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「んじゃお姉ちゃん行ってくるから、喜多ちゃんのことよろしくね!」
「あ、ああ。それはいいけど。これ、大丈夫なのか本当に?」
だるそうに起きてきたお姉ちゃんと、ぼっちちゃんと3人で朝食を食べたあと、あたしは今日のぼっちちゃんの予定をこなすために部屋で出かける準備をしていた。
ただ、喜多ちゃんが朝の状態から一切起きないため、しょうがないのでお姉ちゃんを部屋に呼んで、この状況を託して出発しようと考えていた。
「うんまあ、呼吸はしてるから」
喜多ちゃんは先ほどの表情のまま布団に倒れていた。
なんかたまに、ふふ、ひとりちゃーん……、という寝言? うわごとが聞こえる。
正直、ぼっちちゃんの奇行に慣れているあたしからすれば、この程度ならそこまで大事ではないな、と思う。
喜多ちゃんも対ぼっちちゃんの言動は相当だしね。
まあお姉ちゃんは喜多ちゃんがヤバいことをあまり認識してなかったみたいだけど。
そしてその喜多ちゃんをぶっ倒した張本人のぼっちちゃんはというと、倒れている喜多ちゃんの脇に正座して、喜多ちゃんのことを心配しているようだった。
「き、喜多ちゃん……。ご、ごめんなさい、このあと人と会わないと行けないので。ほ、放置してしまって。て、店長さんもすいません」
「いやぼっちちゃんのせいじゃないでしょ。話聞いた感じだと虹夏が悪いと思うが――」
「い、いえ! 虹夏ちゃんは私がちゃんと眠れるようにしてくれただけなので! 虹夏ちゃんは何も悪くないです! わ、悪いとしたら汗だくになってしまった私なので、お詫びにここで焼き土下座を!」
「いやいや! 鉄板ないし! しなくていいから!」
とりあえず見とくから、二人とも行ってきな、とお姉ちゃんはあたし達を送り出してくれた。
お姉ちゃんにはちょっと申し訳ない感じがするから、あとで何かお土産でも買っていってあげよう。
「さ、ぼっちちゃん、行こっか?」
「あ、は、はい。今日もよろしくお願いします!」
ぼっちちゃんの住んでいたマンションは、うちからそれなりに近い距離にある。
待ち合わせの時間から考えてもまだちょっと余裕がある。
というわけであたしは、今日は歩いて行こうか、とぼっちちゃんに言い、目的地目指して二人で歩いていた。
「あ、に、虹夏ちゃん」
「ん、なに?」
「あ、あの、今日はなんでジャ、ジャージを持って行こうって言ったんですか? そ、それに虹夏ちゃんもいつもみたいな格好じゃなくて、結構ラフな格好してるし」
そう、今ぼっちちゃんは、昨日買った服を着てはいるが、初日にあたしが落としきれなかった汚れのついたピンクジャージも持ってきていた。
一方のあたしのほうも、家にあったそろそろ捨ててもいいかなと思ってた高校のジャージを持ってきている。
「あ~これね? これ、火災保険の担当さんに聞いたんだけど」
一昨日電話口で伝えられた中に、もし火災現場の中に入るようなら、汚れてもいい格好で行くように、と言われていたのだ。
ぼっちちゃんのジャージを洗った身としては、煤汚れや匂いが取りづらいのはよくわかる。
それで捨ててもいいような格好をしたほうがいいな、と思って、ジャージを持ってきた、と説明すると、ぼっちちゃんは顔をぱーっと明るくして、キラキラした瞳でこっちを見てきた。
「に、虹夏ちゃんすごい……! は、初めてなのにそこまで考えが回るなんて!」
「そ、そう? でもまあ、さすがに火事の後処理のベテランです、とかはなりたくないね……」
「わ、私なんか、『やっぱりぼっちちゃんには普通の服はちょっと合わないな~! ブランド業者に失礼極まりないから、薄汚れたジャージでも着せといた方がいいや』って思われちゃったのかと思って……」
「いやぼっちちゃんの想像のあたしひどすぎない!? そんなこと思うわけないでしょ!」
