宮崎県宮崎市の精神科 大空クリニック 【内科・精神科・統合失調症・引きこもり・双極性障害・神経症性障害・不眠症・摂食障害他】
ホーム治療方針スタッフ紹介診療カレンダーアクセス・地図往診依頼
ホーム > 一羽の鳥 新刊

一羽の鳥 新刊

一 羽 の 鳥    2020年夏~晩秋

1.
一羽の鳥がまたやってきた。2020年8月、大空クリニックを始めて3回目の夏。
井戸水を汲み上げて作る川池がほぼ40メートル四方に拡がって、当面の全体像が見えてきた。もう一か所大きな池を作ったらこれで最後とするかな? いや、終わりは無いのかな?
診療の合間を見てはスコップやハンマーや大きな石を動かすための鉄棒を振り回して作って来た庭。ここに水たまりを作ろう、水槽のポリエチレンの箱の姿が見えないように岩や土を運んで来て、うまい具合に隠そう。ここの部分だけは業者に頼んでコンクリートで固めよう・・・等々と頭を巡らし、作り直してやって来た。

この夏は暑かった。一寸動いただけで汗びっしょり。上着も下着も抜いて、裸ん坊になってしまう日が屡々だった。診察室に帰る時、<下着だけでも着ないと皆に悪いかな>とは頭に浮かぶのだが、汗が新しい下着に湿み込み肌にくっつき出すこと想定すると、女性群がいる部屋の中ででも着る勇気が出ない。彼女達は厳しい表情で「またですか!」という声が出そうになるのが判ってはいるのだが・・・。
最後に作ろうとしている池は汲み上げる井戸の横に泳げるくらいの深さにしようと考えている。雨水が大淀川に逃げださずに、可能な限り大量に井戸の周りの敷地内に溜めようという工夫。車が登ってくる坂道の上部にも溝を作って、広場の雨水が敷地の外に逃げないようにしている。石で、谷川の雰囲気を作って。<日照りが続いても井戸水が涸れないように、ちょっとした流れ雨も逃がさないぞ>という工夫なのだ。
魚や鳥や昆虫達に喜んで貰う為には先ずは水が一番なのだ。可能な限り大量にこの敷地内に溜めること。そして実のなる雑草を思う存分茂らせ、様々な生き物をたっぷり集めたいのだ。
そう、この池で孫たちが泳ぐ姿も想像している。

既に雑草が生え拡がって、鳥やトンボやチョウチョが飛んできて生きていることを謳歌している。しかし更に工夫して、生き物たちが喜んで生きている光景を大勢の人達に楽しんで欲しいのだ。
そう、数日前、交尾しているトンボが繋がりながら水面に卵を産んでいる姿に出会えたのだった。それもシオカラトンボと赤とんぼの2種類の2組。シオカラトンボのオスはブルー、メスは薄グリーン。赤とんぼのオスは真赤、メスは白色がかった薄赤。

メスが水面にお尻を突っ込んで排卵している間、交尾しているオスは空中に留まり、落ちず揺れず羽ばたきながらしっかりした姿勢を保って受精させながら、産み終わるのを待っているのだ。
「なんて男らしい素晴らしい姿!」と感動した。
そう、シオカラトンボの時、一匹の雄シオカラが勢いよく攻撃的な姿勢で飛んで来たのだった。交尾しているふたりに嫉妬して、邪魔しようとする姿勢の男トンボ。それに気づいた交尾したままの雄トンボが負けずに追い返したのを見てほっとした。雌シオカラも安心して嬉しそうな表情で卵を産み続けたのだ。

その男ぶりと女ぶりに感動しながら、<「嫉妬」「争い」は動物の世界では避けられない自然現象、ふむふむ>と頷いた。生き物の世界の競争・争奪を確認できて<なるほど、なるほど>と納得できて嬉しかったのだった。
動物の延長である人間の世界で<殺戮兵器がなくならない状況のエネルギー源>をトンボが姿・形にして如実に表現してくれたのだ。

メダカや金魚なども増えている。ドジョウや持ってきた覚えのない厳めしい姿の魚まで生まれている。どうやらこいつらは水鳥が受精卵の付いた水草を足に引っ掛けて持って来て、この池の中で誕生した魚達なのだろう。
すべての生き物は<自分たちの勢力範囲を広げることが最大の喜びなのだ>とみごとに表現している。
蟹もかなりの数に増えている。こいつらは大淀川から雨水が作る水路を辿って上って来た連中に違いない。3本の両足を左右に持って、指先がハサミになった両手を左右の目玉の真上に突き出している。両側で6本の足があるのだから岩の上を気楽に上下左右に歩き回ることができる。
岩が作った奥穴が住家になっているのだが、その穴からゆっくり周りを見回しながら警戒心たっぷりで姿を現す。この中の親分みたいな蟹は、どうやら私の顔をもう覚えたみたいだ。
「この爺さんは俺たちを捕まえたりする意地悪じゃなさそうだな!」と、此方をじっと見ている穏かな目。その視線の横に、優しそうな余裕のある笑顔がはっきり感じられるのが嬉しい。
久しぶりに一羽の鳥が現れたのは受付の事務屋さんが「患者さんがみえてますよ」と、
「何時まで遊んでるんですか?」と言わんばかりの顔で呼びに来た直後だった。
そこで、その視線を意識しながら「ここいらで、今日の池工事は一旦終わるかな」と、スコップを弄っているところだった。
気温も36度前後あったかな? 背中を流れ走る汗を拭きたくて、ズボンのポケットからハンカチを探したのだが、見つからなかった。
先週、群馬県の高崎・前橋方面を往診した時の気温は38度を超していて、我慢できない暑さ。「宮崎は台風が来てくれて、かなり涼しくなっていますよ。北関東の高温は激しいですね」などと言っていたのだったが、今日は肉体労働で限界に近づいた暑さ。
汗びっしょりの下着は肌にべたべたくっ付いて我慢できない。そこで上半身は真っ裸になって動いていたのだ。

2.
鳥は両羽を胸にポンと収めながら「脳梗塞で倒れるかと思っていたのに、血糖値も良くなって、あと20年は大丈夫なのかなあ? マツお母ちゃんは100まで生きられたんだからね。こちらに来るのはまだまだ先なのかなあ!」と、前と全く変わらない口調。
姿は見えないのだが、自分の直ぐ側にいるかのように感じられる声で様々な姿勢で話し掛けてくる。
「<嫁の子よりも娘の子>なんて言葉、あなたのためにあるのね。大空クリニックの診察室の東側の壁。あそこに貼ってある洸太君の写真。
黄色い大きなユンボの前での笑顔が芯から可愛い。厚めの薄緑色のジャンパーを着てるから、お正月に東京から帰って来た時の写真なんかな? 今、小学5年生なのかな? 写真は5歳くらいの時のもの。
このコマツのユンボは貴方が買ったショベルカーだよね。初めのは中古車だったんだ。
2年目かな、クーラー付きの1100万円するこの新車を950万円にまけて貰って買ったんだ。
今度作るプール池で泳ぐ孫ちゃん達の中で一番先に頭に浮かぶのは莉子ちゃんなんでしょう?
葉子ちゃんが生んだ初めての女の子。洸太君と俊太君という二人のお兄ちゃんの下に生まれた一人娘。まだ3歳かな? ピアノが弾けるようになって、貴方は電話で聞かせて貰ったりして聞いているよね。
そう、この写真の貼ってある壁の上の留め金に、マツお母さんの素敵な歌が吊るされてるね。
<去の年、わが植えし3本の沈丁花、ともに開きてけふは匂へり マツ>   と。
これはお婆ちゃんの歌。気丈夫なお婆ちゃんの心がタップり表現されている。
毛筆書きの歌紙は紐付きの板に貼られて、壁の真ん中の差し針に吊るされているんだ。
木工室の患者さん達が作ってくれた飾り板なんだろうね?
文字はお母さんの思いが深く込められた自筆。そう、私達の高校時代の同級生、警察官だった金川さんの奥さんが、デイケアに来て書道の指導をして下さっていたんだ。多分その時の文字なんだな。
90歳を超えたお母さんは、今年の5月から解体されてしまった大空館の5階に住んでおられたんだよね。リーマンショックでシーガイヤが倒産して、その元家だった11階建てのフェニックスホテルを貴方が買収して改造したんだ、立派な自立支援アパート。
帳簿価格では13億円するものを、運のよいあなたは6億円で買えた。改装費に3億円かけて頑張って来たんだ。
6階から11階は若者で、4階から5階は老人達の住まいだった。あなたの考えで<地震や津波などでエレベーターが動かなくなった場合などの危険事態を想定して、介護避難の必要な老人達を低層階に>となったんだったよね。

