「皆さん」
緊張感が沈殿する中。
死と緊迫とを孕む緩やかな風を横切って、モモンガは彼女達の下へやってきた。
「よう、英雄」
獰猛な笑みにはどこか親しみがある。
いの一番に気が付いたガガーランはそう言って、軽く手を上げた。そんな彼女に従って、残りの『蒼の薔薇』の面々もモモンガへと振り返る。どうやら最後の戦闘前確認を行っていたらしく、彼女達は自前のマジックアイテムを広げていたり、得物の調子を確かめていたようだ。
『蒼の薔薇』はモモンガが挨拶にやってきたことに喜色を浮かべると、彼の前へと小走りでやってきた。その先頭は勿論、イビルアイだ。
「モモン様!」
胸に飛び込んでくる小さな体ををあやすように受け止めながら、モモンガは『蒼の薔薇』の面々の顔を見回した。彼女達はやはり一定の緊張感を帯びている様で、笑顔ではあるものの少し表情が固い。
ラキュースは硬い表情のまま、モモンガに語り掛けた。
「遂にこの時がやってきましたね」
「皆さんの調子はどうですか、ラキュースさん」
「すこぶるいいわ。モモンさんは……聞くまでもなさそうね」
「ええ」
互いの胸元には同色の冒険者プレートが煌めいている。しかし、ラキュースがモモンガを見る目には同格以上の尊敬の念が宿っていた。敬意と、圧倒的な信頼が、語らずとも醸されている。
モモンガはイビルアイを降ろすと、
「今回の戦いは今までにない激しい戦闘が予想されますので、貴女達にはこれを先に渡しておきます」
言いながら、モモンガは一つの小袋を手渡した。
腰に吊るしても戦闘の邪魔にならない程度のサイズだ。
「……これは?」
「
「それは便利ですね……!」
「ですが、渡したいものというのはこれの中身です。中に沢山、有用なアイテムをつめこんでおきました」
モモンガは言いながら、ラキュースの手に収まった袋の中から手品の様に沢山のアイテムを披露してみせた。
『
そして最後に袋の中から出したのは……『
「これには第七位階の復活魔法が込められています。ラキュースさんの扱える『
最後の最後に登場した破格すぎるアイテムに、『蒼の薔薇』は目をひん剥いていた。
「モ、モモンさん!? こんな貴重な品々、私達頂けませんよ!?」
「いいえ。貴女達にはこれを受け取ってもらいます」
「な、なぜ……!? モモンさんだって、必要とするようなアイテムばかりじゃないですか!」
ガガーランも、ティナも、ティアも、イビルアイだってびっくりしている。これだけの効果を持つマジックアイテムの数々なんて、国庫をひっくり返したって買えるか分からない。
しかし、モモンガはその小袋をラキュースの胸元に押し返した。そして、頭を下げるのだ。
「──私は、貴女達に生きていて欲しい」
その言葉には、切実な想いが滲み出していた。
いつもどこか別の世界を生きていると感じていた相手の、本心からくる本音だとラキュースは感じ取った。
「モモンさん……」
ラキュースには返す言葉が見当たらなかった。
それだけ自分達を気に掛けてくれているということに、喜びと申し訳なさと感謝とが胸の内で綯い交ぜになって言葉を堰き止めているからだ。
詰まるラキュースから、大きな手が小袋をふんだくった。ガガーランは真摯な顔でモモンガを見つめると、静かに口を開く。
「モモン。これは一旦受け取っておくぜ」
「……ありがとうございます」
「だけど、この戦いが終わったらあんたに返しにいく。それまでは好きに使わせてもらう。これでいいか?」
「……ええ勿論。それまでは“預かっておいてください”」
「……分かった。おいお前ら。モモンからの有難い土産だ。全員揃ってこいつを返しにいくまで、くたばるんじゃねぇぞ」
モモンガの意図を汲み取ったガガーランの言葉に、『蒼の薔薇』全員が頷く。イビルアイはモモンガの手を取ると、ぶんぶんと振った。
「モモン様! この戦いが終わったら、絶対また一緒に冒険しにいきましょう!」
「……勿論」
「絶対ですからね! 約束ですからね!」
「ええ。今度は聖王国付近の依頼も受けてみたいものです」
そう言って、モモンガはイビルアイの頭を優しく撫でた。そして、そうしている間にもう時間が迫ってきている。モモンガが手を離すと、イビルアイは名残惜しそうに「あっ……」と言葉を漏らしていた。
「それではもう時間ですので、行きますね」
「はい! モモン様、ご武運を……!」
「ええ、皆さんにもご武運があることを祈っております」
互いに武運を祈り合う。
彼らにとってそれはいつものやりとりだった。
「──……さようなら。『蒼の薔薇』の皆さん」
モモンガは兜の中で小さくそう零して、踵を返した。
