葬られた津波対策をたどって――3・11大津波と長期評価 第16回
島崎邦彦 しまざき・くにひこ 東京大学名誉教授,地震調査委員会長期評価部会部会長(1996 〜 2012年),原子力規制委員会委員長代理(2012 〜 2014年)
長期評価への外部からの介入は,津波地震を警告する2002 年7 月の長期評価から始まり,3.11 津波直前,東京電力が秘密会議で内容の書き換えを「要望」するに至った。2002 年のときには,長期評価の本文には変更がなかった。しかし,内閣府防災担当の圧力によって前書きに一段落が加わり,その後も圧力は続いた。中央防災会議事務局である内閣府防災担当は,長期評価を無視してその信頼性が低く見えるようにした。その影響は今も続いている。東京電力旧経営陣三名が強制起訴された刑事裁判では,昨年9 月全員無罪の判決が下された。「『長期評価』の見解が客観的に信頼性,具体性のあったものと認めるには合理的な疑いが残るといわざるを得ない。」としている。
一方2011 年の3. 11 津波直前に,地震本部事務局は東京電力の「要望」に沿って長期評価案を書き換えた。この案は津波の発生により公表されなかったが,2002 年から9 年後の事務局は内容に手をつけるところにまで至っていたのだ。その状況については第11 回(2019 年11 月号)で詳述したとおりである。
活断層長期評価と活断層の定義
「情報交換会」と呼ばれた3 月3 日の秘密会議(表)については,東京電力側の記録(第11 回図1)と地震本部側の記録とがある。後者は,1 年後の第175回長期評価部会(2012 年2 月1 日)参考資料の全6 ページ,非公開資料と明記してある。その後,情報公開請求により公開された*1。両者の大きな違いは,前者で記述されている活断層に関する「要望」が,後者では除かれていることである。この後者,地震本部の資料は,「平成23 年3 月の地震本部事務局と東京電力との長期評価改訂に関する情報交換会等について(案)」(下線は筆者による)となっていた。この長期評価改訂は,2002 年の長期評価,すなわち「三陸沖から房総沖へかけての地震活動の長期評価」の第二版として,主に2005 年以降の調査研究にもとづき,宮城県沖地震をも含めた長期評価をまとめるものであった。2005 年8 月16 日の宮城県沖の地震,マグニチュード7.2 を契機として重点観測計画が実施され,869 年の貞観地震の津波堆積物調査結果など,重要な新知見が得られていた。
表―3. 11 津波前後の経過
長期評価部会での事務局の「情報交換会」の説明では,活断層に関する東京電力の「要望」は完全に隠されていた。その際に,私は資料が非公開であるのはなぜかと尋ねた。北川貞之管理官は,このような場合,開催事実と内容は公表するものではないと答えた。その発言は他にも秘密の会議があることをうっかり漏らしたようにも取れる。しかし実際にそのような秘密会議が開かれていたとは知らなかった。秘密会議のきっかけが活断層長期評価の新手法の公表(2010 年11 月)であることは,第15回で触れた。
活断層長期評価の新手法では,短い活断層から地下の長い震源断層を推定する方法や活断層の定義など,原発関係者が目を剝くような提案がされていた。短い活断層の問題は前回触れたので,ここでは活断層の定義について述べる。活断層の“活” は活きているという意味で,その断層が今後も活動して地震が起こることを示している。なぜ将来のことが言えるかと言えば,現在と同じ状況にある過去の時代に,繰り返し活動した断層だからである。未来が現在と同じ状況にあれば,その断層は今後も活動する,すなわち地震が起こる。過去,現在,未来の長期間,同じ状況にあるならば,過去に起こったことは未来も起こる。
同じ状況とは何か,地震が発生する環境である。大地に加わる力の状態である。プレートの配置や動き,それが過去から現在までの長期間同じであれば,今後もそれが継続する。なぜなら,現在という瞬間に特別な意味はないから。プレートの配置や動きは一瞬では変わらないから。
日本列島の場合,数十万年間同じ状態だった。だから最近数十万年間に繰り返し活動した断層は,活断層である。これが活断層の定義であり,私もそのように講義をしてきた。しかし,活断層長期評価の新手法では,活断層の定義をしっかり記述しようという議論が起こり,討議の結果40 万年という数値を用いることになった。
