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「んでねー、昨日渋谷でいい感じのスネア見つけて」
「はあ」
「これこれ。……ぼっちちゃん、なんか変な顔してる」
「はあ」
いや、当たり前じゃないですか。
この人がドラムの機材の話をするなんていつぶりだろう。
一昨日ここで飲んだ時は、虹夏ちゃんはとんでもないことばかり言っていたはずなのに。
「どうしたの? もしかして何かあった?」
「ありまくりです」
今日はおかしい。こんな虹夏ちゃんを見るなんて。
虹夏ちゃんと最近二人で会う時は、最初に必ず抱き締めてくるか私の腕にしがみついて歩こうとするか、どちらかをしてくるのが普通だ。やめてと言ってもやめてくれない。その時の力の強さと絵面と言ったら……。あの瞬間私たちはまるでどこかの繁華街にいそうなメンヘラカップルのようだ。
会ってからの話も全部私のこと。ぼっちちゃんこれお揃いで買わない? ぼっちちゃん最近言い寄ってくる人いない? ぼっちちゃんの視界には人が多すぎて嫌だな。そんなことしか言わない。ずっとずっと。
今日は……そんな気配が全くない。
「うーん、自覚ないなあ。私のどこが変?」
「今日は虹夏ちゃん、私の腕を掴んできたりしないんですね」
「腕を掴む……? 何のために?」
「……一昨日のサシ飲みで虹夏ちゃんが言ったこと覚えてますか?」
「なんて言ったっけ」
「私だけを見てって」
「えっえぇ? 何言ってるのぼっちちゃん、そんなヤバい人じゃあるまいし」
「……いやいやいや」
あなたがそうだったんですって!
「ぼっちちゃん大丈夫? 訳の分からなそうな顔してるけど」
「すみません、今日は帰ります」
「うん、たまにはゆっくり休みなよ」
一昨日と同じ都内の個室居酒屋から私は出た。相変わらず夜の街はうるさくて嫌いだ。
ん? そもそも私、ここに何しに来たんだっけ。よく思い出せない。
虹夏ちゃん、記憶失ってるような感じだったな。ふざけてるようには見えないし。
やはり状況が掴めない、でもとりあえず家に帰って、誰かに相談しよう。誰かに、誰か。
……喜多ちゃんかリョウさんに聞くってこと? 無理だそんなの。虹夏ちゃんと会っているだけで理不尽なことを言い出すあの二人には絶対に話せない。
「ひとりちゃん?」
「エッ」
嘘でしょ?
なんでこんなところにいるの喜多ちゃん。変な声出ちゃったじゃん。
「奇遇ね!」
「あっはい、そうです、ね……」
「私今友達と食事してたの。ひとりちゃんもここの近くで用事だったの?」
「えっ? あ、うん、そうですけど」
「ふうん。帰るところ?」
「そうですね。喜多ちゃんもですか?」
「そうよ。あー、帰ってちょっとだけ発声練習しなきゃ」
「……あの」
「なあに?」
「今日はいつもと違いますね、喜多ちゃん」
「いつも……? ああ、そうかもっ。遊びから帰って練習するのはかなり珍しいわ」
「いや、そうじゃなくて!」
あああなんだこれ。
絶対変だ! なんだ、私がおかしいのか?
いや、おかしいのはこの人たちだ。それか昨日までの私が、BLみたいな総受けキャラになりたいとかいう下劣な欲望の夢を見ていただけなのか?
そんな欲望私にはない。なんだ総受けって。何がいいんだ。疲れるしダルいし頭がおかしくなるに決まっている。
だからこの状況は嬉しいはず。特に喜多ちゃんが出会った時のようなまともな人になったのなら、こんなに有難いことはない。
けれども私は聞いてしまう。
「喜多ちゃん、今日は死んだ目をしないんですか?」
「何よ死んだ目って。ひとりちゃんじゃないんだから」
「ひど……今日は私に電話かけましたか?」
「かけてないわ。というか自分のスマホ見れば分かるんじゃない?」
「喜多ちゃんが鬼電してくるから着信全部オフにしてるんですよ……」
「鬼電!? え、私いつの間にそんなこと……ごめん、記憶ない」
「……昨日まで私のことストーカーしてましたよね?」
「ん!? な、何言ってるのひとりちゃん。ひどいわ!」
「ひどいのは喜多ちゃんです!」
「意味分かんない! もう知らないっ」
ダメだ、やっぱり何も覚えてない。
喜多ちゃんは怒って帰ってしまった。これ私が悪いのかな。
どうしよう。何が起きているのかさっぱり想像つかない。
時空が歪んだ? いやいや、ここは現実。物語の中じゃない。今の私は夢の中? それもない。じゃあ3人が改心した……?
改心したんだ、そりゃそうだ。昨日私の部屋に来た時に、私はついに怒ったんだ。いい加減にしてくれないと仕事に支障が出るって。皆私の言い分なんて聞いてくれなくて言い合いになったけれど、流石に帰ってから考え直したのかもしれない。
それなら嬉しい。これでギターの練習にも作詞にも集中できる。
「よかった……」
全然良くない。
え、なんで?
