1985年(昭和60年)は、戦後40年の節目になることもあり、
終戦の日、8月15日に中曽根首相が靖国神社を
公式参拝するか否かが注目されていた。
従来、公用車不使用、玉串料を私費で支出、肩書きを付けない、
公職者を随行させないという条件のもと、
閣僚は、私人として靖国神社を参拝していた。
そこで、1984年8月に、私的諮問機関として、
「閣僚の靖国神社公式参拝に関する懇談会」が発足して、
閣僚の靖国神社公式参拝が憲法20条に規定する政教分離原則に
違反するか否かという点について
最高裁判例などが検討した。
「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会」の報告書は、
1985年8月9日に提出された。
その3日後、1985年8月12日、
JAL123便ボーイング747SRは定刻18:00から少し遅れて、
18:04に出発し、18:12分に羽田空港から離陸した。
18時24分、相模湾上空を巡航高度の24,000ft (7,200m) へ向け上昇中、
23,900ftを通過したところ、突然の衝撃音と共に123便の垂直尾翼は
垂直安定板の下半分のみを残して破壊された。
また、油圧管が全て破損して操縦桿を用いた旅客機の制御が
不可能になった。
ちなみに、赤外線誘導ミサイルを旅客機に発射すると、
尾翼に命中することになる。
18時56分、JAL123便は、群馬県多野郡上野村、
御巣鷹山に墜落した。
墜落した場所、群馬県多野郡は群馬3区であり、
鷹派、中曽根康弘首相の選挙区である。
JAL123便墜落から3日後、1985年(昭和60年)8月15日、
中曽根康弘首相は靖国神社に公式参拝している。
1985年、首相公式参拝前に、朝日新聞は靖国神社参拝を
批判する記事を多数、掲載しており、
中国首脳が靖国公式参拝を批判する旨も記載している。
1987年5月3日、憲法記念日に、散弾銃を持った男が
朝日新聞阪神支局(兵庫県西宮市)を襲撃して、
小尻知博記者(当時29)を殺害した。
殺人事件は迷宮入りとなり時効が成立した。
ところで、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」報告書は、
2014年5月15日に公表され、憲法9条の解釈変更に踏み込んでいる。
今後、筆者は、この報告書に関して言及しない。
関連記事
AD