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↑兵本達吉写真
日本共産党や最高指導者への批判者や異分子を
東京勤労者医療会代々木病院精神科、
に送りこみ精神医療を懲罰に乱用する日本共産党(2000年告発事件)
日本共産党反分子囲い込み戦略=代々木病院精神科=特別収容所棟
月刊正論4月号=2000年4月告発
カルト宗教団体と日本共産党は動作回路は似ている。
■正論2000年4月号(P212~)より抜粋コピー■
告発対談
タイトル:
私たちが体験した日本共産党の”収容所列島”
元日本共産党国会議員秘書=兵本達吉
元民青中野地区委員会副委員長=安東親範
司会=産経新聞政治部次長=関田伸雄
■東京勤労者医療会 代々木病院
住所=〒151-8556=東京都渋谷区千駄ヶ谷1-30-7
電話=03-3404-7661(代表):FAX=03-3404-7456
●病床数=150床
150床(回復期リハビリ病棟49床、人間ドック3床)、透析ベッド35床
●診療科目
精神科・
内科・循環器科・消化器科・呼吸器科・リハビリテーション科
・外科・神経科・整形外科・眼科・皮膚科・婦人科・麻酔科・泌尿器科
■代々木病院の党役割と存在意義■
日本共産党系の医療機関団体「全日本民主医療機関連合会(民医連)」の総本山とも言える
代々木病院が、世界の共産主義諸国において人権弾圧の中心的役割を果たした
●代々木病院=”強制収容所(ラーゲリ)”と化している。
党や最高指導者への批判者や異分子に
「精神病患者」のレッテルを貼って葬り去ろうとしている。
日本にもソルジェニーツインが描いた”収容所列島”が存在している。
●知られざる実態を元共産党員の二人が告発する。
↓事件発端↓
■年賀状が発端の精神鑑定■
司会-まず、お二人が強制的に代々木病院精神科で
精神鑑定を受けさせられた経緯をお伺いしたい。
兵本達吉=私の場合は1990(平成2)年の年賀状が発端でした。
1989年は東欧の社会主義の崩壊があり、暮れに自宅で年賀状を書いていたら、テレビのニュースにルーマニアのチャウシェスク大統領夫妻が逮捕されて銃殺された場面が映し出された
人々は「チャウシェスクはドラキュラだ」と厳しく非難していました。
それを見て私はカッときたわけです。
なぜかと言うと、
●宮本顕治の指導下にあった日本共産党はそれまでチャウシェスクを「東欧の自主独立の政策を進めている人物であり、国内的には社会主義国家の建設を順調にやっている」と称え、「ルーマニア人民の英雄である」と天まで持ち上げていた。
こういう例は他にもあって、
●宮本顕治委員長はソ連を訪問してブレジネフと共同声明を発表して世界平和を謳い上げた。
ところが声明発表のわずか3日後に
ソ連がアフガンに軍事侵入しました。
ことほどさように
宮本顕治はトンチンカンなことをやる。
私は前々から宮本顕治のやることに批判的だったので、チャウシェスク処刑の場面を見て、頭にカッときて、
「宮本顕治独裁三十年」と書いたんです。
司会-ほほう、それで。
兵本達吉=正月が終わって国会(参院議員会館)へ出勤したら、党本部の書記局から「ちょっと来い」と呼び出しがあり、行ったんです。
宮本顕治の右腕とも言われていた書記局員が、私の出した年賀状を手に「君、これ書いただろう」と言うわけです。
否定もできないので「そうです」と認めたんですけど、
●密告の、共産党では報告制度と言うんですが、素早さには本当に驚きました。
「どうしてこういうことを書くんだ」とギューギューやられた。事実上の査問です。
最初のうちは私も「宮本顕治が独裁しているのは事実だと思う」とがんばった。
書記局員は「日本共産党は民主的に運営されている。宮本顕治だって党大会で選出されてやっているんだ」と言う。
形式的にはそうだけれども、日本共産党の党大会というのはあらかじめ誰が中央の役員に選出されるとかは、宮本顕治が引き続き委員長をやるとか筋書きが決まっている。
