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その日、獪岳は簡単な任務を早々に終え、近くの町で暇をつぶしていた。元鳴柱・桑島慈悟郎の元で修行を積み、最終選別を無事合格した獪岳だったが、癸の自分には簡単な任務しか回ってこず、しかし量だけは多い。早く柱の座につきたい獪岳としてはフラストレーションが溜まるが、階級をショートカットする方法も見つからず、未だちまちま任務をこなしている。
今日初めて来たこの町は、獪岳が立ち寄ってきた中でもかなり栄えている方であった。往来には派手に露店や呼子がおり、そこかしこに「有栖川印」が視界に入る。
有栖川印とは有栖川財閥の経営する企業のことで、甘味処から呉服屋、米屋、質屋などありとあらゆる種類が存在する。僅か十数年で誰もが知る大企業となり、今や栄える町に有栖川在りとまでいわれる始末だ。
「(こんだけあると藤の花の家紋が見つけにくいじゃねぇか)」
視線を向ける先々にあるのは、どこもかしこも有栖川の家紋。有栖川製薬、有栖川甘味。嫌になる程有栖川の文字が並んでいる。獪岳はそんな風景に不機嫌な顔を隠しもせず歩いていたが、一際人が集まっている露店を見つけた。どちらかといえば男が多く集まり、道を半分以上塞いでいる。
「あそこになぁ、ここいらじゃちっと見ねぇような別嬪さんがおってなぁ」
「なんでも有栖川財閥のお嬢様だってんで、皆そのおこぼれに預かりてぇのさ」
この邪魔な集団をどうしてくれようか、そう思っていたところを野次馬と勘違いしたのか、近くにいた年配の男二人が獪岳へと声をかけてきた。別嬪とやらには興味がない。しかし世界をも揺るがすあの「有栖川財閥」の娘とあれば、獪岳にも少し興味が沸く。癸の給料は安い。とても満足できる値段ではなく、そのお嬢様とさらに取り入って、二言三言甘い言葉を囁いて少し金が貰えれば御の字。関係性を築けるだけでも得である。獪岳は自分の顔に多少自身があり、女というのは少し優しい言葉をかけてやれば簡単に手駒にできる。そういうものだと、その身をもって知っていた。
「お嬢様、ぜひ本日はうちの宿を!」
「いいやうちをお願いします!」
善は急げと集団を抜けた先。赤布がかけられた椅子と、色鮮やかな傘の下、その女は座っていた。
そこいらでは見れないようなハイカラな柄の着物と袴。日の元生まれではない証拠の麻色の長髪。切れ長のようでどこか垂れ気味のその顔と、右目の泣き黒子。確かにこれは、富豪令嬢でなくとも男たちが放ってはおかない容姿だと、獪岳の喉も唸る。女に興味はない、しかし、連れ歩くなら容姿端麗にこしたことはない。
どう取り入ろうかと考えていたところで、令嬢、有栖川の小さな口が開かれた。
「あら。私、今日この町に泊まるだなんていったかしら?」
聞こえてきた声は高い。しかし、自信に満ち溢れたその声は、強者のそれである。獪岳の大好きな「金」を持つ勝ち組の者の声色。
「え、し、しかし今からでは夜に……」
「夜だからなんだっていうの」
「危険です!有栖川町までは森もありますし、近頃は化け物が出るという噂も」
「だったら、その化け物から私を守ってくれたらいいじゃない?その度胸は貴方にはないように見えるけど」
そういわれた男が、笑顔を引きつらせながら「えぇと」と声をつまらせる。我先にと声をかけていた者たちも「お前行けよ」と声をかけあっている。チャンスだ、そう思い一足踏んだ所で有栖川は立ち上がった。
「私を護衛してくれる人間にこれだけ払いましょう。無事町までつけても上乗せするわ!町までつけたら、これの倍だすわよ」
さぁ! どうするの!
煽るその声に、次々と男たちが手をあげはじめた。整った顔に、しかし小さな手のひらからこぼれんばかりの札は、先ほどまでしり込みしていた男たちをもその気にさせる。結局は金、金が人間を狂わせる。獪岳はそれを改めて実感しながら、男たちを退けて一番前へと躍り出た。
「俺がやる。俺は鬼殺隊だ、これで分かるだろ?」
そういって不適に笑った獪岳に、有栖川は同じような笑みを浮かべた。
「相応しい男がきたようね」
有栖川財閥が鬼殺隊に多額の援助をしている。その本当か嘘か分からない噂は、本当だったようだ。そう獪岳は更に笑みを深くした。
「じゃあ貴方、ひとまずこの荷物もって頂戴ね」
「は?」
ドンという音を立てておかれた鞄。見るからに良い皮でつくられたそれは、その鞄そのものにある程度の重さがあるように見えた。
「おい、俺は護衛を買って出ただけで荷物持ちは」
「か弱い乙女が重い荷物をもって、どれほどのスピードで進めると思ってるの。寝る時間がなくなるわ。そのために貴方を雇ったんじゃない。荷物持ち兼任よ!」
「最初にいえよ! そんなことが分かってりゃ」
「引き受けなかった? だったら今から荷物を持ってくれる人に変えるわ。私、別にあなたでなくてもいいもの」
「鬼が出たらどうするもりなんだよ」
「多分大丈夫でしょ。私、藤の花くさいし」
そういって、有栖川は鞄を横倒しにし、その上に足を組むようにして座った。その姿もまた、様になっている。
「仕方がないわね、駄々こねる貴方に、特別に見せてあげましょう」
ほら、刮目しなさい。そういって、今座ったばかりの鞄から退く。鍵を解除し、鞄を開けたそこには、まさしくギッシリといえるほどの札束が詰まっていた。何気なく見せてきた金だが、その額で柱の屋敷がいくつたつのか、獪岳は唾を飲んだ。
「こ、これをくれるってのか⁈」
「ばっかねぇそんなわけないじゃない! あなたお金と私をなんだと思ってるのよ、お金はきちんと責任と労働を果たした物に与えられるのよ! 相応しいだけね!」
馬鹿だと思っているが? という獪岳の言葉はさすがに本人の前では慎まれた。大人しいとは思っていなかったが、二人になってわずか数分で、有栖川の我儘具合がじわじわと露見していく。
「じゃあ何がいいてぇんだよ!」
「私はこれだけの金を椅子にできる程の人間ってことよ。私にとってこれくらいの金は椅子。机だって家だって札束で建てられる、その私に護衛という名の恩を売れるっていうことよ」
「っそれは」
「この世は金を持ってるものが勝つ、それは貴方が一番分かってるんじゃない?」
札束を前に不適にほほ笑むその顔に、獪岳は虫唾が走る思いをしつつも、それはずっと自分が思ってきた図星でもあって言葉が詰まる。
「さてさて、それじゃあ進みましょうか!」
獪岳の視線をぶった切るようにして、鞄の蓋は閉じられる。
ほら、持って、と催促され獪岳はしぶしぶ鞄を持ちながら歩き出した。
「無言もつまらないから、何かお話しして頂戴、おもしろい話でね」
「無茶ぶりじゃねぇか」
「そうね、じゃああなたが生きてきて一番面白かった話でいいわ」
「話聞けよ」
「あなたの話がおもしろかったら追加金も考えましょう」
「いくらだ」
「現金な男ね。あなたのすべらない話の内容によるわね」
「すべらない話ってなんだ? 話にすべるもすべらないもあんのか」
「まぁ、とにかく内容によりけりってことよ!」
歩き出した道中は既に夕日が差し込み、きちんと道らしき道ではあるものの、町の住民が躊躇するのも確かに分かる景色であった。しかし、有栖川はそこに恐れをなす様子もなければ、自分が護衛を頼んだ癖に獪岳を先頭にするわけでもなく自ら先へと進んでいく。この金を持って自分が逃げるとは思わないのか。そう思いつつも、鬼殺隊の援助者ならば自分の事もすぐ分かるだろうこと、そして一瞬浮かんだ師匠の姿に、獪岳は頭を振ってそれを打ち消した。
「生きてきておもしろかったことなんざねぇよ。クソみてぇな人生だ」
「あらそうなの、じゃあその中でも飛び切りクソだった話でいいわ」
「その顔でクソとかいうなよ……」
そう返しつつも、獪岳は頭の中で己の人生を振り返ってみる。しかし本当に思い浮かぶこともなく、はたして自分はどう生きてきたのだろうか、と疑問すら浮かぶ。
「そもそも、人生をおもしろいとかつまらねぇとか思ったことがねぇな」
「おもしろみのない人間ねぇ」
「おもしれぇとかそうじゃねぇとか思うだけ無駄だろ、俺は結局勝てればそれでいい。生きてさえいりゃいつか勝てる」
それはずっと他人には否定されてきた獪岳の信念だった。
「それは違うわ」
そして早速否定して振り返ってきた有栖川に、獪岳は眉間の皺を隠すことなく視線を向けた。鬼殺隊に支援できる程の財力、恵まれた出自、容姿、全てを持ったこの我儘お嬢様が、どんな寒い偽善で自分を否定してくるのか。それをどう否定してやろうか、世の中がどれほど汚いのか自身の体験を持って否定してやろうか。それが瞬時に頭をめぐる。
「ただ生きていても勝ち組にはなれないわ。生き続けることは難しいけれど、それを抜けた先に幸せや、自分の欲望がかなう世界があるか、それは分からないもの」
有栖川はなんでもないようにそう呟く。顔は真面目そのものだ。
「……おまえみたいなお嬢ちゃんは、もっとくそみてぇな偽善なり、金持ちの理想みてねぇなことを言ってくるかと思ってた」
「心外! ま、世の中のただの金持ちはそうかもね。でもそんな奴らと私とは違うわ。私は既にある金にあぐらはかかない。常に自らが動いて金を生産するのよ」
「金を生産だぁ?」
