「発達障害を作り出す、最悪の母親」ワクチンの“正しい情報”を広めただけなのに…妊娠中の医師を苦しめた「日本人の誹謗中傷」
文春オンライン / 2023年4月23日 6時0分
ハーバード大学准教授で小児精神科医・脳科学者でもある内田舞さん を苦しめた、日本人による「ネットの誹謗中傷」とは?(写真:本人提供)
ときには「死産報告書:死因は母親のワクチン接種」などと書かれたメッセージが届いたことも……。ワクチンの正しい知識を広めるなかで、ハーバード大学准教授で小児精神科医・脳科学者でもある内田舞さんが直面した「ネットの誹謗中傷」、そしてそこに見た「日本人の女性に対するバイアス」とは?
内田さん初の単著『 ソーシャルジャスティス 小児精神科医、社会を診る 』より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/ 後編 を読む)
◆◆◆
科学を無視したトランプ政権、コロナ禍での妊娠
2020年、私は渡米14年目の医師として、また妊婦として、新型コロナパンデミックを経験しました。
アメリカのコロナ対策に関して、トランプ政権下の政府と一部メディアの「科学の無視」はひどいものでした。
「コロナは存在しない」「マスクで我々の口を封じようとしている権力者には屈しない」と感情に訴える、政治的なメッセージが混ざった非科学的な情報がソーシャルメディアなどで拡散され、多くの人が間違った情報を元に煽られた「なんとなく」の感覚に従い、パンデミック初期から堂々とソーシャルディスタンスを取らない、マスクを拒否する、大勢で会食をするといった行動に出ました。政治的分断が医学や科学的事実の解釈にまで直接影響を及ぼす事態に私は驚きました。
しかしウイルスは、人々の感情や信仰や政治的思想などとは関係なく、感染していくものです。こうしてアメリカでは科学を無視することで、病院には人工呼吸器が必要なくらい重篤な患者さんが次々に運ばれ、国内だけで100万人以上の方がコロナの影響で亡くなる結果になりました。
また、ワクチンがまだ存在しなかったパンデミック初期は、「誰かがかかってしまった」と他人事で終わる状況でもなく、感染者が存在する限り、人々の生活は制限され続け、自分への感染の恐怖と隣り合わせだった時期で、2020年のアメリカでは、とにかく自分や家族の感染を避けたいと怯える毎日でした。私はこのようなアメリカのコロナ禍の中で医師として働き、また3人目の子どもを授かりました。3人目はほしいと思っていたものの、実際妊娠がわかったときには、喜びよりも不安の方が大きかったのです。
妊娠中のコロナ感染は重症化のリスクが同世代の女性よりも高く、重症化してしまった場合は早産の確率が上がったりと、赤ちゃんも数々の身体的なリスクにさらされます。ただでさえ妊娠中は肺が子宮に押し上げられて呼吸が苦しい状況なのに、もし感染してしまったらどれだけ息苦しいことだろう、発熱が続いた場合にはどれだけお腹の中の赤ちゃんに負担がかかるだろう、夫や上の2人の息子たちにはどんな思いをさせてしまうだろうと考えました。
また、アメリカの学校は通常学級に戻っておらず(多くの公立学校は2020年3月より13か月間閉鎖され、リモートのみの授業でした)、我が家は一人にはしておけない5歳と3歳の子どもたちが「ママ、お腹空いた。ママ、これどうやってやるの? ママ、怪我しちゃった」と言う中で、リモートワークを強いられていた時期でした。
何か月間も育児と仕事の役割を夫と午前午後で交代してやりくりし、私の子どもたちはいつになれば普通の学校生活や習い事を経験できるだろうか、日本の両親は孫に会えるだろうか、そしてパンデミック中の、リソースが限られた育児と仕事に挟まれた苦しい生活に私自身はいつまで耐えられるだろうか、と感じていたのです。
妊娠中のワクチン「接種するリスク」と「接種しないリスク」