110名前後の患者さんが入居するこの如月おおぞら館は<家族療法を進めるために、老人と若者が同居することに意味がある>というあなたの考えで作られたのね。
<老人だけだと死が目の前の、暗くて陰気臭い匂い。若者だけだと荒っぽくて、がつがつの硬い雰囲気>・・・と。
この建物の中の入居者達全体を<互いに支え合い、遊びあって、生きてることを楽しみあえる『一つの大きな家族』>と構想して、この構造になったんだ。
食事や洗濯などの支援が必要なだけの健康な老人も結構居られたんだ。だけど、認知症が始まって<食事や入浴に介護を要する老人や障碍者のためには、介護者や看護婦さんが常駐する4階へ>という構造。
そう、時間や場所の見当識がなくなって行方不明になってしまうような老人も介護するためにこの4階だけは鍵付きだったんだ。エレベーターと階段の前の廊下に木製のドアを作って鍵で保護されていたのね。

マツお母さんも軽い認知症の症状を出すことがあったんだけど、5階に住んでデイケアに参加しておられたんだ。貴方の妹の照代さんを『お母さん』と呼んだりする程度の症状が時々あったんだけど、問題行動には至らない。ちょっとした支えで5階で過ごせたんだよね。
プライドの高い元気なお婆ちゃん。80代の後半の頃かな、北海道に住んでいた照代さんの長女・淑子さんが二人目の赤ちゃんを産んだ時、この家に遊びに行っていて、転んで足を挫くんだよね。
この時、整形外科の医者から『杖をつかれた方が良いですよ』と勧められての答えが『はい、年を取ったらつきます』だったんだよね。
お母さんとしてはこの高級ホテルを買収できた息子が嬉しかったんだよ。沈丁花だけではなくて、中庭には桜も植えられた。菊の花やスイセンの手入れもされていた。夏にはスイカを栽ったり。

2階が食堂で、3階がホテル時代には結婚式や、講演会などの開かれていた大広間。グランドピアノもあって、天井が高くて音楽パーティも開ける豪華な広間。ここで、デイケアでの歌や卓球や体操やが開かれて賑わっていたんだよね。
大淀川の見える広々とした階段廊下を挟んだこの西側の部屋が書道教室だった。昼ご飯が済んだ後の一時間ばかり、週一回の書道教室。多分、そこで書いた歌だね。

そうそう、この歌の指導者は柏木光夫。お父さんはアララギ派の有名人だったんだ。 
貴方に結婚を決断させる蛮勇を吹き込んでくれた高校時代の同級生親友。
彼は如月おおぞら館に寛子さんと一緒に入居してたのね。
そう、貴方が二人を横浜から連れて来たんだ。寛子さんが抑鬱性の心理状態に陥ることが屡々あるというので、あなたが『精神科に入院させるよりも、大空館に夫婦一緒に住まないか?』と提案して、タクシーでやって来ることになったんだ。
9階の部屋だったかな。柏木さんも停年退職して年金暮らし。大淀川の南側に、青島の西側に連なる「への字の山」を中心とする山々がゆったりと横たわっている姿が見降ろせる贅沢なお部屋。ここで夫婦でのんびりと6年か7年ばかり居たのかな?

この風景を柏木光夫さんはいろんな歌にして詠んでるんだ。その流れの中で、ここの居住者の大勢に歌の時間を作って指導をしてくれていたのね。

寛子さんはここで亡くなるんだよね。
そう、柏木さんは大空クリニックの首藤照美婦長さんに「俺は松脇と水野から寛子を預かってるんだよ」などと言ったりしてたんだよね。
寛子さんは水野と松脇と柏木の3人の男たちを振り回して死んで行ったと考えて良いのかなあ」。

3.
鳥は暑い陽射しに真っ黒に焼けた私の前腕を見ながら「日焼けがすごいわね。上着で覆われた上腕と裸の前腕の肌色はまるで白人と黒人の色の差。
暑い日は辞めておけば良いのに、77歳のお爺ちゃんがこんだけ庭作りに精出して楽しんでいるのは、2年も続いた裁判が終わったからかな? 
如月おおぞら館は解体されてしまったけど、<嫌な争いからの解放への喜び>も大きなエネルギーになっているんだろうなあ。

謙太郎長男との病院経営を巡っての争いに始まった裁判。貴方は社会医療法人なんかにさせたくなかったのね。貴方は、<電気ショックは人権侵害だ>と言って本にまでして叫んでいたのに、国家の狡賢い指示に従ってバカ息子は電気ショックまで受け入れるんだよね。
裁判は勝ち負けまで行かずに和解で終わったんだけど、この3月で争いから解放されたのね。
<老いたら子に従えなんて言っておれるか>と頑張って、健康医療開発の社長の座を取り戻せたんだ。
11階建ての如月おおぞら館は跡形もなく解体され、15階建てのマンションが出来上がるらしいのね。住いとしてのマンションじゃなくて別荘マンション? 宮崎に旅行に行くのに『ホテルじゃなくて自分の住み家に』というわけね。もう9階くらいまで出来てるから完成は年末かな? 来春かな?
道路を挟んだおおぞら別館だけは自分のものとして確保出来て、500坪くらいの広さの敷地に大空クリニックを作った。そして今、庭つくりに励んでいるんだけど、貴方が<医療法人如月会の下支えをしていた株式会社の社長を下ろされる株主総会の時の文章>を読んでみるね。2016年8月17日つけの文章。

8月17日の馬鹿げた株主総会で
①はじめに
谷口弁護士を検査役として選任しました、という手紙を昨日見せて頂きました。この文書には「検査役とは会社法306号の規定によって、総株主の議決権の100分の1以上の議決権を有する株主からの申し立てにより株主総会の招集の手続きおよび議決の方法を調査させることを目的として裁判所により選任される者です」とありますが、この検査役選任申し立てを実行したのは水野謙太郎ですね。
私は申請した覚えはありません。そのことを議論した「会社内部の執行委員記録」もありません。
水野謙太郎は名義株の持ち主に過ぎませんから、議決権を持つ株は1株も持っていないのです。つまり、「100分の1以上の議決権を有する株主」ではありません。
宮崎地方裁判所民事部のこの執行行為は「安易すぎる、杜撰で迷惑をかける違法行為」とはなりませんか?
②名義株のこと
私の子供たちの株は全て名義株です。資金はすべて私が出したものですし、株券そのものもすべて私が所有しています。
正式な株式権利を持っている株主は10人前後です。そのうちの一人以外は、今回の株主総会での議決でも私に依頼状をくれています。すると、ほぼ9割前後の議決権を私が戴いていることになります。
会社の設立は1979年(昭和54年)ですが、実際の株主総会は一度も開いていません。全員が私を信頼してくれて、その必要が無かったのです。
ここにきて、一番信頼できる筈の息子たちから刃を突きつけられたのですが、全て、殺すだけの能力のない紙切れみたいな名義株なのです。この事態に至る「バカげたことを指導した弁護士さんのお顔」が見たいなあ。もちろん騙された息子たちの側が恥じるべきなのだけれど。
③だけどせっかく集まったのだから
今後の会社繁栄のための株主総会の勉強会にしましょう。此処大淀川から県庁裏までの自立支援アパートを世界の刀狩運動の中核にして、世界中に株式会社健康医療開発の名前を拡げて、力を更に蓄えたいのです。誇大妄想と思うかな?

ここで鳥が口をはさむ。
「あなたらしい文章だけど、この翌年2017年1月1日の年賀状も読んでみよう。全国の様々な皆さんに送付したものなんだけど、あなたの心境が良く表現されているから。
しかも脳梗塞のことまで書いてるんだから。先ずはこんなことする人は日本全国で精々10人くらいかな!」


明けましておめでとうございます。お元気ですか?
友達や親族が次々に旅立って行きます。昨年8月、私自身が横浜での往診の最中に脳梗塞発作。心筋梗塞と同じく、毛細血管が梗塞され、充分な量の血液が臓器に届かなくなり<その血管の支配領域の細胞が機能不全となり>引き起こされる症状。梗塞された血管の範囲が狭かったから軽くで済んだということなのです。そこで、バイアスピリンを毎朝1錠飲むことにしました。
ビールも止めました。極めて残念ですが、延命優先です。
未だ頑張りたいのです。「往診家族療法」と「自立支援アパート村の拡大・充実」そして「世界中の殺戮兵器の全廃運動」に邁進したいのです。<五大国だけが拒否権を持ち、核爆弾を持てる>、<他の国は隷属しなさい>・・・
などという国連の「5大国の傲慢」が、悲惨なテロを生むのです。

​シューベルトの「水車小屋の娘」は水曜の夜、毎週歌い続けています。4人の子供それぞれの家庭に合計9人の孫が出来ました。この孫達の代までには
「世界中の刀狩」が完成できるように準備だけでもしたいのです。一緒に力を込めて頑張りましょう!

