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第二部 宰相閣下の謹慎事情
321 微笑む淑女
※1日複数話更新です。お気を付け下さい。
「ああ、そうですわ。私、ちょっと良い事を思いつきました」
傾国級の美女の目が据わった様は、絵になるようでいて、怖さが倍な気がする。
ギーレンのエヴェリーナ妃やブレンダ・オルセン侯爵夫人とは、また別の迫力がある。
エリサベト・フォルシアン公爵夫人は「これは良い事だ」と信じて疑わない――と言うか、夫とエドヴァルドに圧力をかけまくりの表情で、二人を見比べていた。
「先日のイデオン公爵邸での昼食会で、イデオン家法律顧問のヤンネ・キヴェカス卿が、レイナ嬢のアイデアを色々と形にされるにあたって、とてもお忙しくしていらっしゃると小耳に挟んだのですけれど」
「⁉」
やはり五公爵家の当主夫人ともなると、ちょっとした会話も脳裡に留め置いているものらしい。
私が「そろそろ刺されそうだ」と溢したところから、ある程度の推測を立てていたんだと思われた。
「この騒動で、ユセフは今、高等法院勤めを休んでおりますでしょう?その休職を延長して、キヴェカス卿のお手伝いをさせるのはどうかしら?」
なっ…と、声を洩らしたのは、フォルシアン公爵もエドヴァルドも同様だ。
ユセフ自身は、ついていけないのか唖然と母親を見つめたままだ。
「エ、エリサベト……?」
「あら。そもそもは、女性はただ庇護される者との偏見が、ユセフに失礼な言動をとらせているのでしょう?でしたら、レイナ嬢が今どんな事に取り掛かっているのか、キヴェカス卿の下で確認をするのが一番じゃありませんこと?どうやらキヴェカス卿は、寝食もままならない程お忙しいご様子。ユセフに現実を理解させて、反省を促す意味でも、これ以上ない措置の様に思いますけれど」
この国は、謹慎だけじゃなく休職も、私が知っている意味とは違うんだろうか……。
どちらにしても、これは私がどうこう言える範疇を既に超えている。
エドヴァルドを見上げると、分かっていると言う風に軽い頷きが返ってきた。
「まがりなりにも、ユセフは高等法院職員だ。対してヤンネ・キヴェカスは、あくまでイデオン家法律顧問。個人事務所事業主でしかない。確かに私は司法を束ねる身ではあるが、こればかりは長官であるロイヴァス・ヘルマンやユセフの直属上司と話し合わない訳にはいかない」
「もちろんですわ、イデオン公。このままユセフにただ頭を下げさせたところで、今まで通りフォルシアン公爵邸に寄り付かず、独り身のまま偏屈老人への道を突き進むだけですもの。ぜひ前向きにご検討下さいませ。アナタも、諦めて突き放すのが親心とは限りませんことよ?」
王女サマに襲われて散々な目にあった点からすると、息子に対して過保護になっても誰も何も言わないだろうに、エリサベト夫人の口から出て来る言葉は、まさかの辛口オンパレード。
息子どころか夫さえも、たじたじになっていた。
「ああ、レイナ嬢がお茶会でこちらにいらっしゃる時には、ユセフは仕事でおりませんでしょうから、ご安心なさって?もし今後滞在の機会があった場合も、高等法院の寮でも、キヴェカス卿に王都内の部屋を紹介して貰うでも、やりようはありますから。ね?」
「あ…はい、そうしていただけると、無駄に険悪にならないで――いえ、なんでもありません」
夫人につられて、うっかり内心がダダ洩れそうになったところで、エドヴァルドから視線でストップがかかった。
