日本を政治に無関心な国にしているのは、実は私たち学校教育だということ。
「学校」の教室でみんなで何かを決める時、多くの学校で多数決やアンケートを用いています。
そして、「決まったことはみんなで守ろうね」なんて乱暴なことを平気で教えている教員がたくさんいます。
こんなことでは民主主義は教えることはできません。
例えば、日本社会には身体障害や精神障害など、障害がある方々が7%を超えると言われていますが、発達障害やお年寄りの障害などを加えれば10%、20%を超える人たちが何らかの障害があることと推定されます。これだけの人たちがいるにもかかわらず、全体から見れば、やはりマイノリティ(少数派)です。
議会制民主主義というシステム上、国会が最終的に多数決をとることは当然のことですが、もし単純に多数決で一方的に決めるのが当たり前になってしまうのであれば、少数派にとって不利益な社会がつくられていくことは明らかです。
このように政治の話になれば、教員もすぐに理解できることなのに、国の民主主義を成熟させるために最も大事な役割である「学校」という教室の中で、頻繁に多数決が使われていることは、とても残念なことです。
教室の中で行わなければならないことは、話し合いの中で浮き彫りになった意見の対立を、まずは全員で構造的に整理することです。A案を取れば誰はOKで、誰はダメなのか、それはなぜなのか、同様にB案ではどうなのか。
そしてもっとも大切なことは、そもそも「全員がOK(誰一人置き去りにしない)」と言える共通の目的や目標を確認しあうことです。
学校で安易に多数決を使っていいのは、A案でもB案でも誰もがどちらでも大きな問題がないときであり、問題があるのであれば、誰一人置き去りにすることのないC案を全員で見つけ出すまで話し合いを続けていく必要があります。
「今年の運動会の目標は『団結』です。これを達成するために頑張りましょう。そのために何ができるか学級で話し合いたいと思います。」などと言ってスタートする学級会は、スタート時点から問題があります。
なぜなら「団結する」という目標設定そのものがそもそも「全員がOK(誰一人置き去りにしない)」の目標にはなり得ないからです。
団結は全員で努力した結果の姿であるべきであり、「団結」を目標にして進める教育はまさに「誰一人置き去りにしない教育」とは真逆の考え方であることを教員は認識しなければなりません。
全体主義を進め、政治に関心の持てない国民を作り出しているのは、僕ら学校だということを全ての教員が自覚しなければなりません。
学校で多数決を使わない民主的な話し合いができるようになってこそ、多数決を使わざるを得ない、大人社会で手間も時間もかかる議会制民主主義システムをより適切かつスピーディーに機能させることができるのだと考えます。
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