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投げ抜いた萩原康弘選手(3年)=霞ケ浦 |
4回裏、ゴロの処理をもたつく間に一、三塁とされた。この回だけで2死から9失点。白山の主戦、萩原康弘君(3年)は腰の踏ん張りが利かず、立っているだけで苦しかった。でも、マウンドに集まった内野陣と空を見上げると、うれしかった。
「野球ができるんだ」
中学生の時、地元の町立白山中学校は強豪だった。主戦として県大会を制し、全国大会に出場。チームの仲間は県内の有力校に進んだが、萩原君は地元の白山を選んだ。
初めての夏は1年生ながら初戦で高田を完封。3年生までに甲子園までの階段を上がるはずだった。だが、昨夏の大会後、部員は3人に。入部勧誘のビラを配って回り、春までに8人が入った。そのままでは満足にキャッチボールができない部員ばかり。でも、満足だった。
大会前の6月、投球中に腰を痛めた。椎間板(ついかんばん)ヘルニア。歩くのもつらく、ほとんど投球練習ができないまま大会を迎えた。初戦のあけぼの学園戦は本調子からはほど遠かったが、9回を完投し、15―12で振り切った。全員でつかみ取った勝利には、中学生の時とは違う喜びがあった。「やれる」。下級生の目つきも変わった。
迎えた近大高専戦。相手は優勝候補を下し、勢いに乗っている。腰の切れが悪くなるからと、患部のコルセットを外して臨んだ。
3失点でしのいで迎えた4回裏。2死としたところで、打球は左中間に舞い上がった。「チェンジ」と思った瞬間、中堅手と左翼手が互いに見合ってしまい、走者3人が生還。萩原君はがっくりうなだれたが、すぐに外野へ手を振った。「ここで怒ったら、誰が引っ張る」
結局、4回だけで14失点。直球は力なくはじき返され続けた。それでも、周りの下級生に励まされると、力がわいた。
5回表、自分の前で代打が出た。ここまでついてきてくれた1年生が、必死で球にくらいついた。チーム唯一の3年生は、大差で敗れた試合後、後輩を前に大声で言った。「おれたち11人はよく頑張った」
そう言うと、3年間の思いが一気に募り、涙がこぼれた。