ヤンネ・キヴェカスへの前科がある時点で、私の信用は多分底辺だからだ。
私が決まり悪そうに、視線を明後日の方向に投げているのを、エリサベト夫人が興味深げに見つめていた。
「……これは純粋な好奇心からなのですけれど」
「あ、はい」
「レイナ嬢から見た、ユセフの印象ってどのような……?」
「―――」
部屋の中の温度が下がった。
絶対下がったよね⁉
弾かれた様に私がエドヴァルドの方を向いたけれど、エドヴァルドの視線は、多分わざと、前に向けられたままだった。
「えーっと……フォルシアン公爵閣下によく似ていらっしゃるなぁ……と」
「あら、それだけ?」
「今日まで一言も話した事もありませんし、正直、他の印象は持ちようがないと言いますか。今日は今日で、遠くで幸せになって頂ければそれで良いかもと言いますか……」
遠くで幸せに、イコールこちらは関わり合いになりたくないと言う事をオブラートに包んだ言い回しなんだけど、これってアンジェスでも通じるんだろうか。
そんな事をつらつらと私が考えていると、フォルシアン家の皆様それぞれに思うところがあったのか、程度の差はあれど目を丸くして、エドヴァルドへと視線を投げていた。
「エドヴァルド……レイナ嬢に無駄な圧力をかけるな……」
「何の話だ」
多分に呆れを含んだフォルシアン公爵の発言にも、エドヴァルドはどこ吹く風だ。
「いや……まあ、圧力があろうとなかろうと、ユセフに微塵も興味がないのはよく分かったが……」
「そうですわね……これでしたら、レイナ嬢がこちらの邸宅にいらした際も問題なさそうですわね」
フォルシアン公爵夫妻の呟きに、私は、夫妻が私のお茶会への参加に際して、息子のトラウマが刺激される事がないように心配していたのかなと、ひとり納得していた。
「それでエドヴァルド、ユセフの休職の話は、夕食会の後、落ち着いたところでヘルマン長官に話を通してみてくれるか?」
「……本気の話なのか?」
この場での冗談と流すなら今のうちだと、逃げ道を用意したエドヴァルドに、フォルシアン公爵は微笑って片手を振ってみせた。
「私はエリサベトが決めた事には絶対服従だ。結婚当時からね。何、給与の心配なら不要だ。どこに注ぎ込む訳でなし、高等法院での給与だって有り余っている筈だ」
何を勝手に…とユセフ青年は抗議しかけていたけれど、エリサベト夫人の「余っているでしょう?」と言わんばかりのにこやかな微笑みに、続く言葉を封殺されてしまっていた。
「…ここだけの話、ヤンネも初めはレイナを見下していた。アレもユセフに負けず劣らずの女性蔑視の思想を持っていたからな。今までは個人の性格だと放っておいたが、レイナがイデオン公爵邸の客人でなくなる以上は、そうもいかない。己の偏った思想がどれほど愚かな事だったのか、理解させる意味で案件の全てを抱えさせている。そこに加わるとなると、高等法院以上の激務になるのは間違いないが、それでも良いか?」
夫妻の対応にエドヴァルドも、黙っていても良い事はないと思ったのかも知れない。
ヤンネ・キヴェカスにまつわる「訳あり」な状況を、隠さず彼らに告げていた。
反応は「ほう…」「まあ」「なっ…」と、三者三様だったけど。
「まあ、それはそれでユセフにも良い薬になりそうな話だとは思うけどね」
「そうかも知れませんわ。ただちょっと、その事務所に女性の事務員さんがいらっしゃるようなら、頭痛の種が増えるかも知れませんけど」
あ、そこは私も気になるかも?
