Amazonプライム、Netflix、YouTube、Kindle Unlimited、dマガジン、菊地成孔のブロマガ、季節のお花etc.

私がやっているサブスク。ちなみにサブスクセフレの実態……という企画も出したことあるけどボツになった。

先月、脈をあげまくるスパルタなパーソナルジムも追加。体を動かすだけで褒められるという生まれて初めての経験を経て、高強度インターバルトレーニングに勤しんでいる。

月3万のジム通いながらファストフード食べてはいかんと、ウーバーイーツの送料無料を解約した。でも、またすぐ始められるんだからヌルい世界だよね。

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皆さん花束を見ましたか?私は同棲を解消したことがあるサブカル女3人で行った。

一人は二度めのおかわり鑑賞、もう一人は麦と絹が手を繋いだときに「クソ……クソ……」と独り言を漏らしたくせに終盤には薄いラベンダー色の布マスクが鮮やかな紫になるほど号泣していた。私はタムくんに描いてもらった似顔絵のシンクロを皮切りに、ウォーホル展や、らくらく、作った動画、空耳アワード、トマトのキッシュ、無限の思い出が蘇ってきた。

我々のほかにはスカウトと女の子の組み合わせしかいない歌舞伎町の臭い喫茶店で、同棲をやめるなら先に引っ越したほうがカネがかからないとか、もし本屋で手に取ったのが前田裕二の本じゃなくてイケハヤだったらその場で別れただろうとか、いろんな考察で盛り上がったけど、みんなそれぞれ思っていただろう。

自分にもあんな時があった。かけがえのない瞬間が幾度となくあったと。

それを素敵な日々だったねとじんわり振り返ったり軽口叩けるほどには成熟してない半端でリアルなアラサーの我々は、2010年代の、そして20代の大半を締めたかつての同棲生活を再体験して、やられてしまったのだ。

若さと瑞々しさの裏には必ず愚かさがあり、何でも興味や意欲があって、同じようにコリドーやカラオケ屋に見えないカラオケ屋の敷居も跨いだ。仕事はうまくできなくて仮想通貨の記事がどうしても書けずにディズニーツムツムをぼんやりやってる時期もあった。

コンバースのジャックパーセルにJAXAのトートバッグに本棚の小説、あらゆるモノが双子だった映画のなかのわかりやすい二人。 2010年代に20代を東京で過ごした一人としては、散りばめられたサブカル記号が浅かろうがどーでもよかった。サブカルの深淵に達するために恋してるわけじゃない。

これからの人生、オリジナルラブの歌詞くらい熱く甘い恋愛をするかもしれないし、同じ空の下、同じ階層(ルビ:セカイ)に生きている男と現実的な同棲もするかもしれないが、魂の双子に出会うことは二度とないとわからせるには充分な良い映画だった。

祖母がよく食べさせてくれたもの→シーチキン、卵焼き、リポビタンD(鼻血が出るので1本だけ)。

シーチキンといえばどう考えても「はごろもフーズ」で、まぁ十数年は意識して食べてなかったけど、最近ハマってる。

マンションの1階のコンビニがリニューアルの準備でしばらく閉まっていて、ほぼ冷蔵庫として使っていた私にとっては不便でたまらない。ウーバーイーツに頼らない生活のため、閉店前のファミマで3缶、Amazonで12缶買っておいた。

シーチキンLとシーチキンマイルドがあるので注意されたし。Lがきはだまぐろ、マイルドがかつお。個人的には舌触りなめらかでコクがあるL推しだ。

缶をじりじりあけて……ごはんに乗せるのもいいし、そのまますくって食べても天国。私はやらないけど、パンもいいよね。夜中の救世主。マヨネーズと九州の甘い醤油をちょろりと垂らすともはやドラッグ、地獄行き。