ほかにも書記局長や国対委員長の決裁で決まった国会の代表質問の原稿が宮本顕治の鶴の一声で正反対の内容に書き換えさせられたこともたびたびあった。
それを指摘して「これを独裁と言わずして何が独裁か」と2、3時間頑張ったけれど、とても認められる雰囲気じゃない。
結局、「間違ったことを書いた」と認めて謝罪するか、開き直って議員秘書を辞めるかの二者択一を迫られたわけです。
でも、私はその時、逃げ口上なんだけど
「一連の東欧の社会主義国の崩壊を目撃して非常にショックを受けた。
(年賀状を書いた時は)精神が動揺して情緒的にも不安定だった」と言ってしまった。
向こうはそれにパッと飛びついてきて
●「君は情緒不安定なのか。正常だったらそんなことを書くはずがない。精神鑑定を受けろ」ということになってしまったんです。
安東親範=私は日本共産党の方針を百パーセント正しいと信じていましたし、
日本共産党を批判したこともなかった。
1986(昭和61)年に中央大学を中退して民青中野地区委員会に加盟し、
1986年に共産党に入党、熱心に活動したもんですから
1987年には民青中野地区の副委員長になり、
1988年には民青を卒業して共産党中野地区委員会の専従党員となり、
牛乳配達をしながら真面目に党の仕事や学習をしていました。
民青の時代には、機関誌の民青新聞の代金にしても各地区の委員会は滞納が多くて、
7月と12月のボーナスでカンパを集めて払うような実情で、
中野地区委員会でも四百部が降ろされてきて実際配られるのは百部くらいでした。
自分の場合は民青新聞をきちんと配達、集金して半年以上も連続して月内に上納金を完納し、東京都の常任委員会でもほめられたり発表されたりしていました。
また日本共産党の指定文献はすべて読み、
中央委員会の決定も決定の翌日には読了していました。
それが、民青の副委員長になってから仲間に「頭がおかしいんじゃないか」と言われるようになったのです。
そのうち、陰口だけじゃなく、面と向かって
「精神病院に連れて行くぞ」と言われるようになったので、
民青を卒業後の
1988(昭和63)年11月ごろ、日本共産党本部の訴願委員会に「自分は一生懸命活動しているのに何とかしてほしい」と手紙を書きました。
●訴願委員会というのはそういう訴えを受けてその解決を図るところです。
ところが、
訴願委員会から自分のところには一切の連絡もないまま、ある日、地区委員会の組織部長に
●「お前、日本共産党の中央に何か書いただろう。
代々木病院へ連れて行けという指示だ」と言われた。
機関紙部長も「もう代々木病院の予約取っちゃったから」と言う。
自分は断ったんですよ。
けれど相談する人もいないし、上級組織の東京都委員会だとかあちこちに手紙を書きました。
が、これも一切無視されました。
自分が機関紙部長に
「私は正常だから代々木病院には行かない。おかしいのはあなただ」と言うと、
「じゃ、俺も一緒に検査を受けてもいいから」と言って、
結局、だまされるようにして
1989(平成元)年1月の末に
●代々木病院精神科に連れていかれました。
兵本達吉=安東親範は物事を几帳面にまじめに考えながらやるタイプ。
日本共産党の常任活動家としては向かないタイプですよ(笑い)。
適当にやらないと、あの世界はやっていけないの。
機関紙の赤旗を拡張しなさいと言われても、そんなもの増えるわけないんだから、
増えなくても増えましたとか増やしたふりをするとか、口では「はい、はい」と言いながら実際はやらないとか、適当に手抜きをしないと回らない世界なんだ。
日本共産中央委員会に勤務する熱心な日本共産党員だから赤旗をばんばん増やせるかというと、そんなことはないわけで、みんな増やせなくて困っている。
けれど、日本共産党本部の人間が赤旗の拡張をやっていないということになると具合が悪いので、・・・・
みんなで「頭がおかしいんじゃないか」と言って、追い出すための口実に使ったんじゃないかな。で、代々木病院はどうでした?
