岡山芸術交流をTokyo Art Beatが全力で叩いていて、そうだよやっぱ芸術祭といえば印地がつきものだよこいつは盛り上がってきたと、非常にお行儀の悪いことを考えています。
この芸術祭、総合プロデューサーが曰く付きなのは周知の事実なんだが彼の資金がないとこのレベルのものは開催出来んのも事実で、まあプラド美術館とかルーブル美術館とかと同じですね。資金はパーフェクトクリーンじゃないけど中身は一流。
私はわかってて見るのはアリ派です。はい。
ま、気に食わない人はどんどんキャンセル運動してけば良いし、やってる側も法律遵守してるならやるなというわけにもいかんし、地元政界も岡山芸術交流を推してるなら、あとは市場の判断を見るしかないですよ。
菅原伸也さん、せっかくツイートご紹介したのに、それからすぐに鍵アカになってしまいました。
津田大介さん、あいちトリエンナーレ2019への批判はケタが二つくらい違ったのでは?
小田原のどかさん、岡山芸術交流実施におけるハラスメント防止と石川康晴さんの過去のハラスメント疑惑は組織運営上は全く別の話では。
石川康晴さんの性犯罪の動かぬ証拠を誰かもってるならツイッターやフェイスブックで騒いでないでさっさと警察に持ち込めば良いし。でも、相手は前科がついたわけでもない人物だ。バッシングをやりすぎれば逆に訴えられるかもしれない。スリリング。
あと、地元美術界の一部から天神山文化プラザを2ヶ月も使えないのはけしからんし総合プロデューサーは岡山ゆかりの他の人に交代させろって言われてるのは「よそ者、若者、馬鹿者VS(自粛)」のよくあるやつに見えるんですよねー、私には。
各種陳情も民主的に2度も否決されてるとなると、間接民主主義的には議論は済みましたってことになるし、プーチンの議会みたいに銃で脅して投票させとるわけでもないだろうしなあ。
ちなみに陳情の採否についての各議員の賛否はこちら。陳情7号。
日本共産党だけが賛成という、この手の地域紛争系陳情では非常によくあるやつですね。しかもその日共の市議ですら紹介者になってくれなかった(紹介者の市議がいれば請願扱い)。
これが与党側からも賛成が出るくらいまで運動を盛り上げられたらまた結果が違ったんですが、72万の人口の岡山市で400筆ちょっとしか集まらなかった署名なわけで、キュレーターが興味持たないのもしょうがないか。40000筆くらい集めたらさすがに違ったでしょうけど。消極的にでも岡山市民は「地元の美術団体の展覧会より岡山芸術交流の展示を天神山で見たい」って選んだってことなんじゃないですかね?
次の市議会選挙や市長選でその辺を争点にして戦っていくのが良さそうです。そこで負けたらさすがにもうね。
逆説的ですが、反対意見があるのは健全な民主主義の証拠。とはいえ一人でも反対なら実施不可なんてなったら何も出来ないんで、その辺の調整機能として多数決の議会があるわけですな。地元で全然振るわなかったから中央のマスコミや知識人を連れてきて二回戦だ、みたいなのに乗っている自覚が果たしてTokyo Art Beatや津田大介にあるんだろうか? ローカルである程度の合意形成が出来ているやつを(共産党以外は問題視していないってのはそういうことですよ)中央からミサイル撃ち込んで再燃させようというのはね。もう少し慎重に取り扱いたいですね私は。
あとローカルの反対運動で法律の枠内で出来ることというと、公安委員会に届け出をして会場周辺で反対デモをするくらいかな。
さてさて、西洋の芸術に限らずミドル~ハイエンドの美的人工物は金持ちのパトロンがいないと作れないもので、それはもう古代からずっとそう。
そういう意味では現代アートなんて出発点から根本的に汚れている世界。その中でどう自分なりの筋を通すかがまた一つのゲームとして面白かったりする。
また、石川康晴のようにハラスメントスキャンダルが藪の中決着した人物をどう扱うかも難しい。彼の財団から助成金をもらうのもダメなのかとか、彼に作品を売るのもダメなのかとか。セクハラ疑惑が浮かんだ人は残らず現代アート世界から永久出入り禁止なの? それは誰がいつどうやって決めた基準なの? ハーヴェイ・ワインスタインみたいに有罪判決バカスカ出てるようなやつは永久追放で良いだろうけども。
