ACT3 決別と決意

「目が覚めたみたいだね。おはよう。十日ぶりの悪夢のような現世におかえり」


 芝居がかった口調の声音は、澪桜の記憶には十日ぶりと言うには近しい間隔に思えるものだった。つい最近聞いたような気がして記憶の糸を手繰ると、ハロゲンランプの影になっていた女の声に突き当たる。


「あなたは……確か、」

「江戸川だ。江戸川美紀えどがわみき。この退魔局で働いている医師で、バイオメカニクスという生体工学と機械工学を合わせた学問の博士号を持っている、いわゆる天才というやつだ。だからってそう固くなるな。大学にはときどきスピーチや講義に行く程度でね。私は図面を見たり、医師として患者の感謝を向けられる方が好みだ。あと、ギャグとお笑い、バーボンが好きかな」

「はあ……」


 マシンガンのように動く口だな、と思った。

 白衣を着ている化け猫の女性である。黒猫で、漆黒の髪に先端が白い尻尾、猫耳。歳は、外見は三十代ほどか。肉付きのいい方だが、太っているわけではない。胸は妖並み——大きすぎないくらいだが、腰回りは安産型でふっくらしていた。


(欲求不満なのかな。最近、そういうことばっか考える)


 恋愛とは無縁とはいえ、欲を捨て去ることができるわけではなかった澪桜は、やはり人並みの男としての性欲はある。そして、自分の今を振り返って、ついさっき——江戸川美紀が言うには十日前だが——の出来事に意識を振り向かせた。


「心臓……っ、あ。俺っ、なんで生きてんだ!?」

「生きている、ねえ。君は医学的にはもう死んだよ」

「じゃあ、今の俺は、」

「鎮静剤の用意。拘束フレームレベル四に出力を上げて。あと、手鏡」


 近くのナースがやってきて、端末を操作。澪桜の手足を固定する金属製のパーツががっちりと固定され、チタンチューブがぎゅっと締まる。


「何するんだ!」

「安全のためだ。君の力は頭抜けている。特に、制御を失ったら私たちは簡単に挽肉だ」

「はあ……? 俺は、ただの人間の男だ」

「違う。君はもう人間ではないし、男でもない・・・・・


 美紀がナースから受け取った手鏡を向けた。


 そこに写っていたのは、青緑色のセミロングヘアの、


「誰だ」


 女の口が、「だれだ」の動きをトレースする。


「君だよ。八十神澪桜君」

「ふざけるな! そんなことっ——俺はっ! 俺は男だ! こんなの……認めるか!」

「鎮静剤を。論理思考制御を促せ。ホロブレーンに制御マイクロマシンを誘導。フレームのレベルを最大に」


 合金製の拘束具がギチギチ鳴り、チューブが軋む。

 澪桜の体は既に——機械に置き換わっていた。


「眠らせた方がいいね。サイコセラピーで少しずつ慣らそう」


 澪桜の主治医となった美紀がそう言って、澪桜の生身の脳をホロスキャンして電子的に再構築したホロブレーンを、スリープへと促すのだった。


×


 それから、澪桜は暴れる心配のない世界——端的にいえば、心の中でカウンセリングを受けることとなった。

 サイコセラピーによる心理的なケアでも、当初澪桜は激しい拒絶を示した。けれども次第にあの日の出来事を受け入れ、美紀の判断で時間制限はあるものの現実での対面式のカウンセリングも行われ、そうして約三ヶ月、心の整理を行なった。


