ふるさと寺子屋講師をお招きしてテーマに沿って語っていただく昔語り

No.075 「 阿蘇 」

講師/郷土研究家 町史編纂委員  井野 忠治 氏

県観光連盟主催、県観光振興課後援「ふるさと寺子屋塾」熊本の歴史、文化を語り、知り、学び、伝えることを目的に毎月開催。県観光連盟発行「くまもとの旅」をテキストに、それぞれのテーマに沿った内容で、権威ある講師の先生を招き教授していただいています。


今月のテーマは、「阿蘇」です。


神々が住む場所として多くの伝説が息づく「阿蘇」。その歴史はさまざまな神話や伝説に彩られていますが、阿蘇という地名のルーツや、火口や湖水がいつ頃できたのか、人が住むようになった時期などは意外に知られていないところです。熊本が世界に誇る阿蘇について、現在阿蘇町史の編纂に携わっておられる郷土研究家 井野忠治様にご講和いただきました。その要旨をご紹介します。


「阿蘇」はアイヌ人が命名?


私は阿蘇町内牧に住み、現在阿蘇町史の編纂のため、歴史を調べる日々を送っています。 あまりにも私たちになじみ深く、慣れ親しんでいる「阿蘇」という言葉。そもそもこの名前はいったいどこから発生したのでしょうか。かつて景行天皇が「この国に人なきや」と呼んだのを、健磐龍命と阿蘇都媛が「私たちがいるのにアゾ(なぜ)人なきや」とこたえ、このアゾが訛ってアソとなったというのが通説です。しかし、それはあくまで伝説であり、史実として信じるに足りるものではありません。阿蘇はその地形に関係する言葉として、そこから派生したと考えられます。

興味深いのは、この言葉がアイヌ語だという説があること。確かにASOROというアイヌ語があり、これは「爆裂火口の底、湖水あと」という意味です。また、青森には阿蘇部の森(岩木山)、阿蘇が岳(古代湖)という地名が、その他、岩手には阿蘇沼、山形には阿蘇郡、福島に熱海、宮城に安蘇郷と東北六県にアイヌ語と思われる阿蘇に近似した地名が残っています。熊本には阿蘇の他、球磨郡須恵村に阿蘇という地名がみられ、そこは湖水のあとにできた地域で、地形が阿蘇に似ています。


北から南へ―人とともに言葉も移動


北のアイヌの言葉がなぜ熊本に伝わったのでしょう。

阿蘇が現在のかたちになったのは約3万年前だと考えられています。それは小国や大観峰からすでに旧石器時代の遺跡が出土していることでわかります。

神話や伝説の陰にかくれた古代の遺跡は人々の歴史を雄弁に物語ってくれます。1994年に発見された青森県の三内丸遺跡からは前5000年前からすでに、人類が集落をつくり、共同生活を営んでいたことを示す遺構が発掘されました。この発見は、通説であった縄文時代の歴史的認識を根本からくつがえすこととなったのです。つまり、温暖な気候は、海には海の幸、山には山の幸を育み、人々は私たちが考えていたよりもっと早い時期から耕作を始め、集落の中で生活をしていました。

しかし縄文時代も末期になると寒気がおとずれ、海水が下がり、海流も変化します。人類は生活の場所を南に求め、北の各地から近畿、九州へと移動していきました。(現在の最新遺伝子工学によると、日本人のルーツとして8.1%がアイヌ人であるというデータが公表されています)もちろんアイヌの人々とともにアイヌ語の単語も南へ伝播し、火山を説明する「アソ」という言葉が、各地へ伝わっていったと考えられるのです。


阿蘇山の誕生


阿蘇山の誕生は、200~60万年前の「更新世初期」に始まります。この時期は豊肥火山活動の時代で、中部九州の各地で噴火がおこり、傾斜のゆるい旧火山体やテーブル状の溶岩台地からなる旧火山体ができました。(1)。60~30万年前の「更新世中期」には、溶岩台地から万年山溶岩が流出、これにやや遅れて北の方では耶馬溪火砕流の噴火がおこります(2)。30~数万年前の「更新世中期~後期」になると、阿蘇外輪火山の大活動の時代で4回にわたる大きな火砕流活動があり、噴出物は九州一円におよびました(3)。

のち、「更新世後期」になると陥没により大きなカルデラができ、その火口原には雨水がたまって湖水になります(4)。さらに断層や侵食によって立野火口瀬ができ、湖水は流出し、カルデラ内部に噴火がおこって中央火口丘群ができました(5)。


阿蘇町がほこる神秘の山、阿蘇


阿蘇は現在まで大きなものが4回、小さなものが4回、計8回の爆発をしてきたといわれています。そのことは爆発によって出来た湖や現在の地形からわかります。

紀元600年代、阿蘇ははじめて日本の地名の中で、中国により世界へ紹介されました。中国は火山現象はなく、遣隋使などからもたらされた情報による阿蘇の姿は神秘で、自然と畏怖や敬意を抱かせずにはおかなかったに違いありません。

阿蘇の火山信仰、それにまつわる祭祀は弥生前期には成立していたと思われます。阿蘇家や西巌殿寺などに伝わる文献などにも、阿蘇の歴史を伝説的に垣間見ることはできますが、はっきりとした史実のかたちをとっていくのは平安以降ではないかと私は考えています。

阿蘇町が誇る阿蘇山。その懐の深さゆえにいまだ多くの謎に満ちています。数々の問題や疑問にぶつかりながら、私のライフワークとして阿蘇の歴史を追っていきたいと思っています。