10年前、ちょっとソーシャルな雰囲気で当時話題となっていた求人サイトで「地域活性化に携わりたいならここ」と紹介されていた会社に入ったら、完全にただのシェアオフィスの受付事務の仕事だった。求人記事にも「基本は事務」とは書いてあったけど、地域関連の仕事に一切関われないとは思わなくて。
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その後新しい人を募集するとき、社員が「この給料でこの仕事だと大卒取れないから地域とかのワード入れないと」と言っていて「は?」と思った。その会社は地域関連の補助金や助成金の情報には目ざとく、「それ本当に地域のためになる?」という事業を行っていて、「地域活性化の実態って…」と呆れた。
会長や社長はバブルの残滓を煮凝りにしたような人たちで、取引先の若手を数十分罵倒したり、飲みの席で経理の女性に「旦那とは週何回セックスするの?」としつこく絡んだり、テナントのカフェの店長がバイトの子とシェアハウスをしはじめたときは「いかがわしい」と難癖をつけてやめさせたり。
私の後には地域アートに詳しい女性が入ったんだけど、会長社長や周辺の人たちが、彼女の働く姿を舐め回すように眺めながら「見てごらん、いい脚してるだろう。あの脚で採用したんだよ」とニヤニヤしていたのを覚えている。彼女は理不尽な説教で泣かされたりもしていた。
私も「君に地域の仕事をやらせてあげよう」「しかし男女って不思議だねえ、僕らは親子ほど歳が離れているのに君が脚を開けば僕らはセックスできるんだからね」と言われ、気持ち悪さに絶句していたら「君も処女じゃないんだから嫌だったら出ていくよね。そうしないってことは満更でもないのかな?」と。
送別会でいただいた花は、川辺にゲリラガーデニングした。花にも選んでくれた社員の方にも罪はないので捨てるのは忍びなく、でも社長から渡されたものを家に入れることはできなくて。「見た目は綺麗だけど、自分にとって毒にしかならないもの」を自分の内側には入れないと、そのとき決めた。
「会長社長のような人たちと関わらなくても生きていける人になりたい」「本当に価値のある活動をしている人、真摯な思いを持っている人を紹介したい」「ハラスメントで押しつぶされそうになっている人に、あなたは悪くないよと言いたい」と思って、フリーのライターになった。
ちなみにシェアオフィスの入居者さんたちは親身に相談に乗ってくれて、10人弱が私に仕事を紹介してくれた。会社の人たちは「こんなにたくさん入居者がいるのに尊敬できる人がひとりもいないのがすごい」と言っていたけど、私にとっては全然そんなことなかったよ。
その後念願叶ってソーシャルグッドなメディアで記事を書けるようになったけど(※いま話題になっているsoarではありません)、違和感を感じることもあった。取材先の若手やインターンの子の表情が暗かったり、良くない評判を聞く団体や人でも「知名度があるから」とイベントのゲストに呼ばれていたり。
そういう問題提起をメディア内でしてきたつもりだったけど、私が担当する連載で、編集部の人がクライアント企業の女性とライターの女性を侮辱する事件が起きてしまい、本当にショックだった。担当者として未然に防げなかったことやうまく対応できなかったことが情けなかった。
でも、問題を追及していく中で、こういうことがそのメディア内で度々起こっていたことを知って頭を抱えた。なんで被害者のライターや学生インターンが去って、加害者がまだいるんだろう。加害者に知名度や発信力があって、予算を引っ張ってくる力があるから? 被害者は「替えがきく」から?
何もなかったかのようにキラキラした発信をするメディアを、被害者はどんな思いでいたんだろう。私が書いた記事をどう見ていたんだろう。そういうものに加担したくなくてフリーランスになったのに、気づかず加担していたなんて……と、かなり落ち込んだ。
それは私の前の職場だった。正直すごく嫌だったけど、そのシェアオフィスは家賃が激安で小さなNPOにはありがたい条件だろうし、私が距離を置けばいいや、と思った。ただ、若い子に被害に遭ってほしくなかったから、私が見聞きしたことを伝え、「インターンの子たちを守ってくださいね」と念を押した。
そのときは「貴重なお話をしてくれてありがとうございます」というコメントが返ってきたけど、数週間後、「○○(シェアオフィス)の運営企業が新しく人を採用するみたいだから、仕事をやりやすくするために周辺の若いやつを送り込もうw 求人記事も受注できるかも!」と投稿があって。
え……何が「w」なの? 過去にハラスメントを許してしまった組織としての反省とか、ソーシャルグッドなメディアとしての倫理観とか、求人記事を扱う責任感とか、数年関わってきた私に対する最低限の礼儀とか、全然ないの??と心底驚いた。
「目指すところが根本的に違うんだな、社会の問題には関心があるけど個人を大事にすることには関心がないのかもしれないな、道理で問題提起しても響かないわけだ、逆に今までうるさく言って悪かったよ」と思って決別した。編集長からは別の用事のついでに「傷つけてしまいすみません」とメールが来た。
その後、「色々トラブルもあったけど、僕たちは家族や友人、大切な人に紹介できる求人記事を出していこうと決意を新たにしました!」とSNSにキラキラ投稿がされていて、たくさんの「いいね!」がついていて。なんていうか……私が問題提起してきたこと、本当に何一つ伝わっていなかったんだな……。
でも、編集部の中でひとり、一連の出来事を私以上に怒ってくれた女性がいた。「悔しさと申し訳無さで涙出てきた」「傷つけてすみません、は反省の言葉じゃない」と言ってくれて。正しい重みで受け止めてくれる人がいたことで、本当に救われた気持ちだった。これが2年ほど前の話。
返信先: さん
ただ、部外者のような立ち位置の発言になってしまうけど、被害を受けながら勇気を持って告発する人がいること、それをちゃんと受け止めて応援する人がいることに、本当に勝手に、励まされたり癒やされたりもしていた。
私は最初に勤めた会社でも取引先からセクハラを受けて、それを相談した上司から身体を触られ、別のタイミングで先輩から「(人間関係のトラブルに遭うのは)そういう関係しか築けなかった君のせい」と言われた過去があり、「被害を人に伝えても更に傷つくだけ」という根深い不信感がある。
そういう怖さを乗り越えて被害を公にする人は、自分のためというより、これ以上被害に遭う人を出さないため、問題を可視化して根本的に解決するためにやっている側面が大きいと思う。波風を立てないと、表面的な謝罪はもらえても、問題は解決していかないから。すごく誠実で、勇気のある行動だと思う。
和を重んじる人は、波風を立てる人を見ると「お互い疲弊するだろうし、もうちょっと温和な方法があるんじゃないか」と感じるかもしれない。でも、長い目で、かつ社会全体で見ると、波風を立てることによって改善されることも多いんじゃないかな……と、波風を立てない選択をしがちな人間として思う。
べてぶくろの事件が起こったときにSNSにこんな投稿をしていたけど、間違いが起こったときに周囲がちゃんと怒ること、「問題」と捉えて解決策を考えること、何より被害者を守ること、が当たり前の社会になってほしい。そうしていきたい。