急に静かになってしまったがウクライナの戦争は、まだ続いている
静かなのは、まだ消滅してない春の泥濘に加えて、少なくとも英語報道は、例えばウクライナ側はNATOから供給されることになった新しい攻勢に必要な兵器(例:レオパルド2)に習熟する期間や、ロシア側は予想を遙かに越えて消耗した戦力を補充して、イランや北朝鮮、あるいは、こっそりと他国から、兵器や弾薬を買い付ける時間が必要で、それが偶々タイミングが合致して、長期に及ぶ戦争にはよくある、小休止の時期に入っているのでしょう。
北朝鮮は焦慮している。
ロシアに核を使われてしまうと、自国の、核戦力保持を基盤とした安全保障戦略が無効化されてしまうからで、あの貧弱な通常兵器群では、お話しにならないので、
この辺で核弾頭搭載可能なミサイルを盛大にぶっ放しておかないと、西側の口車に乗って、核を諦めて、うまうまと載せられた挙げ句、あえなく殺されてしまったサダム・フセインの二の舞になりかねないのを、賢明な金正恩は、よく判っているはずです。
北半球にいると、判りにくいかも知れないが、オーストラリアは、中国の軍事的脅威があまりに急速に増大するので、猛スピードで軍備を拡充していて、政府のまわりから聞こえてくる言葉を聴いていると、まるで戦争準備そのものに入っていて、数年を経ずに、開戦するかのような勢いです。
Clive HamiltonのベストセラーSilent Invasion以来、与党と野党の両方にオカネを掴ませて、意のままにオーストラリアの国政を操縦してきた中国「外交」の実態や、冗談のような数字だが、百万人を超える中国スパイの暗躍、さまざまな、ぶっくらこく事実が明らかになって、
オーストラリアは、それまでと180度対中国政策を変えて、利益を捨てて、戦う姿勢を示すしか選択肢がなくなってしまった。
習近平の性急な覇権主義は、インド、ベトナム、台湾、いつどこで火を噴くか判らない状態で、
目下は、あちこちの国の知識人やSNSのインフルエンサーにオカネを掴ませたり、
アカウントを濫造して、いつどこで戦端を開くかは100%攻撃側の手中にある、優位を楽しんでいるところです。
ウクライナの関連で、散々報道されてきたロシアは、言うまでもない。
プーチンの下のロシアは、国家というよりも一種の、巨大なKGBとでも言いたくなる振る舞いで、
自由国のあちこちにマーケティングリサーチの研究所や企業だということにして、
サイバー部隊を配置して、ネット上の情報の攪乱操作に耽っているのは、
誰もが知っているとおりです。
次のアメリカ大統領選挙などは、ほんとうに見もので、新世代のLLMが加わって、
猛烈なフェイク動画や画像が出回って、
世界の複雑さに付いていけなくなって、陰謀説の虜になって、トランプを支持したりしているアメリカ国民では、
ひとたまりもないだろうと噂されている。
The world comes undone.
なんだか、しつけ糸がほどけてしまった縫い物のようで、
世界を理解するために、刻々と変化する事態を、正確に把握しつづけていくには、
ほぼ通常の人間の動体視力では不可能なところまで来てしまった。
これ以上、例を挙げるのは虚しい気がするので、この辺でやめておくが、
要するに、世界はデタラメになっていて、
下品な日本語を使うと「勝ち組」….この言葉には、良いところがあって、なにしろ本来の意味は、
真実においては敗北しているのに、自分たちが勝ったと思い込んでいる人たちのことなので、
「おれは勝ち組」で、ブイブイ言わせている人に、「すごい。勝ち組ですね」と述べることに一定の楽しみが期待される…は、とっくの昔に世界などは、どうでもよくなっていて、自分の友だちで見ていても、便数を増やせばコストが増えて満席率が下がるだけなので、意図的に便数を増やさないでいて、
ユナイテッドの社長などは、「神が与えたもうた千載一遇のボロ儲けのチャンス」なんて、下品を述べていて、空港のほうは皺寄せで、係員がコスト上、雇えるわけがなく、
数少ない係員の前に、一機到着するごとに満席の乗客がいちどきに吐き出されて、
オークランド空港などは入国するまでに五時間待ち六時間待ちの大行列が当たり前になっているそうだが、わしインテグリティ・ゼロ友のほうは、プライベートジェットでやってきて、
ほんとに通関やったの?と言いたくなるテキトーさで、やあやあやあ、とニコニコしながら空港にあらわれる。
