道具と神経

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五感というと、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚となるが、触覚とはずいぶんわかりづらいものである。ひとまず指で何かに触った手触りが触覚ではあるのだろうが、実際は指先の表面の接面だけでなく、その先まで触覚は世界を把握している。われわれは普段からいろいろなものの感触をつかんでいる。道具には神経が通っていないが、通っている。たとえば野球選手がバットを構えてボールを打つ。この場合、腕には神経が通っていて、バットには神経が通ってないわけだが、硬球と軟球では感触が違うであろうし、真芯とバットの先でも感触が違う。バトミントンでもテニスでもフェンシングでも何でもいいが、手で握って何かを使うとして、おそらくそれは手の一部なのである。ペンで文字を書くとすれば、そのペン先の感触を確かめているわけである。ペンに神経は通っていないが、それでもペン先の感触は確かにある。われわれはブラインドタッチができるわりには、パソコンのキーボードの配列を記憶してないことが多いが、おそらくキーボードが指と一体化しているからであろう。自転車を漕ぐとして、おそらく自転車はわれわれの肉体そのものなのである。砂利道の感触とか土やコンクリートの感触とか、それを自転車のタイヤで感じているのである。道具を介した場合でも、われわれは肉体へのフィードバックをかなり得ている。むしろそれこそが触覚の本質であるだろう。筆をとって書道をやるとして、直接触れている木の感覚だけでなく、毛筆の微細な感覚や、半紙の質感、下敷きの素材、もしくは文机そのものの硬さまでありありと伝わってくるのが大事なのである。もしそれが伝わらないとしたら世界はかなり貧しいものであろう。
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