コーン茶を万が一にも「一汁」とカウントしていいならば、シーチキン、キムチ、納豆で一汁三菜を達成している。

てか、はごろもフーズ(静岡の会社)という名前がセンス良すぎ。天女の羽衣だよ。缶詰にしては、幸福感が高い。

結婚式の参列客で、肩が出るドレスの上にフワフワしたボレロを羽織っていた女たちを、はごろもと呼んでいたけど、これだって幸せの象徴として一役買っていたのだと気づく。

しばらくハマりそうだけど、このマイブームが終わったらまたウーバーイーツに立ち返ると思うとくらくらするな。

次回「サブスク貧乏爆誕の巻」で会いましょう。

まわりのおっさんが続々とシミやホクロをとりはじめている。自粛中にダウンタイムを終え、いざ街に繰り出すときには美しくなっているという算段だ。

私は、毎日ハッピーセット(シナモロール のおもちゃがついてくるから。シナモンがマックに登場するのは珍しいのでね)と新大久保のヤンニョムチキンをウーバーイーツで頼んで爆食、バスタブにクソ熱をはるどころか未風呂で就寝のジャンキー野郎なのでマイナス1億点。

たまには帳尻を合わせないといけない。バスタブにクソ熱なお湯をはって、サボンのバスソルトを入れる。今月末、菊地成孔とUAのライブに小川くんと行くのでSpotifyで予習しながら浸かる。

その間、BTSがキャラクターをやっている韓国コスメのスクラブパックを15分。オーガニックなのかそうじゃないのかよくわからんけど草の匂いがして気持ちいい。

かかとがふにゃふにゃになったら、台湾のマッサージ屋みたいなやすりで削ってツルピカにする。これも風呂上がりの触り心地がなんとも気持ちいい。

満足したらukaの剣山みたいなブラシでマッサージしながら髪洗う。週末、ギャル男美容師にカラーとトリートメントしてもらったぶりのシャンプーなので当然気持ちいい。

とまぁここまでできた夜は100点満点。

もちろん最近ハマってる美容系YouTuberの生活を基準にした点数だ。

qoo10という激安海外通販アプリで化粧品を爆買いしてレビューするような動画をよく見ているんだけど、カラーメイクならいざ知らず、あんな短期間にいろんな種類の化粧水や美容液をあけて使い切れるんだろーか?

そして、いつも試し塗りする左手だけ、数十年後に異常にシワがなかったり、艶やかだったりするんだろーか?

ちなみにあるシミとりおっさんは美容医療にハマるインフルエンサーの女の子を「先輩」と慕っている。

ーーー天は自ら行動しないものに救いの手を差し伸べない(シェイクスピア)

シミとりおっさんや美容系YouTuberに幸あれ!!!

悩んでいることやつらかったこと、ときめいたことを必ずと言っていいほどマチルダにLINEする。マチルダは傾聴力が高く優しいがシビアな人生観も持ち合わせているのだ。そして大抵その出来事と気持ちをテキストにしろ、そういう仕事なのだから残しなさいと言われる。

だから誰かに送らなかったLINEとかを推敲してメモしてる。たとえば不誠実な態度を責めたくてしょうがなくて吉本隆明まで引用したけど送信せずに耐えた長文など。

ここ数年、マクドナルドを食べ過ぎたり記憶なくしたりで常時発狂していて順風満帆とはあまりに言い難いけど、今月30歳をむかえてしまい、みんなそろってここからもっと楽しいね、人生楽しくなるねと祝ってくれてありがたかった。

しかし、本当にそうだろうか?20代のうちに○○しなきゃ、30代なのに○○、という旧態依然的な規範に縛られていないと表明するために、30代は楽しいよと言ってくれていないか?リベラルおば&おじさん。

自意識的には、私は大人ではなく、赤ちゃんや、ちいこいウサギや、ギズモなのです。みなさんもそう認識してほしい。頼むからベビたん扱いしてくれ!五反田の安キャバで二の腕ムチムチのフェイスシールド嬢に23歳かと思った〜!と言われた瞬間が、最近で一番幸福だったのだから。正しく加齢が出る肉体と自然に幼児化した精神が乖離しすぎてぴえんだよ。

30歳の目標は、1日2回うんこを出してやせること、権力を持たず権威におもねらないこと。

わかっちゃいたが、権威に惹かれる自分、いますから。ブランドも好き。伊勢丹は百貨店の王様だから通ってるし、無意識的に都庁が見える部屋に住んでるし。でも幼児退行と相性悪すぎるし、権威的な人間が吉本隆明を引用してはならんよな。

