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「あっ、その、バンド内恋愛禁止、とか……? ふひっ……」
後藤ひとりの提案で、結束バンドの結束は脆くも崩れようとしていたのだが、彼女はそれを感じ取ることは出来なかった。
「MCもっと面白くしたいんだけどなー」
伊地知虹夏がふと呟いた。
次のライブに向けた練習もひと段落したタイミングでのことだった。
MCがつまらない、というのは、結束バンドが、というより虹夏が抱える悩みの一つだった。
ライブ中曲の合間に入るトーク、それがマスターオブセレモニー、略してMC。担当はリーダーの虹夏のほか、ボーカルの喜多郁代も度々行っている。
「そうですね~。せっかくだしそう言う所でももうちょっと盛り上げていきたいですね」
そう言った事情もあって、郁代もうんうんと頷いた。滑るときは一蓮托生な存在なため、彼女にとっても大きな問題だ。
「MCなしでもいいんじゃない? 別に」
一方の山田リョウはどうでもいいと言った様子だった。元々それほど喋るタイプでもないので、MCもほとんど何も言わない。正しく他人事だ。
「…………」
端っこの方で小さくなっている後藤ひとりに関しては言わずもがな。極度の人見知り故完全に戦力外である。
役立たずですみません。何もしゃべれなくてすみません。とひとりが心の中で謝り倒しているのをよそに、リョウがスマホの画面を虹夏に見せた。
「なら虹夏ここ通う? よしともの芸人養成学校」
「私たちバンドが本業なんですけど!」
「そういうこと。だから別にいいじゃん、つまらないMCでも」
「そうだけどー。そうじゃなくてー」
虹夏が頬を膨らませる。そこへ郁代が提案した。
「何かこう、話せるネタがあればいいんですけどね。私たち、あんまりそういう鉄板ってないじゃないですか」
「ネタかー。そういえば前に言ったライブのMCは規則破りネタやってたなー」
「なんですか、それ」
「そこ、バンド内規則があってね。ライブの前は揚げ物食べないとか、部屋はいるときはベースから、とか。でもそれを絶対誰かが破るっていうネタだったの」
「へぇ」
「そんなに面白くなかった」
「リョウ!」
率直な感想を口にしたリョウに、虹夏が怒る。だが郁代は嬉しそうに手を合わせた。
「でもそれ、面白いかもしれないですね!」
「でしょでしょ? 喜多ちゃんもそう思うよねー」
「ウチでも真似してみませんか?」
「お、いいねー。じゃあさっそく結束バンド規則作ってみよっか」
そこですかさずリョウが言った。
「先輩のご飯はおごること」
「リョウうるさい」
虹夏がリョウの後頭部を叩く。だがリョウはめげずに提案する。
「じゃあ髪留めは必ず結束バンドにすること」
「髪留めてるの私だけじゃん!」
これはこれでMCとして成立するのでは……?と郁代は思ったが言わなかった。
「あ、あの……」
そこに、ひとりがおそるおそると言った様子で手を上げる。
「ん? ぼっちちゃん何か思いついた?」
「は、はい。あのー」
そこで話は冒頭に戻る。
バンド内恋愛禁止。
ひとり的には爆笑必須会場沸騰のスーパーイケてるジョークだった。男女バンドならありがちかもしれないが、結束バンドは全員女子のガールズバンド。バンド内恋愛などそうそう起こりうるものではない。
だが、予想と異なり部屋はシーンと静まり返る。
「え、え?」
「あー、うん、うんうんうんうん」
虹夏はなぜか上を向いてうんうんと繰り返すだけになり、
「えっと、その、えっとええと」
郁代は顔中滝のような汗を流し、
「…………」
リョウはなぜかそっぽを向いたまま固まってしまった。
誰も何も言ってくれない。そのことが、ひとりを極度の不安に陥れる。
この微妙な空気を自分が作ってしまったという自責の念が、ひとりの心の何かを一杯にすると、
「す、すみませんでした……」
ぼろぼろの涙とともに謝罪の言葉になってあふれ出た。ついでに体も溶けた。
「ああ! ぼっちちゃん大丈夫! 大丈夫だから!」
「ちょ、ちょっとだけ事情があるのよ! ひとりちゃんは気にしないで!」
「……ぼっちは悪くない。だって」
え、リョウ先輩にも気を使われた?
