餓神妾譚 — 餓えた神に魅入られて —

雅彩ラヰカ

第1話 金木犀の尾を引いて

 自分が事件の当事者になることなんて、誰だって思わない。

 まして人喰い事件の当事者となり、自分がその渦中に巻き込まれることなど——。


「ラメペンどこ? 赤いやつー!」

「それ柏崎がさっき持ってたぞ」

「伊織、画用紙切れた?」


 十一月初めに控えた文化祭に向けて、県立豊富とよとみ橋白はししろ高等学校では下校時間を拡大し、生徒の居残りを許可して作業時間を作っていた。

 部活に当てられる時間がこの行事に用いられ、生徒たちは一年に一度のお祭りを前に意気揚々と仕事に精を出していた。


「画用紙なら切ったよ。ほれ」

「ありがとさん。楽しみだな、文化祭」

「うん」


 高校一年生、青春真っ盛りの伊織頼人いおりらいともその作業に駆り出され、当日行う鉄板焼き屋のメニューの飾り付けなどを行なっていた。

 今週末に控えた文化祭まであと三日。

 頼人は比較的物静かな生徒であるが、内心文化祭を楽しみにしていた。

 それはそうだ。大抵の三河人に共通するがお祭り好きであり、頼人自身はそれほど騒がないが、あの活気あふれる雰囲気はその場にいるだけで楽しくなってくる。


「君たちー、そろそろ下校時間だぞー。片付けて帰れよー」

「はーい!」


 伝法な声音の女教師——担任の神谷真央かみやまおがそう言って、隣のクラスにも同じことを言う。

 出るところが出た、二十代半ばのまさに今という女性である神谷先生は男子生徒から熱烈な視線を向けられている。

 ただ男勝りなところもあってか、彼氏の噂はない上に、女子生徒までが彼女に熱っぽい目を向けるのだ。

 とにかく人気の先生である。その女性的な魅力については頼人もそう思っていたりする。


「神谷先生相変わらずエロいよな」


 そう囁いてきたのは小学校時代からの親友であり、悪友でもある柏崎悠人かしわざきゆうとだ。

 三度の飯よりオカルト好きというのもあるが、多分神谷先生目当てでオカルト研究部に入ったに違いないと噂されるほどである。


「お前な、聞かれたらどうすんだよ」

「大丈夫だって。地獄耳じゃあるまいし——って!」

「だーれが地獄耳ですって? バカ言ってないで、帰り支度する!」

「はーい」


 そそくさと片付け、頼人も鞄に筆箱やらを突っ込んで身支度を整えた。

 家が一定距離空いている生徒は親御さんの送迎が必須だが、幸い頼人はここから家まで二十分ほどの距離なので歩いて帰ることができる。


「じゃあな、頼人。また明日」

「ああ、悠人。気をつけろよ。最近変な事件あるし」


 学校を出て暗くなった道を歩きながら、頼人はその変な事件を反芻した。


 この三ヶ月で愛知県豊富市で起こる怪事件。

 それは人が喰われるというセンセーショナルなものだった。


 すでに七件の遺体が発見されており、犯人は不明。当初は熊だろうと思われていたが、暗がりや夜間に襲われることから計画的な犯行——つまり人が人を食っているという事実に行き着いた。

 愛知県警は豊富署に捜査本部を置き事件を捜査。この異常事件に、日本全国が騒然とした。警視庁からも人員が派遣されてくるなど、地方都市にしては物騒なことになっていた。


(ま、普通の高校生には関係ないか)


 そう思いながら歩いていると、路地から「ぎっ」と短い悲鳴が聞こえた。

 いや——まさか。猫かなんかが声をあげただけだろう。

 さっさとそこから去ればいいものを、頼人の中に暗い好奇心が湧いた。


 ちょっと見て、すぐ帰る。

 学校でいい話題になる。そう思い、頼人は真っ暗な街灯も届かぬ路地に入った。


「ひっ」


 そこにはスーツ姿の女性が物言わぬ死体となって転がっていた。

 目玉が飛び出し、ばっくり開いた口は下顎から胸まで抉り取られるようにして喰い荒らされ、内臓まで吸われたのか腹がぺちゃんこに潰れている。

 右腕と左足がなく、頼人はまずいまずいまずい——と口を押さえた。


 逃げなくては。

 けれど、恐怖で腰が抜け、ぺたんとその場に頽れた。


「見つけた」


 女の声。

 ハッとして顔をあげ、しかし次の瞬間黒いものが視界を覆い、頼人はそれだけで昏倒した。


 眩んでいく意識の中を濃い血の臭いと金木犀の香りがくすぐった。

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