遠ざかっていく背中を、イビルアイはいつまでも見送っている。その背中を、その目に焼き付ける様に。
「……おいおい、いつまでそうやってんだ? 俺らも俺らでやらなきゃならないことあんだろ」
「……はぁー……かっこいいなぁ。モモン様は……」
「……本当に惚れてんだなぁ、お前。まさかイビルアイが女に首ったけになっちまうなんて、想像もつかなかったぜ」
「……性別は関係ないさ」
「あぁ?」
イビルアイは、左薬指に目を落とした。
そこには、以前モモンガから貰った指輪が収まっている。彼女は指輪の感触を確かめながら、心からの言葉を吐露した。
「……私はきっと、あの方を好きになる運命だったんだよ。性別も容姿も関係ない。あの方がたとえ男だったとしても……そう、私と同じ様な醜いアンデッドだったとしても、どの世界線でも私はきっとモモン様を好きになる……そんな気がしてるんだ」
指輪に収まる宝石が、きらりと煌めく。
イビルアイは、いつまでもモモンガの背中を見つめ続けていた。
そんな彼女をガガーランは「なに言ってだこいつ」と言わんばかりの呆れた目で見ている。
「お別れはすんだかい」
本陣に戻ったモモンガに、リクが気安く声を掛けた。モモンガが指示していた開戦の時まで幾許の時もない。
モモンガは怪訝な目で、リクを見返した。
「……お別れ?」
「言葉のとおりさ。『蒼の薔薇』とは懇意にしていたんだろう」
「そうですけど──」
「──君、この戦いに勝っても負けても帰る気ないんじゃないか?」
本心を刺すようなその台詞に、モモンガの動きが僅かに止まる──が、彼はそれを悟られぬ様にか肩をすくめてみせた。
「……さあ、どうでしょうね」
「あの墳墓はやはり僕が懸念していた通り、君のギルド拠点だった。違うかい?」
「…………」
リクの問いに、モモンガは閉口した。
何故ならその言葉は的中しているから。
上空から見た墳墓は、間違いなくナザリック地下大墳墓に間違いがなかった。かつての仲間達と築き上げた栄光そのものを、モモンガが見間違えるはずもない。
「……モモン。君、あちらに寝返ることなんてないだろうね」
「…………」
……モモンガはそれに答えない。
彼は何も言わず、『
地上でリクが溜息を吐いたのが微かに聞こえてくる。しかしモモンガは、彼に取り合う気力はなかった。
モモンガのスタンスは変わらないのだ。
彼はこの世界にできれば味方したい。愛着が湧いたこの世界が滅ぶのは純度百パーセントで嫌だと言い切れる。だが、ナザリックが現れたことで優先順位の逆転は有り得てしまう。自分で自分の立場を纏めきれない。
ただ言えるのは、あの墳墓に立ち入ってしまった時点でもう元の生活には戻れないだろうということ。
(俺は一体どうしたいんだ……? 俺は一体、この世界にとっての何者なのだろうか……?)
思考は定まらない。
心臓が不規則な鼓動を刻み、呼吸が僅かに乱れる。
そして──
(……まただ。何なんだ、この感覚……?)
──再び身の内から発露される、謎の違和感。
何か致命的なことを忘れてるような、強烈な掛け違いを過去にしているような……そんな、違和感。ナザリックをその目で見てしまったことで、その感覚は更に強まっていく。
かつての拠点に対して抱くには有り得ない危機感や恐怖感が、じんわりと腹の底に溜まっている。あそこに近づいてはいけないと、全身の細胞が叫んでいるようだった。
(俺は、何かを忘れてるのか……? 何かを勘違いしているのか……? 何かを、何かを……)
じんわりと、口内を嫌な味が侵食していく。
手汗は滲み、僅かに寒気がする。
しかし考えたところで何も始まらない。何も思い浮かばない。
「…………」
モモンガはふるふると頭を振って邪念を追い返した。
考えても何も解決しないなら、とりあえず行動あるのみ。殴ってから考えればいいというのは、確かギルドメンバーのやまいこの言葉だったか。
彼は何も言わず、アイテムボックスから小さな砂時計を取り出した。
開戦の合図は、モモンガに一任されている。
彼が号令すれば、全てが始まり、全てが終わりへと向かう。
「…………」
モモンガは静かに空気を吸い込んだ。
冷たい風が鼻腔を抜け、気管支を下って肺へ。
胸の膨らみをぴたりと止めたモモンガは、やがて膨大な光量の魔法陣を自らの周りに展開させた。青白く、規則正しい円形の幾何学模様が彼の周りに絶え間なく明滅……展開している。
地上でその光を見ていた誰もが、その現象に目を見開いていた。
魔法に明るいフールーダや『無限魔力』は勿論、魔法を知らぬガゼフまでもがその光の偉大さに呼気を震わせている。
モモンガは……やがて静かに魔法名をつむいだ。
──『
その手に握られていた硝子の砂時計が、握り壊された。