ACT5 草食系男子

 豊富総督府の中区にある摩天楼群——大小合計二十三からなる豊富グループ総合ビルディングは、その全てが退魔局関連のビルである。


 機械工場、化学工場、製薬企業、食料開発プラント、兵器工場、病院、そして衛兵隊の基地も敷地内に内包し、退魔局員の居住区と、広大な地下にはジオフロント化された地下都市がある。

 豊富総督府の心臓部であり、有事の際全ての総督府民が逃げ込む最後の砦だった。


 そんな総合ビルの退魔局豊富支局ビルにある食堂に入った澪桜は、周りからちらりと見られたことにはなんとも思わなくなっていた。

 人間も妖怪も、機械が食事をすることに疑問を抱くのはわかる。

 澪桜の肉体には有機素材が用いられ、その維持のためには最低限のエネルギーが必要であると説明されていても、人工物が食事をする光景は奇怪に見えるものだし、澪桜が見る側でもそう思っただろう。


 しかし最低限の食事と休息を取らねばパフォーマンスが著しく低下することも然り、そういうわけで澪桜は成人女性並みの食事を日に二回摂ることになっていた。

 食後は体内のマイクロマシンが食事をエネルギーに変え、不要なものを人間のように排泄物として外に出す。


 大きな乳房に閉じ込められているこの儡巧鎧らいこうがい計画の要である、『妖力炉心』の維持には食事がいる——らしい。というのも、この炉心の素材が妖怪の一種でありながら、神話に語られるに至ったある大蛇の蛇骨と鱗だというのだ。

 そのため炉心を守る意味でも食事は必至で、妖力を生む炉が動かなくなれば、澪桜は動力を失い倒れることになると聞かされている。


 トレーを手に取って、バイキング形式の食事を選ぶ。最初はプレートのカロリーを見ながら選んでいたが、今は感覚でわかる。

 江戸川先生からは「建前としても、その肉体的にも、一妖前の社会妖としても・・・・・・・・・・・、バランスの取れた食事をするように」と注意されている。


 澪桜は青野菜のサラダ、味噌汁、たまご丼、それから大きめの唐揚げが二つ入った小皿をとって空いていた席に着く。

 手を合わせて一人で「いただきます」と言ってから箸を掴み、味噌汁を啜った。


 孤児院にいた頃にこんなまともな食事をしたことはない。

 外部居住区での暮らしは三分化されている。


 一番普通なのは市内で就職し、普通に暮らすこと。無論その普通とは、いつ魍魎や怪異に巻き込まれ、どこでヤケになった呪術師に襲われるかわからない受け身に近い生き方だ。

 それでも食うもの寝る場所に困らない生活は、誰もが望むものである。


 次に、貧民街で暮らすこと。


 イソップ寓話のようなものだ。都会のネズミと田舎のネズミに近いところがある。


 貧民街での暮らしは安定した稼ぎはないし、食事は配給制。しかし自由気ままに己のペースで生きられる。都会で暮らせば安全だが犯罪に巻き込まれるリスクが跳ね上がる。そういうことだ。

 しかしそのライフスタイルで生を全うできるものは極めて少なく、多くはストリートギャングの仲間入りを果たすか、妖術を齧って呪術師になるか、あるいは人体実験に同意して一か八かの一攫千金のギャンブルをする。


 澪桜はそのギャンブルを受けることを担保に退魔局第二化学工場に就職し、安定した暮らしを送り、孤児院のみんなに仕送りをしていた。

 結果的に博打には勝ったのだろうか。女の体にはなったが、総督府で一番の勝ち組である退魔局の正式な局員になれたのだ。


 戦死しなければ安定して高収入を得られ、それで孤児院をよりよくしていくことができる。

 女の肉体だって、等級を上げ稼いで男の義体を作れば解決だ。ホロブレーンを移すだけで男に戻れるのである。


 たまご丼をかきこんでいると、若い少年がサラダばかりを盛り付け、気休めにフルーツを添えた皿を手に対面に座る。空いていた席がそこだけだったのだろう。昼時の食堂は混んでいる。

 それにしても。


(サラダとフルーツばっか。殺生を禁じてるのか?)


 こんな時代だ。宗教を心の頼みにするものは多い。

 けれど少年の耳と尾を見て、澪桜は考えを改めた。


 彼はどう見ても妖怪で、おそらくは種族的に肉類が苦手なのだろう。

 狸っぽいが、狸なら肉だって喜んで食うはず——ということは、ひょっとしてハクビシンだろうか。黒っぽい丸みを帯びた三角形の耳と、二股の先端が黒い細めの尻尾からそう判断した。


「僕の顔、なんかついてる?」


 可愛らしい顔立ちの少年は不思議そうにそう聞いてきた。


「悪い。野菜ばっかで身が保つのか不思議で」

「草食性気質の妖怪だから。ハクビシンの妖怪だよ。さて、種族はなんでしょう」

「…………。化けハクビシン?」

「ぶはっ。違うよ。僕は雷獣。こう見えても雷の化身さ。俵屋光希たわらやみつき。あんた、八十神澪桜ってやつだろ。第七小隊に来るって聞いた。よろしく」


 ということは、彼は第七小隊の隊員なのだろう。


「そうだ。俺は八十神。よろしく」

「話には聞いてたけど、儡巧鎧計画の義体って本当に女を模してるんだな。炉心の関係で胸が大きくなるからってさ」

「傍迷惑な話だよ」


 握手を交わし、二人はそれぞれ食事を摂りながら取り留めもない雑談をした。

 澪桜はまだ三等級で、しばらく外——防護結界から出られないため、内地での任務にあたることになる。

 残念ながら、ここで話して馬が合いそうな光希とのペアではないらしく、彼が言うにはギンギツネの妖狐がペアとして有力候補らしかった。


「僕らは第七小隊第二班。班長は上等級で、僕とギンギツネの黒奈って奴が二等級だ」


 退魔師の等級は五等級から一等級、上等、準特等、特等とある。上等退魔師以上になれるのは全体の十八パーセント程度であり、上等退魔師ともなればその力量は単独で機甲小隊を無傷で壊滅せしめるほどとされている。

 つまり、人型兵器——そう呼んで差し支えない存在なのだ。

 元来術師・妖怪とは常識を超えた領域に鎮座し、影で動き、社会の脅威を闇から闇へ葬ることを生業としていたのである。


 今の時代は、本来闇やら影に潜むべき異形が我が物顔で陽の当たる世界に息づくゆえ、退魔師も表社会に台頭している——それだけのことだ。

 ゆえに事態が収束し平和へ近づけば、退魔局は今まで通りひっそりとしたゴミ掃除に徹すると、東京本局長が断言していた。


「僕はもう行くね。昼一で任務が入っててさ。じゃあ、これからよろしく澪桜」

「ああ。ありがとう光希」


 心根の素直な子だ。こんな時代なのに、真っ直ぐに育つ子は貴重な財産で、そういった友人を持てるのは幸せなことだと澪桜は知っている。

 光希はトレーを返却口に入れ、大きな声で「ごちそうさま」と言い、食堂を去っていった。

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