Athletic Center早稲田大学 競技スポーツセンター

Waseda Sports

早稲田スポーツ

Olympic and Paralympic Games

オリンピック・パラリンピック

早稲田スポーツの伝統は、オリンピック・パラリンピックという最高の檜舞台で、これまでに学生・校友ともに数多くの選手を輩出し、幾多の栄光を刻んできました。

夏季オリンピックと早稲田

ph_olympic早稲田大学からの夏季オリンピック初出場は、1920年(大正9年)第7回アントワープ大会にマラソン・ランナーとして参加した三浦弥平で、参加49名中24位という記録を残し健闘しました。ちなみに三浦は、同年の第1回箱根駅伝大会で第5区(山登り)にも出走しています。

メダリストとしては、1928年(昭和3年)第9回アムステルダム大会の陸上三段跳びで、織田幹雄(写真右)が日本人として初の金メダル獲得という快挙を成しとげ、水泳では高石勝男、新井信男、米山弘3名(800mリレー)が銀メダル、さらに高石勝男(自由形100m)が銅メダルを獲得しました。

友情の分割メダル

友情のメダル

1936年(昭和11年)第11回ベルリン大会では、陸上・棒高跳びの、西田修平が、勝ち残った日本選手2名、アメリカ選手2名による夜まで続く激闘を繰り広げました。この大勝負は、オリンピック史に残る名勝負として語り継がれています。このとき慶応義塾大学の大江季雄選手と2位と3位を分けあい、後にお互いの銀銅のメダルをつなぎ合わせた「友情のメダル」は、かつて織田幹雄氏の文章で小学校の国語教科書にも掲載されました。

また、アジア初の開催となった1964年(昭和39年)東京大会では、学生25・校友18合わせて43名の選手が出場し、上武洋次郎(写真:下左)がレスリング・フリースタイル・バンタム級で金メダル、岩崎邦宏と岡部幸明が水泳800mリレーで銅メダルを獲得しました。その後も早稲田関係者からのオリンピック選手は、釜本邦茂(サッカー/写真下中央)、加藤武司(体操)、太田 章(レスリング90キロ級/写真下右)、瀬古利彦(マラソン)、ヨーコ・ゼッターランド(バレーボール・米国代表)をはじめ、近年では、竹下百合子(カヌー)、北川麻美(水泳)、坪井保菜美(新体操)、和田毅・青木宣親(野球)、竹澤健介・ディーン元気・野澤啓佑・大迫傑(陸上)、藤井拓郎・中村克・星奈津美・瀬戸大也・坂井聖人・渡辺一平・渡部香生子(水泳)など数多くのアスリートを輩出しています。

hosjimedal2012年のロンドンオリンピックでは、藤井拓郎(水泳)は競泳4x100mメドレーリレーで銀メダル獲得、2大会連続でメダルを獲得しました。星奈津美(水泳)が早大史上初となる現役女子学生の五輪メダル獲得(銅メダル)を成し遂げました。

 

 

 

南米で初開催となった2016年の「リオデジャネイロオリンピック」には、早稲田大学の学生・校友が19名が出場し、3つのメダルを獲得しました。
水泳の男子200メートルバタフライで坂井聖人(スポーツ科学部3年)が銀メダルを獲得。男子400メートル個人メドレーでは瀬戸大也(スポーツ科学部4年)が銅メダルを獲得しました。OGではオリンピック3大会連続出場となった星奈津美(2013年スポーツ科学部卒)が女子200mバタフライで2大会連続となる銅メダルを獲得しました。

 

「東京2020オリンピック」は新型コロナウィルス感染症の影響により2020年の開催予定から1年延期され2021年に開催されました。開会式の旗手は須﨑優衣(スポーツ科学部4年)が務めました。本学からは学生8名・校友22名が出場し金メダル2つ銀メダル1つを獲得しました。レスリング女子50㎏級では須﨑優衣が女子在学生で初のオリンピックでの金メダルを獲得。フェンシング男子エペ団体では加納虹輝(2020年スポーツ科学部卒)が金メダルを獲得しました。バスケットボール女子では本橋菜子(2016年スポーツ科学部卒)が銀メダルを獲得しました。