「あ、そ、そうですよね。下北沢の大天使虹夏ちゃんが、い、いくら私のこととは言えそんなひどいこと言わないですよね。へへっ、すいません」
「まったくもう」
ぼっちちゃんの中の想像のあたし、口汚かったり大天使だったり、一体どうなってるんだろう。
そんなことを考えてるうちに、火事のあったマンションまでたどり着いた。
さすがに2日経過してるからか、規制線が張られているのは敷地の外周だけのようだが、まだあの嫌な臭いが漂っている。
建物を見てみると、あたしが最後に見た、まだ燃えていた時のマンション外壁より、下の方がかなり黒く変色していて、入り口は特に真っ黒だった。
「一応、建物は建ってるみたいだね?」
「あ、そ、そうですね……」
ぼっちちゃんと敷地の外からマンションを眺めているが、さすがにこの光景を見ると言葉も少なくなる。
あたしも、喜多ちゃんも、リョウも、ぼっちちゃんが引っ越してからは、何かにつけて様子を見に来たり、遊びに来ていた。
短い間だったけど、楽しい思い出もたくさんあった。
それが今、無残な姿を晒している。
なんだか視界が滲んできた。
隣にいるぼっちちゃんからは、ちょっと鼻をすすっている音が聞こえた。
「あ、か、花粉症です、へへっ」
「ぼっちちゃん……、時期じゃないよ」
空気が重くなる中、二人の間にしばし沈黙が流れた。
「あ、後藤さん、かな? お久しぶりです」
「あ、オ、オーナーさん……」
そんなあたし達の背後から、不意に名前を呼ばれて振り返ると、どうやらマンションのオーナーさんだったようだ。
ぼっちちゃんが慌てて挨拶をしたので、あたしもいっしょに頭を下げる。
「後藤さんとりあえず無事でよかった。もう中には入っても大丈夫なんだけど、電気が通ってなくて真っ暗なんですよ。軽く説明すると――」
オーナーさんが言うには、どうやら当日あたし達が家に帰るくらいの時間に、マンションの消火の目処が立ちそうだったらしい。
そこで白い煙が出ている中、消防が確認に入ったところ、下の方の階の部屋が爆発を起こし、一気に黒い煙が辺りに蔓延したそうだ。
いわゆるバックドラフト現象、というやつか。
消防の人が入ったときに一気に空気が入って爆発したのかもしれない。
それで一気に火勢が強くなってしまったそうだ。
近隣の消防車が総出で消火に当たった結果、とりあえず建物としては建っているが、強くなった火はエレベーターの縦穴や換気ダクトから一気に広がってしまったらしい。
「ということで、修繕でどうにかなる感じじゃなくて、残念ながら建て替えということになりそうです……」
そういうとオーナーさんは肩を落とした。
火事としては全焼、と言うことだろう。
「それで、火災保険の鑑定が入ると思うんですけど、後藤さんのとこは確かご自分で入られてましたね?」
「あ、え、えっと」
「はい、そうです。彼女のお父さんの紹介で別のところに入ってます」
言いよどむぼっちちゃんの代わりにあたしが答えた。保険の対応はあたしが代わりに電話で話したので大体わかる。
「保険の方はいつ頃来られます?」
「えっと、もうちょっと中に入れるのって時間掛かるのかなと思って、週明けとかでお願いしてました」
「なるほど、じゃあその頃には仮設の電気が引かれると思うので、部屋の中の明かりはそこから採ってください」
「え、ここに電気引き直すんですか?」
なんでもこのマンション入居率がほぼ100%だったらしくて、部屋から何か無事なものを持ち出したい、と言うときに真っ暗なまま作業されると事故が起きる可能性があるため、知り合いの電気工事業者さんに引いてもらう話をしていたそうだ。
「その代わり、他のライフラインは何も使えないし、部屋の中の電気自体は当然死んじゃってるので、そこはよろしくお願いします」
とオーナーさんは言うと、あたし達に懐中電灯を1本ずつ渡してきた。
「中は想像以上に真っ暗なんで。それで照らしながら上がってください。何かあったら電話してください」