ワクチンの安全性や有効性を示す治験の結果や、妊娠には影響を与えにくいと考えられるmRNAワクチンの仕組みを吟味して、妊娠34週だった2021年1月初旬にワクチンを接種できたときには、安堵の気持ちでいっぱいでした。何十年間にもわたるmRNA研究が高い予防効果と安全性を有するワクチン開発につながったことへの感動、また最前線でコロナ治療にあたっている医療者への感謝とともに、「もうすぐ普通の生活に戻れるかもしれない」という希望が胸を占めました。
さらに、世界でも初めてに近い段階で妊娠中にワクチンを接種させてもらった者として、後に続く妊婦さんのためになる情報を提供したい思いが強く、ワクチン接種をした妊婦の追跡研究に参加しました。私の妊娠の経過や、出産後の赤ちゃんの健康状態に関して追跡調査を許可し、また私がワクチン接種して産生した抗体が胎盤を通ってお腹の中の赤ちゃんに渡り、赤ちゃんをもコロナ感染から守ってくれることを確認する研究にも参加しました。
私自身は、妊婦さんのワクチン接種のデータがなくとも、既に充分に存在した基礎研究のデータを見て、このワクチンが私の妊娠や赤ちゃんに悪影響を及ぼすことはなく、重症化予防のベネフィットは大きいと自信を持てましたが、やはり多くの方が大丈夫と思えるには臨床研究が必要です。その後、私も参加した臨床研究によって、妊娠中の新型コロナワクチン接種の安全性と有効性を示すエビデンスが積み上がり、現在では妊娠中の接種は世界的に推奨されています。
私が妊婦としてワクチンを接種した2021年1月の時点で、日本では未だ新型コロナワクチンは承認もされておらず、mRNAワクチンのメカニズムの説明も十分になされないなかで、「なんとなく怖いワクチンなんじゃないか」と漠然とした不安を抱えた方が多い時期でした。
日本人が抱く「ワクチンへの忌避感」
また、ワクチンを打つと流産する、不妊になるという全くのデマが知識層にまで蔓延しており、お腹の大きな私がワクチンを接種した姿を写した写真を私の勤めている病院がSNSに投稿すると、想像を遥かに超える反響がありました。毎日のように日本メディアからの問い合わせがありましたが、その頻度の高さからもインタビューの質問内容からも、どれだけ日本人がワクチンへの忌避感を抱いているかが伝わりました。
その状況を理解した上で、私はワクチン接種の意義、そして現段階でわかっている情報とわかっていない情報を考え合わせて、「接種するリスク」と「接種しないリスク」を天秤にかけた説明をしてきました。ワクチンを打つべきかどうかを決めかねている日本の方々、そして特にお腹の中の赤ちゃんのことを一番に考えて悩んでいる妊婦さんたちに、正確な科学情報を基に自分の気持ちにしっくりくる判断をしてもらいたいと強く思ったからです。
確かにmRNAワクチンという、従来とは異なるメカニズムで開発されたワクチンが全世界的に大規模接種されるといった事態は歴史的にも初めてのことで、たとえワクチンの安全性がさまざまに説明されても、不安が完全には払拭されないのもよくわかりました。mRNAの性質を考えると長期的な悪影響は非常に考えにいくいのですが、本当にないのだろうか、といった不安も多く聞かれました。でも、だからこそ、日々積み上げられていったデータを示しながら、一人ひとりの接種の判断を、とりわけ感染するとリスクの高い妊婦さんたちの判断を後押しするような情報発信ができればと思ったのです。
その結果、社会に対して大きくポジティブなインパクトを残すことができました。共に新型コロナワクチンに関する正確な科学情報を伝えたいと志す異なる専門知識を持った医師仲間にも出会い、メディアからの取材対応や行政機関への講義、非営利プロジェクト「こびナビ」によるSNSのライブ配信といった活動を連日行いながら、日本のワクチン接種率を世界有数の高さに上げることに貢献できたことを誇りに思っています。この活動は医療啓発活動に授けられる賞である、「上手な医療のかかり方アワード」の最優秀賞「厚生労働大臣賞」を受賞しました。