■自宅療養なのに、人手不足で赤旗配達■
安東親範=病院では医師に「自分は無理やり連れてこられたんだ」と散々言いましたから、
そのときから嫌われました(笑い)。
脳のCTスキャンと脳波の検査をされました。
●結果は勿論正常でして、医師も「あなたは正常です」と言いましたが、
同時に「ただ病名をつけなければ法律上(今後)精神科に通院することはできないので、病名はつけます」と、納得してくれという感じで言われました。
病名は何とつけられたのか覚えてないんですが、ハイペリドールという薬を出されて、3ヵ月間の自宅療養の指示を出されました。
自宅療養だというのに赤旗の早朝配達の人が足りないからといって、配達はやらされました。
医師からは2週間に一度来るように言われたんですが、1ヵ月に一度行ったり2ヵ月に一度だったりしてしてました。
この間、医師も代わり、「シルピリド100」とか「アキネトン」とかいう薬をもらいました。
病院に行くと、事務室の電話が結構聞こえて日本共産党から電話がかかってきたり、
待合室というか廊下に日本共産党の人間がいて
●「安東親範は精神分裂病と認定して入院させろ」と言ったりしているのが聞こえました。
とにかく、最初に精神科に連れて行かれたことですごく気落ちしてしまって、
その後は日本共産党の専従はやめましたが、
親元の杉並に戻ってまた民青に再加盟して活動はしてました。
しかし、杉並でも、一緒に活動していた人に中野での体験を話したら
●「あなたは重度の精神病だから代々木病院に入院しなさい」と言われて、またもショックを受けました。
日本共産党は嘘をつかない政党だとか、民主主義の権化だとか、日本共産党は正しくて倫理的にも道徳的にも最も権威のある正当だと信じ切っていましたから。
それで日本共産党とも民青とも関係のない友達に代々木病院行きの話をしたら
「共産党なんか止めた方がいい」と言われました。
1991(平成3)年に離党しました。・・・・
兵本達吉=私も最初は忙しいとか今日は都合が悪いとか言って逃げ回っておったんだけど、国会の(日本共産党の)事務局長から自宅に早朝電話がかかってきて「今日は他の仕事をさておいてまず
●代々木病院に行って精神鑑定を受けろ」と厳命が来たんですよ。
それまでに秘書仲間に相談したら
「そういう屈辱的なことに耐えるよりは、さっさと退職するなり離党するなりしろ」と言う人と、
「受けておいて、後で『精神鑑定をやられた』と宣伝してやったらどうだ」と言う人と半々で、
私は後者の道を選び、代々木病院に行ったんです。
代々木病院精神科の廊下の待合室に座っていたら、顔見知りの医師が通りかかって「今日は何ですか?」と聞くから「先生に診てもらいに来ました」と話したら、ニヤッと笑って部屋の中に入った。
しばらくして彼がまた顔を出して「兵本達吉、何ですか?」とまた言うので
「代々木病院精神鑑定を受けてこいと言われたので来ました」と答えると、真顔になって「じゃ入って」ということで順番をとばして中へ入ったわけ。・・・・・
安東親範=世界中で共産党は純粋な共産主義者、ピュア・コミュニストの追い出しをやっています。
私も結局、離党したわけなんです。
その後、私が「日本共産党には”強制収容所”があって、日本共産党の言うことを行かない人間を代々木病院精神科に連れて行っている」という批判をしたり日本共産党の医療戦略に関する研究を始めたことと関係があると思うのですが、
現在に至るまで私の職場に押しかけたり、外出先まで私を追い回したりして邪魔、嫌がらせをする人間がいるんです。
私は昔、映画やドラマのエキストラをやっていましたが、職場にやってきて同僚に
「安東親範を雇うとこんな目にあうんだぞ」と脅しめいたことを言ったこともあります。
1999年12月には都議会を傍聴に行ったのですが、眼鏡をかけた小太りの女性がいて、おかしな話ですが、都議会事務所に私の名前を出して中傷されました。
年がら年中のこのような行動に、裏切られたという思いを通りこして共産主義を心から憎むようになりました。
兵本達吉=党と衝突を起こして離れた人間が反党活動をやっていないかを監視するということはやっていると思いますよ。日本共産幹部会調査室というところでね。
私の場合も代々木病院精神鑑定を受けた後、それで無罪放免になったわけではなく、
●自己批判書を書かされました。
「書かなかったら日本共産党にいられなくするぞ」みたいなことを言われてね。
職場の同僚が心配して「偉大な宮本顕治議長に対して本当にとんでもない誤りを犯しました」といったことを私に変わって書いてくれたんだけど、自分で添削して国会担当の事務局長のところに持っていったら、私が書き直したところを全部具合が悪いと指導され、勝手に書き直されましたよ。
代々木病院精神科の戦略意義:
■精神医療を懲罰に乱用■
司会-これまでのお話から察すると、お二人以外にも強制的に精神鑑定を受けさせられた似つ本共産党員はいるんでしょうねえ。
兵本達吉=私を診た医師が言っていました、兵本達吉、あんただけじゃないんだと、日本共産党の機構の上から下までどんどん送り込まれてくるよと。
日本共産党活動の矛盾が代々木病院精神科医に持ち込まれて本当に困るんだ
と嘆いていました。
日本共産党は年がら年中赤旗の拡張運動をやってますが、絶えず上からノルマのように何月何日まで何部増やせと指示を打ってくる。
ところが、年中だから下部の党員は動かない。
ある県の機関紙拡大を担当している機関紙部長が上と下の板挟みになってノイローゼ気味になったんでしょうねえ。
「こんな拡大の方針はおかしい」と発言した。
そしたら
●「お前、ちょっと代々木病院精神科へ行け」と言われて、来たケースがあったそうですわ。
「こんなもの精神病ですか?
