家なき子

福田赳夫が大蔵省の課長になったばかりの頃だというから1942年頃の話でしょう。

珍しく仕事がたまってしまったので、若い課長の福田赳夫がデスクに座って仕事をしていると、

古参の課員が、デスクの前に立って、何事か告げたそうに、告げづらそうに、もじもじした様子で立っていたのだそうです。

どうしました?

と聴くと、

「申し訳ないのですが、課長さん、もう4時なので退庁してはもらえないでしょうか。

課長さんが、遅くまで働いていると、わたしら下の人間が、『ほら見ろ、文書課の連中はなまけものだから課長さんが退庁ぎりぎりまで仕事をしてなさる』と笑われますんで」

と言われたそうです。

それ以来、仕事が残っていても、風呂敷にくるんで家に持って帰って、自宅で仕事をするようになった。

明治の人には珍しく、奥さんがイギリス人で、ぼくが会った時には、もう90歳を超えていた小柄な、

いかにも「明治人」然とした、背筋がしゃんとした、

「わたくしは」という主語を使うこの人は、一緒にビールを飲んでいて、

「日本の人は、遅くまで、よく働きますね」と述べたら、

にっこり笑って、

ええ、日本人もダメになったものです、と言うので、

どういうことですか、と目で訊いたら、

「わたくしどもの頃は、会社員は午後5時には家に帰るものでした。

なに、くだらない会議だのなんだの、『仕事をしているふり』をするためだけの時間がなければ、

会社でこなさなければならない仕事なんて、いまだって、そんなものですよ」

と言う。

会社が退けるとね、小腹がすくので、ビールを一杯やりながら、同僚と鰻の蒲焼きを食べるのが楽しみでね。

余計なことを言うのが大好きな向かいに座っているイギリス人の若者が、

「白焼ですか?」と訊くと、

愉快そうに笑いながら、

わたしはタレが好きなんです。

ビールを飲んで、

横須賀線に乗ってね、

鞄に隠しておいた小瓶を開けて、またちびちびと飲むんです。

ゆっくり飲むと、だいたい戸塚で空になる。

裏駅で降りて、歩いて帰ると、ちょうどいい酔い覚ましになって。

いい会社ですね、と述べると、

いやいや、むかしはね、それが普通でした。

あんな揃いも揃ってダメな社員みたいに、夜遅くまで猛烈に働いているふりをするようになったのは、

最近のことですよ、と述べて、涼しい顔をしている。

明治生まれと1930年代生まれの人と話してみると、まるで別の国の人のようです。

1950年生まれだと、またさらに、まったく別の世界の人になっている。

「世代」というものは、確かにあるんだなあ、と、よく考えた。

気のせいか、英語社会よりも違いがおおきいように感じるのは、背景に流れた日本の近代の歴史のせいかもしれません。

ひとつだけ共通しているのは、避けようとしても、自分の人生の話になると、なんだか極く自然に会社が「場」になっていることで、特に仕事人間というふうではない人でも、これだけは変わらない。

社長が汚職でつかまって、恥ずかしいので会社に着くまでの道のりは会社のバッジを裏返してつけた、と話してくれたおっちゃんもいて、迂闊にも「会社のバッジ」というものが存在することを知らなかった無知な外国人に、わざわざ奥からバッジが入った箱を持ってきて、見せてくれた人もいた。

会社の代紋があってバッジがあるなんて、暴力団みたいですね、と言いかけたが、

いくらなんでも失礼なので、思いとどまった。

だんだん話していると、日本語で「会社社会」という、世界の人にも知れ渡った、日本社会の在り方には、バックステージの意味もあって、深層は、

会社こそが生活共同体であったらしいことに気が付きます。

アローナーと自称したりして、なにかの集団に混ざるのを極端に嫌う人もいる。

日本でも、職場から、ふいといなくなって、単独行で谷川岳に登ってしまったりする人もいるそうなので、イメージとしては、そういう人が会社に勤めている、と考えてもいいかも知れません。

英語社会でも、どのタイプの、どんなタイプのおおきさの共同体も必要としない人もいる。

そういう人は、ドライブウェイを共有しているとか、郵便をとりに下りてきたときに顔をあわせると30分くらいも立ち話をするとか、その程度で「世の中との付き合い」は十分だと考える。