想定外の事に、ひとりの意識はそちらへと向かってしまう。
だがそのあとの爆弾が、ひとりをさらに混乱させることになった。
「私たち、付き合ってるから」
リョウは虹夏の手を取って言った。
付き合ってるから。ツキアッテルカラ。TUKIATTERUKARA……。
言葉がひとりの脳裏をこだまする。
「え、あ、え?」
ひとりの2ページぐらいしかない対人コミュニケーションマニュアルには、こういう時の対処法は乗ってない。よってフリーズするしかなかった。
「あ、そ、そうなんですね……。おめでとうございます」
何とか言葉を絞り出す。すると、リョウは郁代の肩に手を回した。
「あと、郁代とも付き合ってる」
「うふ……」
郁代が照れくさそうに微笑んだ。
「リョウ先輩と、喜多さんが……?」
「そう、なの……。あと私、伊地知先輩ともお付き合いしているの」
「いえーい」
「は?」
虹夏がピースをしたが、ひとりはもうそれどころではなかった。
リョウ先輩と虹夏ちゃんは付き合ってる。
リョウ先輩と喜多ちゃんも付き合ってる。
喜多ちゃんと虹夏ちゃんも付き合ってる。
え? あれ? おかしいぞ?
結束バンド内人間関係相関図を更新したひとりは、それぞれから延びる矢印を見つめる。
もう一度整理しよう。
リョウ先輩と虹夏ちゃんは付き合ってる。
リョウ先輩と喜多ちゃんも付き合ってる。
喜多ちゃんと虹夏ちゃんも付き合ってる。
……うん?
それはつまり、その。ナントカ股とかいうやつでは? お昼にやってるドラマみたいな展開なのでは? ということは、すなわち、ええと、うん。うん?
もう一回。
リョウ先輩と虹夏ちゃんは付き合ってる。
リョウ先輩と喜多ちゃんも付き合ってる。
喜多ちゃんと虹夏ちゃんも付き合ってる。
うん。
リョウ先輩と虹夏ちゃんは付き合ってる。
リョウ先輩と喜多ちゃんも付き合ってる。
喜多ちゃんと虹夏ちゃんも付き合ってる。
なるほど
リョウ先輩と虹夏ちゃんは付き合ってる。
リョウ先輩と喜多ちゃんも付き合ってる。
喜多ちゃんと虹夏ちゃんも付き合ってる。
え?
リョウ先輩と虹夏ちゃんは付き合ってる。
リョウ先輩と喜多ちゃんも付き合ってる。
喜多ちゃんと虹夏ちゃんも付き合ってる。
は?
リョウ先輩と虹夏ちゃんは付き合ってる。
リョウ先輩と喜多ちゃんも付き合ってる。
喜多ちゃんと虹夏ちゃんも付き合ってる。
リョウ先輩と虹夏ちゃんは付き合ってる。
リョウ先輩と喜多ちゃんも付き合ってる。
喜多ちゃんと虹夏ちゃんも付き合ってる。
??????????????????
「ぼっちちゃんの顔がえらいコトなってる!」
「情報がオーバーヒートしちゃったんだわ!」
「そんなに難しいこと言ってないのに」
落っことした顔面パーツを接着してもらい、ひとりはなんとか人間の顔を取り戻すことが出来た。
「あっ、その、じゃあお三方はそれぞれお付き合いしてるってわけですね、はい」
「まあそう言うこと。納得合意の上だから修羅場ってはないよー」
虹夏が明るく言う。
明るく言われても受け入れられたもんではないと、ひとりは思った。思ったがもう何も言えなかった。
「ついにぼっちにもバレたか」
「時間の問題だったと思いますよ?」
「でも秘密を言えてすっきりしたよー」
三人はなんだかすっきりした顔をしていた。
「ごめんねぼっちちゃん。ぼっちちゃん、あんまりこういうの慣れてないかなって思って、ゆっくり慣らしてあげようと思ってたんだ」
爛れた関係に慣れるって結構アウトなのでは?
