──進軍、前日。
モモンガは『黄金の輝き亭』の自室にて、漆黒の鎧を解いた。
頭には角が現れる。
腰から伸びる両翼を目一杯広げて伸びをすると、彼は徐に『
耽美な白いドレスを纏い、ヒールを履いた足を一歩踏み出すと、目の前の景色がガラリと変わった。
そこには暮れかける長閑な村の風景が広がっている。モモンガがこの世界に来て初めて訪れた、始まりの村──カルネ村。
各々に夜に向けた支度を始めている村人達はモモンガの姿を認めると、瞳を宝石の様に輝かせて彼を出迎えた。
「アルベド様!」
「ようこそおいでくださいました」
皆が手を止め、体を向け、歓迎してくれる。そんな中、小さな影が二つモモンガの元へ走ってきた。
「ママ!」
「アルベドさま!」
大輪の向日葵を咲かせながら腰に抱きついてきたネムとクレムを、モモンガは片手ずつでひょいと抱き上げた。
「お久しぶりです二人とも」
黒翼で覆う様に抱き締めると、二人はとびきりの笑顔を見せてくれる。これはカルネ村に帰った時の恒例行事だ。翼の暖かさと香りに包まれて、二人は満足そうな表情になっていた。
「モモン様……!」
「アルベド様!」
ツアレとエンリもやってきた。
歳も近く、妹がいるという共通点もあり、この二人は取り分け仲よくやっているそうだ。農作業をやっていたのだろう。二人は少しだけ泥を顔や腕にくっつけていた。
「お二人ともお元気そうでよかったです」
クレムとネムを抱えたまま微笑みかけられると、二人は凄く嬉しそうな笑顔を見せた。
帰省──という言葉がこれほど合う村や街はこの世界にはカルネ村を差し置いて他にはないだろう。モモンガも嬉しそうな彼女達の笑顔を見て、心が解れていくようだった。
口々に歓迎の意を言葉にする村民達に微笑み掛けながら、モモンガは目当ての人物を見つけ出した。
「お久しぶりです、村長さん」
「おお……! アルベド様。よくぞお越しくださいました」
喜びの色を示す村長は、そう言って深々と腰を折る。モモンガはそれを手で制すと、言葉を投げかけた。
「村長さん、よければ今から村のみんなを集めていただけますか」
「……というと?」
モモンガは返答の代わりに、アイテムボックスの中からずるりとそれらを取り出した。霜が降った精肉の山、瞳の輝きが色褪せていない鮮魚達、抱えきれぬ程の量のふかふかのパンや果実や酒、菓子に果実水……。カルネ村の住人全員を腹一杯に膨らませられるほどの食料が、次々と『上位道具創造』によって作られたテーブルの上に並べられていく。
それらに、村人達は目を丸くしながら瞳を輝かせた。
「ぱーっと、宴でもやりましょう」
モモンガの言葉を聞いていた誰もが声を上げて喜色を露わにした。
彼らは持っていた農工具らを放り投げると、まるで子供に戻ったかのようなはしゃぎ方で方々に走っていく。
『今日は宴だ』
『アルベド様がお帰りになった』
それらを捲し立てながら、村の全員に周知させていく村民のはしゃぎ様に、モモンガは微笑ましい気持ちになってしまう。
その日のカルネ村はちょっとした祭の様相を呈していた。
大きな火を皆で囲み、肉や魚に舌鼓。若い衆は酒をかっくらって踊りを披露し、女子供は普段食べられない都市の菓子に大喜びだった。彼らは一様に女神アルベドの施しに感謝をし、歌や踊りは彼の為に捧げられた。酒気を帯びた大人達は涙腺が緩んでいるのか、女神と出会ったあの頃の記憶を涙ながらに皆で共有している。
「……ママ! これ……!」
目を細めながら猛る火と踊りを見ていたモモンガに、クレムがおずおずとそれを差し出した。それは、紫の花で造られた少し歪な花輪だった。恐らくクレムが作ってくれたのだろう。幼いながらには、よくできている。
「……上手にできてますね。クレムが作ったのですか?」
「うん!」
モモンガはそれを受け取ると、花が潰れぬ様にそれをそっと自分の頭に載せてみた。濡れ羽色の髪に紫の色が華やぎ、まるで天使そのもにさえ見える。
「ママ、かわいいー」
「ありがとう。クレムが作った花輪のお陰ですね」
そっと頭を撫でてやると、クレムは嬉しそうに目を細めた。そうしていると、反対側からネムが負けじとモモンガに抱き着いてくる。
「私がやり方を教えたんだよ!」