「ええ。企業をどう大きくして、どうやってもっと金を手に入れるか。次にどう行動するべきか、常に考えてるわ。私の思考・行動の全てが、きちんとお金になるようにね」
「は! 一生遊んでくらせる金がある奴の余裕かねぇ」
「いいえ、足りないからよ」
「は?」
「は?」
「まだまだまだまだまだまだ足りないのよ。お金はいくらあっても足りないの。私がしたいことのためには」
言葉を失う獪岳に、それを気にした様子もなく有栖川はにこりと笑う。最初は取り入るつもりで、甘い言葉のいくつかも囁いてやる予定だった獪岳だが、そんなことは開幕みせつけられた札束に流されて忘れていた。
「どうしてあなたは勝者になりたいの?」
「はぁ?」
「勝者になりたい理由はなんなのよ、って聞いてるの」
「そんなの当たり前じゃねぇか! 俺はそのへんにいる奴らみてぇに惨めったらしい人生送りたくねぇ。毎日ちまちま働いて、頭下げたり、毎日飯の心配したり、権力者に畜生みたいに打ち捨てられるなんて御免だね! そうならないために強者になる」
そのためには力もいるし金もいる。そう思って生きてきた獪岳は、一時身を寄せていた寺でも、金品を盗んで勝手に売却したことだってある。あいにくとバレて追い出されてしまったが、その鬱憤を晴らすために仕返しはしていた。それを悪だとも思わない、獪岳はそういう人間であった。そう思って生きてきた。
「だったら、私みたいな馬鹿そうな金持ち令嬢に取り入って、玉の輿にでも乗ればよかったじゃない。それなら名声も富も手に入るのに。どうして鬼殺隊になんて入ったの」
「そりゃ」
そりゃ。そのあとの言葉がつい詰まる。
「そりゃ柱になるためだ! 柱になりゃでけぇ屋敷も貰えて、考えられないくらい高額な給金も貰える! 俺の力にひれ伏した馬鹿どもが継子になりてぇって頭下げてきやがるんだ! それのためだろうが!」
「鬼殺隊のトップにはお館様っての方がいて、その人の立場が覆ることはないわよ。あなたの勝者ってのがどの位置なのか分からないけど、館がもらえて給金がもらえて、それって全部人から与えられる物じゃない、あなた人の下で我慢できるの?」
「てめぇ何言って」
「事実だわ。それに、柱ともなればそれこそ上弦の鬼とも戦わなくちゃいけない。その命を張って、その見返りが屋敷や給金? あなたの器もそれ程ってことかしら。たいそうな信念があるかと思いきや、小さな男ね」
「それ以上口を開いたら斬るぞ、おい、脅し前へ3 / 4 ページ次へ
「じゃあ貴方、ひとまずこの荷物もって頂戴ね」
「は?」
ドンという音を立てておかれた鞄。見るからに良い皮でつくられたそれは、その鞄そのものにある程度の重さがあるように見えた。
「おい、俺は護衛を買って出ただけで荷物持ちは」
「か弱い乙女が重い荷物をもって、どれほどのスピードで進めると思ってるの。寝る時間がなくなるわ。そのために貴方を雇ったんじゃない。荷物持ち兼任よ!」
「最初にいえよ! そんなことが分かってりゃ」
「引き受けなかった? だったら今から荷物を持ってくれる人に変えるわ。私、別にあなたでなくてもいいもの」
「鬼が出たらどうするもりなんだよ」
「多分大丈夫でしょ。私、藤の花くさいし」
そういって、有栖川は鞄を横倒しにし、その上に足を組むようにして座った。その姿もまた、様になっている。
「仕方がないわね、駄々こねる貴方に、特別に見せてあげましょう」
ほら、刮目しなさい。そういって、今座ったばかりの鞄から退く。鍵を解除し、鞄を開けたそこには、まさしくギッシリといえるほどの札束が詰まっていた。何気なく見せてきた金だが、その額で柱の屋敷がいくつたつのか、獪岳は唾を飲んだ。
「こ、これをくれるってのか⁈」
「ばっかねぇそんなわけないじゃない! あなたお金と私をなんだと思ってるのよ、お金はきちんと責任と労働を果たした物に与えられるのよ! 相応しいだけね!」
馬鹿だと思っているが? という獪岳の言葉はさすがに本人の前では慎まれた。大人しいとは思っていなかったが、二人になってわずか数分で、有栖川の我儘具合がじわじわと露見していく。
「じゃあ何がいいてぇんだよ!」
「私はこれだけの金を椅子にできる程の人間ってことよ。私にとってこれくらいの金は椅子。机だって家だって札束で建てられる、その私に護衛という名の恩を売れるっていうことよ」
「っそれは」
「この世は金を持ってるものが勝つ、それは貴方が一番分かってるんじゃない?」
札束を前に不適にほほ笑むその顔に、獪岳は虫唾が走る思いをしつつも、それはずっと自分が思ってきた図星でもあって言葉が詰まる。
「さてさて、それじゃあ進みましょうか!」
獪岳の視線をぶった切るようにして、鞄の蓋は閉じられる。
ほら、持って、と催促され獪岳はしぶしぶ鞄を持ちながら歩き出した。
「無言もつまらないから、何かお話しして頂戴、おもしろい話でね」
「無茶ぶりじゃねぇか」
「そうね、じゃああなたが生きてきて一番面白かった話でいいわ」
「話聞けよ」
「あなたの話がおもしろかったら追加金も考えましょう」
「いくらだ」
「現金な男ね。あなたのすべらない話の内容によるわね」
「すべらない話ってなんだ? 話にすべるもすべらないもあんのか」
「まぁ、とにかく内容によりけりってことよ!」
歩き出した道中は既に夕日が差し込み、きちんと道らしき道ではあるものの、町の住民が躊躇するのも確かに分かる景色であった。しかし、有栖川はそこに恐れをなす様子もなければ、自分が護衛を頼んだ癖に獪岳を先頭にするわけでもなく自ら先へと進んでいく。この金を持って自分が逃げるとは思わないのか。そう思いつつも、鬼殺隊の援助者ならば自分の事もすぐ分かるだろうこと、そして一瞬浮かんだ師匠の姿に、獪岳は頭を振ってそれを打ち消した。
「生きてきておもしろかったことなんざねぇよ。クソみてぇな人生だ」
「あらそうなの、じゃあその中でも飛び切りクソだった話でいいわ」
「その顔でクソとかいうなよ……」
そう返しつつも、獪岳は頭の中で己の人生を振り返ってみる。しかし本当に思い浮かぶこともなく、はたして自分はどう生きてきたのだろうか、と疑問すら浮かぶ。
「そもそも、人生をおもしろいとかつまらねぇとか思ったことがねぇな」
「おもしろみのない人間ねぇ」
「おもしれぇとかそうじゃねぇとか思うだけ無駄だろ、俺は結局勝てればそれでいい。生きてさえいりゃいつか勝てる」
それはずっと他人には否定されてきた獪岳の信念だった。
「それは違うわ」
そして早速否定して振り返ってきた有栖川に、獪岳は眉間の皺を隠すことなく視線を向けた。鬼殺隊に支援できる程の財力、恵まれた出自、容姿、全てを持ったこの我儘お嬢様が、どんな寒い偽善で自分を否定してくるのか。それをどう否定してやろうか、世の中がどれほど汚いのか自身の体験を持って否定してやろうか。それが瞬時に頭をめぐる。
「ただ生きていても勝ち組にはなれないわ。生き続けることは難しいけれど、それを抜けた先に幸せや、自分の欲望がかなう世界があるか、それは分からないもの」
有栖川はなんでもないようにそう呟く。顔は真面目そのものだ。
「……おまえみたいなお嬢ちゃんは、もっとくそみてぇな偽善なり、金持ちの理想みてねぇなことを言ってくるかと思ってた」
「心外! ま、世の中のただの金持ちはそうかもね。でもそんな奴らと私とは違うわ。私は既にある金にあぐらはかかない。常に自らが動いて金を生産するのよ」
「金を生産だぁ?」
「ええ。企業をどう大きくして、どうやってもっと金を手に入れるか。次にどう行動するべきか、常に考えてるわ。私の思考・行動の全てが、きちんとお金になるようにね」
「は! 一生遊んでくらせる金がある奴の余裕かねぇ」
「いいえ、足りないからよ」
「は?」
「まだまだまだまだまだまだ足りないのよ。お金はいくらあっても足りないの。私がしたいことのためには」
言葉を失う獪岳に、それを気にした様子もなく有栖川はにこりと笑う。最初は取り入るつもりで、甘い言葉のいくつかも囁いてやる予定だった獪岳だが、そんなことは開幕みせつけられた札束に流されて忘れていた。
「どうしてあなたは勝者になりたいの?」
「はぁ?」
「勝者になりたい理由はなんなのよ、って聞いてるの」
「そんなの当たり前じゃねぇか! 俺はそのへんにいる奴らみてぇに惨めったらしい人生送りたくねぇ。毎日ちまちま働いて、頭下げたり、毎日飯の心配したり、権力者に畜生みたいに打ち捨てられるなんて御免だね! そうならないために強者になる」
そのためには力もいるし金もいる。そう思って生きてきた獪岳は、一時身を寄せていた寺でも、金品を盗んで勝手に売却したことだってある。あいにくとバレて追い出されてしまったが、その鬱憤を晴らすために仕返しはしていた。それを悪だとも思わない、獪岳はそういう人間であった。そう思って生きてきた。
「だったら、私みたいな馬鹿そうな金持ち令嬢に取り入って、玉の輿にでも乗ればよかったじゃない。それなら名声も富も手に入るのに。どうして鬼殺隊になんて入ったの」
「そりゃ」
そりゃ。そのあとの言葉がつい詰まる。
「そりゃ柱になるためだ! 柱になりゃでけぇ屋敷も貰えて、考えられないくらい高額な給金も貰える! 俺の力にひれ伏した馬鹿どもが継子になりてぇって頭下げてきやがるんだ! それのためだろうが!」