4.
鳥はさらに続ける。
「 坂手葉子からの依頼という文章も読んでみよう。これは葉子さんが書いたんじゃなくて、あなたが葉子さんに対して『こういう風に書いてくれないかな』と提案した<葉子さん成りすまし文>なんだけど。
しかし受け入れて貰えなくて、葉子さんを被告にした裁判に至ることになるんだね、そのまま読んでみよう」

私は<兄弟4人で、ほぼ平等の株数・300株前後の株主>でした。これは父親・水野昭夫から頂いた所謂「名義株」です。
その後、以下の如く株式会社健康医療開発の株の買収の形での譲渡を受けました。
会社の経営権の保持者として「50%を超える株券をお前が持ってくれ」という父親の意図に基づいて、資金は全て実父・水野昭夫から借りたものです。まだその返金はしていません。
会社設立の目的は社会の中で<悲惨な状況に置かれている精神障碍者や身体障碍者や老人の生活を支えるための自立支援アパートの村を拡充して行く>ということを中心としています。日本全国から社会の片隅に追いやられているこれらの人達の「伸び伸びと過ごせる支援村を作って行こう」というこの趣旨に賛成して譲渡を引き受けたのでした。
そこで、平成15年以来、以下のように譲渡を受け、現在は965株の筆頭株主になっています。
1. 渡辺千鶴の200株    平成15年7月5日
       お父さんからの借り入れ        240万円
2 日高了七の100株    平成21年10月1日 
       お父さんからの借り入れ        100万円
3 有木正浩の  5株    平成25年6月26日
       お父さんからの借り入れ         15万円
4. 川野真由美の 5株    平成25年6月26日
       お父さんからの借り入れ       48万8000円
5. 安土洋子氏の 5株    平成25年8月11日    
       お父さんからの借り入れ         15万円
6. 堀内 誠の200株    平成26年3月3日 
       お父さんからの借り入れ        500万円
7. 立山孝雄の100株    平成27年1月20日 
       お父さんからの借り入れ        250万円
8.清水 透の 50株    平成25年6月24日 
       お父さんからの借り入れ         200万円
しかし、今となると、この事業の引継ぎは諸般の事情から困難です。更に、
1367万円の借入金の返済も困難です。そこで、この額で665株を譲渡するということで1367万円の返済も含め、一切を解決して欲しいとお願いします。

5.
「葉子さんからは受け入れて貰えなくて、裁判に至るのだけど、<株主総会への参加者に向けて>という2016年8月17日(水)の文章も読んでみるね」
①初めに
今日は冷静な話し合いの場にしましょう。怒鳴って「俺の言うことを聞け!」となったら会話にはならないのですから。
2016年6月22日(水)の早朝、若草病院診察机の上に置いてあった水野謙太郎から水野昭夫氏へという3枚の文章を発見しました。
日付も書いてないけど、私宛てに渡されたものと解釈して以下の文章を綴り渡したのでした。そのまま読んで頂ききます。
②この朝の9時40分に謙太郎に渡した手紙
子供達の株の全ては君達が出資したものではありません。私が働けなくなった時に<譲る予定の名義株>なのです。そこで、争えば、延々続く法廷闘争ということになってしまいます。
(株)健康医療開発と(医)如月会とは完全に別個なものにするために、新しいクリニックを作る予定なのです。在宅医療を目指す様々な医療機関と友好な関係を作って行って、大空館の周りを「全国から集まる在宅医療の村」にすることが目的なのです。多分、旅館・浜荘も今年中に買うことになるでしょう。
(医)如月会のための(株)健康医療開発ではないのです。管理医療や管理介護の下に人権を侵害された全国の精神障碍者、生活に困った老人。更に、往診家族療法が普及しないために「自宅という牢獄の中に閉じ込められたままの引きこもり」等々を救うことがこの会社の目的なのです。
(医)如月会はそのために協力してくれる医療機関の一つであればよいのです。そこで、君がどうしても社会医療法人にしたいのならば、若草病院の敷地と建物、如月こかげ館の敷地と建物は売却しても良いですよ。
(医)如月会が行うことに口を挟む権利はありません。提案はして行きたいけど、決断は自由です。
だけど売却値段に関して、買い主の言うままには行きません。そんな要求は子供じみた甘えが裏に有って言えること。まさに、持ち主が買ってくれと言うは安くなりますが、売ってくれと飼い主が要求する時には高くなるのです。ベラボーな利益を上げる気はないけど。先ず数字を出してみてください。
短いけど、これだけで、3枚の文章の可笑しな部分に気づいて下さい。
③(株)健康医療開発の設立経緯
(株)健康医療開発は駅前の広島1丁目で始めた19床の若草クリニックを164床の若草病院に拡大する時に作ったものです。
オイルショック不況で倒産したレックスホテルの買収に3億5000万円、改造費用に2億円、運転資金に1億円、合計6億5000万円を要する事業で、私の父は猛反対したのですが、銀行関係の応援者が有って「あなたなら成功します。私が応援させて頂きます」という言葉に支えられて始めたものです。
この時に土地・建物の管理会社として株)健康医療開発を作ったのは、資本主義経済の税金取得体制の利点を旨く利用しようと思ったからです。賃貸で若草病院に土地建物を貸すのですが、賃貸料は総額経費として利用できますから、若草病院の支払う所得税は少なくて済むのです。土地・建物を病院が直接買うことにするとそのために
支払う資金には所得税を払った上での支払いとなるから6億5000万円という借金は相当困難な数字となってしまうのです。
その後、如月こかげ館、如月おおぞら館を初めとする17個の自立支援アパートを拡充して来れた成果はこの1980年に始まった(株)健康医療開発設立の理念が正しかったということを示しています。
私は今年の4月で73歳になりました。だけど未だ10年くらいは湧き上がる情熱からの仕事を目指して働きたいのです。それが生きている証です。
先ずは2014年6月の宮崎県医師会機関誌に載っけて貰った<世界中の刀狩運動>を読んで頂き、私の心の意気込みを理解してほしいと思います。

    ………………………………………………………………
「この原稿もそのまま読みたいんだけど、第1号の「一羽の鳥」でも読んでるからここでは端折るね。だけどその後の文章はそのまま読む」
④応援はいくらでもします。謙太郎理事長の成長を期待して。
つまり、(株)健康医療開発を潰すわけには行かないのです。(医)如月会は謙太郎理事長の思いのままに動かしてよいのです。
幾らでも応援はします。しかし、会社は私の人生の目標を貫徹させるためのもの。
会社を解体して、全てを(医)如月会のものにしようという考えは甘ったれた考えであり、許すわけにはいきません。

皆さんに理解して頂くために、これまでの私と謙太郎理事長とのやり取り文章をそのまま読んで頂きましょう。50歳という年齢が近づいた息子としては恥ずかしいことなのですが、まだまだ理事長としての仕事を貫徹するには応援がたっぷり必要なようです。
次の文章の中に出てくる、「あなたから学ぶべきことはもう有りません」などという言葉を「ごめんなさい」と、撤回する日が来れば、「健康医療開発の社長も降りるよ」と言うことになるのかな? 携帯メールのやり取りと、電子カルテの記載からの転載の文章をそのまま読んでいただきましょう。

<A> 携帯電話メールのやり取り
大分市の統合失調症の患者さんの件を巡って

昭夫から 2013.3.4. 18:52  
母親から連絡があって、連れてこなければダメと言われたとのことだが、俺が連れてきても駄目なんかな?

謙太から 2013.3.4. 20:53
「連れてこられても駄目なんですがね」とも伝えました。前々から言っている通り、自発的な入院希望であれば遠方の方であっても診ますが、医療保護入院以上のケースは地元の病院で診るべきというのが信念です。
やむを得ない事情で入院するにしても、地元で通院治療を受けることになるのだから、連れてくるといった無茶なやり方はしないでください。

昭夫から 2013.3.4. 21:06    
措置入院であればそのような考えが生まれてよいけど、保護入院で地元にこだわるのは理解できないなあ。
遠方まで行くのがきついからと言うのなら、家族の願望に答えようとしない君を軽蔑するなあ。すると、今後、域を超えた協力はできない。会社の解体などもっての他。
謙太から 2013.3.4. 21:18
できるだけ在宅で見ようというのが貴方の美点でしたが、安易な入院ありきの発想には、支援村ありきに繋がる部分があるのでは?

