超巨大化! シャチのオスだけが身に付けたすごい求愛戦略
ザトウクジラは、なぜソングを歌うのか? ヤギの交尾が一瞬で終わる切実な理由とは? ヒトはもともと難産になりやすい? 求愛の悲喜こもごもから交尾の驚くべき工夫、妊娠・出産の不思議、環境に適応した多様な子育ての方法まで、めちゃくちゃ面白くて感動する動物の繁殖のはなしを集めた『クジラの歌を聴け』(山と溪谷社)が発刊されました。本書から、一部を抜粋して紹介します。
背ビレでセックスアピール
メスにアプローチするためのオスたちの工夫と戦略は、じつに多種多様である。数千年、数万年、あるいはそれ以上の果てしない歳月をかけて、体の一部をモデルチェンジした生物たちがいる。〝海の王者〞シャチも、その一例だ。
水族館などでショーをするシャチを見たことのある人も少なくないだろう。その圧倒的な大きさや歯の鋭さに驚愕(きょうがく)しながらも、ときおり笑顔のような表情を見せるその姿に、私はイルカにもひけをとらない愛くるしさを覚える。しかし、自然界のシャチは英名「Killer whale」の名が示すとおり恐ろしくどう猛で、〝海の覇者〞といわれる一面をもつ。
また、環境への適応能力が非常に高いため、世界中の海に生息することができている。南アフリカ沖合の個体群は、〝海のギャング〞と呼ばれるホオジロザメも食べる。この個体群のシャチの目当てはサメの肝臓にあると考えられている。サメの肝臓には、ビタミンAやDなどを含む脂肪が蓄えられている。昔から人間も「サメの肝油」を栄養として珍重してきたように、シャチにとっても重要な栄養源なのだろう。
オーストラリアのパース沖合では、世界最大の動物であるシロナガスクジラの子どもを、シャチの群れが襲う様子も確認されている。群れとはいえ、自分の体長の数倍あるシロナガスクジラに向かっていくのだから、気の強さは尋常ではない。その他、アラスカや南極、北極にもさまざまな個体群が生息し、日本でも近年、北海道の東にある根室海峡に、ほぼ通年シャチが来遊または定住していることが確認されている。
このように、海洋生態系の中では無敵のシャチでも、仲間うちでメスに選ばれなければ、自分の子孫を残すことはできない。そこでメスの気を惹くために、オスのシャチが進化の過程で獲得したのが、「大きな背ビレ」である。
オスのシャチは、成体では体長9メートル前後まで成長し、性的に成熟したオスの背中には2メートル近い立派な背ビレがそびえる。メスのシャチの体長は7〜8メートルで、オスとそれほど変わらないが、背ビレの長さは60センチメートル程度。つまり、オスの背ビレは、メスの3倍にものぼる。オスのシャチにとって、大きな背ビレは〝セックスアピール〞といったところだろう。
海の哺乳類の背ビレ、魚類の背ビレ
背ビレといえば、もともと魚類の専売特許だが、魚類の背ビレとシャチのようなクジラの背ビレは、構造がまったく異なっている。
魚類の背ビレは、「硬骨魚類(体骨格が我々と同じ骨質で構成された魚たちで、マグロ類やスズキ類といった大半の魚がこれに属する)」と「軟骨魚類(体骨格が軟骨で構成された魚たちで、サメ類やエイ類の板鰓(ばんさい)類が該当する)」で異なる。
硬骨魚類の背ビレは骨質からなる「鱗状鰭条(りんじょうきじょう)」で構成され、他方、軟骨魚類の背ビレは角質(ケラチン)で構成される。私も大好きな、酒のあてとしてお馴染みの「エイヒレ」は軟骨魚類の背ビレを含むヒレであり、角質(ケラチン)でできている。
つまり、魚類の背ビレは、骨かケラチンで構成されているのだ。
これに対し、シャチの背ビレは、皮膚が伸長して形成されたものであり、内部に骨要素は含まれていない。私たち人間の皮膚と同様に、シャチの大きな背ビレはコラーゲン(線維状のタンパク質)の豊富な皮下組織と皮膚で構成され、弾性に富むコラーゲンによって2メートル近い大きな背ビレを維持している。
また、魚やクジラ類の背ビレは、基本的に遊泳の際の舵取りや、体のバランスを保つ役目を果たしているが、シャチの背ビレには、背ビレを動かす専属的な筋肉は存在せず、背ビレだけを動かすことはほとんどできない。加えて、クジラの中には背ビレのない種もおり、シャチのメスや若オスの背ビレに至っては成体オスの3分の1程度の大きさしかない。
つまり、背ビレがなかったり、小さくても問題なく海中で生活しているということは、シャチの成体オスがもつあの大きな背ビレには別の理由があるというわけである。
「オス同士で戦うときの〝武器〞じゃないかな?」
当たらずといえども遠からずだが、どうやら正解は他にあるようだ。シャチの場合、オス同士でメスやエサをめぐって戦うときの主要な武器は、長さ10センチメートル前後の鋭い歯と、強靭(きょうじん)な尾ビレである。
前記したように、シャチは大型のクジラや肉食のサメを襲うことができるほど、強い歯と顎をもち、巧みな狩りの戦術を仲間同士で実践する能力ももっている。尾ビレのパワーも絶大で、シャチの尾ビレの一撃は、サメを即死させるほどの威力をもつといわれている。
一方の背ビレは、直接的な武器としては機能しない。しかし、相手を威嚇するうえでは十分な役割を果たす。動物界では、相手を威嚇する際の最も簡単な方法は、身体の大きさを誇示することである。背ビレが大きければ大きいほど、一瞬で相手を黙らせることができるため、直接の死闘が始まる前に、決着がつく。
さらに、シャチを含むクジラ類は、相手を威嚇する際にブリーチング(横倒しの姿勢で水面上に身体の上半身またはその大部分をジャンプして露出させ、そのまま一気に水面をたたき付けるように落ちていく行動)も行う。このとき、背ビレや身体が大きければ大きいほど大きな音や水しぶきを出すことができ、相手を威嚇するには有効となる。
おそらく普通の生活では、あんなに大きな背ビレは必要ではなく、むしろ邪魔そうに見える。それでもメスを獲得するために、あるいは仲間のオスを威圧するためにつくり出したのが、シャチの背ビレなのだろう。主要な武器である歯や尾ビレを大きくするよりも、一目瞭然な最もわかりやすいメスへのアピールなのである。
私が学生時代に、カナダのジョンストン海峡で見たシャチの中に「A30」という個体名が付けられた有名なオスのシャチがいた。そのシャチの背ビレは本当に立派で、高さ2メートルは優に超えていた。A30のような立派な背ビレを見てしまうと、人間の私でもうっとりしてしまうのだから、同種のメスが魅了されない訳がない。
※本記事は、『クジラの歌を聴け 動物が生命をつなぐ驚異のしくみ』を一部抜粋したものです。
『クジラの歌を聴け 動物が生命をつなぐ驚異のしくみ』
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