モモンガの超位魔法発動と共に、天使が舞い降りる。
曇天を突き破り、地上に光を齎すその天使の名は『
二対の白翼を持ち、獅子の顔を持つ高潔な上位存在は、盾と槍とをその手に持っていた。見る者がひれ伏してしまいそうな輝きを持つ槍は、不浄を焼き尽くさんとばかりに穂先に聖なる炎が宿っている。光り輝く盾は、一切の災厄を跳ね除ける力を宿していることだろう。
そんな人類では到達できない程の天使が、モモンガによって六体も降臨した。
──この不死者に塗れた地を洗い流すべく。
そしてこれが開戦の合図となったのは言うべくもない。
地上の勇者達が、腹からの怒号を上げてドラゴンズブレスに突貫していく。
『漆黒聖典』『火滅聖典』、ガゼフ率いる王国戦士団、帝国四騎士、フールーダ・パラダイン以下高弟。武勲のある名もなき戦士達……。
それから冒険者組合からは『蒼の薔薇』『朱の雫』『銀糸鳥』『漣八連』……金級以上のプレートを持つチームも参戦していた。その中には……『漆黒の剣』の姿もある。
彼らの姿を見下ろしながら、モモンガはリクと『絶死絶命』に『
景色が前から後ろへ吹っ飛んでいく。
この世界にきて初めての全力の飛行だ。リクは何も言わず、『絶死絶命』はその速度に目を見開いていた。
矢の如く飛ぶ彼らを、地上の勇者達はそれぞれの力を発揮しながら見送っていた。
一行は眼下で蠢く大量の動死体に一切関与せず、一点を目指して進んでいく。迷うことは決してない。何故ならそこだけ、半径二キロ程も何も存在しないからだ。巨人がぽっかりと口を開けた様な不気味な空間には、大墳墓の入り口だけが静かに佇んでいる。
そしてその大墳墓こそが──
(……ナザリック地下大墳墓)
──あっという間に到達し、かつてのギルド拠点を見下ろしたモモンガは、名状し難い感覚を覚えた。
懐かしいという感覚。
虚構の世界にしかなかったものが、触れられる次元にあるという感動。
そして──
「痛ッ……」
──頭に、ちくりと何かが刺した様な痛み。
「モモンさん、大丈夫?」
『絶死絶命』が心配そうに顔を覗き込んでくる。しかしモモンガは何でもないという風に顔を横へ振った。
「……大丈夫です。さあ、ここからは一時の油断もままなりませんよ」
蟀谷を抑えるモモンガの声は、いつもよりワントーン低い。
しかし本人がそう言っているのなら仕方がないと、『絶死絶命』とリクは顔を見合わせて彼の背中についていくほかなかった。
ふんわりと降下を始め、三名はナザリックの地表部に降り立った。
分厚い円形の壁に覆われたそこには、四方に霊廟が横たわっている。しかしその中央にある霊廟こそが、ナザリックの地下深部へと繋がる入口だ。
モモンガが迷うことなく中央の霊廟へ歩み寄ると、二人はそれに従ってついてくるのみ。
「随分立派な墳墓なのね。世界を脅かす存在が待ち受けるものなのだから、もっとおどろおどろしいものだとばかり思っていたわ」
ぽつり、と『絶死絶命』が呟く。
その台詞はまさにそうであり、墓守が日毎清掃を行っていたのではないかというくらいにきちんと整備されている。
「……そうですか」
それを聞いていたモモンガはそれだけ言って、霊廟の入口へと足を踏み入れた。
久々のホーム。
DMMOには嗅覚に作用する機能などなかったのに、懐かしい匂いがするようだった。
(ナザリック地下大墳墓……俺が、俺達が造り上げた、俺の全て……)
否が応でも記憶が蘇ってくる。
この世界にきてから積み上げられた思いでや経験の煤が払われ、その下から忘れられない黄金の記憶が鮮明に呼び起されていった。
「……」
モモンガは、あえて全ての領域への転移を可能とする『リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン』を使わない。確かめたいこと、その目で見たいものがこの墳墓には山ほどあるからだ。一階層ずつ降りていきたいというのが、本音だった。
「さぁ……いきましょう」
気の引き締まった声。
モモンガの声に、リクと『絶死絶命』がこくりと頷いた。
ナザリック地下大墳墓が恐ろしい場所だと誰よりも分かっている存在は、いつでも戦闘に移行できるように3Fの柄を握りしめた。
「雑魚ばっかりね」
「……そのようですね」
……ナザリック地下大墳墓・第一階層。
階層守護者最高戦力のシャルティア・ブラッドフォールンが管轄するその領域は、閑古鳥でも鳴きそうなくらいに何もない空間が続いていた。時折、自動ポップする低位のスケルトンが姿を見せるくらいで、脅威と言う脅威は全くなかった。
湿度の低いひんやりとした石壁の廊下が続くばかりで、トラップも機能していない。これではどうぞご自由に出入りしてくださいといわんばかりだ。しかし何かは絶対に起こるはずだと、そう思っていたが──
「……どういうことだ?」
──本当に何事もなく、第一階層を抜けてしまった。