モテとありのままのはざまでイキるオレたちは

2013年にアナと雪の女王が公開され、ありのままの姿見せるのよというフレーズがみんなの頭と心をハックした。

ありのまま、というのは……

ほかの人からなんて言われようがあなたの価値はかわらないし、自分は自分でいい。

ブスとかデブなんてのはない。私は素敵だし魅力的。

こういったことだ。ありのままはじわじわと世の中に効いてきた。


そうして当然、モテる企業のランキングだとかあからさまに人を分類し格付けするような下品な企画は減った。

かつてはめちゃくちゃやってたし、正直そういう仕事は相当楽しくて盛り上がった時期もあったけど、もうはやらないからしないと思う。


ただ個別具体に落とし込むと、人は人を審査すること、そして一方では審査されることからは逃れられない。

だから、ありのままでいい、自分を肯定していいんだよという風潮には、キナ臭さも残るのだ。ありのままの自分がバイオレンスでペドフィリアでカニバリストでも、ありのままでいいんかな?と。ありのままであろうと社会責任はあるのだ。

自然界には差別や間引きがある。虫に食べられる野菜と生き残る野菜がある。

おなじように人間界にも差別や間引きがあり欲がある。

ありのままの自分をなんとか愛したとしても、他人から愛されるのは難しい。だからよくみせるためにイキる。

イキりはウザいがときにチャーミングで、ありのままは自由だがときに傲慢だ。

どちらでもいいけど、いいとこどりのハイブリッドはできない。

ありのままの自分でいたいなら都合のいいイキりとは今生の別れをして傲慢な自分も受け入れてくれる寛容な人間を世界中探すべきだし、イキりつづける人生なら雪が吹き荒ぼうとも少しも寒くないわって言っててほしい。

これがこの世で最後のモテテク。

男の器検定

<いわゆる商社マン>

女はすこしバカでかわいくて守るべきものと思ってくれている古代の遺産、近代日本の伝統。

私たちにとっては最も扱いやすくて、三手先まで読めて、みこすり半みたいな男の子たち。しかし昨今の情勢から需要が次第に低くなっていることに彼らも気づいた、態度変容を起こそうとしている。


<普通の人>

会社とか飲み会にいる普通の人。

女がホストにハマったりオナニーしたりずる賢いことを知っているんだけど、あからさまに浴びられるとちょっときついなぁと思ってしまう。まぁ普通でなんとも言いようがないけど、真っ当。


<リベラルフェミぶる男>

女性は尊くて神聖な存在だ!と慮ることによって、われわれをモヤモヤさせる存在。例えば北野武映画みたいに、女を陶器のように慎重にたいせつに扱うのだけど、結局中身のないミューズに仕立てあげてしまう。


<20センチュリーウーマンの側にいるボーイ>

フェミぶるを超え、知的な女たちからフェミ英才教育を受け、フェミを完全に取り入れた、いま一番やっかいでありつつ心くすぐる存在。

彼らは女に対して、若くて可愛いっていうだけで好きになってはいけない!と思ってしまっている。

私は、対等に扱われるのが前提とアピりながらま、かわいがられたいしおごられたいし、若くて弱くて純朴さに無自覚な自分のことが好き。

逃げ恥の若い女からの学びが意外とあって、歳を重ねて合コンに呼ばれなくなるとか自虐がはじまるとか今までと違った自分に成熟していくことを呪いだとは思ってはいないわけで、アラサーアラフォーになったらなったで別の方法で自分を信じて、これはこれで可愛いんじゃない?って思えるくらいのあつかましさは、私だけじゃなく周りの若くてかわいい女の子は意図的に身につけている。

だから今は、知性とか面白いとか気立てがいいとかじゃなくて、単純に若くてかわいくて、それが儚いものかもしれないからこそ、正面からそれに向き合ってほしいと、世界の中心で叫んでいるんだな。