昭夫から 2013.3.6. 17:58 
往診家族療法の必要性について勉強して欲しいなあ。保護入院は往診家族療法を進行するための一手段。なるべく早めに退院させて自立支援アパートに住まわせ、家族と適当な距離をつくり社会参加させる。家族以外の他人を避けていて、家族への威圧が深まっているタイプの場合には保護入院が効果的なんだ。
往診する医者が少ないから家族は放置する。放置することは治療・教育する保護者としての義務を放棄しているという意味において虐待にあたる。
病院に子供を連れていけない親に援助するのが、往診家族療法なんだ。放置して、殺人、放火、自殺に至り措置入院になる・・・ではいけない。
その方が病院経営人としては楽であろうが。それでは警察国家の備品になるだけ。
続きは後で。
昭夫から 2013.3.6. 21:13
(往診家族療法の続き)
往診家族療法の必要な家族は日本中にわんさと居る。その中の2割くらいには保護入院が必要。
なるべく早く退院させるために自立支援アパートが使える。家族と適当な距離を置いて両者が理解し合えるようになるには年単位の時間を要するのだ。
<往診する医者が居ないから宮崎までお呼びがかかる>のだという事実は認めて欲しいなあ。俺が20年続けてきた歴史への理解。そんなに難しいことかな?
<治療・教育する保護者としての義務を放棄したい人>は居ない。できないから嘆いて依頼してくるのだ。
その声を無視して、県内の病院を探しなさいと突っぱねるのは人間ではない。仕事だからと言って、「人に向けられたライフル銃のスイッチを押す人間」と同じ。
少なくとも「護の親父」がそんな非人間であって欲しくないなあ。
措置入院の事態に至らないように保護入院という手段を取るんだぜ。
頭を冷やして心を拡げろ。続きはまた後で。
昭夫から 2013.3.7. 8:45 
貴方の「在宅でみようというのが貴方の美点でしたが、安易な入院ありきの発想には、支援村ありきに繋がる」という言葉には訂正の考えはないのかな?
 支援村のために不必要な入院をさせているという判断は恥ずかしい。それは詐欺師の行為だわな?
その反省がないようならこの<君の教育のためのメール>も打ち切りたい。しかし、最後に言うが、白土ミキちゃんの治療は零点かな。ミキちゃんがかわいそう。家族療法を勉強して欲しいなあ。

謙太から 2013.3.7. 9:04
「貴方の美点だった部分がなくなっているという指摘」は的確だと思いますが。
訂正されるべきは貴方の行動です。貴方の行動は詐欺紛いのものだと思っておりますよ。だから息子としては行動を改めて欲しいし、医師としては一緒に仕事をする気持ちになれません。
「護のじいちゃんはモウロクしている」と護に言いたくないので、入院治療の基準やルールについて勉強されてくださいね。
昭夫から 2013.3.7 15:32   
<貴方の美点だった部分がなくなっているという指摘は的確だと思いますが・・・>
これ何度読んでも理解できない。貴方の美点っておれの? お前の?
<訂正されるべきは貴方の行動です。貴方の行動は詐欺紛いのものだと思っており>
これも理解できない。どんな行動のこと?
<入院治療の基準やルールについて勉強されてくださいね>
これも何のこと?
もっと具体的な表現で理解しあおうよ。

謙太から 2013.3.7. 16.20
あなたがモウロクしているから、面と向かって話をしても、こんなメールのやりとりをしても、時間がもったいない。僕が行なっていることや目指していることが理解できているのならば、このようなやりとりは不要です。僕や病院の職員が楽な仕事をしているような理解ではダメですね。
往診家族療法は素晴らしい考えですが、医療保護入院とセットになったら詐欺行為。
入院させられる個人の人権を踏みにじる行為への加担はしません。入院が必要だと本人を説得させてからお連れしてください。
説得する努力をしないで、家族が困っているから必要だという理屈が、安易な入院ありきの発想だと言うんですよ。

昭夫から 2013.3.7 17:38  
<モウロクしている>のはどの程度かな?! 老化が進んで記憶力がかなり落ちていること、難聴もあるなあ。しかし、判断力は高まっているよ。
君の行なっていることが未だまだ<精神科医師としても経営者としても、足りなすぎるものが多過ぎる>からほっとけないの!!
薬物療法は十分の一程度の治療手段かな?
<往診家族療法は素晴らしい考えですが、医療保護入院とセットになったら詐欺行為>
なんていう発想は何処から?
<入院させられる個人の人権を踏みにじる行為への加担はしません>
となると、保護入院のことを分かってないのかと、ちょいと驚き。入院が必要だと説得できれば,保護入院は要らないんだよ! 説得する努力こそが家族療法なの!
放置したら家族も本人も悪い方向に行くと判断して決定するのです。家族の苦労逃れなら、電気ショックで充分でしょうよ。

謙太から 2013.3.7.18:37
あなたは、自分のダメさ加減がわからないくらいモウロクしている。薬物療法についての知識のなさには医師の資格もないでしょう。
私については、自分に足りない部分があるとあなたが指摘されている部分については問題を感じませんね。それ以外の部分については勉強したいことがいっぱいありますが、
誰に教わるか、いつ学ぶかは自分で決めます。あなたから学ぶべきものはちゃんと学び終えましたが、あなたがそれを認めないことは分かりました。
お互いを信用していない以上、一緒に仕事をすることはないほうが親子として望ましいし、病院にとっても宮崎県にとっても、精神医療改革のためにもベストだと確信しました。
これ以上メールを送る必要はないですよ。私からはこれが最後のお返事です。
別々の道を行きましょうよ。私はあなたを説得する気持ちはないですし、あなたの言葉も文章も、私の心に響くことはありません。
昭夫から 2013.3.8 14:44
「ダメさ加減がわからないくらいモウロクしている」・・なんて会話じゃありません。
喧嘩は止めて理解し合う努力をしましょう。互いにその必要があります。
互いに自慢し合うこともない。勉強したいことがいっぱいありますが、あなたから学ぶべきものは学び終えましたとか。他人であればそんな表現はしない。他人と話せる言葉で話そうよ。
往診家族療法の保護入院は野崎病院にお願いすることにする。

昭夫から 2013.3.8 22:50
今、岐阜県美濃加茂の患者さんを保護入院させてきた。地元保健所と警察を使って。
19歳の家庭内暴力青年。3ヶ月したら大空に連れてくる計画。今やっと、名古屋空港の東横インにたどり着いてしゃぶしゃぶで晩飯。
こういう手段もあるが、君の成長も期待したいなあ。
・・・・・・・・・・・・
その後、メールでの会話もなくなったのですが、電子カルテの中での一方的な言葉を読んでいただきましょう。これではチーム医療など運営する能力はないということになりますねえ。

<B>  如月会理事長としての恥ずかしい文章
1.MK(栃木県出身)H25.7.7の記載
何度も言っているが、飲酒が問題なのに飲酒させ、それで錯乱状態だか入院させろという言い分を通そうとする施設側の対応には大いに問題がある。
当院での入院治療は一切受けない。出入り禁止でも構わないと思っている。施設が勝手にやったことの責任は施設がとるべき。 
2.TK(神奈川出身)H26.9.2の記載
今後、若草病院受信の情報が入ったら、直ちに理事長に報告すること。
  ( 地元で見させるべし)
3.RY(東京出身 )H27.11.20の記載
今後、病院敷地内に出入りしたり、病院関係者に接近してくる場合にはすぐに警察通報で。
本人の言い分は警察に聞いて貰って下さい。警察か弁護士が本人の言い分を病院に伝えてくれれば済む話です。
病院との治療関係はどのような形でも全く結びません。昭夫先生の外来も病院で受けることは禁止です。診たければ大空館でどうぞ。
4.KK(滋賀県出身)H28.6
入院の適応は全くありません。薬物療法の適応も全く感じません。自暴自棄になった時に自傷防止目的に短期の入院適応ならあるかもしれませんが、その際には大空館の環境が合わないということですので、滋賀に帰すことにします。

⑤終わりに
今までの株主総会は極めて磊落なものでした。1979年の設立から37年間に亘って私の勝手をそのまま認めてくれていたのです。
今回、初めての形式的な株主総会となったのですが、楽しい理解し合う場にできると良いと思います。

6.
鳥はそこまで読むと、大空館跡のマンション新築工事の現場周りを一周して、羽ばたきながら帰ってきた。口に、2017年12月27日の手紙を咥えながら。そして、「株式会社健康医療開発の株を巡って・・・水野松子・坂手葉子のお二人へという手紙。
あちこちで書いてきたことの繰り返しも多いんだけど、その儘、読んでみるね」と始めた。きりりとした目で、睨むような表情になったりしながら。

<1> はじめに
会社設立は昭和54年の初夏だったのかな? 長引くオイルショック不況で倒産したレックスホテルを買収したのは、この年の8月だったのだから。
昭和50年9月に開業した医院を病院に拡大するに当たって宮崎銀行から6億5千万円を借り入れることになるのだけれど、<その返済、そしてその後の事業拡大のために株式会を作っておくのが得策>と、俺なりの経営策判断から生まれた会社。
この頃お世話になっていた田中広智氏(既に無くなった県立富養園の元事務長。松子も良く知っている男。俺を大人にしてくれた男3人をあちこちで「3人のパパ」と表現しているのだが、その第一号)はあまり賛成ではなかったんだったけど、収益に掛けられる税金などのことを考えると、資本主義経済の中核である株式会社の設立は絶対必要と考えたのだ。
物価の値上がりを基本に据え、<金持ちが貧乏人を食いものにする>という資本主義経済構造の基本。その旨い汁を俺も吸わせてもらおう、と頭を捻らせたわけだ。