職場では、アメリカのようなひと目がうるさい社会は勿論、連合王国やニュージーランドのような国でも「風変わりな人物」と目される。

たいていは、おなじコントラクトブリッジのクラブに属しているとか、

スカイダイビングの仲良し仲間であるとか、

ボートのマリーナクラブ

飛行場のフライトクラブ、

日本語で無理矢理命名すれば「趣味」という、日本語と英語では甚だしく内容も趣も異なる言葉であらわされる言葉でくくろうとおもえば、くくれないこともなさそうです。

自分が、いちばん寛いで、なあんにも考えずに自分でいられるところ、

自分が、その集団に「属している」と感じられていて、ややこしいことをいえば、「当事者意識」を持って参加していて、運命共同体であるとも感じている場所。

日本では、少なくとも20世紀末までは、企業こそが社会の共同体だった、と言えるかも知れません。

日本の人の心の安定は、終身雇用が保障された、自分が勤める会社にこそあった。

Twitterでも、ちょっと書いたが、日本の精神不安定、社会としてのanxietyが始まったのは、この終身雇用制の会社が否定されてからに見えることがある。

理由は、完全に想像がついて、日本の経済の国際競争力が低迷しはじめて、

「こんな暢気なことじゃ、あかん」ということになったからでしょう。

停滞した組織を、ぶっ壊す。

いま60代の義理叔父が子供のころは、切符売り場で切符を買うと、投げて寄越されたそうです。

初乗り30円の切符を買うと、「たった30円で呼びつけるな」と理不尽なことを言われたこともある。

おまえの言い方じゃ日比谷か渋谷か判らねえだろうが!と怒鳴りつけられる。

ちいさいときの怨みは恐ろしいもので、いまだに渋谷駅の尊大を極める駅員の態度について愚痴をこぼして、「中曽根は嫌いだが、国鉄を解体したのだけは偉い」と述べて、北海道出身の大学の同級生のおっちゃんと口論になる。

横で聴いていて、あまりに喧嘩がおもしろいので「鉄道員(ぽっぽや)」という映画のDVDを買うことになったりした。

なるほど高倉健って、こういう魅力がある俳優さんなんだな、と思ったりしたが、

閑話休題。

国鉄や電電公社の、動機が怪しくなくもない中曽根改革が「うまくいった」ので、「郵政省民営化」をぶちあげる小泉純一郎への評判は悪くなくて、

「自民党をぶっ壊す!」と、

なんだか芝居っ気が、不自然に感じられる素人芝居みたいな目つきと拳の突き上げ方も、享けて、

「アメリカ帰り」の竹中平蔵が、その勢いで、終身雇用なんてダメですよ、古いよ、

アメリカを見てご覧なさい、力があるものが評価される世の中ですよ、

雇用の流動性を高めなくて、なんの21世紀か、ということになって、

なんとなく「AIは危険だから6ヶ月の暫定開発停止をやって、ここでみなでゆっくり考えてみるべきだ」と述べながら、こっそり1万個のGPUを買い込んで、その6ヶ月でAIトップに立とうと試みた、

いつでもせこいイーロン・マスクにゲーマー族ぶりが似ている気がするが、

終身雇用なんて、あんなものダメよ、雇用は必要に応じた柔軟で融通性があるものにしないとダメなのよ、と述べながら、これも、なあんとなく「アメリカでは流行りなんだよん」のような気配を匂わせながら「派遣会社」なのものをつくりあげて、雇用主に200万円/月払わせて、被雇用者のプログラマには25万円渡すという、江戸時代の遊女屋の主人も真っ青になりそうな中抜きで、巨万の富をつくりあげる、というか、抜きとる。

ここでの最大の説明は、トリクルダウンと「アメリカを見なさい」で

、前者は過去にブログ記事で、そんなことは起こらないし、なぜダメか、アベノミクスが始まるころに、散々書いたが、

「アメリカを見なさい」のほうも、結局、見るべきアメリカがどんなふうにやっているのか、しかとは判らないので、言われた日本国民のほうは、そうですか、そういうものなんですね、と「アメリカを見た」ことにしてしまった。

明治時代に「富国強兵」という名前で、とにかく強くならないと、鬼のような西欧人に日本は食べられちゃうんだからね、で、タリバンやISよりも過激で、優美な姿で天を衝いていた天守閣を軒並みぶっ壊して、

廃仏毀釈で、寺という寺は、がんがん破壊して、江戸時代までの日本文化を更地にしてみせた明治政府は、とにかく西洋を引っ張ってきて、日本語化しちまえばいいんだろう、で、

