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「ぼっちちゃんお風呂入ろう」
あたしはぼっちちゃんを家に連れて帰ると、すぐそう切り出した。
「え、い、今すぐですか?」
「うん!」
「あ、あの、ちょっと歩くのに疲れちゃって……きゅ、休憩してからじゃ、だめですかね?」
「気持ちはわかるんだけど、今すぐ! そのジャージを脱いで欲しいんだよ!」
「え、ええ~!?」
別にぼっちちゃんをお持ち帰りしたので、このままぼっちちゃんのわがままボディを堪能したいとか、あわよくば既成事実を作ろうとか、そういうことは考えてない。
考えていないったらいない!
「ぼっちちゃんいつも、その、ちょっと防虫剤の匂いしてたじゃん」
「あー、はい、そうですね……。引っ越してからは押し入れにこもってないんでそんなに匂ってなかったと思うんですけど」
「うんまあ、ぼっちちゃんからはね。ジャージの方は結構防虫剤の匂いしてたけど、ちょっと今自分で嗅いでみて?」
「え、こ、こうですか?」
そういうとぼっちちゃんは服の裾を鼻に持っていってスンスン嗅ぎ出した。
その表情ちょっと犬っぽくて可愛いかも、と思ってると、顔中にはてなマークが浮いたような微妙な表情をしだす。
「に、虹夏ちゃん。なんか私おかしいんですかね? 臭いがちょっと、よくわからなくて」
「あ、あ~そっちか」
ぼっちちゃんはあたし達が合流した場所に移動する前に、ずっと火事のあったマンションのすぐ近くにいた。
そのせいで煙と煤の臭いが嗅覚を麻痺させちゃってるんじゃないだろうか。
そう説明すると、ぼっちちゃんはあ~っと納得した。
「それでね、あたしが言いたかったのは、ぼっちちゃんちょっと煙臭いというか、煤の臭いがするんだよね」
「え、ほ、ほんとですか?」
「うん」
鼻が麻痺するほど火災現場にいたということは、つまり洋服に臭いが移っているということだ。
ぼっちちゃんのジャージをよく見てみれば、所々に煤がついて黒くなっている。むしろよく顔についてなかったな。
「それで、今のうちにジャージを洗っちゃいたいんだ。煤汚れとか落ちるかわからないけど……」
「あ、そ、そういうことだったんですね。すいません虹夏ちゃん、なんか、もしかして私如きが虹夏ちゃんちに上がったばっかりに、家が汚れたので私の存在全てを滅したいとかそういう話なのかと思って……」
「いやいや! ま、まあ汚れを滅したいかと言われたらあながち間違ってはいないんだけど」
ということでぼっちちゃんにはすっぽんぽんになってもらって、お風呂に直行してもらった。
帰る前に電話でお姉ちゃんにお風呂沸かしといてもらったんで、すぐ入れるようになってる。
ぼっちちゃん自身の臭いは多分これで落ちると思う。
「しかしこれ普通に洗濯しただけで落ちるかな?」
ではジャージの方はどうだろうか。
火事の煤汚れとか初めてなのでとりあえずネットで検索してみる。
「とりあえずたたき落とす」
バンバンッ! とジャージをタオルで叩いてみるが落ちてる感じはしない。
「まあこれで落ちたら苦労しないよね」
次に重曹をぬるま湯にといて使ってみる。
重曹自体も臭いを取るのに使ったりするので、効果あるかな? と思ったけど、ブラッシングしてみてもちょっと薄くなっただけだ。
「う~ん、一応色物だから酸素系の漂白剤か?」
薄くはなってきているがちょっと落ちきらない。
しょうがないので洗濯機を手洗いモードにして1回洗ってみることにした。
その間にぼっちちゃんの着替えを用意する。
今日は家から出ないだろうし、そのまま寝られるような部屋着でいいか。明日の服は明日考えよう。
あたしは部屋からオーバーサイズのシャツと短パンを持ってくると、脱衣所に置いて、着替えを置いたことを告げた。
そして台所に移動して、買ったままずっと持ち歩いていた料理の材料を手早く処理してカレーを作った。
「あ、お、お風呂ありがとうございました」
「おーぼっちちゃんお帰り。よかったサイズ大丈夫みたいだね」
お風呂上がりでしっとりしたぼっちちゃんは、私が置いた着替えを着て出てきた。
ぼっちちゃんにはちょうど良いサイズだったみたい。
「あ、はい。すいません着替えまで……」
「いいんだよ、何も持って出られなかったんだから」
「こ、このご恩は必ず……!」
「だから大丈夫だって。今カレー煮込んでるんだけどもうちょっと時間かかるから待っててね」
「あ、はい。に、虹夏ちゃんのカレー、へへっ」
ぼっちちゃんやっぱりカレーとか唐揚げとか好きだよねえ、と話しながら、ソファーに座るように促す。
あたしもぼっちちゃんの隣に座った。
「とりあえず今日はご飯食べたらそのまま寝てもらうとして、明日なんだけど」
とりあえず生活用品が何もないので、最低限洋服とか下着とか身だしなみを整えるのに必要なものを買いに行くよう提案してみる。
しかしぼっちちゃんはうっ、っとうめいたあと、いつものぼっちモードに突入しそうな勢いでブツブツ話し出した。
「い、いや私なんてしょせん年中ピンクジャージの女ですから。化粧とかスキンケアとかそういうのもどうでも良いですしって言ってたらいつの間にか二十歳……。自分では大丈夫だろうと思ってたらふたりとかから『おねーちゃんいい年なんだから少しはそういうの気にしなよ! さすがに高校生のノリでいたら肌年齢ヤバいよ!』 とか言われて、日に当たらない生活をしている私は病的な感じに皮膚も真っ白になっていって、最期はそのまま即身仏に……あああ!」
