ACT2 墓標の街

 令和九年十月三十一日。午後四時二十七分三十三秒。

 逢魔時発生。


 八十億近くに達していた人類がその十分の一まで人口を減らすまでにかかった時間は、わずか七年二ヶ月と十一日だった。

 我が世の春を謳歌し、宇宙にまで進出しようとしていた人類の出端を挫くようにして、あの厄災は起こった。


 溢れ出した『瘴気』による電波遮断によって通信が著しく制限され、日本は孤立。逢魔時は日本各地で同時多発し、それは東京も例外ではなかった。

 議事堂にいた当時の総理大臣・立木川隆一郎こだちがわりゅういちろうとの連絡が途絶えたのち、烏合となった国会議員たちの混乱を見かねた自衛隊と警視庁が東京を中心に防衛戦を展開。一時的に政治的空白を埋め、国民の保護を行なった。


 けれど、魍魎や怪異には通常兵器の効き目が薄いことはしられていたことだ。

 明治時代より発足され、当時は退魔院と言われていたその組織の活動はときどき報道されていたので、一般人も魍魎の知識を多少は持っていたのである。


 だからといって、はいそうですかと魍魎に食われることをよしとするのは——毛量をわずかでも知ればこそできぬことだった。


 なぜなら、魍魎に食われた命は『虚無』にとらわれるのだから。


 紆余曲折を経て民営組織だった退魔局が、現在日本各地にある総督府を預かる統制機関として君臨するに至る。

 その間、世界がどうなったのかは通信ができない今わからないが、物理的な接触さえないということはどこも似た状態なのだろう。

 人類は、魍魎に負けたのだ。その事実だけが、ただ突きつけられた。


「宮本君。珈琲のおかわりを頼めるかい?」

「三杯目ですよ、隊長」

「最後にするよ。ついでに甘いものがあると嬉しい」

「最後ですからね」


 隊長と呼ばれた女に、宮本という男が応じる。

 女の外見は、二足歩行し、母指対向性を持った五本指の獣の手という人体適応をした狼といえるものだった。

 マズルの長い鼻に、鋭い目。ゴムパッキンのような口周りと、けれど思慮深い所作。膨らみがわかる程度の乳房をスーツにおさめ、握っていたタッチペンを置いて深呼吸した。


 狼妖怪——人狼だ。


「第二化学工場で起きた魍魎の脱走。厄介なことになるね」


 狼のネームプレートには戌亥涼子いぬいりょうことある。


「結界を張れる術師が限られていたとはいえ、まさか突破されるとは」

「術師の現着時には、もぬけのから。急行した衛兵隊が下手に刺激したからと非難する声もあるが、あそこで追い払わねばシェルターは今頃、狐に襲われた鶏小屋のようになっていただろうさ」


 珈琲メーカーがこぽこぽ音を立てる。カップ一杯分の珈琲しか作らないのは、余分に作ってしまうと涼子ががぶ飲みするからだ。

 仕事がテンパっている時は特に、さも水のような感覚で珈琲を飲んでしまう。高カリウム血症の気がある彼女には、なるべく珈琲や生野菜、果物は控えてもらいたい。


「どうぞ」

「少ない気が」

「必要なければ下げますが」

「まさか。ああ、そうだ。儡巧鎧らいこうがい計画の彼は?」


 宮本は——若い鬼妖怪の、額に一本角の彼は眼鏡の奥の目をタブレットに向けて、答えた。


「目を覚まされたみたいですよ」


×


 それは当然、妖怪の物語である。

 誰にとっても彼にとっても、それは何がしかの種族の、人間であれ妖怪であれ、幻獣であってもなにかの物語だ。


 豊富とよとみ総督府の防護結界の外には、広大無辺な廃墟が広がっていた。

 かつて愛知県と呼ばれ、海と山の幸で恵まれていたその土地は令和九年——三十八年前の逢魔時によって失われた命を眠らせ慰める廃墟と荒れた大地に姿を変えていた。


 デパートの廃墟には、塗料が溶けてホラー映画のセットのようになった看板がぶら下がり、近くのJRのプラットフォーム前には玉突き事故を起こしたような自動車の群れが近くのコンビニまで伸びている。

 自衛隊のトラックと、戦車。隊服を着た白骨死体と、庇うようにして抱きしめられた小さな頭蓋骨。豊川駐屯地から急行してきた自衛隊の活躍で、豊富総督府に生きる大勢が助かった。


 退魔局がさも政治の座を簒奪したかのように騒ぎ、警察や自衛隊を下に見ていると揶揄する者もいるが、それは決してない・・・・・

 魍魎の恐ろしさ、食われる怖さを知っているからこそ、果敢に立ち向かい盾となった英霊を、同じ日本人・日本妖として誇り、その魂を祀るのだ。


 デパートの道路を挟んだ向かいにあるホテルに潜んでいるのは、そんな豊富退魔局の第七小隊に所属する隊員だった。


「知ってるかい。まあ僕も聞いた話なんだけどさ、宮城の仙台総督府に鬼って恐れられる男がいるんだと。種族も鬼なんだけど、べらぼうに強くて鬼神だなんて——」

「あんただって似たようなもんでしょう」


 やや丸みを帯びた三角形の黒い耳と、小麦色の肌と、先端が黒い二股の尾を持つ少女——否、少年。丸く可愛らしい目に、まさに少女のような顔立ちで勘違いする男が出そうなくらいに美形だ。

