上まで一気に上りつめた。

 あんな芸当、奏真にはまだできない。ポテンシャルはあると思うのだが、まだそれを引き出せるほど経験を積んでいないのだ。

 やろうと思えばできるかもしれないが、失敗したときのことを考えると無理はできない。

 というか、そもそも自分は狙撃などできないから、高い場所に位置を取る意味がない。

 右耳にはめた通信機からくぐもった女性の声。

「奏真さん、初めまして。私は榎本久留巳えのもとくるみです。特務分遣隊ヘルシングのナビゲーターを務めさせていただきます」

「あ、ああ。よろしく」

「今回の作戦は陽子さんが最前線に斬りこみ、撃ち漏らしを奏真さんと瑠奈さん、秋良さんが対処するというものですね」

 久留巳ははきはきと喋る女性だった。ナビゲーターという仕事柄、滑舌の良いきっぱりものを言える人材が必要なのだろう。

「特に奏真さんは多数戦は初めてなので、瑠奈さんと秋良さんが群がる雑魚を掃討するという役目を持っています」

「避難民は?」

 瑠奈が訊くと、久留巳は間を置かず即座に答えた。

「安全圏に退避してもらっています。ですが旧世代のガソリン車なので移動音でグールに気付かれる可能性があるので、足止め状態です」

「じゃあ、その人たちが襲われないためにも俺たちが早く決着をつけないと……」

「ええ。ですので皆さんには早急にグールを討伐していただきますが……奏真さんは無理をせず、できる範囲で戦ってください。大切なのは勝つことではなく死なないことです」

「わかった。サポート、頼む」

 ぶん、と腕を振るい、掌から『血装:紫雷』を出現させる。鍔元から切っ先にかけて走る紫の脈が黒い刀身にエネルギーを送るように、ドクンと脈動する。

 刃の紫がバチ、と電気を放った。

「『血装:白夜』」

「『血装:緑華』っ!」

 瑠奈と陽子が血装を顕現させる。ブラッドアームズの血の具現。

 ここではじめて気づく。秋良と陽子の血装には、脈や紋様がない。

 自分と瑠奈の血装にはあるのに。これが第三世代ダンピールの特徴の一つか。

 片側一車線の道路を曲がり、目抜き通りに出る。

 目の前のスクランブル交差点に、グールの群れがいた。一体のグールロードを守るように布陣する二体のグールロードが指揮を取っているようだ。

 百体のグールはバラバラにではなく、指向性を持って動いていた。グールおよそ百体に、グールロードが三体。

 はっきりと、獲物を探している。

 ヴァンパイアは吸血を行うが、一方で腹が満たされると『輸血』を行う。輸血された人間はヴァンパイアと化し、異形へと成り果てる。ヴァンパイアはそうやって数を増やす。

 人類の敵性生命体とはいえ、自分が狩るヴァンパイアは元を辿れば人間だったかもしれないのだ。それを思うと、黒い礼服で『葬る』という行いの意味が、少しはわかる気がした。

「全員に通達。こちら秋良。狙撃ポイントについた。みんな、準備は」

 隣に立つ瑠奈が頷く。

「私は問題ない」

 戦意が溢れ出さんばかりの陽子が笑う。

「さっさと斬ろう」

 意を決した奏真が言う。

「大丈夫だ、問題ない」

「滅葬開始」

 祝砲のような轟音が、空から響き渡った。

 目に追えない速度で飛翔する氷の弾丸がリーダー格のグールロードの首から上を吹き飛ばした。

 銃声が嚆矢となる。

 陽子が高笑いと共に踏み込む。

 一塊ひとかたまりになったグールのど真ん中に飛び込み剣を横薙ぎに回転。文字通りグールたちを吹き飛ばす。

 群れからあぶれた一体に狙いを定め、奏真は紫雷を突き出した。

 心臓を貫き、刃を捻って傷を抉る。引き抜き、黒い血を零すグールを蹴飛ばして距離を取らせた。

 人間もそうだが、心臓を潰されたからといってすぐ死ぬわけではない。長ければ十数秒、生き続けることがある。最後っ屁で傷つけられる可能性もゼロではない。

 地面に転がったグールは心臓に空いた穴を掻き毟り、絶命。

 次なる一体。

 でたらめに見える軌道で爪を振るい、奏真を斬り裂かんとするそいつからバックステップで距離を置きつつ、隙を窺う。

 どんな生きものも、無限に体力が続くわけじゃない。必ず疲労する。焦って功を急ぐよりも果報は寝て待てだ。

 奏真は虎視眈々と、機を待った。

 攻撃するだけが戦いではない。じっくり、待つ。それも戦いだ。

2‐8

 大上段から振るわれた両腕をサイドステップで避けたとき、疲れたのかグールの動きが鈍った。その僅かな合間に紫雷を閃かせ、両腕を斬り落とす。

 グールの甲高い悲鳴。

 仰け反った喉に刃を突き入れ、上に振り抜く。血と脳髄が飛び散った。

 直後、左右から死臭。

 ほとんど本能で下がった。

 さっきまでいた場所を、二体のグールの爪が薙ぐ。

(どうする?)

 考えている間に、銃声が二つ。

 氷の弾丸が一体の頭部を爆裂させ、光の散弾が胸を吹き飛ばし絶命させる。

「一対一を繰り返すのよ。今のあなたは、それができればいい」

 すぐ後ろから、ショットガンを構えた瑠奈が言った。奏真は小さく頷いて、次なる一体に狙いを定める。

 ドクン、ドクン、と脈拍が上がっていく。全身を駆け巡る血が熱を帯び、紫雷の脈動も激しくなる。

「瑠奈、秋良」

「なに?」

「なんだい?」

「多分、ブラッドバーストが発動する。群れに突っ込むから、援護を頼めないか?」

「無茶は――」

「無茶じゃない。やれる。信じてくれ」

 瑠奈が沈黙した。三秒の間を置いて、

「いいよ。いずれは多対一をやるんだ。経験を積ませてあげよう」

「わかったわ。けどブラッドバーストが切れると思ったらすぐに逃げて」

「ありがとう」

 グールをまた一体斬った。

 その瞬間、鼓動が最大に達する。

 ドクン、

血装解放ブラッドバースト……っ!」

 雷鳴が爆ぜた。

 直刀だった紫雷が肉のように生々しく蠢き、黒いチェーンソーに変化する。鋸の刃は紫に輝き、黒い刀身には相変わらず脈が張り巡らされている。

 意識すると、刃が回転。稲妻のような音を立てて回転する。鋸はやがて目には追えない速度に達し、紫の軌跡だけが目をく。

 剣から雷撃が迸り、奏真の身を包む。全身のツボというツボが刺激され、身体能力が遥かに向上。

 疾走は、数多の『速さ』を目にしてきた瑠奈の目をして、追いすがることを許さなかった。

 たったの一歩で敵陣に踏み込み、肉薄に気付かぬグールを薙ぐ。

 回転する刃がグールの肉体を挽き裂き、背後に回った一体の頭蓋を左肘で砕いた。四方から迫る犬面の化け物を右足を軸に回転し薙ぎ払う。

 血と臓物がぶちまけられ、しかし返り血を浴びる頃には奏真はそこにいない。

 傾いだ標識の上。そこに奏真はいた。

 残光を引きかねないほどに猛回転する刃を構え、グールの群れに斬撃軌道を合わせ、魂を鼓動させる。

 雷鳴、

 一閃、

 三日月形の雷の刃が射出され、グールを斬り裂いた。群れが面白いように宙を舞って血肉の雨を降らす。

(あと十五秒くらいか?)

 感覚的にブラッドバーストの持続時間を逆算する。今の自分では、三十秒ほどしか使えないことを悟っていた。

(決めるぞ)

 標識を蹴って敵陣に突っ込む。蹴り飛ばされた標識が根元から折れ、遅れて風圧が舞う。

 舞い上がったセメントダストに穴が開き、グールロードに向け疾走する奏真の軌道上の敵は全て挽き肉のような鮮血を撒き散らし死んでいった。

 十三秒。

 アスファルトを蹴る。黒い欠片が飛び散り、大地に亀裂が走る。

 グールロードを守るように布陣するグールを斬り分けていく。確実に死ぬよう両断し、心臓を抉り、頭を落とす。

 爪が肩を掠ったが、意に介さず回転鋸剣を突き立てる。雷撃と斬撃が弾け、グールは目を見開いて痙攣。引き抜くと同時に倒れる。

 背後に気配を感じたが、無視した。仲間を信じる。

 果たしてそいつは、秋良の狙撃によって撃ち殺された。

 十秒。

 咆哮し威嚇するグールロードに踏み込み、袈裟に剣を振るう。しかしそれを鋭い爪で受け止められた。

 皮膚の何倍も堅い鋼のような爪は回転鋸でも斬り裂くことは叶わず、火花を散らして拮抗する。

 押し込むか、そう考えたとき腹に車が追突してきたかのような衝撃。蹴られた、と気付いたら、廃墟の壁に叩きつけられていた。十メートル以上はある。とんでもない脚力だ。

 八秒。

 壁を蹴って、銃弾のように飛ぶ。

 愚直なまでに真っ直ぐな軌道の突き。

 グールロードはそれを爪を交差させて受け止めた。

 即座に跳んでくる蹴りを同じく蹴り下ろしで殺し、剣を下段から上へ掬い上げるように振り抜く。

 グールロードの両爪が宙に踊り、奏真は袈裟逆袈裟と剣を舞わせ、両腕を肩口から斬り落とした。

 がら空きになった腹に胴抜き。表皮が裂け、臓物が零れ落ちる。

 しかしグールロードの傷口はゆっくりだが確実に塞がり始めていた。

 両断などの大きな傷はすぐには治らないが、この程度の傷なら再生するようだ。それに少し驚いたが、しかし。

 ダンピールの驚異的な治癒力がヴァンパイアの血によるものならば、その大元であるヴァンパイアに再生力があっても不思議ではない。

 だが、チェックメイトだ。

 腰まで引いて溜めた渾身の突きを、左胸に放った。

 超回転する鋸が肉を抉り、雷撃が神経信号を掻き乱しヴァンパイアの全身を激しく痙攣させる。

 そのまま袈裟に紫雷を振り抜き、グールロードを殺した。

 残り三秒。

 群がるグールたちを蹴散らしつつ、奏真は撤退した。瑠奈の負担を減らすためなるべくグールを殺しつつ、彼女の元まで退く。

 切れた。

 回転鋸状だった紫雷がぐにゅりと蠢いたかと思うと、元の直刀に戻る。

「はぁ、はっ、はーっ、はぁ……」

 緊張が僅かに緩んだところに、一気に疲労が噴き出した。

「大丈夫?」

「ああ、少し、呼吸を整えたら――」

「その必要はなさそうよ」

 瑠奈が顎で指した先。

 死屍累々と散らばるグールの向こうで、グールロードの脳天から股間まで叩き斬った陽子が手を振っていた。

「三十六体。秋良、お前は?」

「スコアは二十二体。陽子の勝ちだよ。けど、奏真も奮闘したね。陽子と同じかそれ以上くらいは倒したんじゃない?」

「奏真は賭けに乗ってない。言い逃れするな」

「はいはい……」

「滅葬終了、だな」

 呼吸を整え、汗を内ポケットのハンカチで拭う。乾いた風が、街路樹を揺らしてさわさわと音を立てさせた。

 さっきまでの戦闘音が嘘だったかのように、辺りが静まり返る。

「…………?」

「どうしたの、奏真」

「いや、死臭がする」

「グールたちのでしょう」

「違うんだ。言い方はおかしいかもしれないけど、“新鮮な死臭”がするんだ」

「そういえば奏真、初陣のときも私より早くグールロードに気付いたわね」

「うん。においがするんだ。変かな」

「いいえ。私もある程度近ければにおいを感じるわ。あなたは多分、感知能力にも優れているんだと思う。――各員に告ぐ、戦闘続行の可能性あり。警戒して」

「はぁ? もうみんな死んだだろ」

「いや待った陽子。僕から見える位置にデカいのがいる」

「デカいの?」

 奏真が訊くと、秋良は答えた。

「サイクロプスだ」

2‐9

「作戦司令部、こちら特務分遣隊ヘルシング及び第十三分遣隊。サイクロプスを発見。これより交戦に入る。なお、グールは殲滅。速やかに避難民の誘導を開始して」

「了解です、瑠奈さん。御武運を」

 秋良が見たというのは、ここから三ブロック先の交差点。移動をしているようで、もう二ブロック先の道路に出ているという。

「いたぞ」

 共に路地を走っていた陽子が静止を促す。足を止めた奏真と瑠奈は、重いものが動く鈍い足音を確かに聴いた。

 そっと路地から顔を出し、覗く。

 確かに、デカい。背丈は優に八メートルを超えるだろう。深い緑の体表をしていて、どこで見繕ったのかこれまた大きな棍棒を持っている。

 頭部には赤い単眼と、乱杭歯が突き出す大きな口がある。

「サイクロプスってなんだ?」

「あれだ。今見ただろ」

「そうじゃなくて、どういう特徴があるのかとかそういうことだよ」

「馬鹿力だが動きが鈍い。一撃貰ったらヤバいが、比較的遅いから追撃が来る前には再生が間にあう。壁際に追い詰められたらおしまいだからな、気を付けろ」

「みんな、戦ったことあるのか?」

「ある」

「あるわ」

「僕も。だから安心して。この面子なら倒せない相手じゃない。特に陽子と瑠奈はソロでこいつを倒してる。――あ、一つだけ」

「なんだ?」

「目が白い光を収束させたら注意して。レーザーを撃ってくる」

「……わかった」

 これまで戦った相手はみな遠距離攻撃手段を持たなかった。サイクロプスは違う。緊張した。上手くやれるだろうか。

 肩に手を置かれた。触れ返す。少し冷たい、瑠奈の手だ。

「安心して。やれるわ。ブラッドバーストの調子はどう?」

「まだ使えそうにない。……なんていうか、感情が大きく膨れ上がったときにしか使えないんだ。俺がまだ初心者だからかな」

「それもあるでしょうけど……そういう効果なのかもしれない。感情によって力が左右されるというのはよくあることよ」

「それって、俺が感情的だってこと?」

「あなたはどちらかというと大人しい方だわ。きっと、感情が静かなんでしょうね。けれどないわけじゃない」

「……? つまり?」

「あなたは過酷な幼少期を経て、きっと感情を抑える術を自ら学んだんだと思う。悪いことじゃないわ」

「……そうか」

「ブラッドバーストが使えそうなら積極的に使って。経験をすればするほど強くなる」

「けど、あれを使った後すごく疲れる。そこを狙われたら……」

「なんのために私たちがいると思ってんだ? 仲間を守るのも仕事の内だ。その分の給料も貰ってる。だから気負うな、ルーキー」

「そうだよ。僕らは仲間だ。見捨てたりはしない。いきなりで、ってのは無理だろうけど、信じてくれ」

「……ああ、信じるよ」

 実際、瑠奈も秋良も、そして陽子も奏真を信じた。最前線へ斬りこんだあの勇気、奏真を守った狙撃。だからさっきの滅葬も上手くいったのだ。

 陽子が大剣を八相に構え、

「行くぞ。滅葬開始!」

 飛び出す。

 こちらを見つけたサイクロプスが吠えた。黄色っぽい唾が飛ぶ。大気が震え、奏真は恐怖を覚えた――が、仲間がいる。忘れるわけではないが、過度に恐れることはない。

 恐れは戦いに必要なものだ、と奏真は短い実戦経験で学んでいた。

 恐れは確かに足を萎えさせ、判断力を鈍らせる。だが恐れがなければ、油断と慢心を生む。

「私がメインで斬りこむ。奏真、お前は隙を見て戦ってみろ。だが無理はするな。手に負えないと思ったら退け」

「わかった!」

 頭上から棍棒。陽子は左に、奏真は右に跳躍して躱す。

 建物の壁を蹴って陽子は宙で身を捻ると、サイクロプスの肩に大剣緑華を叩きつけた。

 巨大なハンマーで岩を叩いたような音がし、サイクロプスの肩が割れ、骨が覗く。が、流れる血が逆流し、傷はゆっくりとだが塞がっていった。

 今の斬撃は、かなり深かった。にもかかわらず再生するとは。

「ダンピール並みの再生力じゃないか!」

 廃車のボンネットを踏み、跳んだ奏真は雷を纏う黒い直刀を振るった。右肩を確かな手応えと共に斬り裂くが、やはり再生。

 ぶうん、と棍棒を振るい、宙にいた奏真を殴った。咄嗟に紫雷の腹を盾にしたが衝撃を殺し切ることはできず、十数メートルも離れた街路樹に叩きつけられた。みしり、と巨木が軋む。

 奏真を狙って、サイクロプスが歩いてくる。骨が折れたのか、体に激痛が走り奏真は動けない。まずい、追撃を躱せない。

 サイクロプスが恐ろしく太い腕を伸ばし――そこに光の狙撃弾が殺到する。表皮が焦げる程度でかすり傷から血の玉が浮かぶ。

 大した傷ではないが、サイクロプスの注意が瑠奈に向かった。

「ヴァンパイアも強力な種になれば相応に治癒力も上がる。けど、私たちの治癒力がそうであるように、限界もある。小さな傷でもいいからダメージを蓄積させて」

 ドクン、と、力強い鼓動が左胸に蘇った。

 これだ。この感覚。ブラッドバーストの予兆。

「ぉおおおおっ!」

 叫び、斬りこむ。素材のわからない棍棒が紫雷を受け止め、左拳が奏真の体をスーパーボールのように吹き飛ばした。その最中、必死に体を動かし迫る廃墟の壁を両足で踏みしめる。

 左拳を振り抜いたサイクロプスの左上腕を、緑の斬撃が躍った。『血装:緑華』は風の刃をその刀身に駆け巡らせ、あの岩の如き頑強さを持つ腕を斬り飛ばした。

 壁を蹴って、突っ込む。狙いは左胸。

「ぐぅっ」

 陽子が棍棒の一撃を大剣の腹で受け止め、地面を擦過する。衝撃が殺しきれないのか左腕の前腕部の半ばから、折れた骨が覗いていた。

 しかし、そのおかげでサイクロプスの左胸はがら空きだ。

 剣を突き込み、雷撃を放つ。

 内側から電撃に焼かれ、サイクロプスの口から悲鳴と焦げた煙が立ち上る。

 しかし奏真が剣を引き抜こうとしたときには左腕が再生していて、まずいと思ったときには体を鷲掴みにされた。だが紫雷だけは意地でも放さない。

 再生し、肉に掴まれていた紫雷が引き抜かれる。

 サイクロプスはそのまま走りだし、奏真をデパートと思われる二階建ての廃墟の壁に叩きつけた。二度、三度――鉄筋コンクリートが砕け、奏真は廃墟の中を転がった。

「ぐっ、ぁあっ!」

 蹲って血を吐き、剣を杖にどうにか立ち上がる。遅すぎた、と気づいたのはサイクロプスの目を見た瞬間悟った。

 光が収束している。

 奏真が横っ飛びに転がった。秋良の狙撃がそれに重なり、射線が逸らされる。

 両者の動きがなければ、奏真は下半身を失っていただろう。

 白い熱線はデパートの壁面をなぞり、酸を浴びせたように舐め溶かしていった。

「大丈夫かい!?」

「なんとか……」

 怒号と同時に棍棒が突き込まれる。その直撃を貰った奏真はコンクリートの柱に激突し、露出していた鉄筋に肉を抉られた。

 痛みに顔をしかめ、それでも鼓動が確かに強く脈打っているのを感じると、デパートから飛び降りた。

 信号機の上に立ち、サイクロプスを睨む。

「来いよ」

 不思議なことに、負ける気がしなかった。

 サイクロプスが重い足取りで走った。ずんずんと大地が震える。

 割れたアスファルトに生える雑草が、ビルに巻き付くツタが文句を垂らすように振動する。

 棍棒が信号機を粉砕する直前、奏真は跳んだ。

 空中で身を捻り、鼓動が最高潮に達した瞬間、

「おおおおおおおっ!」

 ブラッドバースト。

 直刀が回転鋸に変貌し、獰猛な回転音を響かせる。

 落下軌道にある奏真の先には、無防備なサイクロプスの頭頂部。

 突き立てた。

 肉を、筋肉を、骨を脳組織をシェイクし、傷口から黒い血を溢れ出させる。

 サイクロプスがでたらめに暴れる。棍棒を手放し、奏真を引き剥がそうとする。

 ぐ、と紫雷を押し込んだ。

「廻れッ!」

 遠雷のような音が轟いた。

 紫紺の雷光がサイクロプスを縦一直線に貫き、焦げた臭気を立ち昇らせた。

 ぐるん、とサイクロプスの目が裏返り、後ろ向きに倒れる。

 奏真は剣を引き抜き、飛び退いた――

(…………!)

 ずる、となにかが伸びた。

 そのなにかに突き飛ばされ、奏真は地面を転がった。

「なんだ、あれ……」

 陽子が“それ”を見て、明らかに冷や汗とわかるものを浮かべた。

「奏真! 陽子! 退いて!」

 なにを、と思って顔を上げ、奏真は思わず、

「お前、は……」

 思わず、

「お前はぁぁああああああっ!」

 空間を捻じ曲げ現れた、黒い闇そのものといったようなローブに身を包む三メートルほどの巨人を睨み、奏真は咆哮した。

 手に持つのは、断頭剣エクセキューショナーズソード――処刑人の剣といわれる、切っ先が平坦な首切り用の剣。

 その目は――蒼い。

「ああああああああっ!」

 チェーンソーが悲鳴のような唸りを上げ、袈裟に振り下ろされる。発光も帯電もしていないが刃の回転数は充分。それを、蒼目のヴァンパイア――始祖は、断頭剣で受け止めた。

 鍔迫り合いにもならなかった。

 奏真の剣が、切れた。

「っ!?」

 折れた先が黒の霧となり折れた断面に吸い込まれ、再生する。

 しかし、今のは物理的な拮抗で叩き折られた、という感じではなかった。

 なにが起きたのか。

「奏真! 退くぞ!」

「陽子……けど、あいつは――」

「始祖だぞ! 私たちじゃ勝てない! フラッシュバンで目を眩ませる。目と耳を閉じて口開けてろ!」

 陽子が腰から円筒缶を抜き、点火ピンと安全レバーを抜いて投擲。

 直後、脳味噌を直接揺さぶられるような衝撃が辺りを襲った。

 奏真はこの隙に追撃を――と考えたが、それは叶わなかった。奏真の動きを読んでいたのか陽子が奏真を担ぎ、強引に引き離していた。

「放せ!」

「ふざけるな! あんなのとやってたら殺されるぞ!」

「あいつは父さんと母さんの仇だ! 俺が――俺が殺して――」

「気持ちはわかる! だけど今は無理だ!」

 気持ちはわかる、だと。

(お前なんかに!)

 怒鳴ろうとしたとき、秋良の台詞が頭にこだました。

 陽子も弟を失っている。

「…………っ!」

 彼女にもわかるのだ。奏真の気持ちが。けれど、それでも仲間を死なせないために撤退の決断を下した。

 せめてもの攻撃は、睨みつけることだけ。

 きょろきょろと辺りを見渡している様子を確認できた。まるで人間のように振る舞うその姿に、底知れぬ怒りを抱いた。

(クソッたれ)

 奏真の手の中で、回転鋸が悲しげな音を立てて回転を止めた。

2‐10

 血盟騎士団ビル最上階に、その部屋はある。

 権蔵寺隆一のために設えられた支部長室だ。

 特務分遣隊ヘルシングと第十三分遣隊の四人は黒檀の執務机の向こうの革張りの椅子に座った支部長と対面していた

「ふむ……空間を捻じ曲げて現れた、黒い始祖か。万里恵」

「はい」

 漆原万里恵しのはらまりえ。支部長の秘書は、立体映像を投影するデバイスを起動して何枚かの画像を表示した。

 縮尺はよくわからないが、実際に見たものが確かなら、それらは全て三メートルはあるということになる。カラーのもの、白黒のものと合わせ十数枚の画像が宙に浮かぶ。

「第十一位始祖『闇統あんとうのゾーク』。こいつだな。十三年前、この支部を襲ったこともあるからこの付近に潜んでいることはわかっていたが……まさか作戦中に出くわすとは」

「あいつは、父さんと母さんの仇だ」

 血に飢えた獣のように吐き出す奏真に、分遣隊の三人の誰もが困惑の視線を向ける。

 大人しく、感情の波は穏やかで、冷静に見える。それが奏真の第一印象だったのに、それが今はどうだ。どちらがヴァンパイアかわからないほど目を血走らせている。

「十三年前に起きたこいつの襲撃で、西区で二十九名が死んだ。その中には、獅童奏一郎、獅童風真しどうふうまも含まれていた。獅童くんのご両親だな」

 支部長はやれやれ、と言いたげに首を振った。隆一に代わって、万里恵が説明する。

「ゾークはその後、時折偵察部と問題を起こしていましたが、比較的大人しく、攻撃を仕掛けてくるという様子はありませんでした」

 そうして、静かにその可能性を告げる。

「まるで時期を窺っているかのように。あるいは、傷を癒すためか」

「十三年前、ゾークは当時我が支部で一番だった旧第十六分遣隊によって、大きな傷を負ったのだ」

 旧、という言い方が気になるが、その答えを彼は口にした。

「残念ながら旧第十六分遣隊は壊滅したが、そのおかげでこの十数年、少なくとも始祖からは平穏を取り戻した」

「それが、戻ってきた」

 瑠奈が言うと、隆一は重々しく頷いた。

「今この支部に、始祖と対峙できる部隊はいないんですか?」

 秋良の質問に、万里恵が困惑の表情を浮かべた。

「五指に入る分遣隊を全てぶつけても、よくて相討ちでしょう。効率的ではありません」

「俺が倒す」

「奏真……?」

 瑠奈が不安げな声を漏らした。それまで掴んでいた奏真という人物像を見失いかけているのだ。無理もない。

「獅童くん……」

「第三世代ダンピールの特殊な力とやらでも、なんでもいい。あいつだけは俺が滅葬する」

「復讐かね」

 隆一の声には冷ややかな響きがあり、奏真はそれがいやに頭に来た。

「なにが悪い!? 誰も彼もがあんたみたに恵まれて育ってるわけじゃないんだぞ! 俺は……俺から日常を奪っていったあいつが許せない」

 瑠奈が前に出る奏真の体を押さえる。それでも奏真は前に出て、机を叩いた。

「こんなところで立ち止まってちゃ、父さんと母さんの死が無駄になる!」

「奏真!」

 机に身を乗り出した奏真の袖を掴んだ瑠奈は、奏真の代わりに非礼を詫びた。

「すみません、教育が行き届いていませんでした」

「いや、いい。私も配慮が足らなかった」

 一呼吸おいてから、隆一は奏真に訊ねた。

「君の気持ちを易々とわかる、と言えるほど、私も浅薄浅慮ではない。だが、今の君にあれを倒せるだけの実力があるかね」

「それは……」

「……まあ、いずれは知らなければならないことだ。万里恵、あれを見せてあげなさい」

「わかりました」

 デバイスを操作し、動画を流す。

「『血装憤激ブラッドラース』。これから見せるのは、第三世代ダンピールのみに許された血の力の神髄だ」

 動画が始まった。手ブレが酷いが、一人の青年が映し出されているのがわかる。赤髪のロン毛で、インバネスコートを身に纏っている。歳は多分奏真より上だ。

「空閑朔夜。二番目のパンドラ計画被験体にして、最初にブラッドラースを発現した第三世代ダンピールだ」

 廃墟の一角で、朔夜らしき人物が戦っている。手には赤い紋様が走ったシルバーの大口径大型拳銃を左右に計二挺。

 銃剣が付いているのでなんだろうと思ったが、よく見ると多分、そのモデルはM500だろうと予測できた。

 敵は三体のサイクロプス。

「記録を取る、ブラッドラース発動せよ」

 無機質な声がしたかと思うと、突如朔夜の体を赤い炎が包み込んだ。

 ごうごうと燃え盛る火炎の中で、朔夜の体は変化していった。

 炎が朔夜の体にまとわりつき、銃と同じ赤い紋様を刻んだシルバーの鎧を形成する。背中には一対の翼が、両腕は大砲のように変形する。

 翼から炎を噴射し、朔夜が飛ぶ。その速度は戦闘機と同等かそれ以上。明らかにマッハ二以上は出ていた。

 空に赤い軌跡を生む影が、爆撃する。恐らく両腕の大砲で撃っているのだろう。その砲弾の威力もまた桁違いだった。

 たったの一撃で、サイクロプスのあの頑強な体に穴が開く。しかも再生しない。

 ものの数秒で、終わった。それは戦いと呼ぶにはあまりにも一方的な、蹂躙だった。

 降り立った朔夜は自分の意思か制限時間を迎えたのか知らないが、ブラッドラースを解除した。炎が舞い、手の中で二挺の銃剣付きの拳銃に戻る。

 動画が終わった。

「今のが……」

 奏真が呟きを漏らすと、隆一は頷いた。

「そう、パンドラ計画で生み出された君たち第三世代ダンピールに宿る、ブラッドアームズの真の力だ」

「俺にもあんなことが?」

「まったく同じとは言えんがね。元となった始祖、そして君の血装によって効果は変わるだろう。だが、もし君がブラッドラースに目覚めることが出来たなら……」

「ゾークも、倒せるかもしれない……」

「そうだ。だが戦いに確実はない。ブラッドラースと始祖が激突した記録はこれまで一度もない。どちらが上かはまだわからんのだ」

「ブラッドラースはどうしたら使える?」

「わからん。あの動画の朔夜も『わからない』と言っていた。任務中、死に瀕して、気付いたらあの力を振るっていたとのことだ」

 死にかけることがブラッドラース発動の条件では、と思ったが、多分違う。それが発動条件なら、奏真も、そして四年の戦歴を持つ瑠奈もブラッドラースに目覚めているはずだ。

 わからない。わからないが、なにかあるのだ。目覚めるきっかけとなる引き金が。

「しばらく偵察部には注意をさせんとな。始祖が動き出したとなると、少々厄介な事態だ。最悪本部に掛け合って、朔夜を派遣することも考えねば――」

「必要ない」

「獅童くん……」

「あいつは、俺が倒す」

     ◆

「少し、驚いたわ」

 自室。ベッドの上で白いキャミソールに着替えた瑠奈は、テレビで放映されている動物特集に目を向けたまま、コーラを飲むジャージ姿の奏真に突然そう言った。

「え?」

「あなた、大人しそうだったのに、急にあんなに激しく感情を見せたから」

「……誰だって、大切なものを奪われれば、ああなる」

「そうかしら」

「君にはないのか? 大切な人を傷つけられたことが」

 言ってから、奏真は言うんじゃなかった、と後悔した。彼女は両親に売られた、と言っていた。大切な人に裏切られているのだ。

 目を伏せて沈黙する瑠奈に、奏真は言葉を探し、しかし結局当たり障りのないものしか言えなかった。

「……ごめん」

「いえ……私も、大切な人を失くしたことがある」

「両親?」

「違うわ。あんなの、どうでもいい」

 飽くまでも視線はテレビに向けたままだ。感情は読み取れない。

「戦友を、去年失った」

「……そうか」

「親友だった。掛け値なしにそう言える。ちょっと鬱陶しいけど、大切な人だったわ」

 僅かな沈黙の後、瑠奈はテレビを消し、布団に潜り込んだ。こちらに背を向ける。

「でも私は、復讐心とか、怒りとか、そういう前向きな感情を抱けなかった。後ろ向きな、悲しみと絶望だけを感じた。そしてそれも、無駄なものなんだって学んだわ」

「無駄なんかじゃない。悲しみも、絶望も……意味があるんだ。悲しいから、つらいから、人間は前に進むんじゃないか? それを糧に、成長するんじゃないか?」

「なら私は成長が止まったのかもね。あれ以来、仲間を作る意味すら見出せなくなった」

「……俺は、仲間だと思えないか?」

「どうかしらね。口ではなんとでも言えるわ。けど、本心では……。……ごめんなさい、もうやめましょう、こんな会話。眠たくなってきたわ」

「……もう十時だもんな。おやすみ」

「ええ」

 電気を消し、奏真も布団を被った。

 しばらく目を閉ざし、睡魔に身を任せたが、一時間経っても眠れなかった。

 隣からも、寝息は聞こえない。

「なあ、瑠奈」

「なあに?」

「俺さ、もっと……もっと強くなりたい。復讐を遂げたいってのもあるけど。やっぱりさ、俺みたいな思いをするやつは、もう必要ないと思うんだ」

「……奏真は、充分強いわ」

「初陣でブラッドバーストを使えたってだけじゃ……」

「そうじゃない。あなたの心は……魂はもう充分に強い」

「まだまだだ。今日だって、感情に流されたのに……」

「私は、奏真みたいに前を向くことができない。けど、あなたはつらい思いをしても負けずに前を見据えてる。それが強いというのよ」

「君は……瑠奈は、なにを抱えてるんだ?」

「もう遅いわ。寝ましょう」

 会話は、それっきりだった。

     ◆

 ゾークは、逃げていた。

 名前も知らない、けれど『始祖』の血を引き継いだあいつらから。

 残る始祖は、もはやゾーク“だけ”。ほかは、みんな狩られた。

 その道中、ゾークは興味深いものを見つけた。

 同胞――第七位始祖『紫電のハンク』の血を引いたあの少年。

 恐らくあれが、ゾークを追う者のたち『要石』であり、ゾークがあいつらから逃れられるための『楔』だ。

 あいつを殺せば、ゾークはやつらにとって無用の長物と化す。長らく得られなかった安寧が戻る。

 だが、ゾークも完全ではない。十三年前、ある人間――ダンピールではない、普通の人間――に打ち込まれたなにかが、魂を阻害している。力を十全に発揮できない。

 これは、後に明かされる。

 ゾークに打ち込まれたものが、ヴァンパイアを生み出した元凶であり――

 それが、奏真にも打ち込まれていることを。

 人間に宿る、二十一グラムの魂。

 かつて、それに物理的に干渉し、永遠の命を得られないかと研究した民間企業があった。

 姫宮堂。

 ヴァンパイアを生み出す原因となった『ソウルエンジン』を生み出したのは、獅童奏一郎という若き研究者だった。

 これは因縁を清算する物語。

 世界を血に溺れた腕で救世する物語。

 獅童奏真と、神代瑠奈の、血の轍。

3‐1

 三河湾。渥美半島と知多半島というかいなに抱かれる、愛知県が擁する恵みの海。

 しかしそれも、ヴァンパイアが巻き起こす物理的な環境の書き換えによって、変貌を遂げていた。

 凍っているのだ。

 東側の渥美湾は、完全に氷に閉ざされ、天候も悪い。年中雪が降り、ときには吹雪くこともある。

 二〇二〇年代に入り、通信技術は飛躍的な進化を遂げた。おまけにヴァンパイア出現という動乱の中で磨き上げられた通信技術は凄まじく、旧来の電波技術を遥かに凌ぐ。

 端的に言えば、より少ない中継基地で広範囲をカバーできるようになったということだ。

 奏真は通信技術についてよく知らないから、ブリーフィングでそんな説明を受けてもピンと来なかった。

 だが戦場で通信を普通に行えるのは、この電波技術の向上に支えられているからだと言われて少し感心した。望む望まざる関係なく、奏真たちはこの技術の恩恵を受けている。

 今回の任務は、そんな電波通信技術の要――旧蒲郡市にある電波中継基地を防衛する戦いに参加せよとのことだった。

 件の蒲郡には豊橋にある東海支部が監督する『血盟騎士団・蒲郡分団』があるらしく、戦場となる中継基地を所属している十数名のダンピールが交代で見張っているとのことだった。