チョッパーホッピングゴルフで、ヘリコプターで回るオカネモチ専用ゴルフ場でニュージーランドは有名だが、いつつある特に有名なヘリパッド、ブティークホテル付きのゴルフリゾートを、ヘリで、ピョンピョンと跳び回って、誰かがマリーナに置きっぱなしにしている100フィートヨット、酷ければ300フィートヨットでパーティを開いて遊ぶ。
呼ばれて「酔っ払いベイ」の異名があるイズリントンベイにヨットで出かけてみると、
なんだか酔っ払ってマヌケ極まる顔で、
「おお、ガメ、来たか。久しぶりだな。「リスク」の続きやろうぜ」
などと述べている。
この世界の重箱の隅みたいな国でも、ちゃんと、(そういうことが好きな人は)
バービー人形みたいなクネクネした若い女の人たちがシャンパン片手に侍っています。
オークランドにはハーンベイという高級住宅地があるが、この住宅地ひとつで、私用ヘリポートの申請が、いつつかな?申し込まれていて、近所のひとびとが反対運動をやっているが、
馬耳東風、キリスト教徒の耳に念仏で、
いっこう気にしているふうがない。
市長が頭に来て、おまえら、クルマで5分のところに昔からある共用ヘリパッドがあるんだから、そこを使え、と述べても、オカネモチのほうはヘラヘラしているだけで終わっている。
いっそ、「社会がなくなった状態」と言ったほうがいいかも知れません。
じゃ、他人のことが悪し様に言えるかというと、忸怩x3で、
いまはAIの黎明期で、AIの専門家のおっちゃんたちの数え方では第三世代だということになるそうだが、実感としては初代で、なにしろLLMの破壊力は、すごかった。
初めのうちは、まあーた、そんなこと言っちゃって、いくらニューロネットワークだっていったって、
ChatGPT3.0の暫時改良版でしょう?
本質的にはAIじゃないんじゃないの?
と、口に出して言わないだけで、予断をもっていたが、
とおおおーんでもない。
マジなAIで、日本語で呼び名を呼べばアイ(AI)ちゃんだが、
アイちゃんに狂って、朝はChatGPT4.0のプロンプトとパラメーターいじり、夕べには
/imagineのMidjourneyとのおデートで、
こんなに面白いものなら$60/月のサブスクリプションも安いものです。
夫がアイちゃんに狂って、モニさんは機嫌が悪いかというと、そんなことはなくて、スタジオに、
歩いて行って訪問すると、ビットマップをベクターに変換するAIの賢さから、
思い通りのタッチでAIに絵を描かせる方法まで、
ちょっと上気した顔で話して、
わが妻ながらAIに夢中のときまで、ムクムクした気持ちにさせられる美しさで、
アイちゃん、ぼくたちふたりの幸福を祈ってね、と思わされる。
なんのことはない、世界のことなんてどうでもよくなっているのは、プライベートジェットとラグジュアリイヨット三昧のひとびとと同じことで、
このごろは、世界に参加してないよね、としみじみ思います。
言い訳をするとCOVIDパンデミックのせいもあるに違いない。
自分自身に関していえば、ひとつだけ異質の世界を隠しもっていて、言わずと知れて、
それが、ここです。
日本語の世界。
世界と一緒に歩くのをやめてしまって、30年ほども経った世界で、
江戸時代に出島にやってきたオランダ人もかくや、とおもうほど、
いまや、見るもの聴くものが、独特で、気持ちが新鮮になる。
江戸時代のオランダ人たちと異なって、通詞なんてなしでも言葉が通じるという特権を有しているので、最近は、また。「ここだけが違う世界」の日本語世界を楽しんでいる。
よく知られているようにChatGPTのカットオフタイムは2021年だが、
ぼくのカットオフタイムは、もともとは明治時代だったのが、最近は、戦後、1960年代くらいまで延伸されて、
バンコックの下町でハリウッド映画を撮影しているような、活き活きした「若い」日本の人たちを楽しんでいる。
それで思うのは、立っている場所を変えて、観る角度を変えると、案外、日本には世界でただひとつのパラダイスになる可能性が、まだ残っているのではないかということです。
子供のとき、日本にいるあいだじゅう思っていたのは「ここは、世界のなかでただひとつのパラダイスなのに違いない」ということでした。
階級がなくて、子供だから判らなかったというだけではなくて、アメリカのような絶対の学歴主義社会でもない。
人種差別もないでしょう?
