1995年3月に発売されたカシオ計算機「QV-10」は、またたく間にヒット商品となった。今では想像することさえ難しいが、「撮影して、写真をその場で液晶で見られる」ということに絶大な価値があったのだ。それまでのフィルムを使う写真は、現像後まで結果が分からないものであって、どうしてもその場で写真を見たい時はポラロイドカメラを使うしか方法が無かったからだ。
スイバル式の筐体、ピント固定、光学ファインダーやストロボを省くなど、光学系のカメラメーカーでは考えつかない設計で価格を抑え、「デジタルカメラ」の概念を世間に知らしめた記念碑的な機種である。当時、高額だったメモリーカードを別に買わなくても、内蔵2Mバイトのフラッシュメモリーで96枚も撮影できることも魅力だった。
そして翌1996年3月にマイナーチェンジされたのがこのQV-10Aだ。
本体色が変わった以外に大きな変化はない。画質がわずかに向上しているが、それと分かるほどでもない。320×240ピクセルに画質を望んでも虚しいことだ。
それでも僕はこのQV-10Aに飛びついた。実売価格3万9800円というリーズナブルさはもちろんだが、専用のケーブルでほかの同型カメラとデータ交換ができる機能が加わったことが気に入ったのだ。つまりこのデジカメは従来のカメラの常識をことごとく覆しているのである。
総画素数25万画素ではL版プリントさえおぼつかない。だからこのカメラは写真を背面の液晶か、あるいはテレビにビデオアウトして楽しみましょう、という主張のデジカメだったのだ。それまでの写真は焼き増しをして相手に渡すものだったが、QVではカメラとカメラでデータをダイレクトにやり取りするものになった。
その後デジカメは画素数を増し、フィルムの解像レベルをはるかに超えるところまで進化したところで、逆にプリントにこだわらなくなった。今ではデジタルフォトフレームで写真を楽しむことがごく当たり前のことになりつつある。そういう意味でこのQV-10のシリーズははるか10年以上あとの写真の状況を見据えていたとも言えるのだ。
今でも初めてこのQV-10Aを娘の幼稚園の運動会に持ち込んだ時のことが忘れられない。準備運動の最中に何枚か撮影をして、液晶を眺めていた僕のまわりに、あっという間に4~5人のお父さんたちが集まった。興味津々、男性はどんな時代でも先端技術が好きなのだった。「すぐに見られるんですか!」「高いんですか?」「サンキュッパです」「おお、俺も買うぞ!」あまりの関心の高さに僕はこの時、悲しいけれど長年プロとして慣れ親しんだフィルムの時代が終焉を迎えることを確信したのだった。
アマチュアがフィルムから離れてフィルムの消費量が劇的に落ちてしまったら、プロ用のフィルムを製造する原資がなくなってしまうのだから。
それでも1996年当時のプロ用デジカメは印刷用にはまだまだ画素数が足りず、しかも高額なものであったからフィルムが主流なことには変わりはなかった。でも僕はこの非力なQV-10Aを仕事の現場に持って行くことによって「来たるべき時代」の予行演習のようなことをやっていた。
「ロケハン」、つまり実際の撮影の前にクライアントと現場を見に行く時がそれだった。普通は言葉で説明し、こういう絵が撮りたいと具体的に見せたい時はポラを引いて現像時間が90~120秒、これが意外に長い。間が持たない。しかし、QV-10Aならお手軽だ。ポンポンと撮ってそれを見ながらディスカッションできる。いらなくなったら消せる。ああ、将来の僕の仕事はこういうカタチになって行くんだなということが実感できた。
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