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©フォート・キシモト

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冬季オリンピックと早稲田

日本の冬季大会への初参加は、1928年(昭和3年)第2回サンモリッツ大会。この大会ではスキー・ノルディック種目の日本代表選手6名のうち、5名が早大生でした。また1964年(昭和39年)インスブルック大会では福原美和(スケート・フィギュア)が5位入賞を果たしています。

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2014年ソチオリンピック・パラリンピックには、早大関係から13名の選手、5名の指導者・スタッフが参加しました。羽生結弦(人科通信)がフィギュアスケート男子個人では、日本勢初の金メダルを獲得しました。早大在学生の金メダル獲得は、1992年アルベールビル大会・ノルディック複合・荻原健司(1992年人科)以来、22年ぶりの快挙です。また、渡部暁斗 (スキー)がノルディック複合個人ノーマルヒルで銀メダルを獲得。ノルディック複合・日本代表選手のメダル獲得は、1994年リレハンメル大会の荻原健司ほかの団体・金メダル、また個人でも銀メダルを獲得した河野孝典(1991年人科卒)以来20年ぶりでした。記憶に新しい2018年平昌オリンピック・パラリンピックには、早大関係から13名の選手、13名の指導者・スタッフが参加しました。羽生結弦(人科通信)がフィギュアスケート男子個人では、2連覇の快挙。また、渡部暁斗 (スキー)がノルディック複合個人ノーマルヒルで2大会連続の銀メダル獲得。さらに、パラリンピックでは、村岡桃佳(チェアスキー)が金メダルを含む全種目5種目でメダルを獲得しました。在学中の金メダル獲得は、早稲田大学の女性アスリートで史上初の快挙となりました。2022年の北京オリンピック・パラリンピックでは学生7名、校友12名が出場。競技パートナーとしても1名が出場しました。特にオリンピックではノルディック複合団体で渡部暁斗、渡部善斗、永井秀昭、山本涼太の早稲田大学出身者による「オール早稲田」で臨み、見事銅メダルを獲得しました。

 

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早稲田大学の学生・校友のオリンピック選手と成績

夏季オリンピック

  • 選手
    合計343名【学生188名、校友155】
  • メダリスト
    学生/金メダル5、銀メダル13、銅メダル6
    校友/金メダル5、銀メダル7、銅メダル15

冬季オリンピック

  • 選手
    合計125名【学生46名、校友79名】
  • メダリスト
    学生/金メダル3
    校友/金メダル4、銀メダル3 銅メダル5

パラリンピックと早稲田

パラリンピックに多くの学生、校友が出場し、近年では、佐藤真海(陸上)、多川知希・芦田創(陸上)、木村潤平・鈴木孝幸(水泳)が活躍しています。河合純一(水泳)は、1992年のバルセロナ大会以来、アトランタ、シドニー、アテネ、北京、ロンドンと6大会連続で出場し、金メダル5つを含めた21ものメダルを獲得しています。また、鈴木孝幸(水泳)は、北京大会、ロンドン大会と競泳チームの主将を務め、金メダル1つを含め、5つのメダルを獲得しています。冬季の平昌大会では、村岡桃佳(スキー)が旗手を務め、金を含む5個のメダルを獲得しました。2022年の北京大会では日本選手団の団長を務めた村岡桃佳が出場5種目で金メダル3つを含む4つのメダルを獲得しました。

パラリンピック出場者と成績

早稲田のレジェンドたち

織田 幹雄

競走部出身。広島県で生まれた織田は、中学生の時に陸上を始めると走幅跳や三段跳で驚異的な成長を見せ次々と日本新記録を塗り替えていった。早大学院を経て早大商学部へと進学し早大競走部に入部、黄金時代を築き上げるとともに早稲田スポーツの草分けとなる。そして1928年のアムステルダムオリンピックに選ばれると三段跳で金メダルを獲得、これが日本人初の金メダルとなった。第一線から退いた後も陸上の指導者として選手の強化、及び陸上競技の普及に貢献した。特に東京五輪に向けての選手強化を一任され、日本人メダル獲得のために尽力した功績は大きい。現在、晩年まで指導を続けたその姿から「陸上の神様」や「日本陸上会の父」と呼ばれる。また織田の名を冠した競技場や賞が存在することは、今も織田への尊敬の念がやまない証拠であろう。故郷の広島県海田町には織田の功績が展示されている。