まだ生身の人間と恋したい

今をときめく外資系の動画配信会社に去年転職した男友だちは前いたレコード会社よりウンびゃく万円も年収が上がったらしい。一応、おんなが年収と職業だけで遊ぶ男を見定めているわけじゃないとことわりを入れつつも、イケてる会社で給料も良くてさぞハッピーモテモテだと思うじゃん?意外とそうでもないんだって。

じつはシリコンバレー系企業の日本法人は、港区女子をはじめハイスペック男を食い物にしてキラキラ輝く女の子たちにはそこまで認知されていらず、まだまだ西麻布では外コン、外銀、医者弁護士、あと得体が知れないけど羽振りが良すぎる芸能関係者?が幅を利かせているのだ。

丸の内に行ったところで、ドバイ駐在中に油田のアドバンテージでヤリチンに磨きをかけた三井物産に負け、コリドー街のスナッパーでテキーラ飲みまくってる三菱商事に負け。まぁ培ってきたパリピ力が段違いである。

青山・外苑はアリよりのナシで絶妙に望み薄、外国人駐在員が先にいい女を口説いてるし何ならそれって自分の上司だったりするわけだ。

ところかわって、今アメリカでモテるのは「FANG」=Facebook、Amazon、Netflix、Google。日本のテックなイメージと一転、あちらではメディア系みたいな立ち位置で軟派なチャラメンだと箔がつく。

ハリウッドにも「港区女子」的ポジションがあるんだって。出張ついでにバーに行くと獰猛な元モデルとかタレント崩れみたいなのがどこからともなく湧いてくるから、「僕、Netflixで働いてるんだ♪」ってナンパするとうまくいくとか何とか。やっぱどこの国でもチャラい奴はモテる。

日本だとレコード会社にいたときに電通やら芸能事務所やらと組んで合コンやりまくってたときのほうが、よっぽどスゴーイと言われたらしいけど(棒読みだったとしても、ありがたがられてるのには変わりない)、ここの価値転換がそのうち起こるのは間違いないでしょう。

コンサバじゃなくたって資格持ってる男は何かと安心で、賢ぶって何でもかんでも言語化されるよりは少々のマチョイズムを黙認したほうが楽だし、年上の外国人は普通にかっこいいわけなので、彼らはしばらく横ばいなのだけど、マスコミや広告代理店好きの女の子たちは、そろそろここらへんの有望な会社のストックオプションを持ってる男の子をガチホし始める。ついでにJPモルガンのトレーダーがAIに入れ替わるなら港区女子の狩場も変わるかも。コインチェックに入れたカネが戻ってこなくて泣いてる場合じゃない。

でも、意外と性欲の強いサブカル男はSFC卒とかの意識高い系女子と付き合ってるから、この話あんまり関係ないんだよね。

点と線

「世間亭カネ能」という超不名誉な亭号を持つおんな友だちがいて、3.4人くらいでよく遊んでいる。
いわゆる東京のお嬢様なのだけどとにかく軽くておもしろい。
カレシ(イケメンで高収入)から婚約指輪をもらったということで、近所の中華に集まって話を聞こうとしたら「彼のお父さんとお食事会したの。そしたらお父さん、オレんちの近所の団地に住めば?なんて言ってきてドン引きした。アタシが団地なんてありえないよ」って。
カレシは愛してるのに突如発生したカレ親イヤ問題で意気消沈しており、完全に名前を体現しててめちゃくちゃ笑ったのだった。


転職マンガ「エンゼルバンク」に、高学歴で親がカネモチだと、カネでなく志で仕事をすると書いてあった。
これまで、広告代理店のクリエイターで「クライアントの商品を本気で好きじゃないとCM作れないよ」なんて言ってるのはバカか偽善だと批判しつつ、実はホントに純粋にそう考えている人がチョイチョイいるなってのも実感しはじめて困ってたところ、腑に落ちた。