「鬼殺隊のトップにはお館様っての方がいて、その人の立場が覆ることはないわよ。あなたの勝者ってのがどの位置なのか分からないけど、館がもらえて給金がもらえて、それって全部人から与えられる物じゃない、あなた人の下で我慢できるの?」
「てめぇ何言って」
「事実だわ。それに、柱ともなればそれこそ上弦の鬼とも戦わなくちゃいけない。その命を張って、その見返りが屋敷や給金? あなたの器もそれ程ってことかしら。たいそうな信念があるかと思いきや、小さな男ね」
「それ以上口を開いたら斬るぞ、おい、脅しじゃねぇからな!」
思わず剣に手が伸びるが、やはり頭に師匠の顔がちらついた。最終選別から帰った自分を喜んでくれた姿、日輪刀が黄色へと色変わりしたことを誇らしげにしてくれた姿。全部、獪岳にとってはどうでもいいことであった。そのハズなのに。
『その刃は鬼を斬るために切れ、弱きを助けろ』
聞き流したはずの言葉が頭に、水のように染み渡る。
「あなたは斬れないわ。私、か弱気乙女だもの、ただ金持ちのね」
「……お前、何なんだよ」
「今言ったじゃない。どこにでもいない、ただの金持ち令嬢よ」
仁王立ちでそこに立つ女に、獪岳は今まで抱いたことのない恐怖を感じた。その瞳が真っすぐ自分を見ることが、なぜだか恐ろしく感じる。武器もない、こんな小娘に。しかしその後ろに蠢いた影を見つけ、獪岳は刀を抜いた。有栖川の目がゆっくりと開かれる。獪岳が自分を斬ると思ったのだろうか、それはそれで女を出し抜けたようでおもしろい、そう思うと自然と笑みがこぼれた。
「雷の呼吸弐ノ型――稲魂」
瞬く間に五連の斬撃が有栖川の背後へと繰り出され、蠢いていた影「鬼」へと直撃する。そのまま間合いを詰め、参ノ型、伍ノ型、と呼吸を繰り出せば何体かいた鬼たちが次々に血を溢れさせた。回復する間を与えず、すかさず最期の一撃として頸を刈り取る。特に楽しくもない作業だが、考えてみれば同門たち、そして師匠に褒められた雷の呼吸を繰り出すことは獪岳のつまらない人生の中で、楽しいに分類されることではあった。
次々に鬼の頸を斬り、しかし有栖川への警戒も怠らない。護衛の仕事は小遣い稼ぎにやったことがあったが、誰しもが鬼を見れば慌てふためき、護衛で戦う自分を置いて逃げるか纏わりついて命乞いをするかの二択であった。しかし、有栖川は先ほどのように鞄の上に座り、獪岳のことを何やらニマニマとした顔で見ていた。生ぬるい視線が気持ち悪い程である。最期の鬼の頸を切ったところで、その気持ち悪い顔を引っ込ませながら、有栖川も立ち上がった。
「素晴らしいわ。雷の呼吸は何度かみたことがあるけれど、あなたのものは早さも何もかもが随一ね」
「フン」
そうだろう、と心の中で相槌を打つ。
褒められるのは嫌いではない。いつだって一番だといわれたい、それが獪岳自信も口には出さない、気づいていないフリをした心根であった。しかし次に放たれた言葉に、褒め前へ3 / 4 ページ次へ
「じゃあ貴方、ひとまずこの荷物もって頂戴ね」
「は?」
ドンという音を立てておかれた鞄。見るからに良い皮でつくられたそれは、その鞄そのものにある程度の重さがあるように見えた。
「おい、俺は護衛を買って出ただけで荷物持ちは」
「か弱い乙女が重い荷物をもって、どれほどのスピードで進めると思ってるの。寝る時間がなくなるわ。そのために貴方を雇ったんじゃない。荷物持ち兼任よ!」
「最初にいえよ! そんなことが分かってりゃ」
「引き受けなかった? だったら今から荷物を持ってくれる人に変えるわ。私、別にあなたでなくてもいいもの」
「鬼が出たらどうするもりなんだよ」
「多分大丈夫でしょ。私、藤の花くさいし」
そういって、有栖川は鞄を横倒しにし、その上に足を組むようにして座った。その姿もまた、様になっている。
「仕方がないわね、駄々こねる貴方に、特別に見せてあげましょう」
ほら、刮目しなさい。そういって、今座ったばかりの鞄から退く。鍵を解除し、鞄を開けたそこには、まさしくギッシリといえるほどの札束が詰まっていた。何気なく見せてきた金だが、その額で柱の屋敷がいくつたつのか、獪岳は唾を飲んだ。
「こ、これをくれるってのか⁈」
「ばっかねぇそんなわけないじゃない! あなたお金と私をなんだと思ってるのよ、お金はきちんと責任と労働を果たした物に与えられるのよ! 相応しいだけね!」
馬鹿だと思っているが? という獪岳の言葉はさすがに本人の前では慎まれた。大人しいとは思っていなかったが、二人になってわずか数分で、有栖川の我儘具合がじわじわと露見していく。
「じゃあ何がいいてぇんだよ!」
「私はこれだけの金を椅子にできる程の人間ってことよ。私にとってこれくらいの金は椅子。机だって家だって札束で建てられる、その私に護衛という名の恩を売れるっていうことよ」
「っそれは」
「この世は金を持ってるものが勝つ、それは貴方が一番分かってるんじゃない?」
札束を前に不適にほほ笑むその顔に、獪岳は虫唾が走る思いをしつつも、それはずっと自分が思ってきた図星でもあって言葉が詰まる。
「さてさて、それじゃあ進みましょうか!」
獪岳の視線をぶった切るようにして、鞄の蓋は閉じられる。
ほら、持って、と催促され獪岳はしぶしぶ鞄を持ちながら歩き出した。
「無言もつまらないから、何かお話しして頂戴、おもしろい話でね」
「無茶ぶりじゃねぇか」
「そうね、じゃああなたが生きてきて一番面白かった話でいいわ」
「話聞けよ」
「あなたの話がおもしろかったら追加金も考えましょう」
「いくらだ」
「現金な男ね。あなたのすべらない話の内容によるわね」
「すべらない話ってなんだ? 話にすべるもすべらないもあんのか」
「まぁ、とにかく内容によりけりってことよ!」
歩き出した道中は既に夕日が差し込み、きちんと道らしき道ではあるものの、町の住民が躊躇するのも確かに分かる景色であった。しかし、有栖川はそこに恐れをなす様子もなければ、自分が護衛を頼んだ癖に獪岳を先頭にするわけでもなく自ら先へと進んでいく。この金を持って自分が逃げるとは思わないのか。そう思いつつも、鬼殺隊の援助者ならば自分の事もすぐ分かるだろうこと、そして一瞬浮かんだ師匠の姿に、獪岳は頭を振ってそれを打ち消した。
「生きてきておもしろかったことなんざねぇよ。クソみてぇな人生だ」
「あらそうなの、じゃあその中でも飛び切りクソだった話でいいわ」
「その顔でクソとかいうなよ……」
そう返しつつも、獪岳は頭の中で己の人生を振り返ってみる。しかし本当に思い浮かぶこともなく、はたして自分はどう生きてきたのだろうか、と疑問すら浮かぶ。
「そもそも、人生をおもしろいとかつまらねぇとか思ったことがねぇな」
「おもしろみのない人間ねぇ」
「おもしれぇとかそうじゃねぇとか思うだけ無駄だろ、俺は結局勝てればそれでいい。生きてさえいりゃいつか勝てる」
それはずっと他人には否定されてきた獪岳の信念だった。
「それは違うわ」
そして早速否定して振り返ってきた有栖川に、獪岳は眉間の皺を隠すことなく視線を向けた。鬼殺隊に支援できる程の財力、恵まれた出自、容姿、全てを持ったこの我儘お嬢様が、どんな寒い偽善で自分を否定してくるのか。それをどう否定してやろうか、世の中がどれほど汚いのか自身の体験を持って否定してやろうか。それが瞬時に頭をめぐる。
「ただ生きていても勝ち組にはなれないわ。生き続けることは難しいけれど、それを抜けた先に幸せや、自分の欲望がかなう世界があるか、それは分からないもの」
有栖川はなんでもないようにそう呟く。顔は真面目そのものだ。
「……おまえみたいなお嬢ちゃんは、もっとくそみてぇな偽善なり、金持ちの理想みてねぇなことを言ってくるかと思ってた」
「心外! ま、世の中のただの金持ちはそうかもね。でもそんな奴らと私とは違うわ。私は既にある金にあぐらはかかない。常に自らが動いて金を生産するのよ」
「金を生産だぁ?」
「ええ。企業をどう大きくして、どうやってもっと金を手に入れるか。次にどう行動するべきか、常に考えてるわ。私の思考・行動の全てが、きちんとお金になるようにね」
「は! 一生遊んでくらせる金がある奴の余裕かねぇ」
「いいえ、足りないからよ」
「は?」
「まだまだまだまだまだまだ足りないのよ。お金はいくらあっても足りないの。私がしたいことのためには」
言葉を失う獪岳に、それを気にした様子もなく有栖川はにこりと笑う。最初は取り入るつもりで、甘い言葉のいくつかも囁いてやる予定だった獪岳だが、そんなことは開幕みせつけられた札束に流されて忘れていた。
「どうしてあなたは勝者になりたいの?」
「はぁ?」
「勝者になりたい理由はなんなのよ、って聞いてるの」
「そんなの当たり前じゃねぇか! 俺はそのへんにいる奴らみてぇに惨めったらしい人生送りたくねぇ。毎日ちまちま働いて、頭下げたり、毎日飯の心配したり、権力者に畜生みたいに打ち捨てられるなんて御免だね! そうならないために強者になる」
そのためには力もいるし金もいる。そう思って生きてきた獪岳は、一時身を寄せていた寺でも、金品を盗んで勝手に売却したことだってある。あいにくとバレて追い出されてしまったが、その鬱憤を晴らすために仕返しはしていた。それを悪だとも思わない、獪岳はそういう人間であった。そう思って生きてきた。
