会話

サロメについては書きたいと思ってることがあるんだけど、アリプロのあの歌詞は(単なる既存の通俗なサロメ像のなぞりとは言え)全然論外。ドラァグというかゲイが自己投影してるのはワイルドの戯曲が原因だろうけど、あれこそ全然「男の自己投影としての女像」の話じゃないから皮肉だし腹立たしい。
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あれは「ゲイの作家=ヒロインは本当はゲイの男だろう」というステレオタイプな先入観なしに読めばワイルドがいかにそういう凡庸でおめでたいナルシストのゲイの男たちとは格が違う作家だったかわかるはずのもので、端的に言えば主人公を少女にしたワイルド版『ハムレット』なんだよね。
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少女を男=ハムレットの悲劇に巻き込まれて犠牲になる受動的で無垢なオフィーリアではなく、能動的な意思を持って自ら選んだ運命の結末へと突き進む「自らがハムレットである少女」として描いた話で、母と叔父に象徴される世俗の男女関係を忌避して死に突き進むという大筋は同じでも→
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それが結局は男としてのミソジニーの発露でしかなかったとも言えるハムレットとは違い、男に隷属して生きるしかない女の根源的な不自由さと、自由で美しい男への憧れという革新的なテーマと女性像を提示した作品で、手垢にまみれたファム・ファタールを描いた話ではないし、現在でもまるで古びていない
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“美しい男”であり“女を憎む男”でもある洗礼者ヨハネとサロメの関係は、愛だの恋だのの歌詞を貼り付けるのがふさわしいメロドラマでは全くないし、サロメがヨハネの首を手に入れようとするのは、振り向かない男への腹いせみたいな陳腐な理由ではない。
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“ヨハネの首”とは「女が決して持ち得ないもの」の象徴で、それを手に入れたサロメは男に欲情されるただの“女体”ではない、世界の秩序と対立しうる主体=人間となったことで、それまで彼女をただの“女体”として眺め欲情するばかりだった叔父=王を脅かす存在となり、それによって殺される。
返信先: さん
サロメはそれによって叔父の妻となった母のような「男のための性的客体であり補完物」である他ない世俗の女の運命と自らの運命を異なるものとなし得たわけで、この悲劇の全ては彼女が自ら選び取った結果であり、“狂気”の中でしか“真実”を口にできないハムレット以上に理性的な意思が貫徹してる人物造詣
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男の作家が女を描いて、自分の女性性の虫のいい投影ではない創作を成し遂げることは稀だけど、その稀有な事例に数えられて然るべきだし、「女を描く」ことが「男を描く」ことと比べて普遍的な完成度として劣らないものになること自体が稀だから、ワイルドがどれほど優れた作家だったかよくわかる。
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私も日頃ゲイのミソジニーにウンザリするばかりだし、「ゲイだから」女の気持ちがわかるとか友好的だなんてことはありえないけど、ワイルドに関して言えば、彼が未だに女性作家も達成しえていないレベルの理解と芸術的な完成度をもって女を描きえたのは、彼が同性愛者であったことと不可分だと思う。
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