会話

正直“守られるお姫様”的なポジションって女性向けの少女漫画とかならなりきって楽しむことはできるけど、男性向けのいわゆる“お荷物ヒロイン”のそれは男目線での「なりたいと憧れる一方で対等な人間としての男同士の絆から疎外され蔑視される卑しい存在」であることが当然のものとされているから、→
1
16
→それが女性にとって自尊心を傷つけられる抑圧になるのは当然だし、その違いを無視するのは暴力だと思う。所謂“お荷物ヒロイン”で嫌われてるキャラって、戦闘能力がないこと自体が問題なんじゃなく、必ず男目線の女への偏見としか言い様のない性格設定、例えば主人公とそれ以外の相手で→
1
14
→露骨に態度の違う理不尽な“ぶりっ子”だったり、自分より胸が大きかったりスタイルがいい設定の同性キャラに嫉妬して失礼な態度を平気でとったり、その一方でシリアスな場面ではわざとらしく「誰も傷つけたくないの!私さえ犠牲になれば…」みたいなことを主人公とかの否定して止めてくれるのが→
1
11
→わかりきってる相手の前でわざとらしく言ったりとか、要するに「男が自分では恥になるから出来ないと思っている、容姿をかわいいと思われチヤホヤされつつ自己犠牲的な聖女としても見られたいとか、女の身体を持たない自分の生身の女性への嫉妬心の投影でしかないこと」の塊だから→
1
17
→生身の人間である女性から見れば「客観的に観察すれば自己中心的なナルシストなのにその自覚がなく、周囲からも一切指摘されずチヤホヤされっぱなしの異常者」みたいな化け物が女装してるだけで、しかもそれを肯定しないとブスが嫉妬してる扱いされるからかわいいと言わざるを得ない地獄なんだよね。
1
17
もちろん大抵の少年漫画含む男メインのホモソーシャルなドラマの場合は、それに加えて潜在的にホモエロティックな“男同士の絆”にこそ価値があるというのがセオリーで、そこで描かれる男のキャラや男同士の関係の方が当然魅力的だから、→
1
11
→生身の女性読者の方では「こんな気持ち悪い性格・描かれ方の女装した化け物みたいなヒロインを見るのは不快だし、まともに人間として描かれている魅力的な男同士だけだったらどんなにいいだろう」と思うのは当然の感想でしかないし、→
1
14
→生身の女性読者にそういう感想を抱かせる原因を作っているのは男の作者・読者の「女性性を自分自身の一部としてニュートラルに受け入れられず歪な非人間として他者化してしまうミソジニー」が生んだ歪んだ女性像の方なんだから、まずそのからくりを指摘しないのはおかしいし、→
1
14
世の中で「“一般向け=男向け”である男同士のホモソーシャルなドラマの中の“華”としてのヒロインの女性像」と「少女漫画等の女性読者が主体としての自分を投影して楽しめるように考えられた女性向けフィクションの中でのヒロインの女性像」のどちらの方が一般に影響力を持ってきたかは考えるまでもない
1
12
そして現実では、女性が男のように戦えないことや弱いことは本質的に文字通りの弱者性しか意味しないし、“お荷物ヒロイン”って本質的に「女だったら戦えなくても弱くてもかわいいだけでチヤホヤされる」という「女の人生はイージーモード」的な男のミソジナスな妄想の産物であると同時にその温床で→
1
10
→その最悪の行き着く先は「俺は不運にも男の体に生まれただけで本当はこんなにか弱くかわいい“女の子”である悲劇のヒロインなのに、それを認めずかわいい俺を迫害するシス女共は許さん!」というミソジニー自称MTFの群れを見ればよくわかると思う。徹頭徹尾男が作った構造の問題でしかありえない。
1
12
要するに、現実に男のようなフィジカルな“力”に恵まれていない現実の女性にとって、「否応なく守られる側であること」なんて“若く美しくかわいいヒロイン”と見なされるか否かと無関係に「逃れられない現実」でしかなく、→
1
8
→どんなに若い美人にとっても「強者である男の顔色を窺わなければならない劣位の立場」であり、若さや美しさや男にとって好ましい態度といった「庇護に値すると見なされる属性」を失ったと思われれば終わりでしかない不自由さと根源的な屈辱感がつきまとうことは絶対的に変わらないから、→
1
9