高石 勝男

 水泳部出身。1906年に大阪府で生まれた高石は、中学生の時に学校の必修授業であった水泳を始める。18歳当時にパリオリンピックで100m、150m自由形の両方で5位入賞。日本人初のオリンピック水泳入賞を果たした。22歳の時にアムステルダムオリンピックにて、男子800m自由形リレーで銀メダル、100m自由形で銅メダルを獲得。生涯を通し合計で3度のオリンピックに出場した。また、1964年の東京オリンピックでは水泳日本代表総監督として日本人選手の育成に心血を注いだ。また、日本水泳連盟会長などを歴任し、内閣府から紫綬褒章を受章するなど、日本を代表する水泳界のレジェンドである。早稲田大学の『高石記念プール』は高石の功績を記念して建設された。

南部 忠平

 競走部出身。1904年に北海道で生まれた南部は、現在の北海高等学校在籍時から陸上において優秀な成績をおさめる。階段や雪道でのトレーニングで足腰を鍛え、競争馬のスタートから走りを学んだ。早稲田大学在学中の1928年にはアムステルダムオリンピックで陸上男子三段跳びで4位に入賞し、織田幹雄と共に練習を積んだ。1932年ロサンゼルスオリンピックでは、同種目で金メダル、走幅跳びでは銅メダルを獲得するという世界的快挙を成し遂げた。引退後は日本陸上競技連盟強化部コーチ・1964年東京オリンピック日本陸上チーム監督などを歴任。現役時代の実力の高さや引退後の功績から、陸上競技の黄金期である当時、先駆者として切磋琢磨していた織田幹雄、西田修平とともに「ビッグスリー」との異名を持つ。1992年には国際オリンピック委員会から功労賞を受賞。

西田 修平

1936年ベルリン五輪陸上棒高跳びで、優勝を目指し4メートル35の記録に挑戦する西田修平氏

 競走部出身。1910和歌山県で生まれた西田は、現在の和歌山県立藤蔭高等学校を卒業後、早稲田大学出身の競走オリンピアである織田幹雄に影響されて早稲田大学に進学。在学中の1932年にはロサンゼルスオリンピックで棒高跳で銀メダルを獲得。4年後のベルリンオリンピックでは大江季雄と2位・3位を分け合い、帰国後にお互いのメダルを切断し、半分を交換して再び接合した「友情のメダル」を製作したエピソードは、道徳の教科書に掲載されたこともある。アスリートとしてフェアプレーの精神を忘れなかった西田らしいエピソードである。競技引退後も審判や監督として活躍。日本陸上競技連盟理事長に就任し、日本オリンピック委員会委員としては、「モスクワオリンピック」の参加を問う総会の投票に参加するなどした。

山中 毅

 水泳部出身。1939年、石川県で生まれた山中は、母親が海女であったことからも幼い頃から水に親しんでいた。石川県立輪島高等学校在学中の1956年メルボルンオリンピックに出場し、自由形400mと1500mの2種目では、2位で銀メダルを獲得した。早稲田大学進学後の1959年、自由形200m、400mで世界新記録を樹立。1960年ローマオリンピックでも、自由形400mで銀メダルを獲得。早稲田大学卒業後、南カリフォルニア大学に留学し、1961年には、2ヶ月間に自由形200mの世界新記録を3度更新するなど、南カリフォルニア大学の黄金時代を築いた。1964東京オリンピックにも出場し、400m自由形で6位入賞している。生涯成績はオリンピアとしても優秀で、3度のオリンピックで延べ7種目に出場し、4個の銀メダルを含めてすべて入賞。競技引退後は、イトマンスイミングスクールの取締役を務め、1983年には、「国際水泳殿堂」に選出された。