原発の耐震指針「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」が1995 年の阪神・淡路大震災の結果,2001 年7 月から2006 年8 月まで内閣府原子力安全委員会の耐震指針検討分科会で議論され,改訂された。これについては第7 回(2019 年7 月号)で触れたとおり。そして,活断層の評価期間(どの期間の活動があれば,活断層と認められるか)が旧指針の過去5万年から過去12 万~13 万年に改められた。今から12 万~13 万年前の気候は温暖で,当時の海面は現在よりも高い位置にあった。その後,海面は下降したが,温暖期の海岸付近の平らな地形が今でも日本各地に残っている。この平らな面(海成段丘と呼ばれる)がずれていたり,段差ができていたりすれば比較的容易に活断層を認めることができる。
これに対し,活断層長期評価の新手法では12 万~13 万年ではなく,40 万年という数値で活断層を定義した。この数値を原発関係者が問題としたのである。やっと12 万~13 万年まで譲歩したのに,さらに40 万年!まで譲らなければならないのか,という思いだったのだろう。この新手法案は前回述べたように,強震動関係者から強く反対され,暫定のまま店晒らしとなっている。強震動予測手法検討分科会委員の釜江克宏京都大学原子炉実験所教授から,原発の12 万年~13 万年と長期評価の40 万年とがダブルスタンダードのように受け取られないようにしなければならないとの意見が出た。釜江氏は原発の安全審査を担当する原子力安全委員会専門委員で,改訂された指針によって既設や建設中の施設の安全を確認する耐震バックチェックに携わっていた。このコメントは,3. 11 津波直前の3 月3 日電気事業者と地震本部事務局との「情報交換会」(表)で東京電力から「要望」されたことと同じである。「40 万年を原子力の12~13 万年と対応させて理解する人が出ないよう,今一度表現の工夫をお願いしたい」と。活断層長期評価の新手法がきっかけとなって,地震本部事務局と原発関係者との接触が始まったと思われるが,一方で長期評価の改訂も注目されていた。
3. 11 津波直前の秘密会合
2006 年9 月19 日改訂の耐震設計審査指針では,津波がとりあげられるようになり,地震随伴事象として次のように書かれている。「施設の供用期間中に極めてまれではあるが発生する可能性があると想定することが適切な津波によっても,施設の安全機能が重大な影響を受ける恐れが無いこと」を「十分考慮したうえで設計されなければならない。」
原子力安全・保安院はこの改訂を受けて翌9 月20 日に,電力各社などに稼働中および建設中の原発の耐震バックチェックを求めた。新指針に照らして,耐震安全性の評価および確認をせよということである。
福島第一原子力発電所の3 号機のバックチェックについて書かれたメールが,政府事故調の聴取記録に添付されている。2009 年6 月30 日から原子力安全・保安院安全審査課安全審査室室長小林勝氏の第2 回目(2011 年9 月30 日)の調書(以下,小林調書)である。森山善範審議官(原子力安全基盤担当)が小林勝氏他に送付した2010 年3 月24 日のメールで,貞観の地震による津波評価が最大の不確定要素である旨,院長,次長,黒木審議官に話したことが述べられている。そして,次のように記している。
(前略)小林調書には,福島第一原発3 号機の津波に関する安全審査が,プルサーマル推進派によって骨抜きにされる過程が書かれているが,ここでは省略する。2010 年3 月の上記メールで予想しているように,2010 年度に長期評価の改訂が議論されたが,宮城県沖地震の評価に多大の時間を費やしてしまい,貞観地震の審議が遅れた。宮城県沖地震の評価については,三つの問題があり*2,その一つが宮城県沖地震の長期評価への批判(第8 回,2019 年8 月号)であった。
・貞観の地震についての研究は,もっぱら仙台平野の津波堆積物を基に実施されているが,この波源をそのまま使うと,福島に対する影響は大きいと思われる。
