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妻を数カ月無視した夫…離婚裁判で驚きのホンネが。深すぎる“日本のジェンダー問題”が背景に

彼らが言う「立てる」とは、辞書で「人を自分より上位に置いて尊重する」と説明されているものです。これも、ケアの一種です。尊重され、気遣われ、お世話されるのは当然だと思っていれば、妻が自分を「ケアしてくれない」ということを、自分の「被害」であると感じるのでしょう。 話を聞いていると、まるで赤ちゃんだと感じることもあります。まだ言葉を話せない幼い子が泣いていると、周りの大人が「ミルクかな? 抱っこかな? 眠いのかな?」と考えながら対応します。それでも泣いている理由がわからないことも多いのですが、なんとかしてそのニーズを汲み、満たしてあげようと努めます。

「自分のことは自分で」だけでなく

赤ちゃんならそれが当然の要求ですが、それを成人が自分の当然の権利であるかのように要求し、満たされないことで不機嫌になったり「自分は被害者だ」と傷ついたりしているのです。 家庭のなかで自分が「ケアをする主体である」という男性は、年代が上になるほど、女性に比べ圧倒的に少ないと感じます。 若い世代も、油断できないと思います。いまどきは男の子も「自分のことは自分でできるように」と教わりますし、大人になればひとり暮らしをする人もいます。多くの男性が、およそ家事ができないというわけではない。それなのに、家族のほかのメンバーのケアをするという発想にはつながらない傾向にあるのは圧倒的に男性が多いです。

自分で朝食を作るけど…

たとえば自分の朝ごはんだけ自分で作り、子どもの朝ごはんは気にせず出かけてしまう夫、のような話を離婚事案では聞きます。自分のことを自分でできるという「自立」と「他者へのケア」は別ものなのだと感じさせられます。 自立さえできればいいというわけではなく、ケアが必要な存在へのケアを主体的にやるという意識を、性別問わず(特にいまあまりそう言われない男の子に)持たせないといけないと思います。 <構成/三浦ゆえ>
三浦ゆえ
編集者&ライター。出版社勤務を経て、独立。女性の性と生をテーマに取材、執筆を行うほか、『女医が教える本当に気持ちのいいセックス』(宋美玄著、ブックマン社)シリーズをはじめ、『50歳からの性教育』(村瀬幸浩ら著、河出書房新社)、『リエゾン-こどものこころ診療所- 凸凹のためのおとなのこころがまえ』(三木崇弘著、講談社)、『新生児科医・小児科医ふらいと先生の 子育て「これってほんと?」答えます』(西東社)などの編集協力を担当。著書に『となりのセックス』(主婦の友社)、『セックスペディアー平成女子性欲事典ー』(文藝春秋)がある。
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