花岡さんに面会に行っても接見禁止かな。もう61歳なのか。取材で話し、面識ある人が殺されるという経験を初めてしたのは、花岡さんの兄貴分の今藤さんだった。岐阜の県立病院で射殺された。今藤さんを殺しただろう相手も、事件の2ヶ月後、岡崎市内で射殺された。俺はもう今藤さんの年齢を5つも越えた
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会話
2001年、まずは7月に松葉会の加川邦男さんが殺された。東尾久の自宅近くで頭と腹を撃たれた。江戸っ子のステレオタイプみたいな人で「うちは破門より絶縁のほうが軽い(絶縁でも復帰することを揶揄)からなぁ~」と笑っていた。犯人は捕まらなかった。当時60歳。俺はあと6年で加川さんの年齢になる。
8月、四ツ木斎場で住吉会の熊川邦男さんと滝野川の総長が射殺された。四ツ木斎場には毎月写真を撮りにいってたし、熊川さんとは毎月会っていた。よく車の中で「俺はヤクザだ。いつ死ぬかわかんねぇ」と言っていたが、熊川さんは高円寺の西口さんのメンコで、まさか本当に殺されるとは思わなかった。
この事件は殺した側とも交流があった。稲川会大前田一家は、初取材の相手だった。殺した側も、殺された側も知り合い…全方位外交でヤクザ取材をしていれば、いつかそうなるのに、この事件が起きるまで想像したことがなかった。編集部の中で俺だけが当事者と交流があった。編集部は他人事だった。
あれから何人殺されただろう。15人くらいまでは数えていた。おかしな成り行きで、殺された組長の遺体を所轄の慰安所で確認したこともある。奥さんの前で斬り殺された親分の葬儀では、焼き場までいって骨を拾った。俺はもう誰が殺されても驚かない。それが俺が取材している暴力団の世界だから。
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