 派遣されたのは六名。特務分遣隊ヘルシングと第十三分遣隊、そして事前に到着している第三十八分遣隊。

 奏真たちを乗せたヘリが、展開した超強化特殊透明装甲のドームの中央、血盟騎士団の居城のヘリポートに降り立つ。居城、とはいうもののその規模は東海支部より小さい。

 しかしそれでも、この蒲郡分団には一万人近い人間がいる。東海支部の三十二万に比べると規模は小さいが、それでも数多くの人間が生きている。

 それに対して、ダンピールは十四人というのだから、凄い話だ。こうしてよその支部から応援を送るのもわかる。

 中継基地の防衛に夢中で分団が襲われました、では笑い話もいいところだ。基地防衛と分団防衛の両方に人員を割かなければならないとなると、当然外部から増援を送ることになる。

 蒲郡分団は、雪が降りしきる銀世界の中にあった。ドームがあるから街中に雪が積もることはないが、見上げれば重苦しい灰色の雲が広がり、飽きることもなく白い粉を降らせる。

 少し寒いな、というのが奏真の第一の感想だった。しかし、慣れないほどではない。ダンピールになってからというもの、温度にも適応できるようになっていた。

 火山に行ったこともあるが、汗を少しかいたくらいで、すぐに慣れた。

「皆さん、よくぞおいでくださいました! これから分団長室にご案内します!」

 先導の職員に従い、支部内に入る。

 あの始祖との出会いから二週間。戦いがなかった日はない。任務がない日は――つまり休日は当然あるのだが、奏真はその間もホログラム訓練を行った。

 全てはゾークを討つ為。

 しかし、あれからゾークの目撃はされていない。どこかに身を隠しているのか、東海地方から去ったのか。

 分団長室に招かれ、奏真たちはこの分団を取り仕切る飯田茂いいだしげるが発言するのを待った。

 しげる、とは名ばかりで、実際はつるんとした頭部をしているが、そこは気にしないことにした。

「君たちが特務分遣隊ヘルシングと、東海五指に入る第十三分遣隊か」

 四十後半の神経質そうな茂は、懐疑的な目で奏真たちを見る。

 まあ、わからないでもない。最低十六歳、最高齢でも二十四歳。

 自分の息子か娘かという程度の年頃の人間が『あなた方を守ります』と言ったところで、どれくらいの人間がまともに取り合うだろうか。

 まして相手は旧時代の、年功序列が絶対だった時代を知る年齢だ。子供、といっていい年代の戦士がいること自体疑問だろう。

 この日本という国では、少年兵などいなかった。年若い子供――十二歳前後の子供までもが戦場に立つことに反感を抱く者もいる。

 僻みもあるだろう。大人の自分が苦しい生活をしているのに、子供如きが特権階級のように扱われ、贅沢な食事と嗜好品を貪るのだ。

 年功序列を知る年代にとって、これは耐えがたい屈辱だろう。

 だが、それでも誰かが戦わなければ、この世界は滅びる。

 実際、オーストラリアは滅んだ。

 子供に戦わせてはならないという団体が反乱を起こし、支部機能を混乱させた。

 そこにヴァンパイアの襲撃が重なり、ダーウィン、ケアンズ、シドニーの各支部が滅んだ。

 そういうわけで、今やオーストラリアは数世紀前と同じく、前人未踏の不毛な大地と成り果てている。

 ドローンからの情報によれば、やはりヴァンパイアによる物理的環境侵食が起きているようであり、砂漠地帯がジャングルに変貌しているらしい。

 ほかにも雪原地帯があるとか、活火山が活動している場所があるとか言われている。

 それはさておき。

「はい、僕たちが特務分遣隊ヘルシング及び第十三分遣隊です。現在こちらでは合同分遣隊という呼称で活動させていただいてます」

 当たり障りなく、穏やかな声音で秋良が切り出す。

「僕、芳崎秋良が分遣隊長を務めさせていただいております」

「ふぅむ……」

「安心してください。僕は七年、こっちの緑の髪の女は十年、こちらの白い子は四年のキャリアを持っています。単独でも、この分団の隊員に後れを取ることはないでしょう」

「そっちの紫の目のやつは?」

「彼は獅童奏真。第三世代ダンピールの適合者です。まだ適合してから半月ほどしか経験はありませんが、恐らくこの隊のエースと言っても過言ではないでしょう」

 それは言い過ぎじゃないか、と思ったが、会話をこじれさせるだけなのでやめておいた。ときには嘘も方便である。

「そうか……」

 秋良がどんな人生を送ってきたかは知らないが、彼は人を宥めたり、説得したりというのが非常に上手い。

 気の荒い陽子がほかの隊員と一触即発の事態に陥っても、彼が間に入ると大体話が丸く収まる。

 奏真も瑠奈も、基本的に都合の悪いことが起きれば無視する。

 ゾークとの遭遇、撤退を冷やかす者がいても怒りを飲み込んで徹底的に無視するが、秋良はそれでさえも上手く説得してのける。

 この二週間、何度か奏真がキレそうになったこともあったが、その都度秋良が上手く宥めてくれるのだった。

 相手のことはどうあっても許せないが、秋良がそう言うなら、と不思議と怒りの矛を収めることができる。

「君たちのことはわかった。信頼もしよう。隆一がわざわざ太鼓判を押してまで送ってきたのだからな」

 茂と支部長は旧知の仲なのか、分団長は一瞬親しげな笑みを浮かべた。

「さて、概要は既に頭に入っていると思うが、諸君らに依頼するのは中継基地から二キロ先の氷海に組織されつつある『コロニー』の殲滅だ」

 ヴァンパイアはときどき、種族の垣根を越えて軍団を組織することがある。それを人類はコロニーと呼ぶ。

 大抵は、単純なものだ。大型――つまりは強力なヴァンパイアの食べ残しを食い漁るためにグールやランダイナスなどといった小型種がコバンザメのように追従するのだ。

 ヴァンパイアに全く知能がないわけではないというのは周知だが、しかし高度な作戦を立てられるほど頭がいいともいわれていない。

 コロニーとはつまり、それを構成している種族が違うだけの、群れのようなものだ。

「偵察のドローンが捉えた画像によれば、相手はスコルピス及びランダイナスのようだ」

「スコルピス……サソリみたいなヴァンパイアだな」

 あらかじめ東海支部で説明を受けていたから、知っている。巨大な青緑色のサソリだ。全長十七メートル、全高四メートルの、文字通りの化け物である。

 槍のような尾と鋼をも切り潰す鋏を持つ大型ヴァンパイア。

 一方でランダイナスは、走るワニというくらいのヴァンパイアだ。

 鋭い牙と爪、モーニングスターのような尻尾は脅威だが、グール同様雑魚と呼ばれる種である。もう交戦歴もある。気を付けるべきはスコルピスだ。こちらとはまだ戦ったことがない。

「諸君らの部屋を用意している。居心地は悪いかもしれんが、我慢してくれ。明日の一三〇〇までに屋上ヘリポートに集合するように」

3‐2

 地下二階の居住区画。その食堂で、奏真と瑠奈は遅めの昼食を摂ることにした。秋良と陽子は先に部屋を見に行くとのことで、別行動を取っていた。

 昼はハンバーガーにチキンナゲット、フライドポテトというジャンクの王道のようなものだったが、奏真には嬉しかった。

 外部居住区にいた頃には食べられない豪勢な食事ということに変わりはない。

 フィッシュフライにするか、照り焼きにするか、オーソドックスなハンバーグにするかで悩んだが、奏真はフィッシュフライを選んだ。

 瑠奈はどれでもいい、というようにハンバーグを選ぶ。

 席について、手を合わせる。

「いただきます」

「……いただきます」

 まずは一口ハンバーガーへ……といきたかったが、喉が渇いていたのでコーラで潤す。

 そうして、迷うことなくハンバーガーにかぶりつく。

 ふんわりしたパンと、しゃきっとした千切りキャベツ、タルタルソースとフィッシュフライのさっくりした衣としっとりとした白身魚の味が口の中で跳ね回る。

 唇についたソースを舐め取り、もう一口齧る。

 瑠奈はフライドポテトを口に運び、ぼうっと外を見ている。見えるものはほとんどない。ジオフロントなのだから当然だ。

 窓から見えるのは地下都市を構築する建材と、それをリモート管制で整備する作業アームくらいである。おかげで重機を動かしているような、ごんごんという重苦しい音がしている。

「おやおや、誰かと思えば期待の新人くんに、『同胞殺し』の神代くんじゃないか」

 聞き慣れない、気障な声がした。声音は明らかに喧嘩を売る者のそれで、うんざりした。

 奏真は咀嚼し、嚥下してからそちらに振り返る。即座に振り返ってやるだけの価値もない。

 そこにいたのは、二人の男。スーツ姿だからダンピールだとわかる。気障ったらしい笑みを浮かべる、黄緑の前髪が顔にかかった男と、無言で佇む茶髪の巨漢。

「あんたら、誰だよ」

「ははっ、こりゃあさすが期待の新人くん。仲間なんて覚える価値もないと?」

「誰だと聞いてる」

 聞きながら、奏真はしかしさして興味を持ってなかった。チキンナゲットを口に入れ、さっさと名乗るなら名乗れ、というくらいの気持ちでその仕草を見ていた。

 気障な方の顔が、ピクリと震えた。

「僕の名前を知らない? それでよくもダンピールが務まるね。僕のパパは――」

「お前の親父じゃない。お前が誰かを聞いてるんだ。顔だけじゃなくて、耳まで悪いのか」

 平均的な顔である、と自負している自分を棚に上げさせてもらえば、気障はどこまでも低俗な顔をしていた。

 猿顔だ。秋良が冗談半分で見せてきた、旧時代のイケメンゴリラの方がまだ気品があったように思える。

「調子に乗るなよ、たかが一つ世代が違うくらいで! まあ、君も気を付けることだね。同胞殺しの神代に背中から撃たれないようにさ」

 気障が嗤う。その顔を、叩き潰してやりたくなった。

「お前に瑠奈のなにがわかる!」

 椅子を蹴飛ばして立ち上がった奏真の相貌を見て、気障はたじろいだ。殴られるとでも思ったのか、腕で顔を覆っている。

 同胞殺し。

 その呼び名は、この二週間何度か聞いたワードだ。気になるが、訊いてはいけない気がして誰にも口にしていない。

 だが瑠奈のことを蔑称しているということだけは明らかであり、当然仲間を侮辱されているわけで、怒りが湧く。

 瑠奈は、そんなやつじゃない。同胞殺しという言葉が差すような人間ではない。

「奏真。いいわ。放っておきなさい」

「けど……こいつ」

「いいのよ。いつの時代にもいるものよ、他人を踏みつけにしないと自分の立ち位置すら満足に確かめられない幼稚な人間っていうのは」

 気障のこめかみに青筋が浮かぶ。

「同胞殺しが……調子に乗るんじゃ――」

 瑠奈に歩み寄っていき、拳を振り上げる気障を見て、奏真は一発思い切り蹴飛ばしてやろうかと踏み込んで、

「ほらほら、仲間同士での喧嘩はご法度だよ」

 いつの間にか現れた秋良が右手で気障の拳を、左手で奏真の胸をぐっと押す。信じられないほど強い力で、奏真は数歩たたらを踏んだ。

 気障の方は顔を真っ赤にして無理矢理に拘束をほどくと、ふん、と鼻を鳴らして巨漢の隣に引っ込んだ。

「就寝時以外、僕らの目にはCLDが装着されてる。義務だからね。つまり作戦行動中及び休日以外の日常生活は全て監視されている。喧嘩となれば売った方も勝った方も懲罰房入りだ」

「そ、そんなことわかってる! けど僕のパパは――」

「ご両親に賄賂でも払ってもらうつもりかい? 残念だけどうちの支部長はそういうのを良しとしない清廉潔白な方だ」

 気障がう、と言葉に詰まった。

「君は懲罰房に入るだけでなく、そのせいでお父上の立場までをも危うくするかもしれないんだよ」

「…………っ、行くぞ!」

「はい」

 気障と巨漢がそろって食堂を出ていく。

「あいつら、なんだったんだ」

「第三十八分遣隊だね。あの気障ったらしいやつは、父親が血盟騎士団東海支部の上層部の人間で、それをいいことに威張り散らしてる」

「同胞殺し、とか言ってた。この前も言われたことがある。この二週間、何度か……」

「それは……」

「気にしなくていいわ。奏真。ただ、昔私がパートナーを殺そうとしたことがあっただけ」

 唐突に放たれた爆弾発言に、奏真は凍り付いた。

「……え」

「安心しろ、なんて言って安心はできないかもしれない。けど私はもう仲間を見捨てたりしないから。あなたが信じなくても、それでいい」

 冷たく突き放すその顔には、なんの感情も浮かんでいなかった。ただただフラットに、なんでもないように続ける。

「奏真は私なんかと組まされて不本意かもしれないけど……嫌なら、私が部隊編成を見直すように掛け合うわ。だから、この作戦だけは我慢して」

「違う、嫌ってわけじゃない。だけど……瑠奈、なにがあったんだ?」

「それについて話すことはないわ」

 相変わらず冷たく、そっけなく言って、瑠奈は食事に戻った。

 奏真はなんとなく居心地の悪さを感じながらも、やはり黙って食事に戻った。

 秋良はなにか知っているようだったが、なにも言わない。

 この件については、こっそりとリリアあたりに訊いてみるのがいいかもしれない。

 知らないままでは、いけないことだ。

 これは多分、知るべきことなのかもしれない。

 たとえどんなにつらく、冷たい現実が待っていようと受け止めなければならない。

 それは多分、瑠奈のためにもなる。

 彼女の抱えているものの大きさはまだわからないが、自分がそれを少しでも肩代わりできるのなら、そうするべきだ。喜びも苦しみも、どちらも分かち合ってこその仲間ではないか。

 奏真はそう思った。

3‐3

 サイドハッチを開け放ったヘリの向こうに、水色の氷の大地が広がってる。隆起陥没を繰り返したのかその大地は平坦ではなく、立体的だ。

 奏真は何度か立体機動訓練を受けていた。

 簡単に言えば、アスレチックのような障害物を設けたステージを、前世紀ならアクロバティックな動きと称される動作で踏破していくというものだ。

 以前秋良が跳躍だけで軽々とビルを上ったように、奏真もその、きっと必要になるであろうスキルを身につけようとした。

 結果は、まあまあ、といったところだ。百点満点中七十五点くらいの動きはできるようになったと思う。

 眼下には三体のランダイナス。上顎、背中、尻尾が緑のごつい皮で覆われており、腹は白いが、これもまた硬そうだった。

 強靭な後足二本で氷海を踏みしめ、萎びた前足には左右合わせて六本の爪。尻尾の先端は棘だらけの鉄球のように膨らんでいる。

 ヘリのローター音に負けぬように、操縦士が通信機越しに話しかけてくる。

「この付近です!」

「了解。私たちが先行するから、滅葬が終了するまで安全圏まで退避していてちょうだい」

 瑠奈がアイコンタクトを送ってくる。降りるぞ、という意味だとすぐに気付いた奏真は、真っ先に二十メートル上空から飛び降りた。

「『血装:紫雷』……滅葬開始」

 落下ざま、ぐるんと回転。足を下にして雷撃を纏い高速振動する剣を大上段に振りかぶり、

 着地と同時に、一体を斬る。

 脳天を叩き割られた一体は悲鳴も上げず昏倒。残る二体が即応し、食らいついてくる。

 奏真は後ろへ跳んでそれを躱し、黒い直刀を右逆手に構え直すと氷の大地を蹴って急接近。

 一体の喉を抉り、腹を裂いて臓物を引きずり出し、体当たり。バランスを崩して黒い血を撒き散らす一体の頭部に紫雷を突き立てた。ヴァンパイアの血は、どんな種であれ黒い。

 最期の一体が尻尾を振るう。奏真はそれを跳んで避け、ランダイナスの背中に着地すると同時に逆手に構えた紫雷を背中に突き刺した。

 背骨を断ち割った確かな手応え。順手に持ち直し、そのまま胴を輪切りにする。

 体を真っ二つにされたランダイナスは、それでも動いた。

 ヴァンパイアの弱点は心臓か脳だが、上位種――大型だったり強かったりする個体だと、ハートショットやヘッドショットを決めても再生することがあるから注意が必要だ。

 僅かでも動くのなら、失血死を待つより確実に殺した方が安全なのだ。

 なので、奏真は躊躇いもなくランダイナスの脳天に直刀を突き立てた。

「滅葬終了。降りてきていいぞ」

 ヘリが高度を落とし、着陸態勢に入る。が、合同分遣隊の三人は着地するのを待たず、五メートルほど上空から飛び降りた。全員、既にブラッドアームズを起動し、血装を握っている。

「ここから一キロ先が、敵陣。道中は多分、斥候の役目を買って出たランダイナスたちと遭遇するかもしれない」

「今みたいにか?」

「ええ。でも、距離があるなら私と秋良の狙撃でどうにかなる。奏真と陽子はスコルピス戦まで体力を温存しておいて」

「でもお前らも戦うんだろ?」

「そうは言うけど、実際僕らの火力じゃスコルピスに大したダメージを与えられないんだ。ブラッドバーストを使えば別だけど、その後の消耗を考えると全員で使うわけにもいかない」

 吹雪の中、秋良が続ける。

「敵陣はスコルピスだけじゃないからね。大物を倒しはしたけど雑魚に追いすがられて死にましたじゃ意味がない」

「そういうこと」

「スコルピス戦では僕と瑠奈は雑魚の掃討にあたる。大物は君らに任せるよ」

「任せろ」

 陽子が意気揚々と笑う。あの余裕が少し羨ましい。

 鶴翼陣形を組み、四人は進軍を開始した。前二人は奏真と陽子。その左右の少し離れた位置に瑠奈と秋良が続く。

 氷の棚のような大きな壁を駆け上り、或いは降りたりしながら進んでいく。かつては海だったそこを、平然と歩いていく。

 肌を切るような冷気にも慣れてきた頃、散発的な滅葬を繰り返してきた一行の目の前に氷山が現れた。

 小山のように盛り上がるそれは口が開いていて、洞窟のようになっているのを確認できる。

「ここが連中の根城かしら」

「かもな。死臭は、この先からする」

 感覚の鋭い奏真の嗅覚は、確かにこの先にヴァンパイアがいることを嗅ぎ取っていた。

 ちなみに奏真――ダンピールのみに嗅ぎ取ることができるヴァンパイアの死臭とは、所謂腐敗臭というやつではない。

 得体の知れぬ、言いようもない不快な香りだ。あるいはそれは、やつらが根源的に持つ食欲とか、場合によっては殺気とかと言われるものかもしれない。

「作戦司令部、こちら合同分遣隊」

「はい、なんでしょう」

 東海支部の榎本久留巳の声が耳朶を震わす。

「氷海に洞窟を発見した。第十三分遣隊を周辺警護に当たらせ、我々ヘルシングは破壊工作に移る。爆薬の使用許可を」

「了解です。プラスチック爆弾の使用許可を出します」

 人類が遺したものは、廃墟であれ廃工場であれ、旧時代の文明の名残だ。戦闘でやむなく壊れてしまう分には仕方がない。

 だが人為的に破壊する行為は禁止とまではいかなくても、行ってはいけないものだという暗黙の了解が出来上がっている。

 そのため、強力な爆薬を用いる際は、作戦司令部からの許可がいるのだ。

 しかし、なぜ爆弾を使おうというのか奏真には理解できず、瑠奈に訊く。

「なんで爆弾なんて使うんだ」

「いぶり出すのよ。家を壊して、混乱させる」

 ポーチから小型の高性能プラスチック爆薬を取り出す。拳に収まるサイズでありながらその威力は凄まじく、ぶ厚い鉄板や鉄骨を簡単に圧し折り吹き飛ばすほどだ。

 破壊工作――障害物で分断された道路の確保や、敵軍侵攻を防ぐため橋を落とす、木を倒して障害物とするなどの行為も行うことがあるため、全員がこの爆薬を持っている。

「秋良と陽子はこの周辺を警戒。近づくヴァンパイアを足止めして」

「わかったよ。そっちは任せる」

 と言って、秋良と陽子は爆薬の詰まったポーチを外し、瑠奈に渡した。

 如何に強力な爆薬とはいえ、ヴァンパイア相手では驚かせる程度の使い方しかできない。

 最新主力戦車を一撃でゴミ屑と化すレールガンでさえヴァンパイアを殺せないのである。最初の頃は効いていたそれも、今では無用の長物だ。下手をすれば貫徹さえせず、吹き飛ばすのが精々であったりすることさえある。

 貫徹したとしても、即座に再生を許す。ヴァンパイアを傷つけられるのはダンピールかその血装、そしてソウルアーツのみだ。

 そのため爆薬など破壊工作をしないヴァンパイア狩りが持っていても意味のないものだ。作戦遂行に使おうとするものに託すのは、別におかしなことではないのだ。

 瑠奈は爆薬に接続された機器を操作し、爆破の際の電気信号を己の起爆装置に合わせる。奏真のものもそう設定された。

「奏真、先頭を任せるわ」

「ああ」

 そのとき、昨日の『背中から撃たれる』という言葉を思い出し、奏真は嫌な気分になって首を振った。

 あの気障野郎に腹が立つ、というのもあるが、それ以上にあんな言葉を少しでも真に受けようとした自分に怒りが沸いた。

 氷の洞窟には、水が流れていた。氷の柱がいくつも立ち、冷気を充満させている。

 瑠奈は壁面、柱などに爆薬を設置させていった。

 ぐるりと外周部を一周し、今度は中心部に向かおうという段取りになる。

「なあ、瑠奈」

「なに?」

 飽くまでも警戒心は保ったまま、奏真は訊ねてみる。

「仲間を殺しそうになったって。なにがあったんだ?」

「……別に、なにも」

「別にってことはないだろ?」

「あなたには関係ない」

 つっけんどんな物言いだ。奏真には話す気がないらしい。

「関係ないことないだろ。同じ隊の仲間なんだ」

「仲間にでも、知られたくないことの一つや二つはあるわ」

「……かもしれないけど」

 奏真はその拒絶に、言葉を探した。どうしてかはわからないが、彼女を一人きりにしたくはなかった。

3‐4

「私と組むのが嫌なら支部長に掛け合えばいい。もう一人の第三世代ダンピールと交代で私が本部預かりになれば、これまでと問題なく第三世代ダンピールを運用できるわ」

「そんなこと言ってないだろ。お前のことが嫌いってわけじゃない」

「なら、好きなの?」

 顔に熱を持ったのは確かだった。こんなクソ寒い真っただ中にいるというのに汗をかく。瑠奈の冷たいけれどあどけない童顔が脳裏に浮かんで、奏真は首を振った。

「どうしたの?」

「なんでもない……けど、友だちになれたらな、って」

「……友だちなんて、もういらない」

 そこには、はっきりと拒絶の色があった。奏真と瑠奈の間に底の深い溝が横たわっているのをまざまざと見せつけられたような、そんな気さえする。

「けど、仲間だろ」

「仲間と友だちは違う。私は、一緒に仕事をこなす同僚なかまなら歓迎するわ。けどお友だちごっこなんてもういらない。あんなもの、なんの役にも立たない」

 彼女にとって仲間とは、仕事上の繋がりに過ぎないのだ。信頼はするが、心を許さない。

 信用して背中も預けるが、それは給料の出る仕事だからするのであって、絆を結ぶわけではないのだ。

 奏真は、瑠奈の心が固く閉ざされていることに気付いた。

 過去になにがあったのかはわからないし、きっとこんな様子だから訊いても答えてはくれないだろう。やはり、なにかを知っているであろうリリアか、支部長あたりに訊くしかない。

 友だちがいらないなんて、そんな寂しいことがあってたまるか。

 人間は、どんなに強くとも一人きりでは生きていけない。物理的にも精神的にも。

 このままでは、彼女は遅かれ早かれ一人――孤独という毒に蝕まれ、死んでしまうだろう。

 せっかく得られた最初の仲間を。

 友だちになれるかもしれない相手をみすみす死なせるなんてこと、奏真には許せなかった。

 そして、そこには多分、さっきの不可解な感情も絡んでいるのだと思う。

 自分は、きっと瑠奈に惹かれている。

 可憐な見た目にも、同じ始祖の血を継いだ存在というシンパシーもある。

 冷たいけれど、冷たくなりきれない人間臭さにも、魅力を感じている。

 好きだ、とは面と向かって言えない自分のもどかしさに苛立つ。

 一言、すぱっと言ってしまえばいいではないか。そうすれば、どんな答えであれもうわけのわからない迷いは消え去る。

 開けた空間に出た。蜘蛛の巣のように、六つの洞穴が掘られている。

 途端、死臭が、ツンと鼻を衝いた。

「瑠奈」

「なに? また蒸し返すの?」

「違う、ヴァンパイアだ」

 ドスドスドス、という足音がしたかと思うと、洞穴からランダイナスが現れた。数は八体。

「滅葬開始」

 告げると同時に、瑠奈が発砲。光の散弾が一体の胴を穿ち、吹き飛ばした。

 瑠奈に向かって殺到するランダイナスの間に割って入り、紫雷を一閃。紫紺の雷撃が尾を引き、その斬撃軌道上に黒い血の玉が浮かぶ。

 第一位の脅威を奏真と見定めたランダイナスが、今度はこちらに大挙してくる。構わない。

 この二週間、多対一も経験し、以前瑠奈が言った通り壁役囮役もやってきた。

 対雑魚戦の場合、奏真が引きつけ、瑠奈が仕留めるという暗黙の了解が出来上がっている。

 四方を取り囲む四体のランダイナス。

 奏真は刀身に雷を注ぎ、その刃渡りを雷撃の刀身で付け足し二メートル近く成長させる。

 それを、一閃。

 雷がランダイナスを焼き斬り、肉の焦げたにおいを振り撒く。

 その間隙を縫って瑠奈が貫通力に優れた狙撃弾を撃ち込む。一発、二発と銃声がしてランダイナスが確実に倒れてゆく。

 しかしヴァンパイアを滅葬するのは瑠奈だけではない。

 奏真も、一体また一体と斬り崩していく。

 鼓動が高鳴ってきた。が、まだ使うときではない、と自分に言い聞かせ、ブラッドバーストを抑制する。

 この二週間ただ暴れてきたわけではない。己を律する術も模索し、ある程度好きなタイミングでブラッドバーストを行えるようにしていた。

 それでもまだブラッドバーストの統制は完璧ではない。ゼロの状態から一気にブラッドバーストを行使することは未だにできない。ある程度テンションに火が付かなければ使えない。

 その火が、少しずつ大きくなっている。

 が、最高潮に達する寸前、最後の一体が瑠奈の狙撃で倒れた。

「滅葬終了」

 事務的に告げ、瑠奈は銃口を下げる。

「通路の先に爆薬をセットして引き揚げ――」

 六つある洞窟の一つから凄まじい怒号が吹き上がり、奏真と瑠奈の間をすり抜けていった。

「なんだ?」

「……スコルピスね。気付かれたみたい」

 ズンズンと氷を踏みしめる音がする。洞窟の向こうの闇に、左右でバラバラに動く赤い瞳が浮かび上がった。

「退くわよ。急いで!」

 反論などあるはずもなかった。奏真は背を向け走り出す瑠奈に続き、来た道を急いで戻る。

「こちらヘルシング。スコルピスと遭遇。撤退後、速やかにここを爆破するわ」

「こちら秋良、了か――っと」

「どうしたの?」

 通信機の向こうで銃声が響く。

「ギガダイナスが二体とランダイナスが……十五くらい、接近。悪いけど、しばらく援護できそうにない」

「わかったわ。あなたたちはそっちに集中して」

 ギガダイナス――すでに戦ったことのあるヴァンパイアだった。ランダイナスのリーダー個体で、二・五メートルから三メートル上背を持ち、全長は六メートル近い大きなヴァンパイアだ。

 その皮はランダイナスよりも強靭で、そう簡単に斬り刻むことはできない。

 だがそれでも、奏真はギガダイナスと初めて戦ったとき、瑠奈の援護があったとはいえブラッドバーストなしでも倒せた。

 問題は二体いるということだが、第十三分遣隊なら時間は食うかもしれないが、倒せないということはないだろう。

 出口が見えた。背後には重苦しい気配。

「起爆するわ」

 耳を抑え、口を開ける。

 瑠奈が爆弾の起爆装置にもなっている携帯から起爆信号を発信した。

 直後、鼓膜が破られんばかりの爆音が響き渡った。凄まじい爆圧に押され、奏真と瑠奈は暴風に洗われる木の葉のように舞い、氷海に打ち上げられた。

 ごろごろと何回転もし、三半規管が抗議の声を上げる。

「がはっ、ごほっ……ぁ」

 どうにか立ち上がると、ふらつく視界の向こうにある小山は崩れ去っていた。氷の下の海水が舞い上げられ、少しの間局地的な雨が降る。

 氷の瓦礫が突如吹き飛ぶ。吹き飛んできたそれを紫雷の柄頭で殴り飛ばし、粉々に散るダイアモンドダスト越しに、奏真は目の前の敵を睨んだ。

 青緑色の甲殻を持つ、全高四メートル、全長十七メートルの巨大な化け物。スコルピス。

 奏真の手の中で、紫雷が蠢く。

 直刀は機械的な意匠を持つ回転鋸剣チェーンソードに姿を変え、獰猛な唸りと共に紫に発光する刃が回転。刀身に走る紫の脈が、ドクンと鼓動する。

「滅葬開始」

 奏真は言い聞かせるように言い、大地を蹴って砲弾のように相手に肉薄した。

3‐5

 ちらほらと舞う雪の帳に空洞が空く。遅れて耳朶を打つ風の音がし、さらに遅れて遠雷を束ねたかのようなチェーンソードの回転音が響く。

 初手、まずは真正面からぶつかる。

 背負い投げるような軌道で紫雷を振るい、頑丈そうな甲殻に覆われた頭部を袈裟に斬りつけた。

 桁違いの怪力と回転鋸の切断力が猛威を露にし、甲殻を易々斬り裂いていく。真っ黒な血が舞った。そのまま手首を返し、裏切上に剣を振り上げる。

 裏切上とは、剣術でいう相手の右脇腹及び右腿から左肩に向けて斬る斬撃のことだ。よくこれを逆袈裟と間違えるものが多くいるが、逆袈裟とは斬り上げではなく袈裟とは逆の方向である相手の右肩から打ち下ろす軌道のことだ。奏真もこれについては勘違いしていた。

 頭部を斬りつけられたスコルピスが三対の足でたたらを踏む――が、追撃もしてくる。

 槍のような尾が唸りを上げ、奏真は咄嗟に後ろに下がる。目の前に、人間など容易く串刺しにしてしまうような尾が突き立てられた。

 スコルピスはそれをバリバリと氷ごと引き剥がすと、その氷が尾から落ちる前に再び刺突。

 二、三、――五、十。

 連続で振るわれる刺突を見切り、奏真はステップでどれもこれも回避する。しかしその間に先ほど与えた傷は再生していた。

「らぁっ!」

 踏み込みと同時に突き。超高速回転する鋸がギャリギャリと火花を散らし、スコルピスの頭部にうずまり、しかし、

「……!」

 横合いから伸びてきた鋏が紫雷の腹を挟み、強引に引き剥がす。

「うぉっ――」

 奏真はそのまま振り回され、氷の大地に叩きつけられた。肺の中の空気が全て吐き出されてしまい、思わず喘ぐが危険に気付いたときにはもう遅い。

 スコルピスの尾が奏真目掛けて振り下ろされる。

 貫かれた――と思ったが、目の前で爆発が起こり、スコルピスの尾が弾き飛ばされた。

「早く体勢を立て直しなさい!」

 瑠奈だ。光属性の爆発する炸裂弾が、スコルピスの尾を吹き飛ばしたのだ。

 奏真は転がって敵の間合いから逃れる。

 その最中何度も尾が振り下ろされたが、そのことごとくを瑠奈の炸裂弾が阻んだ。

 立ち上がる。もう十秒は使ってしまった。

 この二週間でブラッドバーストを何度も使い経験値を蓄積し、強化を行ったが、持つのは四十秒だ。

 残りは三十秒。

「あの邪魔臭い尻尾を斬り落とす。フラッシュバン、行くぞ!」

 奏真は腰のベルトから閃光弾を取り出し、レバーとピンを抜いて投擲。スコルピスの鼻面で百七十デシベル、二百万カンデラ、場合によっては骨を砕くほどの圧力衝撃波が解放される。

 爆音と爆発的な光に一時的に混乱したスコルピスは悲鳴と共に動きを止める。

 奏真は跳躍一回でスコルピスの背に乗り、尾の付け根に紫雷の刃を叩き込む。

(加速しろ!)