例えば親がテレビ局員で小中高大一貫校に通い、とはいえ金持ちなのを見せびらかすこともなく、マーチレベルの大学なのに余裕で大手広告代理店に新卒入社した子とか、実際つきあってみると友人としてはめちゃくちゃいい奴じゃないですか。
初めての彼女にアイドルのコンサートのいい席をとらされ私たちからチケットぴあと呼ばれようとも、素直に頑張る感じ。
そういう人に課されたノブレス・オブリージュが、クリエイティブの態度に出るのかも……ね。


私はどうあがいても、そっちの世界じゃない。
がんばりの方向性が、のしあがっちゃるけんとか、林真理子的というか、田舎を出てきて孤軍奮闘する人間のそれなので。
都会で文化的経済資本のトップクラスみたいな子に出会って打ちひしがれながら鍛えられ、カネや性やおしゃれや誉れというゴールへ向かう。
環状線って東京に来るまで知らなくて、目的地のある一直線の旅しかしたことがなかった。



小さい頃から山手線をぐるぐる回遊している彼らは、炎上したり指輪を返納したりしてもけして価値観がゆさぶられない。

ヘタウマとザラ

のんちゃんが、鳥の絵が描いてあるシャツとか刺繍のワンピースを着ていて、どこの?って聞いたら毎回「ザラだよ」って。またかぁ。最近かわいい!と思うモチーフの服って、だいたいザラなんだよな〜。

私、ザラは4Fとかまであってダルいのと、全部サイズがデカそうという思い込みで、数回しか入ったことがなくて買ったこともない。

いやはやそれも昔。可愛い服があるならえんやこら。新宿にも大きい店舗があるけど、なんとなく原宿か渋谷でしょう。飴ちゃんの店やディズニーストアの前で通りすがる女の子がみんなザラの紙袋を下げているの、知っているのです。ザラのメッカは勝手ながら渋谷区とする。

ここは渋谷西武の向かいのザラよ。
いや〜トルソーが着てるワンピ、可愛い!
ラメが入ってるプラスチックの夏っぽいバッグも、可愛い!

なのに。試着したらなんか違う。無印良品で試着したチノパンの次に似合わない。キマってない。

いざ着てみると、ファストファッションあるあるな縫製の雑さとか個体差がすごい(ホックの位置が微妙に違うとか)のが気になってしまったりイマイチテンションが上がらない。外で人が着てるのを見てるぶんには可愛いって思えるのに、買い物するぞ!と研ぎ澄まされた状態でお店に入ると途端にヘボく見えるのはなんでだろー。

「ヘタウマ」の話をします。
ヘタウマって、蛭子能収とかみうらじゅんとか、絵がヘタっぽいんだけど味があって「逆に」良い、味がある、個性的ってこと。

前に日本戦後サブカルチャー史というNHKの番組で、
1.ウマウマ 2.ヘタウマ 3.ウマヘタ 4.ヘタヘタ
このクリエイティブの組み合わせについて議論してた。

都築響一はヘタウマが一番いいと言っている。完成度より雰囲気、技術より感情を優先するから。サブカル的に愛されるのはやはりヘタウマだね。ウマウマはわかりやすく言うと玉置浩二。ウマヘタはラッセン。ヘタヘタはハリウッドザコシショウ。

https://youtu.be/kPiaFhoooH4?list=PLgoEcpoNcByEY7qeFlOE-e3ydhM_Z3k7v
この「がっつりしょんべん」をはじめザコシは毎日動画をアップしててマジ最高。アウトサイダーアートだよね。

つまり、ヘタは代替不可能なのでなんとも言えない魅力があって、ウマは技術で大量生産ができる。

勘のいい読者はお気づきだと思うが、ザラはウマヘタなのだ。いやdisってるワケじゃないので怒らないでほしい。ラッセンもどん兵衛のキャンペーンに使われてたし、ビジネス的にはウマヘタ、アリアリ。