あとですね。岡山芸術交流批判してる人やそのアート関連のお友達の中にもセクハラだのパワハラだの出てこないわけが無いような業界なので、やりすぎるとどっかから「あんたそんな偉そうなこと言ってるけどさあ」みたいなブーメランが返ってきて非常に面白くなるので、これを期に盛大な暴露の応酬大戦に発展してみる展開を密かに希望している。
私ですか? 岡山に見に行きたいです。とっても。なんだかんだでインバウンドで経済効果出してるんじゃないでしょうかこのイベント。
追記:あの口の悪い浅田彰も、私と同じようなあたりを落とし所と見ていたようですね。
さらに追記。東京藝大で長谷川祐子のお弟子さんだったらしい渡辺俊夫さんという方が当記事を「三流炎上商法」と弾劾しておられるのですが(口が悪い人だなあ)。
私としてはその長谷川祐子が都現美時代に会田誠の作品撤去をどちらかの筋の意を受けて企んだ上、炎上するとそのままノーコメントで逃げ切った一件を思い出してしまいます。
椹木野衣によるまとめもどうぞ。
だが、警察などの官憲の手ではなく、そうした外的圧力から表現を守るべき立場にいる館のチーフ・キュレーターが作家に対し直接、撤去・改変の圧力をかけたという点で、より深刻な問題を秘めている。
当初は発表されるとされた長谷川によるコメントは、現在に至るまでなんら示されていない。他方、会田がこれに対抗する措置としていち早く出した明快な経緯説明(*5)。により、館と作者とのあいだの関与姿勢が非対称となり、双方の意見をふまえたうえでの論議が困難な状態となってしまった。しかし、朝日新聞などによる取材・記事化(*6)などと総合しても、その事由が「子供にふさわしくない」からなのか、「クレームが寄せられたから」なのか、「安倍政権のパロディ、および文科省批判への内部検閲であった」かは依然、定かではない。が、長谷川から会田家および会田誠への作品撤去・改変要請があったことはいっさいの釈明もされない以上、事実と考えるほかない。
この件については小崎哲哉さんの『現代アートを殺さないために ソフトな恐怖政治と表現の自由』が詳しいのでおすすめです。
なお小崎さんは岡山芸術交流2022のキュレーションをドクメンタ15より評価する立場の模様。
渡辺さんにつきましては、気に食わない論者には罵詈雑言を投げつけちゃえという品の無いスタイルをまずは改められてはどうかと思う次第です。個人的にはそれくらい。彼が必要なときには「見て見ぬふり」も出来る程度に大人なのはプラスの評価対象です。

最後に渡辺さんによる岡山芸術交流批判の文章も見ておきます。
全体としてはとても良いことを書いておられると思います。こういう声が上がるのは大事です。
本書は岡山芸術交流の総合プロデューサー石川康晴によるセクシャルハラスメント疑惑が報道されたにも関わらず、そのことの説明のないまま芸術祭が開催されたこと(1)に抗議するパフォーマンスイベント「岡山芸術ごっこ」内で制作された。
ハラスメントの当事者だけでなく、加害を擁護する者、加害を疑う者、加害を過小に見積もる者、無関係でいられると思っている者に対する怒りの表明。
芸術祭の主催者および、それに参加する作家たちと岡山で創作を続ける作家たちのアートワールドにおける影響力の差は歴然としている。こうした権力勾配によって「岡山芸術ごっこ」は、ほとんど黙殺されているといってよい
全て同意。ついでに長谷川祐子にもなんか言ってやってよ。
それにしても最近の日本では若者が「インディペンデントキュレーター」を名乗って日本語の叙情詩を気が向いた時に書くみたいなムーブメントも見られますが、artが「アート」になって日本で土着化したように、curatorも「キュレーター」という日本独自の文筆家ジャンルになりつつあるのでしょうか。
ちょっと前までああいう人たちはクラブでDJやってた気がしますが、今は「インディペンデントキュレーター」なのかな。
「群れる」「日本語オンリーの世界」「アウトプット些少」が特徴なところは変わりませんけどもね。