いまふり返ると、森有礼の言動などを見ると時代の雰囲気はよく判るが、背筋も凍る軽薄さで、

そこまでの「日本」そのものを完全否定してみせた。

お前らみんな遅れてんだよ、ばあーか、と政府が権威をもって民草に言ってまわるのだから、たいへん強烈でした。

幕末、長崎の通詞たちが、なんとか日本に「科学」という思想を持ち込もうと考えて、「物理」「装置」「重力」

「大腸」「小腸」「酸化」「還元」

たくさんのオランダ語語彙から日本語語彙を造語する。

もともとの日本語の本質である読み下し文の性質がおおきく変わって、欧州語を主に漢語を借りて造語して読み下す要領が判ってくると、科学用語から拡大して、「社会」「権利」「自由」「憲法」

「存在」「自然」「個人」「美」「恋愛」

主語も不便なので、「彼」「彼女」という三人称を発明する。

ところが、一方では、もうなんども述べたので、飽きたよ、という人もいるでしょうが、

肝腎要のintegrityというような語彙は訳さなかった。

相当する造語もつくりませんでした。

西欧の価値の体系を輸入するに当たって、神様は、例えば木戸孝允などは、「耶蘇はダメだ。耶蘇だけは困る」と絶対反対だったくらいで、天上から垂直に均しく万人を見下ろす絶対神だけは避けたかったので、キリストがいる位置に天皇を嵌め込んでしまった。

これを万世一系ということにしてしまえば、絶対神を作らなくても辻褄は合ったからです。

ところがところーが

考えて見ると、西洋的な倫理というもの全体が輸入翻訳した体系からはみ出してしまった。

そこで明治人が考えたのは、富国強兵とは言っても、ほんとうの目標は強兵で、強兵をつくるための富国なので、個人の倫理など持ってもらっては、軍隊が弱くなる、という厳然たる事実でした。

立て杭に縛り付けられた敵性市民に目隠しをしておいて、打ち方、構え、撃て!

で一斉射撃をするときに、「兵長、ぼくは撃てません!」などと言い出す「個人の良心」を持った兵士がいては困る。

命令一下、爆弾を抱えて戦車の下に飛び込んでもらわねば、せっかい安価な「人間」という軍事資源に恵まれた国なのに、戦争にならなくなってしまう。

で、まあ、個人はいいや、ということになって、個人が存在しないのに倫理もなにもないので、

語彙すらつくらないで済ませてしまった言葉が山のようにあります。

倫理が西洋価値体系の、そもそもの土台で、絶対の観念と、絶対神の存在の仮定こそが、西洋の価値体系の公理を成しているのだと、いまに至るまで気が付いていない。

もうひとつの厄介者が、共同体で、長屋を考えればわかる、農村の寄り合いでもいいでしょう、

日本で「共同体」のイメージとしてしっくりくるものは、およそ江戸時代までの日本の伝統が、べったり、しかも深く染み付いているものばかりで、軍事向きの社会文化は武士階級のものを転用するという手があったが、こっちの共同体は軍隊が軟弱になって困るので、軍隊そのものを共同体にしてしまいます。

貴様と俺とは同期の桜

おなじ飯盒の飯を食った仲

戦後日本は、この軍隊を原型として戦後型の「会社」という自分が帰属する「社会のなかの家」をつくっていく。

いちど日本の会社のデザインチームの人たちが訪ねてきてくれたことがあったが、びっくりしたのは、西洋のたいていの会社よりは、男女平等もなにも行き届いていて、

お菓子とお茶での長い歓談のあとでは、男どもは、さっと起ち上がって、有無をいわせずソーサーやカップを片付けて、あっというまに洗って、並べてしまう。

7人乗りのクルマに乗り込んで終電が終わったあとの寮へ引き揚げることになったが、

パッパッと補助席を立てて、女のひとたちをゆったりした後部シートにドアを開けて案内して座らせて、自分たちは補助のちいさなシートに、さっさと座ってシートベルトを締める。