 強く念じ、雷の出力を上げる。悲鳴のような甲高い駆動音がし、回転する鋸がスコルピスの堅牢な外殻を食い破り肉に到達した。黒い血が霧のように舞う。

 ブラッドアームズに適合し、ダンピールとなった者はヴァンパイアの黒い血に対して高い耐性を持つ。多少血の霧を吸い込んでも問題はない。

 刃が肉を断ち、骨を噛み砕く。

 抵抗があったのも束の間、奏真の回転鋸剣はスコルピスの尾を斬り裂いた。

 激痛か、怒りか、その両方か。スコルピスは突然飛び跳ね、背中に乗る不躾者を振るい落とそうとする。

 もうここにいる意味はない。奏真はすぐさま背中から飛び降り、着地。

 スコルピスの赤い目がこちらを向く。フラッシュバンの効果が切れた。

 ハンマーのようにも使える巨大な鋏を打ち下ろしてくるが、奏真はあえて突進。

 頭上から迫る鋏に叩き潰される――その直前、瑠奈の炸裂弾が撃ち込まれた。

 爆発し、甲殻に決して浅くないひびが入り、黒い血が舞う。

 反対側の鋏を飛び膝蹴りで弾き飛ばし、顔面を逆風――下方の股下から脳天へ敵を斬る技――でかち上げた。

 そのまま奏真は氷を舐めるほどの低姿勢を保ち、スコルピスの腹の下に素早く入り込んだ。

 奏真のブラッドバーストの効果は、非常に単純だ。

 剣が直刀からチェーンソードに変わる。そして、全身が雷属性を纏いあらゆるツボが刺激され肉体が限界を超えた駆動を可能とするのだ。端的に言えば敏捷性と筋力が跳ね上がる。

 奏真はその人外じみた――実際半分は人外なのだが――怪力でスコルピスをひっくり返そうと考えた。

 紫雷を腹に突き立て、僅かに突き刺さったところで刃の回転を止め、押し上げる。回転させたままだと深く抉りこんでいくだけでひっくり返すことができない。

「ぉぉぉぉおおおおおおおっ!」

 我知らず、獣じみた唸りが喉から零れた。

 ぐら、とスコルピスの巨体がよろめく。

「ぉぉおおぁぁああああああっ!」

 渾身の力をこめ、ぶっ倒した。

 残り十五秒。

 瑠奈が急接近し、ほぼ密着状態から顔面に散弾を何発も放った。装甲甲殻、とも呼ばれる装殻そうかくが飛び散り、皮膚が叩き壊され肉が抉られる。

 治癒力が限度に達したのか、スコルピスの顔は黒い血にまみれ、虫の息だった――と。

 斬り落とした尻尾が黒い霧となってスコルピスの付け根に収束すると、ずるりと再生した。

 やつは再生力を失ったのではない。鋭敏化させ、一部の再生に集中させたのだ。

 ぐるんっ、とすさまじい勢いで回転する。十七メートルの巨体が生む攻撃範囲は並みではない。瑠奈が巻き込まれる。

「させるかっ!」

 飛び退いてもなお攻撃範囲内にいる瑠奈の目の前まで跳躍し、大地を踏みしめ尾を紫雷で受け止める。尾の最も硬い先端部と激突し、回転する刃が火花を散らす。

「瑠奈、下がれ!」

「わかった」

 瑠奈が飛び退いたのを確認し、奏真は勢いを逃がすため足を浮かせた。衝撃で後方に吹き飛ばされるが、空中で姿勢を正して着地。

 が、スコルピスは竜巻にでもなるつもりか、ぐるぐる回転しながら迫ってくる。

 残り十秒。

 どうケリをつける。

 そのとき、横から緑の蛇腹剣が伸びてきて、スコルピスの尾を掴んだ。竜巻が止まる。

「おい! 早くとどめを刺せ!」

 陽子だ。ギガダイナスたちを殲滅したのだろう。

 奏真は疾走、跳躍。スコルピスの頭をかち割る。

 左の鋏を突き出し、奏真を空中で両断しようとするが、その鋏は瑠奈の炸裂弾で粉々に吹き飛ばされた。元々入っていた亀裂が衝撃に耐えられず砕けたのだろう。

 だが、鋏はもう一本。

 どうする――奏真の思考に、そのとき救いの声が差し込んだ。

3‐6

「僕がチェック。奏真、チェックメイトは任せるよ」

 秋良の狙撃。超音速の氷の大口径弾が右の鋏を粉々に砕いた。

 弱点を守るものは、もうない。動きも陽子が封じている。

「うぅらぁあっ!」

 奏真の咆哮を上書きするように、紫雷が吠えた。

 落下の衝撃でズン、とスコルピスの足が折れ、胴が氷海に沈む。頭部に押し込まれた紫雷は既に半ばまで埋まり、黒い血煙を舞わせていた。

 振り抜いた。

 足下の氷までも砕いた紫雷を抜くと、スコルピスの目から光が消えた。

「滅葬終了……」

 刃の回転数を落とし、停止させる。するとタイミングを見計らったように、チェーンソードは元の直刀に戻った。

 しかし、不思議だ。

 自分で発現しておいてなんだが、チェーンソードの方が本来の姿であるように思える。直刀状態は、まるで殻を被っている脱皮前の状態とでも言えばいいだろうか。

 まあ、ともかくこれで仕事は終わりだ。

「お前がうちのエースっての、あながち間違いじゃないんじゃないの」

「え?」

 ヘリが待つ場所に向かう間、ブラッドバーストを解除した陽子にそんなことを言われた。

「今後もお前らと組むかどうかはまだわからないけど、私は認めてもいい。奏真、お前がこの隊のエースだ」

「私も異論はない。始祖を倒せるかどうかは別として、奏真の実力はかなりのものだと思う」

「僕も同感だね。適合して初陣でグールロードを、二度目の任務でサイクロプスを、間を置かずギガダイナスやなんかも倒したし、今回はスコルピス。自信を持っていいと思うよ」

「そうかな……買い被られても困るけど」

 陽子が笑った。

「謙遜するなよ。戦闘技術がどうとかじゃない。なんかわからないけど、お前は強いんだ」

「ああ、僕もそう感じる。なんていうか、人間の根本的な部分が強いって言えばいいのかな」

「博士的に言うなら、奏真、あなたは魂が強いんだと思う。血は肉体と魂を繋ぎ、ブラッドアームズは魂を具現化させる。あなたの魂は強いから、それが血装にも出てるんだと思う」

「魂が強い、か……わかんないな」

 よくわからない、というのが素直な感想だが、しかし昔からよく孤児院や学校で『お前は少し頑固なところがあるな』などと言われたことがある。

 意思が強いことが、魂の強さなのだろうか。

 わからない。

 考えても無駄なことだろう……という気がして、奏真は思考そのものをやめた。

     ◆

 黒い少女が地下洞窟を走っている。辺りには赤く流れる大地の血流――溶岩。

 気温はすこぶる高いが、黒いゴスロリドレスに身を包んだその少女の額には汗すらない。帽子を目深に被り、リボンで顎と結んで固定している。

 体は、ふわりと地面から一メートルほどのところで浮遊していた。

 黒いボブカットの髪の向こうにある、黒い瞳が、そいつを睨んでいる。

 顔は存外に幼く、まだ十五にも届かぬあどけない表情をしていたが、能面のようなその顔つきは並大抵の大人を凌駕する老熟した雰囲気を湛えていた。

「『血装:重穿じゅうせん』」

 空間から六枚の大剣がずるりとフェードインする。それは百五十八センチの少女と同程度か少し大きいくらいの剣で、いかな理由か鍔も柄もなく刃だけ。それがどんな奇術を用いているのか、宙にふわりと浮いている。

 切っ先を十メートル先のそいつに向けると、ソウルアーツを解放した。剣が変形し大砲に変わり、砲口から黒い渦が放たれる。一応闇属性というカテゴリだが、その能力は特殊だった。

 突如、岩を穿つ轟音がした。

 ドカン、ドカン、と杭を打たれたように地面が陥没していき、そいつを追い詰める。

 そいつ――第十一位始祖『闇統のゾーク』は地面を蹴って走り、目に見えない鉄槌を回避していく。

「正直、あなたの身柄はどうでもいいの。血盟騎士団が殺そうが私“たち”が殺そうが、そのサンプルは血盟騎士団に流すつもり。だって、適合者がそちらの手中にあるんだもの」

 ゾークは目に見えない攻撃を食らい、吹っ飛んだ。三メートル近い巨体が茶色の岩肌を擦過し、立ち上がろうとしたところに見えない鉄槌に襲われた。そのまま地面に縫い付けられる。

「いくら空間を捻じ曲げる能力を持っていても、見えなければどうすることもできないのね」

 ゾークの黒い闇が渦を巻き、空間を捻じ曲げた。

 早く、早くあいつを殺さなければ、自分が殺される。

「あなたに殺させるわけにはいかない。彼は選ばれた存在。この世界を救世する存在。第一位始祖『魂魄のアルカード』を……識鉄耀介しきがねようすけを止められる唯一の存在」

 とぐろを巻いていた闇がゾークを包んだ。殺すなら、今しかない。その焦りと共にゾークは闇の中に逃れる。

「ちっ」

 少女は舌を打って、血装を体内に戻した。しかしソウルアーツはそのままで、少女の体はふわりふわりと浮かんでいる。

 ゾークは間違いなく彼を――獅童奏真を殺すつもりだ。彼を殺せば全てが終わる。自分たちがゾークを追う理由が喪失し、そして耀介の邪悪な計画が世界を滅ぼすだろう。

 それだけはなんとしても防がねばならない。

 いざとなれば支部に入り込んででもゾークを止めなければならないが、しかし同時にこれも試練であるように思え、少女はこの件に関しては傍観でいいではないだろうかと考えていた。

 奏真は世界を救う存在だ。それほどの存在がゾーク“程度”にやられるのなら、世界を救うことなど到底不可能だ。

 彼がゾークを討ち、今後も強敵を打ち負かし、彼自身が成長していかねば意味がない。どれだけ力を与えようとも、それに見合う土台と骨組みがなければたちまち自壊する。

 具申すべきかもしれない。この戦いに関しては、見ているべきだと。

 少女は天井に空いた穴から外に出た。空は晴れ渡っていて、蒲郡方面に滞る重そうな雲と東海支部を目にすることができる。

 少女に、この世界は守るに足るものなのか、それがわからない。ただ恩ある人の命令だから従っているだけだ。

 結局のところ、この少女も奏真たちと変わらない。

 自分の生まれた意味を探し求める、か弱い人間なのだ。

3‐7

 東海支部に戻ってきた奏真たちは、夜を開けた後休日を与えられた。

 奏真は訓練に向かおうとしたのだが、瑠奈がたまには休んだらどうだというので、それも悪くないなと思って、奏真は初めての休日をそれらしく過ごすことにした。

 というのも、孤児院から何通かメールが届いていたので、会いに行こうかな、という気もあった。携帯端末を貰ってから、血盟騎士団に頼んでアドレスを孤児院に送ってもらっていた。

 朝の目覚めはいつもより遅い。八時半に自然に目を覚ました奏真は、まだ眠っている瑠奈を起こさないようにそっとベッドから降り、更衣室に向かう。

 ダンピールは、いついかなるときでもスーツを着ていなくてはならない。

 CLDとペーパーコンピューターを兼ねたスマートスーツはその限りではないが、喪服のような礼服のようなそれは、常に肌身離さず身に着けていろ、というのが上からの命令だった。

 というのも、血盟騎士団には制服らしい制服がない。大抵はスーツか白衣で、それがそのまま立場を現す階級章のような役割を果たしている。

 外部居住区にスーツなど出回らない。それに十字架をあしらったマークの装備が許されるのは血盟騎士団関係者のみだけだ。

 こんなに様々なバイオメトリクスが存在する昨今でありながら血盟騎士団か否かの同定は中世然とした外見のシンボル頼みである。

 そういう諸々の理由もあり――まあ恐らくは儀礼的な意味の方が強いのだろうが――ダンピールは常に黒い服を身に纏っているというルールが出来上がった。

 ワイシャツのボタンを留め、ネクタイを巻いてベストを着、ジャケットの袖に腕を通す。金具の十字架が発する違和感にもそれなりに慣れてきた。

「どこかにいくの?」

 振り返ったら、目の前に相変わらずの白いキャミソール姿の瑠奈が立っていて、奏真はびくっと肩を震わせた。足音も気配もしなかった。

「あ、いや。お前も休めってうるさいし、メールも結構来るから孤児院に顔を出そうかなと」

「そう。ちゃんとご飯食べて、あんまり遅くならないようにね」

 ときどき瑠奈は、お姉ちゃん風を吹かせてくることがある。

 奏真は子供扱いされているようでその扱いが気に入らないのだが。それに瑠奈は自分より一歳下である。彼女の性格なんだろうし、言っても無駄な気がして聞き流すことにしている。

「じゃあ、行くよ」

「行ってらっしゃい」

 部屋を出て、まずは食堂へ向かう。休日組しかいない食堂は閑散としていて、いつものような活気はない。奏真を入れても、この時間帯では三人もいない。

 奏真は焼き鮭と味噌汁、サラダと出汁巻き卵、白米という昔の日本の定番というような朝食が乗ったプレートを持って席の一つについた。無論、定番だなんて言っても外部居住区でこんなものは食べられない。動画や小説で知った知識だ。

「よう、おはよう」

 赤い血の滴るような生肉を乗せた皿を持った陽子が声をかけてきた。

「お前らも休みなのか?」

「まあね」

 陽子はフォークで生肉の一枚を絡めとると口に放り込んだ。

 以前、リリアがブラッドアームズの影響で味覚が変わり、生肉とかでしか満足できない者が現れるというようなことを言っていたが、陽子がそうなのか。

「秋良は?」

「まだ寝てるんじゃないか。男子部屋にいると思うが」

 そうだった。ペアがペアで部屋を使っていることは滅多にないのだと、そう教えられた。

 瑠奈はソロとして二人部屋を一人で使っていたから、たまたま空いていたそこに奏真が加わっただけで、普通は男女で部屋がわかれるのだ。

「それより、聞いたぞ。瑠奈のことを知りたいんだってな」

「え? あ、ああ……本人に聞いてもいろいろはぐらかされるから。博士辺りが知ってないかなってさ」

「知って、どうする?」

 陽子の目には、いつも浮かべている軽薄な、面白がるような色はなかった。そこには隊は違えども仲間に対する思いが詰まっている。

「わからない……どうすることもできないかもしれない。けど、それでも、なにも知らないんじゃ、仲間としては駄目なんだと思う」

「それで?」

「あいつがつらい思いをしているときに、支えてやれるようになれればなって」

 沈黙が降りた。

 奏真が諦めるのを待つように、陽子はじっとこちらの瞳を覗き込んできた。射竦められてもなお知ろうとする奏真に耐えかねたのは、彼女の方だった。

 大きく息をつき、陽子は声を潜めて、

漆原紗那しのはらさな。享年二十五歳。去年、死んだ。瑠奈のパートナーだった」

「漆原って、支部長の秘書官も確か……」

「そう、万里恵の妹だ」

 生肉を嚥下し、陽子は続ける。

「紗那は第一世代ダンピールだった。十二歳で適合し、長年戦い続けてきたベテラン。けど講義を受けたお前ならわかるだろ」

「……暴走」

「そうだ。紗那は特別適合率の高いダンピールではなかった。週に一度という頻度で血装透析を受けなければならないほど不安定だった」

「瑠奈は……同胞殺しって言われてた」

「戦場で紗那が暴走したんだ。ダンピールには必ず付帯する任務がいくつかある」

 陽子は指を立て、

「隊によっても異なるが、ヴァンパイアのサンプル採取を絶対とする隊もあるし、お前たちのように討伐に主眼を置いた隊もあれば捕獲を行う隊もある」

 陽子は遠い目で窓の向こうを見た。リモート管制の機械の作業アームが動く光景を見て、ゆっくりと続ける。

「だが全てのダンピールに必ず課せられるのは、暴走してしまった場合、それがかつての仲間であっても殺せ、というものだ」

堕落者フォールズ』。それがかつてダンピールであり、ヴァンパイア化してしまった者の名前だということを、奏真は知っている。

「つまり、その紗那って人はフォールズになった?」

「ああ。……瑠奈はきっと、後悔しているんだ」

「仲間を殺してしまったことに……?」

「多分な。瑠奈はダンピールになってここへ来てから、三年もの間紗那と共にいた」

「三年……」

「その時間を短いと思うか長いと思うかは人の勝手だが、少なくとも瑠奈にとっては決して短くない時間だった」

「それで……?」

「瑠奈は己が行った『介錯』が正しいことなのかどうなのかを、今も探してるんだ」

3‐8

 正面ゲート脇の扉から外に出た奏真は、相変わらずそこに息づく人々の生気のない顔を見て困惑した。

 皆、酷く疲れている。

 生活物資は配給制で、給金が支払われる仕事は少ない。経済活動は限定的で、自分自身の努力だけではどうあがいても貧困から抜け出すことができないことがあらかじめ決まった社会。

 当然、精神が腐ってくる。スーツ姿の――特権階級にある奏真を見る者の目には嫉妬ややっかみといったものがありありと浮かんでいる。

 子供は……若いうちはまだいい。二十代半ばまでなら、まだダンピールになれるという希望が持てる。だが三十四十となると、もう駄目だ。自分自身の手では家畜のように、ただ飼われているだけという生活から抜け出すことはできない。

 それでもまだ諦めない前向きな人間もいる。職を持った人間や、自分が産んだ子供がダンピールになれるかもしれないと希望を持つ人。

 血盟騎士団にとってもダンピールの素質を持つ存在は貴重な財産だ。子供が増えることは大いに推奨している。

 だが子育てというのは楽な仕事ではない。日々のつらさ、先の見えない苦しみに屈し、子供を捨ててしまうものは今も昔も後を絶たない。

 コウノトリのゆりかご、というものがある。やむにやまれぬ事情で子供を預ける施設だ。それはこの東海支部にもある。血縁者や養子にとろうという人間がいなければ、そこに預けられた子は孤児院行きとなる。

 それを思えば、自分は恵まれていた方なんだ、と思えるかもしれない。たった四年とはいえ両親の愛に挟まれていたのだから。

「ごめんな、ごめんな――」

 夢の中で、父は毎回謝る。

 なぜかはわからない。死者に疑問の答えを期待することはできない。死者にそのディテールを問うことはできない。生者はいつだって、死者に縫い止められることになる。

 子供を置いて早く逝ってしまったことへの悔恨か。

 だが、父は夢の中で必ずこう言う。

 なにかになってくれ、と。

 なにになれというのだ。立派な大人になれとか、そんな感じのことだろうか。

 道中、奏真はお菓子屋に寄った。出入り口付近には門番のように二人の銃を携帯した憲兵が仁王立ちしており、一般人の出入りを監視している。

 無理もない。こうした嗜好品はそうそう手に入るものではない。中には泥棒をしてまでと考えるものもいるだろう。だから金銭による取引が行われる店などには憲兵が置かれている。

 テイザー銃で撃たれるか、ゴム弾で骨を砕かれるかはそのとき次第だが、決して殺されることはない。人間はどんな存在であれ血盟騎士団にとっては財産なのだ。

 だが、中には殺されることがないとタカを括る者までいる。だから刑罰も当然あった。

 すなわち、無報酬での危険な人体実験である。それは拷問と言っても差し支えない。

 なにをされるのかはわからないが、高校時代この手の話が怪談のように語られていたのを聞いたことがある。

 重罪を犯した人間は関東本部に移送され、恐ろしい実験の材料にされると。

 あんまり考えたくない話だ。

 奏真は何十個か詰まったチョコレートを二つ買うと、それを電子化された金銭で清算して外に出た。

 東区に向かう。東海支部はさすがに人口三十二万というだけあってそれなりに広い。かつての大都市に比べれば狭いかもしれないが、それでも徒歩ではそれなりに時間がかかる。

 都市は、背の高い建物で構成されている。中世ヨーロッパと同じだ。土地に限りがあるから建物が高くなる。

 大抵の住民はそうしたアパートやマンションで暮らす。一戸建てだなんてない。特権階級にあるダンピールでさえ共同生活なのだ。

 狭い路地に入る。そこで、木箱の上に座る子供が二人、奏真を見ていた。正確には奏真が手に持つチョコレートに視線を釘づけにしていた。

 五、六歳くらいの男の子と、三、四歳くらいの女の子。兄妹だろうか、顔が似ている。

「どうしたんだ?」

 訊くと、男の子の方が答えた。

「お父さんとお母さんが怒ってるから、避難してきたんだ。ここなら見つからないから」

「なんで怒ってる?」

「僕らがダンピールになれないから」

 まだ一ケタの年齢の子供にそんなことを期待する親は間違っている。ダンピールは最低年齢が十二歳――正確には十二歳となる年の十一歳――と定められている。

 それより幼い子供は例え適性があっても十二になるまでは戦場に送りだされることはない。

「学校は?」

「僕、まだ五歳だから、学校に入れない」

「そうか……ほら」

 チョコレートの包装を開け、中身を取り出し、二つずつ渡す。

「ダンピールになれるかどうかは俺にはわからないけど、これからも仲良くな」

 子供たちは遠慮がちに、けれど嬉しそうにチョコレートを受け取り、「ありがとう!」と叫んで走り出していった。親にも渡すつもりなのかもしれない。

 やがて、孤児院に着いた。

「奏真にい!」

 開きっぱなしの玄関から入ると、女児が抱き付いてくる。

「よう、優香。元気だったか?」

「うん!」

 それを皮切りに、子供たちがわらわらと現れ抱き付いてくる。残念ながら全員というわけにはいかない。

 集まってくるのは小さな、学校に通っていない年代ばかりで、少し上の子供たちはいない。

「お、おお! 奏真! 奏真じゃないか!」

「久しぶりです、先生」

 山本穂見やまもとほのみ。五十六歳。この孤児院の園長。継ぎ接ぎだらけのエプロンドレスと白髪混じりの黒い髪に、丸い眼鏡という相変わらずの恰好で出迎えられる。

 奏真はなんとなくほっとした。

「先生、少し相談が」

「うん……みんな、しばらくいい子にしてなさいね。私は奏真と少し話があるから」

「わかったー!」

 子供たちが部屋に戻っていくのを見計らい、奏真と穂見は応接室へ向かった。

「これ、みんなのお土産に」

「ああ、ありがとうね」

 チョコレートを渡し、穂見が奥に去る。しばらくしてお盆に熱いお茶を注いだ彼女が戻ってきて、奏真の前にそれを置くと、対面に座った。

「血盟騎士団からの援助のおかげで、だいぶ楽になったよ。ありがとう、奏真」

「ああ、いえ……俺にできることって、これくらいだったから」

「それでも、ありがとう」

「……うん」

 こうして感謝してくれる人がいるのなら、自分の行いにも意味があったのだろうと感じることが出来て、奏真は安堵を覚えた。だが今日はそのために来たのではない。

「先生……あの、」

「恋愛相談かな?」

「は?」

「いや、そんなスーツまで着てくるものだから、恋人でもできたのかなと」

「違うって。これはダンピールの制服みたいなもんで、そういうことじゃないよ。……友だちになりたい子がいてさ」

「ふむ……」

 穂見は真摯な目で奏真を見つめる。

「同じチームの仲間なんだけど、少し複雑な事情があって、友だちはいらないって跳ね除けるような子でさ」

 組んだ指をぐにぐにと揉みながら、たかが友だちの相談でなんでこんなに緊張するんだと自問した。

「俺はその子とただ仲間でいるんじゃなくて、もっと、色々と繋がってられるような存在になれないかなって思って」

「女の子?」

「……うん」

「やっぱり、恋愛相談じゃないか」

 穂見は朗らかに笑った。

 奏真は彼女が相手だからこそ、子供じみた感情を忘れて、認めることができた。

「かもしれない。少し、振り向いて欲しいって思いもある。だけど、……そういう下心じゃなくて、もっと真剣に友だちなれないかなって」

「ふぅん?」

 穂見はお茶を一口啜る。

「じゃあ、まずは知ることだな」

「知ること?」

「そう。その子の些細な行動から見え隠れする興味や忌避するものなんかを見つけて、できるだけ自分がその忌避する行動をとらないようにする」

「例えば?」

「そうだねえ。虫が嫌いな子に虫をプレゼントしては逆効果だろう? そういうことさ」

 そんな小さなことで、と思ったが、おかしなことではない。彼女の言うことは確かに的を射ている。

 幼い頃奏真は彼女にそう教えられてきたのだし、実践もしてみせた。穂見のおかげで学生時代はそれなりに楽しく過ごせた。

「気になることを、知る。その子のことを知ってあげることだ。だが人間というものはそうそう出来たものじゃない」

 知っている。人間には汚い部分もある。

「汚い部分は当然ある。そうした部分も知り、それでもなお友だちでいられるか。その子のことを受け止められるか。半端な覚悟じゃできないよ」

「わかってる。あいつの過去になにかがあって、それがしこりになってる。俺はそれを取り除く手伝いをしてやりたいんだ」

「素朴な疑問なんだが、どうしてそこまでその子のことを強く思う?」

 どうしてだろう。考えたこともなかった。けれど答えは単純だった。

「好きだから、かな」

 友情か、家族愛か、恋愛感情かはまだはっきりとしない。けれど『好き』なのは確かであって、そこには僅かな揺らぎもない。

 それからしばらく、奏真は穂見と話し、子供たちと遊んでから、帰路についた。

3‐9

 昼頃、日差しは雲の合間に隠れ、ドームの向こうの空が歪みだした。雨が降って、その水滴が超強化特殊透明装甲の表面を流れているのだろう。

 ドームがあるおかげで、住民に傘は必要ない。雨の音も遠く、奏真は平素と変わりない足取りで血盟騎士団支部に戻っていた。湿度や酸素濃度は中央管制のコンピューターが逐次チェックし、最適な数値を維持している。

 大通りの歩道に出たとき、携帯が震えた。ディスプレイには博士、とある。リリアからだ。

「もしもし、獅童です」

「ああ、奏真。少しいいかな?」

「なんです?」

「第三世代ダンピールについてレポートをまとめていてね、些細なことでいいから君の意見を聞きたいと思って。今から私のラボに来れるかな」

「ええ、構いません」

 以前はため口を利いてしまっていたが、今はリリアがどれほど偉いのかを知っているので奏真は口調を改めていた。

「それと、俺からも一つ」

「なんだい?」

「瑠奈について……同胞殺しについて、詳しく」

 そこだけ声を潜めた。特に周りに誰かがいるわけでもなかったが、話題的にデリケートなので声を潜めざるを得なかった。

「まあ、いいだろう。今の君にとっては他人事ではないしな」

「ありがとうございます」

「ああ、それから。私に敬語や敬称はいらない。そういうのはあんまり好きじゃないんだ」

「……わかり。……わかった」

「では、ラボで待っている」

 携帯を切る。ポケットに端末をねじ込み、奏真はにわかに息苦しさを覚え、ネクタイを緩めた。

 これから聞くことがなんであれ、自分が受け止めなければならない。新たに『相棒』となった自分が、瑠奈の支えにならなければ。

 血盟騎士団支部に戻り、エレベーターで地下に向かう。この二週間の間に、ここの構造は少しは把握した。

 少しだけだ。迷路のようなジオフロントの全てを理解することは難しく、まだ知らない区画もたくさんある。

 それでもダンピール生活に必要な区画については記憶していた。主に地下二階から四階の居住区画と訓練区画についてだが。

 これから向かうのは地下五階の研究・医療区画である。リリアのラボがあるのもここだ。

 エレベーターが停止し、するりと廊下に降りると、スーツではなく白衣に身を包んだ男女が行きかっている。

 奏真たちダンピールのスーツの背中をはじめ、血盟騎士団関係者は皆十字架をあしらったシンボルを身に着けている。白衣の左胸には仰々しく存在感を主張する十字架があった。

 これは別に、キリストにあやかろうというものではない。魔除け、ヴァンパイア除けのためだ。

 しかし実のところヴァンパイアは特に十字架を忌避するわけではない。しかしそう思い込む人間は多く、血盟騎士団の上層部もそうだったのだろう。

 そういうわけで、キリストはさておき現在の社会では十字架はありがたいものとして祀られているのが現状だ。

 人々の希望であり、拠り所であり、そして背負うもの。いくらヴァンパイアが敵とはいえ命に違いはなく、それを狩り取る立場にある我々はその重みを忘れてはならない。

 ……ということなのだそうだ。

 四つの頂点に、三角形状に三つの穴、そして中央に一つの穴。計十三個の穴があけられた十字架。

 西洋、中国、そしてこの日本でも十三という数字は忌避される『忌み数』である。

 忌避されるべき数字だから、ヴァンパイアも嫌うのではないか……そんな祈りじみた意味もあるのかもしれない。

 そう考えてしまうのも無理はない。ヴァンパイアに勝てる見込みは、今のところ人類側にはない。

 神頼みでもいいからなにかに縋りたいという気持ちは、わからないでもない。

(そういえば、始祖も十三体だ)

 そんなことを考えながら奏真はラボの前に立った。呼び鈴を鳴らすと、返事もなくドアが開く。入ってこいということだ。

「あんたは……?」

 空いたスツールに腰を下ろし、奏真は思わず訊いた。

 ラボには、博士の他に一人、見かけない女性がいた。栗色の髪を伸ばした、日本人らしい茶色の目の女性。

 銀縁の眼鏡をかけていて、知的な印象を受ける。歳は多分自分より上。二十歳そこらか、よく行っても二十前半くらいだろう。

「実際にお会いするのは初めてですね。私が榎本久留巳です。皆さんの……特務分遣隊ヘルシングのナビゲーターを務めさせていただいております」

「あ、ああ、榎本さん。初めまして」

「久留巳で構いません。敬称も結構ですよ。私は仕事柄常にこういう喋り方ですが、私にはあまり固くならなくてもいいですよ」

「……じゃあ、久留巳。なんであんたがここにいるんだ?」

 背もたれ付きの椅子に座っていたリリアが、椅子ごとくるんと振り返る。

「特務分遣隊の働きを逐次チェックしている彼女に意見を求めるのはごく普通の流れだと思うがね。おかしいかい?」

「ああ、そうか。そうだよな」

「で、奏真。君の所感で構わん。戦っていてなにか感じることは?」

「ん……いや、特に。ブラッドバーストも普通に発動するし……あ、いや。強いて言うならブラッドバースト中の血装の方が手に馴染む、ってことかな」

「ほう?」

「どうしてかはわからないし、どうしてそう感じるのかもわからない。けどチェーンソード状態の紫雷のほうがしっくりくるんだ」

「そうか。じゃあ近いうち、血装が変化することもあるかもな」

「あるのか? そんなこと」

 この質問には、久留巳が答えてくれた。

「第一、第二世代のダンピールだけでなく、第三世代ダンピールでもこの現象は起きていますから、おかしなことではないんですよ。まあ、珍しい事象ではあるんですけど」

「第三世代……瑠奈?」

「いえ、空閑朔夜さんです。初めてのブラッドラース以降血装が変化しました。最初の頃は二挺拳銃ではなく、一挺」

 久留巳は淀みなく、滑らかに話を続ける。

「しかも、S&WM500ではなく、S&W610をモデルとしたものでした。M500はブラッドバースト中のみの変化だったんです」

 M500とは、世界最強と言っても過言ではない大口径リボルバー拳銃である。

 五〇口径のマグナム弾を使用し、大の大人でも撃ったときの反動で握力に異常が出て、しばらくの間満足にフォークも握れなくなるほど。

 そんなゲテモノ銃を二挺とは、どんな意識変化が起これば可能となるのだろう。

 けれど、自分も他人のことは言えない。チェーンソーというそもそも武器ではないものを武器にしているのだから。

 リリアがスーパーコンピューターと接続された端末を弄りながら、背中越しに言う。

「君のブラッドバーストの成長率と、過去の空閑朔夜のデータを参照すると、もうブラッドラースが発動してもおかしくない頃だ」

「……は?」

 言葉の意味が理解できず、間の抜けた声が漏れた。ブラッドラースの発動、と言ったのか。

「この成長速度は異常と言わざるを得ないな。君はほかの第三世代とは決定的に違うなにかを持ってる」

「どういうことだよ」

「小さい頃、ご両親からなにかされなかったか?」

「いや……特になにもされなかったと思うけど」

 そのとき、ほぼ毎晩見るあの夢について伝えるべきかどうか迷ったが、奏真が答えを出す前にリリアが言葉を紡いでいた。

「ならいいんだがな……君の父親は……」

「博士!」

「おっと……」

 久留巳が大きな声を張り上げると、リリアは禁句だった、というように口を噤んだ。

(俺の父さんが、なんだっていうんだ?)