上武 洋次郎 

 レスリング部出身。1943年群馬県で生まれた上武は、群馬県立館林高等学校時代にレスリングを始める。早稲田大学への進学後、オクラホマ州立大学に留学。オクラホマ州立大学時代の1964年全日本レスリング選手権でフリースタイル・バンタム級で優勝し、東京オリンピックの代表選手に選ばれ本番のオリンピックでも金メダルを獲得。4年後の1968年メキシコシティーオリンピックでも優勝しオリンピック連覇を果たした。上武は現在まで日本の男子レスリング選手唯一の五輪連続優勝選手である。現役引退後は婿入りで小幡洋次郎に名を改め、妻の実家の旅館業に携わり、栃木県足利市と故郷館林でホテルを経営。その一方で群馬県立館林高等学校レスリング部OB会会長も務めるなどレスリングの普及にも尽力した。また、上武の名を冠した『上武洋次郎杯少年レスリング大会』が開催されるなどジュニア選手育成にも貢献している。

釜本 邦茂

 1944に京都府で生まれた釜本は、市立太秦小学校でサッカーを始める。中学生時代の大会にて優勝すると、高校選手権で戦った森孝慈らと共に日本ユース代表に選出され、第4回アジアユース大会に出場。1963年早稲田大学入学。関東大学リーグで優勝を果たし、11得点で得点王に。この年を含め4年連続得点王となる。主将として第5回アジアユース選手権にも出場し、1964には日立製作所を破り天皇杯優勝。3年後にも天皇杯で東洋工業を破り優勝。なお、こ1968年メキシコオリンピックでは、日本史上最高のストライカーとして7得点を挙げて得点王に輝き、日本代表の銅メダル獲得にも大きく貢献。2005年には第1回日本サッカー殿堂入りした。現在、サッカー日本代表の男子の単独最多得点記録保持者である。1984年に引退後、サッカー番組のキャスターを経て、1991年松下電器の監督に就任。現在は日本サッカー協会顧問。

森 孝慈

 ア式蹴球部出身。1943年、福山市西町で生まれた森は、中3の卒業間際からサッカーを始める1962年に早稲田大学第一政治経済学部に入学し、ア式蹴球部に入部。早稲田の黄金時代を創った。第43回と第46回天皇杯全日本サッカー選手権大会で天皇杯制覇。大学卒業後は三菱重工の主力選手として活躍。日本代表としても、1967年のメキシコオリンピック予選前から32試合に連続出場し、メキシコシティオリンピックでは銅メダルを獲得。論理的な試合展開が評価され、引退後の1980年、コーチに就任して一時代を築く。革新的なチーム作りで韓国や海外の強豪クラブを破るが、1985年、ワールドカップ出場まであと一歩のところで敗戦。この敗戦で森は、日本でのプロの必要性を痛感。浦和レッドダイヤモンズ創設、Jリーグ入りが決定すると、チーム作りのために自ら身を粉にして働いた。1992年からはレッズの監督に就任。2011年、その死を惜しんで多くのサッカーファンが献花に集った「浦和レッズの父」は、日本サッカー界の巨人である。

宮本 征勝

 ア式蹴球部出身。1938年茨城県で生まれた宮本は、茨城県立日立第一高等学校でサッカーを始め、1956年の第35回全国高等学校サッカー選手権大会でディフェンダーとして準優勝し、得点王および最優秀選手に選出される。1957年、早稲田大学第二商学部に入学して早稲田大学ア式蹴球部に所属すると、在学中の1958年にサッカー日本代表に選出された。大学卒業後、1961年から古河電気工業サッカー部に入団し、1972年まで日本代表として活躍。1968年の1968年メキシコシティーオリンピックで開催国のメキシコ代表を破り、アジアでは初めての銅メダルを獲得。1974年の引退後は、1978年から4年間早稲田大学、1983年から6年間本田技研工業の監督を歴任。1992年から1994年まで鹿島アントラーズの初代監督に就任し、1993年に優勝すると、同年の第73回天皇杯全日本サッカー選手権大会で準優勝の成績を残した。1995年に清水エスパルスの監督に就任。宮本の力強いプレーや生涯は、今なお多くのサッカープレーヤーに希望を与える。