「だったら、私みたいな馬鹿そうな金持ち令嬢に取り入って、玉の輿にでも乗ればよかったじゃない。それなら名声も富も手に入るのに。どうして鬼殺隊になんて入ったの」
「そりゃ」
そりゃ。そのあとの言葉がつい詰まる。
「そりゃ柱になるためだ! 柱になりゃでけぇ屋敷も貰えて、考えられないくらい高額な給金も貰える! 俺の力にひれ伏した馬鹿どもが継子になりてぇって頭下げてきやがるんだ! それのためだろうが!」
「鬼殺隊のトップにはお館様っての方がいて、その人の立場が覆ることはないわよ。あなたの勝者ってのがどの位置なのか分からないけど、館がもらえて給金がもらえて、それって全部人から与えられる物じゃない、あなた人の下で我慢できるの?」
「てめぇ何言って」
「事実だわ。それに、柱ともなればそれこそ上弦の鬼とも戦わなくちゃいけない。その命を張って、その見返りが屋敷や給金? あなたの器もそれ程ってことかしら。たいそうな信念があるかと思いきや、小さな男ね」
「それ以上口を開いたら斬るぞ、おい、脅しじゃねぇからな!」
思わず剣に手が伸びるが、やはり頭に師匠の顔がちらついた。最終選別から帰った自分を喜んでくれた姿、日輪刀が黄色へと色変わりしたことを誇らしげにしてくれた姿。全部、獪岳にとってはどうでもいいことであった。そのハズなのに。
『その刃は鬼を斬るために切れ、弱きを助けろ』
聞き流したはずの言葉が頭に、水のように染み渡る。
「あなたは斬れないわ。私、か弱気乙女だもの、ただ金持ちのね」
「……お前、何なんだよ」
「今言ったじゃない。どこにでもいない、ただの金持ち令嬢よ」
仁王立ちでそこに立つ女に、獪岳は今まで抱いたことのない恐怖を感じた。その瞳が真っすぐ自分を見ることが、なぜだか恐ろしく感じる。武器もない、こんな小娘に。しかしその後ろに蠢いた影を見つけ、獪岳は刀を抜いた。有栖川の目がゆっくりと開かれる。獪岳が自分を斬ると思ったのだろうか、それはそれで女を出し抜けたようでおもしろい、そう思うと自然と笑みがこぼれた。
「雷の呼吸弐ノ型――稲魂」
瞬く間に五連の斬撃が有栖川の背後へと繰り出され、蠢いていた影「鬼」へと直撃する。そのまま間合いを詰め、参ノ型、伍ノ型、と呼吸を繰り出せば何体かいた鬼たちが次々に血を溢れさせた。回復する間を与えず、すかさず最期の一撃として頸を刈り取る。特に楽しくもない作業だが、考えてみれば同門たち、そして師匠に褒められた雷の呼吸を繰り出すことは獪岳のつまらない人生の中で、楽しいに分類されることではあった。
次々に鬼の頸を斬り、しかし有栖川への警戒も怠らない。護衛の仕事は小遣い稼ぎにやったことがあったが、誰しもが鬼を見れば慌てふためき、護衛で戦う自分を置いて逃げるか纏わりついて命乞いをするかの二択であった。しかし、有栖川は先ほどのように鞄の上に座り、獪岳のことを何やらニマニマとした顔で見ていた。生ぬるい視線が気持ち悪い程である。最期の鬼の頸を切ったところで、その気持ち悪い顔を引っ込ませながら、有栖川も立ち上がった。
「素晴らしいわ。雷の呼吸は何度かみたことがあるけれど、あなたのものは早さも何もかもが随一ね」
「フン」
そうだろう、と心の中で相槌を打つ。
褒められるのは嫌いではない。いつだって一番だといわれたい、それが獪岳自信も口には出さない、気づいていないフリをした心根であった。しかし次に放たれた言葉に、褒められて心地よかった気分が底辺へと落ちる。
「でも、あの距離だったら一太刀目は壱ノ型でもよかったのではないかしら。雷の呼吸の壱ノ型、私は好きで」
「っうるせぇ!!」
怒号ともいえる程の声が、森へと響いた。鬼が出るほど暗くなった森では鳥たちすら飛びたたず、風が木々を揺らす音だけがするが、それすらも止まったようにすら思える程で。
雷の呼吸壱ノ型――霹靂一閃。
師の元でも褒められ、羨望の眼差しで見られていた獪岳が唯一、習得することができなかった基本の壱ノ型。
あいつ、偉そうにしてるクセに壱ノ型も使えねぇらしいぜ。
基本の型が使えないから、あんなに傲慢なのかしら。
育手も悲しんでるだろうな。
使ってる残りの型だって、本当に使いこなせているのかわかったもんじゃない。
隊士と顔を合わせる度ににヒソヒソと囁かれた言葉が、獪岳の頭をめぐる。今日はよく昔の事と思い出す日だ、そう思う余裕もなく、獪岳は頭に血が上って自信をコントロールできなくなることだけを感じていた。
「壱ノ型、壱ノ型って! お前もあいつらと同じか! 壱ノ型が使えねぇからなんだって言うんだよ! 俺はお前らより劣ってるか? 壱ノ型が使えるお前らは、俺に一太刀でも勝てたのか⁈ 直接言う度胸もねぇくせにひそひそひそひそ言いやがって! お前らがお好きな壱ノ型で、俺に勝ってみろってんだ!」
ここにいるのは有栖川だけという事も忘れ、獪岳は息継ぎの間もなく叫ぶ。有栖川はそれにひるんだ様子、驚いた様子もなくそこに佇み、それがまた獪岳の苛立ちを助長させた。
「何だその目はよ! そんな目で俺を見るな!」
「別に、ただ、悲しいと思っただけよ」
「俺を見下してだろ! お前みたいなやつらはいつも人を可哀そうだって見下しやがる! 壱ノ型が使えねぇのは俺くらいなもんだからな!」
「いいえ、壱ノ型が使えないことじゃないわ」
「だったらなんだってんだよ!?」
「貴方はずっとそういわれてきて、それに今激情してる。それはつまり、あなたはそう言われて傷ついていたのよ。でも、あなた自身がそれに気づいていない。私はそのことが悲しいのよ」
「何、いって」
「自分が傷ついていることもしらず、それを癒す術も知らず、痛みに気づかないフリをして生きてきた。そんなあなたを感じたから」
言葉が、詰まる。
いつでも聞いてきた偽善的な言葉。だが、有栖川がいう言葉は偽善ではない。自分を憐れんでいる様子もない。だからこそ、獪岳の脳内は矛盾を起こし、返す言葉が出てこない。
「俺、は傷ついたりしてねぇ。あいつら雑魚が俺を妬んでいった言葉だ! 俺は壱ノ型が使えないことに何か思ってるわけじゃねぇ! あいつら格下が格上の俺を見下してることがむかつくだけだ!」
「それも事実だけど、それだけじゃないわよ、きっと」
「なにを分かったような」
「壱ノ型、きっと使いたいのよ、奥底の貴方は」
スピードが代表的な雷の呼吸。その最たる壱ノ型。同門の兄弟子の物を見た時はそれは素晴らしいと思い、自分もこれを手にするのだと思った。その認めたくなかった気持ちが、獪岳の中でむくむくと顔を出す。
「私の勝手な自論だけどね、あなたはその辺の金や富以上に、命を張る必要もあり、休みもろくにない過酷な柱になりたいと思ってる。そして壱ノ型が使えないことを気にしてる。ただ柱という勝者になりたいなら、壱ノ型が使えなくたっていいじゃない。あなたのような人なら気にしないでしょうよ。でもあなたはそれを無視できない。それはなぜか」
ごくりと獪岳が唾を飲んだ。
「あなたは柱になることを夢見てる。自分の師匠のような、いえ、それ以上の柱になってみせるって、心から思ってるからよ」
お金とか屋敷は二の次ね。
そういって笑う有栖川に、獪岳は言い返そうとして、しかし口はハクハクと言葉を発せず動くのみ。何を言っているのか分からない。たった数時間一緒にいただけのお前が、分かったような口を聞くな。持ってる者に持たざる者の気持ちは分からない。色々な言葉が出てきてもいいはずなのに、それは全て思うように出てきてはくれない。。そして、黙ってしまった獪岳の前に有栖川は金のつまった鞄を置いた。
「このお金を貴方にあげるわ。さっき見たように、一生遊んでくらせるでしょうし、屋敷だって土地ごと買えるでしょうよ。だから、今すぐ鬼殺隊を辞めてきなさい」
「……は?」
「貴方に噂話をした人たち、きっとあなたが柱になってもそう言い続けるわよ。柱なのに壱ノ型が使えない。柱なのに、基本ができない、継子に何を教えるのかって」
「そんな奴ら、俺が黙らせてやるっていって」
「そんな人たちがいる所で頑張る意味、あなたにあるかしら? 私があげる金で屋敷をこさえて、一生使いつくせない金で生きて、そっちの方が楽じゃない。世界的金持ちである私の友人として色々な所に連れて行ってあげるわ。時々お金もあげる。信じられないなら誓約書だって書いていい。ね、お得な話じゃない?」
鬼殺隊で柱を目指すより、よっぽど現実的だわ。
そういって鞄を撫でる手を、獪岳はつい追ってしまう。
「俺は、自分の力で馬鹿どもをひれ伏させる! 他人に恵んでもらったものに興味はねぇ!」
「壱ノ型が使えなければ、本当の意味でひれ伏させることはできないわ。同じ柱は壱ノ型を使えるでしょうしね」
「また、壱ノ型かよっ! 俺は」
「それに、貴方なぜそんなに雷の呼吸にこだわるのかしら」
「……は?」
「どれだけ鍛錬しても身につかない技がある。だったら違う流派に行ってみようとか思わないの? あなたはきっと演技も上手だし、師匠に呼吸があってないのかもってかけあったら、きっと別の流派の育手を紹介してくれたわよ。あなたには実力もあった、その自信もあった。なのに、どうしてそうしなかったの」
確信に迫るその質問は、あまりにも選択肢になかったもので、獪岳は今度こそ回答することができない。なぜ、別の流派に行かなかったのか。いつか壱ノ型が使えるようになると思ったから? 壱ノ型が使えなくてもいいと思ったから?