 訊いてみたくはあったが、あの調子でははぐらかされそうだったのでやめた。

 それよりもほかに訊くべきことがある。

 瑠奈のことだ。

3‐10

「なあ、久留巳。悪いんだけど外してもらえないか?」

「いえ、それには及びません。瑠奈さんのことでしょう?」

「……ああ」

「瑠奈さんが紗那さんの介錯を行った際の作戦をナビゲーションしていたのは私なんです。あの件については、私も知っています」

「瑠奈は、本当にその紗那って人を?」

「あれは去年の十月十日でしたか……。旧市街地での輸送部隊護衛にあたっていた際のことです」

 久留巳が過去を話す。瑠奈の過去を。

「それ以前から紗那さんは不調を訴えていたのですが、任務に支障はないと言って作戦に参加したんです。大規模な輸送部隊の護衛で、チームは四人でした」

 久留巳はスツールの上で掌を合わせ、瞳を閉ざした。しばらく彼女の呼吸だけが辺りに染み渡る。奏真はなにも言わず、リリアは作業に集中し、耳を貸さない。

 ややあって、久留巳は続けた。

「突然、紗那さんのバイタルに異常が出たんです。次いで彼女のCLDモニターが乱れ、ついにはペーパーコンピューターが破損し、ありとあらゆるデータが消失しました」

「………………」

「ほかの隊員の視覚情報を参照にするなら、それは……人の形をギリギリで保った怪物、というほかないでしょう。我々は生き残った三名に介錯の命令を出しました」

「……それで……介錯は成功した?」

「……戦いの最中、二人のダンピールが戦死。五分後、瑠奈さんのバイタルも危険域に突入して、視覚情報がブラックアウトしました」

 つまりなにが起きたかわからない、ということだ。

「回収班が辿り着いたときには補給部隊は壊滅、瑠奈さんも決して軽くない怪我を負い、事態はひとまずの収束を得ました」

「………………」

「瑠奈さんには記憶障害が出て、当時のことはあまり覚えていないらしいんですが、酷く混乱していて……一ヶ月ほど精神的均衡を取り戻すのに時間を必要としました」

「十一月十六日に瑠奈は戦線に復帰した。ただしソロとして。彼女はあれ以来、仲間や友だちというものから距離を置くようになってしまった」

 いつの間にかこちらに向いていたリリアがそう結んだ。

「支部長の判断だったとはいえ、君と瑠奈を組ませることはある種の賭けだった。けど、その賭けは八割方上手くいっているようだ」

「どうして?」

「あの事件以降一匹狼だった瑠奈が、先日は合同任務を行った。大した前進だよ」

「けど……まだまだだ。瑠奈は、仲間をただの同僚としか思っていない。それじゃ、駄目なんだ……」

 リリアと久留巳は黙って奏真の言葉を待つ。

「上手く言葉にはできないけど、同僚として信じることと、本当の意味で仲間になるのとは違う気がするんだ」

「そうだな……人というものは、物理的にも精神的にも一人では生きてはいけない。この世界は、一人で生きるにはあまりも過酷で、大きすぎる」

 そこではじめて気づいた。リリアは胸元にロケットを提げている。それを握り、なにかに耐えるような表情を浮かべた。

「瑠奈には、新しく友だちを作ってほしい。それは君であるべきだと私は思う」

「どうして……俺に?」

「これは別にパンドラ計画の肩を持つわけでも、支部長が発足したヘルシングの運用性を高めるために言ってるんじゃない。一人の悲しい婆のたわごとだとでも思ってくれ」

 リリアにもリリアなりの思いがある、ということか。彼女には彼女の過去があり、それ故に一人きりでいようとする瑠奈を心配している。

 だが、善意というものはときとして毒となる。行き過ぎた善意はお節介となり、お節介も行き過ぎれば鬱陶しいだけのストーカー行為に成り果てる。

 いくらこちらが友だちになりたいと言ったところで、瑠奈がそれを認めてくれなければ意味がない。

 結局のところ、奏真の思いとは別のところで事態は動くのだろう。

 でも、しかしそれでも。

 瑠奈を蝕む孤独という毒物をどうにか取り除けはしないか、と奏真は思う。

 本当に一人でいいと割り切れるほど強い人間なら、なぜ奏真と組むことを選んだ。

 彼女も彼女自身が知らないところで、自分の思いを受け止めてくれる人を探しているのではないだろうか。そう考えるのは、奏真の好意が現実を歪曲させているためか。

 けれど、自分の思いとは別にしても、やはり瑠奈は救いを求めているように見える。長い孤児院生活で身に着けた感覚が、それを敏感に感じ取っている。

 親を失った子、親を知らない子、親からの暴力を受けて逃げてきた子。みんな救いを求めていた。その目は暗かったが、奥底には確かな光もあった。

 瑠奈はまだ、その光を失ってはいない。闇に閉ざされたからこそ、僅かな光明救いを求めて足掻いている。そうではないだろうか。

 自分が、その光になってやることはできまいか。

 自惚れも大概にしろと言われればその通りなのだが、一人になってしまった瑠奈の一番最初の仲間として、なにかしてやれることはないかと思うのはいけないことだろうか。

「私からも、お願いします、奏真さん。私は瑠奈さんが新人だった頃からナビゲーターをしていますから、瑠奈さんの悲しみも、少しだけ理解できるんです」

 久留巳も切実な願いを抱えているようだった。

「けれど私じゃ、瑠奈さんと肩を並べることはできない。それができるのは、きっと奏真さんだけなんです」

「俺だけ……?」

「よくわからないんです。ですが、奏真さんは強い。それは物理的な意味ではなく、もっとこう、根本的な部分と言いましょうか」

 以前も仲間からそう言われた――瑠奈からも。

「ごめんなさい、私にもうまく説明できないんです。けれど、奏真さんが強い、というのはナビをしているからこそわかると言いましょうか……」

「そうか……ありがとう」

 自分がどう強いのか――それは正直よくわからない。けれど、それでも二人からも『友だちになってくれ』と頼まれては、無視できない。

 最も、この二人から言われなくとも、瑠奈と友だちになりたいと、そう思っているのだが。

4‐1

 ヴァンパイアによる物理的環境侵食は、なにも天候の変化だけにとどまらない。

 なにもない地形に突然火山を生み出したりと、規格外のことを平然とやってのける能力は、地球上に元から存在していた植物にも影響を与えた。

 即ち、草木の巨大化・異形化である。

 季節に関係なく狂い咲く桜、時期を考えなずに年中紅葉し葉を散らす椛や銀杏。

 旧豊川市沿岸部に位置するこの工業地帯も、その物理的環境侵食の荒波をもろに食らい、旧時代にはありえなかった様相を呈している。

 グレーと錆びた色を飲み込むように、緑が生い茂っている。当時どのように操業していたかは知らないが、さすがにここまで野放図な緑が広がっていたということだけはないだろう。

 目を転じてみる。面した海は、まるで北極海のような有様である。

 蒲郡ほどひどくはないが海には氷や氷山が浮かび、ここが日本だったという事実をも侵食せんとしているかのような状態だ。

 人間はほかの生物にはない『意識』や『意思』というものにこの地球を支配するに足る高等生物であるという証を見出した。

 ヴァンパイアが持つ、生物にも環境にも対する強烈な侵食能力は、意識や意思を塗りつぶす為に、ほかならぬこの星の意思が与えたものなのではなかろうか。

 地球は、「お前たちのせいで私が穢された」と、人類に怒りをあらわにしているのではないだろうか。

 こんな風になにもかもが書き換えられた環境を見せつけられると、そうは思わずにはいられない。

 奏真と瑠奈は高台の上に立ち、それぞれ血装を発現した。

 奏真の血装は、いよいよもっておかしくなりつつある。

 あの脈のようなものが、明らかに亀裂と呼んで差し支えないような状態になってしまっているのだ。まるでこれから羽化するぞ、というように。

 けれどそう良い方向ばかりにも考えられない。より自然に、壊れるかも、と思ってしまうのが人間というものだ。

「血装って、壊れたらどうなるんだ?」

「直るわよ。あなただって、ゾークに折られたとき直ったでしょう」

「そうだけど……そういう外部からの要因じゃなくて、内側からの要因で、だったら」

「……そればっかりは知らないわ。でも、通常血装は壊れないものなのよ。どんな理由であれ血装は壊れたりはしない」

 でも、と奏真は返した。

「ゾークには折られたぞ?」

「あれは特殊なケースね。でも基本的に血装は決して壊れない。形而上けいじじょう的な概念で生み出されたものだから、普通に使っている分にはまず壊れないわ」

 瑠奈が携帯端末を操作し、空中に戦術マップを展開する。

 当時は発電施設として稼働していた廃工場の3D地形があらわになる。エリアは中央の発電施設を取り囲むような作りになっている。

 使える物資はほとんど回収された後なので、工場内にはなにもない。

 密集する工場に、大型駐車場、入り組む通路、張り巡らされたパイプ。

 赤と白の縞模様の蒸留塔が最も高く、石油の分離施設を兼ねた火力発電所だったことが窺える。

 旧時代、原発の運用が世間的に厳しくなり火力発電所などが増設されたと聞くが、ここもそうしたものの名残なのかもしれない。

「奏真は前衛。私は後ろから狙撃するわ」

「了解。ブラッドバーストは?」

「好きに使って。ただ、効果時間が切れる前に……」

「退け、だろ。わかってる」

「ならいい。……こちらヘルシング。時刻一四〇〇ヒトヨンマルマル、作戦開始地点に到着」

「こちら作戦司令部、ヘルシングの現着了解、作戦行動の開始を発動します」

「了解。滅葬開始」

 飛び降りる。奏真は先頭に立ち、廃工場内に進んだ。

 奏真たちを降ろしたのと同時に飛ばした数機のドローンから送られてくる戦術データを元に久留巳が戦況を素早く説明した。

 ちなみにだが、現代に人工衛星はない。人工衛星の寿命は十年程度であることを考えれば当然だが、ヴァンパイアに侵されロケットの打ち上げ技術を失った人類に新たに衛星を打ち上げる余裕はなく、空からの偵察は専らドローンが主流だった。

「敵はトラインセク十五体に、オニキスアロウ十体、及びゴブリン並びにそれを統括するゴブリンロードの群れです」

 オリジナルの呼称に交じるファンタジックなネーミングセンスに、奏真は思わず苦笑する。

 しかし敵がゴブリンと言われても仕方のない外見をしているのもまた事実だ。

「トラインセクとオニキスアロウは工場内に立てこもり、ゴブリン軍団は大型駐車場から動いていません」

 久留巳が最後に一言注意を添える。

「合流の危険性は少ないですが、戦闘音を探知される可能性もありますのでご注意ください」

「そうなる前に速攻で終わらせるさ」

 工場内は、目を疑うような様相に変じていた。

 コンクリートが割れ、そこから草木が好き放題侵食し、さながら森を形作っていたのだ。

 工場、ということを一瞬忘れる。

 地中を掘るヴァンパイアでもいたのか、池のようなものまでできており、施設は完全に形骸化していた。

 その草木に紛れるように、茶色の外見のトラインセクを発見した。

 一言でいえば、虫と花の融合体。

 根っこの代わりに三本の虫のような節足を生やした、歩く蕾である。その動きは遅く、壁を張ったり天井に貼りついたりするという鬱陶しさを除けばグールよりも狩りやすい雑魚だ。枯葉色の体色が目立つ。

 そいつが三体。

 奏真は踏み込みと同時に紫雷を薙ぐ。足の一本を斬り飛ばし、姿勢を崩したところに蕾へ直刀を突き入れ、

 雷を解放。バチン、と電磁が爆ぜる音と紫の光が漏れ、トラインセクは内側から体組織を焼かれて絶命した。

「おっと」

 続く一体が、足を突き出して攻撃を仕掛けてくるのを、すんでのところで躱す。雑魚とはいえ油断はできない。その足は錐のように鋭く、一歩間違えば体に風穴を開けられる。

 二度のステップで足と足の間に入り込み、下段から逆風。

 雷を纏った刀身がヴゥン、と低く唸り、電気的振動で切断力を増し、疑似的な振動剣と化した紫雷がトラインセクを真っ二つに斬り裂く。

 黒い血が飛び散り、その最中を縫っていき最後の一体に跳躍と同時に放った大上段からの斬り下ろしでとどめを刺した。

「よし……」

 少しずつだが、強くなってきてはいる――と思う。奏真は様子のおかしい紫雷を目に、自信を感じていた。

4‐2

 そのとき、ボシュという音がして、奏真は半ば本能で後ろに転がった。目の前で爆発が起きて草花を散らす。

 壁に張り付いたトラインセクの攻撃だった。壁には三体張り付いており、時間差で攻撃を仕掛けてくる。

 蕾を口のように開き、そこから爆発する球を放つ。その軌道は直線ではなく放物線を描く。

 走って躱す。ドン、ドン、ドンと爆発が連続し、焦げたにおいをあたりに振り撒く。

「瑠奈、狙撃してくれ! 俺のじゃ届かない!」

「わかってる」

 と応えるのと同時に、光の狙撃弾がトラインセクを二体まとめて貫いた。壁から剥がれ落ちた死体が池に落ちる。全高一・八メートル、直径一・五メートルの巨体が水柱を上げた。

「この角度からじゃ狙えない」

「ソウルアーツ頼りかよ」

 紫雷に雷撃を纏わせ、できる限り接近してから刀身を袈裟懸けに振るう。紫紺の三日月が飛翔し、残るトラインセクを打った。

 バチン、と電気が炸裂する音がし、感電したトラインセクが池に落下した。浮かび上がってくる様子は――ない。

 と、上から軋りがした。奏真は即座に紫雷の腹を頭上に掲げ、それを防いだ。爆発弾が紫雷の腹に直撃し、爆風が全身を押し潰そうとのしかかってくる。

 歯を食いしばってその衝撃に耐え、天井を睨んだ。一体のトラインセクが張り付いていた。

 奏真は剣の切っ先をそいつに向け、ソウルアーツを放つ。

「そんなとこにいたんじゃ瑠奈も狙えないよな」

 雷撃が打ち上がった。その一撃で、トラインセクは落下。足から着地しようともがいたようだが、落下の勢いで足が押し潰され、立てなくなる。

 雷が直撃した頭上は肉が抉れ、焦げ、まるで皮膚に半田ごてを押し当てたような悲惨な有様になっていた。

 それでもまだ生きている。奏真はそいつに紫雷を突き立て、雷撃を走らせた。

 つくづくソウルアーツとは便利なものだ、と思う。奏真はまだソウルアーツに関しては血装から発することしかできない。

 だが使い慣れてくると血装以外の肉体や自分を中心とした一定の範囲に好きに異能を出せるようになるという。

 自分にはまだ、成長の余地が残されている。そう思うと、俄然戦う気力が湧いてくる

 トラインセクを七体。

「こちら瑠奈。オニキスアロウを六体撃破。そっちは?」

「トラインセクを七体。けど、ほかに見当たらない。久留巳、どうなってる?」

「はい、その塔の屋上にトラインセク及びオニキスアロウが集結しています。迎撃の構えを取っているようですね」

 残りトラインセク八体に、オニキスアロウ四体。いずれも初めての相手ではないし、このくらいなんともない。

「私も合流する。ここじゃ塔を狙えない」

「わかった」

 施設の外部に出て、マップを参照しながら階段の前に出る。錆びていて、踏み抜いてしまいそうだし、苔が生しているので滑りそうだった。

 が、数段上って足下を確かめるとそう問題はないように感じられた。

「待たせた?」

「いや。行こう」

 奏真が先頭に立って、数歩間を置いて瑠奈が続く。

 死臭。

「伏せろ!」

 屈んだ瞬間、頭上を白い鏃が銃弾と遜色ない速度で通り過ぎていった。階段の半ばに白と黒の縦縞模様の巨大な蜘蛛がいた。八つの赤い単眼がギラギラと輝く。

 オニキスアロウ。

 縞瑪瑙オニキスのような外見で、空気で硬化する糸を弓矢アロウのように放つから縞瑪瑙の弓という名前がついたヴァンパイアだ。

 瑠奈が奏真の脇から散弾を放つが、オニキスアロウはその動きを読んだように跳躍し、器用にパイプの上に立つ。奏真も落下防止柵を乗り越え、パイプの上に立った。

 ダンピールはバランス感覚も強化されているようで、こういう場所にいても足を踏み外すということはない。

 奏真はそれでも踏み外さぬよう気を配りながら接近。紫雷を振るい、顔面を斬り裂く。単眼の三つが潰れたが、オニキスアロウは八本の足でカサカサと後退。

 気色の悪い動きだ、と奏真は嫌悪を覚えた。

 人間は蛇か蜘蛛か、そのどちらかを忌避する傾向があるという。奏真は蜘蛛派だった。蜘蛛やムカデのもぞもぞと動く足を見ると、どうしようもない嫌悪感を抱かされる。

 奏真と距離を置いたそこに、瑠奈の炸裂弾が決まった。光の炸裂弾は縞瑪瑙の蜘蛛の顔面を吹き飛ばし、落下する前にさらに一発、炸裂弾が蜘蛛の胴体を粉々に吹き飛ばす。

 パイプが振動し、奏真は落とされる前に跳躍して階段の踊り場に戻った。

「危ないな。俺まで落ちたらどうする」

「落ちても死なないから」

「そういう問題じゃないだろ……」

 瑠奈の頭上へ落下してくるトラインセクに狙いを定め、奏真は雷撃を放つ。出力は高めと意識した。

 体力――というより精神的な『気力』を大きく使った気がしたが、その分だけ威力は上乗せされ、トラインセクは一撃で焼け焦げ吹き飛ばされた。

「気を付けろ」

「気づいてたわ」

「なら避けるくらいしろよ」

「庇われることもわかってた。私まで攻撃に参加したんじゃオーバーキルよ。一応、私にも死臭を探知する能力はあるんだから」

「信頼してくれたのか?」

 瑠奈はうんざり、という風に肩をすくめ、

「また友だちの話? あなたもしつこいわね」

「人は一人じゃ……」

「生きていけない。そう言いたいのね。そうなんでしょうね、実際。けど、それがなに? 繋がりを持つ人間全員が友だちだとでも? そうじゃないでしょう」

「けど……」

「けどなに? 確かに人は人との繋がりがなければ生きていけないかもしれない。けれど、だからって絶対に友だちがいるとは限らないわ」

「それは……」

「少し事情を知っている程度の同僚がいればいい。仕事に支障を来さない程度の繋がりがあればそれだけで充分」

 本当はそれさえも要らない、と瑠奈は思っていたが、奏真の真摯な瞳を見ているとその拒絶をするのは躊躇われた。

 彼は本気で自分と友だちになろうというのか。仲間を――唯一無二の親友を手にかけた“かもしれない”自分と。物好きにもほどがある。

 彼のことだ。

 きっと、自分の介錯の話は聞き及んでいるだろう。折に触れて自分に友だちを作れと言ってくるリリアや、意外と心配性な久留巳あたりがなにかを吹聴していてもおかしくない。

 それに心無い罵声を浴びせる輩。奏真とて戦場に立つ人間だ。同胞殺しと呼ばれる仲間について、当然調査くらいするだろう。

 自分も奏真についてはある程度調べている。獅童奏一郎と獅童風真の間に生まれ、四歳のとき戦災孤児となり孤児院に拾われた過去。

 デリケートなことなのであまり大っぴらには言えないが、こんな時代である。ありふれた過去の一つだった。ただ――

4‐3

 ただわからないのはむしろ彼のことではなく、獅童奏一郎だ。風真については様々な履歴が乗っているが、奏一郎に関しては情報が制限されている項目が多かった。

 自分の権限ではそのほとんどが閲覧ができない。わかったことといえば、奏一郎は元姫宮堂東海支社の科学者だったということだけだ。

 科学者の息子が、どうして第三世代ダンピールに選ばれたのか、わからない。もっともそれは自分にも、もう一人の第三世代ダンピール朔夜にも言えることだ。

 全員、片親もしくは両親がダンピールであるという、所謂ダンピールチルドレンではない。

 ごく普通の夫婦の間に生まれた普通の子供だ。

 しかし奏真はどこか特殊だ。支部長の反応といい、彼の成長速度といい、どこか作為的な意図を感じてしまう。

 まるで第三世代ダンピールになるべくしてなった、というような、そんな感じだ。

 まあ、考え過ぎという可能性はあるし、むしろその方が確率としては高そうだ。

 実際、第一世代ダンピールの中にも奏真のように急成長した者もいるし、少し前には旧世代のダンピールが始祖を三体倒してきたのだから。

 奏真が急速な成長を見せるのも全体的に俯瞰ふかんすればおかしなことではないのかもしれない。

「……そんなことより、早く滅葬するわよ。これ以上ヴァンパイアが群れて、ここに強力な個体が現れてコロニーを形成しようものなら目も当てられない」

 ヴァンパイアはあらゆる生命を襲う。ヴァンパイアでも違う種族なら殺し合う。

 相互扶助が成り立たないというわけではないが(実際コロニーというのも一種の相互扶助といえるだろう)、人間や動物を襲う。

 吸血して殺すこともあれば、逆に輸血を行いヴァンパイア化を促すこともある。まあどちらにしろ、生物は死ぬ。

 そんなヴァンパイアが群れをつくり、支部に移動してきては厄介だ。

 支部を取り囲む壁にはヴァンパイアが嫌う特殊な音響装置が埋め込まれており、ヴァンパイアを近寄らせないとはいえ、周辺にヴァンパイアが群がれば任務の移動などに支障を来す。

 それに、ある程度群れるとヴァンパイアは気が大きくなるのかどうかは知らないが、支部に襲い掛かってくることもある。

 音波は飽くまで嫌い、という程度のものであって、命に危機を与えるほどではない。群れを作り鼓舞すれば、簡単に壁に接近してくる。

 今回の任務は、そうした可能性を僅かでも減らす為に立案されたものだ。

 壁面にへばり付き奏真たちを狙うトラインセクなどを殺しながら、頂上に上がる。晴天の空から光が溢れ、大地を焼く。

 一般に、ヴァンパイアは太陽光を忌避するとされるが、それは創作上のデマであり、現実ではない。この世界に現れたあの化け物共は、光の下でも平然と活動する。

 ほかにも伝承上では吸血鬼というのは流水を渡れないとされるが、ヴァンパイアどもは平然と川や海を渡る。所詮ヴァンパイアなんて名前はそれが現れ出した頃にネット上でつけられた名前なので、実際の吸血鬼とは関係ないのかもしれない。

 二人が頂上の半ばまで来ると、四体にまで減ったトラインセクと、三体のオニキスアロウが現れた。

 繰り出される糸の矢を剣で弾きながら、まずは厄介な遠距離攻撃手段を持った蜘蛛を狙う。

 蜘蛛は距離を詰められると、慌てて飛び退こうとする。

 足に力を溜めているのを見て、このままでは空振りさせられそこを狙われる、と判断した奏真はあえて跳ばせてやることにした。

 オニキスアロウが跳躍。同時に奏真も踏み込む。着地地点をあらかじめ計算していた奏真にとって、降り立った八本の足を両断するのにさして時間は食わなかった。

 足を失った巨大蜘蛛はでたらめに跳ね回るが、奏真が頭部を断ち割ると動きを止めた。

 背後に死臭。しかし振り返らない。

 銃声が響き渡り、後ろから漂っていた死臭が途絶えた。奏真はそれに満足し、次のオニキスアロウに狙いを定める。

 糸を口の中でグチャグチャと練っているのがわかる。通常の蜘蛛は、腹の先端にある出糸突起しゅっしとっきという部分から糸を出すのだが、オニキスアロウは口からも出せる。

 腹から伸びたパイプが外部から空気を取り込み、それを圧縮して撃ち出す。

 たかが空気銃の物真似ではないか。そう侮って、風穴を開けられる新人は少なくないと、教官から学んでいた。

 奏真は撃ち出された糸の矢を斬り伏せ、加速。

 雷を足に付与し、ツボを刺激して脚力を上げる。ブラッドバーストほど劇的な効果は得られないが、それでもこうするのとしないのとでは身体能力に明らかな違いが出る。

 怒りか、焦りか、オニキスアロウが飛び掛かってきた。奏真はその下をスライディングで潜り抜け、振り返りざま尻に斬撃を加える。

 三度、四度と剣戟を重ね、こちらに振り返ろうとするオニキスアロウの足を蹴飛ばし圧し折る。

 動きが鈍ったそこに、瑠奈の散弾が叩き込まれた。再生能力の限度を超えた傷を与えられたオニキスアロウはそのまま沈黙した。

 最後の一体は、撤退しようと柵を乗り越えていた。奏真は瞬時に判断し、紫雷を投げ槍のように投擲。顔面に深々と突き刺さり、オニキスアロウの体がぐらりと傾ぐ。

 まずい。

「やべ」

 紫雷がオニキスアロウごと落ちる。

 そうはさせじと奏真は柵を乗り越え、左手で柵を力一杯掴み、右手を限界まで伸ばし、紫雷の柄を握る。

 オニキスアロウを振るい落とし、腕力だけで頂上に戻った。そのときには、トラインセクが一体だけ、しかも瀕死で横たわっていた。

 這いずって逃げようとするそいつに剣を突き立てると、とりあえず仕事の半分は終わった。

「久留巳、ゴブリンどもは?」

「駐車場から出ていませんね。戦闘音に気付いたのか、警戒はしているようです。ゴブリンロードが最奥に隠れています」

 ここからもその駐車場は見えた。ちらりと確認できる赤い点は、恐らくゴブリンだろう。

 あいつらは背丈が百六十センチ程度しかないが、赤い外皮に覆われた体は意外な筋力に満ちていて、油断していると骨を砕かれる。

「これからそっちに向かう。瑠奈はここから援護でどうだろう」

「それが妥当でしょうね。ブラッドバーストの調子はどう?」

「いける。一気にカタをつけよう」

4‐4

 獣の爪牙がそうであるように、ダンピールはそれぞれ己の潜在意識に根差した武器――血装を発現する。

 それと同じことをヴァンパイアがする、と初めて聞いたとき、奏真は『そりゃそうだ』というくらいにしか思っていなかった。

 というのも、血装の発現を可能とするのはヴァンパイアの血から生み出されたブラッドアームズである。

 となれば当然、その元であるヴァンパイアが血装――と呼ぶべきかは甚だ疑問だが――を身に持つのもわからないでもない。

 種族によって発現するものとしないものといるようだが、今までさんざん戦ってきたグールはあまり『武器持ち』にならない種族である。

 以前一度戦ったサイクロプスは棍棒を持っていたように武器持ちだ。といっても例外はあるもので、グールの中にも武器持ちは現れるらしい。

 ゴブリンは種族的に武器持ちになりやすいようで、棍棒や剣、盾といったものを装備していることが確認できた。

 発電施設の塔の頂上で、奏真はCLDの望遠機能を使って駐車場を眺めていた。CLDのコントローラーは携帯端末だ。連動するアプリがCLDを様々に動かす。

 夜間視認モード、拡張現実モード、望遠モードなど様々な機能を兼ねる。

「どうするの?」

「車が邪魔だけど……ゴブリンは一塊になって動きそうにない。ブラッドバーストで短期決戦に持ち込めば楽に排除できると思う」

 資材搬入用のトラックや、ガソリンタンクを積んだ大型トラック、民間用の軽自動車や大型乗用車など障害物が多い。そのどれもが希少金属やパーツの略奪の憂き目に遭っている。

 しかしそれは裏を取ってしまえば敵の大本営まで見つからずに向かうことができる。

「背中は任せるからな」

「……同僚の頼みなら、断れないわね」

「友だちとして、だ」

 瑠奈の眉間にしわがよるのも構わず、奏真は塔から飛び降りた。

 数十メートル下のコンクリートを踏み砕き、着地。急いで駐車場まで向かう。

(ん?)

 手に持つ紫雷に違和感を覚え、それを見て、奏真は目を瞠った。

 剣の刀身から、チェーンソーの刃が覗いている。

 いよいよ変化が起こるのか、と奏真は思った。まあ、直刀だろうとチェーンソードだろうと構わない。剣道のように、同じ装備で渡り合うスポーツをしているのではないのだ。

 戦いの中で練り上げられた技術ということで奏真は剣術も学んでいるが、それはほとんど土台作りでしかない。

 実際の戦場で振るわれる技は太古の昔から練り上げられてきた『武術』という枠から逸脱している。

 相手は戦う前に身体測定をしてくれるような、丁寧なスポーツマンシップなど持たない怪物だ。人間の術理から外れた異形。そいつらに届かせる剣となれば当然型破りな、我流剣術になっていく。

 奏真の剣術は『怪物狩り』に特化したものであり、そこには最早武士道や騎士道、礼節や礼儀といったものなど存在しない。情けも容赦もない、『殺し』のための技があるのみだ。

 世界中のどの武術も礼に始まり礼に終わる、精神的な涵養かんようという側面を持つのだが、ヴァンパイア相手にそんな汗臭い精神論が通用するわけがない。

(いた)

 奏真は塔から見ているであろう瑠奈にハンドシグナルを送った。単純な、『行くぞ』というようなサインだ。

 ターン、と乾いた音がして、目の前のゴブリンの頭が吹っ飛んだ。子供程度の矮躯が運動エネルギーの収支で吹き飛ぶ。

 ゴブリンが堂々と歩み出た奏真に気付く。何体かが飛び掛かってくるが――、遅い。

 ドクン、と鳴った鼓動に合わせ、奏真は血の力を解放する。

 バリン、と音がして、手の中の紫雷が変貌した。いつものような肉が脈打つような変化ではない。

 蛹を破った蝶のように、獰猛かつスマートな印象のチェーンソードは、外気にその姿を現した。

 刀身と切っ先にエッジ、峰上部には排気筒。峰の下部には機関部。まさにチェーンソーと剣のハイブリッド、という印象だ。

(戻らないな、これは)

 確信めいた直感だった。

(なんだ?)

