[5-11] 警戒
誰もが唖然としていた。
この巨大な城の中に、しかしそれでも収まりきらぬような光溢れる森がある事に。
そしてそこが、まるで春のように暖かい事に。
屋内だというのに、木々の向こうに空が見えているのも変だ。
よく観察すれば、高い天井に照明を取り付けて空の絵を描いただけ……にも見えたが、天井より遠くに雲が流れているようにも思えて、実態を看破しようと凝視すると目が回りそうだった。
訪問者の一人、冒険者ギルド職員のマークも、度肝を抜かれていた。
マークは元々冒険者だ。ずっと国内で仕事をしてきて、引退して地元に戻り、静かなギルド支部の職員になった。
活躍の舞台がいかに小国だったと言えど、冒険者として、またはその後方支援をする者として、不思議な出来事に遭遇した経験もいくらかある……つもりだったが、これはもう、マークの今までの人生を全て吹き飛ばすような大事件だった。
「な、なんで、こんな場所が……」
「姫様のお力です」
顔を隠していた船頭が、しれっと言った。
フードを降ろしてみれば、細い顔に白木のような肌、特徴的な尖り耳。彼はエルフであった。
「それとも、ここが暖かいのが奇妙ですか?
ならばこれのお陰でもあります。
我らが冬をしのぐために用いる、森の花です」
船頭あらため案内人のエルフは、商店の軒先に吊り下げられたものを指差す。
それは言うなれば、細いツタを編んで球形にして、土を詰めたハンドバッグ……あるいは植木鉢だった。炎のように真っ赤な花が植え付けられ、何本も顔を出している。
よく見てみれば、赤い花の蔓鉢は、周囲の景色の中にいくつも存在した。
店先に、建物(?)の中に、そして道を歩くエルフの手にも。
彼らにとっては当たり前の日用品という雰囲気だ。
背中にじわりと汗がにじんで、マークは分厚い防寒外套を脱いでしまった。
「では魔力利用申請の方は、こちらに。下から三つ目の部屋が役所です」
案内人が先導し、訪問者たちはぞろぞろと、エルフの森を進んでいく。
周囲の木々は異様なまでに大きく太い。そこには、やはり異様に太い蔦が巻き付いていて、それが所々で編まれて
木の幹には、蔦の部屋が鈴生りになっているのだ。エルフたちは、リスのように僅かな手がかりで木を駆け上り、部屋から部屋へ行き来していた。
人間たちはそうもいかぬが、『役所』への道は階段状に蔦が茂っていた。
登った先に、ひときわ大きな部屋が実っている。
「ご家庭などの個人使用者は右へ、店舗や商会本部などの大規模または商業的利用者は左へどうぞ」
蔦の部屋に入ってみると、そこは意外なほどにしっかりした構造で、広かった。
広いロビーはカウンターで仕切られ、奥ではエルフたちが事務仕事をしている。王都(ここではなく、マークが知る
「こちらにご記入ください。
よろしければ代筆もお引き受け致します」
カウンターにマークが座ると、奇妙な書類が出て来た。
罫線だけではなく、名前や住所、家族についてを記入する欄が最初から印刷されていて、穴を埋めればいい様式だった。
なんだか
「確かに受理致しました。手続き完了です」
「これだけで?」
「はい。
こちらが申請証明の割符となります」
役人が手渡してきた真新しいプラチナのプレートには、『魔力利用申請証』の文字と、既にマークの名前が刻まれていた
――ギルドの冒険者証と同じような技術か?
なるほど、冒険者を管理するのと同じように民も管理できる理屈ではあろうが……
冷や汗が吹き出したのは、暖かさのせいではあるまい。
日常的に書類の相手をしているマークだから感じたことだろうか。シエル=テイラ亡国は『王国』よりも、数世代進んだ社会システムを構築している……と。
そも、『様式化されて即座に処理できる申請書類』というのが驚きだ。これなら知識が無くても、文字さえ分かれば誰でも書けるから、代筆士が要らぬ。
どこが悪かったのかも分からぬまま、書類不備のせいで申請が通らず、途方に暮れる事も減るだろう。
合理的ではあるが、そのための役人教育を含めた態勢整備を考えれば、導入は容易でない。
空を飛ぶ城? 魔物の軍勢?