この発想は一応の成功手段として正解だったのかな? 好景気と不景気の波の繰り返しを旨く利用して、所有不動産を拡大し、「国家に頼らない医療機構の造成」を目指して邁進して来れたんだから。
精神科医療の改革を<口先で唱えるだけでは駄目、評論家ではなく、理想の実物を作って見せなければ男が廃る>と全力で励んで来れたんだ。
実物を作るには<土地や建物や人を動かすためのお金がたっぷり要る>わけで、口先男では駄目と、歌いたくなるような良い気分で。
<2> 葉子を中心とする4人の子供達の所有株
会社設立時に子供4人全員を<ほぼ平等の200株から300株近くの株主>としたのだった。長男の謙太郎はこの時小学1年生か2年生だったのかな? つまり4人が現金など一銭も保持できていない餓鬼っ子達。そこで、4人すべて贈与株というわけだ。
つまりこの1000株前後は俺の株なのだと認識して、俺を裏切るための利用をされる危険など全く想定していなかったのだ。俺の気持ちが甘すぎたんだけど。
俺はその後、平成15年くらいからだったか、遠からず訪れる老化を意識して、後継者を考え始めることになった。そこで、兄弟間の意見の違い、金銭を巡るトラブルなどの危険で家族が混乱することを避けるために<株の殆どを葉子一人に集中する>という考えに至ったのだ。
「会社の経営権の保持者として50%を超える株券をお前が持ってくれ」とはっきり言葉にしたのを覚えている。
「俺のしている仕事の後継者として頑張って欲しいんだ。お兄ちゃん達は全員医者になったのだから、お前は会社の社長になって、お兄ちゃん達と手を取り合って二人三脚で頑張ってくれよ」と。
平成27年度の記録によると、現在の他の兄弟の持ち株数は以下の如し。
謙太郎 267株、裕助 265株、学 400株
その合計は932株になるが、この数は葉子の持ち株数を上回らない。
平成15年以来の葉子への譲渡株を整理してみよう。全て贈与ではなくて、売買譲渡であることが要点なのだが、現在、葉子は「965株の筆頭株主」。(俺の持ち株数は910株だから俺より多いのだ。)
贈与にすると贈与税を葉子が払わなければならない。<売買ということにしておけば、贈与税を払わなくて済む>からということで、そういう手段を選んだのだ。<株式買収のための資金は俺が全額貸す。期限を切らずにゆっくり返済してくれればそれで良い>という言葉を使っての売買。
その貸金に関しては、実際には「返済してくれなくても良いんだぜ」という言葉が隠されていて、それは「なあなあの親子気分」の中で通じ合っていて、互いの了解済みだったと考えて良いのだろう。
<俺が死んだら遺産相続となるのだから、他の兄弟から苦情が出たら、その中から清算すればそれで良いだろう>という、軽い気分での売却。架空売却と言った方が良いのかな?
会社運営の基本目標は<俺の個人病院であった若草病院を拡大して行き、歪んでいる日本の精神科医療を改革する>であった。病院は医療法人如月会に発展して、高岡の地に株式会社健康医療開発と合わせて<17ヘクタールの原野を確保し拡大して行けた>のだが、これは正に会社が背後にあったからの成果である。
俺はショベルカーを弄って、木を倒し、山を削り、池や畑や田圃を作り、サッカーや野球の出来る運動場の造成をして楽しんだのだ。秋には毎年、運動会で若草病院と若草クリニックの患者さん達が合流して、バーベキュウなど、大勢の患者さん達も大喜びだったよ。
ここにいずれ、農作業や花木や小鳥や小動物などの自然を楽しむ人達の治療施設群と自立支援アパートを作ろうと邁進して来たのだ。
そう、梟が「もう帰って休みなさい」とホーホーと叫び始める夜中まで。時には晩飯も食べない儘で楽しんでいたなあ。
7年前に、医療法人如月会の理事長職を謙太郎に譲って、俺が会社の社長に専任となってからは、会社は如月会だけのものではなくなった。会社の目標は、<社会の中で悲惨な状況に置かれている精神障碍者や身体障碍者や老人の生活を支えるための自立支援アパートの村を拡充して行く>ということに拡大されることになったのだ。そこで、医療法人如月会はそれに<協力する一つの組織に過ぎなくなった>のだ。
2002年にリーマンショックの不況下でフェニックスホテルを買って「きさらぎ大空館」を立ち上げた時は良い気分だったのだが、健康医療開発と如月会の距離はこの頃から段々と拡がり始めたと考えて良いのだろう。
俺は新婚旅行で賑わっていた宮崎観光の「きらめきの時代」を、<日本全国から押し寄せてくる障碍者や老人達の自立支援村として再現するぞ!>という意気込みで突き進んで来たのだ。社会の片隅に追いやられている様々な障碍者達を集め、「伸び伸びと過ごせる支援村をこの自然豊かな宮崎の地に作って楽しんで行くぞ」と構想して。
俺は、葉子がこの構想に賛成して、引き継いでくれること期待して譲渡を引き受けて貰ったのだ。
俺は葉子の子供達が大好きなんだ。こいつらを伸び伸びと大きな人間に育てたい。いずれは、洸太や俊太がこの支援村のリーダーシップを取って、堂々と胸を張って。更に日本中に拡大していくことを夢見ていたのだ。莉子ちゃんの笑顔を見るといかにも実現は確実なものと思えて。
葉子の表情の中には勿論、「私にできるかなあ」という迷いがほんのりと垣間見られたのを覚えている。
俺は「ゆっくり勉強してくれたら良いよ」と口にして、毎年の健康医療開発の決算書とか、俺の考えを磊落に記した「四季便り」などを届けていたのだった。東京への往診の度に持って行っていたよね。恍ちゃん達と相撲を取ったりしてふざけながら、俺の跡取りと考えて、心は大いに満足だったのだ。

<3> 平成15年以来の葉子への売買譲渡の実態
平成15年後にお前に渡した株は全て俺が元の株主・当人から買ったものなのだが、葉子が当人から直接買ったかのように記載されている。実際には<記載されている俺からの借入金額>で<記載されている元の株主>から俺が買って、それをそのまま葉子の名義にして譲渡したものだ。
その貸与金の総額は1367万円8000円で、株数は665株。
<4> 俺は社長に還りたい。
葉子が俺の方に手を挙げればすぐ復帰できる。それが出来ないなら、株を全部返してくれ。それもしたくなければ以下に述べる全額を3か月以内に支払うこと。
昨年8月の株主総会を巡る裁判を取りやめ、妥協案で和解出来たことは良かった。大空クリニックを6月1日から始めて、順調に経過している。しかし大空クリニックの開設は、<戸惑いの中の患者さんを放置できなかったから取った緊急処置>であり、このままでは終われないのだ。謙太郎がとった「こそ泥の卑怯な裏切り手段」を許したままあの世には行けないのだ。
医療法人如月会は

①若草病院本体の土地と建物を会社から譲渡させ、自分の所有物になったこと。
②100%出資者である俺が医療法人の社員を辞めたこと
③きさらぎ大空館の売却が成立すること

・・・等々の成果が得られ、社会医療法人への移行が可能となったのだ。すると、株式会社健康医療開発の支配に拘る必要はない筈なのではないかなあ。それだけの成果で満足して、あとは俺に任せて欲しい。
俺は、社長の地位を取り戻して、自立支援村の拡大、世界中の殺戮兵器の全廃の運動に励みたい。
上記の数の株を持っている葉子が俺の側につくなら<それだけで社長の地位を取り戻せる>のだ。そうしてくれたら株のことなど今のまま葉子の所有のままで良い。
そう、どうせ後20年もしないうちにあの世からお呼びがかかる筈だから。「貸付金は支払った」ということにすれば誰からも責められない。責める奴が居ればその額だけを支払えばよい。
俺としては、洸太達に跡を継がせ、心の広い人間になって欲しいのだ。そして、世界中の殺戮兵器の全廃に向かって邁進して欲しい。
しかし、<俺側にはつかずに謙太郎側につく>というのであれば、これから新しい会社を作らなければならない。そのための資金が欲しいから、即刻支払うべき現金を俺の目の前に並べて欲しい。
具体的には<貸付金全額と株価上昇分の総額の支払いを3か月以内に実行する>ことを要求する。もう今年も終わりだから来年の3月31日を期限とするかな。これには譲歩はない。

<5> 株価上昇分のことを説明しよう。
平成24年に会社の発行株式数は4000株から4600株に増えるのだが、これは<俺の高校時代の同級生が1億円寄付する>ということから始まったものだ。
都城の団子屋の息子なのだが、シリコンバレー株でぼろもうけをして100億円前後の資産を蓄えた男。西本願寺などに億単位の寄進をしてその成果で都城の西本願寺の住職(此奴も泉ヶ丘高校出の同級生)は西本願寺の全国ナンバー2の席を占めることが出来たんだ。
彼は俺のやっている精神科医療の改革事業のことを「お前の仕事を尊敬する。1億円を寄付するから更に頑張ってくれ」と言って来たのだった。息子が病気なのだが、そのことも一つのきっかけだったのかな?それに対して俺は「お金をただで貰うのは恥ずかしい。男が廃る。株を買ってくれよ」となっての発行増だったのだ。
つまり新株の600株を買ってもらったのだが、この時の株価評価が8万円に上がっていて、4800万円貰ったのだ。
すると税務署は、平成14年から25年までに葉子に譲渡した665株の株価も8万円前後と評価することになるのだそうだ。そこで、665株の時価評価は5320万円ということになる。つまり<自分の所有株の儘でおきたい>というのであれば、6687万8000円を支払わないといけないということになるのだ。
<6> 返事を年内にくれ
神宮の家を売りたくない。一人で住んでいるのは寂しいけれど、洸太達がはしゃぎまわっていたピアノなどの居場所が無くるのはもっと寂しいから。
6687万8000円が入ってくれば、売らなくて済む。
その答えを年内に聞けると嬉しんだがなあ。この一年間の経過から想像すると年内の返事は期待できないのかなあ。
辛いが、30数年間の過去を宿した家の処分はやむを得ないのかなあ。
皆さんに送った2018年の年賀状を読んでくれ・・・まだまだ頑張るぞ・・・。