 全身を駆け巡る雷撃が脳の神経伝達にも影響を及ぼすのか、その刹那、時間の流れが恐ろしく鈍化する。

 初めての感覚に戸惑いながらも、奏真は宙にある四体のゴブリンをまとめて斬り払った。

 バチバチと帯電するチェーンソー状態の紫雷が、ゴブリンの体を真っ二つに両断する。

 踏み込み、加速。

 一足一刀の間合いに入った敵は、半呼吸もしないうちに斬り刻まれる。

 受け太刀を作りカウンターを狙うゴブリンの腹を蹴って、吹き飛ばす。大型乗用車の側面にぶち当たった体の真ん中には黒い痣。

 なんとか歪んだ窓枠から這い出してきたが、次の瞬間には喀血して倒れる。臓器を潰されたようだ。それでも必死に前に進もうとするが、瑠奈の狙撃で息の根を止められる。

 まとめて三体を斬り払い、その死体を踏み越えてきたゴブリンの突きが奏真の腹を抉る。突き刺さったのは、カットラスのような湾曲した片刃の剣だ。

 痛みに歯を食いしばり、奏真はお返しに紫雷をそいつの心臓に突き立てた。

「いってぇ……」

 腹に刺さった剣を抜いていると、左右からの挟撃。

 奏真は後方に跳んで両側の斬撃を躱す。

 ゴブリン同士の剣がぶつかり火花を散らす。紫雷で交差された剣をかち上げるとその間に割って入り、右足を軸に旋転。

 回転範囲攻撃で二体を吹っ飛ばす。黒い血の跡を地面に刻んだ二体は絶命。

 ブラッドバーストの継続時間が残り二十秒を切ったところで、敵の数は十分の一にまで減っていた。

「瑠奈、雑魚を任せる。俺はゴブリンロードを潰す」

「わかったわ」

 最も奥まった場所で戦いの帰趨を見守っていた、小太りな二メートル近い体格のゴブリンロードに狙いを定め、奏真は挑みかかる。

 そのゴブリンロードは、二刀流だった。先ほどのゴブリンが握っていたものよりも遥かにごついカットラスを二本、左右の手に持っている。

 奏真は袈裟懸けに一閃、紫雷を振るう。しかしそれを片方の剣で受け止めたかと思うと、空いた方の剣で即座に打ちかかってきた。

 身を捻り、その一撃を避ける。軸がぶれた瞬間を狙いすましたかのように前蹴りが飛んできて奏真を弾き飛ばした。

 もしかしたら『高能種こうのうしゅ』かもしれない。

 高能種とは、その字の通り『高い能力を持った種』である。

 先天的であれ後天的であれなんらかの要因で同種でありながら別格の強さを持った個体。

 主にダンピールとの戦いで生き残った個体が高能種となるのだが、中にはそうした戦いに生き残った個体が残す子供が先天的な高能種ヴァンパイアとなることもある。

 こいつが先天的な方か後天的な方かは知らないが、放っておけば脅威になる。

「雑魚の掃討は完了。そっちは……苦戦してるみたいね」

 ゴブリンロードは初めての相手ではない。とはいえ、高能種と戦うのは初めてだ。

「多分こいつ、高能種だ。動きに無駄がない」

 奏真の剣戟軌道を見極め、確実に攻撃を防いでから反撃を仕掛けてくる。深追いもしない。

 攻撃を読んでいる。

 それを逆手にとってやろう。

 奏真はわざと、不必要な大振りの技を繰り出した。

 大上段からの脳天唐竹割。ゴブリンロードは身を捻り、紫雷が地面に叩きつけられる。回転する刃がコンクリートを粉砕した。

 そこに、

 ゴブリンロードが両腕を振り上げ、同じように剣を打ち下ろす。

 それを待っていた。

 奏真は低姿勢のまま斜めにステップ。

 一歩目で体を捻り、二歩目でゴブリンロードの背後に回る。

 狙うべき獲物を喪失したゴブリンロードが怪訝に辺りを見渡すが、そのときにはもう奏真の紫雷が背中から心臓に突き立てられていた。

 回転する刃が表皮と筋肉と骨を挽き、ミンチに変える。剣を引き抜いて、残り五秒、というところで戦闘が決着――

 せず、それでも、ゴブリンロードは動いた。

 末期の叫びを散らしながら、ゴブリンロードは剣を薙ぐ。

 奏真はそれを屈んで避け、今度はどてっ腹に紫雷を突き刺す。そのまま横薙ぎに振り抜いて臓物と黒い血をぶちまけさせた。

 だが――

4‐5

「おい……マジかよ!」

 肉を急速に再生させ、奏真の剣をがっちりホールドした状態で、ゴブリンロードは剣を振るおうとし、

 奏真は血装を離し、バック転。

 ターン、という銃声と共に、光が奏真の鼻先を掠めていった。

 脳天を撃ち抜かれたゴブリンロードが倒れ伏す。同時に、奏真のブラッドバーストが終了した。全身に倦怠感がのしかかってくる。

 ゴブリンロードに突き刺さったままの紫雷を引き抜き、検める。

 直刀には戻っていなかった。回転鋸剣のままだ。血装が変化した。

 いや、ブラッドバーストという強化状態にしか使えなかった武器形態なのだから、進化、というべきか。

 乱れた呼吸を整えたとき、奏真は通信機に向かって文句を漏らした。

「最後の一発、俺に当たってたらどうするんだ」

「当たらない確証があったから撃ったのよ。あの状態じゃどうあれ回避するしかないと思ったから。そっちに向かうわね」

「ああ。……ありがとうな」

「……? なにが?」

「俺のこと、信頼してくれたから、最後撃ったんだろ」

「同僚だから」

 念を押すように言われ、奏真は苦笑するしかない。友だちへの道は険しい。

「当該地域のヴァンパイアの滅葬を確認。お疲れ様です、ヘルシングの皆さん。それでは帰投準備に――」

 久留巳の言葉が、そこで途切れた。

「どうした?」

「緊急事態! 想定外のヴァンパイアが作戦地域に接近しています! 画像を確認。これは……ミノタウロス?」

「ミノタウロス……」

 知っている。座学で習った。伝承に語られる半人半牛の化け物。人間の体と牛の頭を持った異形。中型種とカテゴライズされる部類で武器持ちが多い。戦ったことは、まだない。

「奏真さん、気を付けて! 会敵まで間もなく――来ます!」

 重い音となにかがひしゃげる音がして、奏真はそちらに振り向いた。

 いる。

 全長四メートル近い巨体で、軽自動車を踏み潰した牛人間。右手には無骨な戦斧。

 奏真を見つけるなり、低く叫んで突進してきた。

 斧を両手に持ち、低く構えて突進。奏真は乗用車の上に跳んで直撃を避けようとしたが、ミノタウロスは凄まじい膂力で、車体の下に突き入れた斧を振り上げ車ごと奏真を跳ね上げた。

「なんっ……」

 空中で身を捻り、一緒に跳んだ車を蹴ってガソリンタンク車の上に飛び乗る。

「……つう馬鹿力だよ!」

 ポーチから爆薬を一つ取り出し、セット。

 ミノタウロスは落下してきた車を斧で吹き飛ばすと、猪突猛進を体現したかのような勢いで奏真の乗るガソリンタンク車に突っ込む。

 斧を振りかぶり、叩きつける。乗用車を軽々吹き飛ばした一撃は、ガソリンタンクの半ばまでめり込んだ。

 ガソリンが溢れ、あまりの強烈なにおいに飛び退いた奏真は眉をしかめたが好都合。てっきりガソリンも抜かれているかと思ったが、想像に反して満載されていたらしい。

 セットした爆薬に信号を送る。

 直後凄まじい爆炎が吹き上がった。

 ヴァンパイアに通常兵器は効かない。

 とはいえ、効果がないわけではない。血装で与えたダメージと違って再生力に阻害を与えることはできないが、通常兵器でも傷を負わせることはできる。

 ただ際限なく再生してしまうというだけで、しかし上手くいけば――即死級のダメージを加えることが出来れば、通常兵器でもなんとかヴァンパイアを仕留められる。

 だが、そんなことができるのは雑魚――小型ヴァンパイアがいいところだ。中型、大型ヴァンパイアを通常兵器で殺すことは理論上可能でも、実際に行うことはできない。

 だから人類は敗北し、小さな箱庭に引きこもっているのだ。

 戦車砲、レールガン、弾道ミサイル――とんでもない額の兵器を総動員しても、殺せるのは雑魚だけ。

 ダンピール一人が倒すよりも少なく、弱い相手しか殺せない旧時代の兵器は金を食うだけの無駄なものと成り果てた。

 いっそのこと、核兵器を使えば大型ヴァンパイアでも殺せるかもしれない。けれどその後に残るのは人類が生存できない不毛な土地だけだ。

 ヴァンパイアに勝てても、土地が汚染されては意味がない。

 熱波を肌に感じながら、奏真は唸った。やはり、大した傷になっていない。

 爆炎の向こうから、ゆるりとした足取りでミノタウロスが顔を出す。

「来いよ」

 言葉が通じたかどうかはわからない。が、ミノタウロスと奏真が地を蹴ったのは同時。

 攻撃範囲が広く、重量級で、一撃一撃が必殺技めいているが、懐に入ってしまえば勝機はある。そう睨んだ奏真は、あえて肉薄し、己の剣の間合いで戦うことを決意した。

 胴を斬り飛ばさんと振るわれた横薙ぎを跳んで躱し、空中で回転しながら左肩を斬る。回転する刃が、確かに黒い血を吸った。

 着地と同時に、肩を見る。再生が始まっているが、骨にまで達した一撃にミノタウロスは不快げに唸る。

 今度は、突き。これは見た。突きの後、振り上げに派生することも知っている。

 奏真はサイドステップでそれを躱し、豪風を逆巻かせながら掬い上げられた斧とがら空きになった脇腹に紫雷を突き立てる。

 回転鋸が筋骨逞しい肉を抉り、抉るように刀身を捻ると、傷口から大量の血が溢れ出した。

「っとぉ」

 裏拳が飛んできて、奏真は吹っ飛ばされた。斧ばかりに気を取られていた自分に呆れる。そうだ、あんな体をしているのだ。素手でも人間を吹き飛ばせるに決まっている。

 資材搬入用の大型トラックのコンテナに激突し、衝撃で大きく凹ませた。殴られた胸と叩きつけられた背中に激痛が走り、口の中に血の味が広がる。

「クッソ……」

 痛みに星がちらつく視界が元に戻ったと思ったときには、目の前でミノタウロスが大上段に斧を振り上げている。

 横に転がってその一撃を避ける。金属製のコンテナが紙切れのように叩き斬られる光景はどこか冗談めいていて、映画の合成映像のように見えてしまう。

 次のブラッドバースト発動まで、回避に徹するしかない。

 奏真は立て続けに繰り出される攻撃をとにかく避けた。

 一撃でも喰らえば終わりだ、と自分に言い聞かせる。

 が、鼓動が最高潮に達する寸前、ミノタウロスが信じられない行動に出た。

 さっきの奏真よろしく、突然得物を投擲した。

 反応できず、奏真はその一撃を貰った。

「が……っ、ぁ!」

 視界が突然宙を舞う。違う、臍から上が斬り飛ばされたのだ。

 仮定する。もしヴァンパイアの持つ武器がダンピールと同じ血装なら、その効果もまた血装と同一なのではないか。

 つまり、治癒力を阻害する――

「奏真っ!」

 ショットガンの咆哮と瑠奈の叫びが重なった。

 彼女はミノタウロスに向け、散弾を十数発連続して放った。指が擦り切れんばかりに引き金を弾き、シリンダーがぐるぐる回転し、撃鉄が狂ったように跳ね回る。

 散弾の幕に圧倒されたミノタウロスが退き、その隙に瑠奈は奏真の臍から下を回収して地面に赤黒い血だまりを作る奏真の許に駆け寄った。

 早くしなければ奏真が死んでしまう――瑠奈は、自分でも名状できない気持ちに急かされていた。

4‐6

「我慢して」

「ぐっ、ぁあああ!」

 肉と肉が癒着する感触は、言い表せないほど不快だった。

癒合ゆごう弾を撃ち込むわ」

「……っ?」

 なんだそれ、と問う間もなく、瑠奈に銃口を心臓に向けられた。

 銃声と共に放たれたそれは、奏真の心臓から全身に染み渡り、傷の治癒力を向上させた。

 肉と肉の接合速度が上がり、飛び散った血が体内に戻ってくる。

「なにした?」

「わかりやすく言えば、私のソウルアーツの一つを使った。回復を補佐する弾丸だと思ってくれればいいわ」

「回復を補佐……?」

「回復剤のように使用限度はないし、癒合弾の密度によっては回復剤に頼るより高い治癒力を瞬間的に得られる」

 そうすまし顔でいう瑠奈の額には、汗が浮かんでいた。

「それって、自分の体力を消耗するんだな?」

 奏真が指摘すると、瑠奈は首を横に振った。

「どちらかといえば、気力。最高威力の炸裂弾を撃つよりも、ほんの少しだけ多めに気力を消費する。けどそれもすぐに再生するわ」

「悪い、手間かけた」

「気にしないで。仕事だから」

 そこは友だちだから、と言ってもらいたかった。

 ともあれ、奏真は立ち上がる。

 スーツの丈が少し短くなり、腹が見えてしまっているがマシだろうと思う。あのまま下半身が霧になって再生するのを待っていたら、最悪股間丸出しで戦う羽目になっていた。

 銃創を負ったミノタウロスはそんな一連のやり取りを見ていたようで、どちらを狙うかと迷っているようだった。

 が、奏真が一歩前に出るとミノタウロスは斧を構え、突撃の姿勢を取った。

 ドクン、と心臓が高鳴るのを感じ、奏真はブラッドバーストを発動。全身を紫紺の雷光がバチバチと駆け巡った。

「バックアップしてくれ」

「わかってる」

 奏真とミノタウロスの突撃は、またも同時。

 バチリ、と電光の尾を引く奏真の速度を見誤らず、ミノタウロスは最適な瞬間に斧を振り上げた。

 が、奏真もそれくらい見切っていた。

 物理法則を無視したかのように、奏真はベクトルを無理矢理捻じ曲げ後ろへ跳んでいた。奏真を追う風が大音声を立てて荒れ狂う。

 一歩、加速。

「爆ぜろ」

 紫の残光が、幾重にも重なった。

 その直後、ミノタウロスの両腕が輪切りにされ転がった。

 重い金属音を立てて斧が落ちる。

 垂れ落ちる黒い血が重力に逆らい腕に戻っていく。

 その隙に、奏真はミノタウロスの腹に紫雷を突き立て、跳躍と同時に脳天まで斬り上げた。

 腕を即座に再生させたミノタウロスは割れる頭を自らの手で叩きつけ、無理矢理くっつけてしまう。

 背後に回った奏真に後ろ蹴りを喰らわせ、しかし奏真はその一撃を紫雷の腹で受け止める。

 五十センチほどノックバックしたが、衝撃は全身を巡り骨にひびを入れていた。

 足がよろけ、片膝をつく。

 敵にとってはまたとない恰好の機会。斧を拾い上げようとするミノタウロスの腕に、

「相手は一人じゃないのよ」

 瑠奈が炸裂弾を見舞った。爆圧で腕を押しのけられ、斧を狙った次の一発でミノタウロスのいかにも重そうな戦斧が宙を舞う。

 小賢しい真似をする少女に業を煮やしたミノタウロスは瑠奈を殴り殺そうと拳を振り下ろすが、瑠奈は軽快にそれを避けると肩を蹴って跳躍。

 奏真に血装を投げ渡し、自分はミノタウロスの斧を掴む。

 とんでもない重さだった。肩が抜ける。

「おらぁっ!」

 奏真が『血装:白夜』の引き金を引いた。瑠奈が扱う際には光の属性を宿すそれは雷属性を帯び、金の刺繍も奏真の持つ血装と同じ、禍々しい紫の脈に変化する。

 雷の散弾に押されたミノタウロスが、瑠奈の落下軌道と重なった。

「はぁああっ!」

 振りかぶった巨大な戦斧を、力一杯にミノタウロスの脳天に叩き込んだ。

 臍の辺りまで食い込んだそれを、驚くべきことにミノタウロスは掴んだ。

 これだけやってもまだ死んでいない。しかし再生速度が著しく低下している。あと一撃だ。

「奏真!」

 瑠奈の意図を汲み、中折れ式のリボルバーショットガンを彼女に投げ渡す。銃の紋様は瑠奈の手に渡った途端、金色の美しい刺繍に戻った。

 肉と肉がくっつき、一応の形を保ったミノタウロスは斧を円軌道に振るう。

 瑠奈と奏真はそれぞれ跳んで躱し、振り抜いた姿勢のまま肩で息をするミノタウロスに、それぞれ血装を放った。

 奏真の紫雷がミノタウロスの心臓を貫通し組織を粉砕、瑠奈はショットガンの銃剣を鼻に突き刺さし、銃口が密着した状態で狙撃弾を脳に撃ち込んだ。

 破裂し吹き飛んだ肉体は、もうぴくりとも動かない。

 再生は、しなかった。

「終わったな」

「ええ。滅葬終了。こちら特務分遣隊ヘルシング。イレギュラーを排除。これより帰投する」

「了解です。迎えの方に連絡入れておきますね」

 と、そのとき、傷口から剣を引き抜くときに奏真は違和感を感じた。

「なんだ?」

 剣に異常はない。

 しかしどうしても気になるので、奏真はチェーンソードの刃を回転させ、ミノタウロスの胸部を解体した。

 そこから、石が出てきた。

 二つに割れた、拳大の黒い石。

「……瑠奈、なにこれ」

「へえ、珍しいものを手に入れたわね」

「なんなんだ? 宝石?」

「いえ。それは『血晶けっしょう』というものよ。いい頃ね、そろそろ博士に説明してもらいましょう」

「……?」

 訳がわからないが、話が悪い方向に向かっているわけではなさそうなので、奏真は黙って従うことにした。

4‐7

 午後七時半、奏真と瑠奈はリリアに呼ばれ、彼女のラボに向かった。

「やあ、珍しい掘り出し物についてだね」

「ええ。それと、血装の強化」

「換金はしないんだね。わかった、じゃあこっちに」

 よくわからないやり取りの後、奏真と瑠奈はラボと隣接する別室に通された。

 そこは透明装甲を張った作業場という感じの部屋で、透明装甲の向こうには手術台と機械のアーム、こちら側にはそれを動かすのであろう端末が設置されている。

「奏真、血装を出してくれるかな」

「ん、ああ」

 血装は、どこからでも出せるのだが、奏真は主に胸から出す。部屋着のジャージ越しに現れた、無骨だがスマートな印象を抱かせるチェーンソードを抜いた。

「それを、この台座に」

 透明装甲の向こうと繋がる台座に乗せると、リリアがアームを操作して、向こう側の台座に置く。

 こうしてみると、自分の血装はつくづく変わっているなと思う。チェーンソーなんかを武器として認識しているのは、頭のおかしい旧時代のライトノベル作家とか、その辺だろう。

「これから行うのは血装の強化。難しく考えなくていい。奏真、ゲーム動画を見ることは?」

「あるけど……」

「なら話は早い。これから行うのは、要するにそれだ。理不尽系ダンジョン探索RPGは好きかな?」

「ああ。結構好きだ」

 ゲーム全盛期、ほとんどのゲームの難易度が『知育』『介護』などと称される時代に現れたゲームジャンル。

 ユーザーを突き放した難易度と鬼畜さをウリに、一部でマゾゲーなどと呼ばれつつも多くのファンを獲得した。

「あの手のゲームの武器強化を思い浮かべてみてくれ。普通のゲームの武器強化は、名前や外見が変わるが、あれらのゲームは『+1』などと表記されるだけだろう?」

「まあ、そんな感じだな」

「それと同じだ。外見上の変化はほとんどない。ゲームによっては違うがね」

「つまり、見た目は変わらないけど性能が上がるってことか?」

「そうだね。より斬り易く、強度も上がり、ソウルアーツとの相性も改善される」

「なんでそんなことが可能になる?」

 機械のアームを操作しつつ、リリアは作業を見守りながら説明する。

「君たちが拾ってきた血晶は、ヴァンパイアの血の塊だ。そしてそれは、魂の結晶でもあると私は考えている」

「魂の結晶……」

「血装も魂の発現であり、それ故に外見や機能が潜在意識に左右されるのではないかと私は思っているのだがね」

 ともかく、と咳払いし、リリアは続ける。

「しかしダンピールの魂の結晶は不完全だ。当然だな、ヴァンパイアのような純血ではないのだから、ヴァンパイアに劣ってしまうのは当たり前だ」

 奏真の血装に、黒い液体がスプレーで塗布されていく。黒い液体は紫雷にゆっくりとだが確実に吸い込まれていった。

「そこで血晶の出番というわけだ。純血のヴァンパイアの血の塊、それを一切希釈せず血装に投与することで、血装が持つ潜在能力を少しずつ目覚めさせることができるんだ」

「じゃあ、あの黒いのは……」

「そう、今吹きかけているのが血晶のエキスだね」

「俺たちダンピールがヴァンパイアの血を吸うんじゃだめなのか?」

「駄目だね。ダンピールはヴァンパイアの血に対して百パーセントの耐性を持つ。どんなに啜っても、血晶を噛み砕いて嚥下しても効果は出ないだろう」

 そう言って、リリアは続ける。

「だから、初回で打ち込まれるブラッドアームズの質が色々と議論を生むんだ」

「第一世代とか第二世代とか……」

 そう、とリリアは頷いた。

「希釈はあまりしない方がいいんじゃないか、ダンピールの安定した供給……大量生産のために薄める方がいいんじゃないか、とかね」

 そうしてさらりと、重要な事実を漏らす。

「ちなみにだが、パンドラ計画で用いられるブラッドアームズは一切希釈されてない」

「え?」

「驚いただろう? 運命かなにかは知らんが、第三世代ダンピールというのは生まれ持って特別な状態にあるんだろうな」

「希釈されてないものを取り込むのか……」

「そうだ。君たちは確かに半分は人間だろうが、ヴァンパイアの血の濃さはほかのダンピールの比ではない」

「純血に近いってことか?」

「そうなるね。……さて、奏真の血装の強化は終わったが、どうする?」

「なにが」

「君が拾ってきた血晶は強化二回分の量になる。このまま続けるか?」

「いや、瑠奈のを強化してくれ」

 突然話を振られた瑠奈が携帯の画面から顔を上げる。

「私はいいわよ。私の白夜は+3だし」

「いや、俺一人じゃミノタウロスは倒せなかった。二人だったからできたんだ。手柄を独り占めにするのは間違ってるだろ」

「…………同僚がそう言うなら」

「友だちが、だろ?」

「変なところにこだわらないで。鬱陶しい」

 リリアが忍び笑いを漏らす。

 その横で、不機嫌な顔をした瑠奈が血装を取り出す。

 奏真の血装と取り換え、今度は瑠奈の血装が作業台に乗った。奏真は血装をすぐに体内に戻す。特に、変わった感じはしない。

「ところでさ、血晶が珍しいとか言ってたけど」

「ああ。珍しいものだからね。発見されることは珍しい。百体に一体、血晶を持っていることがあるかないかというくらいだ」

「そんな珍しいものを、俺の独断で使ってよかったのか?」

「ダンピール部隊は、主に『討伐隊』と『調査隊』に分類することができる」

 話が突然変わったが、奏真は耳を傾ける。

「討伐隊は君たちや第十三分遣隊のように、避難民移送や補給部隊の通路確保、未開の土地の探索などや、今回のような脅威を事前に取り除くといった任務が主だ」

「ああ。探索も護衛もやった。けど探索っていうくらいなんだから、それも調査隊がやればいいんじゃないか?」

「その質問はもっともだろうね。で、その調査隊というのは、主に高能種や新種などの討伐を請け負う精鋭部隊だ。過去三度の始祖討伐任務においても、構成員は全員調査隊だった」

 瑠奈の血装に黒い液体が散布される。

「で、もっと広義な調査隊について話すと、所謂回収班と呼ばれる、君たちの事後処理にあたるチームがいるよね?」

「ああ」

「彼らは討伐したヴァンパイアからブラッドアームズの元となる血や、血肉、或いは捕獲されたヴァンパイアの管理を行う」

「なるほど……それで?」

「で、その過程で、彼らはヴァンパイアの体内から血晶がないかどうかを探すという任務が付帯するんだ」

 ちなみに死んだヴァンパイアには、通常の武器で傷つけても再生は行われない。そのため血装以外の装備でも好きに解体できるらしい。

「わかったぞ。血晶は基本的に調査隊の回収班が採取してくるもので、討伐隊には縁がない」

「そうだ。そして血晶は非常に価値の高い研究資材でもある。そのため回収班が採取してきた血晶は、研究に回され、一通り弄くり回されたものが強化用として配布されるわけだな」

「俺にはまだまだ無縁だな」

 配布の情報など、一度たりとも聞いたことはない。

「ちなみに配布はスコア――任務の成績によって決められるが、金を払えば優先度を上げることもできる」

「へえ……」

「もっとも、これでは報酬が多く貰える高いスコア保持者が権利を独占しかねないから細かいルールはあるがね」

「さっき、換金がどうのとかって訊いたのは?」

「血晶は討伐隊が拾った場合、その拾った者に所有権が渡る。血装の強化に使うか、研究資材として売り払って臨時のボーナスを得るか、好きな方を選べるんだ」

「なるほどな」

 瑠奈の血装強化も終了した。台座に乗せられた銃を取り出し、実弾を使うわけではないのだから必要もないのに銃身を折って細部を確認する。

「変わった感じするか?」

「特には」

「だよなぁ」

 リリアが笑う。

「実戦で試さなきゃ効果はわからんさ。それに劇的な変化を望めるわけではない。こういうのは積み重ねだ」

 まあ、そうだろう。そんなに上手くいく話は滅多にない。

「もっとも、君たちのスコアはだいぶ高いから、その内また血晶が回ってくるだろうがね」

「俺たちってそんなにスコア高いのか?」

「気にしたことないのかい?」

「ああ。だって、孤児院への資金援助は約束されてるし、俺は別に金を使う予定もないし」

「ほかのダンピールが聞いたら卒倒するだろうね。スコアはもっとも重要視されていると言っても過言じゃない。これの順位がそのまま依頼の質……つまり、報酬に影響するわけだから」

「へえ」

 あまり関心のない話だ。隣の瑠奈も同様であるのか、あまり興味を示している様子はない。

「緊急連絡、緊急連絡。特務分遣隊ヘルシングは至急支部長室に出頭されたし。繰り返す、特務分遣隊――」

「お呼び出しのようだね」

4‐8

 支部長室に入ると、革張りの椅子に腰を掛けた好々爺然としつつもどこか隙を伺わせない権蔵寺隆一と、怜悧な目をした漆原万里恵に出迎えられた。

「特務分遣隊ヘルシング、要請に応じました。ご用件は」

 瑠奈が促すと、隆一は姿勢を正した。

「これより一時間二十七分前に、第十一位始祖『闇統のゾーク』と思しき敵影が確認された」

 奏真は鼓動が早くなるのを感じた。

「場所は? どこです?」

「落ち着きたまえ、獅童くん。……万里恵」

「はい」

 端末を操作し、ホロディスプレイを表示。説明を開始する。

「旧豊田市のジオフロントで発見されました。当該地域で討伐任務にあたっていたチームが発見し、危険と判断して撤退」

 妥当なところだろう。東海五指に入る第十三分遣隊ですら撤退を選んだのだから。しかし奏真は、もうあのときとは違う。

「現在もそこにいるのかは不明ですが、なにかしらの痕跡を辿ることは可能ではないかと作戦司令部と話し合い、現在調査任務を立案中です」

「ジオフロントって、東海支部みたいなものですか?」

「いや、違う。ここのジオフロントは生産・研究・居住に主眼を置いたものだが、外の世界のジオフロントとは若干事情が異なる」

「旧時代、二〇一〇年代後半に差し掛かった時代、世界は爆発的に急増する人口に対策するため海上に島を作るメガフロートや地下を開拓したジオフロントなどを開発しました」

「次世代都市計画というやつだな。二〇二〇年代半ばにはそのほとんどが完成し、日本でも本格的な運用が始まった。商業区や地下鉄などの充実化だよ」

 隆一の言葉を万里恵が引き継ぐ。

「それが日本のジオフロント計画の支柱でした。住みよい地上での居住区を増やすために、日本は交通機関の主要なネットワークを地下に移したのです」

「だけど、二〇二〇年代半ばっていえば……」

「そうです、ヴァンパイアの台頭が始まった時代でもあります」

 万里恵はそこで言葉を区切って、端末を操作した。画面に地下都市の現在の様子が映し出される。

 光のない、死んだ都市。略奪にあった商店街、うち捨てられた地下鉄車両、ヴァンパイアが掘ったであろうトンネルは鍾乳洞のようにもなっている。

 ここにもヴァンパイアによる物理的環境侵食が見え隠れしている。

「現在、外部世界のジオフロント区画は地上よりも危険な、ヴァンパイアの巣窟と化しています。ここを探索することを許されたダンピールのチームは少ないです」

「そこで、今回諸君らには少数精鋭で調査任務にあたってもらいたい。獅童くんの実力と、神代くんの実績があれば、この任務をこなせると私は判断した」

「じゃあ……」

「しかし獅童くん、重ねて言うが今の君ではゾークには勝てん。深追いはするな」

「……っ、わかりました」

 とは言ったものの、実際に会ったらどうなるかわからなかった。

「いざというときは私が止めますので、ご安心を」

 瑠奈がそう言ってくれなければ、自分自身の感情を制御できなかったかもしれない。

(そうだ、一人じゃないんだ。瑠奈を危険に巻き込むようなことはできない)

 この復讐は、個人的なものだ。奏真自身で決着をつけなければならない、他人には関係のない――

 そこまで考えて、奏真ははたと気が付いた。

(俺のこの考え方は、瑠奈が根本的に抱えてる介錯への後悔と同じものなんじゃないか?)