誰でも(陰では)言ってることだわ」と医師は言ってましたよ。
こういうふうに日本共産党の方針に反対する人、異論を唱える人、異分子と目された人を「あいつは頭がおかしい」と扱って
●代々木病院の精神科へ送り込むというのは、
精神科、精神病院を日本共産党員のイデオロギーをコントロールする一つの手段として、あるいは懲罰機構として利用しているわけで、けしからん話だと思う。
それで全国から患者が来ると言うんだ。
中には日本共産党生活とか日本共産党活動の矛盾に悩んで本当に精神状態がおかしくなった人もいるんじゃないかとは思いますが、大半はカッコ付きの患者、政治的な患者だよ。
代々木病院精神科の治療というのは問診が中心なんです。
その内容で正常かおかしいかの判断をするわけですね。
だから医師は患者に日常生活とか職場の様子とか仕事ぶりとか質問しますよね。
ということは、日本共産党からすれば普通の病院に行かせると、日本共産党員というのは日常的にこういうことをやっているんだという情報が外部に出てしまうことになる。
だから、
日本共産党系の民主医療機関、民医連と言うんですけど、そこの精神科に連れて行くのは日本共産党活動の内容が外部に漏れるのを防ぐためなんです。
正常な人間に精神科に行けというのは屈辱を与えるというか、ものすごいプレッシャーを与えることになるんです。
私と似たような目にあった人の話を聞いたことがありますが、
代々木病院に向かうときに吐き気がする。
代々木病院に近づけば近づくほど頭がズキンズキンと痛くなる。
それで今日はもう
代々木病院に行くのをやめようとクルッと引き返すと、吐き気も頭痛もスッと治るという。
精神的に非常に苦痛を与えるんですよ。
もうひとつは代々木病院精神科に行けと言われたことが恥ずかしい。
自分は後ろめたいことはないんだけれども、しかし、本人にはいやな思い出だし、社会的に明るみに出したくないという心境になる。
さらに私のように大学生のころから日本共産党員で何十年も日本共産党活動をやった人間にとっては周りの人間はみんな日本共産党員だし、色々な人間関係が築かれている。
そういう人間がそこからパッと飛び出したり、発言したりすることは大変なことなんだ。
しかも日本共産党と世間に知られている人間が再就職するたって大変なんですよ。
だから、泣き寝入りするしかない。
●この”代々木病院収容所”の問題が余り世間に知られていない理由はいま言ったことが複雑に絡んでいるからだと思いますよ。
それでも日本の場合は日本共産党の外に自由な社会があるわけで、精神鑑定を強要されたら警察に駆け込むこともできる。
しかし、共産主義国家のように国全体がこういう体制、システムで覆われて逃げる場所がないとなると、これは本当に恐ろしいことですよ。
その辺のことは、安東親範、詳しいんじゃないですか?