有栖川が言うように、師匠に申し出て別の流派を紹介してもらった兄弟子もいた。師匠、桑島慈悟郎は自分以外にもたくさんの弟子を抱えていた。それを見て「さすが先生」とよく言ったものだった。だが、その師匠も別流派に弟子を送った時には寂しそうにしていたのを覚えている。それを思い出せば、自分の向けたくなった感情がやはり見え隠れして、獪岳は思わず両手で顔を覆った。自分のことであるのに、自分の信念は揺るがないはずだったのに、心がめちゃくちゃだった。そんな獪岳に、追い打ちのように有栖川が口を出す。
「あなたは、あなたの師匠のような、そんな立派な鳴柱になりたいと、そう思っているのよ」
その場に両膝をつき、しりもちをつくように地面へと座り込んだ。
そんなことはない。
自分は人を裏切っても何も思わない。誰を蹴落としても、悲しませても、自分が生き残れるならそれでいい。生きていれば勝ちにつながる。自分は勝者になる。生まれた時から敗者だった自分、もうそんな生き方には絶対戻らない。それが自分の信念で、生きる道しるべだったはずなのに。
「あなたの中には、他人を蹴落としてもいい、自分が生き残り勝者になる道を作れるなら、それを何とも思わない。そういう気持ちも確かにあるのかもしれない。でもだからこそ、あなたは壱ノ型を使えないことにそんなに苛立っているのかもしれない。師のようになりたい貴方にとって、それは辛すぎることだから」
その昔、自分を受け入れてくれた寺の男も良い人間であった。とても褒められた人物だったのだろう。その男のことも獪岳は嫌いではなかった。ただ、追い出された仕返しをした時はとてもむしゃくしゃしており、どうにでもなればいいと思った。そして、悲劇は見ずに自分は逃げた。その先で、今の師に出会ってしまった。元柱の実力を持った、素晴らしい育手。人間としても素晴らしく、よく獪岳自身をほめてくれた。だからこそ、出来損ないの弟弟子にかまうのも気に食わず、そして壱ノ型が使えない自分自身にも苛立ちが募っていた。募りつつ、しかしその苛立ちの答えが獪岳の中には一つ浮かんでいた。
「……壱ノ型が使えねぇのは、俺が、俺がここまでクズだったから、だから」
その贖いをさせるために、本当に欲しいものを、神様は手に入れさせてくれない。
獪岳はそうつづけ、顔を伏せる。
「それを自覚するのはきっと、今までの自分自身を否定することになる。よく言ったわ、よく、言えたわ」
有栖川はそう呟き、そっと地面に膝をついた。そのまま伏せる獪岳を抱きしめるようにすれば、そっと頭を胸に寄せる形になった。
「誰かが言ってたわ。人間には幸せを入れる箱があるんだって。多分あなたはきっと、その箱に穴が開いてるのよ、それを頑張って自分でふさぐ術が、今までの行いだったのね」
「幸せの、箱……?ハハ、穴が開いてるなんて、ほんとクズな人生だ」
「このままだとね」
「は?」
今日何度目か分からない「は?」が出たところで、有栖川は抱擁を解いて立ち上がった。獪岳はその温もりが名残惜しいと感じたが、その気持ちには気づかないふりをして。しかし、その代わりのように有栖川は獪岳の手を無理やり取り、空いた手に鞄を持たせた。
「私が、あなたのその穴ふさいであげるわ」
「なに、言ってんだお前」
「あぁ、安心して頂戴。恋人とか友達になってあげるとか、そういう生ぬるい温もりで埋めるつもりはないわ。やっぱりもっと強固で、あなたも納得して、価値が変わらないものじゃないとね」
にっこりと笑った笑顔は、獪岳が呼吸を使ってるのを眺めていた時にそっくりだ。そうして有栖川はぐんぐんと先に歩みを進める。周囲にある血しぶきや闘いの後には見向きもしない。
「だから私が、札束であなたの箱を補強してあげるわ。いつか、箱の穴を自分で閉じれるようになるまでね」
「そこは、愛とか、気持ちとかじゃねぇのかよ」
「そんなもの、貴方だって望んでないでしょ。さっきもいったようにチープなおとぎ話みたいに、お金より愛。そんなのは嘘よ。お金に勝るものはこの世にたった一つしかないんだから」
「なんだよ、それ」
この日の元の国で最も金を持つ女、そいつが金で買えないもの。金より価値があるもの、それは純粋にとても気になった。
「命か」
「いいえ、命は時として金で買えるわ。死刑囚を金で買ってやったらそれは命を買ってやったことになるし、見えない物でも多くは金でやりとりできる」
「じゃ、じゃあなんだよ」
「誇りかしらね」
有栖川は前を向いたまま、こちらへ振り返らない。
「誇りってやつは、いくら払っても買えないものよ。よこしなさいといって貰えるものじゃないし、何を誇りに思っているかも人それぞれだわ。私が欲しい誇りはいつだって決まった人たちが持ってるのだけど」
「それって……」
「そうよ、あなたたち鬼殺隊はいつだって誇り高く、私が買うことができないの」
そういって、その色素の薄い目が獪岳を見た。
「誇り高く生きるのよ。それは誰にも侵されない権利だわ、たとえ鬼に殺されても、ずっと続いていく」
お前は儂の誇りだ、獪岳。
そう「先生」の声が、獪岳にも聞こえた気がした。
「私の両親も鬼に殺されたけれど、私に全てを残してくれた。両親はいつも言っていたわ、頭がよくて顔もよくて性格もいい、そんな私が誇りだって。だから私は両親の誇りの元に生きてるの、誇りは死んでも続くのよ。続けていくかぎり、それは生き続け、それが守られ続けるかぎりそれは勝者と同じなのではないかしら」
心が軽くなるような、そんな気分。あたりは真っ暗だというのに、有栖川に惹かれる手が、道が、光り輝いているように獪岳は感じた。
「私は貴方たち鬼殺隊の誇りを守りたい。だから金を稼ぐし、それを惜しげもなく与えるわ。私の誇りを守ってほしいから。あなたもその誇りを守る、そんな一員になってよね」
そういった有栖川の顔は、あいにくと見ることができない。
「これは機密事項で、貴方しか知らないんだから秘密にしときなさいよ」
「別に、隠すことじゃないだろ」
ぶっきら棒に返す獪岳に、有栖川は立ち止まらずに言う。
「ばかねぇ、そんなの恥ずかしいじゃない!乙女の本心はいつでも隠されておくべきよ」
「それとこれとは話がちが」
「お黙りなさい! あなたには特別に教えたんだから、光栄に思ってよね!」
「特別?」
「ええ。このことを知ってるのはあなたと私だけだもの」
特別。そう心の中で呟けば、また心が明るくなるような、軽くなるようなそんな気持ちがした。
「さて、そろそろ見えてくるはずよ」
「は? 何が」
「あぁ、あったわね。車よ」
「車だぁ⁈ んなモンあるなら俺いらねぇじゃねぇか!」
有栖川が指さした先。そこには整備された道があり、この大正の時代、持ってるのも珍しい高級車と、近くには人影が見えた。徐々にはっきりとしてきたその人影は、獪岳がよく知るものに似ていて、思わずその場に立ち止まる。立ち止まったことで、引っ張ていた手が離れ有栖川も立ち止まった。
「おい、ありゃ俺の見間違いじゃなきゃ」
「あぁ、そうね。言いそびれていたけれど車を守って頂いていたの。元鳴柱の桑島慈悟郎さんよ」
「おい馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿、馬鹿だろお前! 先に言え! そういうことは先に言え! 俺が驚きすぎて死んだらどうするつもりだ! 俺の命は金では買えねぇからな!」
「いや驚き方そっくりかしら」
「誰とそっくりかは知らねぇがお前は本当に馬鹿だ! どうやって先生をここに呼んだ!」
「お金じゃ頷いてくれなかったから、お弟子皆さんに高級和牛を食べさせてあげるっていったらしぶしぶ頷いてくれたわ、いい人ね。あなたのお師匠さん」
「先生を邪な手で買収すんな! 暇なお人じゃねぇんだぞ!」
「言ったでしょ、あなたの箱を金でふさいであげるって」
「こういうことじゃねぇよとんでもねぇ馬鹿女だな!」
有栖川が「キレ方が弟弟子と一緒じゃない」とつぶやいたが、怒りのあまり獪岳には聞こえていなかったようで、胸倉をつかむ勢いで喚いている。突然漫才のように言い争いを始めた二人に、弟子可愛さに条件をのみ、待ちぼうけを食らっていた老人が一歩踏み出す。
「獪岳、お前もおったのか」
「せ、先生」
「隊士になってから文の一つもよこさぬではないか。儂も善逸も心配しておったのだ。お前のことだから任務はきっちりこなしていると思っておったが」
「それはあの」
「お前がいなくなってから門下生は堕落するいっぽうじゃ、お前は儂の弟子の中でも一、二を争うひたむきさであったからな。皆お前がいると鼓舞されるが、いないとてんで駄目になる」
お前がいてくれたらよかった、ともすればそうともとれる発言に、獪岳は心が満たされるのを感じた。以前であれば自分の実力を認めさせてやったと思っていた感情も。今日気づいた感情を知れば、こっ恥ずかしい気持ちが込み上げてくる。
「あら大丈夫?顔が真っ赤よ」
「お前は黙ってろ!」
「まぁ積る話もあるでしょうけど、それは車内でやって頂戴。明日の宿も私の町に用意してるわ。そこで師弟水入らずで過ごしたらいいかしら」
「そんな恥ずかしいことができるか! 大体誰が運転するんだよ! 俺も先生も車なんて動かしたことねぇぞ」
「なら答えは決まってるじゃない。私よ」
「は」
「私が運転するから、早く乗りなさい。護衛で連れてきてるけれど、まぁだからこそ両手は空いてた方がいいでしょう」
初めて車に乗る師弟はややぎこちなく後部座席へと移動しつつ、しかし有栖川もぎこちなく運転手席へと収まった。その様子を不審に思った獪岳が声をかける。
「お前、俺とあんまり歳が変わらねぇように見えるが、免許は」
「持ってないけど安心して頂戴。私の町までいければ、私を警察に突き出すような馬鹿はいないわ! それに、見つかっても道を買い取ればいいのよ。私有地なら車の運転は自由でしょう」