なんだ、日本の女性差別とか、家事はテコでもなんにもしない「おーい、お茶」の日本男伝説とか、どこの国の話か、とモニとふたりで目を丸くしました。

モニさんもぼくも、もともと目は丸いほうだけど

日本の人にとって、西洋式の流動性が高い社会への改革は、ほんとに良いことだったろうか、と、思ったのは、そのときが初めてだったと思います。

5年ぶりの日本で、子供のころ、東京にいたころが懐かしくて、まず初めの日に早朝の築地に出かけた。

その途中で、雨の歩道からNISSANのいったんは廃止になったスポーツカーのフェアレディの新型が社屋のロビーに飾られていて、

神保町のキムラヤで聴いた宇多田ヒカルの「Automatic」とともに、

当時、英語世界で大大的に報道され始めていた小泉改革、日本の経済変革の記事と渾然一体となって、ついでにひさしぶりに訪問した築地は日本の元気の源泉のように感じられて、「日本も、これから変わっていくんだなあ」と、子供のときには紛れもなくパラダイスだった大好きな国の復活を祝って、嬉しくなったのをおぼえています。

あれから二十年、日本は、よくなっただろうか、とおもう。

どこで間違えたのか。

いろいろな方角から、様々に異なったアプローチの説明が出来るのは、知っているが、おおきな印象として、日本の人は、「まず、なによりも安定が欲しいのだ」という子供のときに出来たイメージがある。

安定すると、そのあとに、日本の人だけの特徴というか、安心して怠けるどころか、

なんとも表現しようがない、忠誠心とでもしか表現できないものを発揮して、猛然と働きだす、という、いとも風変わりな国民性を、日本の人は持っているように感じます。

むかしむかし、某自動車会社のおっちゃんが、「日本はいいよお。うちの会社なんてね、給料あがるより、本社の駐車場に自分のクルマの駐車スペースが出来るほうが、社員はみんな、ずっと栄誉に感じて嬉しいんだから。会社の経営、楽だよねえ」と笑ってから、

「おれも、いつか、欲しいなあ」と、心からの調子で述べていた。

もしかすると、日本が不合理な終身雇用を止めてしまったのは、大失敗だったのではないか、と、自分でも巧く理屈が通らないことを考える。

共同体を失った日本の人たちは、荒涼とした寒風が吹き付ける大地を住家(じゅうか)もなく彷徨っているような気持ちなのではないか。

そう考えて、当然、そのつぎには、そもそも共同体の外に置かれて、

日本近代の歴史上、いちども帰属できる集団がなく、おかあさん、おかあさんと慕われるほかは、ただいいように使われて、ボロボロになるようにして死んでいく人が多い、日本の女のひとたちの苛酷な人生をおもわないわけにいかない。

女、三界に家無し

という言葉を知って、ゾッとしたことがあるが、

ヨソモノで男なので、それが状態の描写表現ではなくて、底冷えのする冷たい心象を述べているのだと、気が付かなかった。

ひどい浅薄で迂闊な理解だが、自分が育った北海文明社会の現実と余りに懸け離れていて、現実が現実感を伴って理解できなかった。

自分の社会のほうが男女差別が少ない、というような話とは、別の次元のことです。

たいへんでも、ダメだったものは、やり直すしかない。

なんだか気が遠くなりそうだ、とおもう人もいるかもしれないが、世の中には、思いがけずに起きるよいことというものもあって、LLMベースのAIは、インターネットよりも遙かにおおきな変動を世界に及ぼすのが判っています。

いまのところは、なにしろシステムのトレーニングそのものが英語で行われているので、日本語はおおきなハンディキャップを負っている。

でもね、これは千載一遇のチャンスでもあるんです。

理由は簡単で、世界が価値の土台から壊れるときは、誰にでもチャンスが生まれる、という単純な理由によっている。

英語絶対有利ということになっているAIも、いまここで話すことではなくて、アリババのAIシステムを現実に見てからでないと、考えていることに正当性があるのかどうかも判らないが、いまのところは、日本語社会にとっての決定的な解決策の幇助になる可能性があるとおもってます。

堕ちるのに、堕ちきる底などはない、とむかしからいうが、いっぽうで、

うまくいってないときは、不必要に悲観しやすいのでもある。

もしかしたら落下していたつもりが、ビッグディッパーに乗っていて、

いまは底を通過しつつあるだけなのかも知れないでしょう?

少なくとも、ここに座って1万キロの遠くから日本を眺めているヨソモノは、そう信じています。

では



Categories: 記事

1 reply

  1. 人間万事塞翁が馬
    毎日の生活を、大切な家族や隣人と一緒に、地に足つけて丁寧に暮らしていけたらいいな。

%d bloggers like this: