そう言われると、とも子はいつも「私の母が強かったから」と答えている。誹謗中傷で自殺してしまう人もいるが、死にたいと思ったことは一度もないと断言する。とも子が7歳の時に父は事故で他界した。母は3人の子どもを1人で育て、弱音や愚痴を言うことはなかった。成人式にとも子が育ててくれたお礼を言ったら、「私のおかげじゃなく、周りの人たちが助けてくれたおかげだよ。そして私もあなたたちのおかげで生きてこられた」と母は言った。
とも子は考える。もしも母の背中を見ていなかったら、そういう姿を知らなかったら、「なんでうちの子だけ、なんで私だけ」と絶望の淵に突き落とされただろう。でも、人間は周りの人の助けの中で生きていることを母から学んだ。
「いなくなったのがうちの子で良かったとは決して思わないけれど、他の家の子じゃなくてよかったとは思います」
強くあろうと立ち上がる母の決意
母譲りの強さは、美咲にもまた受け継がれているのだろうか。
「美咲もとても似ています。だからどこかで朝の希望を持ち、強く生きていてくれていると信じています」
美咲の1年生の通知表には「悪いことは許せない正義の味方で、ルールを守らない友達には注意することができました」と書かれていた。
人は自分のことなら絶望もできるが、わが子のことは容易に諦められない。その母の思いが希望に繫がっているのだろう。20年前に取材で泣いた私は、とも子の話では涙が出なかった。受け渡されたのは悲しみだけではなく、強くあろうと立ち上がる母の決意だった。
取材後の2022年には捜索に大きな進展があり、事件の結末が報じられた。小倉とも子さんの、その後のエピソードは書籍『母は死ねない』(179~190P)に収録。
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