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妻を数カ月無視した夫…離婚裁判で驚きのホンネが。深すぎる“日本のジェンダー問題”が背景に

性教育が遅れている、といわれて久しい日本。近年はようやく変化の兆しが見えてきました。学校教育に問題は多くとも、幼少期からの性教育が大事という考えは社会にだいぶ浸透してきたと感じます。子ども向けの性教育コンテンツや、親子で読める書籍も多数出版され、ちょっとしたブームの様相を呈しています。
握手 男女 夫婦 パートナーシップ

写真はイメージです(以下同じ)

そんな子ども向けのコンテンツを見て、「自分ももっと早くに知っておきたかった……」と思った大人は多いはず。性について知らないがゆえにつまずいた経験を振り返ってみてください。そのなかには、性について知ってさえいれば回避できたかもしれないつまずきもあったのではないでしょうか。 性とは人間関係を築く土台となるもの。40歳を過ぎても、50歳を過ぎてもそれぞれのライフステージで、私たちは人と関わります。人生100年時代、いまから性を学んでも遅くありません。たとえば「パートナーシップ」について。 弁護士の太田啓子さんは離婚事案を多く担当していると日本のパートナーシップ問題点、ひいてはジェンダーの問題が浮かび上がって来ると言います。特に注目すべきは、ケアを誰がどのように行っているか、です。 (以下、『50歳からの性教育』第5講「パートナーシップ~相手への尊重と傾聴~」より本文を抜粋、一部編集を加えたものです)

ケア「する側」と「される側」

ケアとは、ただ料理をする、洗濯をする、赤ちゃんのお世話をするということにとどまらず、その前段階にある「相手が何を求めているのかというニーズを汲み取る」というステップも含まれます。それを先回りして汲み取り、提供することが家事や育児なのです。 相手の、いまだ言語化されていないニーズを読み取るというのは女性が幼いころから求められがちな役割で、「気遣い」と言われるものも、それに当たります。気遣い自体は何も悪いものではありません。しかし、パートナー間で気遣いを「する側」と「される側」がいつも固定していたり、一方だけが「気遣い」することが当然視されることは、悪いことだと思います。

女性は「気が利く」ことを求められる

もともと女性にはそうした「気遣い」ができる性質が備わっているとか、得意だとかいうわけではありません。それができれば賞賛され、できなければ「気が利かない」などと言われる社会に適応するため、獲得されたものです。 男性は、一般的に気を遣われる側として成長します。だから離婚調停のプロセスで離婚を申し入れられた夫たちの話を聞くと、自分が「ケアされる」側であることを当然として疑問を持っていないのだと感じることが多々あります。それが暴力的な形で現れた例を、ひとつ紹介します。
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妻を数カ月にわたって無視した男性の言い分とは
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