八重樫 茂生

 ア式蹴球部出身。八重樫は、盛岡一高時代では1951年の全国高等学校サッカー選手権大会に東北代表として出場。高校卒業後中央大学へ進学し、同年の関東大学サッカーリーグで新人王を獲得すると、早稲田大学に編入。早稲田の快進撃の原動力として活躍し、在学中に日本代表入りし、1956年メルボルンオリンピックに出場。大学卒業後は古河電気工業へ入社し、活躍。1963年には第3回日本年間最優秀賞を受賞し、東京オリンピックではベスト8進出に貢献。1965年に日本サッカーリーグが発足すると、1967年には選手兼任監督を務めた。メキシコシティオリンピックでは主将として出場したが、初戦で靱帯断裂の怪我を負ったもののサポートに徹して銅メダル獲得。1969年の引退後は日本ユース代表監督・ミュンヘンオリンピック日本代表コーチを経て、富士通サッカー部で総監督・監督を歴任。Jリーグ発足後はジェフ市原の育成部長・スーパーバイザーを歴任し、2005年には第1回日本サッカー殿堂入り。

松本 育夫

写真左:1968年メキシコ五輪 決勝トーナメント準決勝戦、対フランス。右ウィング松本がヘディングで中央にボールを回した瞬間

 ア式蹴球部出身。1941年に栃木県で生まれた松本は、宇都宮工業高等学校時代からサッカープレーヤーとしての将来を嘱望される。早稲田大学第二政治経済学部経済学科に入学し、ア式蹴球部に入部。1960年に日本代表として初選出。森孝慈、釜本邦茂らとア式蹴球部の黄金期を創った。1963年には早稲田26年ぶりの天皇杯制覇に貢献。1964年、東洋工業蹴球部に入部すると、1965年から1968年まで4連覇に貢献。日本代表としては1968年メキシコシティーオリンピックで、日本代表の銅メダル獲得に貢献した。引退後、東洋工業/マツダに在籍し社員およびサッカー部監督として働く一方、ユース日本代表監督など指導職を歴任。1996年以降も京都パープルサンガ、川崎フロンターレ、長野県の地球環境高等学校、サガン鳥栖などのサッカー部、クラブの監督を歴任し数多くの勝利を掴み取る。2009年日本サッカー殿堂入り。任意団体日本サッカー後援会の理事長を務める。

太田 章

 レスリング部出身。1957年、秋田県で生まれた太田は、中学生の時は柔道で秋田県を制覇した。高校時代にレスリングを始め、五木寛之の『青春の門』を読んで早稲田大学を志望。当時強いとは言えなかったレスリング部に入部するものの、在学中の1980年のモスクワオリンピックでは、ボイコットにより出場できず無念の時を過ごす。卒業後、1984年にはロサンゼルス五輪90キロ級で銀メダルを獲得した。これは日本レスリング界において重量級では初の銀メダルである。その後のソウル五輪では銀メダルを連続で獲得し、肋骨負傷という満身創痍の状態ながらも決勝で戦う姿に日本中から注目が集まった。選手として活躍する間も早稲田大学人間科学部の教員を務めるなど、積極的にスポーツ界に関わり次世代の育成にも取り組んだ。1999年、世界レスリングマスターズ選手権で金メダルを獲得したのち、その後、早稲田大学スポーツ科学部で学生から厚い信頼と尊敬を受けている。

堀江 陽子

 