「そういう問題じゃねぇよ馬鹿女!」
「さっきから思っていたのだけど、馬鹿馬鹿と失礼ね! いいわ、私のドライビングテクニックに見ほれるといいわよ! レーサーも唸る腕前なんだからね」
「何言ってんのか分からねぇが不安しかねぇ! 先生! 今からでも遅くない、降りま」
「シートベルトはしたかしら! 舌噛んでもしらないわよ!」
降りましょう。そう言いかけた言葉は急発進した車体に封じ込まれる。
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「じゃあ貴方、ひとまずこの荷物もって頂戴ね」
「は?」
ドンという音を立てておかれた鞄。見るからに良い皮でつくられたそれは、その鞄そのものにある程度の重さがあるように見えた。
「おい、俺は護衛を買って出ただけで荷物持ちは」
「か弱い乙女が重い荷物をもって、どれほどのスピードで進めると思ってるの。寝る時間がなくなるわ。そのために貴方を雇ったんじゃない。荷物持ち兼任よ!」
「最初にいえよ! そんなことが分かってりゃ」
「引き受けなかった? だったら今から荷物を持ってくれる人に変えるわ。私、別にあなたでなくてもいいもの」
「鬼が出たらどうするもりなんだよ」
「多分大丈夫でしょ。私、藤の花くさいし」
そういって、有栖川は鞄を横倒しにし、その上に足を組むようにして座った。その姿もまた、様になっている。
「仕方がないわね、駄々こねる貴方に、特別に見せてあげましょう」
ほら、刮目しなさい。そういって、今座ったばかりの鞄から退く。鍵を解除し、鞄を開けたそこには、まさしくギッシリといえるほどの札束が詰まっていた。何気なく見せてきた金だが、その額で柱の屋敷がいくつたつのか、獪岳は唾を飲んだ。
「こ、これをくれるってのか⁈」
「ばっかねぇそんなわけないじゃない! あなたお金と私をなんだと思ってるのよ、お金はきちんと責任と労働を果たした物に与えられるのよ! 相応しいだけね!」
馬鹿だと思っているが? という獪岳の言葉はさすがに本人の前では慎まれた。大人しいとは思っていなかったが、二人になってわずか数分で、有栖川の我儘具合がじわじわと露見していく。
「じゃあ何がいいてぇんだよ!」
「私はこれだけの金を椅子にできる程の人間ってことよ。私にとってこれくらいの金は椅子。机だって家だって札束で建てられる、その私に護衛という名の恩を売れるっていうことよ」
「っそれは」
「この世は金を持ってるものが勝つ、それは貴方が一番分かってるんじゃない?」
札束を前に不適にほほ笑むその顔に、獪岳は虫唾が走る思いをしつつも、それはずっと自分が思ってきた図星でもあって言葉が詰まる。
「さてさて、それじゃあ進みましょうか!」
獪岳の視線をぶった切るようにして、鞄の蓋は閉じられる。
ほら、持って、と催促され獪岳はしぶしぶ鞄を持ちながら歩き出した。
「無言もつまらないから、何かお話しして頂戴、おもしろい話でね」
「無茶ぶりじゃねぇか」
「そうね、じゃああなたが生きてきて一番面白かった話でいいわ」
「話聞けよ」
「あなたの話がおもしろかったら追加金も考えましょう」
「いくらだ」
「現金な男ね。あなたのすべらない話の内容によるわね」
「すべらない話ってなんだ? 話にすべるもすべらないもあんのか」
「まぁ、とにかく内容によりけりってことよ!」
歩き出した道中は既に夕日が差し込み、きちんと道らしき道ではあるものの、町の住民が躊躇するのも確かに分かる景色であった。しかし、有栖川はそこに恐れをなす様子もなければ、自分が護衛を頼んだ癖に獪岳を先頭にするわけでもなく自ら先へと進んでいく。この金を持って自分が逃げるとは思わないのか。そう思いつつも、鬼殺隊の援助者ならば自分の事もすぐ分かるだろうこと、そして一瞬浮かんだ師匠の姿に、獪岳は頭を振ってそれを打ち消した。
「生きてきておもしろかったことなんざねぇよ。クソみてぇな人生だ」
「あらそうなの、じゃあその中でも飛び切りクソだった話でいいわ」
「その顔でクソとかいうなよ……」
そう返しつつも、獪岳は頭の中で己の人生を振り返ってみる。しかし本当に思い浮かぶこともなく、はたして自分はどう生きてきたのだろうか、と疑問すら浮かぶ。
「そもそも、人生をおもしろいとかつまらねぇとか思ったことがねぇな」
「おもしろみのない人間ねぇ」
「おもしれぇとかそうじゃねぇとか思うだけ無駄だろ、俺は結局勝てればそれでいい。生きてさえいりゃいつか勝てる」
それはずっと他人には否定されてきた獪岳の信念だった。
「それは違うわ」
そして早速否定して振り返ってきた有栖川に、獪岳は眉間の皺を隠すことなく視線を向けた。鬼殺隊に支援できる程の財力、恵まれた出自、容姿、全てを持ったこの我儘お嬢様が、どんな寒い偽善で自分を否定してくるのか。それをどう否定してやろうか、世の中がどれほど汚いのか自身の体験を持って否定してやろうか。それが瞬時に頭をめぐる。
「ただ生きていても勝ち組にはなれないわ。生き続けることは難しいけれど、それを抜けた先に幸せや、自分の欲望がかなう世界があるか、それは分からないもの」
有栖川はなんでもないようにそう呟く。顔は真面目そのものだ。
「……おまえみたいなお嬢ちゃんは、もっとくそみてぇな偽善なり、金持ちの理想みてねぇなことを言ってくるかと思ってた」
「心外! ま、世の中のただの金持ちはそうかもね。でもそんな奴らと私とは違うわ。私は既にある金にあぐらはかかない。常に自らが動いて金を生産するのよ」
「金を生産だぁ?」
「ええ。企業をどう大きくして、どうやってもっと金を手に入れるか。次にどう行動するべきか、常に考えてるわ。私の思考・行動の全てが、きちんとお金になるようにね」
「は! 一生遊んでくらせる金がある奴の余裕かねぇ」
「いいえ、足りないからよ」
「は?」
「まだまだまだまだまだまだ足りないのよ。お金はいくらあっても足りないの。私がしたいことのためには」
言葉を失う獪岳に、それを気にした様子もなく有栖川はにこりと笑う。最初は取り入るつもりで、甘い言葉のいくつかも囁いてやる予定だった獪岳だが、そんなことは開幕みせつけられた札束に流されて忘れていた。
「どうしてあなたは勝者になりたいの?」
「はぁ?」
「勝者になりたい理由はなんなのよ、って聞いてるの」
「そんなの当たり前じゃねぇか! 俺はそのへんにいる奴らみてぇに惨めったらしい人生送りたくねぇ。毎日ちまちま働いて、頭下げたり、毎日飯の心配したり、権力者に畜生みたいに打ち捨てられるなんて御免だね! そうならないために強者になる」
そのためには力もいるし金もいる。そう思って生きてきた獪岳は、一時身を寄せていた寺でも、金品を盗んで勝手に売却したことだってある。あいにくとバレて追い出されてしまったが、その鬱憤を晴らすために仕返しはしていた。それを悪だとも思わない、獪岳はそういう人間であった。そう思って生きてきた。
「だったら、私みたいな馬鹿そうな金持ち令嬢に取り入って、玉の輿にでも乗ればよかったじゃない。それなら名声も富も手に入るのに。どうして鬼殺隊になんて入ったの」
「そりゃ」
そりゃ。そのあとの言葉がつい詰まる。
「そりゃ柱になるためだ! 柱になりゃでけぇ屋敷も貰えて、考えられないくらい高額な給金も貰える! 俺の力にひれ伏した馬鹿どもが継子になりてぇって頭下げてきやがるんだ! それのためだろうが!」
「鬼殺隊のトップにはお館様っての方がいて、その人の立場が覆ることはないわよ。あなたの勝者ってのがどの位置なのか分からないけど、館がもらえて給金がもらえて、それって全部人から与えられる物じゃない、あなた人の下で我慢できるの?」
「てめぇ何言って」
「事実だわ。それに、柱ともなればそれこそ上弦の鬼とも戦わなくちゃいけない。その命を張って、その見返りが屋敷や給金? あなたの器もそれ程ってことかしら。たいそうな信念があるかと思いきや、小さな男ね」
「それ以上口を開いたら斬るぞ、おい、脅しじゃねぇからな!」
思わず剣に手が伸びるが、やはり頭に師匠の顔がちらついた。最終選別から帰った自分を喜んでくれた姿、日輪刀が黄色へと色変わりしたことを誇らしげにしてくれた姿。全部、獪岳にとってはどうでもいいことであった。そのハズなのに。
『その刃は鬼を斬るために切れ、弱きを助けろ』
聞き流したはずの言葉が頭に、水のように染み渡る。
「あなたは斬れないわ。私、か弱気乙女だもの、ただ金持ちのね」
「……お前、何なんだよ」
「今言ったじゃない。どこにでもいない、ただの金持ち令嬢よ」
仁王立ちでそこに立つ女に、獪岳は今まで抱いたことのない恐怖を感じた。その瞳が真っすぐ自分を見ることが、なぜだか恐ろしく感じる。武器もない、こんな小娘に。しかしその後ろに蠢いた影を見つけ、獪岳は刀を抜いた。有栖川の目がゆっくりと開かれる。獪岳が自分を斬ると思ったのだろうか、それはそれで女を出し抜けたようでおもしろい、そう思うと自然と笑みがこぼれた。
「雷の呼吸弐ノ型――稲魂」
瞬く間に五連の斬撃が有栖川の背後へと繰り出され、蠢いていた影「鬼」へと直撃する。そのまま間合いを詰め、参ノ型、伍ノ型、と呼吸を繰り出せば何体かいた鬼たちが次々に血を溢れさせた。回復する間を与えず、すかさず最期の一撃として頸を刈り取る。特に楽しくもない作業だが、考えてみれば同門たち、そして師匠に褒められた雷の呼吸を繰り出すことは獪岳のつまらない人生の中で、楽しいに分類されることではあった。
次々に鬼の頸を斬り、しかし有栖川への警戒も怠らない。護衛の仕事は小遣い稼ぎにやったことがあったが、誰しもが鬼を見れば慌てふためき、護衛で戦う自分を置いて逃げるか纏わりついて命乞いをするかの二択であった。しかし、有栖川は先ほどのように鞄の上に座り、獪岳のことを何やらニマニマとした顔で見ていた。生ぬるい視線が気持ち悪い程である。最期の鬼の頸を切ったところで、その気持ち悪い顔を引っ込ませながら、有栖川も立ち上がった。