■証人喚問で実態を解明すべき■
安東親範=私は日本共産党をやめた時点から、日本共産党には”強制収容所”があって、日本共産党の言うことをきかない人間を代々木病院の精神科に連れて行っている、それは共産主義に共通しているんじゃないかということを研究し、公然と主張もしています。
ソ連、チェコスロバキア、ハンガリー、ルーマニア、東ドイツ、アンゴラ、ユーゴスラビア、キューバ、どこの共産主義国でも精神医療が乱用されていることが学者の研究やアムネスティの発表で明らかになっていますね。
中国や北朝鮮では精神病院に連れていく前に抹殺されることが多いようですが、やはり中国の反体制の批判者が精神病院に連れて行かれるから助けてくれという手紙を出したということがアムネスティの記録に残っています。
●日本共産党が反体制派や意見を異にする者を精神病と認定する理由は、
まずそういうレッテル貼りをすることによって、
彼らの主張が一般国民から相手にされなくすること。
私の場合でも、私が何か言っても日本共産党は、
「あれは代々木病院で精神病と診断された人間の言うことだ。聞かなくていい」と言えるわけです。
精神病院に閉じ込めることで彼らを沈黙させることができるのも理由の一つです。
彼らを逮捕すると、法廷で何をしゃべるか分からない危険があります。
ソ連の場合ですが、病院に入れる方が裁判にかけるより費用がかからないという学者の研究が出ています。
日本共産党は選挙ポスターで「人権を守る共産党」なんて謳っていますが、『収容所列島』でソ連の強制収容所の実態を描き出し、ノーベル文学賞を受賞したソルジェニーツィンにどういう態度をとったか。
「ソルジェニーツィンはおかしい」
「ソルジェニーツィンの社会主義論は社会主義を歪めている」と批判し、
彼を弾圧したソ連共産党は内政干渉になるという理由で全く批判していない。
そういう日本共産党がどうして人権を語れるのかと思いますね。
●日本共産党系の民医連傘下には今、
千以上の病院・診療所があり、独特の綱領を持っています。
●同じく新日本医師会は独特の宣言を持っている。
それらを読むと、「アメリカ帝国主義に反対する」だとか「日本独占資本主義に反対する闘争の中で生まれた伝統を受け継いでいる」だとか言っています。・・・・
兵本達吉=結局ね、日本共産党というのは査問をやったり、統制委員会にかけたり、自己批判書を書かせたりすることでイデオロギーをコントロールしていかないことには全体を維持できない性格を持っていると思うんですよ。
この間、現在は米国席の呉弘達という人権活動家が来日しまして、私も30分ほど話しましたが、中国でも党の言うことを聞かない人間は精神病院に放り込んでしまうとはっきり言っていました。
天安門事件に参加した北京大学の学生のなんかでも精神病院に入れられていると。
だから僕は共産主義というものの有機的な一部分だと思う。
日本共産党の場合は微弱な政党だけれども、これが大きな政党に成長していけば、こういう懲罰システムも大きく成長していく。これは決して軽く考えていいことじゃない。
重大な問題として捉えてほしい。
先ほどの安東親範の話を継いで言うと、日本の精神医学界は、民医連系の精神科で本来の精神医療からは邪道な治療行為が行われていないか、調査してほしいと思いますね。
極端なケースについては人権擁護局なんかも立ち入り調査すべきだと思います。
もう一つ、いままで申し上げたようなケースについて、精神医療の問題として捉えるのであれば、国会でいえば厚生委員会、人権問題として捉えるのであれば法務委員会あたりで、例えば代々木病院の医師たちを証人喚問して調べるべきだと思います。
安東親範=同感です。
怖いのは、ソ連共産党の医師を引き合いに出して言えば、彼らは反体制の人間を心底から病人だと思いこんで疑わないらしいですね。
彼らの理論では他の人間と違う人間は病気だということになる。
兵本達吉=実態を解明すべきですよ。
こういうことを平然とやっている政党が大手を振って闊歩しておるということは由々しいことで、国会証人喚問。
日本共産党は何かあるとすぐ「国会に呼べ」「証人喚問しろ」と要求する党だから(笑い)、いっぺん、医師を国会に呼んでいただいて、みんなから質問してもらったらいいんじゃないかと私、思いますね。
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月刊誌「正論」4月号が、上記の告発対談を掲載したところ、
早速「しんぶん赤旗」3日付で、
「雑誌『正論』4月号の『告発対談』について」と題して批判を行っています。
「しんぶん赤旗」での主張は以下のとおり事実を歪曲した反論でした。
①「しんぶん赤旗」の文中では、
「兵本達吉は、1990年、『東欧情勢にショックを受け、夜も眠れず、心理的パニック状態になった』とのべ、みずから希望して医師の診察を受けたことがあります」