 バレーボール部出身。1969年にアメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコで生まれた堀江は、バレーボール元日本代表の母親と共に6歳の時に日本に移住。全日本中学選手権で優勝、中村高校では国体優勝。全日本ジュニアメンバーとして、アジアジュニア選手権でも優勝を経験。1987年、早稲田大学人間科学部スポーツ科学科へ入学し女子バレー部で当時関東大学リーグ6部最下位にあったチームを2部優勝まで導く。大学卒業直前に単身渡米し、米国のナショナルチームでバルセロナオリンピックに出場し銅メダル獲得。アメリカナショナルチームで7年間活躍した。実業団チームに入団すると、翌1997年にプロ契約しVリーグでプレー。ダイエーの3年ぶり2度目の優勝に大きく貢献し、ベスト6を獲得した。 オレンジアタッカーズでプレーし、1999年の全日本選手権大会で2連覇し、ベスト6を受賞。1999年に現役引退後、日本バレーボール協会理事や日本バスケットボールリーグ理事などを歴任。

荻原 健司

 スキー部出身。1969年群馬県で生まれた萩原は、小学5年生から弟の次晴がスキージャンプを始めたことがきっかけで競技を始める。草津町立草津中学校、群馬県立長野原高等学校を経て早稲田大学人間科学部スポーツ科学科に入学。大学の1年先輩の河野孝典らと共に日本のノルディック競技の中心選手として活躍し、冬季オリンピックの2大会を連覇。世界選手権でも1993、1995、1997年に金メダル。1998年・長野オリンピックでは日本選手団主将として選手宣誓を行った。ノルディック複合・ワールドカップでは通算19勝。1992-1993シーズンに日本人初の総合優勝を成し遂げると、以後2連覇し、世界初の個人総合3連覇を達成するなど黄金時代を築いた。2002年には、全日本スキー連盟特別表彰、群馬県民栄誉賞を受賞。2004年、第20回参議院議員通常選挙に初当選を果たすと、経済産業大臣政務官に任命され、経産政務官を務めた。2012年、スキー国体に長野県代表として出場。女子大の客員教授でもある。

荒川 静香

 スケート部出身。1981年に神奈川県で生まれた荒川は、幼い頃に遊びに行ったスケートに興味を持ちスケート教室へ。小学3年生で3回転ジャンプをマスター。94年には初めての国際大会へ出場。1994年~96年には全日本ジュニアフィギュア選手権で3連覇。世界ジュニアへも3大会連続で出場。1997年にジュニアからシニアへと移行してからも、全日本選手権で初優勝を飾るなど、実力を十分に発揮。長野五輪へ出場し、全日本選手権でも2連覇。さらにユニバーシアード、冬季アジア大会にて優勝。早稲田大学卒業と同時期に、ドルトムントでの世界選手権で3回転-3回転のコンビネーションジャンプを決め、日本人3人目となるワールドチャンピオンを獲得。トリノ五輪では、ショートプログラム及びフリースケーティング共に自己ベストを更新し、アジア人としてフィギュアスケート女子シングル初の金メダルを獲得し、選手を引退。引退後は、国内及び海外のアイスショーに携わる。現在は日本スケート連盟副会長を務めるほか、テレビ、イベント出演など様々な分野にも精力的に挑戦している。

星 奈津美

 水泳部出身。1990年埼玉県で生まれた星は、1歳の時にベビースイミング教室に通い出したのがきっかけで水泳を始めた。春日部共栄高校時代にはインターハイの200mバタフライで2連覇。高校3年の時には日本選手権同種目決勝で高校新記録を出し、その年の北京オリンピックでは、準決勝まで進んだものの10位入賞。早稲田大学スポーツ科学部に進学すると、学生選手権の200mバタフライで3連覇、100mでは2回優勝。2010年のアジア大会では200mバタフライで銅メダル。世界選手権同種目の決勝でも日本新記録を出しながらも、0.01秒差でメダルを逃す。2012年の日本水泳選手権200mバタフライ決勝では、自身の日本記録で優勝し、ロンドンオリンピック代表に選ばれた。同年5月のジャパンオープン200mバタフライでは優勝を獲得し、8月にはロンドンオリンピックの女子200mバタフライ決勝において銅メダルを獲得。2016年の現役引退後は、東洋大学の非常勤講師の他に、2018年東京マラソンを完走するなど新たなライフワークにも取り組む。

オリンピック指導者・スタッフ

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