子供のときは、「日本では、そういうことなんだ」と薄ぼんやり理解していた女のひとたちへの社会をあげての激しい差別は、思い出しても気分が良いものではなくて、衷心から、日本で女の人に生まれてしまった人は、若い間だけでも逃げ出したほうがいいとおもうが、
自分は性別でいえば男なのをいいことに、述べると、
あんなに楽しい社会はなかった。
多少でも「住んだ」という意識があって、心のなかで「都会」として強く意識している場所にはロンドン、ニューヨーク、東京、バルセロナのよっつが挙げられるとおもうが、
東京は東京で、当たり前だが、なにもかもが他と異なっていて、
まるで、見慣れて、飽きてもきた街をうろうろしていて、角を曲がったら、そこには突然、
観たことも想像したこともないような、例えていえばマヤの都市が、あのまま進化を続けていれば、こうなっただろう、とでもいうような文明が拡がっている。
で、ね。
この気持ちは、ぼくに限らず、どこもかしこもWestfieldのモールみたいになってきて、スターバックスやマクドナルド、ボディショップに、NIKEにLEEで、どこもかしこも似たような街角で、うんざりしている世界中の人が共有できるものだとおもっています。
街角は、もちろん譬えで、文化と文明のことを述べている。
この話の先は、いつもとおなじ言語と言語の健康についての話になっていくので繰り返さないが、
西洋の模倣者としての立場、セカンドランナーとしての世界観は、ばっさり捨てて、
カタカナ西洋語は法律で禁止してしまうくらいのことをやったほうがいいのではないかとおもう。
英語を公用語にして、日本語を守る道をつくれないものなのかしら、と考えたりする。
木洩れ陽、というでしょう?
日本語でものを考える人たちは、他の世界とまったく異なった世界を観ている。
視覚的に木々の枝を透して洩れてくる光を静止画ではなく動きとともに観ている。
いちど、下北沢の小さな神社で、けやきを見上げている少年を観たことがあったが、
日本語人は、なにを認識するにも、情緒や感情、畏怖や感動で、びっしょり濡れている。
このブログでは何度も繰り返し、常軌を逸したしつこさで、
言語がいかに互いに異なる思考をもたらすか、世界への認識そのものが質が異なったものになるかについて述べてきた。
英語は、例えば責任を追及する言葉で、誰が/何がそれを行ったのかに常に言及する。
なんどか紹介したLera Boroditskyの言葉を借りれば「単なる状態を描写するだけでは、すませられない言語」です。
だから責任は誰にあるか、誰がそれをおこなったのかを明瞭にしたがる。
本来、極めて糾弾的な言語で、日本語とは対極にあるといってもよいが、戦後日本語は、
おおきくアメリカナイズされていて、糾弾表現が肥大してしまった。
「~をするなんてXXは許せない」という異常な表現さえ、普通のものになってしまっている。
美しい言語のベスト5やベスト3には常連だった言語の面影を失って、日本語は、落魄して、
テレビのバラエティ番組の影響なのか、なんなのか、
ある種の若いひとたちなどでは、動物が発する声に、やや意味が付着している程度のものにまで成り下がっている。
一方では、もっと深刻なことに、世界の事象を100として、70年代くらいには、110くらいの語彙と表現をもっていた日本語は、感覚的に述べて、いまでは90くらいしか説明できない言語になっていて、
言語としての成長が止まってしまっているように見えます。
もしかしたら成長が止まっただけでなくて、縮退しているかもしれない。
では、どうするか。
言語の健康を恢復するしか、やはり、他に方法はないとおもう。
言語の病状の悪化こそが、いまの日本の低迷の原因だからです。
英語と日本語と、交互にLLM、たとえばChatGPT-4.0を使っていると、
英語に較べて明らかに日本語の回答/出力は劣っている。
ひどいことを言う、とおもうでしょうが、内容の質がおなじ程度の場合は、今度は
応答時間が異様に長くかかって、明らかに英語の回答を日本語に自動翻訳している。
特にネットで話題になったことを訪ねると、大袈裟にいえば、ここ数年の日本語ネットの発狂したような状態がChatGPTに反映されている。
大雑把に言ってしまえばLLMは、ネットを始めとした公開の場の「衆知」を集めて、結論を出しているので、思考の基礎になる言語世界が社会として奇妙なことを信じこんでいると、当然、誤った、あるいは的が外れた結論を導きだすのは、論理的帰結で、いままでのもので譬えると、
英語Wikipediaと日本語ウイキペディアの差異を思い出せば、それに近いかもしれません。
自分では普遍的な情報を得たつもりでいて、日本語メガネでおおきく歪んだ論理や「現実」を観ていることになっていて、冗談ではなくて、日本の人は、早晩、日本語でLLMを構築しないと、
いまは、CEOが大変な期待を寄せている日本から撤退してChatGPTが日本語でのトレーニングどころか、ディプラーニングでの掘削をやめてしまう将来も可能性がかなりありそうです。
日本語世界に、いま必要なことは、言語の健康を大速力で恢復して、まともな言語で、まともな日本語で、
世界を認識しなおして、日本語人だけが立ちうる普遍的な思想上の観点を発見すること以外にはないのではないかとおもっています。
まだ、チャンスはあるのだから
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