オーナーさんは、別の入居者さんが来たようだから、と言って足早に去っていった。
「よし、ぼっちちゃん!」
「あ、は、はい!」
あたし達は、洋服の上にジャージを着ると、懐中電灯を手に建物の中に入っていった。
「うわあほんとに真っ暗だねえ」
「ひ、光は差し込んでるみたいなんですけど……」
建物の中は文字通り真っ暗だった。
あたし達は懐中電灯を点けて周囲を照らしてみるが、結構な光量のはずなのに、電灯を向けている先以外はほとんど光りを吸収しているかのような暗さだった。
「これ、壁一面、煤で真っ黒みたいですね」
ぼっちちゃんが壁を照らしながらそういう。
あたしもそちらの方を見てみると、懐中電灯が当たっているところは地の色がわからないほど黒くなっていた。
焦げた、って訳ではないみたいだけど、真っ黒な煙が出たときに、その通り道全てが煤で覆われたんだろうか。
マンション内の廊下や踊り場にも明かりを採る窓はあるが、まだお昼前とはいえ、差し込む光は弱々しく、全く周囲の形状がわからないほどだった。
すでに廃墟と言ってもいい雰囲気を出しているマンション内で、あたしはお化け屋敷に入ったときのような、なんとも言えない感覚に襲われていた。
「と、とりあえず部屋に向かいましょう」
「い、うんそうだね!」
入り口あたりでじっとしててもしょうがない。
あたし達はマンションの階段を1階ずつ登っていった。
途中通り過ぎた階は、薄暗い中でもほんとにめちゃくちゃになっているように見えて、ここが火災が悪化した原因なのかな、と思った。
そうしてぼっちちゃんの部屋のある階にたどり着く。
「う、うわ。何これ?」
廊下に出ると、そこは大部分が水で覆われていた。
遠くの方ではピチョン、ピチョン、と水滴が落ちる音も響いている。
「しょ、消火の放水がまだ残ってるのかも。建物内で水没するなんて想定してないですもんね」
「そうだね……。でもどうしようか?」
「あ、は、端っこのほうが水がないみたいなんで、気をつけて進んでみましょう」
そういうとぼっちちゃんはスタスタと廊下を進み出した。
「ぼ、ぼっちちゃんちょっと待って! って、うわっ!!」
あたしは急いでピンクジャージの後ろ姿を追うが、床にばらまかれた消化剤か何かに脚を取られて滑ってしまった。
バッシャーン!!
派手な音が廊下中に響き渡る。
あたしは床に溜まっていた水につっこんで……いなかった。
「あ、あれ? って、ぼ、ぼっちちゃん!」
「に、虹夏ちゃん、大丈夫ですか?」
あたしがこける直前に、ぼっちちゃんが全身で庇ってくれたようだ。
お陰であたしは濡れないですんだが、ぼっちちゃんは背中から水たまりに落ちてしまった。
二人で抱き合う状況になっていることを理解したあたしは、思わず顔がかーっとなるのを感じた。
「虹夏ちゃんが大丈夫だったら、よ、よかったです、へへっ」
「あ、あたしは大丈夫。ごめんねぼっちちゃん、こんな濡れちゃって」
あたしはぼっちちゃんを立たせると、急いでジャージの上を脱がして、あたしの着ていたジャージを羽織らせる。
厚手のジャージだったお陰か、それともすぐに脱いだせいか、中まではあまり濡れていないようだったのがまだ幸いだった。
「手伝いに来たのにぼっちちゃんに迷惑かけちゃうなんて……」
「め、迷惑だなんてそんな! に、虹夏ちゃんがいなかったらオーナーさんともまともに話せなかったですし、保険の話だってできなかったですよ」
だから自分を責めないでください、とぼっちちゃんは優しい声で言ってくれた。
「ぼっちちゃん、ありがとう」
「あ、は、はい。それじゃ部屋行きましょうか」
ぼっちちゃんが懐中電灯で照らした先には、ぼっちちゃんの部屋のドアがあった。
消火と確認のために鍵は開いている、とさっきオーナーさんから聞いている。
言われたとおり、ドアはちょっと開いていた。
ぼっちちゃんはその真っ黒になった扉をゆっくりと開けた。
そして、目に飛び込んできた光景に、あたし達は思わず息を飲んだのだった。