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「あ、あれ? 意外と……」
あたしはぼっちちゃんと部屋の中に入った。
玄関周辺は黒焦げになってる――という予想は外れ、前に遊びに来たそのままの、あたしと喜多ちゃんが適当に飾ったものがそのまま下駄箱の上に置いてある状態だった。
しかし。
「いや、これ、よく見ると灰? いや煤被ってる?」
ぼっちちゃんの家は、元々真っ白な壁紙が使われていた。
しかし今の壁は、所々が黒ずんでいて、全体的に灰色になっていた。
壁をツツッと拭っていると、指先には煤だか灰だかわからないものが付いた。
「ひ、火は玄関から入ってきてないんじゃないですか、ね?」
「う、うん。とりあえずそうみたいだね」
あたしはそう返事すると、靴を脱いで部屋に上がろうとした。
するとぼっちちゃんがそれを止めた。
「に、虹夏ちゃん! く、靴を脱いで入るのは危ないです!」
「あ、そ、そうか。ごめん、ぼっちちゃんちだと思ったら靴脱いで上がりそうになっちゃった……」
日本人的には家に靴のまま上がるのは結構抵抗があるが、廊下も見える範囲では全部黒ずんだものに覆われている。
それに何が落ちている状態かわからないため、そのまま上がるのは危険だった。
誰も靴のまま上がった方がいいとは言わなかったが、この状況から言えば当然なんだろう。
「じゃ、じゃあ、靴のままで、お邪魔します……」
「あ、はい、どうぞ……」
あたしとぼっちちゃんは靴のまま廊下をゆっくり進んだ。
後ろを振り返ると、歩いたところに足跡ができていた。思ったより厚く降り積もっているようだ。
まず廊下にある水回りを見てみる。
トイレ、は思った以上に綺麗だった。
おそらく密閉されているので、ドアが閉まってる時点で中まで入って事なかったんだろう。
逆側にあるお風呂は、ドアが開いていたので、脱衣場もお風呂場も全部煤が積もっていた。
洗面台にあった、あたし達の歯ブラシとかのお泊まりセットもだめそうだった。
「こ、こっちは上がらない方がいいですね……」
「うん、そうだね……」
水回りはそのままにして、廊下の突き当たりのドアを見る。
少し隙間が空いていた。
おそらく消防の人が入ってきたんだろう。
ぼっちちゃんの部屋は扉の先にLDKがあって、そこから寝室一部屋と練習部屋が1部屋の構成になっていた。
あたしはそのドアをゆっくりと開く。
一人暮らしにしては広いリビングダイニングには、ぼっちちゃんが引っ越すときにあたし達が一緒に買ったソファーがあった。
ぼっちちゃんはよくそのソファーで他のバンドのライブを見ながら寝落ちしてた。
対面キッチンであたしが料理をして、リョウが勝手につまみ食いをしたり、喜多ちゃんがテキパキと並べて、4人掛けのダイニングテーブルでみんなで食事をしたこともあった。
それが――。
「あっ、や、やっぱり……そんなにうまい具合には、いかない、ですよね……」
それが、今や、燃えた何かの残骸がそこかしこに散らばっている真っ黒な空間になっていた。
窓ガラスは全て割れており、吹き込む風が嫌な臭いを鼻腔に運んでくる。
消火した水だろうか、所々床が濡れている。
さっきの話からだと、多分ダクトから壁沿いに燃え広がってきた火が、部屋に入ってきたんじゃないか。
新しいマンションとかだとそういうの対策ありそうだけど、ここそれなりに古いからな。
部屋を見回してみると、ぼっちちゃんの寝室と練習部屋に続くドアは壊れてはいないようだが、開いていた。
いつの間にかぼっちちゃんは練習部屋の前に立っていた。
あたしはその後ろから部屋を覗いてみた。
こちらも、リビング方面よりはマシだが、やはり熱と火の手が回ったようで、ぼっちちゃんのマイニューギアも何もかもが壊れたか煤を被っていた。
「さ、さすがに電気を通すので、こういう状態になってると、き、厳しいですね……」
「ぼっちちゃん……」
わ、私の部屋も見てみましょう、と言ってぼっちちゃんは練習部屋には入らず、隣の寝室のほうに入った。
寝室の方も、煤を被っているようだが、こちらは薄く被ってる程度で、火の手は回っていないようだった。
壁の中とかはわからないけど、この部屋にある物はある程度は大丈夫なんじゃないかな、と思えた。
ぼっちちゃんは部屋の中に入ると、ごそごそと何かを探して、あたしのところまで持ってきた。
「あ、こ、これ。私の銀行の通帳とか印鑑とかです。私よくわかんなくなっちゃうんで、まとめといたんですよね、へへっ」
通帳類は100均で売ってそうなビニールのケースにまとめられていて、さすがにそこまでは煤も煙も入らなかったみたいだった。
「他の貴重品は大丈夫なの?」
「あ、はい。わ、私宝石とかそういうの持ってないですし、い、家にも現金は置いてなかったので。出かけにお財布に入ってた分とこの通帳類だけで終わりです」
「そっか……」
