noteで『女性支援団体への攻撃に加担した創作者の一覧』を公開しました。これは「女性蔑視の創作者にお金を落としたくない」という思いをちょいちょい見かけたことと、暇アノン問題があくまでオタク文化に根差したものであることを明確化したいという思いがあって制作したものです。

 ちなみにですが、この一覧を公開してからオタクたちからの嫌がらせが凄まじいことになっています。興味深いことですが、このような嫌がらせは私がYouTubeで暇アノン政治家を批判したときはあまり起こらず、暇空が私に殺害予告をされたと喚いた時には起きているんですよね。オタクは政治に無関心で、自分のおもちゃ箱にしか関心がないことが間接的に分かる事例だと思います。

 この一覧を公開したことで、一覧に含めた創作者からの反応もありました。それをきっかけにやり取りをしたのですが、基本的に極めて幼稚で自らの責任を一切認めようとしない不誠実な態度に終始していました。

 このような彼らの特徴は極めて興味深いものであり、また私へ寄せられる「名誉毀損だ」という難癖への反論ともなるものですから、この記事でまとめておきます。

Colaboのことじゃありましぇ~ん

 早速直にやりとりしたわけではない創作者を挙げて恐縮なのですが、この件で最も無責任だったのはやはり栗原正尚でしょう。彼は自身の作品『怨み屋本舗DIABLO』で『悪魔のフェミニスト』というタイトルの回を掲載しました。それは明らかにColaboを揶揄するものでしたが、当人は一切その事実を認めていません。

 もちろん、当該作品がColaboを念頭において書かれたものであることは明白です。わざわざ順序だてて論証するのもばからしいのですが、あえてそれをやると、彼がTwitterに投稿した4枚の画像だけでも、敵と目される団体の特徴として
・貧困女性のためのシェルターの建設を目指す(実際のColabo)
・生活保護の搾取(陰謀論中のColabo)
・タコ部屋に住まわせる(陰謀論中のColabo)
・何らかの審議会のメンバーに入っているor入ろうとしている(実際の仁藤氏)

 とあり、これだけの特徴を有している団体は(暇アノンの妄想も混在したうえでですが)Colaboを置いて他にないでしょう。また、作品の公開のタイミングも暇アノンによる攻撃が激化している現在であり、この騒動に乗っかって閲覧者を増やそうという魂胆が丸見えです。

 そして、そもそも今回の問題は『悪魔のフェミニスト』だけに留まるものではありません。栗原はColaboへの誹謗中傷が発生した初期にも民間団体が不正を働いているかのように扱う回をTwitterに投稿しており、この騒動をどのように扱っているかは明らかです。

 ここまでの証拠があってもなお、栗原は自身の行為を認めないでしょう。しかし、重要なことは、仮に彼の主張通りに、この漫画がColaboのことを描いていないのだとしても、彼自身が度を越した無神経であるという事実には変わらないという点です。邪悪の質が変わるだけで、どちらにせよろくでもないマンガ家であることは変わらないのです。

 もし本当にColaboのことを描いておらず、Colaboを貶める意図がないのだとすれば、そもそもこのタイミングにこのような題材を取り上げることはしないでしょう。客観的にみればColaboを悪しざまに描いているようにしか見えませんし、実際に読者の間ではそのように機能することが明白だからです。もし本当にColaboを侮辱する気がないのであれば、意図的でなくとも自分の作品がそのような働きを果たすことは絶対に避けたいはずです。

 そのようなことに思い至らず、あるいはそうなっても構わないと思って作品を公開したのであれば、そのような無配慮と無神経さは意図的な侮辱と同じくらい邪悪なものです。

 なお、荻野が例によって擁護になっていないない擁護をしていますが、馬鹿です。脳みその代わりにブックオフで100円で買った怨み屋本舗の古本が詰まっているのでしょう。『今までの様々なフェミニスト案件や炎上騒動の悪魔合体した』というのは要するに「Colabo以外のフェミニストも侮辱しました」ということにほかならず、Colaboへの侮辱だという点は変わっていないからです。

 このような発言は、「Colaboへの侮辱である」という批判を論破するただその一点にかけただけの場当たり的な詭弁でしょう。「リンゴを盗んだな!」「残念!バナナも盗んでいたのでお前は間違い!」というわけで、確かに表面上は間違いでしょうが、盗人であることには変わりありません。

