川井プロフA

川井 拓也(ヒマナイヌスタジオ代表) 株式会社ヒマナイヌ/代表取締役
ヒマナイヌスタジオ大手町・六本木・高円寺/テクニカルディレクター
高円寺三角地帯/共同オーナー

配信ディレクターとしてperfume、佐藤健、flumpool、RedBull、Engadget、MIT Media Lab、NTT研究所、ブリティッシュ・カウンシル、森ビル、青森県庁などを担当。大手町・六本木・高円寺でライブ配信専門の「ヒマナイヌスタジオ」を運営中。沖縄・島根・京都・名古屋・北海道まで全国のスタジオコンサルも手掛けている。

(以下執筆中)


1970年(昭和45年)0歳


1月東京都武蔵境生まれ。戌年。水瓶座。血液型はA型。


愛媛出身の父と徳島出身の母の間に長男として生まれる。武蔵境から小平、所沢こぶし団地、所沢パークタウンで育つ。所沢北高校時代はテニス部、生徒会長、放送部長などを歴任。ソニー好きの父親が買ったベータームービー(家庭用初の一体型ビデオカメラ)にはまり友達と文化祭で映画を撮ったり学研「ビデオキャパ」などに投稿したりしはじめる。いとうせいこうが司会を担当していた「土曜倶楽部」のCMコンテストでは高校3年で2位を獲得。


1988年(昭和63年)18歳

当時「雨月物語」の脚本家である依田義賢氏が学科長であり東映ヤクザ映画の名匠中島貞夫氏や黒澤映画の伝説的カメラマンである宮川一夫氏が教鞭をとっていた大阪芸術大学映像学科映画コース(V88)に入学。のちの「アオイホノオ」でもお馴染みのファースト・ピクチャーズショーでは3分映画を1本出せばいい課題で10本作りうち2本をノミネート作品に送り込む。所沢航空記念公園で祖母をキャストに撮った「スケッチ」でグランプリを受賞。卒業制作の16mm映画「レプリカ」では学科賞を受賞。この作品で撮影を担当した沖村志宏氏は日活を経て「サウスバウンド」「武士の家計簿」の撮影監督として活躍中である。


1992年(平成4年)22歳


CM制作会社の大手である太陽企画株式会社に入社

演出志望であったが制作部に配属されプロダクションマネージャーとして「セブンイレブン」「クロネコヤマト」「吉野家」「西友」「花王」「トヨタ」「ナムコ」「カプコン」などのCM制作現場で弁当の手配からスタッフのギャラ交渉まで担当。2年目に「パナソニックCS」シリーズでチーフプロダクションマネージャーとなりアルフレッド・ヒッチコックを使った「トヨタ MARKⅡ」のCMで初めての海外ロケ作品を担当する。


1994年(平成6年)24歳


演出部への転部試験などを受けるもディレクターとしての自分の素質に限界を感じ富士通「ユニバース」や世界初の3DCGを採用したTVCM「キリンメッツ」などを作っていた柳瀬三郎氏率いるコンピューターグラフィックのセクションに転部した。三菱重工の軍事シミュレーターESIGを民生に転用する台湾高雄のテーマーパーク映像のマッピングディレクターを担当。CM現場を遠ざかって2年間みっちりコンピューターに接することで社内でも「現場も知っていてパソコンにも詳しい」という定評を得て当時まだめずらしかったノートパソコンや業務上でのeメールの活用、ファイルメーカーを使ったロケハン資料のデータベース化などを担当する。


1997年(平成9年)27歳


97年から98年にかけて当時「バザールでござーる」「ポリンキー」「紅茶ピコ」などで有名だった佐藤雅彦氏の映画プロジェクトでプロダクションマネージャーを担当。緻密なビデオコンテを作ることで有名だった監督のサポートのためチェコ、ハンガリー、ドイツ、ルーマニアなどをロケハンで駆け回る。バックヤードではDHLなどで資料のやりとりをしていた当時の業界慣習を改革しftpサーバーを介したスキャニングデータのやり取りなどで海外コーディネーターとの確認システムを確立。ロケハンにもDVビデオを使いFireWire経由でノートパソコンに取り込み低解像度ながら現地でビデオコンテを作るシステムを実践。大幅な時間短縮で制作フローの改善を行った。


1998年(平成10年)28歳

電通がデジタルコンテンツ対応の部署を作りソニーの衛星放送「Vaionet」を立ち上げるにあたり番組制作をコンペで実施。太陽企画と葵プロモーションが共同で1週間の番組「my eyes, my site」を制作することになった。このときにのちの株式会社パズルを立ち上げる入社同期生である岡田行正氏と川井が番組制作プロデューサーを担当。カッティングエッジな番組制作のため社内の若手ディレクターに加え外部からテレビディレクターやアートビデオのディレクターまで幅広いスタッフィングを行った。特にロンドンのTOMATOなどを取材した番組ディレクターとして出会った大房潤一氏とは「Vaionet」に続いてソニーが立ち上げた「MusicLink」でのネイティブ・アメリカンの音楽をテーマとして番組などでも引き続きタッグを組むことに。番組制作の中で知り合った猪蔵氏(当時はまんだらけのCGセクションに所属)が手掛けるムック本のために鈴木健介氏と大房潤一氏でVJユニット「光学姉妹」を結成。当時会社の中でも使わなくなっていた16mm映写機や35mmムビオラなどの光学機器をビデオで再撮影しながらプロジェクターで投影するVJスタイルが話題となる。