「ネムもすっかりお姉さんになりましたね」
「えへへー」
同様に頭を撫でてやると、やはりネムも嬉しそうだ。そんな童女達の笑顔に囲まれて、モモンガの目も優し気に細ばんだ。
「ネム、クレム」
「なに? ママ」
「なになに?」
白魚の様な細指で、ネムとクレムの髪を梳いてやる。モモンガは願いを込めて、静かに彼女達にこう語り掛けた。
「今のまま、真っすぐ育ちなさい。そして自分の大切なもの、信じるものだけに耳を傾けなさい。そうすれば、きっとみんなが貴女達のことを助けてくれますから」
「アルベドさま……?」
少しだけ、モモンガの雰囲気が変わった気がしたネムは、僅かに不安な気持ちが胸を過った。幼いクレムは無邪気な笑みを保ったままだ。
モモンガは、ゆったりと空を仰ぎ見た。
そこにはやはり、満天の星が瞬いている。
カルネ村に来るのも、ネムやクレムに会うのもこれが最後になるのだろう。そんな予感を、彼は感じていた。
──旅の終わりの気配が、すぐそこまでやってきている。
「『六光連斬』……!」
──六つの光が閃いた。
それらは宙に舞う六つの薪を撫ぜると、同時に両断せしめる。自らの十八番とも奥義とも言える武技の発動を終えたガゼフは、額に浮かぶ汗の粒を手の甲で払った。
ブルークリスタルメタルの切っ先を舞わせ、柄に仕舞う。その動作はどう見ても一流の戦士の動きに違いない。しかしそんなガゼフを冷めた目で見る者が二人いた。
「……お前は誰だ?」
六つの薪を放り投げた本人──ブレイン・アングラウスが溜め息交じりにガゼフに問う。見知った好敵手を前にして誰だと問われたガゼフは、きょとんと目を丸くした。
「お前は誰だ……? おいブレイン、それは一体何の冗談──」
「俺の知ってるガゼフ・ストロノーフはそんな腑抜けた剣を振るわねぇぞ」
「……なに?」
「アングラウスの言う通りだ。ストロノーフ」
追撃するように、ブレインの隣にいるニグンが深く頷いた。彼ら二人がガゼフへ送る眼差しは手厳しい。ニグンは一歩前へ出ると、肩をすくめておどけて見せた。
「明日からは人類種の生存を賭けた一大決戦へ身を投じる身……。さしものストロノーフも、怖気がついて剣気が衰えたか」
「何を言って──」
「それとも『漆黒聖典』という高みを見てしまい、己の実力に自信を失ってしまったか?」
「──違う! さっきから何なんだお前達は!」
やぶれかぶれに吠えるガゼフに、ブレインは小さく息を漏らした。
「何なんだはこっちの台詞だぜ。お前、五日前から何かおかしいぞ」
……五日前、というとあの三国による会議が執り行われた日だ。あれからガゼフはおかしくなったと、この二人は言っている。
「ぐ……」
痛いところを突かれたと言わんばかりに、ガゼフは喉奥で唸った。
……実を言うと、彼はその指摘に思い当たることしかない。自らの不調も、見ないふりをしていたのが事実だ。
かつてない脅威に身が竦んでいる──違う。
『神人』という圧倒的な存在に自信を見失い始めている──違う。
下唇を噛んでいるガゼフに、ニグンの手がぽんと置かれた。人の心を見透かす様な瞳。僅かに上がった口角。ニグンは囁くような声量で、ガゼフの不安を言葉によって表面化させた。
「──女だろう、ストロノーフ。俺には分かるぞ」
どきりと心臓が跳ね上がるガゼフ。
はぁ!? と憚らず素頓狂な声を上げるブレイン。
その反応を見ていたニグンは大きく溜息を漏らした。
「何があった、ストロノーフ。吐け。せっかく鍛えてやったお前をそんな状態でみすみす死地に送るわけにはいかん」
「う……」
……追い込まれたガゼフは、重たく頷く他なかった。
ガゼフ邸に戻り、テーブルに着いた三名。
まるで圧迫面接さながらに、ガゼフの向かい側にニグンとブレインが睨んでいた。大事な決戦の前に腑抜けた自分を見かねているという状況故に、ガゼフは強く出れない。
ちなみにブレインとニグンだが、ガゼフの推薦により『カゲ』以下アンデッド達との決戦に徴兵されることが決まっている。
ブレインは自分の腕を試す為に。
ニグンは窮地に現れるかもしれない神と出会う為に……と言ったところだ。
さて、話は戻る。
「お前は確かモモンとかいう女冒険者に懸想していたな」
