なんという映画だったか、もう忘れてしまったが、アフリカ戦線が舞台の映画で、
ドイツ軍の下士官が、兵卒に、生き延びるためには、と説教するところがあったのをおぼえている。
「まず次の飯を食べることを目指せ。それ以外は、なにも考えるな。飯にありついたら、
また次の飯まで生き延びることに集中しろ。他には何も考えなくていい」
子供だったので、この下士官の言葉を神の啓示のように受け取って感心してしまったが、
成長の過程で、なんども同じ言葉を、いろいろな形で聴いたところをみると、
ドイツなんだか、イギリスなんだか、元になる格言のようなものがあるのかも知れません。
それ以来、エマージェンシーモードの言葉として記憶されていて、
ろくでもない人生なので、たいしたピンチもなかったが、例えば、
メキシコの田舎のマヤ美術館で、行きのバスはあっても帰りのバスはなくて、
訊いてみるとタクシーもなくて、
次の朝に、おなじバスがクエルナバカまで行くだけで、
ただの観光客の癖に、あんなバスに乗るおまえが悪い、という。
そ、そんなバカな、第一、こんな物騒で有名なところでひと晩過ごしたら殺されてしまいますがな、と焦ったりしたときに、自動発動されて、帰る方法の探究などはいったん停止して、
次の飯、次の飯、とつぶやきながら10キロほどを歩いて、
街道沿いの半分屋台みたいな料理屋で定食(←プレゼンテーションは酷かったが、めっちゃおいしかった)を食べながら、給仕のおばちゃんと話していたら、
ああ、それなら、この店の前を長距離バスが通るから、それを止めて乗って帰ればいいよ、と教えてもらって九死に一生を得る、というようなときに発揮されていた。
日本で生まれて、日本で育って、日本で生活している人間が、自分が普段生活している社会に対して危機感を持つわけはなくて、
正常なことだが、遠くから眺めていると、日本は、前にも述べた表現をまた
使うと、治療せずに放置してあった慢性病が、次第に嵩じて、いまや症状を発揮して、日本の身体を食いつくさん、としているところで、
コレステロールで血はドロドロになり、血糖値はあがりまくって血管を痛めつけ、
尿酸は、あちこちで結晶化してこびりついて、白血球軍団が、体組織を攻撃すべく、いまや虎視眈々と狙っている。
病気のデパート状態で、それでも目立った症状もなく、ダイジョブダイジョブ、あんた藪医者だねえ、どってことないよ、至って元気、と呵々大笑しながらウーロンハイと焼き鳥の夜を今日も過ごして、隣では死神がApple Watchを見つめながら、
「悶絶まで、あと三日。死亡、一週間前」とつぶやいている。
はっきり言うと、また嫌がられるが、嫌がられないことばかり述べる人は、信用してはいけません。
経済は、心理効果を期待して虚飾の皮を被せて、ついでに日銀を動員してETFで、初めは短期でドッと買って、ばれないで済ませるはずだったのに、ドドッドドッドドッ、ついには
ドドドドドドド…..と続いて、あんたはハーレーダビットソンか、というくらい買いまくって、
株価をつりあげてみたものの、売れなくなって、TDKやユニクロの株を握りしめて立ち往生している。
ここで国語の解説をすると、「往生している」というのは、もともと「死んでいる」という意味です。
字義通りに使える、珍しい用例ですね。
財政に至っては、ひとたび日銀サイトのページを開くと、わっはっはっ、と大声(たいせい)で笑いたくなるていのもので、どう言えば、この事態を表現できるか、
「数字になってない」と言えばいいのか、
簡単にいえば中央銀行の役をやっていなくて、
いつもの5円でなくて、50円くらい賭けてもいい、
黒田東彦は、日本国に完全に終止符を打った男として、未来の日本人に記憶されるでしょう。
どういう経歴の人か知らないが、タイプとしては、典型的な後進国の学校秀才タイプで、
東南アジアや西アフリカ諸国の歴史を繙くと、たかが学校で秀才だった記憶を自分の「知力」への無限の自信の源として、国ごと潰してしまった、このタイプの中央銀行総裁は無数に存在する。
日本のような先進国では珍しいだけのことです。
G7参加国なんだからね、日本。
このブログをずっと読んでくれている人は、十数年前の、
「日本の人、あんたたち浮かれて、ヒマこいてるけど、崖に向かって歩いている。
トリクルダウンなんて、あんな都市伝説みたいな説を振りまわす政府を信じて、
これまでのモウケを、全部すってしまうのは見えている」
時代から始まって、
「若い人は出来るなら、いったん外国に行ったほうがいい。ラーメンのおいしさや、街の気楽さを考えると、どうしても日本に居たいという気持ちも判らなくはないが、どうでも日本に住みたければ、外国に出かけて、腕を磨いて、戻ってくるころは日本はボロボロだから、そのときに再建に協力すればいい」