「ぼっちちゃん落ち着いて! 別に今スキンケアちゃんとしろとかそういう話してないから!」
自虐的な未来を想像して今すぐ溶けそうなぼっちちゃんに対して、とりあえず服だけでも買おう! となんとかなだめていると、ふいにぼっちちゃんのスマホが鳴った。
その画面を見ると、なぜかぼっちちゃんは身をすくめておびえだした。
「あ、だ、誰……? 知らない番号……」
「ぼっちちゃん出ないの?」
「い、いや、知らない人の電話怖い……」
「いやいや、多分火事のあとだからそれ系の電話じゃないの? あたし代わりに出ようか?」
そういうとぼっちちゃんはこくんと頷く。
あたしはぼっちちゃんのスマホを取ると、電話を受けた。
「も、もしもし?」
『もしもし~? あ、後藤ひとり様の携帯電話でしょうか?』
「そうですが、どちら様でしょうか?」
『お忙しいところ申し訳ございません。私○○海上保険代理店のものですが~』
「あ、火災保険の?」
『はい、この度はお見舞い申し上げます――』
電話を掛けてきたのは、火災保険の代理店の担当の人だった。
ぼっちちゃんはマンション契約の時に、お父さんの知り合いの勤めている代理店経由で火災保険に入ったらしく、マンションの不動産業者が提示してくる火災保険とは業者が違うらしい。
本人はよくわかってないようだが。
『私も先ほど現地見てきましたけど、今日中に鎮火するのが難しいようで。現場入れるようになったらおそらくオーナーさんから後藤様にご連絡あると思います』
「え、あれだけ燃えてて入れるんですか?」
『はい。私もいろいろ火災現場伺わせていただきましたが、あのくらいの火災ですと、各戸はちょっと火か煙が回っちゃってるかもしれませんが、マンション躯体自体のダメージが、人が入れないほどではないと思われます。そうすると現場検証のあと中に入れるようになります』
「じゃあもしかして部屋の中が無事だったら」
『そうですね、荷物を持ち出していただくことは可能かと思います』
ただし、と担当の人は続けた。
『火災保険自体は使うことになると思います。その場合保険からいくら降りるのか、という判定のために鑑定人の立ち会いがあるんですね。そこに後藤様にも同席していただくことになります。そのとき荷物を片付けてしまっていると、正確なところがわからないので、鑑定が出るまでは申し訳ないですがそのままの方がよろしいかと』
なるほど、先に大丈夫そうなものを持ち出したりしたりして、それが実は壊れていたりしても、鑑定の時にないと被害金額に入らないわけだ。
『詳しいことは1回直接お話しさせていただいて。鑑定のときにこうした方が良いというようなお話もありますので。あと、しばらくご実家以外でお過ごしになると思いますが、その際かかった費用は特約で費用保険金として支払われますので、とりあえず支払った領収書などは全部取っておいていただけますか? 使えそうなものは全部申請してしまいましょう』
保険会社の人なのに、ずいぶん気前が良いこと言うなあと思ったら、代理店の人は保険会社と個人の間に入ってるだけなので、契約者に利益があるように動くだけで、そのせいで保険会社側に費用がかかっても関係ないらしい。
とりあえずぼっちちゃんの代わりに打ち合わせの日程とかを決めて、電話を切った。
多分担当の人はあたしのことをぼっちちゃんだとずっと勘違いしてたと思うけど。
「よし、ぼっちちゃん、終わったよ!」
「あ、す、すいません。本当だったらわ、私が全部やらなきゃいけないのに……」
「あたしが好きでやってるからいいんだよ」
「虹夏ちゃん……」
「ってことで、明日は服買いに行くよ!」
「え゛っ!?」
「今の電話で火災保険の件で打ち合わせすることになったけど、さすがにその格好で他の人と会えないでしょ? 打ち合わせには同席してあげるから、せめて服はちゃんとしよう」
「で、でも、さっき虹夏ちゃんが洗ってた私のジャージは?」
「あ~、うん」
ちょうど洗濯機が乾燥まで終わったようなので、ぼっちちゃんと見に行ってみる。
案の定煤汚れは完全には落ちていなかった。
その上、なぜか臭いもほとんど取れていない。
「あ、こ、これは」
「ぼっちちゃんお風呂入ったから鼻の調子戻ったのかな?」
「あ、はい。洗剤の香りの中に、ちょっとなんとも言えない感じの臭いが」
「そうだねえ、ちょっとこのまま着るの難しいかもねえ」
火事の臭いって結構こびりつくんだな……と思いながら、ピンクのジャージをたたんでぼっちちゃんに渡す。
ぼっちちゃんはそれを両腕でぎゅっと抱きしめた。
「こ、高校の時から着てたんですけど……、こ、これでお別れなんですね……」
「いやぼっちちゃんそれ物持ち良すぎ。せめて違うジャージにして」
「あ、このジャージはご近所用でダメージが少なくて。学校に着て行ったりバイトのとき着てたやつはさすがに買い換えてました、へへっ」
「えっ、これ何着もあるの?」
「あ、はい」
「ぼっちちゃんのピンクジャージへのこだわり何なの?」
絶対明日はピンクジャージ以外買うからね! と念を押しつつ、あたし達はカレーを食べるために台所へ向かった。