「素晴らしいわ。雷の呼吸は何度かみたことがあるけれど、あなたのものは早さも何もかもが随一ね」
「フン」
そうだろう、と心の中で相槌を打つ。
褒められるのは嫌いではない。いつだって一番だといわれたい、それが獪岳自信も口には出さない、気づいていないフリをした心根であった。しかし次に放たれた言葉に、褒められて心地よかった気分が底辺へと落ちる。
「でも、あの距離だったら一太刀目は壱ノ型でもよかったのではないかしら。雷の呼吸の壱ノ型、私は好きで」
「っうるせぇ!!」
怒号ともいえる程の声が、森へと響いた。鬼が出るほど暗くなった森では鳥たちすら飛びたたず、風が木々を揺らす音だけがするが、それすらも止まったようにすら思える程で。
雷の呼吸壱ノ型――霹靂一閃。
師の元でも褒められ、羨望の眼差しで見られていた獪岳が唯一、習得することができなかった基本の壱ノ型。
あいつ、偉そうにしてるクセに壱ノ型も使えねぇらしいぜ。
基本の型が使えないから、あんなに傲慢なのかしら。
育手も悲しんでるだろうな。
使ってる残りの型だって、本当に使いこなせているのかわかったもんじゃない。
隊士と顔を合わせる度ににヒソヒソと囁かれた言葉が、獪岳の頭をめぐる。今日はよく昔の事と思い出す日だ、そう思う余裕もなく、獪岳は頭に血が上って自信をコントロールできなくなることだけを感じていた。
「壱ノ型、壱ノ型って! お前もあいつらと同じか! 壱ノ型が使えねぇからなんだって言うんだよ! 俺はお前らより劣ってるか? 壱ノ型が使えるお前らは、俺に一太刀でも勝てたのか⁈ 直接言う度胸もねぇくせにひそひそひそひそ言いやがって! お前らがお好きな壱ノ型で、俺に勝ってみろってんだ!」
ここにいるのは有栖川だけという事も忘れ、獪岳は息継ぎの間もなく叫ぶ。有栖川はそれにひるんだ様子、驚いた様子もなくそこに佇み、それがまた獪岳の苛立ちを助長させた。
「何だその目はよ! そんな目で俺を見るな!」
「別に、ただ、悲しいと思っただけよ」
「俺を見下してだろ! お前みたいなやつらはいつも人を可哀そうだって見下しやがる! 壱ノ型が使えねぇのは俺くらいなもんだからな!」
「いいえ、壱ノ型が使えないことじゃないわ」
「だったらなんだってんだよ!?」
「貴方はずっとそういわれてきて、それに今激情してる。それはつまり、あなたはそう言われて傷ついていたのよ。でも、あなた自身がそれに気づいていない。私はそのことが悲しいのよ」
「何、いって」
「自分が傷ついていることもしらず、それを癒す術も知らず、痛みに気づかないフリをして生きてきた。そんなあなたを感じたから」
言葉が、詰まる。
いつでも聞いてきた偽善的な言葉。だが、有栖川がいう言葉は偽善ではない。自分を憐れんでいる様子もない。だからこそ、獪岳の脳内は矛盾を起こし、返す言葉が出てこない。
「俺、は傷ついたりしてねぇ。あいつら雑魚が俺を妬んでいった言葉だ! 俺は壱ノ型が使えないことに何か思ってるわけじゃねぇ! あいつら格下が格上の俺を見下してることがむかつくだけだ!」
「それも事実だけど、それだけじゃないわよ、きっと」
「なにを分かったような」
「壱ノ型、きっと使いたいのよ、奥底の貴方は」
スピードが代表的な雷の呼吸。その最たる壱ノ型。同門の兄弟子の物を見た時はそれは素晴らしいと思い、自分もこれを手にするのだと思った。その認めたくなかった気持ちが、獪岳の中でむくむくと顔を出す。
「私の勝手な自論だけどね、あなたはその辺の金や富以上に、命を張る必要もあり、休みもろくにない過酷な柱になりたいと思ってる。そして壱ノ型が使えないことを気にしてる。ただ柱という勝者になりたいなら、壱ノ型が使えなくたっていいじゃない。あなたのような人なら気にしないでしょうよ。でもあなたはそれを無視できない。それはなぜか」
ごくりと獪岳が唾を飲んだ。
「あなたは柱になることを夢見てる。自分の師匠のような、いえ、それ以上の柱になってみせるって、心から思ってるからよ」
お金とか屋敷は二の次ね。
そういって笑う有栖川に、獪岳は言い返そうとして、しかし口はハクハクと言葉を発せず動くのみ。何を言っているのか分からない。たった数時間一緒にいただけのお前が、分かったような口を聞くな。持ってる者に持たざる者の気持ちは分からない。色々な言葉が出てきてもいいはずなのに、それは全て思うように出てきてはくれない。。そして、黙ってしまった獪岳の前に有栖川は金のつまった鞄を置いた。
「このお金を貴方にあげるわ。さっき見たように、一生遊んでくらせるでしょうし、屋敷だって土地ごと買えるでしょうよ。だから、今すぐ鬼殺隊を辞めてきなさい」
「……は?」
「貴方に噂話をした人たち、きっとあなたが柱になってもそう言い続けるわよ。柱なのに壱ノ型が使えない。柱なのに、基本ができない、継子に何を教えるのかって」
「そんな奴ら、俺が黙らせてやるっていって」
「そんな人たちがいる所で頑張る意味、あなたにあるかしら? 私があげる金で屋敷をこさえて、一生使いつくせない金で生きて、そっちの方が楽じゃない。世界的金持ちである私の友人として色々な所に連れて行ってあげるわ。時々お金もあげる。信じられないなら誓約書だって書いていい。ね、お得な話じゃない?」
鬼殺隊で柱を目指すより、よっぽど現実的だわ。
そういって鞄を撫でる手を、獪岳はつい追ってしまう。
「俺は、自分の力で馬鹿どもをひれ伏させる! 他人に恵んでもらったものに興味はねぇ!」
「壱ノ型が使えなければ、本当の意味でひれ伏させることはできないわ。同じ柱は壱ノ型を使えるでしょうしね」
「また、壱ノ型かよっ! 俺は」
「それに、貴方なぜそんなに雷の呼吸にこだわるのかしら」
「……は?」
「どれだけ鍛錬しても身につかない技がある。だったら違う流派に行ってみようとか思わないの? あなたはきっと演技も上手だし、師匠に呼吸があってないのかもってかけあったら、きっと別の流派の育手を紹介してくれたわよ。あなたには実力もあった、その自信もあった。なのに、どうしてそうしなかったの」
確信に迫るその質問は、あまりにも選択肢になかったもので、獪岳は今度こそ回答することができない。なぜ、別の流派に行かなかったのか。いつか壱ノ型が使えるようになると思ったから? 壱ノ型が使えなくてもいいと思ったから?
有栖川が言うように、師匠に申し出て別の流派を紹介してもらった兄弟子もいた。師匠、桑島慈悟郎は自分以外にもたくさんの弟子を抱えていた。それを見て「さすが先生」とよく言ったものだった。だが、その師匠も別流派に弟子を送った時には寂しそうにしていたのを覚えている。それを思い出せば、自分の向けたくなった感情がやはり見え隠れして、獪岳は思わず両手で顔を覆った。自分のことであるのに、自分の信念は揺るがないはずだったのに、心がめちゃくちゃだった。そんな獪岳に、追い打ちのように有栖川が口を出す。
「あなたは、あなたの師匠のような、そんな立派な鳴柱になりたいと、そう思っているのよ」
その場に両膝をつき、しりもちをつくように地面へと座り込んだ。
そんなことはない。
自分は人を裏切っても何も思わない。誰を蹴落としても、悲しませても、自分が生き残れるならそれでいい。生きていれば勝ちにつながる。自分は勝者になる。生まれた時から敗者だった自分、もうそんな生き方には絶対戻らない。それが自分の信念で、生きる道しるべだったはずなのに。
「あなたの中には、他人を蹴落としてもいい、自分が生き残り勝者になる道を作れるなら、それを何とも思わない。そういう気持ちも確かにあるのかもしれない。でもだからこそ、あなたは壱ノ型を使えないことにそんなに苛立っているのかもしれない。師のようになりたい貴方にとって、それは辛すぎることだから」
その昔、自分を受け入れてくれた寺の男も良い人間であった。とても褒められた人物だったのだろう。その男のことも獪岳は嫌いではなかった。ただ、追い出された仕返しをした時はとてもむしゃくしゃしており、どうにでもなればいいと思った。そして、悲劇は見ずに自分は逃げた。その先で、今の師に出会ってしまった。元柱の実力を持った、素晴らしい育手。人間としても素晴らしく、よく獪岳自身をほめてくれた。だからこそ、出来損ないの弟弟子にかまうのも気に食わず、そして壱ノ型が使えない自分自身にも苛立ちが募っていた。募りつつ、しかしその苛立ちの答えが獪岳の中には一つ浮かんでいた。
「……壱ノ型が使えねぇのは、俺が、俺がここまでクズだったから、だから」
その贖いをさせるために、本当に欲しいものを、神様は手に入れさせてくれない。
獪岳はそうつづけ、顔を伏せる。
「それを自覚するのはきっと、今までの自分自身を否定することになる。よく言ったわ、よく、言えたわ」
有栖川はそう呟き、そっと地面に膝をついた。そのまま伏せる獪岳を抱きしめるようにすれば、そっと頭を胸に寄せる形になった。
「誰かが言ってたわ。人間には幸せを入れる箱があるんだって。多分あなたはきっと、その箱に穴が開いてるのよ、それを頑張って自分でふさぐ術が、今までの行いだったのね」
「幸せの、箱……?ハハ、穴が開いてるなんて、ほんとクズな人生だ」
「このままだとね」
「は?」
今日何度目か分からない「は?」が出たところで、有栖川は抱擁を解いて立ち上がった。獪岳はその温もりが名残惜しいと感じたが、その気持ちには気づかないふりをして。しかし、その代わりのように有栖川は獪岳の手を無理やり取り、空いた手に鞄を持たせた。
「私が、あなたのその穴ふさいであげるわ」
「なに、言ってんだお前」
「あぁ、安心して頂戴。恋人とか友達になってあげるとか、そういう生ぬるい温もりで埋めるつもりはないわ。やっぱりもっと強固で、あなたも納得して、価値が変わらないものじゃないとね」