 なんだ、自分も他人のことは言えないではないか。そんなことでよくもまあ恥ずかしげもなく『友だちになりましょう』などと言えたものだ。

 だが、瑠奈を復讐に巻き込んでいいのか。その答えもまた否だった。

(どうするのが正解なんだ)

「作戦は明朝を予定している。今夜はゆっくりと休みたまえ」

 答えの見つからない葛藤に溺れる心が現実に引き戻された。

 こんなことでどうする。任務に集中しろ。復讐などに気を取られて死んでいては両親も浮かばれない。

 自分に言い聞かせ、奏真は瑠奈と共に退室した。

     ◆

 その夜、奏真はベッドの中で煩悶していた。

 瑠奈に告げるべきか、黙っているべきか。

「クソ……」

 胸中に渦巻いていた言葉が、思わず形になった。

「……どうしたの?」

「ごめん、起こしたか?」

「いえ。あなたが唸ったりゴソゴソしたりするから眠れなかっただけ」

「あー、悪い」

 僅かな間。瑠奈が口を開く。

「復讐のこと?」

「……ああ」

「手伝うわ」

 意外な言葉に、奏真は間抜けに、え、としか返せなかった。

「手伝おうって言ってるの」

「……友――」

「違う。同僚だからよ。あなたの気持ちは、少しだけどわかる。だから任務に私情を挟むなだなんてことは言えない」

 飽くまでもその態度は崩さないらしい。

「精々、あなたが我を忘れないように手綱を引いてあげることくらいしかできないけど、手伝えることはあるわ」

「じゃあ、それでいいよ。今は同僚でも」

「永遠に同僚よ。仲間だなんて、そういうものでしょう」

「違うよ。仲間ってのは、友だちよりももっと進んだ絆で結ばれたもので……」

「なら、同僚って言うわ。私は」

「……俺じゃ、不満か?」

 瑠奈は答えない。奏真は続ける。

「俺は、君を置いていったりはしないよ。ずっと一緒にいる」

 それはある意味で好意の告白だった。矮小な形での、告白。

 届いたかどうかはわからない。僅かな身じろぎの音の後聞こえてきたのは、瑠奈の小さな寝息だけだった。

4‐9

 旧豊田市ジオフロントに入るには、都市部から向かうより近郊に空いた『穴』から向かえと言われた。

 以前討伐を請け負っていたチームが撤退したので、討伐任務が果たされておらず、調査だけでなく果たされなかった討伐も行ってほしいとのことだった。

 調査に討伐――それなら四人でチームを組めば、と思ったのだが、場所が狭い上にヘルシングならこのくら二人で出来なくては困るという意向があるらしい。

 そうした事情もあり、奏真と瑠奈は二人で豊田ジオフロントに向かう洞窟を歩いていた。

 春も半ばというのに冷たい空気が流れ、カビのにおいがする。

 夜目に慣れるまでもなく、CLDが自動で光量を調節してくれるので視界は問題ない。そもそもダンピールの目は夜目が利き、僅かな光量でも充分に視界を確保してくれる。

 先頭に奏真が立ち、数歩後ろに瑠奈が続く。

 足音が周囲に反響し、鍾乳石のように垂れた岩から水が滴る音が時々耳朶を打つ。

「事前情報によると、ナイトゴーントとノーデンスが確認されていたみたい」

「どういうやつらなんだ?」

「あなた、クトゥルー神話って知ってる?」

「……物好きなアメリカ人が作った創作神話だっけ?」

「そう。ラヴクラフトというアメリカ人作家が、作家仲間と共に創り出した混沌とした神話体系。ナイトゴーント……夜鬼やきは、その神話に登場する異形なの」

「神話が現実になったのか?」

「どうでしょうね。外見が似てるからそう呼ぶようになった、というべきかしら。ノーデンスはそのナイトゴーントを従える存在」

 彼女はどこか得意げに続ける。ひょっとしたら、そのクトゥルー神話というのが好きなのかもしれない。

「ヴァンパイアのノーデンスもナイトゴーントを支配下に置き、軍勢を組織する。奏真には初めての相手ね」

「どんな見た目で、どんな能力を使う?」

「ナイトゴーントは、見た目は目も鼻もない悪魔、という感じかしら。全長は百八十センチから二百センチ。バラバラに生えた角と蝙蝠みたいな羽、槍のように鋭い尻尾を持ってる」

 それも神話通りの姿なのかと問うと、瑠奈は頷いた。

「武器持ちは少なくて、攻撃手段は手の爪を使ったりした打撃。ソウルアーツを使うという報告はないわ。こいつもグールやランダイナスなんかと変わらない雑魚と総称される種ね」

「じゃあ、ノーデンスは? グールロードとか、ゴブリンロードみたいな感じか?」

「いいえ、背丈はこの前戦ったミノタウロスくらいある。こいつもやっぱり悪魔みたいな外見ね」

「悪魔、ねえ……」

「大杖を持っていることが多くて、破壊能力に特化したソウルアーツを持つわ。属性は個体によって変わるから、ちゃんと観察して」

「そういえばさ、話は変わるんだけど」

 周囲への警戒は怠らない。耳を澄ませ、目を凝らす。

「なに?」

「ブラッドバーストが、今までは気分が乗ったときに発動する感じだったんだけど、今は少し違うんだよな」

「意識下でコントロールできるようになったってこと?」

「ああ。実践してみないとなんとも言えないけど、そんな感じだ」

「血装の変質がブラッドアームズにまで変化を与えて、ブラッドバーストの効果をも変えたのね。いいことじゃない」

 そうなのだろうか。変化は必ずしも好む方向へ向くとは限らない。

「好きなタイミングで使えれば、効果時間やクールタイムを気にしないで済むわ」

「どういうことだ?」

「連続時間は四十秒でも、断続的に使えば使っていない間にクールタイムが加算されて、実質無限に使えるようになる。私のブラッドバーストもそう」

 確かに、そういった見方も出来るのだ。悪い方へ考える必要はない。

「気力――博士は『魂の力』……『ソウルエナジー』と呼ぶそれを使い切る前に、温存したまま終了することができる」

「そういえば陽子も好きなタイミングでブラッドバーストを終わらせてた……」

「ボルテージ系が悪いとは言わないけど、使い慣れてくるとソウルエナジー――SEの使い方にも気を配れるようになる。常に百パーセントの力で戦うことが重要ってわけじゃない。大切なのは使いどころ」

 死臭がした。

「いる」

「……確か?」

「ああ」

 足音を殺し、曲がり角を曲がると、二十メートル四方はある天井の高い広場になった洞窟の暗がりに、黒いものが佇んでいた。

 身長は奏真よりも十センチは高く、しかし体は細い。長身痩躯はその身を艶のない革のような、ゴムのような体表で包んでいて、頭部にはねじくれた角を持つ。

 両腕の爪は鋭く、そこだけはゴムではなく金属のような光沢を宿していた。

「あれがナイトゴーントか?」

「そうよ」

 小声で囁き合い、奏真は血装を握りしめる。この回転鋸剣は切断力も貫通力も破格だが、問題はもの凄い音が出るという点だ。

 隠密行動には向かない。かといって瑠奈の銃も同じだ。銃声は大きく響く。まあどの道、死臭を感知する能力はヴァンパイアも持つのだから、隠密などほぼ不可能なのだが。

「俺がやる。群れてきたら、蹴散らす。援護頼む」

「わかった」

 一歩、二歩――ブラッドバースト。加速。

 ナイトゴーントがこちらの接近に気付いたが、遅すぎる。

 奏真の『血装:紫雷』が回転。

 刃が廻り、唸りを上げて、ナイトゴーントの背中から心臓部を貫いた。そのまま肩まで斬り抜く。

 目も鼻もない、感覚器官があるのかどうか甚だわからない見た目なのに痛覚はあるのか、顔面に縦一文字に刻まれた亀裂――口が震え、傷口から血を撒き散らして昏倒した。

 天井付近に空いた穴から、次々とナイトゴーントが降り立ってくる。その中に数体、犬が交じっていた。白っぽい灰色の体毛をした、ハスキーのような外見の犬。

「コボルトか……コロニー?」

 コボルトは、ドイツの伝承にある妖精である。ほとんど目撃されていなかったため詳しい外見はわからないが、あるゲームで犬のように描かれたことからそのイメージが定着した。

 このヴァンパイアをコボルトと名付けた者も、そうした先入観を持っていたのだろう。

 頭だけ見れば、完全にグールとそっくりだが、あちらが半獣人であるならば、こちらは完全な獣。

 前傾姿勢ながらも一応の二足歩行は可能だが基本は四足歩行で、その上背は百六十センチほど。犬形態の体高は八十センチ以上。大型犬並み――いや、稀にいる巨大な狼並みだ。

 牙も爪も鋭く、グールよりも獰猛で原始的という特徴を持つ。

 基本はコボルトロードというリーダー格に付き従うが、そうでない個体はほかのヴァンパイアの猟犬として従属することがある。

 ナイトゴーント五体に、コボルト三体。

 瑠奈が狙撃。しかし本能か嗅覚か、事前に攻撃を察知していたコボルトは散開。

 ナイトゴーントの一体が『行け』とでも言うように腕を向けると、三体の犬が赤い目を輝かせ、瑠奈に三方向から迫る。速い。

 四本足で土を蹴って瑠奈に迫った犬の一体を、奏真は間に入って蹴り飛ばす。宙を舞った犬は空中で身を捻ると壁を蹴って奏真に爪を振るう。

 紫雷の回転する刃で受けとめ、後方に勢いを流す。背後で殺意が膨れ上がるのを察知し、後に回った犬に振り向きざま斬撃。

 飛び掛かってきていた犬は頭部を断ち斬られ、真っ黒な血をぶちまけた。

 一方の瑠奈は、二体のコボルトを相手に軽快に立ち回っていた。

 飛び掛かってきて軌道修正ができない一体に散弾を撃ち込み吹き飛ばすと、右側から入ってきた一体の爪を銃で受け止めて弾く。

 二足歩行のままたたらを踏んだコボルトの下顎に銃剣を突き刺し、そのまま股下まで斬り裂いた。

 銃だから接近戦は向かない――のだろうが、瑠奈は少しの間とはいえソロとして活動していた。

 懐に敵が入ってくることも初めてではないのだろう。銃剣を短槍のように巧みに操り、体術と合わせて白兵戦にも対応する。おまけに彼女は普段の訓練でも高い格闘能力と剣術を身に付けている。雑魚相手なら、まず後れを取らない。

 猟犬を十秒足らずで失ったナイトゴーントの動きに鈍りがでた。明らかに動揺している。どうする、こんな強いなんて聞いてないぞ、というような動き。

 戦線を崩すなら今を置いて他にない。

 ブラッドバーストを瞬間的に発動。

 たじろぐ五体の中心に入り込み、紫雷を薙ぐ。回転する刃が雷を帯びて攻撃範囲を広げる。

 瞬く間に三体の皮膚が斬り裂かれ、雷撃が肉を焼くにおいが立ち込めた。

 ゴムのようなのは外見だけではなく、においもそれらしかった。とてつもなく臭い。

 一体は深々と腹を裂かれ、臓物を零して絶命。

 残る二体は瀕死の重傷。死にかけの二体に瑠奈の狙撃が重なり、確実に死なせる。無事なのは二体だけ。

 断続的なブラッドバースト発動を心がけ、ドクン、と脈打つ拍動に合わせて加速。

 右側の一体を斬る。回転する刃が逆袈裟にナイトゴーントを斬り抜いた。

 右脇腹から抜けた刀身を八相に構え直し、袈裟斬り軌道に紫雷を振るう。

 交差傷を負ったナイトゴーントが数歩後ろに下がり、どうにか体勢を立て直そうとするがそんな時間など与えず、踏み込み突きでとどめを刺す。

 腹部から背中に貫通したチェーンソードを横に振り抜き、斬り倒した。

 残る一体が奏真を狙うが散弾の雨にそれを遮られる。

 振りかざした右腕の肘から先が吹き飛び、狙いを自分を攻撃してきた瑠奈に変えた。影のようにぬるりと走り、銃撃を掻い潜り再生した両腕を左右から振るう。

 瑠奈は軽やかな足捌きでそれを躱し、散弾を胴にぶち込む。ばっくりと腹に穴が開き、ナイトゴーントは悲鳴を上げて後ろに倒れた。

 虫の息のそいつの頭に散弾を撃ち、とどめを刺した。ほんの少しでも息があると、時間経過で再生される。

 そのまま衰弱死する可能性の方が高いが、再生される可能性もゼロとは言い切れない。帰り道に撃ち漏らしに寝首を掻かれたのでは笑うに笑えない。

 ともあれ、滅葬終了。一通りは倒した。回転を止めた紫雷の音が寂しげに尾を引く。辺りは不気味な静けさに包まれ、水滴が垂れる音だけが響く。

 異様な音も、死臭もしない。とりあえずは安全なようだ。

4‐10

「進むわよ」

「ああ」

 ノーデンスはいない。地下なので電波状況も悪く、障害物が多いのでドローンを飛ばすこともままならないので事前情報もほとんど得られない。音響走査も可能だが、やれば音を聞きつけたヴァンパイアが大挙して押し寄せて来るかもしれないので、危険だ。

 始祖がどれほどの知能を兼ね備えているのかは知らないが、捜索の目を逃れるためにこういう場所を選ぶのだから、全くの無知とは言えないだろう。

 奏真たち以前に加え、その事前から活動していたチームが探索していたため、マップ情報は問題ない。

 隅々までマッピングされ、新たに掘られた穴があれば別だが、今回は探索が目的ではないので新しい通路を見つけてもそちらには向かわない。

 鍾乳洞を抜けると、地下鉄遺構に出た。敷かれた線路の上に、廃棄された地下鉄車両が鎮座している。

 と、

「……ん?」

「どうしたの。急に立ち止まらないで」

「いや、気配が……」

「……するわね。二人いる」

 奏真と瑠奈は足音を殺し、気配がする地下鉄車両に乗り込んだ。辺りには缶詰やパウチなどが散乱していて、通路を挟んだ両側に横一列ずつ並んだ椅子の上には毛布がある。

「出て来い。いるのはわかってる。盗賊かなんだかは知らないが、邪魔をするなら――」

「ま、待って!」

 影から人が飛び出してきた。咄嗟にそちらに剣を向けるが、すぐに収めた。

「生き残り……か?」

「みたいね」

「あ、あんたら、ダンピールか?」

 そいつは男だった。二十代半ばほど。よく見ると、その後ろに十歳かそこらの少年もいた。

「ああ。血盟騎士団東海支部所属、特務分遣隊ヘルシングだ」

「助けに来てくれたのか?」

 そうではない。調査に来た。

 だが怯えた兎のような目をする少年を見ていると、『お前らなんか知るか』とは到底言えなかった。

「まあ、そうだな」

 瑠奈もなにも言わない。

「よ、よかった! 最近、ここらのヴァンパイアが統制を取ってるから出られなくて……食料も底を尽きたし、どうすればいいのか……」

「落ち着いてくれ。これからヘリに案内する。任務があるから支部に向かうのはもう少し後になるかもしれないが、とりあえず安全を確保してやれる」

「ありがとう……」

「瑠奈、任せていいか?」

 少女は肩をすくめて、ため息混じりに、

「人間は人類の数少ない遺産だし、無視もできないわ。私が連れて行くから、奏真はとりあえずこの周辺で待機していて」

「わかった」

 瑠奈が青年と少年を連れ、鍾乳洞に引き返していく。

 奏真はその瞬間、死臭を嗅いだ。

 ほぼ勘だった。その場に伏せると、凄まじい轟音と衝撃、そして熱が車両を襲った。その勢いは重機でも激突したのかというほどで、車両がひっくり返った。

 それまで窓だった部分が床になり、反対側のドアが天井になる。

「クソ、なんだ!」

 跳躍一回でドアから外に出ると、背の高い天井に伸びる闇を見た。

 醜悪な、鬼か悪魔のような顔。

 目は赤く、口からは牙が上下四本伸びている。白い肌の巨体は四メートル。ミノタウロスと比べると特別筋肉質というわけではないが、スリムで無駄のない体つきをしている。

 両手に背丈ほどもある大杖を持ち、尻でガツンとプラットフォームの床を叩くと、巨人の目の前に人の頭ほどある火球が五つ、五角系の頂点を模るように生まれた。

「ノーデンスか……?」

 恐らくそうだろう。密かに隠れ、死臭を消し、静かに奏真が一人になるのを待っていたに違いない。

 火球が発射される。時間差で五発が撃ち出され、奏真は回避のため走る。着弾した火球は次々爆発を起こし、レールの枕木を、コンクリートを砕く。

 最後の一発を躱した奏真はプラットフォームに飛び乗り、ノーデンスと対峙する。

 加速。一歩で彼我の距離十メートルを詰め、まずは足を崩そうと仕掛けた。

「滅葬、開始……っ!」

 鼓動が早まり、異能が出力を上がる。脈と刃が発光。雷光が残像を引き、斬撃軌道上に紫紺の尾を引く。

 足を深く裂いた。左脛を割った逆袈裟の一撃の勢いのまま腕を捻り袈裟に斬撃を出す。黒い血が溢れ出し、ノーデンスが左膝をついた。

 黒い血霧けつむが傷口に吸い込まれ治癒が始まる。しばらくもしないうちにダウンから立ち直るだろう。大打撃を与えるなら今だ。

 意識を集中。気力を臍下丹田せいかたんでんで練り上げ、異能の勢いを増す。チェーンソードの唸りが爆音に匹敵する回転数にまで跳ね上がり、紫の雷光が闇を千切る。

 鼓動が最高潮に達したその瞬間、奏真は脇構えに溜めていた剣を振り抜いた。

 耳をつんざく雷鳴が轟いた。

 渾身の溜め攻撃はノーデンスの胴を両断したのみならず、吹き飛ばした上半身を反対側の線路の壁面に叩きつけ、壁を陥没させた。

 が、終わりではない。残された下半身は黒い霧となって渦を巻き、ノーデンスの断面に吸い込まれ再生する。

 大きなダメージにはなっただろうが、さすがに強力なヴァンパイアを一撃死させるほどの攻撃力ではないようだ。

 回転数が元に戻り、それでもうるさいくらいの騒音を撒き散らす愛剣を見る。刃と脈の発光現象は収まり、しかしバチバチと帯電する輝きが闇を照らす。

 ごう、と音がして火炎の波が襲い来る。奏真はそれを斬り裂き続け前身。袈裟逆袈裟と横に倒した8の字を描くように剣を薙いでいく。

 風圧と剣圧だけで炎の濁流の中を突き進む。様々な防御加工が施されたスーツが燃えることはなかったが、全身がサウナの中にいるかのような熱波に包まれた。

 炎の向こうに、杖の先端が見えた。それを柄頭で弾き、火炎放射の射線をずらす。

 体軸がぶれた右足に斬りこみ、直後薙がれた杖に脇腹を強打され、奏真は線路の上を転がった。二十メートルは飛んだ。肋骨が折れ、皮膚から突き出されていることが感覚でわかる。

 直後、肉と骨がぐるりと渦巻き再生。この間も痛覚は生きているから、言いようもない不快感に苛まれることになる。

「ぐ……っ、く……」

 口の中に込み上げてきた血を嚥下する。生臭さと金臭さが混じった味が咽喉を満たした。

「ぁあ……クソ、今殺してやる」

 奏真は静かな風貌の中に、怒りという獣を飼っている。両親を奪った始祖――いや、ヴァンパイアへの強烈な怒り。

 親を失った子供たちの怒り。我がもの顔で地上を闊歩する怪物への底のない怒り。普段は上手く隠しているそれも、一度溢れると止められなくなる。

 紫雷が怒りに呼応したように猛烈に回転。脈が鼓動し、異能の循環率が上がる。

(次でとどめだ)

 奏真は紫雷を上段霞に構えた。切っ先を相手に向け、刺突を行うことに特化した構え。元は相手の目を潰すための構えだったが、奏真の我流剣術においては突きの構えだ。

 踏み抜いた枕木の破片が散り、爆風めいた風圧に洗われ病葉わくらばのように散る。

 一歩目で加速。

 二歩目で彼我の距離はなくなり、三歩目――指呼の間で睨み合ったのも束の間、奏真は紫雷を突き出した。

 ノーデンスはそれを杖で受け止めたが、最早光としてしか認識できない回転鋸に鍔迫り合いなどというものは発生せず、触れ合った瞬間半ばから圧し折った。

 腹のど真ん中に深々と紫雷が突き刺さる。奏真はそのまま跳躍、脳天まで斬り上げた。

 バシャ、と黒い血が飛び散り、雨を降らせる。

 腹の半ばから脳天まで斬り裂かれたノーデンスはそのままひっくり返ると、二度と起き上がらなかった。

 回転を止めた紫雷を薙ぎ、血振りを済ませ、奏真は呼吸を整えた。

 ふと、妙なものが見えた。

「……?」

 目の前の空間が、脈打つ。

 疲れて幻覚でも見ているのか。

「なん……」

 そいつは、現れると同時に断頭剣を突き出した。

 切っ先のない平坦なそれに打ち据えられた奏真はスーパーボールのように吹き飛び、プラットフォームの自販機にぶち当たって自販機ごと倒れた。

 通信機が外れたが、そんなことは意中になかった。

 今の、空間の歪み。そしてあの断頭剣は……。

「かはっ」

 なんとか立ち上がり、

「……てめぇ」

 そこに現れたのが第十一位始祖『闇統のゾーク』であることを知るなり、咆哮した。

「うぅぉぉおおおおおああああっ!」

 熱さをとっくに通り越した劫火のような血流が脳天に達し、奏真は作戦のことも忘れてゾークに挑みかかった。

4‐11

「奏真さんがノーデンスを撃破しました」

「そう、あとは調査だけね」

 避難民をヘリに乗せた瑠奈は、不安がる少年の頭を撫でて、洞窟に戻った。

「奏真さん!? 奏真さん!」

「どうしたの?」

「緊急事態です! 奏真さんが第十一位始祖『闇統のゾーク』と交戦に入りました! 通信機が外れたようで、通話ができません!」

 CLDから視覚情報だけは送られてくるので、交戦状態に入ったことまではわかるのだろうが、通信機がないのでは撤退させることができない。

「あの馬鹿……私が直接行って止めるわ」

「了解、できる限り急いでください!」

 言われなくてもそのつもりだ。

 瑠奈はさっきまで進んだ道を駆け抜ける。

「――!」

 曲がり角を曲がった直後、なにかが突き出された。すんでのところで瑠奈は後方に転がってそれを回避するが、頬を掠めたなにかが僅かながら血を吸った。

 見ると、そいつは歩くトカゲという外見をしたヴァンパイアだった。上背はナイトゴーントと変わらない、大柄な大人ほど。垂れる尻尾を含めれば二メートルを優に超えるだろう。

 腹は白く、鱗に覆われた顔と背中、尻尾は緑。武器持ちで、無骨な槍を持っている。

「リザードマン……? どうして。さっきまでは……」

 影も形もなかった。どこかに潜んでいて、獲物が一人になるのを待っていたのか。

 その数は十を下らない。

 ちっと舌を打ち、瑠奈は銃を構えて撃った。散弾がリザードマンの腹を抉り、黒い血を撒き散らしながら吹っ飛ばす。

 鱗に覆われた部分は非常に硬く、炸裂弾でなければ吹き飛ばすことは叶わないが、腹は比較的柔らかい。

 一体が跳躍と同時に槍を振るう。サイドステップで回避。土が抉れ、瑠奈はすかさずその槍を踏みつけて『血装:白夜』の銃剣をリザードマンの喉に突き刺した。

 そのまま射撃。頭部が消えたリザードマンが倒れ、その向こうで密集陣形を組んでいる四体の群れに、瑠奈は最大出力の炸裂弾を撃ち込んだ。

 熱を伴わない光の爆風が闇を吹き飛ばす。衝撃波が駆け抜け、爆発的な閃光が引く頃にはリザードマン四体は体の各部を欠損し、倒れ伏していた。

 これでおよそ半数。今とどめを刺している暇はないので、残りも可及的速やかに排除しなくてはならない。

 残りはざっと見たところ五体。どこかに潜んでいるやつさえいなければ、それで全てだ。

 一体が槍を突き出してくるのを回避し、もう一体が瑠奈の頭上を取ってのしかかってくる。

 即座に銃を上に向け、射撃。散弾に腹を食い破られたリザードマンは瑠奈の傍に落ち、その頭にとどめの一発を撃ち込む。

 突き出された槍を掴み、引き寄せる。少女とはいえダンピール。その腕力は並みではなくリザードマンは引き合いに負けつんのめるように前に出た。

 下顎に銃剣を突き立て、射撃。頭を粉々に砕く。

 残り三体。面倒だ、一撃で終わらせる。

 通路を引き返し、三体を細い道で一直線に並べる。

「ブラッドバースト」

 囁きは必要ない。しかしつい癖で言ってしまう。“彼女”が剽軽ひょうきんに笑いながら言うのだ。『あのねー、必殺技とか、名前付けると恰好いいんだよ』。

 結局その話は聞きもしなかったが、ブラッドバースト発動の際には癖で言葉が出てしまう。

 銃剣が九十度下に回転し、銃口が変化した。まるでパラボラアンテナのように口が広がる。

 散弾、狙撃弾、炸裂弾、癒合弾。そしてブラッドバーストをして可能となる超高出力の『光線』が、瑠奈が持つ技の中で最強の一撃だ。

 だがこの一射は、チャージに時間がかかるためそう気楽には使えない。SEの消耗も大きいのだ。

 トリガーを押し込み、光線の充填を開始。五つあるシリンダーの穴に光が灯れば射撃可能の合図だ。一つ二つでも撃てるが、威力は著しく低下する。

 一つ、二つ、三つ。

 のっそりと曲がり角の向こうからリザードマンたちが現れる。

 四つ。

 三体が縦に並ぶ。一体が槍を構え、突進し、

 五つ目の輝き。――撃つ。

 直径一メートルはある、銃口に比して巨大な光線が放たれた。光の奔流がリザードマンの上半身を丸呑みにし、巻き込まれた鍾乳石を消し飛ばして壁を深々と抉る。

 光線が収束し、光が消える。

 舐め溶かされたチョコレートのような断面を見せ、三体のリザードマンの残骸が倒れた。

「解除」

 銃口が元に戻り、銃剣が最初の位置に収まる。

 あの広場に出て、瑠奈は損傷させたリザードマンたちにとどめを刺していった。

 最初に戦ったナイトゴーントとコボルトの死体も相俟あいまって、辺りは死屍累々だ。

 そこに、

「…………来るなら来なさい」

 死臭。

 正規の通路ではない洞窟から、リザードマンよりも巨大なトカゲ人間――リザードマンロードが現れる。

 外見的にはリザードマンとそう変わらないが、体は巨大で、三メートルはあるだろう。腰から生えた太い尻尾を含めればその数字はさらに大きくなる。

 手には槍ではなく、斧槍。ハルバートだ。文字通り斧と槍を足した武器である。

 迷わず撃つ。散弾を速射し、少しでもダメージを負わせていく。

 散弾を食らった腹は黒い血を吐き出すが、雑魚とは称されないヴァンパイアの治癒力は凄まじく、開いた穴もすぐに塞がっていく。

 長いリーチを活かし、ハルバートを薙ぐ。瑠奈は後ろに跳んで回避。しかしそこを突きが襲う。突きの連打。乱れ突きを軽やかな足捌きで避け、反撃の糸口を探す。

 腕が伸びきったのを目に、瑠奈はあえて懐に飛び込む。槍と化した銃剣を右腕の脇に突き込み炸裂弾をゼロ距離射撃。

 戦車の榴散弾がそうするように、銃口から飛び出した光は即座に爆発し、瑠奈の全身を爆圧で吹き飛ばす。

 宙で身を捻って、壁を蹴って着地。見ると、リザードマンロードの腕が付け根から吹き飛んでいた。

 利き手でもない左腕一本では満足にハルバートを振るえまい、と内心ほくそ笑む。

 再生が始まる前に仕掛ける。

 大振りで、隙の大きくなった攻撃を誘って巧みに肉薄。今度は腹部に銃剣を突き立て、炸裂弾をゼロ距離射撃。

 凄まじい爆風に瑠奈の矮躯は面白いように舞うが、予定していたことなので慌てず体勢を正して着地。

 こちらは無傷。あちらは腹と臓器をごっそり吹き飛ばされ、再生力が限界を迎えつつある。

 残った力を振り絞ったのか、リザードマンロードは右腕と腹を瞬時に再生させると、その巨体からは考えられない勢いで跳躍。

 縦一文字。瑠奈を頭から一気に叩き割らんと、ハルバートを振るった。

 前に跳んで躱し、後ろを取る。

「ブラッドバースト」

 銃口が展開を開始、トリガーを絞ってチャージを開始する。

 振り返りざま竜巻のように回転したハルバートを屈んで避け、二転目、足を狙ったように下段を滑る一撃を跳んで回避。流れるように振り上げられた一撃を躱し、距離を取る。

 五つ。

 最後の一つが、恐ろしく遅く感じられる。

 と、足下にリザードマンの槍。瑠奈は銃と引き金を左手で固定し、蹴り上げた槍を右手で掴む。ヴァンパイアの武器は、血装のようなものだ。

 ヴァンパイアがヴァンパイアを殺せるように、ヴァンパイアの武器はヴァンパイアを傷つけられる。

 瑠奈はその槍を投擲した。矢のような速度で飛翔したそれはリザードマンロードの右目を抉る。激痛と視界を失った混乱でリザードマンロードが武器を取り落とし片目を押さえた。

 恰好のチャンス。

 五つ目が発光。

 照準し、引き金から指を放した。直後、消滅の光芒が解き放たれた。

 パラボラアンテナのような銃口から光線が走り、リザードマンロードの頭部を背後の鍾乳石とやつの悲鳴ごと一気に飲み込む。照射時間は三秒ほど。それで充分だった。

 光が止むと、首から上を失くしたリザードマンロードが重い響きを立てて倒れた。

「ふう……解除」

 銃が元に戻るのと同時に、無線が入った。

「瑠奈さん!」

「なに?」

「奏真さんが……活動限界を迎えました」

「大丈夫なの!?」

 自分でも信じられないほど声を荒げていた。なぜかはわからないが、感情が言うことを聞かなかった。

「バイタルを確認する限り、回復剤を八回投与してます。それでも現在戦っています。早く止めてください!」

4‐12

「ぶっ殺してやる」

 口から垂れる血をジャケットの袖で乱暴に拭い、紫雷を手に走る。

 ゾークは声も咆哮も上げず、無言で自分の周りに十数もの黒いナイフを出現させた。

 どれも闇を纏っている。

(あんなもの、斬り落としてやる)

 飛んできたナイフを紫雷で斬り払おうとして、

「!?」

 ずるり、とナイフが紫雷を貫通した。紫雷の刀身が割れ、再生するが驚きを隠せない。なにが起きたかわからないまま、奏真の体を三本のナイフが貫通した。

 どれも抵抗なく、豆腐を切るように肌に吸い込まれた。

「ごふ……っ……ぐぅ……」

 さっきの戦いで、高出力のブラッドバーストを使ったせいで、クールダウンにまだ時間がいる。紫雷の発光現象も、異能の雷もない。

 血反吐を吐きながら、それでもゾークに肉薄した。無骨な断頭剣が振るわれ、奏真は姿勢を低くしてそれを回避する。

 あれと打ち合うと武器が斬られるというのは学習済みだ。まさかナイフまでそんな力を持っているとは思わなかったが。

 刃圏はけんにゾークを捉える。やつは特別速いわけではない。この距離で攻撃をかわすことは不可能。

 奏真はそう確信し、抜き胴を放つ。黒い闇のローブを引き裂き、血肉を抉る。そう思われたが――

「……?」

 頭上から断頭剣。奏真はすぐに後ろに跳んで回避するが、間に合わなかった。刃先が額を斬り、血が溢れだす。

「ぐっ……」

 ナイフの創傷といい、額の傷といい、再生しない。奏真は腰のポーチから圧搾注射器の回復剤を取り出し、首筋に突き立てて尻のボタンを二度押した。

 薬液が二回分注入され、一時的に治癒力を取り戻す。これで十回。もう後はない。

 再びナイフの弾幕。今度は全て躱す。

 前進しながらナイフの軌道を読み、跳んで、屈んで、身を捻って回避。ジャケットの裾が破れたり肩口を裂かれたりしたが、直撃はない。

 再び剣の間合いに詰め、奏真は袈裟に剣を振るい、

「な……」

 今度こそ見た。

 剣が、やつの表面をすり抜けた。

 そこで、ようやくこいつの能力に気付いた。

 恐らく、空間を捻じ曲げる力だ。

 なんの前触れもなく現れるのも、断頭剣やナイフが物理的な鍔迫り合いをしないのも、攻撃が透過するのも、空間を歪めて全てをやり過ごしているのだ。

 やつの武器は空間ごと対象を斬り裂き、やつのローブは空間を歪めることで攻撃をすり抜けさせる。

 こんなやつと、どう戦えばいい。

「奏真!」

 瑠奈の怒号がプラットフォームに響き渡った。ゾークもそちらに反応する。闇がわだかまるフードの下に揺れる狐火のような蒼い瞳が瑠奈を照準した。

 数十ものナイフが生まれ、射出される。

 瑠奈は散弾を放ち、撃ち落とそうとした。

 無駄だ、と注意喚起しようとした奏真は、またも驚愕する。

 瑠奈の光の散弾は、ナイフを撃ち落としたのだ。

「……どういうことだ?」

 単純に、属性の相性だろうか。

 考えている暇はない。

 ナイフの弾幕は勢いをいや増し、瑠奈を追い詰める。一本が瑠奈の腿を貫き、彼女は転んで地面を這う。そこに、数十本ものナイフが突き立つ。

「がぁああっ! ぁああぁ!」

 滅多に悲鳴を上げない瑠奈が激痛に泣き叫ぶ。何故かはわからないが、始祖の攻撃は一際痛く、傷の治りも酷く遅い。

 ゾークがとどめに断頭剣を振り下ろそうとし、

(ブラッドバースト!)

