ラッコの愛情表現が「痛すぎる」理由
ザトウクジラは、なぜソングを歌うのか? ヤギの交尾が一瞬で終わる切実な理由とは? ヒトはもともと難産になりやすい? 求愛の悲喜こもごもから交尾の驚くべき工夫、妊娠・出産の不思議、環境に適応した多様な子育ての方法まで、めちゃくちゃ面白くて感動する動物の繁殖のはなしを集めた『クジラの歌を聴け』(山と溪谷社)が発刊されました。本書から、一部を抜粋して紹介します。
オスがメスに嚙みつく!?
海の哺乳類の中で、食肉類イタチ科に属するラッコの恋は、オスがメスにちょっかいを出すことから始まる。普段、メスとオスは別々に行動しているが、メスが発情するとオスの群れに飛び込んでいく。すると、発情したメスを見つけたオスがそのメスに近寄り、鼻でつついたりしてデートのお誘いさながらの行動を開始する。
ラッコの場合、体の大きいオスがモテるとか、死闘を勝ち抜いたオスだけがメスへの交尾権を獲得できるなどの壮絶な競争はないようだ。偶然出会い、繁殖のタイミングがあったオスとメスが求愛行動を開始するという、比較的平和な状況下で事は進んでいく。
メスがその気になると、オスとメスが海面で一緒に並んで浮かんでいたり、じゃれ合ったりして、しばしラブラブな時間を過ごす。穏やかに寄り添う姿はほのぼのする光景で、「やっぱりラッコって可愛いな」と思う。ところが、このあとの展開が凄まじい。
突然オスは体を反転させ、メスの背後に回ったかと思うと、後ろからメスの鼻に嚙みつく。そしてそのまま、交尾を行うのだ。なぜ、嚙みつくのか。あんなに仲睦まじい関係に見えたのに……。
オスがメスに嚙みつく一番の理由は、交尾のときの体勢を安定させるためと考えられている。ラッコの交尾は不安定な海上で行われるため、オスはメスの動きをコントロールして確実に交尾を完遂したいのだ。
また、交尾中であっても、オスもメスも呼吸する必要がある。そこで、オスは鼻を嚙むことでメスの頭部を海面上に固定し、お互いの呼吸を確保するという独特の方法を生み出したという見方が支持されている。
しかし、鼻というセンシティブな部位を嚙むとは、お主なかなかわかっておるのぅ、と時代劇なら越後屋さんに褒められるであろう。ウシの鼻輪(鼻環)も同様なのだが、鼻を押さえられると無条件に抵抗できずにおとなしくなる動物は多い。
ネコ科動物を運ぶときに首根っこをつかんだり、ウマにハミ(馬銜)を施すのも、そうした動物の急所を活用して不動化する手段である。海上という不安定な場で確実に交尾を行うために、オスがメスの鼻を押さえて動きを封じることは理にかなっている。
とはいえ、ラッコの場合かなり強い力で嚙んでいるようで、メスの顔が血まみれになったり、傷跡が残る場合も少なくない。場合によっては、その傷が原因でエサを食べられなくなったり、感染症で死亡することもあるというから、おだやかではない。
ラッコというと、一般に可愛いイメージが先行する。確かに、おなかで貝を割って食べたり、顔の毛づくろいをしたり、おなかに子どもを乗せて泳いでいる姿は「可愛い〜」の一言に尽きる。しかし、ラッコはイタチ科の哺乳類であり、体長は100〜130センチメートルと意外に大きい。イヌにたとえるならシェパードくらいの体格である。力も強く、ラッコにとってはじゃれついているつもりでも、水族館の飼育員さんが水槽に引きずり込まれそうになったという話もよく耳にする。発情期にはとくに気性も荒くなる。
今最も心配されているのは、日本の水族館からラッコが消えてしまうのではないかということだ。1980年代にアラスカから鳥羽水族館に初めて4頭のラッコがやってきて、90年代の最盛期には国内に122頭もいたラッコが、現在はわずか3頭にまで減ってしまった。そのうち1頭は高齢で、残り2頭は同じ母親から生まれた姉弟であることから、このままでは日本の水族館でラッコを目にすることはできなくなる。
一方で、嬉しい知らせもある。野生のラッコは北太平洋の北米から千島列島沿岸に主に生息しているが、近年では、北海道東部の沿岸に野生のラッコの生息が改めて確認されるようになった。以前は日本沿岸にも多くのラッコが生息していたのだが、毛皮を目当てに乱獲された結果、姿を消してしまっていたのだ。
しかしここ最近、個体数が回復し、日本周辺にも来遊するようになったようである。さらに、母子連れも確認されているということなので、日本で野生のラッコが普通に見られるような、多様性のある海が戻ってほしいと願わずにはいられない。
※本記事は、『クジラの歌を聴け 動物が生命をつなぐ驚異のしくみ』を一部抜粋したものです。
『クジラの歌を聴け 動物が生命をつなぐ驚異のしくみ』
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『クジラの歌を聴け 動物が生命をつなぐ驚異のしくみ』
著:田島 木綿子
価格:1760円(税込)