にっこりと笑った笑顔は、獪岳が呼吸を使ってるのを眺めていた時にそっくりだ。そうして有栖川はぐんぐんと先に歩みを進める。周囲にある血しぶきや闘いの後には見向きもしない。
「だから私が、札束であなたの箱を補強してあげるわ。いつか、箱の穴を自分で閉じれるようになるまでね」
「そこは、愛とか、気持ちとかじゃねぇのかよ」
「そんなもの、貴方だって望んでないでしょ。さっきもいったようにチープなおとぎ話みたいに、お金より愛。そんなのは嘘よ。お金に勝るものはこの世にたった一つしかないんだから」
「なんだよ、それ」
この日の元の国で最も金を持つ女、そいつが金で買えないもの。金より価値があるもの、それは純粋にとても気になった。
「命か」
「いいえ、命は時として金で買えるわ。死刑囚を金で買ってやったらそれは命を買ってやったことになるし、見えない物でも多くは金でやりとりできる」
「じゃ、じゃあなんだよ」
「誇りかしらね」
有栖川は前を向いたまま、こちらへ振り返らない。
「誇りってやつは、いくら払っても買えないものよ。よこしなさいといって貰えるものじゃないし、何を誇りに思っているかも人それぞれだわ。私が欲しい誇りはいつだって決まった人たちが持ってるのだけど」
「それって……」
「そうよ、あなたたち鬼殺隊はいつだって誇り高く、私が買うことができないの」
そういって、その色素の薄い目が獪岳を見た。
「誇り高く生きるのよ。それは誰にも侵されない権利だわ、たとえ鬼に殺されても、ずっと続いていく」
お前は儂の誇りだ、獪岳。
そう「先生」の声が、獪岳にも聞こえた気がした。
「私の両親も鬼に殺されたけれど、私に全てを残してくれた。両親はいつも言っていたわ、頭がよくて顔もよくて性格もいい、そんな私が誇りだって。だから私は両親の誇りの元に生きてるの、誇りは死んでも続くのよ。続けていくかぎり、それは生き続け、それが守られ続けるかぎりそれは勝者と同じなのではないかしら」
心が軽くなるような、そんな気分。あたりは真っ暗だというのに、有栖川に惹かれる手が、道が、光り輝いているように獪岳は感じた。
「私は貴方たち鬼殺隊の誇りを守りたい。だから金を稼ぐし、それを惜しげもなく与えるわ。私の誇りを守ってほしいから。あなたもその誇りを守る、そんな一員になってよね」
そういった有栖川の顔は、あいにくと見ることができない。
「これは機密事項で、貴方しか知らないんだから秘密にしときなさいよ」
「別に、隠すことじゃないだろ」
ぶっきら棒に返す獪岳に、有栖川は立ち止まらずに言う。
「ばかねぇ、そんなの恥ずかしいじゃない! 乙女の本心はいつでも隠されておくべきよ」
「それとこれとは話がちが」
「お黙りなさい! あなたには特別に教えたんだから、光栄に思ってよね!」
「特別?」
「ええ。このことを知ってるのはあなたと私だけだもの」
特別。そう心の中で呟けば、また心が明るくなるような、軽くなるようなそんな気持ちがした。
「さて、そろそろ見えてくるはずよ」
「は? 何が」
「あぁ、あったわね。車よ」
「車だぁ⁈ んなモンあるなら俺いらねぇじゃねぇか!」
有栖川が指さした先。そこには整備された道があり、この大正の時代、持ってるのも珍しい高級車と、近くには人影が見えた。徐々にはっきりとしてきたその人影は、獪岳がよく知るものに似ていて、思わずその場に立ち止まる。立ち止まったことで、引っ張ていた手が離れ有栖川も立ち止まった。
「おい、ありゃ俺の見間違いじゃなきゃ」
「あぁ、そうね。言いそびれていたけれど車を守って頂いていたの。元鳴柱の桑島慈悟郎さんよ」
「おい馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿、馬鹿だろお前! 先に言え! そういうことは先に言え! 俺が驚きすぎて死んだらどうするつもりだ! 俺の命は金では買えねぇからな!」
「いや驚き方そっくりかしら」
「誰とそっくりかは知らねぇがお前は本当に馬鹿だ! どうやって先生をここに呼んだ!」
「お金じゃ頷いてくれなかったから、お弟子皆さんに高級和牛を食べさせてあげるっていったらしぶしぶ頷いてくれたわ、いい人ね。あなたのお師匠さん」
「先生を邪な手で買収すんな! 暇なお人じゃねぇんだぞ!」
「言ったでしょ、あなたの箱を金でふさいであげるって」
「こういうことじゃねぇよとんでもねぇ馬鹿女だな!」
有栖川が「キレ方が弟弟子と一緒じゃない」とつぶやいたが、怒りのあまり獪岳には聞こえていなかったようで、胸倉をつかむ勢いで喚いている。突然漫才のように言い争いを始めた二人に、弟子可愛さに条件をのみ、待ちぼうけを食らっていた老人が一歩踏み出す。
「獪岳、お前もおったのか」
「せ、先生」
「隊士になってから文の一つもよこさぬではないか。儂も善逸も心配しておったのだ。お前のことだから任務はきっちりこなしていると思っておったが」
「それはあの」
「お前がいなくなってから門下生は堕落するいっぽうじゃ、お前は儂の弟子の中でも一、二を争うひたむきさであったからな。皆お前がいると鼓舞されるが、いないとてんで駄目になる」
お前がいてくれたらよかった、ともすればそうともとれる発言に、獪岳は心が満たされるのを感じた。以前であれば自分の実力を認めさせてやったと思っていた感情も。今日気づいた感情を知れば、こっ恥ずかしい気持ちが込み上げてくる。
「あら大丈夫?顔が真っ赤よ」
「お前は黙ってろ!」
「まぁ積る話もあるでしょうけど、それは車内でやって頂戴。明日の宿も私の町に用意してるわ。そこで師弟水入らずで過ごしたらいいかしら」
「そんな恥ずかしいことができるか! 大体誰が運転するんだよ! 俺も先生も車なんて動かしたことねぇぞ」
「なら答えは決まってるじゃない。私よ」
「は」
「私が運転するから、早く乗りなさい。護衛で連れてきてるけれど、まぁだからこそ両手は空いてた方がいいでしょう」
初めて車に乗る師弟はややぎこちなく後部座席へと移動しつつ、しかし有栖川もぎこちなく運転手席へと収まった。その様子を不審に思った獪岳が声をかける。
「お前、俺とあんまり歳が変わらねぇように見えるが、免許は」
「持ってないけど安心して頂戴。私の町までいければ、私を警察に突き出すような馬鹿はいないわ! それに、見つかっても道を買い取ればいいのよ。私有地なら車の運転は自由でしょう」
「そういう問題じゃねぇよ馬鹿女!」
「さっきから思っていたのだけど、馬鹿馬鹿と失礼ね! いいわ、私のドライビングテクニックに見ほれるといいわよ! レーサーも唸る腕前なんだからね」
「何言ってんのか分からねぇが不安しかねぇ! 先生! 今からでも遅くない、降りま」
「シートベルトはしたかしら! 舌噛んでもしらないわよ!」
降りましょう。そう言いかけた言葉は急発進した車体に封じ込まれる。
この後、有栖川の独走的ともいえるドライビングテクニックに初めて車に乗る二人はグロッキーとなり、町の宿で一泊することとなる。更についた町では、思いを師匠に暴露されることになることになり、それにより桑島の苗字と拒否した羽織を渡されることになるにもなり、その後箱をふさぐといった有栖川によってなんでも屋に指名されることになる。
そんな怒涛の展開なぞ、今の獪岳には想像することすらできないのであった。
今はただ、久々に不満も何もなく、不思議とすっきりといた気分の自分にどう向き合うべきなのか。それだけだった。
「そういえばあなたの名前、聞いてなかったわね」
思い出したかのように、有栖川が獪岳へと尋ねる。獪岳は一方的に知っていたが、確かに聞かれるタイミングはなかった。
「今更かよ」
「いいじゃないもう。あなたには特別をもう一つあげるから」
「もう1つ特別?」
そう首を傾げた獪岳に「かわいい事するんじゃないわよ」と半ギレしながら有栖川は車を止めて耳打ちをした。
――俺には成金の知り合いがいる。
知り合い以上の関係ではあるが、親戚でもなく、友人でもなく、恋人でもない。金で動かされてはいるが、雇い主と思うには自分の感情はやや整理できない。そんな相手だ。
常に整えられた麻色の髪をなびかせながら、俺にかける言葉はいつも一緒。
「ねぇ獪岳、ちょっとお願いごとがあるのだけど」
そういって俺に無理難題をおしつける女はあのクソ出来損ないの弟に会った後も、数多くの柱にあった後も俺だけが特別だと言うのだ。それに踊らされてる俺もアホだが、だけど言うことを聞いてしまう。
「おい―――、そういうことは先に言えっていつも言ってんだろ!」
『私の名を知ってるのも呼ぶのも、あなただけにあげた特権だからね』
その言葉を喜んでるうちは、俺はこの女の言うことを聞いてしまうのかもしれない。
・有栖川
今回この子目線じゃなかったけど、この子目線だと盛大にギャグをかましている。
寺事件を阻止できなかった事を嘆いてて、実は見た目でいえば一番好きなのが獪岳でもある。
あ~獪岳かわいいかわいいしたいね!するわ!
基本くんちゃんさん付けの推しの中で、唯一呼び捨てにしている(個々の中でも)
獪岳が特別視されることに執着してるので、その執着がちょっとでも善の方向に向けばいいかな、って自分の特別ふたつ上げた。
・獪岳
自分の中ではっきりしてなかった感情がはっきりした。
先生との不和を取り払うものの、口が悪いのも利己的なのもそのままではある。ちょっとよくなった。過去のことは昔より罪悪感には感じているが、向き合ったら心がぶち壊れるので、それは有栖川と一緒に徐々にやっていくと思う。多分。
作中唯一有栖川の下の名前知ってるし、それに優越感もある。誰かの特別にずっとなりたかった。
有栖川がいいやつって分かりだした鬼殺隊たちの前でわざと名前知ってるっぽいにおわせする、でもわざと呼ばない。
前回ちょろっと出てきた、有栖川のなんでも屋さん獪岳とのあれそれ。