会話
返信先: さん
小野沢正喜先生の専門は「文化人類学」であって「仏教学」ではないですね
論文発表も仏教学系の学会ではないですし
逆に民俗学/宗教学方面でいち早く「構造主義」を取り入れた分析方法をとられていたのが宮家準博士
フランスの東洋学研究方面から「仏教構造主義」を提唱したのが彌永信美先生あたり
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返信先: さん
宮家先生からは宗教学会などでいろいろご教授を受けておりまして、以前、慶応大学の研究会でもお話しさせていただきました。学問的な区分けにこだわるよりも、実態はどうなのかを究明することが大切と私は考えます。
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返信先: さん
まず某氏は学者ありながら
a.《普通、なんらかのモノ(サービスだろうとお経だろうと)を渡して対価を得るということを商売といいます》といいました。
伝統的には
b.《仏教の出家者「法施」と在家信者「布施」という非商業行為とされてきた行為》
です。
ま宗教法人上もb.です。
”実態”は以上です。
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返信先: さん
伝統仏教における僧侶と信者間の相互供養の関係、あるいは現行の「宗教法人法」を鑑みても、宗教法人は(一部、不動産賃借業務)以外は、信仰活動、公益事業以外は行えません
それをまともに知ってるかも怪しいキリスト教系大学でしか学んでいない社会学者に「商売」と言われたくないという話です
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返信先: さん
資本主義の世界で生きる上で「商売」の何が悪いのか、私にはよくわからないです。信徒は宗教的サービスの対価として布施、寄進をしているのであり、この贈与交換によって利益が生じているのであれば、一般の商業活動と変わりがない。また多くの寺院は収益事業も行って生計を維持していると思います。
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返信先: さん
資本主義は西欧社会で生まれた社会システムです
”資本主義と無縁な古代インドで生まれた仏教”では《僧侶の「法施」に対する信者の「布施」は”喜捨”が前提》また「布施」は本来、金銭ではないです
そして《宗教的サービスの対価として布施、寄進》という考えの信者を戒める説話はごまんとあります苦笑
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返信先: さん, さん
むしろ、あなたがしばしば使う苦笑という表現は相手を馬鹿にした表現で、僧職にある人間としてふさわしいものではないと感じます。
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返信先: さん
それでは今度、寺院の住職100人に対面で
「僧侶や寺院経営は資本主義社会において商売です。
商売という言葉に揶揄の意味はないです。
貴方の商売のお話を伺わせていただけますか?」
と質問するフィールドワークをして下さい
100人中半数以上のヒアリングは失敗に終わると想像できませんか?
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返信先: さん
話をずらしましたね。私にとってフィールドワークは重い意味を持つものです。地下鉄サリン事件以後は特に。ですから、そんな失礼なことは致しません。
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返信先: さん
《そんな失礼なことは致しません》
はい。
貴方は「僧侶に商売という言葉が失礼であるという認識」がある事を認めました。
その通りです。
非常に僧侶に商売という言葉を使う事は失礼なので、以降は使わないでください。
終了です。
乙
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返信先: さん
それではこれから私のフォロワーさんたち(住職/僧侶多い)にtwitterのアンケート機能を使って
a.住職や僧侶は信仰活動/非経済活動である
b.住職や僧侶や商売/経済活動である
上記の質問をします。
a.が多かった場合は正式にご自身の本名と立場:宗教社会学研究者を明確にし謝罪文してくださいね
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返信先: さん
フォロアーにアンケートをしても、その結果は何の科学的正当性をもたないことがわかりますか。これはアンケート調査の常識です。その偏りのある結果でもって、相手のプライバシーを侵害し、謝罪を要求するとなると、これは脅迫に近いですね。そもそも私は誰に謝罪するのでしょうね。