満州事変以後、拡大する軍部はある問題を抱えていた。
「日本刀が足りない」
下士官以上の軍人には必須だったが、日本中からかき集めても足りなかった。
新しく作ろうにも、刀匠も限られ、そもそも製法的に量産不可。
そこで当時日本最強の技術者集団「満鉄」に依頼。
こうしてできたのが満鉄刀だ。
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会話
南満州鉄道株式会社は鉄道だけの会社ではなかった。
製鉄や鉱山開発、シンクタンクなどあらゆる範囲をカバーする会社だった。
冶金や金属材料の知識もある。
近代的な設備と満州の鉄で、とりあえず試作して刀剣会に出品したところ、江戸初期の名刀・初代忠吉と間違えられる程の出来栄えだったという。
試作品に大成功した満鉄は本格的生産を検討。
大学教授たちと製法を検討した。
古来の日本刀はたたら製鉄で取れた鉄を何度も鍛えて作るが、最初っから鍛えた後以上の鉄が作れるので不要。
これまで刀匠の腕が頼りだった心鉄と外側の鋼の重ね方も、ロールによる成形技術で常に理想的な位置にできる。
日本刀最大の弱点はシベリアの-20℃以下の環境では低温脆性により折れてしまうことにある。しかし、満鉄刀は近代材料技術によりカバー。
日本刀の特性である、折れず曲がらずよく斬れるを残したまま実戦に適した刀となった。
刀には魂が宿る。
満鉄刀だと魂に失礼なので「興亜一心刀」と命名された。
そんなこんなで戦地に投入された興亜一心刀が、戦車や砲弾が支配する近代戦においてどれほど活躍したのかはわからない。
だが、日本刀は魂。精神的な拠り所にはなった。
戦後は美術品でもない上に日本刀のカテゴリからも外されたので、その殆どが消えてしまった。
#にいがたさくらの小話 その21改
画像は「協和:満鉄社員会機関誌」昭和14年10月1日号よりお借りしました。
参考文献は「満鉄会報」昭和39年10月10日号です。
スプリング鋼っていわゆる特殊鋼で、結構いいやつなんですよね。
それで作刀したらつえーわという。
満鉄刀の場合はレールを溶かして作ったというのは俗説っぽいですね。まあ、製造工程が似てるからなんでしょうけど
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レール(と同じように製鉄で作られた鉄)でプレスで作られたのは事実ですね。
あと日本刀不足のせいで、当時はなまくらや粗悪に作られた刀が大量に流通していたので、満鉄刀を騙ったやつもあったかも知れないですね。
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満鉄刀以外も近代科学の力を入れた刀がいくつかあったので、それのうちの一つですね。
将校たちは先祖伝来の刀を持ってく場合が多かったそうですが、メンテが雑で名刀なのにあんまり斬れなかった場合も屡々あったそうです。
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満鉄に曽祖父が勤めていたと聞いています。祖父一家は大連で暮らしていた頃、刀が家にあって、家の地下に隠してきたと母が言ってましたが、さすがにもうないでしょう。
家自体は戦後残っていたみたいです。
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