「あ、で、でももう1個ありました……」
そう言って、ぼっちちゃんは再び部屋の中に戻ると、机の上に置いてあった写真立てを抱えて部屋の入り口に戻ってきた。
「こ、これだけは持ってかないと」
それは、みんなで撮った最初のアー写だった。
デジタルデータなので印刷すれば新しいのは作れるのだが、ぼっちちゃん曰く実家で貼りまくってた時の1枚だったので、思い入れがあるらしかった。
「と、とりあえず家の状況もわかりましたし、で、出ましょうか?」
「もういいの? まだ入ったばっかりだし、もうちょっと調べたいとかあれば――」
あたしがそう言いかけると、ぼっちちゃんはそれを遮って大声で叫んだ。
「だ、大丈夫です!!」
あたしは一瞬ビクッとしてしまった。
さっき部屋に入るときも言っていたが、ぼっちちゃん的にも部屋の状況は薄々そうなんだろうな、と思ってたのだろう。
でも、実際に目の当たりにするとやはりショックだったんだ。
今はこの惨状から目を背けたくなっても仕方がない。
いや、自分も同じ立場だったら……。
「わかった、とりあえず外に出ようか?」
「あ、は、はい。すいません大声出しちゃって……」
「ううん、あたしの方もぼっちちゃんの気持ちも考えないで変なこと言って……」
あたしはぼっちちゃんを正面からハグすると、ごめんね、と謝った。
ぼっちちゃんは一瞬ビクッとしたけど、あたしの胸に抱かれると、ヒックとしゃくりを上げた。
ぼっちちゃんが泣き止むまでしばらくそうしたあと、あたし達は無言でマンションの外まで出た。
外に出ると、ちょうどオーナーさんが誰かと話し終わったところだったので、貸してもらった懐中電灯を返して、いったん帰ることにした。
オーナーさんは廊下でこけたあたしとぼっちちゃんの格好を見て、着替え持ってくるから、と言ってくれたけど、遠慮することにした。
多分ぼっちちゃんは今はここにずっと待っていたくないと思って。
帰路、あたしたちは無言だった。
家に戻ってくると、お姉ちゃんは仕事に行ったようでおらず、喜多ちゃんも帰ったようだった。
あたしはぼっちちゃんにすぐシャワーを浴びるよう促すと、自分たちの着ていたジャージをゴミ袋に入れた。
ぼっちちゃんには悪いがここまで来るとさすがにもう着れない状態だった。
下に着ていた服は、あたしの方は途中でジャージを脱いでしまったので、所々煤汚れていた。
ぼっちちゃんのほうは、ピンクジャージを脱がせてすぐあたしのジャージを着せたので、水が染みてしまったところくらいみたいだ。
あたしのほうは捨てて、ぼっちちゃんのほうは洗ってみよう。
ちなみに履いていった靴も、帰ってみると服以上に煤汚れていたので、こちらも新しい物にした方が良さそうだった。
「ぼっちちゃんは……、まだ出てきてないか」
あたしはぼっちちゃんがシャワーを浴びているのを確認すると、火災保険の担当の人に電話して、打ち合わせ日程を変えてもらった。
次にぼっちちゃんの実家に電話して、今日の状況を説明した。
両方併せて結構な時間電話してしまったが、ぼっちちゃんはまだシャワーから出てきてないようだった。
「ぼっちちゃん、まだシャワー浴びてるの?」
脱衣場まで戻るが、シャワーの音がしない。
浴室のドアを開けると、そこには誰もいなかった。
「あ、あれ? ぼっちちゃん?」
洋服は……、ない。着替えてはいるようだ。
部屋に戻ったのかな?
自分の部屋に戻ってみるが、誰もいない。
まさかお姉ちゃんの? と思ったが、お姉ちゃんがまだ戻ってきてないし、第一電気が消えていた。
つまり。
「ぼっちちゃんが、いない!?」
いやまさか、外に出たのか?
玄関まで急いで出てみると、ぼっちちゃんが履いていた靴がなく、代わりにぼっちちゃんのスリッパと書き置きが置いてあった。
『先ほどはせっかく付き添ってくれた虹夏ちゃんにいきなり大声を出してしまい申し訳ありませんでした。ちょっと頭を冷やすために今日は別のところで寝ます。 Bocchi』
ぼっちちゃん……。
やっぱりさっきのことがショックだったんだ。
でもここからどこに行くとこがあると言うんだろう。
まさか衝動的に……!
嫌な考えが頭に浮かんでしまう。
とりあえず行きそうなところに片っ端から聞いてみる。
喜多ちゃんは、多分家にいるはずだが、昨夜のダメージが抜け切れていないのか既読にならない。
リョウは、実家の用事に急に連行されたみたいで東京にいないらしい。
廣井さんとこ……はまあいかないだろう。
となると誰のところでもないのかもしれない。
こういうときぼっちちゃんならどこに行くか……?
「あ、あそこかも!」
あたしは急いで靴を履くと、部屋着のまま外に飛び出した。
目指すは、あたしとぼっちちゃんが初めて会ったあの公園。
息せき切って公園目指して走る。
「ぼっちちゃん!」
あたしは公園に着くとぼっちちゃんを呼んだ。
しかし、返事はなかった。
公園には誰もいなかったのだ。