・福島は,敷地があまり高くなく,もともと津波に対しては注意が必要な地点だが,貞観の地震は敷地高を大きく超えるおそれがある。(略)
・貞観の地震についての佐竹他の研究は,多分今年度が最終年度で,今後,地震本部での検討に移ると思われる。そうすれば,今年の夏から来年にかけて,貞観の地震についての評価がある程度固まってくる可能性は高い。
・ただし,貞観の地震による津波の評価結果は,原子力よりも一般防災へのインパクトが大きいので,地震本部での評価も慎重になる可能性もある。
2011 年1 月26 日の第165 回長期評価部会で「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価(第二版)案」がまとまり,事務局に宿題が二つ残ったがそれはメールで議論するということになった。当時,地震本部政策委員会総合部会では長期評価などの地震本部の成果の活用の議論がされており,それに関連して,次のように実際の地震現象が複雑であることを私は指摘した。
……過去の評価の際にはmost likely な地震像という形で,最もありそうなものを評価するという立場であった。しかし,実際の現象はそんなに簡単ではない。その中でも,これまではmost likely なものを選択してきたが,実際は一種類ではなく,非常に複雑なシナリオを持っている場合が多いと思われる。しかし,工学的な利用をするときにはmost likely だけでは役に立たない。場合によっては悪い方,場合によっては良い方と,分布の裾が関連してくる。今までのように長期評価のmost likely で一つだけ,最もありえそうなものを評価するだけで済むということではなくなりつつあることを再認識していただきたい。これまでのように一つの地震像を提示するだけでは,限界があると思っていたことが背景となっている。ある場合はこう,別の場合はこう,というような評価の必要性を感じていた。表にある1 月27 日,31 日の長期評価(第二版)の説明には,第165 回長期評価部会でまとまった案が使われたものと思われる。2 月9 日の第218 回地震調査委員会ではこの案が審議された。地震調査委員会での承認を得るには2 回の審議が必要であり,3 月9 日には承認されるものと思っていた。ところが2 月17 日に公表延期の提案がされたのである。
この間の説明については,次の私の証言のとおりである。東京電力旧経営陣三名が強制起訴された刑事裁判で私は証人として東京地裁に出廷し,長期評価がどのような審議を経て公表に至ったかなどについて述べた。2018 年5 月9 日の第11 回公判である。終わり近くになって検察官役の指定弁護士久保内浩嗣氏から,3.11 津波の映像をみて何を感じたかと問われて,私は次のように答えた。ただし,〔〕の部分は加筆した。
……本来の予定だったら,3 月に評価をして,順調にいけば,3 月の9 日ですね。水曜日に評価をして,その晩の7 時のニュースと,翌日10 日の朝刊で,東北地方には海岸から3 キロ,4 キロまでくる津波があるんだという警告が載ったでしょう。そうすれば,その翌日の津波に遭遇した人は,ひょっとして,昨日見た,ああいう津波があったというのを思い出されて,おそらく何人かの方は助かったに違いないと思うわけです。それで,実際には,2 月の後半ですね。2 月の22 日に保安院と事務局が,我々の知らない間に会っていたんですけれども,その前の21 日に,23 日に開かれる海溝分科会〔と言い間違えをした。正しくは長期評価部会〕の打ち合わせを,事務局としました。その前の17 日に,事務局の本田係長から僕宛にメールがあって,3月に公表予定のこれを4 月に延期してほしいと言われたんです。それで,県に事前に説明するのと,電力会社に事前説明をするということであったので,私は,電力会社というのはちょっとおかしいんじゃないの,公共企業体に連絡をするというんだったら,ほかの,鉄道とか電話だとか,ほかにもあって,なんで電力なのという疑問。それから,3 月に決定して,4 月に公表するという案があって,それはないです,決定してすぐ公表しないで,その間に何か起きたらどうするんですかと言ったら,事務局は,3 月にはほかにも議題があると。それは確かにそうなんです。