偽の「死産報告書」
しかし、啓発活動を続ける中で直面したのが誹謗中傷の言葉の数々でした。
最悪の母親、ブス、幼児虐待、発達障害を作り出す母親、といった言葉はSNS上で数千件にもおよび、「死産報告書:死因は母親のワクチン接種」などと書かれたメッセージも届きました。もちろん誹謗中傷によって私の妊娠経過が変わるわけもなく、誹謗中傷の言葉がコロナウイルスの性質やワクチンのメカニズムを変えるわけでもないので、実際の生物学的な影響力は無に等しく、私自身がお腹の中の子ども、そして家族を守るために妊娠中の接種を決意した事実も変わりません。
しかし、その選択が正しいと論理的にわかってはいても、お腹の中の赤ちゃんが死ぬという言葉をかけられ続けると、胎動が気になってしまったり、また、妊娠中にワクチンを接種したとメディアで紹介された私自身が健康な子を産まなければ、日本のワクチン忌避はさらに深まりかねないと要らぬ責任を感じてしまいました。
親(特に母親、あるいは将来母親になるであろうと思われる人)は、自分自身と家族(あるいは将来の家族)を守るための責任ある判断を迫られる場面が多々あります。しかし、その判断をするために必要な情報は必ずしも手の届きやすい場所にあるわけではありません。
そして最良の判断をバックアップしてくれるサポートに出会えないことも多いのです。それにもかかわらず、どんな判断をしたとしても、親としての判断は批判の対象になってしまう。妊娠中に新型コロナワクチンを接種した私へのネガティブなコメントはこういった現象を象徴していました。多くの判断を迷う母親たちの声に触れるなかでも同じことを感じ、実際、ワクチン接種をした妊婦さんのなかには、近しい人から批判をされた人も少なくなかっただろうと推測します。
日常に潜む「女性への小さな攻撃」
ワクチン啓発活動を応援して下さる方々からのコメントの中にも、しばしば悪意のない「マイクロアグレッション(microaggression、小さな攻撃)」が潜んでいました。
「最初はいわゆる『勝ち組女性』の意見かと疑っていましたが、目にするたびに真剣さが伝わってきました」という応援メッセージを見て、「勝ち組女性」とはどういうイメージなのだろう、そして勝ち組とカテゴライズされた女性の意見はどうして疑われるのだろう、と考えさせられました。仮に発言しているのが男性の医師であったならば、「勝ち組男性」という言葉が出てきたでしょうか? 専門家としての意見が学歴の高さゆえに疑われることがあったでしょうか?
また、誹謗中傷で「死産報告書」を送られた件について、涙を交えて話すと、「女の涙は演技、泣き落としと言った悪しき偏見が向けられてしまうのが現実ですし、他者の目をもう少し気にして脇の甘さをなくしていただきたい」という声も寄せられました。胎児が死ぬと脅された妊婦が泣くという自然な感情さえも「これだから女は」と批判の対象になること、また一見味方と思われる人からの牽制的な声には二重の辛さがありました。
「マイクロアグレッション」とは、「政治的文化的に疎外された集団に対して日常の中で行われる何気ない言動に現れる偏見や差別に基づく見下しや侮辱、否定的な態度のこと」と定義されますが、日本社会の中で「女性」が未だにマイノリティであること、無意識のバイアスから生まれる小さな攻撃は日常の中のあらゆる場面に潜んでいることにも気付かされました。
「過去に間違いのない人などいない」オバマ元大統領が「行き過ぎたキャンセルカルチャー」を危惧する理由 へ続く
(内田 舞/文春新書)
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