エドヴァルドは、一瞬だけ考える仕種を見せていた。
「本気でそのつもりなら、それも含めて考えておこう。休職より出向の方が良い気もするが、その辺りは関係者と話し合ってからだな」
頼むよ、とフォルシアン公爵が答えたところで、扉がノックされた。
私もユセフ青年も置き去りになっているけど、そこはもう「高度な政治対応」ってコトなんだろう。
「失礼致します。夕食会会場へのご案内に参りました」
護衛騎士の声がけが、一瞬救世主の声にも聞こえた。
「さて、行こうか。多分、何事もなく…とはいかないだろうが仕方がない。あと何時間かの我慢だね」
――フォルシアン公爵の呟きに、誰も反論が出来なかった。
「ああ、そうですわ。私、ちょっと良い事を思いつきました」
傾国級の美女の目が据わった様は、絵になるようでいて、怖さが倍な気がする。
ギーレンのエヴェリーナ妃やブレンダ・オルセン侯爵夫人とは、また別の迫力がある。
エリサベト・フォルシアン公爵夫人は「これは良い事だ」と信じて疑わない――と言うか、夫とエドヴァルドに圧力をかけまくりの表情で、二人を見比べていた。
「先日のイデオン公爵邸での昼食会で、イデオン家法律顧問のヤンネ・キヴェカス卿が、レイナ嬢のアイデアを色々と形にされるにあたって、とてもお忙しくしていらっしゃると小耳に挟んだのですけれど」
「⁉」
やはり五公爵家の当主夫人ともなると、ちょっとした会話も脳裡に留め置いているものらしい。
私が「そろそろ刺されそうだ」と溢したところから、ある程度の推測を立てていたんだと思われた。
「この騒動で、ユセフは今、高等法院勤めを休んでおりますでしょう?その休職を延長して、キヴェカス卿のお手伝いをさせるのはどうかしら?」
なっ…と、声を洩らしたのは、フォルシアン公爵もエドヴァルドも同様だ。
ユセフ自身は、ついていけないのか唖然と母親を見つめたままだ。
「エ、エリサベト……?」
「あら。そもそもは、女性はただ庇護される者との偏見が、ユセフに失礼な言動をとらせているのでしょう?でしたら、レイナ嬢が今どんな事に取り掛かっているのか、キヴェカス卿の下で確認をするのが一番じゃありませんこと?どうやらキヴェカス卿は、寝食もままならない程お忙しいご様子。ユセフに現実を理解させて、反省を促す意味でも、これ以上ない措置の様に思いますけれど」
この国は、謹慎だけじゃなく休職も、私が知っている意味とは違うんだろうか……。
どちらにしても、これは私がどうこう言える範疇を既に超えている。
エドヴァルドを見上げると、分かっていると言う風に軽い頷きが返ってきた。
「まがりなりにも、ユセフは高等法院職員だ。対してヤンネ・キヴェカスは、あくまでイデオン家法律顧問。個人事務所事業主でしかない。確かに私は司法を束ねる身ではあるが、こればかりは長官であるロイヴァス・ヘルマンやユセフの直属上司と話し合わない訳にはいかない」
「もちろんですわ、イデオン公。このままユセフにただ頭を下げさせたところで、今まで通りフォルシアン公爵邸に寄り付かず、独り身のまま偏屈老人への道を突き進むだけですもの。ぜひ前向きにご検討下さいませ。アナタも、諦めて突き放すのが親心とは限りませんことよ?」
王女サマに襲われて散々な目にあった点からすると、息子に対して過保護になっても誰も何も言わないだろうに、エリサベト夫人の口から出て来る言葉は、まさかの辛口オンパレード。
息子どころか夫さえも、たじたじになっていた。
「ああ、レイナ嬢がお茶会でこちらにいらっしゃる時には、ユセフは仕事でおりませんでしょうから、ご安心なさって?もし今後滞在の機会があった場合も、高等法院の寮でも、キヴェカス卿に王都内の部屋を紹介して貰うでも、やりようはありますから。ね?」
「あ…はい、そうしていただけると、無駄に険悪にならないで――いえ、なんでもありません」
夫人につられて、うっかり内心がダダ洩れそうになったところで、エドヴァルドから視線でストップがかかった。
ヤンネ・キヴェカスへの前科がある時点で、私の信用は多分底辺だからだ。