「お前、あんな化け物が好きだったのか……いや確かに見た目はいいけどよお……」
「正面切って言うな……! ああ、そうさ。俺はあの方のことを……」
語尾がもにょもにょとごもる。
そんなガゼフの様子に見兼ねたブレインが、ぶっきらぼうに言葉を投げ掛けたを
「……それで? 五日前にモモンと何かあったのか? あいつも会談に参加してたんだろ?」
「いや、俺とモモン殿との間に直接何かがあったわけではない。そも、状況が状況だけに廊下ですれ違って二三言だけ言葉を交わした程度だ」
「じゃあ、一体なんだっていうんだよ」
怪訝な表情のままのブレインに、ガゼフは口ごもる。
今現在彼を取り巻いている状況を話すには、順序立てなくてはいけない。
「……この話をする前に、まずお前達に共有しておかなくてはならない情報がある」
「なんだ?」
「直接確認したわけではないが、恐らくモモン殿には想い人がいた」
「……おいおいまじかよ……ん? いた? いる、じゃなくて?」
「……ああ。お前達も王国に住んでいるのだからモモン殿の『困ってる人がいたら、助けるのは当たり前』という言葉は知っているだろう。実はこれは、モモン殿自身の言葉ではないんだ」
ガゼフは言いながら、自身が持つ情報を整理していた。
「あの言葉は彼女が昔、蛮族に殺されかけた時に救ってくれた純白の騎士が使っていた口癖なのだそうだ。その騎士とは訳あってもう会えないのだとは言っていたが、あの言葉を口にすることで騎士の存在を感じられるんだとモモン殿は言っていた」
「その純白の騎士がモモンの想い人ってことか。いたっていう過去のことっぽいのも……」
「確証は得られていないが、そうだと思っている。騎士のことを語るモモン殿は見たこともない暖かな表情を見せていたし、何より彼女にとってその騎士とは居場所を作ってくれたとても大切な憧れの存在なんだそうだ」
「……そりゃ、まあ。聞く限りは確かに惚れていそうではあるな」
命の恩人でありながら、居場所まで作ってくれた優しき騎士。
女が惚れない要素を探せというほうが難しい。
……しかし。
「で、その騎士がどうしたんだよ。もうそいつは会えることのない過去の人物なんだろ?」
「……いたんだよ。その純白の騎士らしい人物が。五日前、モモン殿の隣に」
「はぁ……!?」
ここでがっくりとガゼフが項垂れる。
机に突っ伏した彼の頭は漬物石の様に重くなっていることだろう。脳裏にあるのは、白金の鎧を纏った強者の風格漂う戦士だ。
まさかの展開に、ブレインは目を丸くした。
「……で、でもその騎士がその人物だとまだ決まったわけじゃないんだろ?」
「あの誰ともチームを組みたがらなかったモモン殿が、彼女の冒険者チームに正式に加入を認めた人物だぞ。それに恐らくあの御仁は見た感じだと……俺よりもうんと強い」
純白──と言っても差し支えない無垢な白金の鎧。頑なにソロ活動を続けていたモモンのチームに電撃加入した唯一の男。そして圧倒的な強者の風格。
……数え役満と言っても差し支えない。
何より、あのモモンの相棒になるというパーソナルスペースを確保した男が、ぽっと出の男な訳がない。
ずーん、という効果音を漂わせるガゼフの弱々しい姿に、ブレインは可笑しさすら感じていた。面白いと呆れ半分といったところか。とにかく、自分の目指している男のその情けない姿にちょっとした動揺を覚えてしまっていた。
「おいおい、それでその不調かよ……情けねぇ……。どうすんだおい。明日からそんなこと言ってられる状況じゃないだろ」
「わ、分かっている。俺だって考えない様にしてきたさ。だが、お前達に簡単に見抜かれる程には心が不安定になっていたらしいな……」
「らしいなって……おい。気持ちは察するに余りあるが、そんな状態で不覚をとって死ぬなんざ笑えねぇぞ」
「だよな……」
机に突っ伏したままのガゼフの後頭部を、ニグンは黙ってずっと見ていた。静観を保っていた彼は組んでいた腕を解くと、ガゼフの後頭部に次の言葉を突き刺した。
「──ストロノーフ。貴様、旧評議国領内に着くまでにモモンに想いの丈をぶちまけろ」
……僅かに、静寂がその場を支配する。
ガゼフはがばりと面を上げると、目玉が落ちそうなほどにまんまるにひん剥いていた。