私が当時,委員会の委員長をしていた,地震活動の予測的評価手法に関する小委員会というのがございまして,そこで余震ですね,大きな地震が起こると,余震が起こる,付属の。予測手法について報告書をまとめていて,それも3 月公表という予定でした。それで,事務局の異動の都合もありますので,大体,3月にこう集中してくることもあって。これもありますので,議題が多いからと言われて。そう言えば,確かに,余震というのは,大地震が起これば必ず起こりますので,そっちを優先で,こっちを4 月に延期するのはやむを得ないかなと思って,了承したんです。で,津波の後に,なぜ4 月に移すことを了承したのか。あれをしなければ,たくさんの人がひょっとして助かったかもしれない。僕は,さきほど申し上げましたように,貞観津波の堆積物調査*3を仙台市の若林区でやっておりますので,あそこの状況はよくわかってます。海岸地域に新しい住宅がたくさん建っていて,それからはるか離れたところに仙台東部道路という高速があります。それで,貞観津波は,この東部道路くらいまで津波堆積物がある。実際,我々は,調査では見つかりませんでしたけど,あるということがわかっていますので,こんなところまで津波がくるんだということはもちろん知っておりました。ですから,貞観津波について,報告書では,海岸から非常に遠いところまで津波がくるんだ,これが本当に一般の人に知らせたいことなんだということで,報告書を途中で書き直してもらったぐらい,そのことは考えていましたので,なんで4 月に延期したのかと思って,自分を責めました。ああ,これで一体何人の方が命を救われなくなったのだろうか。これは,確かに私もその責任の一半はあるんだと思いました。3 月23 日に福島県庁への説明(表)に同行する予定だった産業技術総合研究所活断層・地震研究センター海溝型地震履歴研究チーム・チーム長宍倉
私の胸の中は後悔の念でいっぱいになり,激しく痛んだ。と述べている。津波堆積物の調査から,宮城県沖~福島県沖で巨大津波を伴う地震がいつ起きてもおかしくないと宍倉氏は述べていたからである。地震の発生がもう少し遅ければ警告が活かされたのではないか,もっとできることがあったのではないかとの思いであろう。関係者は皆,地震の発生が早かったことに驚き,長期評価の改訂版の公表が遅れたことを悔やんでいるようだった(しかし,本当の関係者は口を噤んでいた。電力事業者と事務局との「情報交換会」のために公表を遅らせたことを,そして普通なら承認されていたはずの長期評価第二版に東京電力の「要望」による手が加わっていたことを)。
事務局から議題が多いのでと言われたが,3 月9日の地震調査委員会は実際には16:10 に終了。これなら長期評価の改訂も審議できたのにと,不審に思ったことを記憶している。
表に示すように,3 月3 日の電気事業者と地震本部事務局との「情報交換会」だけが秘密会議ではなかった。内容が不明の1 月21 日の内閣府防災担当との会議に始まり,1 月25 日の成果活用意見交換会,2 月22 日の地震本部事務局と原子力安全・保安院との会議,3 月1 日の地震本部事務局と原子力安全・保安院との第一回意見交換会が開かれている。最後の意見交換会は,2 月7 日の原子力安全・保安院小林勝耐震安全審査室長の提案にもとづいて,2月22 日の予備的な会議があった。そこで,小林氏は4 月の長期評価第二版公表を聞き,急遽東京電力のヒアリングとなる。これが3 月7 日の東京電力の説明へつながっていく。怒濤のごとく,外部からの介入が始まっていた。これらは2019 年1 月22 日の木野龍逸氏による“文科省から政府事故調および国会事故調に提出された資料” と2019 年1 月9 日の添田孝史氏による“【原子力安全・保安院】行政文書ファイル「企調課提出資料」の残りぜんぶ”のLevel 7 での公開によって初めて知ることができた。
1 月25 日の成果活用意見交換会は,2 月17 日の総合部会で議論される予定の‘地震本部の成果の活用’ にかこつけて,原子力安全審査分野での活用についての意見交換と体裁をつくろっている。東京電力,中部電力,清水建設が参加した会議で,清水建設から出向していた石井透技術参与が用意周到にアレンジしたもので,活断層長期評価の新手法についての意見が交わされている。例えば,活断層の認定に関連して,次のような意見がある(非公式発言メモより。以下は黒塗りにより文科省以外の発言者不明のコメント)。
