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『明月記』で定家は病の小督を嵯峨に見舞ったと記録していて、角田文衞氏は「そのまま病が昂じてその年の晩秋か冬に逝去した可能性が濃いのである」と推測している(「小督局と坊門院」)。娘の範子内親王が翌年夏に服喪しているということは、ほぼ角田先生の推測通りかと(春逝去の可能性もあるが)。
もう少し手掛かりがないかと探したが、この頃皇后宮範子内親王の記録は少なく、法要や除服の記事も見つからなかった。残念。
ただ賀茂祭から2か月後に冷泉隆房が出家しており、このタイミングは偶然かとちょっと気になる。かつての恋人の死に無常を感じて…というのは流石に想像しすぎか?
もう一つ気になる点、賀茂祭から約4か月後に範子内親王は院号宣下を受け坊門院となっている。服喪中の宣下の前例があるかは未確認だが、色々面倒な制約がある時に敢えて実施したとは考えにくいのではないか。もし服喪明けだとすれば、逆算して小督逝去は元久2年8月にほぼ絞られることになる。
というわけで、賀茂斎院サイトの34代範子内親王のページにも簡単に掲載しました。歴史上の大人物というわけではないけれど、斎院とも縁の深い小督の没年に関する新発見かも?とちょっとわくわく。
kamosaiin.net/aoi34.html#kog
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