 奏真の紫雷が発光。刃が、ドクドク蠢く脈が光り輝く。

「させるか!」

 瑠奈に振るわれていた断頭剣が、まるでこうなることを予期していたかのように奏真に向かって振るわれる。躱せない。

 奏真は咄嗟の判断で、無駄だとわかっていながらも紫雷で断頭剣を受け止め、

「え?」

 弾き飛ばされた。プラットフォームを転がり、エレベーターの入り口を粉砕してケージ内に転がり込む。

 今、弾き飛ばされた。

 斬られていない。

 なにが起きた。

 見ると、ゾークは何故か奏真ではなく、瑠奈を執拗に狙っていた。どうにか立ち上がった彼女をナイフで追い詰め、見せしめのように悲鳴を上げさせ、

『俺は、君を置いていったりはしないよ。ずっと一緒にいる』

 昨日、自分で言った台詞を思い出した。

 それは、酷く矮小な形での告白であり、簡単に裏返すことのできる言葉だった――

『俺は、君に振り向いて欲しいんだ。ずっと一緒にいてくれ』

 ――と。

     ◆

 血盟騎士団地上二十七階、作戦司令室。

 ヘルシングの作戦行動の際には必ず同行する支部長が、久留巳の隣で目を瞠った。

「これは……」

「奏真さんの適合率が上がってます……」

 第二世代で平均値八十パーセント台の適合率。

 元は九十七パーセントだったただでさえ高い奏真の適合率が(ちなみに瑠奈は適合率九十二パーセントだ)、ここにきて急激な上昇を始めていた。

「奏真さんの適合率、九十九、百……百八パーセント!」

「なにが起きている……?」

     ◆

 瑠奈を失いたくない。

 瑠奈を殺そうとするゾークが許せない。

 瑠奈にまだ想いを伝えていない。

 それらは集約すると、怒りだった。

 自分への、ゾークへの、ヴァンパイアへの怒り。そして、裏腹にあるのは愛だ。

 奏真の左腕と顔の下半分を、紫紺の雷撃が走った。

 バチバチと音を立てて絡みつき、奏真の顔の下半分をアーメットと呼ばれる中世の騎士甲冑の、紫の脈が走った黒い兜の下半分のようなものが覆う。

 左腕をこれもやはり鎧のようなものが覆った。黒く、無骨で、紫の脈が走っている。ガントレットには鋭い爪が紫の光を帯び、帯電している。

 服の上からまとわりつく鎧を見て、考えるまでもなく、自分がなすべきことをすべきだ、と判断した。

 奏真がエレベーターの床を蹴ると、積載量三百五十キロを超えるケージが凄まじく揺れた。

「うぅぉぉおおおおおああああぁぁあああっ!」

 ナイフが飛んでくるが、それらは全て発光帯電する紫雷で弾き落とした。できなかったものが数本、右肺、心臓、胃、右大腿部、臍と貫通していったが激痛もろとも無視。

 自分が死ぬことより、瑠奈を失ってしまうことの方が怖かった。

 自分でも、なぜこれほどまでに彼女を想うのかわからない。けれど、好きなのだ。どうしようもなく。このときばかりは、復讐のことすら忘れていた。

 左腕の爪付きガントレットがゾークを深く抉った。闇が斬り取られ、ゾークが後退。踏み込んで紫雷を薙ぐ。斬って、斬って斬って斬って斬って斬りまくる。

 ゾークは左手を天にかざすと、空間を歪めた。

「逃がすか!」

 左腕を振るおうとし、しかしそれは空を切った。ゾークは闇の中に逃れ、完全に消えた。

「クソ……クソッたれ」

 思い出したように全身が激痛を訴える。奏真は暗くなっていく視界の中で、せめて瑠奈だけでも生きていてほしいと願った。

5‐1

 シャリ、シャリ、となにかを削るような音がして、奏真はゆっくりと目を開けた。ゾークがナイフでも砥いでいるのか、冗談抜きでそう思った。

「目が覚めたかな?」

 ゾークと戦っていた記憶しかなく、奏真は混乱しつつガバッと上体を持ち上げる。

「あいつは!?」

「もう始祖はいないよ。ここは東海支部だ」

 白い天井。汚れのない壁。簡易的なベッド。奏真のスーツには汚れもしわもなく、新品同然だ。特に機材に接続されているわけではないから、ひとまずは安心か。

 隣では、スツールに腰掛けたリリアがリンゴを剥いていた。カットされたものがサイドテールの上の皿に載っている。

 爪楊枝が刺さった一つを手に取り、口に入れた。甘みが口に広がり、荒れた心が少しは穏やかになる。

「瑠奈は?」

「一時間前に目覚めて、出ていった。君のことを心配していたぞ」

 時計を見る。午後四時。陽はもうじき沈みそうだった。

「……なにも、できなかった」

「ゾークを相手にか?」

「ああ。面白いようにやられて……いけると思ったときには逃げられて……そういえば最後」

「うん、君は部分的にだがブラッドラースを行使したようだね。さっき戦闘データを見たよ」

 あの鎧みたいなのがブラッドラースか、と奏真は他人事のように思った。

「一番最初にブラッドラースを発現した空閑朔夜も発動には二年かかった。君はダンピール適合から僅か三週間で、完全ではないとはいえ能力を解放した……驚異的な速さだね」

「自分でもよくわからない……あのときは必死で……」

「もしかしたらそれこそが発動条件なのかもしれんな、ブラッドラースの」

「それ?」

「なにかに必死になること。我を忘れるほどの怒りと、それと同等かなにかの想いの丈。それらがブラッドラース発動の引き金となるのかもしれん。あのとき、君はなにを思っていた?」

 言われて、思い出そうとする。

 ゾークと戦い、死にかけ、怒りを感じた。自分の弱さへの、ヴァンパイアやゾークへの怒りを。そして――

「瑠奈……」

 あの少女への小さな思慕。

「なにかを想うこと、か」

 リリアはそう解釈したようだ。

「魂が最も強くなるとき。それは人を、なにかを強く想うときなのかもしれんな。朔夜もブラッドラース発動時は命の危機にあったという」

「それが、発動理由?」

「恐らく自分の命への想いが発動の引き金となったのかもしれんな」

 それだけではない気がする。朔夜――という人物も、自己保身だけではないなにかに突き動かされていたのかもしれない。

 奏真はリンゴの半分を食べたところで満腹感を覚え、残りはリリアに食べてもらうことにした。特権階級とはいえ食べ物を粗末にしていい道理はない。

 奏真たちは他者の上に立ちいい暮らしをしているが、それはヴァンパイア狩りに貢献するためだ。とはいえその立場にふんぞり返って物資を無駄に消費するのは許されない。

 ベッドから降りた奏真は底が悪路走破用に頑丈に加工された靴を履き、立ち上がって軽くストレッチした。

「瑠奈がどこに行ったか、わかるか?」

「気分転換と言っていたから、屋上じゃないかな」

「わかった。少し、会ってくる。無茶して突っ込んだこと、謝らなきゃいけないし」

「そうか。じゃ、私はラボに戻るかね」

 二人で廊下に出て、奏真はエレベーターに向かった。地上二百五十メートル、五十階建ての地上フロアの屋上へのボタンを押す。ちなみにジオフロントは地下十二階まである。

 現在、東海支部では一般人でも自衛のために使える、人工血装の開発が行われている。

 実用はまだまだ遥か遠く未来のことだが、これが実現し、銃器型の人工血装がある程度配備できれば昔みたいに軍隊を組織することが可能となるかもしれない、と期待されている。裏では本部辺りが実用実験を行っているらしいが、詳細は知らない。

 ほかにもヴァンパイアの物理的環境侵食の能力を応用し、様々な果実を実らせる果樹園もジオフロントでは運用されている。

 さっき食べたリンゴも、ジオフロントの工場産だ。今は完全天然の果物や野菜はない。

 唯一肉や魚ばかりはどうすることもできないから、ジオフロントの広大な土地で家畜を飼育し、魚も食べられるものを限定に養殖されているのが現状だ。

 その数は充分とは言い難く、今ではこうした『普通の食べ物』を食べられるのは特権階級の者か、一部の職と金を持っている外部居住区の者だけだ。

 もっとも外部居住区住みの場合、食べられるのは年に数回がいいところだが。それ以外の日は、あの食べられる消しゴムみたいなものを食べなければならない。

 昔は、肉や魚が食卓に出るのが当たり前だったんだよな、と奏真は思い、今の時代がどれだけ荒んでいるかを実感する。

 いつの時代も年寄りは『昔の方がよかった』と言うらしいが、今の時代に限ってはそれも同感だ。ヴァンパイアのいない、昔の方がよかったに決まっている。

 なぜ、どこからヴァンパイアが現れたのか。

 それは議論の種だ。

 昔から潜んでいたのだ、とか、実は宇宙からやってきた侵略者なのだとか、色々と話題が出るが結論に至ったものはない。

 異世界から渡ってきただの、パンデミック映画の見過ぎではないかというほどの陰謀論めいた、某国の生物兵器が撒き散らされたのだとかいう話まである。

 だがまあ、奏真には正直どうでもいいことだった。そんな原因が分かったところでどうすることもできないことは、これまでの史実が証明している。

 様々な支部がヴァンパイアと化した生物を元の生物に戻そうとするワクチンを開発した。

 だがそのどれもが失敗に終わったことは、奏真の情報解読キーでも閲覧できるデータベースに記載されていた。

 もっとも、元の生物が人間や動物であったヴァンパイアとはいえど、彼らは輸血行為以外にも数を増やす手段を持っている。

 通常の生物のように有性、無性生殖して子供を作るのだ。そうした第二世代、第三世代のヴァンパイアは最早元がヴァンパイアなわけだ。

 なので例えヴァンパイア化を治すワクチンが出来ても、この地球上を闊歩する全てのヴァンパイアを消し去ることはできない。

 どれほど世代を重ねているのかは知れないが、元が普通の生物だったヴァンパイアは少ないだろう。

 途中でエレベーターが止まることはなく、奏真は考え事をしているうちに屋上に出た。

 ヘリポートも兼ねた屋上だからとにかく広い。超大型の輸送用八発ティルトローター機が三機停まっても余裕がある大きさである。

 地下の兵器庫から直接続く大型搬入用エレベーターはここには止まっておらず、落下防止柵が立っている。

 兵員輸送に使うのは主に誰もが普通に想像する通常のシングルローター式のヘリコプターなのだが、作戦によってはティルトローター機を用いる。

 大規模な探索遠征や海外に渡る際には四発や八発ティルトローター機を使うこともあるという。

 護衛機にカナードローター/ウィング機というヘリとジェット機を足したハイブリッドな攻撃ヘリが運用されることもあった。

 機銃やミサイルはヴァンパイアを殺すには至らないが――小型の、いわゆる雑魚なら殺せるかもしれないが――驚かせて進路を開いたりすることは可能だ。或いは特殊な音波や匂いを発する弾を使えば追い払うこともできる。

 巨大な滑走路が必要な飛行機はもう骨董品だ。動画の中でしか見ない。

 メインローターを駆動させるのに必要な莫大な電力を保存できるフライホイールの開発でヘリの航続距離は限界まで伸びたので、そもそも飛行機がいらないのだ。

 限られた狭い空間で垂直離着陸が可能なヘリは、土地が限られた現代においては最高の移動手段だ。

 屋上にはまばらに人がいた。八時間三交代制だから、今が休憩時間という者もいるのだろうか、同僚と煙草やコーヒー片手に駄弁っている者もいる。

 奏真はその中に見知った――瑠奈の顔がないか探した。

5‐2

 ダンピールもちらほら見るが、瑠奈はどこだろうか。もう帰ってしまったか。

(見つけた)

 ケープコートとドレスのダンピールは、奏真が知る限り瑠奈しかいない。

「もう大丈夫なの?」

 フェンスの向こうに広がる外部居住区を物憂げに見つめる瑠奈の隣に立つと、彼女は顔をこちらに向けず、そう問うてきた。

「ああ。もう問題ない」

「無茶しすぎよ」

「ごめん……。心配かけたし、大怪我負わせたし……本当に、ごめん」

「怪我は治るからいい。私が心配だったのは……なんでもないわ」

「なんだよ。気になるな」

「食いつかないで。私は役者じゃない。台本通りに台詞を言えるわけじゃない。ときには言葉を間違えることだってある」

 ひょっとしたら、俺のことが心配だったのでは――友だちとして。そう思えたが、逆鱗に触れてしまっても面倒なので話題を変えることにした。

「ゾークなんだけどさ」

「能力が割れたわ」

「ああ、俺も勘づいてる。あいつの能力は、空間を歪めること」

「そう。空間を歪め、自分に迫るあらゆる攻撃を透過し、逆に自分の剣やナイフは空間ごと相手を斬り裂くから防ぎようがない」

「でも全く手がないわけじゃないってことはわかった」

「そうね。私の光の散弾なら、あのナイフも撃ち落とせた。恐らくあいつは……」

「光に弱い」

「ええ。ヴァンパイアの古典的な、映画的な弱点ね。けど、」

「普通の光じゃだめだ。太陽光やフラッシュバンじゃ効果がない。けど瑠奈や俺の雷光には効果があった」

「ええ。恐らくゾークは、同族のヴァンパイアや、ヴァンパイアの血を引くダンピールが発するソウルアーツの光に――SEの光に弱いんだと思うわ」

「それに、頭もいい」

 あのとき執拗に瑠奈を狙ったのは、自分の弱点属性を攻撃に転換できる彼女を脅威だと思ったからだろう。

 そして半覚醒した奏真に恐れをなして逃げたのは、彼の攻撃まで自身に届くから、さらには自分に対し効果的な攻撃手段を持つ者が二人も現れてしまったという問題に直面したからだ。

 多分、そうに違いない。一対一ならまだ勝てると思っていたのだろう。

 その慎重さは、確かに頭がいいといえる。

 ヴァンパイアも本能的に退くということをすることもあるが、ゾークの場合は明らかに『状況を理解して、考えた上で』行動していた。

「あいつは奏真と戦っている間、私にヴァンパイアを押し付けた。多分、コロニーを形成する能力を持ってる」

「それ……本当か?」

「わからない。けど、あるいは空間を捻じ曲げることで、別の領域にいる群れを呼び寄せることが可能なんじゃないかと思うわ。少なくとも、あいつは分断や時間稼ぎを行う知能はある」

「ただごとじゃないな……」

「ええ。問題はあいつがどこに逃げたか……支部長から聞いたんだけど、あなた、ブラッドラースを使ったのね?」

「あーいや、四分の一くらい?」

「だとしても凄いわ。仮にゾークが発見されたなら、間違いなくそのお鉢はヘルシングに回って来るでしょうね。少ない損耗で、大きな戦果を出せるんだから」

 だとしたら、奏真としては願ったり叶ったりだ。

「一人はブラッドラース、そしてもう一人はゾークに有効な光属性。切るべき手札としては申し分ない」

「好都合だ。ゾークは俺が狩る」

「違うわ。私たちで、でしょう」

「……そうだったな。飲み物買って来るよ。なにがいい?」

「アイスココア」

 短く告げた瑠奈は、再び外部居住区に目を移した。奏真は踵を返し、自販機があるフロアに向かう。

「やあ、奏真」

「秋良」

 手に缶ビールと缶コーヒーを持った秋良がエレベーターの前にいた。

「どうしたんだよ。酒盛りか?」

「これは陽子のだよ。僕はお酒好きじゃないから」

 ちなみに、ダンピールに許される特権として、喫煙と飲酒がある。

 旧時代の日本はどちらも二十歳未満には禁止されていたが、嗜好品が限られた特権階級者だけのものになるのに伴い制限年齢も引き下げられた。

 現在はダンピールなら、十五歳以上であれば飲酒喫煙が許される。

「じゃ、僕は行くから」

 エレベーターに降りた奏真の後で、秋良は居住区画に戻っていった。

 奏真は自販機でアイスココアと缶コーラを買う。奏真も瑠奈も年齢的には飲酒喫煙が認められているが、特にそうした嗜好品には興味がなかった。

 瑠奈は猫動画で満足らしいし、奏真も一度飲んでみたが酒の味は口に合わなかった。煙草に至っては匂いがまず駄目で、あまり興味もない。

 屋上に再び出ると、瑠奈が駆け寄ってきた。

「なんだよ、どうした?」

「今、見えた。ヴァンパイアが入ってきてる」

「な……壁が破られたのか!?」

 頑丈とはいえ、壁にも弱点はある。人間が出入りに使う扉や、装甲車を通すためのゲートなど。

 そこを狙われれば、破壊されることもある。だが、そんな轟音はしなかった。それに音響装置がある。

 全員で赤信号を渡れば怖くないとでも思っているのか、ヴァンパイアはある程度群れの規模が膨れ上がると音響を克服して攻撃を仕掛けてくることがある。

 とはいえそれほどの群れなら事前に察知するだろう。

「なにが起きたんだ?」

「わからない……けど、」

「緊急連絡、緊急連絡! 多数のヴァンパイアの侵入を確認! 各分遣隊は防衛規定に則り行動を開始せよ! 防衛班に合流し、ヴァンパイアの滅葬にあたれ!」

「マジかよ……」

 なにが起きてこんな事態になったのか、皆目見当がつかない。しかし早く戦わなければと気持ちを切り替えたところで、奏真の耳に次なる指令が飛び込んでくる。

「特務分遣隊ヘルシング及び第十三分遣隊は支部長室に出頭せよ! 繰り返す――」

「なんで俺たちだけ……」

「いいから、早く行くわよ」

 青から朱色に空が変じる中、瑠奈に促され、奏真はエレベーターに飛び乗った。

5‐3

「『闇統のゾーク』が現れた」

 支部長室に特務分遣隊ヘルシングと第十三分遣隊が揃うと、隆一はそう口火を切った。

 万里恵が素早く端末を操作し、空中にホログラフィックディスプレイを表示する。トタンやベニヤ板、廃材などで組まれたバラックが密集している。

「北区のスラム街だ。やつはそこで待っている。恐らく、獅童くん。君をな」

「俺を?」

「決着をつけようということなのだろう。今の君が弱っていることを知り、自分の脅威となりえる存在を抹消しようとしているのかもしれん。あるいは、やつなりの復讐か……」

「どういうことです?」

「十三年前、獅童奏一郎が襲われた際、駆けつけた防衛班が獅童奏一郎がゾークになにか薬剤を打っているところを目撃した」

「薬剤……?」

「その後ゾークは君の父上を殺害し、吸血。しかし薬剤のせいか酷く弱り、旧第十六分遣隊と戦闘後、撤退したのだ」

「父さんはなにをしたんです?」

「わからない。君の父上は元姫宮堂東海支社の科学者で、その後も血盟騎士団で働いていたから、ヴァンパイアになんらかの阻害効果を与える薬剤を作っていたのかもしれんな」

「それがゾークを弱体化させていた……」

「かもしれん。公式な記録に薬品の取引は載っていないから、恐らくブラックマーケットで手に入れていたのだろう」

 こんな時代になっても――いや、こんな時代だからこそ、闇市はある程度の規模を誇る。金はかかるが、特権階級にしか出回らない最高級品を売買することができる。

 それを求める者は決して少なくない割合で存在していた。

「ともかく、本作戦では『闇統のゾーク』に君たちをぶつけることにした。やつは空間歪曲能力で各地にヴァンパイアを呼び寄せ、人手を多く割かせている」

 頭のいい――そう評した自分たちの感想は間違っていなかった。

「中には強力な個体もおりエース級のチームを当てねば難しい状況だ。この中でゾークへ切る手札は、君たちしかいない。武運を。期待している」

     ◆

 ジープに乗った奏真たちは、乱暴な運転をする陽子に文句ひとつ言わず、これから向かう戦場を睨んでいた。防衛班や憲兵の素早い避難勧告のおかげで住民はほぼ避難済みだ。

「こちら奏真。スラム街に入りそうだ」

「目標までは二キロ圏内です。――待ってください、ドローンが空間の歪みを見つけました」

 それは、奏真の目の前で起きた。全員が示し合わせたようにジープから飛び降りる。

 空間の歪みから現れた異形に激突したジープはひしゃげ、そいつが振るった棍棒で彼方まで吹っ飛んでいく。

「メガロサイクロプス……!」

 瑠奈が苦々しげに吐き捨てる。

 そいつは、正視に堪えない、おぞましい外見をしていた。

 無数の手足が下半身に生え、それらが節足を思わせるように蠢いている。腰から上には苦悶の表情を浮かべる無数のサイクロプスの顔が張り付いており、腕は左右合わせて六本。

 単眼は三つあり、耳まで裂けた口からは滅茶苦茶に乱杭歯が生え、黄色い唾液を滴らせている。背の高さは十メートルほどか。普通のサイクロプスより巨大だ。背丈も、胴回りも。

「なんだあいつ……」

 奏真が『血装:紫雷』を抜きながら呟くと、秋良は己の血装である雹牙を手に唸った。

「あいつはメガロ種。ヴァンパイアが生み出される過程で生まれた変異種だよ。あれはメガロサイクロプス。複数体のサイクロプスが癒着したような外見を持っていて、正直なところ敏捷性はさほどないんだけど……」

 その顔が、続きをそれとなく語っていた。

「その生理的嫌悪感を募らせる外見でこっちの気勢を削いでくる」

「おまけに再生力が並みじゃない。殺しても殺しても再生しやがる。奏真と瑠奈は早く先に行け。こいつは私ら第十三分遣隊が受け持つ」

 奏真と瑠奈は頷き、久留巳のガイドに従って迷路のような路地に入った。

 陽子はそれを見届け、『血装:緑華』を抜く。緑の大剣が夕陽を照り返し、ギラリと殺意を乗せ煌めく。

「まずは僕がブラッドバーストをする。僕なら消耗しても遠距離から攻撃できるし、比較的安全だ」

「わかった」

 秋良はそう言うと、電柱や看板を蹴って窓枠に手を引っかけたりしながら四階建ての雑居ビルの上に上っていった。

 こう言うと彼は珍しく怒るのだが、まるで猿みたいだとつくづく陽子は思う。

 メガロサイクロプスが溺れかけた人間のような声で呻く。

「苦しいか、化け物。今救ってやる」

 陽子は大剣を八相に構え、地を蹴って疾走。直後、腹に埋まる無数の単眼が光を収束。レーザーを放つ。

 光の速度で放たれるそれを見て躱すなど不可能だ。陽子は視線から攻撃位置を予測し、レーザーの一閃一閃を躱していく。

 目の前に、苦痛に顔を軋ませるサイクロプス。そいつの目に風を纏う緑華の切っ先を突き刺し、抉るように手首を回して傷口を大きく開いた。

 そのまま下に斬り下ろし、黒い血が飛び交う中でさらなる連撃を加える。

 重量を乗せた振り下ろし、肉を断つ横薙ぎ、骨をも砕く突き。

 その全てが必殺の威力をこめた斬撃であり、並のサイクロプスであれば膝を折って倒れるくらいのダメージを一気に蓄積する。

 横合いから棍棒。

 陽子はそれを緑華の腹で受け止め、全身を貫く衝撃に歯を食いしばる。嫌な痛みはしない。

 伸びきった腕に、無数の風の刃を纏った斬撃を加える。肘から先が斬り落とされ、棍棒を取り落とす。こいつは六本も腕があるのに、手にする武器は一つだけだ。

 と、頭上から拳が振り下ろされる。

 陽子はすぐさま下がり、

「ブラッドバースト発動するよ」

 秋良の声を聞いた直後、アンチマテリアルライフルの銃声が、砲声に変わった。

 地面を穿つメガロサイクロプスの腕が千切れて舞い、断面が瞬時に凍結する。それは再生を阻害し、腕は一向に生えない。

 雑居ビルの屋上に目を向けると、片膝立ちでバズーカ砲を構える秋良と目が合った。彼のブラッドバーストはアンチマテリアルライフル形態の血装をバズーカに変えるというものだ。

 初速、口径、ソウルアーツによる凍結力が上がる。

 さらに一撃、砲声。

 メガロサイクロプスの顔面、三角形を描くように配置された天辺の目に穴が穿たれ、銃創が瞬く間に凍結を始めた。

 混乱する怪物に接近しようとした――が、

「あん?」

 空間がまたも歪む。そこから巨大な青い甲殻に身を包んだハシビロコウ――ビークリックルが現れる。

「予定変更。秋良、メガロサイクロプスは任せた」

「了解。そっちも気を付けて」

 ビークリックルは一つ吠えると、陽子に突進してきた。

 全長十メートル、全高八メートルの巨体が繰り出す突進力は決して『登竜門』的扱いを受けるヴァンパイアだからと侮ってはいけない。一歩間違えれば間違いなく死ぬ。

 陽子は横っ飛びに転がって突進を回避。砂煙を上げて反転し、こちらを睨む赤い目と対峙する。

 外見は、まるきり鳥だ。ハシビロコウのような先端が鉤状になった黄色い巨大な嘴を持ち羽毛の代わりに翼膜を張った翼を持つ。

 耐火性に優れた甲殻を持ち、空気に触れると発火する火炎液を吐き出すという攻撃を行ってくる。

 初見ではない。慎重に戦えば、おのずと勝利は転がり込んでくる。

 ビークリックルが首を持ち上げた。火炎液ブレスの予兆。陽子はあえて突撃。

 背後で火柱が上がったのが、舞い散る火の粉と熱波でわかるが、無視。懐に潜り込んで、その巨体に比して細い足に袈裟懸けに大剣を叩き込む。

 +13まで強化した刀身は、しかし表面を滑ってしまう。

 当然のことだ。あれだけ巨大な体を支えるのだから、軟らかいわけがない。

 硬いに決まっている。だがそんなこと、陽子も承知だった。狙いはこちらの攻撃を当てることではない。

 ビークリックルが躍り出すように、足踏みを始めた。これは足下に寄ってきた小型を蹴散らすために行う行動で、その間弱点である首が無防備になる。

 陽子はそこを狙った。

 がら空きの首に大剣の切っ先を突き込んで、腹まで一気に斬り抜く。

 黒い血が雨のように降り注ぎ、ビークリックルは鬱陶しい蝿を薙ぎ払おうと尾を振るう。陽子は股の間から頭の向こうにすり抜け、攻撃の間合いから逃れた。

「まだまだ、ここからだ」

 陽子は獰猛な笑みを浮かべ、敵を睨んだ。

5‐4

 回転を終えたビークリックルははばたきながら後退する。

 風圧が砂煙をもうもうと舞わせて陽子の視界を塞ぐが、CLDのおかげで眼球が舞い散る砂の粒子に傷つけられるということはなかった。

 陽子は頭の横で剣の柄を視線と水平に構える。霞の構え。

 そして、突進。風の恩恵で砲弾のような速度で疾走する陽子はビークリックルのついばみの最中を潜り抜け、さっきは斬れなかった足を突きで崩す。

 一直線に加速し威力を上乗せした必殺の突きはビークリックルの左足を圧し折り、その巨体を地面に這わせた。

 胸に剣を突き入れ、回し、捻り、抉ってダメージを加算していく。

 ビークリックルはほうほうの体で必死に暴れて陽子を引き剥がそうとするが、受けたダメージが多く再生が間に合わない。

 左足の骨が繋がり、立ち上がることが可能になった頃には腹の傷はほとんど再生しなくなっていた。

 目の前にいる女を殺そうと、ビークリックルは渾身の力で嘴を女に叩きつけた。

 陽子は素早くそれを躱すと、目の前のビークリックル頭に、大上段から緑華を振るった。

 風の力で加速した刀剣はビークリックルの頭を叩き割り、黒い血を撒き散らせながらその命を絶った。

 だがまだメガロサイクロプスがいる。ブラッドバーストが解除された秋良の狙撃は全て命中しているが、やつは未だ死なない。

 陽子は踵を返してメガロサイクロプスに肉薄。足回りとして蠢く無数の手足を斬り払い、姿勢を崩したところに頭部に攻撃を重ねる。

 ヴァンパイアもダンピールも、攻撃を受ける箇所によって再生力に及ぼす影響が変わる。

 心臓や脳などといった重要な器官を破壊されると、手足を傷つけたよりも大きな再生力を消費するのだ。

 たまにヴァンパイアは再生するんだからどこを狙っても同じでは、と問う声があるが決してそうではない。

 そのためヴァンパイアとの戦いにおいては、それまで人類が獣たちに対してそうしてきたように、弱点を狙う立ち回りが推奨された。

 倒れたメガロサイクロプスの赤い目が光を収束させた。三つの単眼が陽子を睨む。まずい。

 レーザーが放たれる直前、陽子は横に跳ぶ。しかし左腕の肘から先が消し飛んだ。

「あっ、ぐぅ……」

 体勢を崩したそこに、腕の追撃。まともに食らって立ち並ぶアパートの壁面に打ち付けられる。頭を打ったのか、視界がチカチカした。

 剣を杖に立ち上がり、左腕の再生が始まったのを尻目に、駆けだす。直後、さっきまでいた場所が、胴の目から放たれた光の弾に爆散させられていた。

 左腕が完全に再生されたのを目に、大剣を薙ぐ。風の斬撃が飛翔し、メガロサイクロプスの腹を深々と抉った。

 再生が遅くなっている。ようやくダメージが功を奏し始めた。

 秋良の狙撃が確実に急所を抉っていく中、また空間の歪みが始まった。

「クソ、今度はなんだ」

 グールと、グールロードの群れ。陽子は舌打ち。雑魚だが、数が多い。殲滅には時間がかかる。

 ここが普通の戦場ならこんなのを無視して王に飛車をぶつけてやるところだが、ここは仮にも人が住む土地である。一体でも逃せば血盟騎士団の沽券にかかわる。

「秋良、雑魚は任せる。私はデカいのを潰す」

「わかった」

 風の力でグールの大軍を飛び越え、陽子は跳躍の勢いのまま大上段に振りかぶった緑華を振るった。防御に回った交差されたメガロサイクロプスの二本の腕をまとめて斬り飛ばす。

「さっきはよくもやってくれたな」

 恨み言を吐き捨てながらも冷静に考える。大きな一撃を脳天に刻めれば、こいつは間違いなく死ぬ。

 陽子はやはり、足回りを斬り崩すのが妥当だと考え、光の弾幕を形成する瞳の視線を確認しながら肉薄。

 一撃ももらわず、無数に蠢く手足を斬り裂く。木の根のように張り巡らされた手足の三分の一を斬り落とし、ようやくメガロサイクロプスが倒れこむ。

 それでも意地なのか残った四本の腕を振るう。

 一撃一撃が鉄槌のようなそれを避け、斬り、道を開く。

 弱々しく輝きを失いつつある目はせめて命だけでもと懇願しているようにも、早くこの苦しみから解放してくれと言っているようにも見える。

 陽子は脳天に剣先を突き刺し、メガロサイクロプスにとどめを刺した。

 三つの単眼が光を失い、足掻くように動いていた末端の手足もその動作を停止させる。

「奏真、聞こえるか」

「なんだ?」

「悪いが手を離せない状況になった。ゾークはヘルシングでどうにかしてくれ」

「ああ、そのつもりだ。俺と瑠奈でケリをつける」

 通信を切った。陽子は敵勢を睨み、威嚇するように吠えた。

     ◆

「スラム街ね」

 走る瑠奈の言葉を裏打ちするように、周りから近代的な装いが消え、廃墟や打ち捨てられたゴミなんかが散見されるようになった。

 やがて完全にそれらが消えると廃材で組まれたバラック群があらわれた。理路整然とは言い難い身勝手な建築を繰り返したせいか、辺りは迷路のような様相を呈している。

「そこから北に五百メートル先、広場にゾークがいます」

「わかった――と」

 目の前で空間が歪む。リザードマンとリザードマンロードの群れが現れた。ざっと見ただけで三十はいる。おまけに一際巨大な影――サイクロプスまで出てきた。

「クソ、こんなときに!」

「奏真、先に行って。私がなんとかする」

「けど……」

「大丈夫。ソロ時代、これくらいの相手と戦ったこともある。心配しないで。あなたはあなたの復讐を遂げなさい」

「……わかった」

 奏真は群れを突っ切り、走っていた。邪魔してきたリザードマンを蹴飛ばし、北に向かう。

 この先に、やつが待っている。

     ◆

 ゾークは、決着をつけるつもりでいた。己が生き延びるために、あの少年を殺すつもりで。

 今なら克明に思い出せる。ジオフロントで奏真に貰ったあの一撃で、覚醒したといっていいだろう。

 自分は――自分と十二人の同胞は、『最初のヴァンパイア』だ。

 姫宮堂で創られた、最初の被験体。

 不死の研究か、軍事力の増大か、狂った妄執が生み出したものか――ともかく姫宮堂はその頃、魂に干渉する術を獲得しようと躍起になっていた。

 そんな最中、姫宮堂東海支部に所属する科学者。獅童奏一郎を筆頭とする三人の人間の手でソウルエンジンと呼ばれる薬品が生み出された。

 そしてゾークを始めとする十三人の戸籍のない孤児や浮浪者が世界中から集められ、実験体にされた。

 魂と物理的実体を繋ぎとめる血に作用するそれは、ゾークたちを人外の怪物に作り替えた。

 姫宮堂本社は日本での運用は危険だと判断し、唯一海外に支社を持っていたイギリスに十三人を送って、経過を見守ろうとした。だが輸送中に事故に遭い、十三人は脱走し――

 世界に、怪物を生み出すソウルエンジンを撒き散らす原因を作った。

 十三人は血の渇きに屈し、あらゆる生物から吸血した。その過程で自分の血が混ざったりしたのか、ヴァンパイアが広がるきっかけとなった。

 それが、今この世界に起きている出来事の、全てだ。

 始まりは姫宮堂。あの忌まわしき製薬企業と、ソウルエンジンを生み出した獅童奏一郎が原因なのだ。

 だがそんなことはどうでもいい。つまるところ、ゾークも奏真と同じ復讐者なのだ。

 自分を怪物に変えた奏一郎。自分が命を狙われる原因になった奏真。

 殺さなければならない。ヴァンパイア化の影響で生まれた魂の強い渇望は血の接種と破壊本能であり、ゾークはそこに復讐という薪をくべ、炎を燃やし続けた。

 その心根に眠る、この苦しみから解放してくれ、という声に蓋をして。

 ――さあ来い。終わりにしようじゃないか。

5‐5

「ゾーク……!」

 広場に出た奏真は、三メートルの巨体を見上げ、腹の底から怒りを感じた。

 両親を奪った悪魔。血に飢えた怪物。

「ソ……ウ、マ」

「!」

 喋った。ヴァンパイアが。

「タ、スケ……テ、クレ」

(助けてくれ?)