 彼は鬼の話を遮った切れ長の目をしている女を見て、肩をすくめた。ロマンがない、とでも言うように。

 女は三本の黒い尻尾を持つ妖狐だった。外見は二十歳の人間くらいだが、妖怪なので逢魔時以前の世界を知っている年齢だろう。


「僕はただの雷獣だよ。雷神じゃあない。無論、いずれはそうなることを確信してるけどね」

「件の鬼の一派には雷獣もいるみたいだけれどね。ハクビシンじゃなくて、狼だけど」

「うちのボスみたいだな。狼は怖いから、あんま好きじゃない」


 少年は目頭を揉んで、それから外をもう一度眺める。


黒奈くろな、本当に来るの?」

「斥候の予測が確かならね。誘い出すためのデコイも設置してあるわ、光希みつき


 黒奈と呼ばれたギンギツネの妖狐はそう応じ、腰の刀の柄をそっと撫でた。光希というらしい雷獣の少年はナイフをくるくる回し、耳を立てて、


 物音。


 鉄を押しひしぐような、踏み潰し捻じ曲げて蹂躙する音。


「来た。祓葬ばっそう開始」


 黒奈が命じ、二人は窓から飛び出した。

 地上三階のホテルの一室から砲弾のような勢いで飛び降り、地面を踏み締めると同時に強く蹴り付けて跳躍。迫る建物の屋根を蹴飛ばして跳ね上がり、打ち捨てられたバスに仕込んだ、腐肉の入った袋を貪る二等級——いや、正確には準一等級魍魎を睨む。


 外見は今し方光希が怖いと言った狼をスケールアップし、ライオンほどの大きさにしたものか。みなぎる力は到底野生とは思えず、そして異様に膨らんだ四肢もまた自然のそれではない。

 まだらに黒と灰色と銀が踊る奇怪な毛皮と濃密な死の匂い。自然の摂理、道理、常識、そういったものから外れた異形は、どうみても魍魎だ。


 ぱちっと電光が爆ぜた。

 雷撃が三筋伸び、狼魍魎に迫る。如何なる反射神経をしているのか魍魎は本能で二筋を避け、飛び退いたところに回避位置を予測していた本命が命中し、肉を爆ぜさせる。


 ギャウッ、と短い悲鳴。が、魍魎は痛みをねじ伏せ異様なほどに巨大な腕を薙いだ。

 横に回っていた黒奈はそれを腰を捻って躱し、脇腹を掠める怪力に奥歯を噛み締める。風圧だけで掌底を喰らったような衝撃が襲い掛かったのだ。


「〈抜刀・威吹鬼いぶき〉」


 キンッと乾き、鋭く尖った冷徹な金属音と同時に斬撃が駆け抜けた。

 狼魍魎がまたしても即応し、両前足で急所を守るが、その前足が深く切り裂かれて千切れ飛んだ。


「落とせんか」


 地元の方言を滲ませつつ、黒奈はとっくに納刀した刀の柄に手を添える。

 黒奈は今ので腕ごと首を落とす算段だったが——まだ自分の抜刀は甘い。師匠のようにはいかないのだ。


「よそ見すんな、犬っころ!」


 光希の蹴りが狼魍魎の顔面をとらえた。彼のブーツには刃が仕込まれており、今ので鼻面が派手に切り裂かれて出血。素早く蹴り足を引き、光希は左のミドルキックを顎に叩き込む。


「おらぁっ、舐めんなゴラァ!」


 踊るような動きで次々蹴撃を打ち込み、狼魍魎の再生力を上回るダメージを与えた。


 その間に黒奈は妖力を練り、狐火を左手に圧縮。それを矢に見立て、放つ。


「ぶち抜け——〈穿牙せんが〉」


 橙色の炎が狼魍魎の胸——心臓を貫いた。

 魍魎は妖力を豊富に持つ化け物で、それによって驚異的な急速再生能力を実現している。しかしそれは無限ではなく、心臓や脊髄、脳を破壊されると大幅に再生力を失い、一気に弱体化するのだ。

 対魍魎戦闘におけるセオリーは、いかに素早く急所に有効打を与えられるかであった。持久戦は不利。素早く痛撃を叩き込み、電撃的にケリをつける。それが基本だった。


 そして通常兵器の効き目が薄い魍魎も、妖力を纏った打撃や術には滅法弱い。

 故に、明治時代から本格的な魍魎退治をし始めた退魔局が、現代の社会を牛耳る基盤を築くに至ったのである。


「組織サンプル取ったぞ。牙、毛皮、骨。こんだけありゃあ博士も満足だろ」

「レア物は?」

「なし。ついてないな。ボーナスが出るのに」

「日頃の行いが悪いからでしょうね」

「うるさいな。僕は結構真面目に働いてるよ」


 黒奈の刀に付着していた血と脂がじわ、と浮くようにして、霧散した。それから狼魍魎の死体も、ざあっと吹き消されていく。

 魍魎は死んでしばらく経つと、あのように『霧散化現象』が起き、無害な妖力粒子となって消えていく。

 光希が持っている小箱は内部に液化妖力が充填された専用のケースで、あれに入れてある間は魍魎の生体素材は消えないので、研究用のサンプルは専用ケースに入れ持ち帰るのだ。


「僕らもまあまあやれるようになってきたよね。もちろん班長には敵わないけどさ」

「調子に乗らない。準一等級と一等級の強さは雲泥よ」

「知ってるけどさあ。でも、自信をつけるのって大事じゃん」


 軽口を叩きつつも警戒は怠らない。二人は待機している装甲車に向かいつつ、周囲に気を配っていた。

 けれどそれも杞憂で、二人の感覚も、手元の観測端末も異常を感知しなかった。


 装甲車に乗り込んでハッチを閉めると、静穏エンジンがうなり、走り始める。

 ケージ装甲が取り付けられた窓の向こう、廃墟が広がる街を昼下がりの太陽が照らしていた。


 いならぶかつての建築物が、まるで逢魔時で死んで行った者たちの墓標のように佇んでいた。

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