「よかったよ、よかったんだよ、これで」
急に怖くなった。
バンドメンバーが昨日までと全然違う人になって。だって私は3人とも大好きだ。こんな根暗な私の輝ける場所をくれたんだから。嫌々くれたんじゃない。皆で同じ夢を持つことだってできた。
思い返せば、最初に様子がおかしくなったのは虹夏ちゃんだった。3ヶ月前から、毎日のように言い寄られていた。私もはじめは戸惑ったけど、嫌だとは思わなかった。でもそれも本当にはじめのうちだけ。虹夏ちゃんはどんどん重くなっていった。私が一度振ってからもそれまで通りの友達としての関係を続けているせいで、気がおかしくなったらしい。
虹夏ちゃんの変化に気がついた喜多ちゃんとリョウさんが、抜け駆けはダメだとか言って釣られるようにおかしくなった。皆が私のことをそんな風に見ているなんて流石に知らなかったけど、なぜかあまり嬉しくない。皆重すぎる。それ以外は好きなのに。
でもそれは突然、元に戻った。
こんなに急に事が終わると、私はあの手の不安を抑えられない。
「もしかして……皆に嫌われちゃったのかな」
虹夏ちゃんは私を途中で家に帰した。
喜多ちゃんも怒らせてしまった。
うん、充分あり得る。でもそれだけは嫌だ。
すぐにリョウさんに電話をかけた。
「もしもし、ぼっち?」
「リョウさん。昨日スタバで話したこと、覚えてますか?」
「きゅ、急にどうしたの? んと……何話したっけ」
「はぁ、やっぱり」
「ぼっち、今日なんか変だって虹夏と郁代からロイン来てたんだけど。どうやら本当みたいだね」
「……私は別に」
「今から皆でそっち行くよ」
「好きにしてください」
電話を切ってロインを確認。誰からもメッセージは来ていなかった。
たった1日で何もかも変わりすぎ。
疲れたな。
「帰ろう……」
都心の高層マンションの広い居室が自慢の要塞。そこで私はさっきシャワーから出た。出ても誰もいない、ここに住んでいるのは私だけだ。
リョウさんが言うにはもうそろそろ到着する。本当に3人揃って来るのだろうか。喜多ちゃんは家に帰って練習するとか言っていたし。
そんなことを思っていると——呼び鈴が鳴る。
本当に来たんだ。それだけで少し安心。
「お邪魔します」
「ぜ、全員来たんですね」
「うん、ぼっちちゃん変だったもん」
喜多ちゃんだけまだ喋ってくれない。怒ってるなあ。
ちょっとだけ悲しい。
ぞろぞろとダイニングへ集合した。
「さて、デリバリーで何か頼むか」
「リョウ、もう22時だよ?」
「冗談冗談。お腹空いてないし」
「あの、1時間もしないうちに帰らないと終電なくなるんじゃ」
「うん。だから手短に終わらせよう。何があったの?」
「何がって……」
何もないです、私には。
あなたたちこそどうしたんですか?
「……ぼっちちゃん、正直に話して?」
「ひとりちゃん。私も聞きたい」
何から話したものか。とりあえず昨日まであったことを言ってみるとしよう。
「……まず、皆が最近私にしてきたことを覚えてないようなので、それを聞いてください」
全部話し終えると、ここの空気は完全に固まってしまった。
「……私が、ぼっちちゃんに告った……?」
はい。3ヶ月間言い寄られていました。すごく重い言葉で。
「盗聴器……そんなのどこで売ってるの?」
私こそ知りたいですよそんなこと。
「私がストーカーだけじゃなくて、マンションの前を見張ってたなんて……」
喜多ちゃんは一番怖かったのでいい加減思い出してください。
でもやっぱり全員覚えていないんだ。覚えていないというより、忘れたのかな。忘れようとして1日で。それか本当になかったことにしようとしているのか。
「ぼっちさ」
「はい」
「なんでそんな落ち込んでるの?」
「落ち込んでなんか……」
「流石に見てれば分かるよ。もし私たちが本当にこんなことをしてたなら、今の状況を見て安心するのが普通じゃないの?」
「……あの」
「ん」
「嫌われ……ちゃったのかなって」
余計なこと言わなくていいのに。
弱いなあ、私。
「それは流石に、寂しいです」
言葉がスラスラ出てくる。自分語りは苦手なのにこういう時だけは上手くいく。
「虹夏」
「うん」
「郁代」
「はい」
「……成功」
えっ——?
「あの」
「私の見立て通りだったね」
なんで笑ってるんですかリョウさん。まるで昨日みたいに。
「……ぼっちちゃんはやっぱり素直じゃないなあ」
なんでそんな暗い顔してるんですか虹夏ちゃん。ここ最近ずっとそうだったような。
「……ひとりちゃん。嫌いになんて、なれると思う?」
喜多ちゃん顔やばい! 目が真っ暗! こっち見ないで!
「りょ、リョウさん! 成功ってなんですか!?」
「私たちが元に戻ったら、ぼっちは愛想尽かされたって勘違いするんじゃないかっていう仮定で実際に試したんだよ」
「は、はあああ!?」
「たった1日でそうなった。ぼっちは私らが悪いって昨日言ってたけど、実際ぼっちの方が悪いよね。総受け気質じゃん。悲しそうなぼっちも超ストライクだし」
「な、なななな————何なんですか本当にッ!!」
「ぼっちちゃん、私の方が寂しい……」
「ひとりちゃんひとりちゃんひとりちゃ」
「よし、今日は皆で泊まろう。ついでにぼっちの家に色々仕掛けとかないと」
「帰ってください!!」
——結局3人はなんとか追い返した。
タイトル詐欺は続く。
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