それが何だというのか。暴力は暴力で打ち倒せる。
だが……この国は、それだけではない。
「それから、こちらが『渡し船』運賃の返還分となります」
プレートと一緒にマークに渡されたのは、毒々しく赤い薔薇が印刷された数枚の紙幣だった。
銀貨一枚分での流通を、シエル=テイラ亡国の下に保証し、後に銀貨と交換されると書かれている。
要するに軍票だった。
「その、これは……本当に価値があるので?」
「商店等には受け取りの義務があります。
違反を発見しましたら情報をお寄せください」
これの話は、来る前から噂で聞いていた。
なるほど、上手いとマークは心中で唸る。普遍的な価値を持つ金貨銀貨は役所に、そしてマークには不安定な軍票が残る。“怨獄の薔薇姫”は、ただで金を手に入れたようなものだ。
「ご不安でしたら、少なくとも、この王都では通用します。
お帰りの前にお買い物でもされてはいかがです?」
役人は笑顔の圧力を掛けてきた。
威圧的ではないのに、有無を言わさぬものがあった。
* * *
「次の船が来ておりますので混み合わぬように、お帰りの方は外縁農区を回って、第二街区をお通りいただきます」
全員分の手続きが終わるのを待って、マークは来たときとは別の道へ案内された。
森と同化した都市をしばし、歩かされると、ある一点から急に視界が開けた。
「う……」
感嘆の声すら潰れるほどの、凄まじい光景だった。
狭い土地に押し込むのであれば、当然、縦に積み上げることになる。
ここまでに見たのは、あくまで大樹に部屋をくっつけるという、エルフたちのやり方での街作りだったが、そこでも片鱗は見えていた。もしエルフの森の住居を見たことがあるなら、密集度合いが高すぎることに気づいただろう。
それが、さらに露骨になっていた。
この農園は、多層であった。
まるで物置棚のように、
おそらく、この第一街区は中心の森部分だけが吹き抜けになっていて、それ以外は階層構造なのだ。
マークは今、森の端から、十階建ての農地の断面を見ていた。
――農園だって? これが?
こんなの、まるで……食べ物の工場じゃないか。
煉瓦の壁に水が流れ、そこに蔓草の果実が繁茂する。
ガラスで仕切られた温室に、見たことも無い野菜の木が鎮座する。
それらの間の狭い道を、農機具を抱えたスケルトンが行き交っていた。労働スケルトンに指示を出しているのは、生ける者たちだ。黒い肌のダークエルフも、普通のエルフも……人間さえ居る。
マークたちは一階部分の農道を歩いた。
取れたての作物を満載した馬車と擦れ違う。
道脇には鳥籠がぎっしりと積み上げられていた。
中に収まっているのは……鶏でも鴨でもない。仰々しいトサカと鋭い蹴爪を持つ、大柄な鳥の魔物だ。どいつもこいつもでっぷり太っている。
マークは不覚にも、何という種なのか分からなかった。この辺りの地方には存在しない種なのだろう。
「魔物が飼育されている……」
「従順な家畜です」
マークが驚いたのは、これは明らかに、魔物を閉じ込められるようなご立派な檻ではなかったからだ。
こんなチャチな鉄格子、ちょっと強い魔物なら簡単に引きちぎってしまうだろう。
「魔物は、桁違いに強い魔物には種の垣根を越えて従い、命すら捧げます。
姫様が『肉になれ』と命じる。すると、魔物たちはおとなしくエサを食み、丸々肥えたら喜んで我らにその身を差し出すのです」
マークの疑問を読んだように、案内人のエルフは滔々と説明する。
流石にこれは怖気がした。
マークも冒険者として魔物の性質を知っているが、ではそれによって魔物の国で何が起こるのか、という事までは想像も付かなかった。
肉牛や豚は愚かであるが故に、己が食われる運命を知らず生涯を送り、恐怖する暇もなく屠殺される。
だが、この魔物たちは違う。己の運命を知りながら逆らえぬ……もしくは、それを幸福に感じているのだ。
「騎士たちは
皆様とて魔物を使うでしょう。同じ事ですよ」
案内人は平然としたものだが、そういう問題なのかマークは疑問だった。
「あ、あ、あの暖かい花も、ここで育てているんですね」
「エルフは森で農業をしません。掟に触れぬよう、森の外の農地を使うのです。
まあこれも、本来は自然に森で咲く花なのですが、シエル=ルアーレでは暖かくて咲きませんでしたから……」
魔物の飼育場を抜けた先は、右も左も炎の海のようだった。
赤い花の花壇が並んでいるのだ。薄ぼんやりと発光するだけの赤い花も、これほど並んでいては目が眩むほど。
花々は、ガラスで封じられた温室の中だ。そこではスケルトンがじょうろを持って、花に水をやっていた。……いや、これは温室なのだろうか? むしろ氷室のように内部の温度を低く保っているのかも知れない。
おそらくここでは、一年中、どんな作物でも最適な環境で栽培できる。それだけの技術があるのだ。
「あの花を……売ってくれるって、聞いたんだが」
ぼそりと呟くように、控えめに、同行者の一人が言った。
これはマークも聞いていた噂だ。シエル=ルアーレとやらに出かけた者の中に、奇妙な花を持ち帰った者が居ると。
土産物としても面白いだろうが、そんな浮ついた理由で求めているわけではなかろう。
冬を越す足しにはならないかと、考えたのだ。
亡国に魔力を握られたマークたちと、ディレッタによって魔力利用に統制を掛けられた者たちと、どちらがマシかは分からないが、誰もが越冬に不安を抱いている。
藁にでも縋りたいのだ。
案内人のエルフは、寸の間、足を止めて振り返る。
何故だかマークはぞっとした。
気のせいかと思うほどの一瞬。ひやりとした刃物を首筋に押し当てられたような、藪に身を潜めた魔物がこちらを狙っているかのような、そんな、気配とも言えない予感が感じられて。
「この先で買えるかと思います」
屋内か屋外かも分からない農園の果てには、城門のように大きな扉があった。
案内人が手を触れると、門は蛇が口を開けるかのように、勝手に開いていった。
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