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木浦・共生園の孤児達が、病床の小渕総理に贈った千羽の折り鶴>
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천 마리의 종이학/chon mari-e jong-i-hak)
2023년1월14일 토요일 조선일보 기지 2023年1月14日 土曜日 朝鮮日報記事
김황식 (전 국무총리) 의【풍경이 있는 세상】
gim-hwang-sik (jon gung-mu-chong-ni) e 【pung-gyong-i in-neun se-sang】
金滉植元総理の【風景のある世の中】
昨年11月26日、「3千人の孤児の世話をした女性」と題して、コラムを書きました。
其の後、コラムに引用した方と連絡を取り合い、面白い話をしました。
私一人だけ、知って置くには、勿体無いと思って、紹介したいと思います。
木浦(목포/mok-po)で、3千人の孤児の世話をした尹鶴子(윤학자/yun-hak-jja 日本名 田内千鶴子)女史の長男で、
日本で、在日韓国人の御年寄りの為の療養施設「故郷の家」を経営して居る尹基(윤기/yun-kki)理事長が、
私のコラムを読んで、丁度、韓国を訪問する機会に、私を訪ねて来ました。
そして、木浦共生園と小渕恵三元日本首相との縁を聞かせて、呉れました。
小渕総理は、1998年10月、金大中大統領と共に、「21世紀韓日パートナーシップ共同宣言」を発表し、
日本が、過去の植民地支配で、韓国国民に、大きな被害と苦痛を与えた歴史的事実に、
対する痛切な反省と共に、率直な謝罪をした方です。
小渕総理は、尹女史から長男の尹基、孫娘の尹禄(윤록/yul-rok)に、繋がり、
運営されて居る共生園の事情が、日本のNHKテレビにドキュメンタリーで紹介されたのを見て、
感動し、尹禄共生園院長に、直接電話を掛け、「是非、一度木浦を訪ねて行く」と約束しました。
金鍾泌首相が、日本を訪問した際、歓迎晩餐会に、尹禄院長を招待しています。
尹鶴子女史が、亡くなる前、病床で、梅干しを食べたいと言ったと聞いて、
梅の木で、有名な自分の故郷群馬県の梅の木の苗木20株を木浦共生園に送り、
共生園は、此れを尹鶴子女史記念碑の傍に植えました。
小渕総理が、2000年に脳梗塞で倒れると、共生園の子供達は、
小渕総理の快癒を祈る気持ちで、千羽の折り鶴を折って、病床に送りました。
小渕総理の奥さんである小渕千鶴子夫人は、折り鶴を病室の点滴スタンドに掛け、
総理が、目を覚ますと真っ先に視られる様にして、置きました。
然し、首相は、回復出来ず、亡く成ると、小渕夫人は、千羽の折り鶴を棺桶に一緒に入れました。
夫人は、共生園の子供達に、
「皆さんが送って下さった折り鶴は、夫を天国に導いて呉れると信じています。
何時か、夫に代わって、皆さんの元気な姿に会いに行きます」と手紙を書いています。
其の後、小渕夫人は、2008年に、木浦共生園を訪れました。
面白いのは、尹鶴子女史の本来の漢字名は、鶴子では無く、千鶴子で、小渕女史の名前も、千鶴子です。
そして、木浦共生園の子供達が、折って送ったのも、千羽の折り鶴で、彼是、不思議で、美しい縁です。
次は、矢張り、コラムで、ご紹介した西森潮三元高知県議会議長に関するお話です。
西森議長は、尹鶴子女史の故郷で有る高知県に、尹鶴子女史記念碑を建て、
高知県に有る安重根義士遺墨が、韓国に返還される様、努力しながら、韓日友好協力に努めて居る方です。
処が、コラムを書いた数日後、自分が、大統領から、表彰状を貰う事に成った事が、
如何云う事か、経緯を聞いて、来ました。
調べて見たら、安重根義士の遺墨韓国返還に努めた功績で、
広島総領事館の推薦に依って、与えられる表彰状でした。
其の方も、韓国を訪問して表彰状を持って私を訪ねてきました。
其の方は、私が前に御願いした事、高知県に、尹鶴子女史の記念碑に続き、
高知県と縁の有る安重根義士の記念碑を建てて欲しい願いを履行する事を貴方の余生の最後の課題にすると、
非常に、悲壮に誓いました。
其れで、100歳迄、生きながら、幾つかの仕事をもっとして欲しいと笑いながら、頼みました。
最後は、金瑛錄(김영록/gim-yong-nok)全羅南道知事が、電話連絡して来た事です。
西森議長に、安重根義士記念碑を高知県に建てて欲しいと頼んだと云う内容を読み、
高知県と姉妹関係を結んで居るいる全羅南道としても、助けたいと云う御話でした。
其れで、民間レベルで、先ず、推進して見て、若し、全羅南道の役割、必要な場合、相談すると申し上げました。
関心が、有難かったです。
コラム一編の御陰で、心温まる贅沢を享受しました。
朝鮮ドットコムホットニュースBest 【此の記事の日本語訳】、。で改行しました。三宅英雄