落合 陽一が「定在する遊牧民」と言う時、どのような意味で使ってる?
落合陽一は日本の研究者であり、著者であり、そして未来派デザイナーです。彼が「定在する遊牧民」という言葉を使用する際、彼は現代の情報化社会における働き方やライフスタイルについて言及しています。彼の言う「定在する遊牧民」は、物理的な場所に縛られず、インターネットやデジタル技術を利用して働くことができる現代人を指しています。
Scrapbox ChatGPT ConnectorをGPT-4に繋いだ
(APIはまだなのでクリップボード経由、このコードもGPT-4に聞いた)
KozanebaやKeichobotはどう変化していくべきだろうか?
KozanebaとKeichobotは、それぞれ独自の進化を続けるべきですが、同時に互いに連携し、より強力な組み合わせとして機能することが重要です。
GPT-4 released
私はプログラミングの技術に関する本を書いているのですが、言語モデルの進歩によってこのような技術書が不必要なものになるのではないかと考えています。この点に関してどのような考え方があるでしょうか?
プログラミング技術に関する本が不必要になるかどうかについては、いくつかの観点があります。言語モデルの進歩は確かに情報収集や解決策を提供する上で有用ですが、技術書にはまだ重要な役割があります。
A: 今すぐ不要になった労働者への社会保障的な仕組みを整えないと、間違いなく治安は最悪になる。ここまで見えてる。そのための仕組み、納税概念、再構築の時代だけど日本とかはセンスなさそうだから、わりと最悪の時代はすぐ来る。
B: 大きな組織ほど対策の必要に気づかずに後手に回りそうなので、多分富裕層は小さいゲーテッドシティに引っ越して自前で警備員を雇って治安を向上させるんだろうな。
A: 荘園!
Discordで開催されてた楽しいGPT4で遊ぶ会がお開きになって、Facebookを見たら「GPT4はすごいと盛り上がってるが全然ダメだ」という投稿があって、見るからに下手くそなプロンプトだったので「あー」という気持ちになった。
どんな道具も使いかたを学ばなければ上手く使うことができず価値を生まない。(Tweet)
こなしたタスクの個数をKPIにするのは誤ったKPI設定
読んだ本の冊数をKPIにするのも同様。不毛な読書を高速化しても不毛。
タスクを効率的に処理していくと高速にクソアプリを実装してしまう
不毛
速読
SNSとかで、自分が「Xである」と思ってることに対して「Xでない」って主張する人を見ると反論したくなるかもしれないけど、「Xである v.s. Xでない」って構図になった時点でもう論理的に両立不可能なのだからそこにフォーカスしたらいけないんだよね
よくあるパターンが「暗黙の仮定が食い違ってる」ってのと「Xという言葉の指している意味が違う」だよね。でもこれは双方向的なので、相手に指摘する前にまず自分を見るべきだよね。
「自覚を持ってほしい」「自覚を持つべきだ」論は不毛
相手の立場に立って考えてみればわかるが、無理だ
あなたこそ、まず「アレ」に関して自覚を持ってほしい
って言われても「アレとは何か…」ってなるでしょ。
「言わないけどわかれ」というよくあるバッドコミュニケーション