墳墓の主たるモモンガは呆気にとられるばかりで、来た道を思わず振り返ってしまった。そこにはやはり、何もない通路があるだけなのだが。
「モモン。これは君の想定通りかい?」
「いや……もっと険しい道になると思っていたのですが……」
訝しそうに問うリクに対し、モモンガも困惑を示すほかない。
うーん、と唸る彼を横目に、『絶死絶命』は首を傾げていた。
「罠の可能性もあるのかしら」
「分かりません。ですが、引き続き細心の注意は払っておいてください。この墳墓は、こんなものではない」
「……モモンさん、この墳墓のこと知ってるの?」
「そんな気がするというだけです」
「そう……」
『カゲ』が支配する墳墓はこんなものではない、というのは『絶死絶命』とて同意見。彼女は暇そうに『カロンの導き』を揺らしながら、二人よりも先に一歩踏み出した。
……ナザリック地下大墳墓はこんなものではない、はずだ。
──第二階層。
恐怖公が守護する領域のこの場所も、まるでもぬけの殻だった。
本来、大量に蠢いているはずの
ただ石畳の静謐な空間が続くだけだ。
三人の足音が、嫌に響いていた。
恐怖公の支配する領域を抜ければシャルティアが待ち受けているはずの屍蝋玄室に出るのだが、そこにもやはり誰もいなかった。
「……悪趣味な部屋ね」
『絶死絶命』がぽつりと呟く。
主を失っている悪趣味な内装は、灯りに照らされて静寂を保っていた。そして、それだけだ。何もない。何も起こらない。一行は屍蝋玄室を抜けて、足早に下の階層へと降りていく。
(どういうことだ……)
──第三・第四・第五階層。
……やはり何もない。
地底湖や雪山の世界に『絶死絶命』が目を輝かせるばかりで、本当に何とも出会わなかった。時折、デスナイトなどの中位アンデッドがうろついていたくらいで、本当に危機感を抱くようなことは何もない。
本来侵入者を迎撃するはずのガルガンチュアも、コキュートスも、終ぞその姿を見せることはなかった。
──そして、第六階層……。
双子のダークエルフ、マーレとアウラが守護する階層には、大森林の中に巨大な円形闘技場が鎮座している。見上げれば見事な星空が展開されており、『絶死絶命』がすごいわねと感嘆の息を漏らしていた。
(ここにも……何もないのか)
闘技場に足を踏み入れたモモンガは、困惑や焦りを胸の内に抱えていた。
これほど静かで何もないと、彼の知っているナザリックの様相ではない。不気味さを感じるくらいだ。彼がいなくなったナザリックは一体どうしてしまったというのか。
「……あれ?」
しかし、ここに来て変化があった。
闘技場の片隅に、何か人の高さほどに盛られた山がある。それは、モモンガが知らないものだった。気づけば駆けていた。そこにこの異様な現状を知る足がかりがあると思ったからだ。
「これは……灰の、山……?」
灰。
大量の灰で盛られた山。
こんなものをここに配置した覚えはない。
よく見れば、その山に何か紙切れが突き刺さっていた。
モモンガはそれを取り、灰を払うと、折りたたまれていたそれを手早く広げてみた。するとそこにはやはり、文字が綴られている。
……嫌な予感がする。
モモンガは直感的にそう思ったが、静かに息を吐いて、その文字を読み進めた。
「──…………」
時間にして三十秒ほどか。
モモンガはそれを上から下まで読み上げると、すぐにまた上から読み直していた。それを、数回繰り返している。
「モモンさん。それ、何て書いてあったの?」
近くにいる『絶死絶命』の声が、遥か遠くで聞こえた。まるで水中であるかの様に、モモンガの耳にはそれがくぐもって聞こえていた。
(まさか……そんなことが……いや……)
自身の心臓の拍動音が、嫌に鼓膜を揺らしている。指先から、震えが伝播していく。
「……はぁっ……はぁ……っ」
文字を読み進めていくうちに、そこに書かれていることの理解が進む程に、モモンガの表情は面白いくらいに様変わりしていった。血の気は引いていき、瞳孔が収縮を繰り返し、呼吸は大きく乱れ始める。
そこには驚くべきことが書かれていた。
世界の根幹を揺るがす様な……そして、何故自分やナザリックが今この様なことになっているのか……ということが。
そう……モモンガは理解してしまった。
──……否、思い出してしまった。
「モモン、どうした。そこには何が書かれているんだ」
余りにもレスポンスが遅い。
リクは若干苛立ちながら問いかけるが、モモンガは震える声で言葉を絞り出すことしかできない。
「──……げろ」
「え?」
モモンガが勢いよく振り返る。
兜の中の彼は、前髪が額に吸いつくほどに発汗していた。
「逃げろ! ここから一刻も早く! ここは──」
「──モモンさん! 上!!!」
『絶死絶命』の絹を裂くような絶叫。
モモンガが弾かれる様に上を見た瞬間──
「あっ……」
──彼は、