 そして——、


「時也。無事でよかったよ」


 八月十二日、水曜日。アブラゼミが喧しく鳴き叫ぶ外には、熱射と言っていい太陽光が降り注いでいた。

 人類が吐き出す二酸化炭素は激減したが、温暖化の煽りは西暦二〇六五年現在も翳りを見せない。


 そんな地獄の一丁目というような外から隔離されている、冷房が適温で作動する豊富総督府総合病院の面会室で、澪桜は同僚と会っていた。

 親友で、飲み仲間の犬飼時也。彼はあのあと、何度も澪桜の見舞いに来ていたという。


「俺のせい、だよな。その……妖巧人形あやくりにんぎょうになったのって」

「違う。選んだのは俺だよ。生前同意したのは俺だし、死にたくないって言ったのも自分だ。時也のせいじゃない」


 部屋には三人、付き添いと護衛がいる。暴れた澪桜を即座に破壊・・するための術師——つまり時也の護衛と、主治医の美紀だ。


「澪桜、退魔師になるって聞いた。本当か?」

「ああ。この義体は元々退魔局のプランで作られたってさ。びっくりだよな。ついこの前まで身寄りのない俺が、三十億の体を与えられたんだから」


 どこか投げやりな口調だ。時也はそれを聞いて、少しムッとする。


「澪桜、死ぬために戦う気か?」


 挑戦的……というよりは、挑発とも取れる言い方だった。やはり澪桜も、肉体こそグラマラスな女性とはいえ——それには、人形のスペック上の理由もある——、中身は男だ。噛みつかれれば抵抗する。


「違ぇよ。男に戻るためだ。稼いで男の義体を作って、そっちにホロブレーンを移す。戦って、稼ぐ。今までと同じだ。それに、退魔師になって稼いだ金の一部は孤児院に入れる。ガキどもが美味い飯食えるんなら、俺は内臓だって売ったさ。実験への生前同意だって、それが理由だった」

「だからって戦場に出るやつがあるかよ! 魍魎に食われたらどうなるか知ってんだろ!」

「知ってるさ! とっくに心臓を食われた! 胸に穴が開く感覚がずっとある! そうさ、復讐でもあるんだよ! 俺の鼓動を奪ったあの四つ目を殺すんだよ!」


 二人の術師が色めき立つ。それを顎で制したのは美紀だった。男の、親友同士の喧嘩に他人が口出しするなと雄弁に語る仕草だった。


「そんなの、もっと強い退魔師に頼ればいいだろ!」

「お前にはわからないだろうがな、俺たち孤児にとっちゃ心ってのは最後の砦なんだよ! 他のどんなものを失っても心や魂や誇りだけは失わないんだよ! その象徴を奪われて、ただシーツ噛んで泣いてろってのか、犯された女みたいに!」

「くそっ、この石頭が! いっぺん痛い目見りゃわかる! 馬鹿野郎が」


 時也は椅子を蹴り倒すような勢いで立ち上がり、術師の穏やかな静止を無視して歩き去っていた。

 澪桜はブスッとした顔でふんぞりかえり、それから大きく息を吸い、「畜生」と吐き捨てる。


 誰も何も言わなかった。

 術師はどちらも人間だが、四十過ぎのコンビだ。青い時代の、なんとも苦く酸っぱい経験を思い出して、口出しすべきではないと思い直していたし、美紀は妖怪なのでそれ以上に長生きだ。当然、意味もない老婆心がただの邪魔にしかならないと言うことは身をもって知っている。


 それからしばらくして、術師の一人が席を外して数分で戻ってくる。手にはよく冷えた缶コーヒー。


「八十神君、飲むといい」

「……すみません。いただきます」


 クイーンズブラックというメーカーのブラックコーヒーだ。ここがまだ豊富市と呼ばれていた頃、市内に本社を持っていた清涼飲料メーカーのコーヒーである。

 土壌を改良するマイクロマシンと、遺伝子改良された珈琲豆を栽培して作られた国産珈琲豆を使っているのが特徴だ。


 冷たい、顔をしかめるような苦味と、けれどフルーティな風味が鼻から抜ける珈琲は目が覚めるような心地よさがあった。

 バイトをし始めてから飲み始めたもので、十六歳から二十一歳の今まで愛飲している。機械の体でも味覚が再現されているのは、このボディを設計した美紀のこだわりらしい。

 妖怪ゆえに人間臭いところがあると、——ああ、そうだ、この話は時也から聞いたんだっけか。


「先生」


 美紀が目を向けた。


「なんだい」

「俺の等級は、どこからスタートになりますか」

「儡巧鎧の義体を考慮しても、まずは三等級だろうね。外に出るには二等級以上から」

「心臓を喰った魍魎は?」

「四つ目は外だろうね。総督府にはいない」


 残った珈琲を一気に呷り、飲み下した。

 心は決まった。時也の理解を得られなかったことは残念だが——いや、だからこそ男に戻り、見返すのだ。その夢を実現したと言って。


「退魔局に入ります。俺は四つ目を祓葬して、稼いで、男に戻ります」

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