と兵本達吉が自主的に精神医にかかったと述べています。
②「しんぶん赤旗」の文中では
「だいたい『日本共産党の“収容所列島”』などありようはずもありません。
現に兵本達吉も対談者も、“強制収容”どころか、好きなところへ出ていってしゃべりまくっているではありませんか」と批判しています。
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『週刊文春・2006年11月9日号』
週刊文春の「引退後も特権享受不破哲三(本名=上田建二郎)は『赤い貴族』」
2003年(平成15年) 衆議院議員を引退する。
2006年(平成18年)日本共産党議長を退任する。
現在(2013/H25)=日本共産党中央委員会付属社会科学研究所所長。
▼引用開始↓
小誌は、専属の料理人がいるいう神奈川・津久井の山中深くにある不破(上田建二郎)
の私邸を訪ねてみた。(中略)
不破(上田建二郎)が七加子夫人名義でこの土地を購入したのは昭和60年(1985)。
広さは3265平方メートル(約988坪)。
昭和62年には所有権がすべて不破哲三(本名=上田建二郎)に移転。
広大な土地の上に、四棟の建物が建築され、
その一つは書庫兼不破の趣味である郷土玩具の陳列室として使われている。
問題はそのうちの二棟。
木造二階建ての居宅および車庫の名義は、共産党の所有となっている。
私有の土地の上に、党が建物を建てるという、極めて公私の別がない形になっているのだ。
この建物に「不破(上田建二郎)の秘書、ボディーガード兼運転手、料理人が常駐していた」
(党関係者)という。(中略)
不破(上田建二郎)が暮らすのは津久井の山荘だけではない。
山荘が都内から遠いため、東京渋谷にある通称「千駄ヶ谷寮」で暮らすこともしばしばだった。
ここは共産党所有の最高幹部専用の施設で、
不破(上田建二郎)らが宿泊するためのベッドルームもあるという。
▲引用終了↑
私邸なのに日本共産党名義というのがイカシています。
共産主義的とも言えますが「不破(上田建二郎)が固定資産税払ってんの?」という疑問も出てきます。
その辺はどうなんでしょうか。
次に、
記事は不破(上田建二郎)の収入について
▼引用開始↓
不破(上田建二郎)の国会議員時代の歳費は、
引退するまでの数年間を見ると、
約2070万円(平成12年、13年)、
約1938万円(14年)。
共産党は、
国の政党助成金を受けていないが、
その活動経費の一部を、
議員や議員秘書の歳費などを、カンパさせることで賄っている。
(中略)
不破(上田建二郎)は、
平成15年、党に約650万円を寄付しているから、
同程度の金額を歳費から差し引いたものが、給与所得だったと考えられる。
計算=2000万円ー650万円=1350万円≒不破哲三(上田建二郎)の給与
実は、党内で問題視されているのは、
歳費とは別の「雑所得」である。
不破(上田建二郎)の議員時代を見ると、
不破(上田建二郎)の「雑所得」は
約1018万円(H12年)、
約1067万円(H13年)、
約659万円(H14年)
とあるが、
その内訳は圧倒的に印税と原稿料収入が多いという。
(中略)
不破(上田建二郎)は国会議員を辞したため、
平成16年の党への寄付は38万9000円に激減。
平成17年10万8000円(党への寄付)。
ところが、
平成16年には10冊の単行本を出版、
そのうち7冊が新日本出版社から出ている。
定価の合計は約1万円(単純計算で1冊あたり1000円)。
不破(上田建二郎)の単行本は最低でも3000部は印刷するというから、
7冊で21000部、
印税が6%としても1260万円の収入を手にしていたと推測できる。
これに加え、
国会議員互助年金として、
34年間衆議院議員を務めてきた不破(上田建二郎)は、
年間600万円ほどを受け取っているはずだ。
共産党はこの年金制度を「非常に特権的」だと批判しているが、
不破(上田建二郎)が年金を辞退した様子はない。
さらに、
年間700~800万円という常任幹部会委員(共産党)としての給与などが加わるから、
優に、
年収2000万円を超える。
給与の遅配、欠配が続く地区専従職員とは雲泥の生活ぶり。
まさに「赤い貴族」である。
▲引用終了↑
うひょ~。セレブ生活一直線。
不破(上田建二郎)の党への寄付は激減しているのに、
不破(上田建二郎)の収入はそんなに減っていないことを暴露されてしまいました。
不破(上田建二郎)の平成17年の寄付金額は月あたり9000円、携帯電話の料金なみです。
計算=108000/12=9000円/月
そしてシメは「あーせー江青」です。
もしかしたらこの部分が一番面白いのかもしれません。
以下省略。
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大須田勉