新年おめでとうございます。お元気ですか? 
4月で75歳ですが、後25年は生きたいなあ。しかし、脳や心臓などの重要臓器に栄養を届ける毛細血管はかなり老化している様子。
努めても100歳は無理かな?
だけど、精一杯残りの時間を楽しんで生きて行こうと思います。
昨年6月に「大空クリニック」を新設しました。高齢開業ですが、医療法人如月会には口を挟まず、取り組んでいきます。
<自立支援アパートを充実し、「日本中から集まってくる支援村」を作る>という目標を失いたくないのです。
<国連の5大国特権を無くし、世界中の殺戮兵器を全廃しよう>という看板も外されて、蛍が光り始めるのを待ち続けた池も壊されそうです。しかし、この二つの課題を放置して生きては居れないのです。

この目的を達成するには、先ずは若い精神科医師が必要。そこで<私の後を引き継ぐ意思のある精神科医探し>が今年の最大の仕事です。更に訪問看護やデイケアに力を入れる看護師、社会福祉士、作業療法士、心理療法士を、それぞれ3人から4人増やす予定です。
高額な給与は出せませんが平均的な給与は出せます。私の資産は2億円
ほど有りますので、個人病院であるこのクリニックを医療法人に変更しま
す。すると、私の旅立ち後も2億円の資産を保有する無借金のクリニックが残ることになりますから経営も順調にいくでしょう。
皆さんも是非いろんな方に声掛けしてみて下さい。未だ週末は日本全国を走り回っています。近くに行ったら是非、寄らせて下さい。
2018年1月1日    大空クリニック院長  水野 昭夫
<7> 最後に
若草病院が生まれたのは昭和55年2月、如月の月。医療法人名を「如月会」としたのはこの月名なのだけれど、この年の4月か5月かな? 患者さんを運動や山登りやドライブ旅行や作業に連れ出すための大型バスを買ったのだった。
大分県の津久見でミカン問屋をしていた従兄(高橋道夫)の経営していた中古車会社から買った中古バスだったのだが、派手な大型バスだった。
宮崎小学校から謙太郎がリュック鞄を背負って帰ってくると、病院玄関にこの一般車の中では一番大型のバスがドカッと構えて横たわっていたのだ。派手な色で飾られて。
その時の謙太郎の言葉は私の耳にちゃんと残っている。
「お父さん。今度こそはやり過ぎじゃないの!」と。
7歳か8歳の坊やのあきれ顔。視線は力を失って
「とんでもない親父! どうしたら良いんだろう」と、完璧に思いのすべてを投げ出したような表情だった。
多分それは「1億円を超える借金なんて考えられない!」などという俺のオヤジ(=謙太郎の祖父)の言葉が耳に入っていたから出た言葉だったのだろう。

正に隔世遺伝。すると、孫である洸太、俊太、莉子は俺の遺伝を引き継いでくれる筈だ。

7.
鳥はじっと俺の顔を見つめながら両手を羽ばたかせて「2015年はお母さんやお姉さんが亡くなった年ね。この年の挨拶文や職員や医師会機関誌への寄稿文などをパソコンから適当に拾って読んでみるね。人生の最後を意識する貴方の心息がたっぷり蓄えられた判りやすい文章群・・・」と呟いて始めた。

<A> 母と姉と義兄の3人の旅立
皆様お元気ですか? 今年は母と姉と義兄の3人が旅立ってしまいました。
私が72歳。親友二人も行くという具合で、自分自身の終末をも意識させられる年でした。
母は100歳を超えましたが、姉は76才。義兄は81歳。すると私の残りも精々2、30年・・・しかし、まだまだ頑張ります。
一人暮らしの困難な障碍者や老人、家族を離れて大人になる訓練を要する引籠りなどの人達に、
<①支援はするが、過剰な管理はしない。②老人から若者までの楽しい家族のようなイキイキ集団>をモットウに、「支援アパート村」を拡大・充実させて行きます。
もう一つ、悲惨なテロや戦争を無くすために<世界中の殺戮兵器の全廃運動>に邁進します。国連の5大国特権を廃止させ、世界中の国々が平等になることが第一の始まりです。
<五大国だけが拒否権を持ち、核爆弾を持てる>、
<他の国は五大国に隷属しなさい>
などという傲慢が、悲惨なテロを生むのです。
私には来年、9人目の孫が出来ます。この孫達のためにも、世界中の刀狩運動を進め、完成してから旅立とうと思います。
一人でできることではありません。皆さん、一緒に頑張りましょう!
2015年11月30日
・・・・・・・・・
「これは年賀状が出せないから出した、皆さんへの報告文なのね」と嘴を入れて、読んでいく。

<B> 暑中見舞い
暑中お見舞い申し上げます。全国どこへ行っても、うだるような暑さです。リュックを背負って、汗を拭きながら走り回っています。
電車やバスや家の中に入り込んだ瞬間ほっとして、「電気節約なんて言っても、クーラーだけは手放せないな!」と呟く毎日です。
2016年8月4日
<C> 坂手葉子の義父あての手紙
7月22日には、駅までお迎え頂いて有難うございました。お菓子を頂いて、一昨日は美味しい葡萄まで届きました。日本一美味しい葡萄。
僕も脳梗塞の危険が身に迫っているのですが、生き物である人体はどこかの臓器が傷んで行って死を迎える定め。だからこそ、残りの時間を楽しみましょう。
洸太、俊太、莉子の3匹が4日には来るのですね。きっと燥ぎ回ることでしょう。葉子は、僕が悪い教育をしていると言って怒っていますが、元気な子達。直ぐ相撲を挑んでくるのですが、楽しんでください。
2017年8月2日
・・・・・・・・・
「葉子ちゃんの旦那のお父さんは広島に住んでおられるんだ。東広島の往診の時に寄って、軽い心筋梗塞があることを知ってからの手紙なんだよね」と頭を何回か下げて納得の姿勢を取りながらの朗読。
<D> 残り人生の中で目論むこと
新春随想(宮崎県医師会広報誌 2014年正月)
医療法人如月会若草クリニック院長時代の寄稿文
医者になって47年目の年齢となりました。かなりの数の親族・親友・恩人が行って、寂しくなったのですが、「あと二巡りくらいは生息するのかな?」などと気軽な夢を描いています。突然の日が訪れても周りがバタバタしないように気遣いの気持ちもちょっとだけ持ちながら。
一つの夢は自立支援アパートの拡充。在宅医療の進行という国家戦略には、<医療費削減という政策がその背景に見える>のですが、良いことす。<個人の人権を尊重して、
管理をし過ぎないということ>のためには、病院や施設ではなく「在宅」がベストなのです。
<管理責任を負わされてしまうと、個人の人権は軽視される>ことになってしまうのですから。
大淀川の岸辺から県庁の裏まで360人分のアパートを作りました。近日中に20階建てのクリニックビルを作る予定です。内科、精神科、整形外科、耳鼻咽喉科、眼科、皮膚科、泌尿器科などの様々な診療所に入って頂いて、在宅医療の推進中枢となるのです。
デイケア、訪問看護、往診を積極的にするクリニック群の集合ビル。デイケアの中にはテニスコートやプールまで計画しています。
経営の難しくなったホテルの多くはマンションになっているのですが、此処にも医療や介護を要する障害者や老人は居住できるわけで、支援アパートとして作った360人分に加えて、この地域全体が、支援村として生かされることになるのです。この支援村の拡充は、風光明媚で農林漁業に恵まれた地域性と相まって、全国から治療や介護を要する人々を集める力になりそうです。
かつて、観光宮崎として賑わったのですが、これからは医療と福祉の地として賑わうように持って行けそうです。
あと一つは世界の刀狩り運動です。世界の戦略兵器を全廃して戦争を無くさなければいけません。戦争放棄を謳っている日本国憲法はそのための運動に邁進して来るべきだったのです。ところが、逆方向に動いています。
私はそのための具体的な政策は国連の正常化の中にあると思います。
国連の五大国特権を廃止させることが絶対的に必要です。<五大国にだけ拒否権を与えて、五大国だけ核兵器を持っても良い>などという規定を廃止させて初めて、国連が実質的な機能を果たせることになるでしょう。
オリンピックの旗の下に「五大国特権を廃止させよう」という言葉を記載させることから始める運動を起こしましょう。
まあこれだけの目標を実現できれば、孫たちの笑顔を心から喜ぶことができるかな?

<E> 仲良く行きましょうよ。(昨日貰った文書への返事)
2017.3.23 朝
家族療法の精神科医師 水野昭夫
①はじめに
これから大阪に出かけます。大空館に入居して2,3年たつ大阪からの患者さんを連れて帰るのです。症状がかなり改善して、「一回帰ってみたい」という彼の意思を尊重して、お正月過ぎから「3月なったら俺が連れて帰ろう」と約束していたことを実行しないわけにはいかないからです。
大空クリニックの開設に当たって、バタバタと急がしいのですが、<彼の今まで待っていた大きな期待を果たしてやること>は私が精神科医師として生きる上で欠かせない必要事なのです。
②如月会若草病院事務長からの文書
忙しく走り回っている中、昨日、若草病院の外来診察室まで事務長に来て頂きました。
その時に、まだ書きかけだったみたいなのですが、文書を持ってきて手渡しして頂きました。僕との会話を録音するために録音機のスイッチを押しながら。
この姿勢からしてやめてほしいのですが、「まだ、スイッチを押すのかよ?!」という言葉だけで終わって、文書に目を通したのですが、驚きました。文書の内容すべてが喧嘩姿勢なのです。
③患者さんを大切にすることを中心にして話そうよ。
まず、
①「これまで貸与していたマスターキーは全て返却して頂きます」
②「如月会の名義で契約していた携帯電話は水野昭夫の個人名義に変更します」
③「ふれあい食堂での食事提供は如月との契約でしたからできません」
④乗用車レクサスは4月の仮処分の結論が出るまでは使用して構いません」
・・・とあるのですが、②③は納得として、①に関しても⓸と同じく仮処分決定までではダメです。
若草クリニックとの関係についてという欄では
①「若草クリニックの施設に立ち入りは出来ません」
昭夫先生だけではなくて、大空クリニックを利用する患者さんもできません。
②如月会及び健康医療開発の職員に対して、指示することはできません。
③電子カルテ、コピー機、車など如月会及び健康医療開発の所有するものは使用できません。
④「大空館のショートステイは出来ません。新規入居はお断りします。」
・・・となっているのですが、文書の内容すべてが喧嘩姿勢です。患者さんを大切に考えて対応しましょうよ。
色んなレベルの患者さんがいるのですから、患者さんを大切にしましょう。昔関わったケースワーカーや看護婦さんや心理療法士、精神科医師に近づきたくなることは屡ある筈です。
昔、デイケアで交わっていた人を見たくなることも頻回あるでしょう。その時に「あなたは大空クリニックに行っているのだから近づかないで!」なんて言える人が、誠実な治療者と言えるかな?
私としても若草クリニックの様々な職員とも話したいし、時にはお願いもしたいです。
④人間らしく生きて行こう
大空クリニックの準備は着々と進んでいます。本当は若草クリニックを閉鎖して欲しくない。ちゃんと続けるのなら大空クリニック開院は再び中止しても良いんだけど、どうやら健康医療開発を倒産に追い込んで此処大空館周辺の土地を全部売却してしまいたいというのが本音らしいですね?
その売却資金で借金を返済し、若草病院の改築・増築などを行いたいということのようですね?
しかし、私は<管理型の入院治療ではなくて、自立支援アパートで治療を目指す>という患者さんの「自由意思を尊重した治療体系」を全国に広めていきたいのです。大空クリニックは当然のこと初年度は赤字です。だけど、医師や看護師やケースワーカー、心理療法士を増やして行って、来年度は黒字に持って行けるでしょう。資金として神宮の自宅売却も考えて挑戦します。
よろしく。人間らしく生きていきましょう。

<F> 医療法人如月会若草病院の職員の皆様に
もっと信頼のおける会話を始めようよ
会話~議論が無くて健康で建設的な精神科医療は進展しない。
経済的有利だけでは、時間を経ずして崩壊に向かうのが必定。
2017年5月9日朝 医療法人如月会の創設者  水野 昭夫

①はじめに
昨日月曜日、昼前の外来の診察室に河野事務長、白土院長、菊野看護部長の3人が連絡もなく2枚のコピーを手にして入って来た。11時25分過ぎ。
私は大空館の池工事で痛めてしまった右小指の治療処置のために、12時には江南病院整形外科に行かなければならないことになっていた。そこで、11時過ぎから診療し始めた新患の老夫婦の仕事を早めに終えて出ようとバタバタして、「お二人には悪いな」と構えていたとこだった。
この夫婦が診察室を出るなり、ドアも閉まらない内に、外で構えていた3人が入って来たのだ。

白土院長が手渡すメモ紙に目を走らせると「懲戒処分通知」という大きな飾り文字。以下の7,8行に目を走らせて、「なるほどちゃんと話し合いをしましょうよ。こんな馬鹿げた脅し文章では笑われますよ。
だけど僕はこの指のために江南病院に12時に行く約束。その後は都城の往診があるから話せるのは6時くらいになるかな・・」と対した。
すると、白土院長はしぶしぶではあるが冷静な顔で受け入れてくれた。他の二人は不満そうだったのだが。
実際には都城の往診を早めに済ませて、5時半から話すことになった。大声の怒鳴り合いになってしまったのだが。往診の合間に、楽しい話し合いにしようと心掛けたつもりだったのだが、そうならなかったのは河野事務長の頭の柔軟性の乏しさにあるのかな。勿論私の頑固さが大きいからなのだが。
どうやら彼は議論を進める思考力がないらしい。謙太郎理事長の肩を持ち過ぎ、従わされているだけ。どうやら、それが自分の役割と思っているらしい。これでは事務長の資格はないなあ。
事務長の言葉を縛る中心は、「県外往診はしないと理事長が決めたことです。部長や課長を含めた理事会の話合いで決定されたことです」である。「これは絶対に覆せません」と、如何にもそれは「民主主義に基づく合法的なものだから反論させませんよ」と言いたいのだろう。しかし、その決定に至る過程がそもそも不健全なのだ。
つまり、<県外往診はしないという決定そのものが、理事長の独断であり、それを他の職員が議論して、訂正させようとしていない>ということは<有無を言わせず従わされている>ということなのだ。
それは菊野部長の次の言葉にも明確である。
「私達は、昭夫先生が理事長の時代にはちゃんと昭夫先生に従ってきました。今は謙太郎先生が理事長だから謙太郎先生に従うのです」との<すごく正直な発言>を堂々としたのだが、これでは健全な医療法人ではない。
「何故県外の往診を禁止するのか」の議論もしない儘に従っているのであれば、それは健全な職場ではない。
そこで、私は「それではヤクザの世界と一緒じゃないか」と叫ぶことになった。押しつけでは駄目。理解し合う姿勢があって初めて健康な職場が生まれるのだ。まず、「懲戒処分通知」そのものを読んで貰おう。
②懲戒処分通知
手渡された通知書は以下の如し。

「貴殿は、去る平成29年5月1日、実際には来院していない患者の診療受付処理を行うよう医事課職員へ指示し、薬の処方を行おうとした。また同日、外来・地域医療連携室の吉村課長からの内容確認に対しても、事実とは異なる回答を行った。これは無診療処方並びに虚偽の報告である。また平成29年5月5日、薬局の水野薬局長に対し薬の譲渡しを強要し、薬の持ち出しを行った。これらの行為は就業規則第68条1号に該当する重大秩序違反である。
よって同規則第69条に基づき、次の通り懲戒処分を行うので、今後かかる行為のないように十分注意されたい。
譴責処分とし、始末書を徴収する。
始末書は、平成29年5月9日までに提出することとする。 以上
平成29年5月8日  医療法人如月会 若草病院・院 白土俊明
この文章は白土先生が書いたものではなくて、多分、形式上の必要性として利用されただけなのであろう。白土先生は被害者かな?
③私の為した「秩序違反行為」の内容
つまり、<重大な秩序違反をしているから懲戒処分をする><けん責処分として始末書を出せ>というものなのだが、私の秩序違反と言われる具体的な内容は県外居住の患者さんの薬物投与のためにした行為で、それは<虚偽の報告、強要行為>と表現されている。
保険外診療はしているし、家族との電話によるやり取りは確実にしているのだから虚偽の報告では全然ない。
平成29年5月5日㈭の昼前に、薬局の水野薬局長に対し薬の譲渡を激しく要求したのは事実である。それは強要と表現しても良いだろう。
しかし、了解されても良い範囲内の強要で、真面な人間であれば受け入れてくれるだろう。むしろ多くの人が<そこまですることを褒めてくれる>のじゃないかな?
私はこの日、熊本経由で大阪に向けて往診することになっていて、二人の患者さんに薬を持って行くことを約束していた。
この患者さん達は若草クリニックに勤務していた時代からの患者さん。木曜から日曜までの長距離往診(往診家族療法)をして、薬を送り続けていた患者さん達である。
ところが、この4月1日から私が若草病院勤務となった時点で、<木曜から日曜までの県外往診は健康保険診療として認めない。昭夫医師の勤務は<月曜から木曜午前中までの3.5日だけだから>ということになり、健康保険を利用しての投薬が出来なくなったのだ。
私は「勤務時間を週7日にして保険診療をさせてくれよ」と要求したのだが、謙太郎理事長の「それはさせません」という独断一言で片付けられていたのだ。
まさにヤクザの親分の言葉なのだが、私は、仕方がないから新しいクリニックを作るしかないと考え、クリニックが出来るまでは保険外診療で薬を届けようと考えて行動していたのだ。
そこで、スイゲン薬局から薬を貰おうと考えた。ところが曖昧な返事。どうやら「昭夫先生の要求には従わないで、薬は渡さないでくれ」という若草病院からの要望が入っていたらしくて、貰えない結果になったのだ。
そのことがもっと早い時間にわかっていたら、他の薬局と交渉できたのだが、熊本行きのバスの出発時間は12時27分。もう1時間も余裕がないということで、若草病院薬局の水野薬局長(私の弟・水野弘一の娘)に頼ることになったのだ。
薬局長の方にも「昭夫先生の要求には従わないでくれ」という指令が入っていたらしく、かなり迷ったようだ。
私は「ともかく今日、薬を持って行かないとならない。患者さんを救いたいんだぜ。職場では命令に従わなければならないだろうけど、薬を出すことで何の被害者も出ないんだぜ。
『俺に対して意地悪する手伝いをして』と言ってる要求に従わないだけじゃないか」と依頼して出してもらったのだ。
「叱られることを覚悟で」と言って手渡してくれたのだが、私の姪っ子である薬局長は立派な人格者と言われてしかるべきであろう。
ブーイングを恐れずに、一人の患者さんのために動いてくれたのだから。

④命令に従うだけでは駄目
ちゃんと意見を出し合って、理解しあって楽しい職場にしていこうよ。命令に従うだけでは心の誇りは生まれない。楽しい職場は生まれない。
今のままでは、まさにヤクザの世界と一緒。もっと人間的な心豊かな空間にして行こう。
「県外往診をさせたくない」という発想はどこから生まれてくるのかなあ。私に対する虐めとしか考えられない。
「治療に行こうとしない患者さん、連れていけない家族」」は全国に溢れているのだ。私としては、大空館と大空別館の周辺の自立支援アパートを拡充し、往診家族療法の村を拡大して行き、全国の引きこもりを救い出したい。
だけど現在の如月会の執行部はそれを阻止したいらしい。そこで、大空クリニックを作る準備をしている。
⑤大空クリニックのこと
精神科クリニックの新設計画書そのものを掲載しておく。
大空クリニック(往診・家族療法)
患者さんも頑張ろう!!
しかし、皆も力を合わせて家族、学校、周りの社会全体を変革して行こう!!
ア)場所 宮崎市松山2丁目2番地6号  (大空館別館の北角。文宣の跡)
建物の所有者  株式会社健康医療開発
イ)開設予定日  2017年7月1日   
ウ)診療科目   精神科及び内科
エ)目的

①在宅医療の推進(成るべく入院させず、本人の自由意思を尊重する)。
② 往診・訪問看護・デイケアなどを連携させ、チーム医療を積極的に進める。
③<治療に行こうとしない患者、連れて行けない家族>のために家まで出かけ、親密な関係を作り家族の一員であるが如く介入する。(往診家族療法)
④「薬物の大量投与」「電気ショックの使用」などは治療ではなく、家族や社会一般の安全だけを考えた「管理処置」。絶対にしてはならない人権侵害>と、社会全体に知らせることも大切な目的。

オ)具体的診療手段
1.医師による精神療法(往診家族療法 個人カウンセリング)および薬物療法
2.心理療法士による、心理カウンセリング
3.看護師、精神保健福祉士(PSW)、作業療法士(OT)を中心とした以下のような手段
①訪問看護②デイケア③作業療法
※対人交流を活発にさせ、集団適応訓練を図る手段なのだが、これも家族療法の一環と考えることができる。医師もその他のスタッフと対等な位置関係のチーム医療。
4.<家庭内での生活が困難な人>のためには自立支援アパートでの生活が有効である。ここで生活できるように訪問看護などの手段を使って支援する。
カ)当面の従業員数
・精神科医師 1名(私が高齢なので、早めに2人~3人に増やしたい)
・看護師 3名(なるべく早めに、5名前後まで増やしたい)
・精神保健福祉士 1名(なるべく早めに、3名前後まで増やしたい)
・作業療法士 1名
・心理療法士 1名(なるべく早めに、3名前後まで増やしたい)
キ)敷地の面積及び平面図 、建物の構造概容および平面図 別紙添付
ク)診療時間・診療の日時  
・月曜から金曜までの午前9時から午後5時 
・電話により受け付ける場合には日時を選ばない。
⑥これからも仲良く
大空クリニックは医療法人如月会とは完全に別個の治療機関となりますが、感情的なものは捨てて、なるべく仲良くやっていきましょう。お互いに協力し合えるものは山ほどあるのですから。
医療法人如月会が変な形で崩壊して行かないように、ちゃんとした会話が出来るようになるまでは医療法人の社員は辞めません。私と理事長と事務長の3人が医療法人の社員なのですが、理事長と事務長の出資額は二人とも0で、100%が私の出資です。真面な会話が出来るようになるまでは見守ってやらなければならないようです。
統合失調症とか躁鬱病、認知症、発達障害などの病気は<脳細胞の生理学的な異常>から引き起こされる心の不健康で、内因性障害と言われます。悩み、良い人間関係が取れなくて集団の中に入って行けずに引き籠る、暴力、窃盗、殺人、テロ、戦争などは<心理的異常>から引き起こされる心の不健康の結果で、心因性障害と表現されます。
心の不健康を作るのは<その子供が育つ過程で受ける「周りの人達からの様々な影響」なのです。「周りの人達」とは以下のように整理して良いでしょう。
一番は家族(両親・兄弟)、
二番は学校及び居住地域の住民、
三番は国家権力に支配された様々な集団。そこで、<世界中の殺戮兵器を無くすために、国連を正常化しよう。それは5大国特権を廃止して、世界中が平等になることだ>と主張してきたのです。
その看板を外されるのは俺の命を落とされるようなもの。そこで、裁判を継続することになったのですが、私の弁護士が作ってくれた和解案を読んでくれないかな? 裁判せずに和解に持って行けるのが一番良いこと。
⑦和解案
解決提案書(解決案の骨子)
<ア>解決のための前提条件
① 貴殿ら(水野松子,坂手葉子,水野謙太郎,大坪裕助,水野学を指します。)は,水野昭夫が自ら引退を決意するまでは,水野昭夫がその信条に従い,医業を行うことを認め,これに協力する。そのための方法として,水野昭夫が「大空クリニック」を運営する大空別館について,水野昭夫が使用収益を継続することを認める。
② 水野昭夫は,医療法人如月会の経営には関与せず,貴殿らがその信条に従い,病院を経営することを認め,これに協力する。そのための方法として,医療法人如月会が所有を希望する不動産については,所有権移転に異議を述べない。
<イ>健康医療開発の経営権について
①健康医療界初の健康医療開発の各人の保有株式数については,平成28年9月12日付け検査役調査結果報告書(弁護士谷口悟作成)添付の株主名簿表の記載を前提に,各人の保有株式数を確認することに同意します。
②ただし,上記「1の(1)」の実現のため,健康医療開発については,水野昭夫が健康医療開発を経営し,その収益は健康医療開発の運営のために利用します。
具体的には,貴殿らは,水野昭夫が代表者に選任されるように健康医療開発の議決権を行使し,水野昭夫がその裁量で健康医療開発を運営することを認めます。
③また,健康医療開発の株式の整理のため,株式の買い取りを希望する者に対しては,その投資額の支払いを自社株買いの方法で行いたいと思います。
<ウ>不動産の処理
①医療法人如月会が購入を希望する不動産(如月大空館,花見運動場を含みます。)については,売却に応じます。売却金額については,協議して決めたいと思いますが,不動産の売却代金は,健康医療開発の運営のために利用します。
②ただし,水野昭夫が「大空クリニック」を運営する大空別館については,売却の対象とはしません。また如月大空館に掲げていた看板を,大空別館で継続して使用する意向です。
③本合意書で売却対象とされない不動産については,健康医療開発において使用収益を継続します。
<エ>医療法人如月会の退職
花見運動場の件は,既に開発許可を取得しておりますので,平成29年5月退職時点で支払いを留保された残額4800万円の支払いを求めます。
<オ>医療法人如月会の退社
水野昭夫は,医療法人如月会の社員を退社し,以前作成された「持分の払戻しに関する合意書案」を前提に,水野昭夫と医療法人如月会関係を清算します。



大空クリニック
〒880-0865 宮崎県宮崎市松山2-2-6
TEL代表(携帯) 080-1747-1616
TEL医療連携室 080-7823-9603
FAX・TEL 0985-33-9528

Copyright (c) All Rights Reserved.