原子力施設には特殊事情があり,何らかの見解が出ていると,それに対する検討が必ず求められる。理学で決めたことと工学で決めたこととが違うということなのだが,それが国民目線では理解されていない。そういうメッセージを発して頂けないだろうか?また別の二つの意見は次のとおり。
報告書のp.13 の記述は,安全審査を否定するかのように誤解されなくもない。短い活断層の解釈や40 万年の活断層の定義は原発審査側から言えば問題である,何とかしてほしいという声が聞こえるようだ。
活断層が高位段丘を切っているが中位段丘を切っていない場合が問題である。
3 月1 日には活断層学会が主催して,活断層長期評価の新手法の紹介があった。内容はこれでわかるはずだが,3 月29 日に秘密会合が設定されていた。ここでも「要望」を受け入れようとしていたのだろう。3 月7 日には東京電力が,2002 年公表の長期評価に従えば,福島第一原子力発電所が高さ13.7~15.7 m の津波に襲われることを原子力安全・保安院に示している。また,1611年慶長津波地震については,3月2 日の津波評価部会で断層モデルは不確実性が大きく,取り込むのは時期尚早としたと伝えた。この土木学会の津波評価部会では,地震の大きさと断層の面積に関する入倉・三宅の式が議論され,日本海の津波の過小評価*5につながっていく。
私に事務局から公表延期の提案のメールが来た2月17 日には,東京電力へ長期評価の事前説明を提案するメール(内々にお伺い)が,石井技術参与から送られている。3 月3 日の日程は後に決まったものだが,電力事業者からの「要望」を受け入れるならば,3 月の地震調査委員会での決定が無理なことは想像がつく。私宛のメールは公表延期の提案ではなく,実質公表延期の通知であったとみるべきだろう。
貞観地震タイプの津波への警告を引き延ばさないように事務局を説得する,そんなことは不可能だっただろう。電力事業者や保安院をも巻き込む大きな動きが始まっていた。事務局を説得して早期に公表する,もうそんな段階にはなかったのだ。長期評価部会長である私に何らかの力があり,公表を4 月に延期することを止められたはずだ,と思ったのは,私の思い上がりに過ぎなかった。
文献
*1―橋本学・島崎邦彦・鷺谷威: 2011 年 3 月 3 日の地震調査研究推進本部事務局と電力事業者による日本海溝の長期評価に関する情報交換会の経緯と問題点,日本地震学会モノグラフ「日本の原子力発電と地球科学」(http://www.zisin.jp/publications/pdf/monograph2015.pdf で公開)(2015)
*2―島崎邦彦: 東北地方太平洋沖地震に関連した地震発生長期予測と津波防災対策,地震,第2 輯,65, 123-134(2012)
*3――ハンディ・ジオスライサーによる試掘。主に広島大学中田高氏の考案によるジオスライサーを,人力で操作できるように小型化してもらい,実地にテストした。ジオスライサーは,垂直にスライスした地下の地層を地表で採取できる器械(特許)で,津波堆積物調査や活断層調査に使われている。
*4――宍倉正展: 次の巨大地震はどこか!,ミヤオビパブリッシング(2011)
*5――島崎邦彦: 最大クラスではない日本海「最大クラス」の津波,科学,66, 653-660(2016)
初出・編集履歴
初出:科学,90(4), 299-304 (2020)編集履歴:ウェブ公開にあたっての変更点
・「活断層長期評価と活断層の定義」節の第2段落の「前回(2020 年3 月号)」を「第15回で」に変更
・「3. 11 津波直前の秘密会合」節の第10段落の「“【原子力安全・保安院】行政文書ファイル「企調課提出資料」の残りぜんぶ”」のあとに「の」を挿入
・「3. 11 津波直前の秘密会合」節の第11段落の「以下は文科省以外の黒塗りにより発言者不明のコメント」を「以下は黒塗りにより文科省以外の発言者不明のコメント」に変更
・「3. 11 津波直前の秘密会合」節の第13段落の「慶長地震」を「1611年慶長津波地震」に変更