 一体、なにから。

 ゾークが断頭剣を振るう。風が発生し、奏真のジャケットの裾を靡かせた。

 紫雷が回転を開始。脈と刃が発光し、バチバチと帯電を始める。

「もう、復讐にとり憑かれて生きるのにはうんざりなんだ」

 この声があの怪物に届いているかどうかはわからない。

「俺、好きな人が出来たんだ」

 西日が空を朱色に照らす。逢魔時おうまがとき。悪霊が跋扈を始める時間。

「これからは前を向いて、未来に進んでいく。そのためにも、お前を倒す――」

 鼓動がボルテージを上げ、血流が早くなる。怒りを飼いならし、衝動を抑え込み、冷静に戦闘に適したモードへ切り替える。

「――滅葬開始!」

 蹴る。

 爆風めいた速度で奏真が疾走。

 ゾークはナイフを生み、それを射出するが、全て空振り。空間ごと地面をすり抜け穴だけを残して消える。

 直撃軌道にあるナイフだけを、異能で発光した紫雷で打ち落としていく。仮説は正しかったようだ。こいつはソウルアーツの光に弱い。

 幽鬼のように揺れる蒼の双眸を見上げ、

「っらぁ!」

 袈裟懸けに一閃。紫雷が残光を引きゾークのローブを深々と斬りつける。結構深く入ったと思ったのだが、血飛沫は僅かだった。

 断頭剣が唸りを上げて迫る。

 紫雷の腹で受け止め、しかしダンプカーに追突されたような凄まじい勢い。

 奏真はバラックの板を吹き飛ばして、内部の廃材で作った家具を粉砕して家丸ごと一軒に風穴を開けてようやく止まった。

「くっ、くく……」

 溢れ出す怒りが、憎しみが、憎悪が、殺意が笑いとなって漏れる。痛みを忘れて奏真は走った。

 家を飛び越え、上空から奇襲を仕掛ける。ナイフの弾幕を全て斬り伏せ落下速度を乗せた縦の振り下ろしを食らわせんと剣を振るった。

 ゾークの断頭剣と奏真の紫雷が激突する。着地した奏真は剣を押し込み、猛回転する刃で半ばまでめり込ませた紫雷を捻り、断頭剣を切断した。

 突き。胴を貫いた剣は、今度こそ確かに血を吸った。そのまま振り抜き、ゾークが後退しつつナイフを発射。躱しきれなかった一本が肩を裂く。痛みに笑いを零し、奏真は挑みかかる。

 ゾークの断頭剣が再生し、刃と刃の激突に灼熱の火花が散る。

 このときばかりは、もしかしたら壊れていたのかもしれない。

 許容量を超えたとぐろを巻く怒りが魂を飲み込んで、奏真を壊していたのかもしれない。

 そして、復讐をようやく達成できる、その喜びが苦痛をも笑いに変換していたのかもしれない。

 だが、それがなんだ。

(俺は、未来に進むんだ)

 断続的にブラッドバーストを使用。秒間十を下らぬ剣戟が発生した。

(お前を乗り越えられなきゃ、俺は先に進めないんだ)

 火花風圧剣圧雷光歪曲回転擦過血液再生憤怒絶望憎悪復讐――

「そこを、どけ!」

 突き出された紫雷を剣の腹で受け流し、伸びきった奏真の腕を切断。紫雷を握った手首から先が宙を舞い、霧となって奏真の手首の断面に吸い込まれる。

 しかし、ナイフと断頭剣を防ぐ手立てが離れた場所に落ちた。

 再生が始まる手首に気を取られた一瞬に、断頭剣が奏真の胸を貫いた。

 空間を歪曲させては鈍器として放つ一撃の威力が落ちるためか、ゾークは空間ごと切断するのではなく、物理的に奏真を打った。

 そのままゾークは突進。奏真を廃材で作られたバラックに叩きつけ、叩きつけ叩きつけ叩きつけ粉砕。

 何件の家が犠牲になったかわからない。肋骨と肺と心臓が潰され、血がとめどなく口から溢れる。

 十軒は貫いたか。ゾークは奏真を殴り飛ばした。廃材を蹴散らし床に蹲り喀血する奏真の背中はハリネズミを思わせるように木片やトタンの破片が突き刺さっていた。

 肉が隆起し、それらが吐き出され再生する。ナノマシンを充填されたスマートスーツがもぞもぞと蠢き、自動で敗れた個所を繋ぎ合わせる。

 血装がなければどうすることもできない。

 奏真はゾークを通り過ぎ、走るが、当然そんな無防備な奏真をゾークが放っておくわけがない。ナイフを形成し、次々撃つ。

 回避、回避。避ける。防ぐ手立てがないのでそうするしかない。躱しきれなかった一本が奏真の腹を貫き、疾走にぶれが生じる。そこを断頭剣が迫る。

 気づくと、奏真は空を飛んでいた。

 いや、地面に自分の体が見える。

 首を斬り落とされたのだ。

 この場合、再生はどうなるのだろう。

 思っているうちにそれは起こった。

 視界が暗転し、気付くと奏真の首から上は体にくっついていた。スーツは着たまま。恐らく頭の方が霧となり体の方に吸い込まれたのだろう。

 しかしそのおかげでCLDと通信機は外れてしまった。

 だが、いい。

 奏真は走りながらとりあえず見つけた通信機を右耳に取り付け、迫るナイフを躱す。何十メートルかを一秒足らずで走り抜けた奏真は再び広場に出た。

 目の前に血装がある。

 背後から迫る気配に紫雷を取ってから対処。

 断頭剣が打ち込まれる直前、ブラッドバーストを発動。並外れた膂力でそれを受け止め、鋸剣を絡めて断頭剣を握る右腕を斬り裂く。血は出ないが、剣ごと腕が宙に舞った。

 その間隙を縫って連撃。

 咆哮する紫雷を振るって確実にダメージを重ねていく。だがどれも必殺には程遠い。

 と、ゾークの腕が元に戻る。そして空間の歪みに腕を突っ込んだかと思うと、断頭剣を引きずり出す。空間を捻じ曲げて拾ったのだろうと理解するのにさほど時間はかからなかった。

「はぁっ、はっ、はぁっ、はぁっ」

 紫雷の光が弱まる。ソウルアーツの出力が下がる。気力が疲弊してきたようだ。

 だが、それでもなお火に油を注ぐように復讐心を掻き立てる。未来への羨望をくべる。

 雷光が輝きを取り戻し、鋸が猛回転。

「ここからだ……!」

5‐6

 サイクロプスから放たれたレーザーが、今しがた戦っていた最後のリザードマンロードを飲み込み、その身を消し去った。

 思わぬ好都合に瑠奈は内心ほくそ笑む。

 だが、笑ってばかりもいられない。サイクロプスが相手では少し分が悪い、というのが瑠奈の正直な感想だ。

 奏真を行かせるため勢いで任せろなどと言ってしまったが、今になってそれを少し後悔していた。だが、もうどうしようもない。彼は行ってしまった。

 早く追いつかなければ、と思う。

『俺は、君を置いていったりはしないよ。ずっと一緒にいる』

 あの言葉を、瑠奈は聞いていた。

 唐突に放たれた、純朴で愚直な言葉が、瑠奈の心に楔のように突き刺さっている。

『私はなにがあっても、あんたの味方だからさ』

 かつての仲間を思わせる言葉。

 その言葉を、瑠奈は真っ直ぐに信じていた。両親に裏切られ、荒み切っていた自分を救った一言を、忘れるわけがない。

 そしてあの言葉は、誰も知らないはずだ。CLDも通信機もつけていないときに、奇しくも奏真と同じシチュエーションで放たれた言葉なのだから。

 瑠奈も馬鹿ではない。奏真が自分に好意を抱いていることくらい知っている。

 だからこそあの言葉は、嘘でも言われたわけでも、装飾を施した綺麗なお世辞でないことだと理解することができる。

 同胞殺しと言われ、忌み嫌われ、掃き捨てられるように一人きりだった瑠奈に突然振りかかったその言葉は、あまりにも眩しかった。

 だから真っ直ぐに受け止めることができなかった。

 今度こそ信じていいのか。今度こそ本当に私といてくれるのか。

 今までの絶望を押しのけ、そんな期待が湧いてくる。

 畢竟ひっきょう、自分も友だちというものを求めていたのだろうか。心を知られてもいい、全てを預けてもいい、そんな相手を求めていたということだろうか。

 馬鹿馬鹿しい。もう充分学習したはずだ。信じれば信じるほど、つらくなると。

(下らない!)

 サイクロプスの皮膚に散弾を浴びせる。連続して十発は放った。頑丈な皮膚を突き破り、心臓を破壊。それでもまだ止まらないあの巨体を見て、瑠奈は距離を取る。

 そのときサイクロプスの目が輝いた。レーザーだ。

 射線を見極め、瑠奈は事前に安全位置――つまり、サイクロプスの真下に潜る。

 光線が撃ち出された。

 巻き込まれたバラックがポップコーンのように建材を撒き散らしていく。

 瑠奈は股下で貫通力の高い狙撃弾を、サイクロプスの股間に打ち込んだ。血の雨が降ってくるが構わず連射。

 邪魔だとでも思ったのか、サイクロプスが太い足を振るう。

 瑠奈はレーザーの照射が収まったのを見て、飛び出した。

 走って距離を稼ぎ、バラックに飛び乗る。スコープを覗き、狙撃弾を眼球に撃ち込んだ。

 サイクロプスの弱点は目だ。棍棒を捨て、両手で目を抑える。

「瑠奈さん!」

「なに? 今手を離せな――」

「奏真さんのバイタルが危険域です! 至急応援に向かってください!」

 ダンピールのバイタルは、治癒力を含めた数値をいう。そのバイタルが危険域であるということは、奏真はもうほとんど治癒力を使い果たしたということだ。

「世話の焼ける……!」

 炸裂弾をチャージ。トリガーを長押しし、とどめの一発を放った。

 脳天に吸い込まれた炸裂弾がサイクロプスの上顎から上を吹き飛ばした。

 やっと終わった、と瑠奈は胸中で呟き、鼓動が不安げに高鳴っていることを自分でも不思議に思った。

「瑠奈さん? メンタルに変調が見られますが……」

「なんでもないわ。すぐに奏真の元へ行くわ」

     ◆

「がはっ、ごほっ……ぁが」

 最早痛みではない。熱だ。熱せられたこてを押し付けられているような強烈な熱が全身を苛む。些細なダメージが積み重なり、とうとう治癒力は限界を迎えつつあった。

 届かないのか。

 俺では、こいつには勝てないのか。

「クソ……っ」

 諦めてたまるか。

 奏真は震える足に活を入れ立ち上がる。

 目の前に断頭剣の切っ先。腹に突きこまれ、内臓が拉げる。口の中を血の味が満たし、気付くと広場に倒れ伏していた。

 手に力が入らない。感覚が遠い。

 紫雷から光が失われ、奏真の視界に、頭を叩き潰そうと断頭剣を振りかぶるゾークが映る。

 ああ、ここまでなのか。

 ここで終わるのか。

 諦めてたまるかという言葉を忘れ、奏真は最期のときくらい痛くなければいいなと願った。

「奏真っ!」

 声と、ショットガンの銃声。ゾークがつんのめるように姿勢を崩し、退く。

 その声は、あの世に浸りかけた奏真の意識を覚醒させた。

 思い出したように全身が痛みを発し、生きているのだということを物語り出す。

「瑠奈……」

「待たせたわね」

 ゾークがナイフを形成、撃つ。瑠奈はそれらを散弾で撃ち払い、しかしいくつか躱せず攻撃を食らう。

「ぐっ」

 瑠奈の血装は懐に入られてはいいようになぶられるしかない。銃剣もあるが、あれは剣というより槍のように扱うものなので、やはり白兵戦となると不利になる。

 ゾークの剣が歪みを纏う。空間ごと斬り裂く剣となったのだ。瑠奈を確実に仕留めるためにああしたのだろう。

 奏真は紫雷を発光、電気を纏わせブラッドバーストを発動。

「てめえの相手は俺だろうが!」

 振るわれる重い斬撃を必死で受ける。腕が折れ、衝撃が肩を貫き、内臓に響く。

 たまらず膝を折った奏真の胸を、断頭剣が貫いた。

「ぁ……っ、ぐ」

 決定的な一撃だった。回復剤を、と思ったが視界は暗くなり、地面に転がる。

「奏真!」

 瑠奈の悲痛な声を聞いても、限界を迎えた意識は覚醒しようとしない。全てが遠く感じる。

 薄闇の中で瑠奈が必死に戦うが、それも時間の問題でしかない。光の散弾を食らってもなお悠然とゾークは瑠奈に距離を詰め、とうとう剣の間合いに彼女を入れる。

 何度か意識が途切れた。

 斬り刻まれる瑠奈を見ていることしかできない。

 瑠奈が、とうとう膝を折った。

 そこにゾークが大上段に断頭剣を握る。

(させるかよ!)

 死力を尽くし、奏真は瑠奈とゾークの間に割って入った。輝く紫雷でその一撃を受け止めたが、しかし両手に構えた断頭剣の突きを奏真はまともに食らった。

 とんでもない勢いに、後ろにいた瑠奈ごと吹っ飛び家屋に転がり込む。

 最初に貫かれた傷も再生しない。寒い。暗い。

「奏真……奏真……? 今、癒合弾を撃つから……」

 何発も、何発も癒合弾が撃ち込まれるが、奏真の傷は治らない。

「瑠奈さん、もう、奏真さんは……」

 通信機から聞こえる久留巳の声がかすれている。彼女は泣いているのか。

 幸せな人生だ。死んだとき、泣いてくれる人がいるとは。

「うるさい、うるさいっ!」

 回復剤を取り出し、限界数の十回を打ち込む。だが奏真の血は止まらない。冷たくなる体はそのままだ。

「置いて……いかないでよ」

 ぽたり、と温かいなにかが奏真の頬を伝った。

「なんで……なんでみんな私を置いていくのよ……お父さんも、お母さんも……紗那も、奏真も……なんで……っ」

 そうだ。自分は約束したではないか。瑠奈を置いていかないと。一緒にいたいと。

(俺は……)

「奏真なら、私の友だちになってくれるって、信じてたのに……!」

(……俺はッ!)

 目を見開き、奏真はポーチから支給された二つの回復剤を取り出した。それを左右の首筋に突き立て、全て、二十回分打った。

 全身を冷たいとすら感じる熱が暴れた。

「ぁぁぁぁあああああああああああああああっ!」

 適合試験以上の不快感。これまで感じた全ての痛みを塗り替える感触。床に頭を打ち付け拳を叩きつけ紫雷を折れんばかりに握りしめ――

「そう、ま?」

 立ち上がった。傷は全て再生。気分は好調。悪くない。寧ろ気持ちが悪いくらいに絶好調。

「悪い、女を泣かせるなんて最低だよな」

「……泣いてないわ」

 涙を拭い、瑠奈は立ち上がる。癒合弾を使い過ぎた影響からか、その足取りは悪い。

「友だちになるって言ったな?」

「言ってないわ、そんなこと」

「……じゃあいいよ。いつかそう言ってくれるまで、傍にいるから。言った後も、ずっと」

 奏真の体が帯電を始める。

「俺さ、瑠奈のこと、好きだよ」

 どこまでも素直な告白に、瑠奈は顔を逸らした。

「……私が撃てるのは後一発。狙撃ポイントを見つけて、ブラッドバーストで隙を作る」

「ああ」

「本当に私と友だちになりたいって思うのなら、あの程度の相手に負けないで」

「任せろ」

 奏真の帯電は、いよいよもって激しくなる。

 瑠奈が出ていき、奏真は広場に出る。

「待たせたな。そろそろ終わりにしよう」

 バチリ、と電磁が爆ぜた。雷撃は奏真の全身を包み、スーツの上から紫の脈が走った黒い鎧を形成する。

 顔の下半分を覆うアーメットが、今度は完全な形で頭部全体を覆う。手は爪の鋭いガントレットに覆われ、奏真の身が厳つい全身鎧に覆われる。

 右手に握る紫雷が獰猛に回転。奏真の全身の脈が発光、帯電。

血装憤激ブラッドラース、発動ッ!」

5‐7

 作戦司令室は騒然としていた。

 久留巳は涙を拭い、目の前の数値を読み上げる。

「適合率、百八十パーセントを突破! ブラッドラース、発動しました!」

 司令室が歓声に満ちる。隆一も、我知らず小さくガッツポーズをしていた。

 これで、始祖討伐も不可能ではないように思える。

「頼むぞ、獅童くん……」

     ◆

 全身の鎧が、肉体の延長のように感じられ、身に着けているという感覚はまるでない。これならいつもと変わらずに動けるだろう。兜はスリット状のアイホールをしているが、まるで金具がないかのように十全に視界を確保できる。

 ゾークの左手にもう一振りの断頭剣が現れる。

 二刀流。あれがやつの本気なのだろう。ブラッドラースを発動した奏真を見て、逃げるのではなく真正面から戦うことを決めたらしい。

「いいぜ。ケリ着けようじゃねえか」

 顔を覆うアーメットの下で、奏真は牙を剥いて笑う。

「滅葬、開始っ!」

 吠え、地を蹴る。

 地面を擦るほどの勢いで掬い上げられた奏真の左爪が、紫紺の雷光の尾を引っぱってゾークに迫る。

 それを断頭剣で受け止め、しかし腕力は同等だった。奏真の爪がぐぐ、と断頭剣を押し、だがもう一方の剣が迫る。

 それを紫雷で受け止め、鍔迫り合いが生まれた。

 全霊の力を込めて弾き返す。

 生まれた僅かな隙に奏真は左の爪をゾークに叩き込み、その肉を抉った。黒い血を啜った左腕がドクン、と拍動し、脈が力強く煌めく。

 ブラッドラースとは、始祖に近づく行為。それはつまり、ヴァンパイアにより近くなるということだ。

 血を吸えば吸うほどその力は増し、強固なものとなっていく。

 と、奏真は感覚で理解するが、確証はない。

 左の断頭剣を弾き、右の断頭剣を斬り飛ばし、奏真は紫雷を一閃。左の断頭剣も叩き折って吸血する。

 バキン、と音を立てて顔の下半分を覆うアーメットが割れた。割れたそれは牙を形作り、奏真の口は目一杯開かれ、跳躍と同時にゾークの首筋に食らいつく。

 肉を引き千切った。

「グ……!」

 ゾークは腕を振るい、奏真を薙ぎ倒すが、奏真は吹き飛んだ勢いのまま回転し立ち上がる。

 今しがた食い千切った血肉を咀嚼し、嚥下する。

「ぐっ、ぅぅううううう……」

 全身を駆け巡る悪寒。同時に、真逆の熱を感じる。

 同時に直感で悟る。これは、最初にブラッドラースに目覚めた朔夜はやってない。彼の能力は飛行と爆撃による遠距離攻撃だったから、そもそも接近戦をするという発想がない。

 当然血肉を食らうなどという馬鹿げたことも考え付かなかっただろう。

 後に『血装餓渇ブラッドビースト』と名付けられる戦術を、奏真が証明した。

 そして後に、これは奏真のみが可能だとわかる。

 全身に力が満ちる。心拍数が上がり、異能の出力が増大。

「奏真さん、なにしたんですか!? 適合率が二百十二パーセントを突破しました!」

「ゾークの血を貰った。馴染むな。もしかしたら、俺は今ヴァンパイアになってるのかもしれない」

 普通のダンピールは、体内にヴァンパイアの血が入ってもなんの反応も示さない。それこそがダンピールの能力なのだ。

 ヴァンパイアの血に対して百パーセントの耐性を得る、というのが。しかしヴァンパイアとブラッドラース中の第三世代ダンピール――奏真は違う。

 血を得ることで、さらなる血の活性を可能とする。

 奏真の紫色の瞳が、文字通り光を放つ。

 ゾークの目が、怒りか痛みかその両方か、蒼い光を灯らせた。

 断頭剣を再生させ、宙に無慮数十ものナイフを展開。

 奏真も、本能的に“そう”していた。

 奏真の周りに、黒い霧が渦巻き、直刀形態の頃の紫雷が現れる。

 脈が発光し、帯電しているその剣の数は十。

 射出と両者の疾走は同時だった。

 音を置き去りにするほどの速さで放たれたナイフを、同じ速度で放たれた直刀が弾く。奏真の意識に応じて駆動する十の直刀がナイフを叩き落とし失速。

 消えるが、それは相手のナイフも同様。

 両者無傷のまま真正面から激突。

 左から迫る断頭剣を左腕の甲で受け止め。右の断頭剣を紫雷で防ぐ。

 鍔迫り合いは一瞬、高速回転するエッジに負けた処刑人の剣が半ばから折れる。

 それでもかまわず、ゾークは突き。端から切っ先のない剣である。折れたところで、突きが持つ打撃という性質は変わらない。

 馬鹿力で圧倒され、奏真は地面を転がる。鎧が砕け、内臓が潰れた。血が喉から込み上げてきて、アーメットの内で血を垂らす。

 鎧に目を向けると、亀裂が走っていた。甲冑なんだからと少しは期待していたが、やはり所詮はもの。

 壊れるときは壊れるらしい。が、入ったひびが少しずつ塞がっていくのを見て、やはりこれもヴァンパイアの力の一部なんだなと思う。

 倒れ伏した奏真を見て好機と思ったか、ゾークが跳躍ざま大上段に振りかぶった二刀の断頭剣を振るい落とす。

 奏真は転がって回避。しかし落雷にも等しいその一撃の衝撃波で余計に転がる。地面が抉れて土塊が宙に舞う。三半規管が狂い、立ち上がるときにはふらついた。

 必殺と思われたその一撃はしかし、ゾークにとっては通常攻撃に変わりなく追撃が飛んでくる。

 旧時代の高校球児がそうするように、バットを束ねて素振りをするような要領で二本の断頭剣を揃え、横薙ぎに振るわれた。

 その一撃を脇腹にまともに食らった奏真は家屋を粉砕し、三軒の家をボロクズにしてようやく止まった。アーメットの継ぎ目から血が垂れ、割れた鎧から鮮血が零れる。

 瞬時に再生するが、ダメージは蓄積されている。このままではいずれじり貧だ。決定打となる一撃を加えなければ。

 このままでは、いくらブラッドラース、そしてブラッドビーストを重ねがけしているとはいえ、負ける。

「奏真!」

「瑠奈、どうした」

 彼女から告げられたそれは、窮地に差し込む希望の一言だった。

5‐8

「今狙撃ポイントについた。少し雑魚に絡まれたけど、ここなら広場を問題なく狙える」

 ゾークが家屋を吹っ飛ばしながら近づいてくる。

 断頭剣の乱舞。

 奏真はそれを爪で、紫雷で受け、いなしていく。

「少し立て込んでる! 短くまとめてくれ!」

「力を使いすぎて撃てるのは一発。その一発もチャージに時間がかかる。四十五秒は稼いで」

「……任せろ」

 今の自分にとって四十五秒とは、腹が減っているときのインスタントラーメンにお湯を注いで三分待つよりも長い苦行だ。

 しかしそれでも、仲間の助けがなければとどめの一撃を加えられないことはわかりきっている。やるしかない。

 乱舞の最中、奏真は左の篭手に意識を集中。そこから、直刀を爪のように生やす。人差し指と中指と薬指と小指の付け根、指の股から三本の直刀が顔を出し、リーチを伸ばす。

 紫雷を遥か彼方、上空に放り捨て、右爪にも同じことをする。左右合わせて六本の刃がギラリと煌めく。

 雷撃の力で高速振動するそれはSFでおなじみの振動剣よろしく機能し、乱舞の合間に激突する断頭剣に確実に傷を加えていく。

 闇と雷光が迸り、赤と黒の血の玉が舞い、それでも両者は退かない。

 とうとう、断頭剣が折れた。だがこちらも無傷ではない。左の刃は三本とも欠損、何度か刃を受け止めた甲はひび割れ血が垂れている。

 右手も真ん中の一本が割れている。だが、構わない。

 右の刃を突き出し、ゾークの腹を抉る。刃伝いに、篭手伝いに、血肉を啜る。

 冷たさと熱が同居した、嫌悪感と快楽の募る感触が魂に満ち、奏真の本能が食欲を――血の渇望を訴え、口の中で唾が湧く。

 アーメットが再びひび割れ、口を形成。奏真は飢えた獣のようにゾークの腹に食らいついて血肉を噛み千切る。

 ドクン、と心臓が高鳴った。怒り、復讐心、憎悪、それらが獲物を前にした蛇のように鎌首をもたげる。

 それに飲まれるな、と誰かが言う。奏真自身の声かもしれないし、瑠奈の声だったかもしれない。

 奏真は耐えた。復讐を遂げるのは、私怨が全てではない。前に進んでいくための清算だ。乗り越えるべき壁だから、今こうして必死に登っているのだ。

 決して過去に足を引っ張られているわけではない。

 復讐心に負け後ろに引きずられるのではない。復讐心を糧に前に進むのだ。

 再生した断頭剣が振るわれ、奏真も再生させた直刀篭手でそれを受け止める。踏みしめた床材が陥没し、木の破片を散らす。

 再び始まった両者の乱舞は、常人には目で追うことも困難な速度の応酬だった。

 普通の人間では遅れて発生する風圧しか感じられず、僅かに遅れて届く風切り音と剣の激突音は最早ノイズじみた濁流だ。

 幾十と交わり激突する剣の残光と火花はVFXよりも作りものじみていたかもしれない。

 下段から足を薙ぐ一撃を跳躍で躱し、胴を狙う中段斬りの刃を蹴って跳躍、振ってきた紫雷を宙で掴んで落下ざま、剣を背負い投げる勢いで振るいゾークの頭部を叩き割らんとする。

 ゾークが断頭剣を交差させ防御姿勢を取るが、奏真は構わず剣を振るった。

 全身全霊の振り下ろしは、剣を叩き割って、ゾークの頭から臍までを叩き割る。

 黒い血がぶちまけられ、しかしゾークは再生。しかしその治癒速度は目に見えて低下している。

 あと一撃。

 が、奏真も己の限界が近いことを悟っていた。

「瑠奈、あとどれくらいだ!?」

「十秒!」

 走る。体力がある今のうちに、狙撃地点へとゾークを誘導する。

 脱兎のごとく駆けだした奏真を、ゾークが追う。

 逃げも隠れもしないのは、奏真に限界が近づきつつある――今の自分でも殺せると、悟ったからだろう。

 奏真を狙い百近いナイフが接近。奏真は地面と空中から直刀を生やし、交差させ盾を形成してそれらを受け止める。ゾークの断頭剣は直刀の盾を粉砕し、奏真を狙う。

 広場に出た。

「七秒!」

 踵を返し、体感であと三秒しか持たないブラッドラースとブラッドビーストを解放。

 振り下ろされた断頭剣を腕ごと斬り飛ばし、足を両断。跪かせる。胴に左爪を突き立てて抉る。血肉を吸い、僅かでも体力を吸収。

 引き抜き下がったところで、ブラッドラースが解除された。全身を包んでいた鎧が雷となって散り、残る紫雷が弱々しい唸りを上げる。

 発光も帯電もしない。かろうじて回転を続けているだけだ。

「くっ……はぁあっ」

 恐ろしいほどの疲労感と虚脱感が奏真を苛む。崩れた膝に活を入れて立ち上がるが、その動きは緩慢で夢遊病患者のようだった。

 ゾークは再生を済ませ、立ち上がる。

 互いに虫の息。だが、分はゾークにあった。

 二刀の剣を揃え、肩に担ぐように構える。とどめ。首を刈り取る一撃を放とうというのだろう。だが、

「俺は、一人で戦ってるわけじゃねえぞ」

「零!」

 奏真が頭を下げた途端、光線がそこを飛んでいった。毎秒三十万キロメートルの攻撃を見てから躱すなどどんな生きものにも不可能。例え人知を超えた怪物であろうと。

 ゾークの首から上が飛んだ。いや、消滅した。

 これで終わりか、と思った直後、ゾークの体がみるみる縮みだした。

「……?」

 やがて、それは一人の人間となる。

 手術着を身に纏った、二十代前半の男の青年だった。西洋人で、髪は金色。だが目は碧眼というには濃すぎるほど蒼く、発光していた。

 こいつがゾークの核か、と奏真は直感した。

 空間を捻じ曲げる力を使って体を大きく見せていたのかは知らないが、とにかくこいつが本体。

「これで、終わりだ」

 奏真は無防備に立ち尽くす青年の心臓に紫雷を突き立てた。

「……!?」

 しかしその直後、白光に包まれ――

5‐9

「獅童奏真くん、だね」

 なにもない、真っ白な空間。傷だらけのブラックスーツに身を包んだ奏真は、ついさっき殺した青年と対峙していた。

「お前は……」

「悪いけど、私に名前はない。いや、あったはずなんだが、思い出せない」

「俺になにをした?」

「その質問は私にではなく、奏一郎にするべきだ。全ての始まりはあの男と、彼をそそのかしたなにか・・・の意思。そしてそこに目を付けた姫宮堂だ」

「どうして父さんの名前がそこで出てくる?」

 青年はふぅ、と一息つき、

「私は始まりの十三人。そして、最後の一人だ。私たちはソウルエンジンと呼ばれるウィルスを打ち込まれ創り出された、最初のヴァンパイア」

 話が見えない。というより、わけがわからない。彼が続けるところによれば、

「この『魂の対話』は、ソウルエンジンを投与された者にしかできない。逆説的に考えると君もこのウィルスを持っているということになる」

「待ってくれ。そのソウルエンジンとやらを打たれるとヴァンパイアになるんだろ? 俺は人間だった。ヴァンパイアじゃない。変な注射を打たれた覚えもない」

「奏一郎は人目を忍んで、ソウルエンジンを改良していた。君が卵子だった頃から遺伝子改良を施し、ソウルエンジンに確実に適合するように作り変えていたのかもしれないね」

 そんなことを……父がしていたというのか。記憶の中にある父――しかしその像は曖昧で思い出せない。

「私はソウルエンジンの改良型を打たれ、力を著しく失う羽目になった」

「それを恨んで、父さんと母さんを殺したのか」

「違うね。彼らは望んで、そうしたんだ。あのとき打ち込まれたソウルエンジンを介して、私の深層心理に『奏真を導け』と指示した」

 それは――一体どういうことだ。

「だから私は君の両親を殺し、時期を待ち、復讐者に仕立て上げて君をここまで育てた」

「父さんは……なんのために」

「私もよくは知らない。けれど、ある組織が始祖を狩りつくした」

「そう言えば最後の一人、って言ったな」

「うん。その組織が、全ての始祖を狩り、君たちが言う所の第三世代ダンピールを創り出している」

「姫宮堂?」

「いや、姫宮堂とは別系統の動きでね。まあ正確に言うなら、姫宮堂のもう一つの意思とも言うべきかな」

「やつらはなにがしたいんだ? 父さんは、俺をどうしたいんだ?」

「『メサイア』」

 救世主。メシアとも呼ばれるそれは、世界を救うために現れる存在だ。

「メサイア……?」

 おうむ返しに問う奏真に、青年は頷く。

「十二人の使徒の血を受け入れる、最強の十三人目。あらゆるダンピールを上回る究極のダンピール。世界を救世する存在。それが、君だ」

「俺が……」

「血に溺れたそのアームで、世界を救うのが君の宿命だ」

「なにから救うんだ。ヴァンパイアか?」

「私もよく知らない。けれど、君の父親が言うには、世界を滅ぼそうとする者がいる」

「穏やかな話じゃないな……」

「第一位始祖『魂魄こんぱくのアルカード』の力を宿したそいつは、この世界を混沌の渦に叩き込もうとしている」

「なんのために?」

「知らない。けれどそれを知った組織は、それを止める手立てとして、君の父親と一緒に『メサイア計画』を始動した」

 父は、夢の中で奏真になにかになれと言っていた。『メサイアになって、この世界を救ってくれ』。父は、そう言おうとしていたのではないか。

「私を倒したんだ。とりあえず、組織は試験は合格、と判断しただろうね。今後どうなるかはもう私にはわからないけど、幸運を祈るよ」

 光の向こうへ、青年が去っていく。だが途中で立ち止まり、

「ヴァンパイアはみんな苦しんでいる。それは通常生物が元となった第一世代でも、元がヴァンパイアの次世代も変わらない。――私を救ってくれて、ありがとう」

 そう言って、青年は旅立った。

 話についていけなかった奏真は、ただ茫然と立ち尽くす。

     ◆

「……ま。そ……ま! ……奏真!」

 夢の向こうから響いてくる声に目を開けると、奏真は広場で仰臥ぎょうがし、天を仰いでいた。

 座り込んで奏真を揺すっていた瑠奈は、少年が目を開けると同時に、その顔に僅かながら安堵の色を浮かべた。

 馬鹿げた痛みを発する体を起こし、立ち上がる。『血装:紫雷』は眠っているうちにしまったのか、辺りにはない。

 試しにブラッドアームズを起動してみると、魂の奥で眠っていることを確認できた。

 よかった、失くしたわけではわけではない。いや、それよりも。

「ゾークは、どうなった?」

「あそこ」

 瑠奈が指差す先には、防護服に身を包んだ回収班が作業しているところだった。

「倒した、のか?」

 実感がない。

「倒したのよ。二人で」

「そうか……終わったんだな」

 言葉にしてみると、どことなく寂しさを感じる。渇望が満たされたあとの感覚とは得てしてそういうものだ。

 何事も過程が楽しいわけで、一度結果を迎えてしまうとそれで終わりなのだから。

「まだよ」

 瑠奈が言う。

「……?」

「ヴァンパイアはまだいる。私たちの戦いは、これで終わりじゃない」

「だな……。そういえばさ」

「なに?」

「友だち、って言ったよな?」

「言ってないわ」

「言ったって。絶対に。通信のログにも残ってるだろ」

「私は久留巳との付き合いが長いわ」

改竄かいざんしようってことはやっぱり言ったんだろ」

「いいかげんにして。黙りなさい」

「わかったよ。けど、俺は改竄しないからな」

 瑠奈の顔に疑問符が浮かぶ。

「俺は、お前のことが好きだ。多分、友だちとしても、異性としても」

「……そう」

 そっぽを向いた瑠奈の頬が僅かに赤らんで見えた。しかし、それが生理的な反応によるものか、夕陽が見せた幻なのかは、奏真にはわからなかった。

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滅葬のブラッドアームズ 雅彩ラヰカ @RaikaRRRR89

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