文春オンライン

2023/04/16

genre : ライフ, 社会

 前面に出るとも子に対する誹謗中傷は大きくなっていく。その内容は、髪を切った、カラーリングをしたといったものだったが、カラーリングはもともとキャンプの直前にしたばかりだったし、髪は美咲を捜しやすくするために美咲と同じ長さに自宅で友達に切ってもらっただけだった。

 着飾りたかったわけではない。それからは非難されないようにと、化粧もせず、地味な服を着て、伏し目がちに話すようになった。本当はこれ以上もうメディアに出たくはなかったけれど、警察からは「お母さんが出ると情報が集まる」と言われていたから、やめる選択肢は考えなかった。

「誹謗中傷をこれ以上受けないように、自分を繕っていたところがありました。非難されないように、目立たないようにしていました。でも、娘がどこかでテレビに映る自分の姿を見ていたら、『こんなボロボロになって泣いていて、私のせいでお母さんがおばあちゃんになっちゃった』と悲しむのではないかと思いました」

 とも子がおしゃれをすると、美咲はいつも「ママかわいい」と喜んだ。それなのに、とも子は批判を恐れて着たくもない服を選んでいた。しかし、それでは長女と同じように、自分が自分でなくなっていたのだと気がついた。行方不明になる以前と同じ服装と最低限のマナーとしての化粧をして、取り繕わない姿でメディアに出ようと決意した。

「お母さん、変わりましたね。一年経って、もっとくしゃんとなっているかと思ったら、這い上がりましたね」

生活を立て直すとき

 メディア関係者からもそう声をかけられた。それまでとも子は、一年で娘を見つけることを目標にして生きてきた。その期限が過ぎてしまい、娘が帰ってくるのは1年後2年後3年後なのかわからない。自分が取り乱していたら気持ちがもたないから、落ち着いて冷静に前を向き、その時にできることをやっていこうととも子は思った。日常の生活を、長女との暮らしを大切にする。美咲が戻ってくる環境を整える。少しずつ生活を立て直そう、と。

 一年が過ぎたのを機に、これからは誹謗中傷とも戦うことも考えている。それまでは「誹謗中傷が苦しい」と言っても、「自分がつらいとかどうでもいいでしょう。美咲ちゃんが一番つらいはず。悲劇のヒロインをきどっているんじゃないよ」と批判されることを避けるため、二の次にしてきた。しかし一年が経って、どう足搔いて走り回っても、すぐに娘を助けられるわけではないこともわかった。

「今は美咲が忘れられてしまわないために活動を続けている。誹謗中傷も報道してもらうきっかけになればと考えています」

 とも子は小さい頃からいじめっ子がいると見て見ぬふりができず、注意をする性格だった。自分たちを誹謗中傷する人は、いつかまた他のターゲットを見つけて追い詰めるかもしれない。見過ごすことはできないと思った。

 この家の時間は一見止まっているように見えたが、実はそうではなかった。美咲と同じ長さにしたというとも子の髪が背中まで達するくらい、時間が流れていた。

「よくそんなに強くいられますね」