私が決まり悪そうに、視線を明後日の方向に投げているのを、エリサベト夫人が興味深げに見つめていた。
「……これは純粋な好奇心からなのですけれど」
「あ、はい」
「レイナ嬢から見た、ユセフの印象ってどのような……?」
「―――」
部屋の中の温度が下がった。
絶対下がったよね⁉
弾かれた様に私がエドヴァルドの方を向いたけれど、エドヴァルドの視線は、多分わざと、前に向けられたままだった。
「えーっと……フォルシアン公爵閣下によく似ていらっしゃるなぁ……と」
「あら、それだけ?」
「今日まで一言も話した事もありませんし、正直、他の印象は持ちようがないと言いますか。今日は今日で、遠くで幸せになって頂ければそれで良いかもと言いますか……」
遠くで幸せに、イコールこちらは関わり合いになりたくないと言う事をオブラートに包んだ言い回しなんだけど、これってアンジェスでも通じるんだろうか。
そんな事をつらつらと私が考えていると、フォルシアン家の皆様それぞれに思うところがあったのか、程度の差はあれど目を丸くして、エドヴァルドへと視線を投げていた。
「エドヴァルド……レイナ嬢に無駄な圧力をかけるな……」
「何の話だ」
多分に呆れを含んだフォルシアン公爵の発言にも、エドヴァルドはどこ吹く風だ。
「いや……まあ、圧力があろうとなかろうと、ユセフに微塵も興味がないのはよく分かったが……」
「そうですわね……これでしたら、レイナ嬢がこちらの邸宅にいらした際も問題なさそうですわね」
フォルシアン公爵夫妻の呟きに、私は、夫妻が私のお茶会への参加に際して、息子のトラウマが刺激される事がないように心配していたのかなと、ひとり納得していた。
「それでエドヴァルド、ユセフの休職の話は、夕食会の後、落ち着いたところでヘルマン長官に話を通してみてくれるか?」
「……本気の話なのか?」
この場での冗談と流すなら今のうちだと、逃げ道を用意したエドヴァルドに、フォルシアン公爵は微笑って片手を振ってみせた。
「私はエリサベトが決めた事には絶対服従だ。結婚当時からね。何、給与の心配なら不要だ。どこに注ぎ込む訳でなし、高等法院での給与だって有り余っている筈だ」
何を勝手に…とユセフ青年は抗議しかけていたけれど、エリサベト夫人の「余っているでしょう?」と言わんばかりのにこやかな微笑みに、続く言葉を封殺されてしまっていた。
「…ここだけの話、ヤンネも初めはレイナを見下していた。アレもユセフに負けず劣らずの女性蔑視の思想を持っていたからな。今までは個人の性格だと放っておいたが、レイナがイデオン公爵邸の客人でなくなる以上は、そうもいかない。己の偏った思想がどれほど愚かな事だったのか、理解させる意味で案件の全てを抱えさせている。そこに加わるとなると、高等法院以上の激務になるのは間違いないが、それでも良いか?」
夫妻の対応にエドヴァルドも、黙っていても良い事はないと思ったのかも知れない。
ヤンネ・キヴェカスにまつわる「訳あり」な状況を、隠さず彼らに告げていた。
反応は「ほう…」「まあ」「なっ…」と、三者三様だったけど。
「まあ、それはそれでユセフにも良い薬になりそうな話だとは思うけどね」
「そうかも知れませんわ。ただちょっと、その事務所に女性の事務員さんがいらっしゃるようなら、頭痛の種が増えるかも知れませんけど」
あ、そこは私も気になるかも?
エドヴァルドは、一瞬だけ考える仕種を見せていた。
「本気でそのつもりなら、それも含めて考えておこう。休職より出向の方が良い気もするが、その辺りは関係者と話し合ってからだな」
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「さて、行こうか。多分、何事もなく…とはいかないだろうが仕方がない。あと何時間かの我慢だね」
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685 忘れじの膝枕 とも連動!
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