「は……はぁ!?」
「何だその顔は。冗談とでも思っているのか」
「想いの丈をって、一大決戦を前にそんなこと……モモン殿は『カゲ』との一騎打ちが控えているんだぞ!? それにモモン殿にはさっき言ったとおり想い人らしき騎士が既に……」
「だからこそだ。此度の戦でどちらかが命を落とさないとも限らん。貴様、そうなったときに後悔がないと言い切れるのか?」
冷酷とも言える瞳の光が、ガゼフを突き刺した。
ガゼフは卓上の拳を硬く握りしめると、下唇を強く噛み締める。確かにこの戦で命を落とさないとも限らない。自分にしても、アルベドにしても、だ。そうなった時に後悔がないと、果たして言い切れるのだろうか。
だが、ガゼフは『あの約束』を果たせる程の男にはまだなれていない。ブルークリスタルメタルの剣をアルベドに返せるほど強くなったとはまだとても……。
ガゼフは、言葉を喉奥から絞り出した。
「ぐ……だが、しかし俺は……まだ彼女にそういったことを言えるほどの男にはまだなれていな──」
「モモンと肩を並べられるほど強くなってから伝える、か。なるほどなるほど。それは一体何十年先の話なのだろうな」
「ぐ、ぬ……」
「好いた女に想い人がいるから。女に相応しい男にまだなれていないから。そうやって逃げて、思い半ばで死ぬことになっても本望か貴様」
「……しかし、今の俺をモモン殿が──」
「たわけめ。恋に悶々としていじいじとしている髭面のおっさんなんかより、弱かろうとも堂々と告白する男のほうが余程魅力的だ。身の程を知れガゼフ・ストロノーフ」
「ぐ、ぐ……」
「改めてもう一度言うぞ。旧評議国領内への道中、モモンに想いの丈をぶちまけろ。それができなければ、貴様はあらゆる意味で無様を晒して死ぬだろう」
きっぱりとそう言い切るニグンに、ガゼフはぐぅの音も出ない。
……彼にとってアルベドとは、清浄な存在だった。
清浄で、高潔で、永遠の存在。いつまでも高みに君臨し続け、誰のものともならない、カルネ村の人間が讃えるそのままのまるで女神の様な上位存在。
強くなる自分を、あの優しい笑顔でいつまでも待ってくれるものだと思っていたのだ。
しかし純白の騎士の登場でそれが覆った今、自分の考えが余りにも甘いものだったということを思い知る。アルベドはきっと、ガゼフに見せたことのない表情や感情を、あの騎士に見せるのだろう。今現在も、そしてこれからも。
心臓が握り潰されるような苦しさだった。
異性を心から好きになるというのは、余りにも久しぶりの感覚だったから。
(……年貢の納め時、ということか)
今まで甘えていた。
自分の気持ちに正直になるのは遠い未来のことでよいと思っていた。だって、アルベドはいつまでも自分のことを待ってくれると思っていたから。
「……」
ガゼフは、卓上のゴブレットをひったくるように掴むと、中身の水をかっ食らった。火照った体に、冷たい水が流れていく。喉から食道へ、そして胃へと落ちていく感覚がはっきりと分かる。
「ふぅ……」
口端を強引に拭うと、ガゼフは大きく息を吐いた。
その瞳には、覚悟の光が宿っている。ニグンとブレインは顔を突き合わせると、ガゼフのガゼフらしい貌に僅かに相好を崩した。
「腹は決まったようだな」
ニグンが静かに投げ掛けると、ガゼフは首を縦にも横にも振らずにこうだけ零す。
「──心配を掛けてすまなかった。もう大丈夫だ」
その言葉には、もう弱々しさはない。
暮れなずむ街の夜風が、ふんわりと窓を叩いていた。
一年後(現在)の彼ら
【ガゼフ】
ブレインとニグンに鍛えられて才能が開花する。同装備のクレマンティーヌに安定して勝利、人間最強さんに食い下がれるくらいには強くなった。
【ブレイン】
割と早い段階でガゼフ邸を抜けた。
縁あってクライムの指南役兼ラナーの護衛となった。ここらへんは原作の運命が収束したのかもしれない。
【ニグン】
相変わらず神探し中。
ガゼフが立ち会ってる場面で何度かモモンと言葉を交わす機会があったが気づかないポンコツっぷり。ガゼフは気が気でなかったのは言うまでもない。
食材の買い出しに城下町に繰り出しているのだが、意外と城下町に馴染んでいる。