ウマヘタは商売上手で世の中に溶け込む。6999円のトップスってそんなに安くない。

それでも私たちは探してしまう。「ザラはどこ?」って。


※少し古いネタを使うのはがっつりしょんべんのオマージュだ

青学の強さ

待ちに待った箱根駅伝。スポーツはやるのも見るのも別に興味ないけど、箱根駅伝だけは大好きだ。

リポートは毎分毎秒、ここまで言う〜!?みたいな情報を押し付けてくるのだけど、なかなかどうしてスンナリ感動してしまう。来年からこの企業の社会人チームで走りますとか、箱根が最後の駅伝でこれからは三菱商事で世界を駆け回りますとか、推薦で落ちたけど一般入試で入って4年生にして初の箱根だとか言われちゃうと年下の精悍な男子たちをめちゃくちゃ応援したくなるし、助っ人外国人のはずが涙の棄権、10区なのに道を間違える、無念の繰り上げスタート、亡くなった肉親の遺影を持って沿道で応援、箱根の伴走をどうしてもやりたかった白バイのおっさんとか、ドラマもいろいろ。涙なしには見られない。

日テレは「24時間テレビ」「はじめてのおつかい」など胸糞悪い「感動」の特番が幅を効かせているけれど、箱根だけはリアルガチなので叩けない。駅伝という競技についても、実力ある大学生が箱根というガラパゴスなレースのために競技人生をダメにしているとか批判があるんだけど、新年から一つのコンテンツでこんなに盛り上がってるんだから大目に見てくれよって思う。

今年の往路はテレビがある古い喫茶店で朝食がてらダラダラ見てたら、3区で青学がトップに立ってそのまま5区まで独走。復路も圧巻だった!おめでとうございます。

青学の選手って、みんな顔がシュッとしてスタイルがいい。細身の塩顔が多いのが逃げ恥ふうでもある。日体大はたまにインサートされる昭和の箱根駅伝の映像と寸分違わぬ朴訥なイガグリ頭なのに…。原監督は元営業マンなのでそこらへん戦略的で、ちょっとチャラくてノリが良くて彼女がいたりする、コミュニケーション能力高くて、要は青学っぽさがある子をとっているし、共同生活の中でその雰囲気はいっそう強まっていく。

ーー突然ですがクイズです。
慶應の女の子、青学の女の子、立教の女の子。それぞれブランドバッグを持っているけれど、誰に買ってもらったでしょう?カレシ、親、自分で買うの3択から選びなさい。

会社の同期は私ふくめて慶應、青学、立教出身の女子なんだけど、去年ワセジョの先輩と飲んでいて「慶應と立教の女はこれまでモテたかもしれないけど、結婚というフェーズに移行するのが難しい」と言われた。現に青学の同期だけが結婚している…。

それはなぜかと考えてみると、このクイズに行き着いたわけです。
答えは、
慶應の女の子→自分で買う
青学の女の子→カレシに買ってもらう
立教の女の子→親に買ってもらう

この3校いずれかの出身の人は、女の子も男の子もだいたい当てる。

青学には、意外とカレシからもらったモノを素直に喜んで後生大事にしている良い人が多い。きっと4℃をもらってもメルカリに出さないし、スタージュエリーより鎌倉の鍛金工場で職人が作ったジュエリーがいいとか文句は言わない。その流れで婚約指輪も、男が自ら選んだティファニーのオーソドックスなダイヤリングを、一生懸命私に似合うものを考えてくれたのが嬉しい!と文脈ごと愛せるのだ。

5年くらい前の彼女たちのバッグは、プラダのカナパ率が異様に高かったのだけど、同世代のカレシが頑張って買うのに丁度いい値段だったと思うと納得では?

われわれ立教生、また慶應生は、親と百貨店に行っておねだりするという日常や、人が選んだものを甘んじて受け入れるくらいなら自分で稼いだお金で買ったほうがマシという意識とどう折り合いをつけるかが今後の議題になってくるだろう。

青学は、読モやミスコン、テニサーなどチャラさが際立つイメージがあり、箱根駅伝がそれを払しょくしたと思われがちだが、チャラさと勝利は地続きだった。男も女もすくすく育つ青学は、ゴールめがけてひたむきに頑張る土壌が整っているのだ。

ところで「早稲田は?」と思ったあなたは鋭い。ワセジョはブランドのバッグを持とうと思わないし、早稲田の選手は彼女を作ろうと思わない。異性のいない世界でたたかう人間もまた強い。