アベノミクスが始まったあとは、イタチの姿を見た鶏なみの大騒ぎで、我ながらはしたない、
「どうして、判ってくれないのか。あんなことをやったら、取り返しがつかなくなる。
いままでみたいに、やれやれ、失敗だったから、また修復しなければ、ですむような『改革』ではない。国の経済構造が根底から破壊されてしまう。株価がいくらあがったって、新しい産業がないのに、心理効果だけで市場はよくなったりしないのよ」
と、うるさいことだったが、当たり前だが、零細ブログなんかに耳を貸す人はなくて、
ここを通過してしまうと、すべては手遅れになる、不可逆変化が起こり始める、という点を、
かれこれ5年前に、完全に通過し終わってしまった。
そうするとですね、日本にいて、有効なことを述べる、ということは、最早できません。
なに言っても、むだ。
後の祭り。
前の祭りは田舎の盆踊り大会みたいだったジュリアナ東京と、そのあとのラブホテルで、全部オカネ使っちゃったのよ。
具体的には、たとえば日本社会の楽屋を通って受け取ったオカネを、暴力団が、まるでセンスのない、しかし金額だけは途方もない「投資」をおこなって、盛大にすりまくって、ヤクザさまさまと、海外の地元経済人に感謝された例は無数にあります。
祭りは、現実の三社祭とおなじことで、ヤクザが楽しむだけで終わってしまった。
日本では数年にいちどの選挙のほかは、twitterで鹿爪らしく体制への抗議を述べることが、なあんとなく「政治活動」ということになったりしているので、現実にはイーロンのお手盛り顧客プールにしか過ぎないtwitterを公共広場と勘違いした人が熱弁を揮って、と聞いている人たちも、まるで「公衆」気分で、「あ。良いこというじゃん」と拍手喝采したりしているが、井の中の蛙どころか盥のなかのデメキンで、最近では自覚のうえでも、サッチモは日本でもサントリーのCMにでたりして人気があったそうだが、にっちもさっちも、どうにもこうにも、
生コンクリートの上で、誰かがなにかを起こしてくれるのを期待して待っていたら、コンクリートが固まって身動きできなくなった人のようなことになってしまった。
こうなったら、次の飯だけを心配して生き抜くサバイバルモードに入るしか、ないのではないか。
保障してもよいが、ときどき驚異の投票率30%を誇る、オリンピックとおなじくらいの頻度でやってくる選挙と、SNSでオダをあげているくらいで、いまさら政治も世の中も変わりません。
通りに出てデモを計画しても、これからでは、お巡りさんに囲まれて、おっかなびっくりで、
もともと逮捕されると経歴に傷がつくと困るとおもう小心さで、なるべく悪目立ちしないように、そっと隠れて生きていかねばならないおっかない社会なのに、デモのていを成してさえいなくて、それもやってるうちにはなんとか、というような時期は過ぎてしまった。
もう何年も前からしつこいが、日本は例の伝統に帰っていくでしょう。
例の伝統って、なにかって?
テロですよ。
日本は天然全体主義の国民性で、近代どころか、近代以前の近世ですら、テロのみに頼って政治を変えてきた。
よく知られていることだとおもいますが、初代首相からしてテロリストで、
閣僚にもテロ仲間がゴロゴロいるという、すごい政府で日本の近代が出発したことには、
なかなか文化的に深い理由があるのだとおもわれる。
啄木という、日本人の心の深層を流れる感情を読み取ることに特に長けていた詩人が、
「ココアのひと匙」
という、有名な詩を書いている。
「
われは知る、テロリストの
かなしき心をーー
言葉とおこなひとを分ちがたき
ただひとつの心を、
奪はれたる言葉のかはりに
おこなひをもて語らんとする心を、
われとわがからだを敵に投げつくる心をーー
しかして、そは真面目にして熱心なる人の常に有つかなしみなり
はてしなき議論の後の
冷めたるココアのひと匙を啜りて
そのうすにがき舌触りに、
われは知る、テロリストの
かなしき、かなしき心を。」
GHQは、戦前と戦時下の抑圧から日本人が明治以来の国家体制に激しい憎しみと言ってよいほどの不満を抱いているのを捕虜への尋問によって、よく知っていました。
当時、情報部将校だったドナルド・キーン先生は、日本兵の手紙や日記を解読する役で、
そのときに味わった不思議な感動が、後年、この人を日本学者にするが、それとは別に、
おとなしい日本人が、誰にもばれないと見定めた場合には、極めて激しい言葉で政府と軍部への憎悪を述べていることに驚いている。
だから民主制を押しつけることには、自信をもって歓迎を期待することが出来たが、
一方で、最大に警戒したのは、この「テロの伝統」でした。