わからないのに応援はできる

 次に取り上げるのはゲーム会社エムツーの取締役である堀井直樹です。彼は一覧に含まれたことを名誉毀損だと言ってきました。

 そこでやり取りをしたのですが、基本的に脱力するようないい加減さでした。結論だけ最初にまとめると、彼の態度には「自分が暇空を応援している」という当事者意識そのものがなく、デマの検証はわからないととぼけ続けるのになぜか暇空の主張は真実だと思い込んでしまうという幼児性と無責任さがありました。

 象徴的なのは、暇空が主張していた「タコ部屋」デマに関するやり取りです。このデマは暇空が写真を証拠としながら、Colaboが保護対象者を狭い部屋に複数人で住まわせていることを主張したものです。しかし、その写真をアップしたFacebookの投稿にははっきりと合宿の様子であると書かれており、その写真が日常の光景でないことは明白でした。

 つまりこの時点で、いくらColaboの言うことを信用しないとしても、暇空の主張は明白なデマだということになります。彼の主張が正しくなるためには、Colaboが何年も前から、わざわざ自身の不正の証拠をアップしながら合宿中と嘘を投稿したという不可解な行動に出ていなければいけません。もちろんそんなはずはないでしょう。不正の証拠をアップしなければいいだけの話ですから。

 しかし、そのことを示しても、堀井は「判決が出ていない」の一言で思考停止して論証を理解しません。言うまでもなく、この論証は判決とは一切関係なく、この時点でデマだと断定できる性質のものです。

 百歩譲って、判決が出るまで何もわからないという態度をとるとしましょう。であれば、暇空を好ましく思うこともできないはずです。なにせ、何もわからないはずなのですから。しかし、彼は暇空をポジティブに評価することだけは判決を待たずにできるようです。

 そんなはずはありません。当然、これは差別的動機から暇空を支持しColaboをバッシングしているものの、その責任を認めたくないがゆえに現れる言い訳に過ぎないでしょう。判決云々も都合の悪い話を聞かないようにするための「あーあー聞こえなーい」の言い換えにすぎません。

 小学生のような無責任さですが、これがゲーム会社の取締役です。

会計問題の指摘を応援しているだけ


 最後に、よくある言い訳を潰して終わりましょう。
 暇空の攻撃への加担を指摘された人々が言い逃れとして絶対に書くのは、自分は会計問題の追及を応援しているだけだという言い訳です。

 これは暇空の加害行為を無視しているか、都合よく切り離して追求だけを応援しているかのように装う態度です。もちろん、そのような都合のいい切り離しはできません。暇空が行っているのは問題の追及だけではなく、彼の行為には明確な加害も含まれます。貧困ビジネスだと誹謗することやバスの駐車場を晒して攻撃を煽るといった行為は彼の「問題追及」と不可分であり、彼を支持することは必然的に加害も支持することとなります。もしそれが嫌なら、暇空を否定するほかありませんし、そうしても問題追及自体は可能です。

 そして、さらに重要なことですが、そもそも「問題追及」自体がデマに端を発するものであり、加害行為の一形態にすぎないという点も無視できません。「リーガルハラスメント」とはよく言ったもので、暇空およびその支持者の追及は本当に公金支出を気にしているのではなく、Colaboへの攻撃を動機とするものであることは明らかです。

 このことは安田浩一氏や野間易通氏が繰り返し指摘していることでもあります。暇アノンの言い分はかつての在特会の言い分と同様であり、公金の支出を云々するというのは基本的に差別の言い訳にすぎませんでした。

 彼らが公金の支出に興味を抱いていないのは明らかです。そもそも主犯の暇空からして、動機を「萌え絵を燃やされたから」だと明言しています。また、Colabo問題より大きな公金の支出(例えば東京五輪)や有識者会議の利益相反(言うまでもなく竹中平蔵)、公文書の偽造や黒塗り(モリカケ問題やウィシュマさん問題)に彼らはただの一言も批判をしていません。本当に興味があるなら、これらの問題に一言も言及しないのは困難であるにもかかわらずです。

 加害行為の責任に直面すると、こうした幼稚で場当たり的な言い逃れを行うのはオタク文化にありがちな様相です。このような言い逃れは断じて許してならず、彼らははっきりと加害者の一員であるとみなされなければなりません。