昨日、短歌は必ずしも事実を詠うわけではないということを書きました。
が、心の真実は詠うと思います。
ですから、私が詠いました短歌は、私の心は詠っているということです。
それが恐ろしいと言われましたらそれは誤解ですと申し上げます。
私はそんなふうに誤解されることが逆に恐ろしいです。
私は、死ぬまで、私という人間の持ち主ですから、死ぬまで自分と一緒にいなければなりません。
ですから、どんなふうに思われても、自分を信じてやろうと思っています。
昨年kogetagaku氏からの誹謗中傷はなかったと言われましても、私には、ありましたからあったと書かせていただきました。
その後の成りすましとかは、kogetagaku氏でなかった可能性も零ではありません。が、しかしそうであった可能性も零ではありません。
成りすまし犯人は、kogetagaku氏と断定はできないのだから、私もそれを書いてはいけなかったかもしれません。が、しかしそのきっかけを作ったのは、まぎれもなく、昨年の今頃の彼の誹謗中傷記事だったと思います。
その意味でも、彼の罪は重いと思います。
いつから彼は無実の人になったのでしょうか?
いつから私のほうが犯罪者のよう言われるようになってしまったのでしょうか?
kogetagaku氏が信奉している方のコメント欄にkogetagaku氏にされたことを書かせていただいたことは、結果的に、その方のコメント欄を荒らすことになったかもしれませんが、私は、その方には理解をしてほしくて書かせていただきました。私はその方を信頼させていただいていましたから。
私の、その方のコメント欄に書かせていただいたコメントをお読みいただきましたら、私が、決して荒らす目的で書いたのでないことは一目瞭然で、わかっていただけると思います。
私は荒らしをするような人間ではありません。
自分では、そう思っています。
いつから私は、こんなふうに性悪な人間のように言われるようになったのでしょうか?
私を性悪な人間と思うのはまったくの誤解です。
私が、こうしてgooブログで、ブログを書き続けていること自体が私が自分を信じている証しです。
私のことを「裸の王様」と言っている人達がいると聞きました。
私が裸の王様とは、私が今でも私を信じてくれている人達に騙されているということを言っているのですか?
私を信じてくれている人達は私の真実を理解してくれているということにほかなりません。
昨年の今頃吹き荒れた誹謗中傷事件は、本当はなかったのに私があったと思っていることが、私が裸の王様と言われる所以ということなのでしょうか?
いったい全体いつから、あの事件はなかったことになってしまったのでしょうか?
お伺い申し上げます。
🍀
紬さん、私に言いたいことがございましたら前から何度も申し上げていますように、私のお教えしたメールアドレスにお申越しくださいませ。
それをしないで勝手に私を犯人扱いしないでください。