芝居だけでなく映画においても忠臣蔵を禁止することまでして、
テロが封建的な「仇討ち」につながる野蛮でダサい習慣であることを印象付けようとした。
もともとアメリカ本国が共産主義への過剰な恐怖で恐慌状態に陥って方針を一変して、日本を
強力な防共要塞に仕立てようと考えるまでのアメリカの日本の占領方針は、
飛行機や船舶、自動車のようなものはつくらせない軽工業国で、残りは、農地改革として実現するラディカルな改革で解放した小作人たちを中心に農業をやらせて、やっと食えるくらいの国にして、二度と軍備などはさせない、というもので、つまりは日本人を二度と国家的野心を持たないように「骨抜き」にすることが占領の目標で、作物が育たないようにカルタゴの大地に塩を撒いたローマよりもマシだとも言えるが、精神的には入念に徹底的に塩を撒いて、娯楽と享楽をふんだんに与えて「ダメな国民」をつくることに専念して、ある程度うまくいって、その一環として初等教育の段階で「暴力だけは絶対にいけない」と、そういうあんたはなんなの?と傍で見ていて言いたくなる教育を徹底させたが、本来の「暴力はいけない」の重要なターゲットが、この
テロの伝統だったことは、多くの人がインタビューで答えています。
この部分の占領政策は、日本の人のどういう心性の特徴によるのか、おもいのほかうまくいって、まるで戦前とは別の民族のように「暴力だけは絶対にダメ」が浸透して、
70年代以降に至っては、政府の世論誘導が功を奏して、街頭デモも「暴力」だという
世界にも稀な社会常識が形成されていった。
ところが。
伝統の力は恐ろしいもので、
浅沼委員長刺殺事件のころの
「暴力は絶対にダメだ、犯人は許しがたい。一片の共感もない」
から、
安倍晋三元首相射殺事件の「暴力は絶対に許してはいけないが、心情は理解できる」
へ変わってきているのが看てとれます。
日本は銃器規制がうまくいっているというより、銃を扱う文化が軍隊の消滅とともに消滅していて、それが社会に安全をもたらしている。
お隣の韓国の光州事件には映画やテレビドラマでクライマックスになっている空挺部隊による一斉射撃での市民の射殺のあとに、ほんとうは続きがあって、
一方的に撃たれて犠牲者をだした市民の側が起ち上がって、軍隊の武器庫を襲って、
今度は軍隊が撃ちまくられて撤退を余儀なくされる。
ひた隠しに隠しているが、ああいう「武力革命」に近いことが起きえたのは、
言うまでもなく韓国では徴兵制が布かれていて、市民の男のひとびとが銃の扱いに習熟しているからでした。
日本では銃を撃ってみたことがない人が大半ではないかとおもう。
それでも「世界」が日本にどんどん入りこんでくるにつれて、例えばyoutubeの
3Dプリンタで銃をつくって撃って性能を競うようなビデオには日本からのアクセスが急激に増えているそうであるし、3Dプリンタに依らない手製銃の作り方ビデオも、日本の視聴者に人気があるようです。
ああ、ちかれた。
最近、日本語能力が低下しているので、読むことに続いて、書くのも、なかなかしんどくなってきた。
山上徹也が3Dプリンタを使って、もっと精巧な銃をつくらなかった理由のひとつは、
3Dプリンタ銃は既成の銃弾を使うので、それが手に入りにくかった、ということでしょう。
しかし、銃弾や爆薬は、銃そのものに較べると、遙かに手に入りやすいものなので、嫌な想像だが、例えば誰か日本社会の混乱を望む人間が大量に供給しようと考えれば、そんなに困難が伴うわけではなさそうです。
自分の身の回りでも山上事件で、「そういえば日本はテロの伝統が強い国だった」とおもいだす人が増えて、日本が形だけでない民主社会を実現できなければ、民衆自体がテロに期待を託すようになるだろう、と考え出している。
テロが横行し、建設的な社会変革が閉ざされて、個人にとっては
「次の飯を食べる」ことに集中して余計なことを考えないことが最善の生き方でありうる社会は、つまり、崩壊した社会です。
弱い者は、ますます踏みにじられ、強い者は、ますます野放図に、やりたい放題が許される。
日本は、すでに、そういう社会になってしまっているが、
どうやったら日本を繁栄と平和の社会に戻せるのかは、
まず戦前の日本と較べて、戦後の日本社会がどのような点ですぐれていて、
どのようなことで日本のひとたちを失望させていったのか、
評価点検しなおすことが必要であるようにおもいます。
なんでもかんでも日本がすごい、とおなじくらい、
日本に良い時代などなかった、
なんでもかんでも日本はダメ
では、結局は戦前の社会に戻るしかなくなるのだから。
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