「それがロックだぜ、ぼっち」
リョウが親指を立てた。
「は、はあ……」
ひとりは家に帰りたかった。もうこの関係を消化しきれない。押し入れにこもってギターを一人弾いて、自分の世界にこもってしまいたかった。
「でもやっと、ですね」
かちゃり。
郁代がドアのカギを閉める。空気が変わる。
「……え?」
ひとりのレーダーは、何か不穏な気配を感じとった。
「そうだねー」
いつの間にか、虹夏が左隣に座っていた。それだけでなく、ひとりの太ももをさわさわと触っている。
「ぼっち、顔はいいし、体もいい」
リョウが立ち上がり、目の前を陣取る。そして顎をよしよしと撫でまわし始めた。
ひとり・ヤバいぞ・アラートはガンガンに鳴り響いていたが、すでに退路は塞がれていた。前門の虹夏、後門のリョウ、加えて郁代。
「そもそもね、ひとりちゃんが悪いのよ?」
空いていた右隣に郁代が座る。
「わ、私がですか……?」
「そう。リョウ先輩ったら、ひとりちゃんのこと勝手に食べようとしていたの」
食べる。どういう意味だ……?
リョウ先輩にはカニバリズムな趣味があったのか? 私人間よりもミジンコの方が生物学的にもたぶん近いのに……。
「そーそー。相変わらず手が早いんだよね。だから私が先にリョウのこと食べちゃったの」
違うこれ多分別の意味の食べるだ。
徐々に上に上がっていく虹夏の手を感じながら、ひとりの脳裏に衝撃が走る。彼女とてインターネットを生きる女子高生。食する意味が分からないほど初心ではない。
初心ではないが、それが自分の身に降りかかるとなると話は別だった。
虹夏がひとりの肩にしなだれかかる。
「ぼっちちゃん、上、脱がしていい?」
「あっはい……」
バカ――――――――!!!!!!
場に流された自分に最大限の罵詈雑言を浴びせるひとり。
知ってか知らずか、三人はそんなひとりとの距離をさらに詰めてきた。
「私ね、伊地知先輩からリョウ先輩紹介されたのよ。それで色々教えてもらおうと思って彼女にしてもらったの」
でもね。
郁代はひとりの耳元でささやいた。
「私の本当の狙いはひとりちゃんなのよ」
「き、喜多さんの本当の狙いはひとりちゃんなんですね。……ん?」
ひとりはようやく言葉の意味に気が付く。
ひとりって、私じゃん。
「ななな、なんで……? 喜多ちゃん!?」
「だってひとりちゃん、かっこいいんだもの。それなのに普段は面白いし可愛いし……。ひとりちゃんのいろんな顔を見てみたいの。私の隣で」
「同意」
「ホントだよねー」
リョウと虹夏も頷く。
「伊地知先輩もリョウ先輩もひとりちゃんのこと狙ってたみたいなの。でもそれで結束バンドが解散するのは悲しいじゃない?」
「だから全員と付き合うかって話になった」
「え? え? え?」
混乱するひとりに、虹夏が優しく言う。
「大丈夫、ぼっちちゃんは何も考えなくていいよー」
「私たちに任せてちょうだい」
「あっ、い、今から私は、何を……」
ひとりはなけなしの抵抗を試みたが、もはやひとり城は開城されたも同然だった。
「本当はゆっくりぼっちちゃんを慣らして手籠めにしようと思ってたんだけど」
「もう無理」
「バレたからいいわよね。結構我慢したし」
視界いっぱいに、三人が映りこむ。
ひゃあああああ。
ひとりの悲鳴は、防音素材に阻まれ、ついぞ響き渡ることはなかったのだった。